VOL156 携帯電話はビジネス用電話の夢を見れるか 発行2002/4/15米国にて

チップビジネスからソフトビジネスへQuad社としてのビジネス展開も変わりつつある。ジョイントしてから三年になるが会社としての開発プロセス自身が変容しているのを感じる。チップを動かすためのソフトという感じの会社から、ソフトを動かすためのチップ開発をしていくという感覚に近づいているようだ。無論まだ若きGuru達が積み上げてきた資産の発展的継承は受け入れつつというのがミソかも知れない。とはいえ、10年あまりのチップならびにソフト開発の歴史がソースコード上にシンボルの再定義という形で表れている。

移動電話システムとして、今では台数あるいは契約者数という観点からみれば圧倒的に携帯電話が占めてしまうだろう。あるいは家庭用コードレス電話も含めてという見方をすると、まだPHSシステムもかなりの台数にかるのかも知れない。業務用というジャンルでの通信システムが別途存在している。表題のDMCAと呼ばれるシステムもその一つだ。電話というには抵抗のあるプレストーク通信という所謂「こちらヒューストン・・・どうぞ ピッ」という半二重通信が主体の通信である。

同時に話せないという特質は、ある意味で使いにくいかというと実は、そうではない。会話というものは同時に話をして成立するものではないし、同時に話をしているという状態は喧嘩か過熱した討論のようなものであり相手の事を聞いてはいないという状況なのである。無論、皆が聖徳太子の如き能力を持ち合わせているのであれば別だが・・・。半2重通信として最近の人でも理解しやすいのはチャットであるかもしれない。AOLやMSNなどでサービスしているチャットはインターネットでも人気のサービスと言えるだろう。

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サンディエゴ通信 VOL9 カラスの居ない国で

発行2002/4/14

気がつけば、転職顛末から数えて10回目のサンディエゴ行きとなった。現在のパスポートは、転職の面接からの使用なので転職前の会社での公務としてのサンディエゴもいれれば11度目ということになる。まさか、こんな生活になるなんて考えてもいなかったのだが・・・。日本の陽気とは異なってサンディエゴは昼間の日差しは強く、夜は涼しいか寒くなるという気候なのである。もう桜も散ってしまった日本とは大分異なる気温である。

土日を挟む出張となったのだが、幸い日曜に帰国する仲間達と昨日の土曜にメキシコまで行くことになった。こちらの在住の長い女性の先輩の方がガイドをしてくださるという心強い環境で隣接のホテルに集合になった。相変わらず自転車生活をしているので(無免許生活ともいう)、遠出にはバスか知人の車に便乗ということになる。最近は、朝食付きのホテルを利用しているのだが、今回の仲間は従来のホテル(隣接)に宿泊していた。

朝の十時の集合だったのでこちらのホテルで朝食をとり、暇つぶしの原稿書きPCを抱えて隣のホテルまで歩いていく。車で必要と思われたミネラルウォーターと菓子をも入れて、当然必要となるはずのパスポートを携帯しての行動となる。隣接といっても見えているという程度の距離であり、間にはワンブロック挟まっている。歩道をずっと歩いていくと交差点では渡れない場所もあり中の公園を抜けたアプローチが必要となる。この辺りは足掛け四年の生活で勝手しったる状況だ。慣れ親しんだホテルに到着すると見慣れたおばちゃんが珈琲キヨスクを開けているのでコナ珈琲を買ってロビーでタイピングして仲間を待った。

こちらのホテルは少し古いのだが、長く逗留したことから愛着があり、座っていて落ち着く私の空間となっている。朝食は近くのベーグル屋で毎日スパニッシュオムレツを挟んだベーグルとバナナとオレンジジュースというのが日常の私の朝食パターンであった。今回は、昨日一度だけ朝飯ミーティングをベーグル仲間でやることになったのでホテルの朝食をパスして食べていた。相変わらず、そこのアインシュタインベーグルは美味しいと感じる。大門のB&Bのベーグルも中々なのだが、やはり美味しさと歯ごたえの双方からこちらに軍配が上がるのは致し方ない。

使い込んできたカシオのFIVAノートも打ち込みには超漢字というOSを使って利用している。会社の仲間に見せるとXwindowみたいだなという感想が返って来る。まっていると今日の招待ホストの女性が現れた。彼女は、今回が始めてのサンディエゴ出張だった。まだ半年たったばかりという彼女だが、どうして最近の仕事ぶりはバリバリとやってみせてくれている。彼女の上司も今日招待してくれたホストであり、彼は二年余りの仕事になっている。そうじてまだまだ日本オフィスは若い会社である。

きょう案内してくれる女性というのは彼らのサンディエゴでのカウンターパートナーである日本人女性で、急遽予定が入ったので昼にオールドタウンで待ち合わせることになった。オールドタウンは空港のそばにありカリフォルニア最初の地という歴史の場所でもあり古い家屋などが保存されている町並みとなっている観光地だ。メキシコ系の方が多いサンディエゴでもそうした色彩がより濃い地区となっている。土産物屋なども軒を連ねている。ハイウェイの五号線を使って南下していくと右手にミッションベイが見えてきてほどなく空港が見えてからオールドタウンとなる。

オールドタウンでの土産物や美術品のカラフルな色彩は、日差しの強い風土に影響されてのものだと感じた。土産物を見歩き、馬車の歴史を学んだりしつつ民族音楽の打楽器を楽しんだりしていた。ハラペーニョも沢山入っていると思しき「食べたら最後北極までいくしかない」とか「地獄がまっているぜ」と書かれた変なホットソースなどもあった。香辛料となりそうなものとあわせて買い求めた。やしの木と柳の木が並んでいるのも妙な風景かもしれない。時折アムトラックの汽笛が聞こえて走り抜けていった。二階建てのこのあたりの列車にも機会があれば乗り込もうと思う。

教会のまえのカフェで水分を補給しつつまっていると、ゲストの彼女からの電話連絡が入りオールドタウンの駅で待つことにした。オールドタウンにはトロリーと呼ばれる鉄道へのバス路線との接続駅になっている。一つの路線は、クアルコムスタジアムの方とメキシコ国境のティファナの手前を結んでいる。ダウンタウンのあたりでもう一つの路線が交錯してもっと内陸の方と繋がってくるのである。前回バスできた折には、ここでトロリーに乗り換えてダウンタウンまで向かったのだった。日差しが強いのでダウンタウンの散歩には閉口したように覚えている。まっかなトロリーが入ってくると運転士の人が女性だったりするのが判ったりする。トロリーの乗降口が開いて自転車毎降りてくる客もいる。「トロリーに乗り込んでの旅行も楽しそうだね。」という意見も出ていた。ゲストでありガイドをしてくりる婦人が着てから方針を決めることにした。

婦人が到着し、挨拶を交わすと彼女は早速各自にミネラルウォータを一つずつ持たせてくれた。さすがの手際である。水は充てにならないからである。1台の車だけでティファナに向かう。五号線を更に南下していくのである。軍港であるサンディエゴ港が良く見えて幾つもの戦艦や空母などが停泊しているのが見える。パロマー山への道などが交差していた。最後は、五号線自体はメキシコに入ってしまうので皆、「最後のUS出口」などと書かれた個所で降りて駐車場に入れる。駐車場は厳重な国境の横に広がっている。沢山の車が止まっていてメキシコへの買い物客の多さを物語っている。メキシコは薬が安いらしく、米国の老人達は米国での処方箋をもってティファナに渡り一ヶ月分以上の薬を買い込んでくるらしい。また、歯科医も安いと聞いていた。

車を降りて、国境を越えていくのだが途中に検問もなく、ただ国境の両側に一方通行の回転ドアが遊園地のようについているだけだった。国境の間の所でティファナの観光案内の地図を貰った。最後の回転ドアからでるとそこは急に気温が高くなったような感覚におそわれる風景となった。屋台のようなレストランが軒をならべて土産物の露天商や、物売りの子ども達あるいは、地面に座り込む物乞いの人や子どもなどで溢れているのだった。正確には、ティファナの街中までに川があり、この橋を越えると本当のティファナに繋がっている。

橋を渡りながら双方の丘を見比べると、メキシコ側には小さな家がびっしりと雑然と立ち並び、米国側にはひと気の無いハダカ山状態となっている。ティファナの中心部に向けて歩いてゆくと物売りが次々と声を掛けていく。連れ合いの風体から日本語で声を掛けてきたりするようだ。「はいナカムラさん、スズキさん。やすいよぉ99%割り引くから」「よお社長、部長、課長、係長」と声を掛けてくるのは順序が違いはしないかと可笑しいのだが・・・。ポンチョが気になるらしい同僚は会社で冷房が効きすぎるので買いたいのだがと悩んでいる。

町並みにはロバと写真をとりましょうというメキシコ風の観光写真家が何台も馬車を止めている。また、ファーマシーや歯医者の看板も多いようだ。噂にたがわない様子である。怪しげなクラブの前では、客引きが声を掛けてくるが、「女性連れに声を掛けるんじゃねぇ」と言ってたしなめていたりする様だった。きっとそういう店なのだろう。暫く行ったところで昼食にした。タコスやシシカバブの出てくるようなレストランである。所謂ティファナの中心街になったために価格は却って高くなったようだ。タコス三つで一ドルという店もあったのだが、ここは一つで一ドルだった。ジュースやコロナビールで乾杯してそれぞれタコスをつまんだ。テーブルに置いてあった付け合せのニンジンはとっても辛くてハラペーニョに漬け込んであるということだった。

置物やら瀬戸物、人形、ガラス工芸品、オパールなどの宝石など色々である。革製品は安いようでベルトは一ドルで売っていた。NIKEのロゴの入った皮製のリュックサックは日本には到底持ち込めそうも無いものだった。幾つか見歩く中で高地の民族が思い浮かぶ子どもの衣装があったので小さな姪っ子に買うことにした。多分サイズは賄えると思うのだが・・・。皆は値切っているようだったが・・・結果は!?。ティファナで注意すべきは公衆トイレだと思われる。数が極めて少ないのだ。レストランや土産物屋で見つかれば必ず使うように心がけないといけない。捜そうと思ったときには無いものだ。

散策見物を終えて川を渡って戻ってこようとすると物売りの老婆や子ども達が小さな菓子やパンを見せてくる。路上で楽器を弾いている女の子や、二人で歌っている姉妹などさまざまである。ガイドをしてくれた婦人がパンを買おうとするとパン売りたちの少年達が客の争奪戦となってしまったらしい。メキシコのジャムパンを一つ食べたのだが美味しかった。時間がたつとぱさぱさになってしまいそうではあったが・・・。お米粒に名前を書いて樹脂のペンダントに封入するという露天もいた。

広場では民族舞踏を踊っている家族がいて、周囲にはそれを皆が見ている。時折団員の長女がふくろを持って回りチップを要求する。熱演しているお父さんと末娘、うしろで太鼓を叩いている長男などは集まった人数と長女の徴収具合を確認しつつ演目を続けているようだった。私には観光客でないと見たらしく、近寄ろうとしなかったのだが、チップを払おうとするとふくろを向けてくれた。

で帰りの出国の列を見ると気が遠くなりそうな列となっていた。人の列が数百メートル以上続いていて動いていないのである。グランドゼロ以降ということもあるのだろうが、このままでは数時間は出国の列に並ぶことになりそうだった。車も大渋滞である。しかし人々は不平をいうでもなくいつもの事だからという感覚で静かに立ち並んでいる。日本人のツアーガイドだったら、大変なことになるだろう。しかし機敏な行動でガイドをしてくれた婦人が提案してタクシーを呼び止めて内陸にあるOtayという出国検査所まで行くことにした。

停まってくれたタクシーも親切そうなおじさんでメキシコの町並みを車窓から楽しむことができた。Otayには国際空港があるようで、この出入国検査はビジネス貨物などが主なターゲットらしかった。見えてきた国際空港には心もとない747だったと思しき機体が止めてあったりしたのだが飛びそうな気がしない雰囲気だった。やがて国境検問が見えてきてタクシーを降り立った。着いた検問は立派な建物で行列もなくスムーズに通ることができた。買い込んだお土産やカメラなどをX線に掛けるのだが、おみやげの服が出てこないのである。荷物が軽すぎて、検査装置のゴムすだれに掛かって中に入っていかなかったようだった。後ろから婦人が彼女の荷物で支えてくれたので通すことができた。

パスポートを見せて入国して出てきたところは米国である。こちらには当然トイレがあるので皆で急行した。出てくると同時にバスが入ってくるのが見えた。見るとティファナ行きのバスである。なんと強運なのであろうか。一応タクシーも沢山まっていたのでそうした観光客も多いらしい。日本人なら必ず選んだほうが良いルートかも知れない。バスで20分以上走ってティファナに到着するとトロリーの駅と駐車場の二つに停車するようだったが最後の駐車場まで乗ってきた。ようやく辿り着いた駐車場へ降りてゆく道から、国境の向こうに広がるティファナの町が見えた。まだまだ駐車場には車が沢山停車していて先ほどの長い長い行列が進んでいない様を思い知らされた。

車で五号線を北上して進み、サンディエゴ湾を構成している人工半島のコロナド地区に向かった。サンディエゴ湾に突き出たコロナド地区とは埋め立てで作った南からの道路と、サンディエゴ湾を横断する橋と、観光フェリーという三つのアクセス方法があるようだった。地区の大半は軍用施設らしいのだが開発されてきたルートは観光用や住居などが出来ていて高級な住宅地区になっている。サンディエゴ湾をあるいみで半島にして便利にする反面ふさいで狭くしてしまっていることから、有事でサンディエゴ湾の入り口がつかえなくなった場合には結んでいる人口半島の部分に埋められた爆弾を使ってリモートでサンディエゴ湾の昔のルートが使えるようになっているそうだ。

コロナド地区からの夕景色は素晴らしい風景で、この四年余りの生活ではまり込んでしまった自分の暮らしを再確認するような複雑な気持ちになっていた。港の見えるイタリアンレストランのデッキで頭の上にある逆向きのストーブフードで暖をとりつつ一杯だけの久々のワインを楽しみパスタの夕食を皆で囲んだのである。レストランの屋根には鴫が飛んできて止まっていた。もう宵闇で飛べないのかもしれない。婦人にサンディエゴでカラスを見かけないのですがと聞くと、いないことは無いんですが・・・という返事だった。天敵である蛇がいるからだろう。確かにまだ自然が残っていて蛇が住んでいるサンディエゴで自然のバランスが崩れていないのかもしれない。都内で蛇を飼うわけにはいかないだろうし、新しいバランスとして受け入れるしかないのだろうか。そうした受容力というものはどうも日本人には欠けているような気がしてならないのだが。

夜景の広がる橋を渡って五号線に入り、婦人とはオールドタウンでわかれた。来週時間をとって彼女のWindows2000の日本語化の対応をしてあげることにした。五号線を北上していく慣れ親しんだラホーヤビレッジが近づいてくるのは、夜には一段と美しくライトアップされるモルモン教会が見えてくることだった。ホテルまで送ってもらい明日の帰国の無事を祈って分かれた。

翌日の日曜に近くのUTCのモールで朝の珈琲を飲んでいると、すずめが子ども達の投げるマフィンの粉を拾って食べている。こんな風景は子どもの頃には良く見かけた気がするのだ。また、ガチョウたちが飛んできて仲間を追いまわして遊んだりしている。アメリカ人の食べ散らかしぶりと日本の都内のカラスとのコンビネーションというのはここでは遭遇しないようだ。カラスの羽が黒いので暑いところには住めないのだとという説の信憑性は蛇による生存バランス説で最近は負けているようだった。さてさて・・・。

VOL155 開発中止は是か否か 発行2002/4/7米国にて

「外資の会社生活はどうですか」と良く聞かれるのだが、何と答えてよい物やら・・・。上司と暫くあったことはないし、互いに認識するのは電子メールのやり取りだけである。先日も期末となり自己成果報告と反省点やらを自己申告し、部下から得た同様の成果報告を受けて内容を吟味したうえで報告をする。私自身の部下とのレビュー時間は、というと既に部下自身が先に米国に出張しているので向こうで時間を取って行うことになるだろう。部下との接点はお客様の支援を通じての指導という事になる。最近自宅からも十分作業が出来るようになった事もありADSLを引いた仲間も併せて横浜線沿線にサテライトオフィスをという話も出てはいるのだが、都心在住の人間もいるので足並みは揃わない。

Quad社での仕事の柱であるチップセットの為の基本ソフトとオプションソフトの開発提供である。基本ソフトのリリースをすると合わせたオプションソフトと統合をした版のリリースが少し遅れて為される。開発途上向けの評価リリースと製品向けリリース自体は予め日程を決めている。テスト期間をテストチームとの打ち合わせで所用テストサイクルを含めてテストチームにまずリリースが行われてテスト結果と併せてドキュメント整備がなされてお客様に配布するという手順である。当初決めた以降にもパッチとしてリリースが行われるの出が、これらのベースになるのは日常の自分たちのテストでありユーザーからの問い合わせなどから見いだされる機能改善などである。

お客様とのサポートのやり取りで発見される問題点はアプリケーションとしての使い方から見えてくるAPI間のインタフェースであったりすることもあり想定していたテスト項目では網羅出来ていない事もある。既にテストチームに引き継がれた状況下では緊急に盛り込むというフェーズが無いのはプロセスの回し方として決めているからに他ならない。ソースコードへの訂正反映ということはバージョン管理も含めてタイムリーに為される為に個別のお客様には個別パッチリリースとしてファイルや修正箇所がメールで送付される。まあ色々なお客様の内情が見え隠れするのがこうした時にある。

しかし日本の機能リッチな携帯電話を仕上げていく上でプラットホームとしての修正が入るとメーカーにとっては上へ下への大騒ぎとなるようだ。問題提起をした、そのメーカーには個別修正情報が既にメールで送られている。昨今の差分機能などが優れたエディタを使えば、修正の挿入や管理なども含めて容易に出来ると思うのだが、そうした作業の精度についての責任を嫌う風潮が生まれているようだ。昨年の回収劇などが影を落としているメーカーだからかも知れない。そのメーカーの技術トップからは「正式な修正リリースをしてください、そうでないとキャリア向け製品への修正適用スケジュールが組めません。」と、こんなやり取りがあった。

弊社のマルチメディア機能をまとめるリーダーとやり取りをすると「懸案事項がまだあるので修正が全部は用意出来ていないので、それが判明すれば二日程度で正式リリースが出来るだろう」という状況が判明した。この事をお客様に伝えるとそれでは回答になっていないと言うことになる。懸案事項となっているのは仕様を拡大解釈したお客様が思ったように動かないという問い合わせだった。電話やメールで担当者とコミュニケーションをとる事で解決をみた。懸案事項が無くなると自動的にリリース要請に基づいて週末にはリリースが成されて翌週始めにはメーカーにCDROMとして届けられていた。これで解決を順調にみた筈だった。

技術トップと現場技術者の乖離という話は、日本メーカーに限ったことなのかどうかは不明だが日本人技術者の気風としてはトップの指示待ちするでもなく納期に間に合わせるために作業を自発的に進めていくという気質があるようだ。先のお客様からの強い要請に基づいてリリースされた修正版であったが、そのお客様の現場からは別の要請が届いた。「既に一つ前の版でシステムテストをしています。今回の版をちょっと入れてみましたが不具合が出ました。戴いた物を修正を吟味して入れ込む時間が無いので、この一つ前の版に弊社で依頼した修正のみを加えた物を出してください。時間がありませんので宜しくお願いします。」・・・。絶句である。お客様の中での論理が破綻しているので本社のリーダーにとっては理解の範囲外である。それだったら自分で出来るだろうし、そうした作業をしたくないという方針はどこへいったのか・・・。このメーカーでは現場が確信犯なのかあるいは、トップが何も知らないからなのかは判らない。一機種の開発に100億円以上かかりますからという内情を聞くと大きな慣性モーメントで動いている様子が伺い知れる。

世の中にはない新規通信システムの方式や基地局と端末開発を一切合切委託をするという景気の良い通信キャリアがある。数十億円の開発費用を捻出してくれるという事が、昨今の状況では、この上なく恵まれた状況なのかもしれない。W-CDMAの開発に集中投資しているとみえる世の中の状況において、他の新方式を開発しているという余力のある姿は流石だと感心する。次世代携帯に向けてOFDMなどを追求していく事もビジネスとは別に進めていくべきではあろうが、現在のビジネスを支えるコスト力の追求と併せて行っていくことこそ必要であろう。開発していくテーマの意義を良く考えてビジネスとしての勝者を考え撤退する勇気も必要であろう。

通信キャリアからの開発費用やらメーカーや許認可を得た総務省との政治的な繋がりなどが、ビジネス上あって撤退できないという意見もあるだろう。開発を終えて実用化するまでに至る目処も含めて、自身の中に確たる物があればそれも結構な事だ。携帯バブルを見越せなかったという経営トップがいる。他方、現場技術者では感じとり起こるべくして起きたという意見もあるようだ。各現場レベルの方々が起業家精神を発揮したCEOとしての見識を持っていれば舵取りを変えられたのかもしれない。意見具申をしても舵取りをしない上司や会社の流れを見限って移っていく技術者こそ流出させてはならない技術者のはずだ。どこかの会社の人事研修で聞かされた記憶のあるフレーズだが・・・。

開発費用という経営上は将来投資として位置づけられていた費用も、現在のビジネス状況下では絞り込まれているようだ。そんな時に鉱脈を見つけたような外部機関からの投資申入や開発費用の提示があればホイホイと乗ってしまいがちなのかもしれない。そんな費用こそ余計に、責任が重くのし掛かってくると考えるべきであり、クライアントの耳心地の良い甘言を弄して自分としては納得の行かない開発をスタートさせていくべきではない。バブル絶頂期の都市博覧会の中止の跡地は、ある意味でそうした事を反省を促すモニュメントであると思っているのだが。相も変わらず続く経済復興へという各種展示会などの中でこそ有効に使えるような仕組みを考えていくべきだろう。

メーカーとしての意識や技術経験を持って今の現状に立脚してみると、いくらでも失地回復のチャンスや方法はあるのだ。しかし、それを遮っているのは今までの仕組みを変えようとしない自分たちにあるのだとは感じていないのだろうか。期待される自分という鏡をおいて参照してみた時に、そうしたことを同様に部下からも見られているべきと理解すべきである。戦後の日本の中で構築してきた復興メカニズムが代替わりする中で仕組みとして醸成ではなくて腐乱しているのは政治の舞台だけではない。政治の裏で動く経済の仕組みが互いに馴れ合って助長しているのだと感じる。

誰か、不要な開発を止めて、真の意義ある開発に向かってナビゲートする気骨ある技術者やリーダーは居ないのだろうか。開発現場では、開発効率が大事といって鈍重なコードを大事に抱えている。個々のアプリケーションが抱える無駄窮まりないライブラリの重複など含めてスッキリとした開発スタイルとしてアプリケーション同志の連携なども考慮した構造に移行すべきだ。もう通信プロトコルの開発費用が重いのではない。端末として仕上げる仕様同志のスパゲッティに絡まっている人達が多すぎるのだ。主客転倒した開発のバランスを立て直すためには一度破綻した方が良いのだという辛口の意見をいう人もいる。

では、立て直すための建設的な意見はあるのか、といえば幾つかのプランがある。ソリューションをチップやソフトで売るメーカーだからだが・・・。とりわけ目立った物ではないが公平にみてまともな感性のプランがある。日本という特殊事情の中にいると国際的な状況下での背景とマッチしない事情がある。当然、Quad社のチップが100%マッチするわけでもない。特殊仕様の無線端末という分野に対しての回答はCDMA2000あるいはGSMあるいはCDMA-1X-EV/DO、W-CDMAという事になる。あるいはこれらのコンビネーションでカバーしていくというのがインフラあるいは方式としての解であり、これらにアプリケーションとしてgps機能やIPベースのグループ通話機能などといった物が挙げられる。アプリケーションの観点から各種の通信仕様をカバーするためにプラットホームのAPI整備を行なう時代に入った。GSMとWCDMAは当たり前にしてもGSMとPDCをやるメーカーが出てきても良いと思うのだが・・・。

自社でIP交換機などの開発を持っているのであればボイスオーバーIPでボイスメッセージが内線から行えるようにもなるだろう。ボイスメールOverIPは最も簡単で有効な活用方法になるだろう。電子メールでの応用も当然だ。最近ネット接続型の監視カメラが評判である。常時接続の環境では、WWWサーバーを内蔵した小気味の良いこの監視カメラを開発している人たちの心意気が評価される時代でもある。Quad社も負けては居ない、すっピンのベアボーンキットのような電話機であってもQuad社で開発したプラットホームは、アプリケーション開発を正に容易にしてくれる。現在の携帯アプリケーションを捨てて書き直すことも、あるいは受け入れることも出来るが実際は書き直すことで想像以上の開発コストダウンと品質向上が得られるだろう。今のままではWindowsパソコンでN88Basicを動かして既存のソフトを動かしているようなものである。

アプリケーション連携という観点で動作しないゲームアプリケーションがあったとしてもイベント配送管理とアプリケーション管理の仕組みから着信メールや位置情報問い合わせなどのハンドリングが対応するアプリケーションに送られて現状のアプリケーションの中断・アプリケーション切り替えが行われる。複数の通信プロトコルや方式をカバーしていく時代の要請もありアプリケーションと通信方式でのイベントのマッピングはよりダイナミックな物が必要なのである。全てW-CDMAに切り替わるなどという事を信じている人は居ないと思うが・・・。

既に欧州においては、W-CDMAに行かない通信キャリアがある。正確には3Gバンドのライセンスを持っていないからだ。800MHzのままでもっとサービスが変えられればというのが彼らの思いでもある。GSM交換機ネットワークを変えずにサービスが拡がらないだろうかという要求に応える用意も出来ている。調和という事を重んじれば、こうしたニーズをCDMA-1XとGSMネットを接続する交換機自体が開発完了しているのだ。ESMRを運用しているNEXTEL社がCDMA1Xへの移行決めたこともそうした交換機側の誕生を助長させたのである。実はESMRの交換網はGSMベースなのである。この調和を重んじたプロジェクトは、日本メーカーの考えの調和を乱したインパクトは大きいようだ。

お客様の持っている資産に併せて提供していける回答を多種多様に提案できるのかどうか。又、その答えとして開発投資も含めて十分な評価を行なったものを確実に低価格なソリューションとして展開出来るのかどうか。こうしたビジネスの視点を忘れて自己本位な、開発を進めていくのは確信犯 の技術者のエゴイズムだろう。W-CDMAのチップ開発からサービスベースの第三次産業に移行しようとしているチップメーカーなどの動きをみていると、彼らは夢から覚めて現実を直視しているように見える。さて、通信機メーカーが物理的な開発をし続けるべきという第二次産業的な視点から第三次産業的な視点に移っていけるのかどうかが鍵なのだろう。

第二次産業として捉えている製品開発というテーマそのものが、既に無線機の開発というものからは大きく逸脱しているという正しい認識を持つことが出来れば落ち着いた曇り無き瞳で見ることが出来るのだろうが。一機種の開発に50人足らずのソフト開発体制で苦しいんですというメーカーも堂々と次々と開発が出来ていくようにアプリケーションが流通していく時代に入ろうとしている。こうした動きを疎外しているのは実は日本メーカーの技術者の狭量ゆえだろうか。誰もが日本のメーカーや通信キャリアの仕様による端末モノ作りに喝采を送っている訳ではない。そうした一端を垣間見る立場にいる自分は辛いものがある。以前勤めていた日本企業で学んだ企業哲学からは何一つ外れていないと、外資の会社で暮らしつつ感じるのが不思議である。

VOL154 思い当たることは色々あるが 発行2002/4/4

システムが複雑化してくると、原因が中々見えなくなってくる。我が家でも光ファイバー導入に伴い、フレッツISDNのISDNルーターからONU接続のPPPoE対応のルーターに切り替えた。もともと家庭内LANはプライベートアドレスを付与して構築してきた。プロバイダの接続で 得られたGLOBALアドレスはNATで共有している。DNSはプロバイダの物を受け入れる。この為に各クライアントPCはDNSの設定はルーターのアドレスにしてあった。二月の開通と同時に切り替えも順調に推移してきた。

各階でのアクセスをローミングでスムーズに出来るように802.11bの無線LANに切り替えたのが以前のインフラ整備第二期の工事であった。この際にIPアドレスの範囲を定める計画を立てた。プライベートアドレスの範囲ではあるもののDHCPの対象範囲と固定設定の二つの範囲を設けて当時のISDNルーターの使用方法を変更して行っていた。光ファイバーが設置されてからは、第三期工事としてルータの更新が為された。同一の運用で始めた物の自宅ドメインという取り組みを考えていくと全ての設定はDHCPサーバーの設定で集中管理することにした。どの端末を固定アドレスにするのかも自在になった筈であった。

運用を始めて一ヶ月が経過していく中で細君のパソコンが不安定であることが判ってきたのだが、理由は釈然としなかった。すべて計画的に進めてきたはずでスムーズに稼働しない理由は、ハードならびにインフラから考えても不安定な要素は微塵も感じていなかった。同一環境で利用している自身の感覚からいっても細君の利用している電子メール環境について疑いが掛かったのである。かねてよりWindows98で購入したパソコンであったが不安定な理由はOSにあるものだろうとしてWindows2000への移行も終えていた。しかし・・・

怪しげな理由は、幾つかあり細君の使用しだした当時は、インターネットというまでもなくNIFTYServeである。AOLに触発されたNIFTY-Managerを導入して利用していたのだがもともとがWindows95時代に併せて開発されたものであり細君も以前のデスクトップではモデムで利用していたのだ。インフラ整備が進む中で、モデムからISDN-TAへの移行で接続が速くなったというのが細君の素直な感想だった。ISDN接続から無線LANベースに変えてもアクセス速度は変わらないので配線が電源になったのみである。

同様な不安定さがインフラ面から出た事があり、この点については自身も感じていた。二階においた無線アクセスポイントとの接続が出来なくなるという現象に遭遇していたからだ。そうした不安定要因を拭い去るために各階を有線LANで結ぶ工事を行い各階に無線アクセスポイントを置いたのである。移動しても利用可能なシステムが構築出来たのである。インターネットアクセス環境も光ファイバーに変更したし何の不安要素も無いはずなのである。自身の感覚も非常に安定になったと感じていたからである。

不安定さ加減については、あまり以前と変わらないとクレームを呈する細君からの意見については、では一体何が理由なのか疑り出すと、相違点から割り出していくとパソコンハードは抜きにして設定などから見直していくことにした。DHCPベースに切り替えた際に気になったのはDNSの設定である。自宅サーバーをドメイン登録した為にDNSの運用が二重系統になったからである。以前の設定はプロバイダのDNSをそのまま利用するのでルータをDNSサーバーにするIP設定としていたのだった。DHCPのフル活用という段になりDHCPサーバーからDNSについても指示割り付けするように修正した筈だったのだが、細君のパソコンは漏れていた。

自宅ドメイン運用に向けてレンタルサーバーからのスムーズな移行を考慮して二つ目のドメイン取得をしていた。techno-web.orgではなくてtechno-web.orgである。最近ではセカンダリDNSを無償で引き受けてくれるサービスサイトもあり、ここに依頼をした。DNSサーバーにしたのは旧型のPentium200MHzの大きなデスクトップであり96MBのRAMという状況だがLinuxである限りは、そこそこ動作しているのである。以前の会社でイントラネットでやった経験からも十分だと感じている。最新のLinuxではBINDと呼ばれるDNSソフトもこうしたSOHO環境をサポート出来るようになっていて外向きDNSと内向きDNSの二つを同時に動作してくれる。

これにより細君のパソコンからもTechno-web.Orgをアクセスして自宅サーバーのページがよめることを確認した。これでDNSが問題だったのかどうかは翌日には判定が下るはずである。DHCPサーバーはルーターで行っていてDNSの設定はDHCPクライアントには自宅DNSと外部委託先のセカンダリDNSとが登録してあったのだが、細君のPCが直接ルーターを参照していたのでルーターがキャッシュしていたアドレスがおかしかったのかとも思いルーターについてメーカのサイトをアクセスすると同様なバグと思しき改変履歴があったのでこれも併せてダウンロードして更新しておいた。

翌日になると、やはり芳しくないという結果報告だけを突きつけられて何だか会社でメーカー支援しているときの情報収集がうまく行っていないケースを思い出させてくれていた。差異について追求してみるとPCがもともとWindows2000用ではなかったことからメーカーサイトを調べるとBIOSの更新が必要という記述があった。これかも・・・とダウンロードしてWindows98で作成したBIOS更新用のシステムフロッピーでフラッシュ書き換えを行った。しかし、翌日になってもうまくいかないという評価報告を受けて万策尽きたと考えてクライアントソフトであるNIFTYManagerがWindows2000に十分対応出来ていないのでは考えた。

細君にとっては日常使ってきたソフトであり、彼女としては確固たる実績があるので別のPOP3ベースのメーラーへの切り替えは難色を示したし、彼女の考えはNIFTYManagerに問題があるのなら、もっとプロバイダーから連絡が来るはずだというのだ。お説ごもっともだが、今は切り分けもしたいので、適当なメーラーを入れることにした。まずOutLookは即却下という判断がなされた。昨今のウィルス騒動の渦中にいるからに他ならない。Quad社で扱っているユードラも案があったのだがフリーで使えるはずの版が何故か日本版としては無くなっていることが判明したので様子見の為に買うことはないので結局Almailにしたのである。

彼女の保有していたアドレス帳をNIFTYManagerから写してAL-mail環境にセットアップした。POP before SMTPでサービスしているNIFTYの最近のインターネット的使い方についての知識が不足していた為に受信ができるが送信出来ないという壁に当たり30分ほどロスしたものの検索解決をみた。アドレス帳の中身に気になる物があった。Fで始まる数字列である。これは所謂FAXサービスである。さすがにこのサービスはインターネット的使い方からは支援されていないようだった。となるとこの送付先についての取り扱い方の確認が必要だったが、FAXは、これからは使わない予定だから・・・という返事の節々にはなぜサービスが低下するのかという疑問符がちりばめられていた。

決定版と思われた環境をセットしていく中で、メール本文の編集をしているなかで文字抹消が出来ないことを指摘された。確かにAL-mailで文字抹消が出来ない。相性もしれないと組み込み編集機能から外部エディタであるNotePadに設定してもおかしい事に変わりはなかった。なんとキーボードがおかしい様子なのだ。余っていた外付けキーボードをつけてみるとほぼ解決したのだが、パソコンを再起動するときにぴーぴーと雑音で悲鳴をあげるのである。どうも何かのキーが壊れて連続押下状態になっているようだ。キーボードユニットを外すことで解決を漸くみたのである。

NIFTYManagerも、そのほかの設定も彼女の使いにくさや不安定という現象にとってはなんの問題も無かったのかもしれない。早速キーボードユニットの発注をメーカーに行うと納期回答からは私が米国出張している時に入荷するようすなので当面小さな適当なキーボードが必要とするようだった。ラップトップに大型の106キーボードを接続するのは不細工だし液晶画面から離れてしまうのは使いにくいものだし。USB接続の小形キーボードを探し出してきてこれが丁度キーボードを外した上に乗せることが出来る大きさだったのでこれを当面使う事にしたのである。

キーボードが壊れたのは久しぶりの経験でありハードは壊れる物ということを再度教えてくれた。以前キーボードには凄い経験がある。データベースへのマルチターミナルシステムを開発納入したことがあったのだが、この会社では夕方になると動かなくなるという端末があるというクレームを現地で受けていた。どうも話によるとその端末を誰か特定の人が使っているとと動かなくなるらしいということだった。現地で別件で様子見をしているとEnter-Keyを肩口まで振り上げた指を一気に振り下ろす打鍵スタイルの御仁がいたのである。彼は、もとライオンズの捕手だったらしい。「強く叩けば、データが速く入ると信じていたのだ」

おかしくなったキーボードを確認すると確かにキー入力がおかしいので、ケースを開けてみると内蔵のキー入力マイコンの足回りのはんだ付けの色が悪いのである。この強肩での強打によりキーボードに内蔵されたマイコンのはんだ付けが接触不良を起こしていたのである。はんだ付けをし直して適切な色のはんだ付け状態にすることで解決をみたのである。最近のチップセットの数多いピンが適切にはんだ付けされて品質を維持できるのかどうかという問いかけには、まだ少しそうした不良モードも残されているのでは思い返しもするのである。

当然、そこまでの打鍵操作をするようなお客様にとってはマイコン以外にも接点そのものが壊れてしまうということが想定されるので、その後ハード担当者は「壊れないキーボードを 見つけたよ、何故ってこのキーボードは静電式なので接点はもともと接触しないんだ」と意気揚々と導入したのだが、このキーボードもあえなく轟沈してしまった。理由は、キートップの下に貼り付けられた金属片の接着が剥がれてしまい金属片が落下してしまったからなのであった。

見つけてしまえばなんのこともない原因も想定されることが多すぎるというのが複雑化したシステムの上では大変な労力が必要となる。同様な事例が多数のお客様から報告されるか、多数の端末で発生するのか、必ず発生するのかといった問いかけ確認を通じてソフトかハードかの切り分けをしていくのだが、二人しかいない異なった環境のユーザーを支援するのが一番難しいのはいうまでもない。

業界独り言 VOL152 彼岸のなかで

先日の通夜の席上で出逢った仲間から、「独り言が前半しか送付されていないのですが、もしかしてwebには後半が書き綴ってあるのですか、であればアカウントをください」と言われた。もしかすると読まれていないのかしら、どうも説明が不十分だったようだ。彼が、そう思っているのならぱ、多くの人が同様なのかもしれなかった。長いメールで送るよりも導入部を書いて、後半はwebでというのがパケット代を気にする人も含めて良いのではないか考えての方針なのである。

彼岸明けの昨日、ほぼ横浜地区は何処も満開の桜となったようだ。ぼた餅と桜もちあるいは花見酒と線香の煙とが共存している季節で期末を迎えることになってしまった。桜祭りで著名なある町では、例年よりも2週間も早い桜前線には対応が出来ないとテレビで紹介していた。先週の金曜日には新入社員も迎えることのないままに二度目の青山墓地での場所とりをしていたのは某商社の期末に疲れた一年生らしかった。桜の下の花見ランチも2年目となった。

土曜日、都内での散歩の帰りがけには京浜急行で日ノ出町で降りた。大岡川沿いは例年桜祭りの提灯が架かるのであるが例年にないこうした事態に何処の町内会も対応が間に合わない様子である。これでは、どこぞの官庁と一緒なのである。人が要望するでもなく自発的に軒を連ねるのは的屋さん達である。いわゆるベンチャーというべきであろうか。自宅まではほどなく花見がてら大岡川沿いに歩くことにした。川沿いの桜は既に満開となっていた。月見と花見に興じる一団が川沿いの屋台で興じていた。

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業界独り言 VOL151 M嬢からの緊急メール

今春の暖かさは、例年にはないものがある。春分の日だというのに、既に桜前線が通過となっている。春二番の風が嵐の様に吹いているので蕾までもが飛んでしまいそうな勢いである。三月が期末であるメーカーにとっては、開発の追い込みが生産出荷という段階で大詰めとなっている。システム機器の場合には、ようやく構成品が揃い工場で組み上げとなるからである。実際の機器はお客様の納期から逆算されて手配が為されていて機器費用の利子支払いなどにも厳しいのが最近の状況でもあるからだ。無線機器の応用システム開発に携わる知己であるM嬢から悲鳴のメールが届いたのである。「WindowsNTのシステムでDataBaseへのアクセスが毎回出来たり出来なかったり・・」

Quad社という仕事の枠には、Windowsをシステム商品として納入するような仕事の範疇からは、ちょっと離れてしまっている。五年前にはプロセス改善活動に繋がるような草の根ネットワークを構築したりして初期のWebDBシステムの実験などをしていたこともあった。Quad社に転籍してからは、会社内での電子メールとML(メーリングリスト)ならびにイントラネットのサーバーシステムなどとの連携で6000人あまりの社員が情報共有をして開発や生産、そして支援活動をしている。通信プロトコルの標準化活動をしている人は世界中の地域に根ざしたローカルな委員会活動や世界各地で開催される標準化委員会に出席して作業をしている。

新機種のチップが開発されるロードマップが提示されると、付随する複数のMLが立ち上がってくる。メーリングリストは会社のサーバーで運用されているのでフラットに参加が出来る。参加するのには、イントラネットで、そのMLをphで検索してMLの内容を確認して「・・・のチップコア開発に関しての討議グループ」などと書いてあるのを確認して、自分がそのMLに参加する目的を主張する書き込みをしてリスト管理者に参加要望を送る。ここまでは全てWebで行なわれる。リスト管理者からの参加許可はメールで返却されてくる。許可されれば以降メールが次々と送られてくる。MajordomoなどのMLツールから次々と送られてくるようになる。

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業界独り言 VOL150 桜の花咲くなかで

無線LANの活用は一般化してきた。例えば自宅においては、無線LANのクライアント二台に対してアクセスポイント三台という状況ではある。近々プリンタ接続をネット化しようと考えているのでバランスが取れるかもしれない。先般の周囲環境との干渉問題はアクセスポイントの増設とローミング対応とでクリアしたのだが既に無線LANのカードとしては一式交換する羽目に陥っている。光ファイバーが到着して現在では端末からのアクセスでは実際の処FTTHを使いこなせてはいない。ホームサーバーの実現で外部からのアクセスには当分応えて行けそうである。FTTHの速度を端末で実感するためには802.11aへの切り替えが必要だが。

802.11である無線LANの標準化活動に参加してきた過去の経験でいえば無線LANの課題はやはり干渉問題であり、裏返すと周波数帯域の問題でもあった。何色で塗り分けられるかという課題で通信業界では良く取り上げられる古典的な話題ではあるのだが無線LANの席上で課題となったのは隣接ビルからの輻射あるいは隣接ビルを反射してくる階下あるいは階上のシステムとの混信である。2次元の話題から三次元に移り結局の解決策はビルのシールドの技術になった。大成建設が保有するという新技術の適用やら輻射しにくいガラスの話だとかである。

たかだか15組位しかないバンドをホッピングして逃げ回るのが現在の802.11bの無線LANなのだが直接拡散してパワーコントロールするようなCDMAのような使い方とは似て非なる物である。これから離陸してくるであろうHDRとの親和性は高いのだが、本質的に同時には利用させるのかどうかという点で簡単になるか複雑化するのかという事に繋がっている。無線LANの開発時点で危惧していたコストは既に解決を見ていて、消費電力の点は解決の目処もないようだ。消費電力に対して留意して設計された同様な仕組みであるブルーテュースとの差は、明白である。無線区間での相互干渉については課題となって浮上してきた。

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業界独り言 VOL149 シンプルな携帯へ

缶コーヒーを飲むと、TV携帯電話がもらえるという大盤振る舞いのメーカーもある。キャリアとして特殊なエンコーダを用いて現在のネットワークで使える簡単な動画クリップメールを実装している端末も出てきた。MPEG4のデコーダLSIのみをおごって搭載して動画クリップサービスを始めたキャリアもある。こうして次世代と現在とが戦いあっている。ユーザーからみると何がしたいのかによって自由に端末を選択できるという時代になったのかもしれない。怪しげなバーで彼女を口説くためには暗いところで使えるCCDカメラの搭載などへの競争も始まろうとしている。

戦いの場は、どこに軸足を置いているのかと言えばアプリケーションであることに疑いはない。自分として欲しくなるような携帯とは、自分の分身としてアシスタントをしてくれるようなものである。電話の相手に応じて取り次いでくれたりスケジュール調整などに応じてくれる物であった。過去形で書いたのは、そうした端末を開発しようと掲げたことがあったからだ。かりにコードネームをエスパーと呼ぼう。Enhanced Special PErsonal Radioの略である。このエスパーでは、端末相互のピアツーピアのリンクを提供しベースとなるのは中間コードとなるスクリプト言語であった。

一種のスタックマシンとしての振る舞いを持つこのスクリプト言語はポストスクリプトなどの言語の延長に位置づけられスタックオリエントな形でデータ処理が出来るのが特徴であった。サービスが受けられる範囲は認証で許認可された範囲でのみ動作が出来、データの操作・参照などが、その認証されたクラスに従って許可される。スクリプト自体は、インターネットからダウンロードしても良いし誰かが開発した範囲でグループで共有するのも構わないのである。携帯がインターネットのインターフェースであるという限りにおいては、サービスの実現方法の中心としての位置づけは今ではより大きくなっている。

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業界独り言 VOL148 携帯電話を安くするために

携帯電話業界が、不振に陥っている。売れない理由を求めて高機能化に拍車がかかる。高機能化を達成していくと指数関数的に開発費用が増大していく。端末コストが高いと通信キャリアからセットメーカーにクレームがいく。チップメーカーにはライセンス費用やチップコストが高いと追及がくる。端末価格のコストダウンは標準化した部品の使用により大量発注して購買努力で下げるのが通例であるという。しかし、これは数量が捌ける時代での方法論であって現在の携帯電話の開発の実状を現しているとは言えない。

すっきりとした2番手キャリアを目指しているグループでは、なぜかすっきりとしない八方美人的な展開を進めている。端末企画を決めていくというスタンスにおいてメリハリの効かない戦略だと感じる。業界標準を指向しては失敗してきた歴史から反省し自己学習していくというスキームが会社としての無いのだろうか。個性ある端末開発には、各端末メーカーの自主性に併せていくということが望ましいと思うのだが・・・。メーカーにとっては、現在の通信キャリアはお客様なのである。買ってくれる物とは、通信キャリアが売れると思った物だけになる。いきおい、面白い端末で挑戦してくるメーカーは少ない。

ポケベル戦争からPHSに移り、エリア競争の果てに携帯に戦場は移った。ショートメッセージで幕開けた戦いは、古いプロトコルであるDTMFの鳴動時間を気にするような通信手順でデジタルなメッセージを飛ばして旧来のサーバーを制御してショートメッセージを捌いているのであった。アナログ時代に確立したPagerへの入力手段であるDTMFの信頼性は高く評価されてか、あるいは改版のコスト高を嫌ってか従来通りの利用を未だに続けているのである。昔の女子高生が覚えていた漢字入力のダイヤリングは現在では携帯のソフトが取って代わっている。

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業界独り言 VOL147 携帯開発の先へ

各社の開発が、量産に推移すると我々サポートの手がかからなくなってくる。最終商用製品出荷への駆け込み修正を実施しているお客様やら、次期機種のサンプル納入を進めているお客様など多様ではあるが・・・。一機種の開発費用は、20億円程度かかってしまうというのが、一部のお客様の声である。この費用の大半はソフト開発に費やされていると考えている。ソフト開発というと合致しない部分もあるだろう。なにせ買い入れソフトも多岐に渡り製品としてまとめあげる責任は全てメーカーにあるからだ。

開発費用として計上してきたこうした原資は、ベストセラー機の利益から捻出されたり、将来への投資として払われてきたのだろう。コンシューマーにとってCDMAであることは、音質や回線品質としての差異は、今となっては見えないのだから単に買える電話機か、使える電話機なのかという事になる。こうした視点で見れば、見せてくれる機能やサービスエリアの差異はキーファクタになる。カメラを積み、動画をカバーしてもメールに添付して使える玩具を二万円で配ることでは逆にPDA業界からクレームが来てしまうだろうし、差分としての電話代の高さを示すことにほかならない。

ビジネスモデルが破綻しているという視点に立てないのは、それでも流出していくユーザーに対して明確な差別化フィーチャーが打ち出せないからだろう。チャネルの破綻しているキャリアにとってのWCDMAとフィーチャーリッチに進む上でPDCのコンテンツと戦いを繰り広げているキャリア。欧州展開への前哨戦として位置づけてようやく腰をあげるも、PDCとの共存を迫られて価格とサービスエリアの点から二の足を踏んでいるキャリアなど色々背景が異なっている。破綻したビジネスモデルという点で見れば無意味な開発競争を続けていくことは開発投資という不良債権の増大でしかない。

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