業界独り言 VOL221 デジカメと携帯の違い 発行2003/4/13

二つの異なる業種のメーカーがデジカメという業界で出会い、レンズの開発の分担と高密度設計生産の分担というコラボレーションを成し遂げて異なる魅力的な商品開発を成し遂げているという事例が出てきた。携帯電話という商品もいまやカメラ付きでなければ売れないという状況にあるらしく玩具のデジカメ程度の解像度からメガピクセルに移行しようとしているようだ。デジカメのメーカーの中には、携帯電話の開発生産をしているメーカーも多いのだが、最近はデジカメ業界自体も淘汰されてきたようで猫も杓子もという状態ではないようだ。電卓のような状況は過ぎ去ったようだ。デジカメをはじめて世の中に送り出したというメーカーも電卓の雄であった。次の携帯のコンセプトは、デジカメと携帯の融合なんですとかつて語っていたのを思い出す。そんな会社がレンズメーカーとのコラボを成し遂げたのはうれしい限りでもあった。

さて携帯電話での状況を見てみると、そんなコラボという姿には中々到達しないギクシャクとした状況が続いている。たとえば3G端末の開発の難しさに加えてさらに政治的な難しさを追加してしまう状況が、日本仕様と世界仕様の共用モデルには存在する。国際仕様として次々と出てくるCRの追求と過去のスペックでの動作との共存という範囲で動かしていく国内での実用システムの稼動という条件がその状況の一つである。開発費用の負担という奨学金のような助成制度が通信キャリアからメーカーに向けて出ている状況もそうした難しさを顕しているといえる。ビジネスモデルとして成立していくのかどうかはユーザー次第ともいえるしメーカー次第ともいえる。開発費用の分担で端末開発費用に占めるソフトウェア費用が下がるという効果を期待しているのであれば、それは幾ばくかの効果があるのだろう。開発整備された共用コラボレーションというビジネスモデルは、中々携帯ではうまくいかないように見える。

携帯電話の開発をしているメーカー間の差が見えてきてもいるようだ。あれほど人員投入を繰り返してきたメーカーが、社内から赤紙召集してきたエンジニアをリリースし始めているようだ。先端分野への異動は、個人の希望と企業方針での赤紙召集の二つがあるようで、赤紙召集と中途採用とを繰り返して飲み込んできた人材を使いきれないという状況ではないと思うのだが開発テーマの絞込みといった状況が思い浮かぶのである。悪く言えば人あまりとなっているのかも知れない。人材派遣業界としての側面も大きいソフトハウスなどにおいてもプロジェクト失注といったことになり、こうした情報を買い叩き材料にして人をまだ集めようとしている会社に吸い込まれたりもしているらしい。携帯電話開発のバブルは確かに弾け始めているらしい。

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業界独り言 VOL220 肩の力を抜いて

日曜日の朝から前日移動の出張で国内を飛び回るのは今年の初めから続いている。今日は、博多の町に来ている、桜は葉桜になり始めている。昼前の飛行機の移動になるのは同行するサンディエゴの仲間のホテルのチェックアウトの都合でもある。彼らを引き連れて次の目的地に運び一緒に翌日から試験を始めるというのが私の仕事の一部でもある。国内メーカーで働いているとき以上に国内の出張も多いのは仕事が集中しているからでもある。大阪で今年宿泊した日数は一ヶ月近くになりそうだ。既に、大阪のホテルのドアボーイには顔が売れてしまっているので到着した段階で名前を呼ばれてしまう状態だ。まだ、博多での仕事は大阪ほどではなくてホテルでの過ごした日数も二週間あまりではある。まとまった休みを取れるのは来月だろうか。

大阪で過ごした中の多くは開発現場の中でのお客様支援だったり、実環境での試験走行だったりしていた。昼夜を問わず効率優先でタクシーで支払った金額なども、相当な額となっているだろう。毎月の給与で増えていくはずの預金残高の伸びが悪いのは自身の清算手続きが滞っているのが理由らしい。それでも住宅建設で必要な資金などが赤字にならぬよう追いかけて処理するのだが、出張先で手続きをしなければならないのは確かだ。十日までに処理をしないと給与日前には振り込まれないのは、いずこも同じだろう。都内でも同様な試験を続けているので大型ボックスタクシーに機材を積み込みPCを覗き込みながら日がな走り回っていることも貴重な経験といえる。試験チームがドライバーとの会話を必要とするために乗り込んできたので、実務を助手席などで続けつつ走るのはかなりタフな仕事といえる。

私の仕事の説明をするのは難しいかもしれないのだが、そんな背景を理解してくれようとする旧来の仲間が一人、ここ福岡に住んでいるのだ。彼は、場所が幾ら離れていてもすぐに打ち解けるある意味で合わせ鏡のような友人といえる。地域の商店会の専務理事を兼務されている同期のKは書店経営をしている。博多での作業が続く中で、彼のお店にお邪魔するのも三度目となった。あらかじめお土産の希望は、伺っていたので羽田空港で買い込んで乗り込んできたのである。日曜の前日出張はゆとりともいえるのだが、あいにくと手配しなければならない機材がいくつかあった。最近はついていないシリアル端子が必要なのでUSB接続型のものを二つと、最悪の場合に備える意味でのデバッグ用の電源である。端末をJTAGで接続する際にはバッテリーを外してアダプター装着するので安定化電源が必要なのでした。

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業界独り言 VOL219 春が来た 発行2003/4/5

花祭り・・・お釈迦様の誕生日である。鉄腕アトムの誕生日も近いらしい・・・。春は名のみではなく、確かにこのところの暖かな日々を見ていると実感するのである。春には歌が詠いたくなるのであろうか・・・フォークソングなども多いのは確かだ。ゆっくりと音楽に浸る時間が取れるようになれば、パソコンにつないだままのMP3プレイヤーも本来の目的に使えるようになる。FlashMedia代わりに利用しているMP3プレイヤーは今となっては型落ちの64MBのUSBタイプではあるが、お客様とのデータ交換などには有用なものである。三年前に求めたスマートメディアもそうした媒体であったが32MBという容量では最近お客様のソフトが入らない時代となっている。

引越しの準備もかねてCD整理をしつつすべてMP3に変換しておこうというプロジェクトを個人的には敢行しているのだが、実は古いメディアであるアナログレコードの変換という懸案事項も横たわっていた。CDレコーダーも購入はしてあるので手間だけなのと曲間での加工などの後処理が必要なのと、レコード盤毎に異なる音域の設定などの前処理もありなかなか進まないのも実情である。もう年代ものになってしまったレコードプレーヤをみると当時の活気のあった会社を思い返すのである。レコードの再生には、イコライザが必要になるので従来であればプリアンプないしはプリメインアンプを用いるのだが昨今のAVアンプには搭載されていない。

CDレコーダーと接続したCDアンプにはフォノイコライザが辛うじて残っていたのでこれが利用できるのだが、もう予備となる系統は我が家には残っていない。オーディオと呼ばれていた製品業界は、デジタル化の始まりで広がりを見せるというよりも大衆化を果たしてしまい低価格化の波を大きく被ってしまったようだ。差別化をみせるのは音の好みであったはずなのだが、先に価格レンジから規定される制限の中で売れるための条件を満たせればというような商品の流れになってしまったようだ。数多くあったオーディオ雑誌やらFMラジオの雑誌なども随分少なくなってしまったのである。新入社員のころに磨り減るほどにかけていたレコードなどは予備のレコードを買ったほどだったし買ってからすぐにテープに落としてわざわざテープを聴いていたりしたものだった。

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業界独り言 VOL218 進まない改革

閉塞感のある業界の実態の理由の一つはバブルが弾けたということであろうか。実際バブルの過程で値付けが意図した販路で処分できないシステムなどの場合には量産効果が出る余地もない。そんな通信システムも国際規格に準じたシステムでは従来のPDCシステムの無線基地局よりも安くできるそうなので第三世代のシステム移行でコストダウンが図られるという説は正しいのかもしれない。同一のソフトウェアでどこの国にも通用するというコンセプトもコストダウンに繋がるといえるだろう。大きなコストダウンにより売り上げの落ち込みもあるだろうからリストラになるのだという話も的を得ている。この業界は第三世代という契機を通じて結果として自分たちの仕事を失うような仕事だったのだろうか。

自分たちの付加価値がバブルの産物だったのかどうかという点については、精進している者たちには考える必要もないのかもしれない。リストラにより縮小されて最適化されていく組織の中で自身をさらに適合させて精進を重ねていくものもいればチャンスを求めて外部に出て行く者もいるだろう。自身の可能性を狭めずに広角に捉えていったほうが技術者としてより成功が期待できるのではないだろうか。企業活動の成果が、社会に貢献評価された結果としての報酬であるという考え方の会社もあるだろう。成果がないという事であれば存在価値がないので淘汰されてしかるべしというものだ。自身の限られた人生の中での活動の場を会社を通じての社会貢献と捉えるという思いはある種の宗教観のようにも映る。

一つ気がかりになっているのは、主体的に前向きな開発として進めている組織と流されるままに仕事の仕方を改善せずに負の遺産としてのソフトウェア資産の継承を続けている組織があることだ。確かに個別の開発という期間の中で限定されたリソースの中で手をいれずに古いソフトウェアを使い続けるという方針もあるのかも知れないのだが・・・。果たして残すべき資産としてのソフトウェアなのかどうかという議論が行われているのかどうかが、鍵なのかもしれない。検討もしないで使い続けている理由には、開発した担当者がいなくなってしまったので誰も分からないから・・とか、機能として製品のメイン機能ではないために担当を置く予算がないということなどが一般的だ。概して問題となるソフトウェアのベースは調整機能であったりする。

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業界独り言 VOL217 かみ合わないデバッグ

WCDMAあるいはUMTSという名前で開発されている通信システムは、規格が策定年月込みで次々と実装開発が進められてさらにその間に発生した変更要求(CR)の盛り込みとを合わせた形でようやっとベースとなる規格として扱うことになる。残念ながら、さらに規格の中でいくつかのオプション選択が可能となっていることや、規格の解釈相違などが現実にはありこうした問題点を切り分けつつ開発を進めることになる。自由な規格という性格が開発を難しくしているのは明らかであり、時限を切られた開発を進めていた日本などが暫定規格を採用通信キャリアが決めて進めることになったのはいたし方ないことでもある。また、通信規格とは別に通信キャリアが策定する仕様というものが別に存在するのでアプリケーションや検証といった目的の作りこみは、これらを解決して実現することになる。

国内の通信キャリアが、グローバルスタンダードとして採用したUMTS規格での第三世代は親会社となった欧州通信キャリアの意向なども加わりさらにGSMとの共存などの色合いが濃くなったのは納得のいく流れである。既にアプリケーションレベルで写真メールなどがGPRSベースで流行を始めたというのは日本発の技術という意味でいえば喜ばしいことだろう。国内でPDCをサービスしているにも関わらずGSMとの共存を追及していくことでPDCからのスムーズな撤退ということなども将来には考えているのかもしれない。通信コストの削減やグローバル化を目指しているという姿は、通信容量不足に追い込まれたトップキャリアの背景からの相違なのだろう。デュアルバンド実現という技術的な課題には、日本規格で既に実現しているPDCでのデュアルバンド化などの観点から無線的な技術解決については果たせているようだ。

赤いボディで既に市場に登場したGSM対応のUMTS携帯電話にはSIRを考慮した設計からなのかアンテナが口元についている実装となっている。当然SIRの危険性という面から見れば頭が温まるよりは舌や口が温まり饒舌になり通話時間を延ばすという期待もあるのかも知れない。二つの異なるバンドと通信規格の双方を実現するという目的には内実は大変な技術的な内容があるようだ。技術者の方や通信キャリアの評価する方たちはなぜか、使い方を不自然にアンテナを有効に使えるような形で配置したりしてデータ伝送の試験をしていたりするのは妙なものだ。それだけ性能評価などが難しいということもあるのかも知れないのだが・・・。性能評価を妨げているのは、無線性能評価を左右する無線区間の設計などがインフラベンダー毎に異なっていることも背景にある。各地域毎に分けられて異なる通信インフラメーカーの機器が納入されているのはUMTS規格を共通のより所にしているからということでもある。

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業界独り言 VOL216 初めてのC

携帯端末の開発支援をしていると不思議に思うことがある。通信機メーカーあるいは電機メーカーに入って携帯の開発に従事したいと願って叶った結果の仕事に就いているはずの有望な若手が実際の開発に携われないのである。仮にS君という名前にしよう、彼は電機メーカーに入り携帯電話の開発に携わりサンディエゴのQuad社にもお客様トレーニングの一環として訪問された方である。英語も堪能であり、技術的なセンスも中々の有望な若手といえる。そうした彼らを中心として構成された開発チームを見るとピラミッドのよう全体に広がる次の階層のエンジニア達の殆どは制服の違う人たちなのである。彼が実際に詳細設計やコーディングまで手がけたソフトウェア開発モジュールは大きな特色のある通信機能であり、彼はその開発取り組みに燃えているという印象がサンディエゴで会ったときには感じられた。

そんな彼に日本での支援作業の中でお客様として付き合いあるときは深夜に及ぶ作業の中で技術者の先輩としての話なども心割って話したりするような機会にも恵まれた。今、彼は手がけた端末の通信性能担当ということになり主にデータ通信機能について取りまとめをしている。童顔に見える彼ではあるものの実際まだ28歳ということで入社して六年目という脂の乗っている時期ともいえる。六年目であればかなりのソフトウェア開発をこなして実際のドライバーレベルの設計から始まりおそらくシステムあるいはサブシステム開発の取りまとめまでを経験しているというのではないかと想像していた。しかし、実際に彼がソフトウェアのモジュール開発に携わったのは今回の機種の特殊通信サブシステムが初めてということだった。そして彼のはじめてのCプログラミングであり、またシステムプログラミングだったようだ。

ごく日本的なというと、語弊がありそうだが、おそらく技術的に難しく実証確認が必要な通信機能ということで彼に白羽の矢が立ったのだと理解している。そして取り組み性能チューニングや実証確認を通じて目鼻がついたところでお決まりの話であるところの「引継ぎ」が発生してマネージメントに戻されたのではないかと推測している次第なのだが果たしていかなものだったのか。確かに見せてもらったそのコードには、真摯な取り組みの格闘のあとが見て取れるし幾つかの部分にはコーディングスタイルなどが、統一されていなかったりするのもそうした状況から致しかたないことだろう。HLDに終始するのがメーカーの技術者であるにしても、モジュール開発の経験がある程度は必要なことは自明な事と思うのだが、なかなか急成長に立ち上がった部門などでは、実現できない点なのかもしれない。そこまでケアする余裕がないということなのだろうか。

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業界独り言 VOL215 Linux携帯の行方

電源ボタンを長く押すと、内部ではshutdownコマンドが発行されます・・・・なわけは無いか。cursesライブラリで画面更新・・・っていうのもなんだかな。マルチメディア処理も含めてアプリケーションプロセッサに潤沢なリソースアサインをして端末のバッテリー持ちは、PDA並で・・・という訳にはいかないしな、やはり頑張らんといかん訳でクロックを下げても動作するような結局はアプリケーションコードの質を上げるしかあるまい。鈍重なコードを書いてしまってリソースを使っているようでは消費電流もおぼつかないのでね。というような会話が始まりそうな時代になってきた。まさか、個人の携帯電話にUnixのような環境が似合うのだろうか・・・という愚問はなしだ。既にシャープのザウルスにはlinuxが搭載されている。状況からだけでいえば、各社が携帯電話の為に開発してきた独自のMiniWindowsのような環境の保守ならびにそこへのアプリケーションの流通性や利便性を考えての対応だろうと思うのである。

知人の知り合いに、Linux環境の構築などに明るいソフトウェア技術者のM嬢がいらっしゃる。メーカーでの研究所の開発研究作業を支援するという職歴を経るなかで独特の技術文化形成を行ってきたようである。Naviの開発などではWindowsが搭載されたりするなかで研究所という機能に求められるものは、新技術の実用化プロトタイプまでの開発というのが最近の流行なのだろうか。彼女もそうした流れの中で、研究所に課せられた課題を主体的に走り回るというソフトウェア開発仕事に没頭しているらしい。予め断っておきたいのだが、彼女は知人の知り合いであって直接の知り合いではないのだ。だから、私がここで書き連ねていることの多くは私の想像の域を出ないのだが、出典となるようなネタは知人経由での情報であったり業界の動きからの類推であったりする。

ソフトウェア開発技術者として、メーカーに出向して仕事をするのは日本では、ごく一般的なことである。一通りの仕事が任されるのかどうかということについては派遣先の文化に依存するようだ。Quad社には基本的にサブコントラクターは居ないので、仲間達と一緒に日本に訪問してお客様の支援をするときに皆が吃驚することのひとつでもある。お客様の仕事の仕方として通信バブルが弾けてからというものの、ソフトウェア開発業界自体は買い手市場に変わってしまったようであり、元気なお客様のもとに集うように変わってきている。業界が減速あるいは失速しているなかで開発費用のデフレーションも始まっているようなのである。アプリケーション開発をしている上での指揮者自体は依頼元の開発技術者であるべきなのだが人材不在なのか、育成教育の不在なのかとんでもない担当者しか居ないケースもあるようだ。

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業界独り言 VOL214 気が付けば新幹線

「まもなく京都です・・・」聞きなれたアナウンスが耳に入ってくる。先ほどまでは新梅田のホテルに居たのだが、急遽テスト切り上げになり予約していた走行テスト用のジャンボタクシーも単なる新大阪行きタクシーとなっていた。電話会議を続けながら傍らには、切り上げになったテストチームが乗っている。電話会議の相手はサンディエゴとお客様であり、車内も含めて複数の会話が進行していた。淀川越えをしつつの携帯電話での参加はCDMAでもタフな状態となっていた。予定の思いを巡らしつつ、コミュニケーションを支えていた。日曜から始まった今週のテスト支援作業は、福岡入りに始まり大阪へと移り、いまは帰途についている。エジプト人と台湾人が今回のメンバーだったのだが限られた二週間の日程で相当数のフィールドテストデータを取得していた。毎日が粗解析・データ送付・電話会議というサイクルを時差越えでまわしているのであった。

第三世代というオープンな規格の中での奔放な各インフラベンダーでのオプション選択の中で、実際の端末開発や通信キャリアのサービスインに向けては不自由極まりない様相を呈しているようだ。欧州での第三世代のスローダウンがあまり明白にはしてはいないものの内実からみると火がついたら大変だという思いが正直なところである。そんな中で国際標準に準拠するという方針を出したキャリアが選択したインフラベンダーは三社購買であり、各インフラベンダーの完成度や規格準拠の仕方もまちまちである。共通していることは3GPP準拠という錦の印篭であろうか。水戸のご老公がかざすそれとは大きく異なるのはどれもが本物であり、それを本物として鑑定している3GPPという規格に照らすと我儘ともうつる振る舞いの差異は許容されるべきものであるのだが・・・。

温度差のある各国の状況の中で始まった3GPPの規格ゆえに、各社の戦略や背景に根ざした技術オプションが多数あるなかで規定するというよりは多くの選択を認めるような規格となっている。一つの規格として国際標準という形に纏めていく上ではIS95のような一社の独創(独走?)で規定されてきた規格のようにはなりえないのかもしれない。国内発の通信技術であってもどこかの強大な通信キャリアとの共同研究で規定されてきたような通信規格となれば、各メーカーが我をはれる範囲は少ないのだが、そういった意味では国内通信メーカーは護送船団スタイルに慣れ親しんでしまったからなのかもしれない。国内通信機メーカーで独自の通信規格を打ち出し世界に打って出ていったメーカーもかつてはあったのだが、いまやそうした歴史については語られることもなく埋没しているようだ。

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業界独り言 VOL213 意味不明の職責タイトル

日本流に言えば、担当部長というタイトルから来る響きは、現場を出回ったりするという印象ではないようだ。こんなフレーズで始まったのは、18年振りに友人Kと会ったからでもある。友人Kはといえば、とあるショッピングモールの専務理事であらっしゃるわけで、まあお互いに茶化しあっているわけなのである。彼とは、前の会社の入社試験で出会って以来の付き合いなのである。オイルショックの後の最悪の経済環境下での就職活動は、バラ色と歴代の先生から伝えられてきた高専のご利益なんて無くなっていた。そんな中でも就職の門戸を開いてくれたのは例年の求人活動を止めてはいけないと考えている大企業か、良い人材が取れると考えてきたが、それまでは求人実績などもない中小の企業だった。

そんな中で二人の高専生が、目指したのは関西の家電メーカーである。電子回路を極めていきたい彼と、ソフトウェア関係をやっていきたいと考えた自分であった。しかし二人は入社以前に接点はなく、大阪で行われた入社試験会場で初めて出会ったのである。通常ならば会社が用意した宿に投宿するものの、私はといえば宇治に住んでいた従兄弟の家にお邪魔して会場に向かった。会場において初めて出会い、しかし何か気の合う同質なものを感じたのは互いが高専生ということであったからかも知れない。互いの母校の名前を話し出すと試験会場の席次が北から並んでいたことが知れたりしていた。試験問題の解答について話題がまわると、互いの理解度などの実力も知りえたりしていた。全く理解していないと思しき仲間もいたようだった。

二人が再会したのは、内定者の懇談会であった。関東地区の学生を東京支社の人事部門が集めたときのことである。出会ったのは彼だけでなく互いに「こいつは他にどこが凄いやつなのか」と勘繰るような仲間もいたのであった。無論そんな意識を持ったのは私と彼だけであったのかも知れない。それだけ同質な意識があったのは驚きでもある。同期入社ということや、不況で配属先が無いという時代の新人研修を一年余りも過ごす中で互いの志向がわかりつつ配属先が確定したのは翌年のことでもあった。不況ということもあり、彼は十数年配属されたことがない事業部門に配属されたのである。実習時代には、その事業部にはマスター卒の同期が実習生活を過ごしていた。電子回路専攻のマスター卒の同期君は、実習先での精密加工と電磁気・物性の世界の実習先での生活を日々過ごしながら配属されるのではというおもいにおびえていた。しかし、そこに配属されたのは自動車機器の事業部で実習していた高専卒の同期Kであった。

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サンディエゴ通信 VOL14 シンプルで危ないエレベータにニヤリ

発行2003/2/13

本社出張時の定宿は、Marriott LaJolla というホテルである。行き先のオフィスに至近なのが一番の理由なのだが、ここに宿泊している限りグループセクレタリのビックママからお小言をもらうことは無いというのも、大きな理由である。以前同系列の Residence inn というコンドミニアムタイプのホテルに泊まった時は、「小汚い」という意味のスラングを連発した上で、”I don’t like there!” とキッパリ言われた。ビッグママは困った時に大変頼りになるので、言うことを聞いておくに限る。

さて、Marriott には、4階建てのパーキングがあり、ロビー階に停められなかった場合には、別の階に停めてパーキングのエレベータでロビー階に向かうことになる。このエレベータの動作アルゴリズムが中々シンプルで良いのだ。2基並んでいるエレベータが全く独立して制御されている。制御アルゴリズムは「客が乗っていない際に、どこかの階でボタンが押されると、その階に向かう」というものである。例えば、三階でボタンを押すと、どこに居ようとも2基とも三階を目指すのだ。先に来た方のエレベータに乗りかかっているところで、「ピンポーン!」といって隣のエレベータが空いた音がする。両方とも三階に居た場合は秀逸である。2基のエレベータが「ピンポーン!」とユニゾンで音を奏で、ドアが同時に開くのである。人気の無いパーキングで思わず「ニヤリ」としてしまう瞬間である。日本のエレベータ会社ならば、さまざまな条件を考慮して、至近のエレベータのみを向かわせるという方式にし、大変なテストを行うところだろう。このような適当なアルゴリズムでも十分用事が足りるものである。

ホテル内には、さらに3基のエレベータがあり、こちらでもシンプル制御アルゴリズムを見て取れる。15階建てのホテルであり、さすがにパーキングのエレベータのような奔放な事は無く、ボタンを押すと一基だけが目的階に向かってくる(一番近いエレベータが向かってくる訳ではない所が謎である)。こちらのシンプルアルゴリズムは「どんな状況でも、ドアが開くときには、その階の案内をアナウンスする」というものである。例えば、既にロビー階で停まっているエレベータ(当然、客は乗っていない)がある状態でボタンを押すと、”Lobby floor. Registration and lounge. Going up.” とアナウンスが流れる。アナウンスの前半は、「これまで乗っていた客に到着した階を告知するものだから」という理由で、客が乗っているか居ないかを判定し、アナウンスするしないを決定するという制御をするのが、日本のメーカだろう。こちらも、細かいところにこだわらなければ、物作りも相当シンプルになるはずだと思わせる。

さて、このホテル内のエレベータには、危険が一箇所仕込まれている。写真を見ていただくと分かるのだが、「開」のボタンを上下からはさむように、呼び出しボタンと警報ボタンが配置されている。以前一度、ドアが閉まりかけてる状態で駆け込んで来た人を乗せてあげようと、「開」ボタンを押したつもりで、警報ボタンを押してしまったことがある。程なく「どうかしましたか?」とインターホンから声がし、動揺した状態で、英語で言い訳をした経験がある。よくよく聞くと、同様の失敗をしたのは、私1人ではない様で、やっぱり設計が悪いようだ。まあ、ここは細かいことに拘らないアメリカである、こちらが注意すれば良いだけのことだ。

Quad 社で仕事をしていると、「細か過ぎる事に拘らない」アメリカ人と、「さまざまな条件に細かく対応させたい」日本のお客様との狭間で、同様な物作りに対する意識の差で悩まされることが多い。お客様の言うことをアメリカ人の同僚に理解いただくというのが、日本オフィスのメンバーである私の役柄なのだが、お客様の言い分にも「それって変だよ」と思う事が無いことも無い。シンプルな設計思想に切り替えてもらえれば、私の仕事もどんなに楽になるのだろう。無頓着な気質になりつつある今の日本でも、シンプル思想で十分通用すると思いませんか?

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