業界独り言 VOL342 組み込みからプラットホームに至る道

携帯電話業界は、縮み上がりつつも採算確保と業容拡大の背反する要求をうけての状況が続いている、オープンプラットホームを受け入れる人もいるだろうし、専用プラットホームを開発追及している人もいる。共通する点は、小規模なOEMが独自プラットホームを開発する時代ではなくなっているということである。通信キャリア=特定OEMといった図式のケースもあるだろうし、共通のプラットホームをメーカー間でシェアしつつも採算の観点から見直して勇退をされたメーカーもある。プラットホームとしてアプリケーションベンダーに対してリーダーシップの労をとりつつ、新基軸を追及していくということの道は険しい。

プラットホームとしての基本設計に取組見直しが出来るチャンスは、もうほとんどありそうもない状況に陥っている。 とはいえ色々な工夫の余地は残っているはずで、技術者としての好奇心が疼くテーマはあるはずなのだが、なかなか好奇心とビジネスが一致するということは難しく経営陣の戦略を巻き込んでの展開が求められている。Quad社のようなチップセットあるいはプラットホーム・ベースソフトなどを提供する立場にいるとそうしたお客様経営陣の思惑や葛藤を見ることができるしそうした中での次善策の提案なりコンサルティングといったことも仕事の一環となっている。

提供するチップセットの性能・プラットホームの柔軟さなど、いずれをとっても結局お客様が商品としてサービス提供に至るまでのオーバーヘッドをとらえた上での競争力を改善することに繋がることで採用の判断をしてもらうことになる。ゼロからのスタートをするお客様は、逆にプラットホームなどは既存の範囲でリスク追及をしたくはないのでASISでOEMに依頼することになるし、過去がある人は、しがらみに縛られた上で世の中の流れであるオープンな雰囲気と自己追及したい改善の狭間に立たされている。ユーザーから見た目のサービスにどれほどの差異があるのかということや、携帯電話がこれからどうあるべきなのかといった事への拘りなどがキャリアあるいは巨大メーカーの目指している差分になっているようだ。

その開発方向の行く先に見える想定される問題や実現時期に思いを馳せた上での技術的な企画創案をするCTOもいるだろうし、現在までの開発投資の集約から拡大していく開発投資に大きな判断を求めているキャリアもいるようだ。国内でのシェアのどんぐり競争も退場者の登場やブランド貸しなどの流行で報道からは、大きく見えてくるのは強い意志をもつメーカーの取り組みぐらいになっているようだ。通信キャリア毎に取り組んできたベースリファレンスデザインの上に構築してきた自社プラットホームアーキテクチャをリセットする気概というかリスクを負ってまで踏み込めるメーカーは少ない。過去にもなかった訳ではないが、そのギャップとビジネスとしての短期的な成果で埋没してしまったケースもあるようだ。

技術競争の質は変化してきているのは、iPhoneなどの登場でも明らかなのだが、ハードウェアでの性能差別化に終始することしか考えられないことについての不安感はないのだろうか。最終目的と現状互換性の狭間でますます混迷の度を深めていくケースも多いのだが、仮想化をさらに推し進めて過去との互換性についての基軸を変えるべきだと感じるのだが、仮想化のオーバーヘッドにのみ注視していて、その矛先を押し曲げていることについては悲しいものがある。気がつけば32ビットマシンとしてのアドレス限界も見えてくる状況なのだが、携帯電話あるいは端末で64ビットの世界にまで整理もつかないままに移行することは出来ない。

端末ソフトウェアのアーキテクチャを新構築していく流れを提案しているのだが、現状設計での性能や問題点の整理が、まだユーザーレベルではこなれていないのも仕方がない状況である。組み込み環境という特殊性の中で、オープンソースな開発スタイルが導出しうるゴールが時期を全うするものになれば、良いのだが自社追及していく一つの方向性の中で、乗ってくれるパートナーとなるお客様を教育説得して利益を享受していただくための下支えをしていくというのは、なかなか難しいコンサルティング技術が必要であり、素人を説得して、実務としての利益成果をあげていただき、かつそれを無手勝流で仕上げていくという、途方もない仕事かも知れない。

業界独り言 VOL341 組み込み最前線を訪ねて

過日、組み込みの戦友がやっている、北千住のシステムハウスを訪れた。初めて降りる北千住の駅は、さまざまな電車が乗り入れる都心へのハブとなっているようで、下町の雰囲気と都心へのゲートウェイとがミスマッチしている印象が、また素敵だった。ここでは、マイコン創成期からの付き合いの方たちが、今では会社を興されて若い組み込み技術者を迎えながらも現役で働いていらっしゃる。社長のUさん、取締役のIさんは時間を越えて現役でソフト開発をされているのである。

組み込みのソフトウェア開発での仕事というのは、最近の状況では単発短期の小さなものばかりになってきているそうで大変な様子である。クライアントであるさまざまな会社での技術実体が空洞化が進み、単に管理のみになって理解なき状況下での管理先行という、悲しい状況がさらに悲哀を生み出しているようである。システムものという分野があり、コンシューマー用途とは異なり長らくサポートを必要とするものである。こうした分野にこそ組み込みの意義があるのだが、自前で起こしたと勘違いしたようなコンシューマーからの流用ケースを保守する状況を押し付けられるらしい。

具体的な話で言えば、最近は携帯でも話題のWindowsMobileの前身であるところのCEを用いた端末装置の増設といった流れで過去の設計を流用して適用開発したいというのである。Versionはというと、2.11とかでリモートデバッグすらも出来ずにいまさらながらにiCEでSH1のチップセットと対峙することになるようだ。当時を思い返してみれば、MSが組み込み業界に殴りこみをかけたかの印象があったのも事実だがMSという風呂敷の中ではPDAクラスの開発規模と寿命を想定してのビジネスモデルであって、長年つかえるソリューションではなかったのである。

実際のメンテナンスというか新規開発の厳しい条件として課せられた、その開発には開発に必要な技術資料すらも手に入らない状況で、ようやく学校の図書館の書庫から当時の雑誌やらを探し出しての対応で実務に漕ぎ着けたようである。そんな状況が、クライアントの会社の実情を物語っていて、その会社での技術力というものが存在しない、仕事単位での村社会を構成しているというのも寂しい話である。隣が何をしているのかも知れない、開発した実績や共通化の話などいくらでも活用できるチャンスがあるのが、そうした大メーカーでの差別化要素なのに、実際のところ各自の仕事の範囲で責任を殻に閉じこもってしまうという体質らしいのだ。草葉の陰で悲しむ大先輩の人たちが多いのだろうと思う。

与えられた仕事をチャンスとして自己の挑戦をしていくというのが、本来のエンジニアとしての取り組みだと思うのだが、それがなければ単なる役所仕事である。何が楽しくてそんな役所仕事のようなスタイルに閉じこもってしまうのだろうか。楽しそうにやっている先輩をみつけて、その背中を仰ぎ自らも挑戦しつつ教えを請うといった絵などは、とうてい現実から乖離しているということらしい。本当にこんな会社ばかりになっているとは考えたくもないのだが・・・。エンジニアとして暮らしてきた時代がマイコン創生からバブル越しまでの中で現場にいたということ自体も異常なのかも知れない。
どこかでソフトウェア技術者の30才定年説を説かれていたが、そんなことは世界中で日本でしか言われていない話であり、ガリガリとコードを開発されている方々に定年はないのである。 世の中のシュリンクしてしまった印象のある組み込みソフト開発の実情については、結局のところ仕事をインプットする側の問題としてさまざまないじけた状況が誘因となっているようでもある。会社の横串を通したいといってネット活動ならぬ、情報誌活動などをしていた時代から考えても後戻りして腐ってしまっているようにみえる。インフラはいくらでもあるのに何故なのだろうか。

作り上げたい製品がバベルの塔の先に行ってしまい、完成するまでにリソースが尽きてしまい泣く泣く出荷を余儀なくされるといった図式がそこかしこで起こっているように見える。先のシステム商品を開発しているという野武士のようなDNAを失ってしまった会社と、携帯開発の最先端にいる人たちの意識も似通っている部分がありそうだ。もっと強い牽引力を果たすための仕事の仕方なり刺激の与え方というものについては考えて対応していくことが必要なのだと思う。意識ある経営者の下で働く組み込み開発の担い手たる若手技術者との数時間の語らいの中で彼らがスポンジのように吸収してくるコミュニケーションを通じて飢餓状態となっているこうした若手をもっと導く仕事を引き出す政治などがあるべきと感じるのである。

知らなくてもよいこと、知りたくはなかったこと

表題のような事由が、世の中にはいろいろあるようだ。

四半世紀近く前になるが、●×山の事故なども、そうしたことのひとつだろう。

この歳月のはてにひょんなことから聞こえてきてしまった事実は、某国との関係を破壊するに等しい事実だったりもするのだろう。

歳月のはてに当時、おさなかった関係者の子供が実は、仕事の仲間だったりするのも人生の不思議だ。幼かった子供時代の記憶ゆえにより鮮明に、彼は覚えているのだろうし、正直に不思議な、その駐留している国の対応に対して不思議に思うのだろう。

駐留されている国の対応は、昔から変わっていないし、駐留している本国の本質も実は何も変わっていない。

自分たちの驕った感性のままに、利益追求だけをしていき、やりたい放題の様は、テロ攻撃すら逆に利用しているとさえいえるのだろう。世紀を超えて働きながら悩んできたことのペースを崩されてしまうような事態の中で自身の気持ちのよりどころを見失ってしまいそうな喪失感すら感じるのである。

世の中とは、こんなにも矛盾に満ちた虚構の中で構築されて運用されているものなのだろうか。 911というキーワードにひっかけて劇的に世界中を陥れている某国に対して、経済上の関係でしか対応できない情けない状況を受け入れて脳天気な平和九条を繰り返す民族に貶めてしまったのは某国の完璧なる勝利ということなのだろう。

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新年を超えて、春節も過ぎて

業界独り言を9年も書き連ねてきて、ふがいないという状態だといえる状況なのだろう。まあ、訃報が届かないので元気にしているのに違いないと思われていることでもあるかも知れない。一昨年から続いてきた端末開発の大きなプロジェクトが一応の製品化に漕ぎつけたのだからよしとすべきだろう。家族との時間も、かなり犠牲にする状況のなかでたどり着いた世界は、まだ序章に過ぎないようだ。

チョコレートとイチゴの季節というバレンタインデーは、我が家では別の意味もあるので一段落した中でほっとした時間となった。

業界独り言 VOL340 携帯電話業界という形態

気がつけば師走です。先月からほとんどブログとしての体を成していないことに反省する次第です。さて携帯電話業界の片棒を担いでいることから色々なご意見を頂戴する中で実務としてもいくつかの可能性方向性の中で仕事に取り組んでいるわけです。さて携帯電話プラットホームという耳当たりの良い言葉があります。従来であれば、各メーカーが自分たちのオリジナルなものとして各キャリア向けに開発提供してきたモノでした。昨今は、各通信キャリアの仕様増大と、端末需要の伸び悩みから開発コストが引き合わないという袋小路に入ってしまっていました。ソフトウェアの再利用や流通を進めて開発コストを抑えたいという思いに駆られて色々な方策がとられています。

現実問題として直面する流れは、いつか見たテレターミナル開発のようなデジャブであるようにも思い返されつつ時代は繰り返すのか、いつの日も起こる課題は、変わらないのかも知れません。ただ時代が移り巻き込む規模と、国際化の中で進めていく状況になっていることは違います。通信キャリアのご意向を確認しつつの金科玉条の仕様書をひたすらOEMとして理解して商品化具現化していくというモデルの中で費やされてきたリソースは、いつの日か回収できるなどとは考えていなかったはずです。すでに、開発費用としてのバランスシートの中に会社としてのセルライトのような位置づけに経理的には位置づけられていて、そのモデルを適用しないと購買の判断すらも的確に下せないという状況のようでもあります。

さまざまな意向やビジネスを志向しているキャリア間の競争から、ものづくり集約化を図り、日本発のレファレンスデザインを仕上げて国際的に通用するコストダウンの流れに少しでも近づけたいという高邁なスタイルなども様々な形で進められています。すでにOEMが自発的に取り組めるテーマではなくなってしまっているようです。匠の世界で積み上げてきた独自の日本の携帯電話の世界を、リンゴの木の下で見直すことになってしまっているのも不思議なものです。かつて、国策をあげてプラットホームづくりとして取り組んできた国産ソフトウェアの意識など、蹴散らされて積み重ねられた年月から、現在の技術者の意識にもないように見えているかも知れません。

携帯電話というソフトウェアの塊を、仕上げて出荷しうる状況にしていくのには、もはやOEMの力だけでは見通しも出来ず、キャリアの適切な指導のもとに実用性の観点での入念な確認に基づいて出荷判定しているというのが実情なのでしょう。一貫した使い勝手を蓄積強化していくという強固なフレームワークの達成という世界観、あるいは使命感というものを維持していく強い気持ちが必要なのでしょう。共通プラットホームという掛声や、オープンな環境で開発提供される西海岸の響きやら、リンゴをかざす悪魔の呼びかけなど様々な誘惑が、またOEMとキャリアにも影響を与えている混沌とした状況です。誰しも急に明日から世界の価値観が一転してしまうといったターニングポイントに至ることを不安に思いながら、そこそこに付き合っていくという状況が見え隠れしています。

現在をリセットしたいという麻薬のような内なる思いと、現在との互換性の先に積み重ねたい拡張された未来という矛盾したモデルを突き進んできたOEMメーカーが陥ってしまった袋小路をキャリアが手を差し伸べて対応しつつあるのは、いずれのキャリアでも同じような状況でしょうか。いったん成果ができてからの対応こそが、その開発モデルの成否を表わすキーポイントなのだと思われます。台湾に頼むもよし、リンゴをかじるのもありでしょう。オープンソースでJavaで作り直すのは良いかもしれません。気がつけば隣国の開発スタイルにも追い抜かれてしまっているのは、いかがなものでしょうか。

ここに幸あり

恵比寿のガーデンシネマまで、出かけた。何を思ったのか何も考えずにチケットを購入して割引申請を忘れてしまい1600円ほど無駄にしてしまった。ちなみに細君は気付いていない。せっかく二人で出掛けてきたのに割引1600円を無駄にしたのは痛かった。
「ここに幸あり」、フランス映画は、久しぶりです。ミニシアター系の映画と邦画が我が家の映画デートのパターンですので・・・。同時別シアターで上映していたのは、ダークファンタジーの「パンズラビリンス」でした。こちらは、前回チネチッタでカバーしていました。大臣の失脚から人生を逆に楽しんでしまうということに陥っていく様が実に肩の力を抜いて楽しませてくれるものでした。
女装で参加している監督さんの演技も含めて、主人公が誰なのかはっきりしなくなる気もするくらい、この映画はしたたかな大人の女たちと対等に付き合っている主人公のオフ人生がうらやましくも表現されていると思います。最後のシーンに主人公ではなくて、女友達らが母親を中心として楽しく食事をするシーンなのですが、気さくな雰囲気で気づまりのしない様子が、まさにこの映画のメッセージだったような気がしました。
恵比寿から、広尾まで歩くつもりがルートを間違えて、六本木まで歩く羽目になってしまった。細君には怒られるしまことに申し訳ない。途中で一か所曲がり角を間違えてしまい高根町に出てしまったのである。予定では、広尾のスーパーに出る予定だったのだが・・・しかたなく六本木の明治屋で用を済ませて、秋葉原まで地下鉄に乗り込む。目的は小さなエポキシ基板とコネクタ代用品の部品探しである。細君はといえば暇をつぶす別の充てがあるということなので、秋葉原のヴィドフランスでティーブレークした後にそれぞれ別行動。
ラジオデパートの中で部品を見つけて、レトロな関数電卓(HP-25ミニ)の電池収容部の破損箇所の修理方針を立てた。マックエイトのテストピンを横向けにつけて、電池への接点として代用しようというのである。折れてしまったエポキシ基板の部分にはミニ基板を加工して接着することにして、接着に必要なミニバイスを合わせて購入した。

また、涙してしまった

文化の日である。巷では、文化祭やら秋祭りやらいろいろである。仕事の状況は大変な中で集中を続けていく必要があり、気持ちを落ち着ける策として、封切映画の最初の回を予約しておいた。天気もよく、文化的なことに没頭するには最適な気持ち切り替えの日よりだった。楽しみにしていた映画とは「見えない指輪」の後編・・・ではなくて、続・ALLWAYS三丁目の夕日である。

細君も含めて昭和の時代を過ごしてきたものとしては、心落ち着くこの映画を見て本当に楽しみ、笑い、涙することが出来るのだ。はたして最近の平成生まれの子供たちが同様に感じてもらえるのかどうかは分からないのだが・・・。難病ものお涙ちょうだいの悲恋ものも良いのだが、もう少し家族としての感覚を再認識してもらうといったことを教えてくれるこのような映画が増えてきてもよいのだと思う。

最近の映画の予告編だけでもずいぶん涙を流してきた私なので、細君には笑われてしまうのだが・・・。

BSが映らない・・・?

朝から、実家からの電話攻撃があった。先日設置したプラズマテレビのBSが映らないということだった。 地上波デジタルのアンテナ工事を電気店に依頼していたので、その時にでも思っていたらしい。一週間が我慢の限界だったということでもあるらしい。まだ、懸案の電気店からの確認電話も工事の連絡も入っていないということが事実のようだが、困っているらしいので出かけることにした。昨日の台風で影響があったのかとも思ったのだが、わたしが先週訪問した後から直ぐに陥っていたらしい。わたしが知る限りアンテナの受信レベルもそこそこ出ていたのだが・・・。

挨拶もそこそこにテレビを確認するとビデオの電源が切れていた。配線は、アンテナからビデオ経由でテレビに接続されている。すなわち原因は、BSアンテナへの電源供給問題である。まずはBSにチャンネルをするとアンテナを確認してくださいのダイアログが表示された、さらにビデオの電源を入れると元気にBSの番組が映った。後は、まずはビデオの設定を確認することにしたのだが、電源切断後もBS電源を供給するという設定は見つからず、無操作で六時間で電源が切れるという設定のみを解除して自動電源オフにしないといことにした。最近のBSアンテナは各自から付き合わせ供給をするようになっていたらしく、テレビのBS設定もアンテナ電源を供給するという設定にして、ビデオ電源を切断しても受像することを確認した。先週の説明設置した際の確認が不足していたのはわたしの落ち度であった。

あとはつらつらと自宅に向けて戻る渦中でマリナードの30周年記念ライブを思い出した。そう、今日は、あの元気を呉れる阿里耶のライブがあるのだ。新曲のCDを出されているようなのだが、インディーズ歌手なのでなかなかレコード店では買えないのである。以前は、開港記念バザールのイベント会場でのライブで、一枚購入して残りは、ネットで探し出しながらようやくデビューCDなどをゲットしていたのである。時間の記憶は午後二時からだったので、いったんコーヒー屋で30分ほどホットコーヒーを楽しんでから会場であるマリナード広場に向かった。本来の趣旨からいえばマリナードのエクセルシオールで飲むべきだが、出口の前にある160円コーヒーのベローチェで飲んでしまった。後悔はしたものの、マリナードには感謝しながら、会場に向かった。オリジナル以外にも卒業写真を唄ってくれたのだが、彼女声質からすると今回のイベントからの要請としてやむなしか。

 
曲順は
1 車に乗って
2 卒業写真
3 年に1度の片想い
4 ありがとう
5 でも。。。あったまりたいの

最新のアレンジで「でも。。。あったまりたいの」と「年に一度の片思い」の二つのCDをサイン入りで、かつ握手までしていただき購入することが出来た。

早速自宅で細君交えて聴いたはいうまでもない。

台風をかわしながら

昨年に続いて、文化祭で母校を訪問した。ちょっと天候はあやしかったので傘を持ちだしての小旅行である。横浜東口のバスターミナルからは東京湾を挟んでアクアラインを経由するお得な?バス路線である。雨交じりのなかでの旅行は、高速事故の回避で、ルートは横羽線を通って羽田空港を横断するアプローチとなった。生憎と、海ほたるでの停車はないので長い海底トンネルを抜けたとたんに通過していることになる。風景が真っ白に見えるような状況の雨の中で金田海岸を目指して木更津についた。長い不況のトンネルの先が見えないといった風情の木更津の町はかってのにぎわいはない。駅前が特に寂れている感じがするのは悲しいものである。

禊が済んだと思われる、不二家で挨拶の茶菓を買い求めて学校までタクシーを駆るのだが、学校までのルートにもにぎわいが薄いのは致し方ないことだろうか。あいにくの雨の中での文化祭ではあるものの、地元の子供たちなどが遊びにきたりするのは昔と変わらない様子だった。女子学生が普通になったことや、昨今のゴスロリ服装でのメイド喫茶などを女装したと思しき怪しげな美少女たちが徘徊する魔城となっているようでもある。多くの先生は定年を迎えて、数少ない職員の方たちも来年あたりで総入れ替えになってしまうようだった。毎年顔を出しているご利益で、私はすぐに知り合いの職員の方たちと目線が交わすことが出来、しばし挨拶をすることができた。怪しげな美少年たちも当日は年に一度の父兄面接だというのだ。文化祭に両親を伴って中学生が進学相談に来るような時代になっているのは親が子供に対してかまい過ぎるのではないか。

自分で決めた進学が実務重視の高等専門学校であるならば、たとえ中学生であっても自覚の上でなければ無為な時間を過ごすことに他ならない。まあ、こんな過剰な親たちと同世代の先生が中学で教えているのならば致し方ないというべきか。「ガラスのような子供たち」と職員の方たちが評する最近の学生たちは、四年生まで進級すれば、ひと安心だとか。そこに至るまでに自覚して進路の過ちに気付いて親や教師の責任を言いだして去っていくものもあるようだ。そんなに腫れものに触るように育ててきたのだとすれば、可哀そうだけれど世の中に実務重視で巣立っていく高専のDNAを受け継いでいくことはできないのだろう。先輩でもあり、中三の時の文化祭訪問以来の関係をもっている先生を訪ねて一年分の会話をものの十分ほどに凝縮して互いの近況を確認した。

台風の余波で雲行きが怪しくなる中、気がつけば久しぶりに献血可能期間に遭遇した日本赤十字の看板で採血をしてもらい、いつも変わらぬ比重の状況を確認してお勤めを果たしてくることが出来た。さびれた駅前ではあるものの、ゆいいつあいているコーヒーチェーンが辛うじて学生がこの町や駅を利用していることを教えてくれている。バス待ちをしつつ遅めの昼食をとりつつ台風の中を逃げるように帰った。横浜についてニュースを聞くと、アクアラインも封鎖されたと聞いて判断が正しかったことを確認した。

武道館・・・

お気に入りの一人であるBONNIEPINKの初武道館ライブがあった。赤坂BLITZや渋谷AXでのライブにはいったことがあったので、7000人規模までになったファンの厚さも彼女の最近の活動の充実ぶりを示しているのだろう。今回はWOWOWでの収録も行われていたので、来年一月の放映も外せないということになる。ベスト盤が発売されてからのファン層も広がりを見せているようなので、ますます今後の活動は楽しみである。昨年のライブはNHKで放映されていてDVDにも撮っているので帰宅してからも確認でみることになるだろう。SpaceShowerTVで楽しんできた時代は、彼女のデビュー当時ということにもなるので当時から既に12年もたっていることになる。これは、ゆずよりもお姉さんということになる。 最近の忙しさの中でのストレスが解消される癒しの時間を楽しみ、ゆったりとした気分で飯田橋まで散策して、魚角で細君との夕餉となった。ライブグッズは、ツアーアルバムである。