業界独り言 VOL250 Mさんへの畏敬の念

私のこの会社での最初のサンディエゴへのフライトだった1999/9/11から四年が経過した。五年がワンセットといわれるのが、この会社でもある。チップとプロトコルセットの提供という状況で始まった、チップセットビジネスは大きく様変わりしてアプリ屋さんが花咲く時代に入ってきた。はみ出し三号と自嘲的に自らを呼ぶT君などは、お客様支援の中でこれからの時代の中で活躍をしていくエンジニアである。ケータイ開発という業界で仕事をしていると色々なエンジニアの集大成として製品開発が進んでいくのがよくわかる。企画や開発管理を中心としたいわゆるメーカーの技術者の方たちと、ある意味で支援技術者の我々はオーバーラップした仕事範囲となる。彼らがメーカーとして実装していく上での担当エンジニアの方たちへの開発委託を行い、発生した疑問や課題を会社としての我々にぶつけてくる。ソースコードやドキュメントを広げつつお客様の質問を正しく把握して回答や回答を出せる技術者へのナビゲートを行うということになる。

何らかの得意ジャンルがあり、こうした組み込みソフトウェアへの基礎素養がある人材であればキャッチアップしつつサポートという仕事は達成しうるのだ。こう確信していたのでT君の伸長は計画通りであった、また時期を同じくして採用した若手候補技術者のT2君については、ある意味でいまどき技術者の姿を垣間見たようで残念な結果となった。半年あまりの試用期間の中で外資という枠での言葉の壁が立ちはだかり彼はキャッチアップすることも出来ずに去っていくことになった。基礎素養があれば、若さは可能性だと考えてきた私達の世代は取り合えない姿があるように見える。若手技術者との間にある四半世紀あまりのギャップをこちらからの感性だけで推し量るのには無理があるらしい、ソフトウェアからのソースコードのトレーシング能力を買ったのが彼の採用だった。ソフトウェア派遣技術者として基地局システムの開発に実際に従事してきた中で培ったものなのかも知れない。納期までにともかくソフトウェアを動作させるという最近の風潮の中で彼はそうした力を蓄え、そうした仕事に辟易し転進したかったようだった。

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業界独り言 VOL249 次世代のソフト開発とは

暑い夏が、帰ってきた身に堪える。米国への三泊五日の仕事で休みを貰った月曜には作りかかりの無線機の組み立てもようやく二日目を迎えた。この日の成果としてはケース前面などが出来上がった。目に見えた成果が積み上がってくるのはキット作りの楽しみであろうか。世の中の電機業界の情勢は、いろいろらしくV字回復を遂げた電機メーカーのトップが気勢を挙げていたりするようだ。リストラを完了して企業としての体力回復を果たしたということも要因とはいえ、強い商品が台頭してきたこともあるのだろう。最近の強い商品というキーワードに関していえば、ソフトウェアが欠かせない要素というよりも、この開発方法や取り組みでコストが変わってしまうという事情がある。V商品を台頭するにはソフトウェアの開発力が欠かせないということになる。

日中韓の三国でLinuxをベースとする基本OS環境を開発するという話が出てきている。他方でLinux自体の自由さを阻むようなきな臭い訴訟も始まっている。Linuxのベースとなる技術がATTのUnixからの派生であるというのならば、確かにまったく異なるというのは言い切れないのだろう。Copy文化が蔓延している日中韓という三国において、Copy文化から生み出されたLinuxを利用するということは素直な流れといえるだろうし、版権やライセンスを主張されるMicrosoftなどからの離反をしていくということも多くの背景にあるのだろう。日中韓で進めようとしている矢先に、Linuxの基本線が崩れてしまったらどうなってしまうのだろうか、三国で出資してライセンスホルダーである会社を買い取ってしまえば問題は解決するはずである。逆に、その会社をMicrosoftが買い取ってしまったならばどうなってしまうのか。いつか見た風景のフラッシュバックしてしまうのは私だけだろうか。

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サンディエゴ通信 VOL19 大阪から米国へ 

発行2003/8/27

大阪市内にある、Quad社大阪オフィスは最近関西地区に増えつつあるお客様対応の拠点として準備されたものだが、このところ毎週新幹線でここに通勤しているようなありさまとなっている。ネットに繋がればどこでもオフィスとはいえ、プリンターやコピー機があるビジネスセンターが必ずしも私たちの要望に適うものも少ない。落ち着ける場所として仕事が出来る事務所があるのは、嬉しいことでもある。環境的に言えば、東京事務所の青山一丁目という場所は食生活的には不満足なエリアである。以前の赤坂見附の事務所近辺にあった庶民的な匂いがなくなり、ちょっとねぇという感じが否めないのだ。そういう点からも、日本一の長さを誇る天神橋筋商店街などに近接する大阪事務所の包容力はたいしたもので、さすがに食い倒れの街「大阪」といえるかも知れない。

サンディエゴ通信のはずが、こんな書き出しで始まる状況は、実は今年の状況を良くあらわしているといえる。3G開発でお客様に詰める仕事が続くのは、お客様の場所に通いつめてコミュニケーションよく開発を進めてもらうために他ならない。電話会議ひとつ取ってみても東京と関西に離れてさらにサンディエゴを繋いで行う開発問い合わせなどは互いの言葉の相違、文化・技術・経験のギャップなどがあり効率よくまわすために仕事の拠点を大阪に移しているとも言える。無論、逆の立場の人もいて大阪に住みながら仕事の拠点を東京に移して働いている仲間もいる。それぞれにビジネス目的が異なるのであるが、東京地区には会員制のビジネスホテルと契約している反面、関西地区ではシティホテルベースで仕事をしたりしているのが異なっている。

高級ホテルの従業員にすっかり顔が売れてしまったりしている状況があまり正しい姿とも思えず、関西圏のきさくな食生活などを満喫するために盆休みにホテルが満室の期間だけは、近くのホテルをいろいろと泊まり歩いたりしていたのである。お客様の要望に応えつつも米国チームの都合や必要性などに応じて都度、サンディエゴに行くというのが基本スタンスではあったのだが、春に離陸した3G端末に続く開発にも大阪での支援作業の勢いが続いていた。最後に一気呵成に仕上げていく上では、互いのコミュニケーションを高めつつ完成度を上げていくという状況にお客様のトップが賛同するようになるのはいつものことである。月曜に大阪入りをして火曜の朝からお客様のオフィスに伺い電話会議に向こうからも参加するというのが最近の技でもあった。こうして土曜まで続き帰るという生活なのであった。

いつでもパスポートを携行することが義務付けられているQuad社では、こうした気さくな大阪生活の渦中でも突然、米国行きになるのは致し方ないことである。ただし今回はハワイでの仕事(?)までも、仄めかされていたのではあったのだが・・・。「わたしリカよ」とおじさんが気味のわるい声で娘の3G携帯を持ち出したCMがあったように、ハワイは重要な拠点なのである。今回の発端は、2G端末サービスが米国の特殊性などが背景となっていることもあり、フィールドテスト会場としてキャリアが選んだのはハワイなのであった。近いということや担当者がハワイに行きたいといったことではなかったようである。ハワイで評価試験を担当することになった担当セクションの課長さんは慣れない海外での試験に一人で指名されて困惑してヘルプを挙げていたものの、「ログ取り依頼をするのみなので同行しても・・・」とつれない回答を会社では行っていた。そして彼の試験結果に基づいて、必要があれば米国にいく事になると言い含められていたのである。

とはいえ、キャンセルすれば良いというようなチケット手配をしてはいたのである。ホテル手配はお客様の分も行う必要があり、会社レートでの安価な特典価格でとまっていただくといったサポートも私たちの仕事でもある。まあ旅行代理店のような雰囲気もしばしばである。現地でのお客様の食事の手配やら週末がかかった場合の観光までも含まれたりするのである。今回のように短い週末にかけての渡航も珍しくはないので、私にとってはのぞみのチケット払い出しとホテルの予約などと同列だったりする。グループセクレタリの派遣社員のお嬢さんなどにも、電話やメールで出先から刻々と変わる状況を伝えて更新を願ったりしているのでもある。テスト機材の確保などが図られそうだという一報が決めてとなって、ソフトウェア試験担当の方がまずは渡米を決断されたので私の支援渡航も決まってしまった。

今回は大阪の出先からの渡航なので、関西空港からのフライトとなりいつものノースウェストが使えずに日本航空を使うことになってしまっていた。騒がしいのん兵衛おじさんたちがくだまくキャバレーのような事態にならなければよいと思いつつ、チケットの送付をホテルのレセプション宛にしてもらっていた。夕刻までには大阪の代理店から時間便で発券されたチケットがホテルに届くことになっていた。キャンセルすることもなく決まってしまった状況からの次の展開は、午前中の米国との電話会議を終えてから翌日フライトすることになっている人たちとのスケジュールやら連絡方法の確認に追われる。初めてサンディエゴにこられる方に会社やホテルへの地図をPDFで送付したり、持っていくハワイでも使える例のリカちゃん電話の番号を教えたりといった具合である。

おしゃれな作りになっているお客様の外部業者を対象にした食堂でランチを取ってから事務所に戻ることにした。大阪地区の夏の日差しは強く戦略もなく歩くのは耐えがたいものがある。どういったルートを辿れば日陰を多く歩くことが確保できるのか考えずに出てしまうと、そんなことを考えるのも嫌になるほどの暑さに参ってしまう。パンチドランカー状態ともいえる麻痺した感覚の組み込み開発エンジニアの日常から考えれば、皆気にせずに暑い日中を避けるのが狙いなのか日がとっぷりと暮れるまで誰も帰ろうという人はいないようだ。まあ、派遣で来ている多くのエンジニアの場合には管理担当の方が日中に顧客先訪問で訪ねてくるのに対応して報告をしたりすることはあるようだ。大通りを避けて裏道を通りながら進んでいくと昔ながらに打ち水をしてくれたりしている商店などがあり助かる。

天神橋筋商店街の近くに位置するオフィスまでは快速電車でものの15分ほどであり、戻った先から出張に必要な後一組程度の着替えの送付依頼を自宅に電話して、宅急便は翌朝にはホテルに届く段取りとなった。10年あまりの出張でガタのきていたスーツケースは、この際処分することにして新しいものを浪速の商店街にて物色することにした。無論、大阪駅前に行けばヨドバシがあるので簡単なのだがそれでは浪速の気分を味わうことも出来ない。長い長い天神橋筋の商店街をずっと歩いて探すことにした。見つからなければ天満駅から大阪まで環状線に乗るというオプションも選べるからだ。幸いにして天神橋筋の四番街まで進むと果して待望のかばん屋さんが何軒か見つかった。丈夫そうなスーツケースをサイズから判断して選んだ、ジャスト一万円の破格値という次第だった。

空のスーツケースをカラカラと転がしながらの試走には天神橋筋のアーケードの舗装はもってこいだった。オフィスまでの二キロ弱の道のりで初期不良は見つかることもなかった。スーツケースには小型のかばんがそのまま押し込めることが出来たのでマイオフィス環境であるDVDやらHDDやら一切合財をカバンに入れた後にそのままスーツケースに入れることになった。大き目のスーツケースに変えた威力は明らかだった。ホテルに戻ると、電話のメッセージランプが点灯していたので、そのままレセプションに急行してチケットをゲットした。中身を確認してから翌日の流れを考えつつ荷造りをはじめた。パスポートはいつも携行しているので問題はなかったし、フライト前に航空会社のキャンペーンをインターネットからチェックするのも欠かさなかった。今回は、残念ながらデラックスなキャンペーンがよく行われるいつもの航空会社ではなかったのだが20000マイルのスペシャルマイレージがつくということだった。

翌日も朝からお客様に訪問するも、同行するはずのお客様自身は、ご自身の出張準備に追われているようで、出社されていなかったり、出社するもお会いできなかったりという次第だった。昨日決まって今日出発という体制が取れるということ自体は、ベンチャー気質の会社であるといえるのだが、目的を考えてもうすこし心に余裕があればと思うのだが、いかがなものか。お客様を交えた米国との電話会議を終えるとまずオフィスに戻り、近くのインドレストランにてお勧めのランチを平らげて暑さに備えて、残った仕事を確認してからホテルに戻り、預けていたスーツケースと届いていた着替えを受け取りロビーにて荷造りを完成させた。見た目にはスマートな荷物ではあるが内容物の重さは隠しようもなく、そのままタクシーで難波の駅に急行するという安直な道を選択してしまった。シャトルバスで大阪に乗り付けて東梅田から谷町線にのり、南森町乗り換えで堺筋線にという選択は、記憶からマスクされてしまっていた。

JRで成田エキスプレスを選択する際には、窓口で領収証をもらうのは躊躇しないのだが、私鉄の安価な特急ラピートのチケットを買うときにはちょっと躊躇してしまうそんな雰囲気の違いがあった。何かいわれたらの説明に控えに切符を携帯のカメラで写しておいた。南海電鉄の駅には、関空建設工事当時の仕事でなんども通っていたことが重いだれるのだが、今ではすっかりリニューアルされて関西空港が本当の意味で機能した際には、発展するだろうという異彩を放っている。残念ながら、関西空港の稼働率の低さはラピートの乗車率でも明らかだった。車両の1/3にも満たない列しか埋まっていないし、無論席はそれ以上に空いている。各個人単位で列が確保されているという余裕が好きだという人には、良い選択枝といえるのだが・・・。ラピートの車体については、丸い窓と併せて鉄分の濃い人には好きな人も多いのかもしれない。

南海電鉄とJRの二系統が乗り入れるという図式は成田空港と同じなのだが、成田以上に関空誘致には地元の期待しているものがあったようだ。そんな風景が泉佐野から分岐していくりんくうタウンなどには見える、鳴り物で作られたらしい建物があまり清掃や整備もされずに稼動していないように見えるさまには敗戦国の風景のようにも見える。爆撃された被災地ではないのだが、雰囲気はそんな感じなのである。この国の政治家たちの考える将来像はバブルのいくすえなど微塵も考えずにいたのだろう。関西空港が期待値通りに働くには観光地としての魅力や日本の物価などいくつもの課題があり、国民総動員でボランティアまで募ったワールドカップが毎日のような状況で続かないと成しえないのだろう。そんな空港駅に到着すると空港ターミナルに向かうまでに私の目をくぎ付けにしたのは足元に広がる無数のヒビである。最初に気が付いたのはスムーズに進まないスーツケースの車輪の動きからだった。本来はスムーズに快適に進むというのが映画のシーンの筈なのだが・・・これはいったいなにを示しているのだろうか。沈下しつつある図式などの思いもあって一気に不安になった。足元など気にせず歩いている人がほとんどなのだが・・・。

ターミナルの国際線に向かうのだが、いまでは国内線のための空港なのではと思えるような印象だ。国際線のフロアにいく長いエスカレータを利用しているのが自分しかいないといった瞬間を感じると、時間の狭間に迷い込んだ印象がある。空港カウンターも利用者が少ないのか、表示があいまいでビジネスチェックインカウンターよりもエコノミーのカウンターが幅を利かせている感じである。関西空港を利用するという視点にたつと、国民は不況の煽りで、諸外国からは物価高を反映してといった図式で格安航空券で旅行するという今風の流れが中心なのだなと思い起こされる。出国管理に入るさいの荷物検査のゾーンにはいると、たった一つ開いている窓口にさらに人気がないので、どこにいってよいのか、戸惑ってしまった。出国管理も窓口はひとつだけで並んでいる人もいなかった。国際空港と冠するには不適切な印象である。この潜在余力を活用していくという戦略がいまの日本にはないようだ。

ミニシャトルにのり、登場ゲートに向かう途中にも未使用のゲートが沢山あるようだ。これを日本の余裕と見るのか、負債と見るのか。日の丸航空のビジネスラウンジにも人はまばらで、華やかさが感じられなかった。溌剌として活気あふれるといった雰囲気が、風景に欠如しているようなのだ。モデムを接続して指定された地区のアクセスポイントに切り替えつつ最後のメール確認や電話連絡を行う、お客様に教えてある会社の携帯電話番号は少なくとも営業時間中には応答しなければならないのだが、緊急要請の高い状況のなかでの電話の意味は、会社の改善指標として理解しているのである。ここで気が付いたのは、ACアダプターをスーツケースに入れてしまっていたことと、PCの電源余力が殆どなかったことである。最後のメールを出したところでPCは果ててしまった。あとは、携帯電話のSMSやEmailで連絡をつけることにした。姪っ子がちょうど自宅に新築表敬訪問してきた由のメールが届いたりしてきたので細君に電話をしたりして過ごしていた。

ゲートから機内への乗り込みには、日の丸航空のビジネスクラスで気になるのは、バーと勘違いしているような輩の中年諸氏なのであるが、幸いにして今回のフライトではそうした光景には出くわさなかった。ビジネスクラスの食事は、どの航空会社でも同等の内容だと私は思っている。とくにどの航空会社がひどいということはないのも、それだけ競争が激しいからなのだろう。日の丸航空の良い点としては、PC用のバッテリーを貸し出してくれることである。申し出ると機種名対応リストを広げて見せてくれて、該当機種にあうものを指定した。PCサイズの薄型外部バッテリーであり、これをDC入力としてPCに接続すると五時間あまりの運用に使うことができた。夜食配布を朝食と誤解したのかおにぎり二つをお願いしたので、実際の朝食のときには、食べる余地はなかった。興味ある夜食などが充実しているなと感じた今回の日の丸航空の食事であった。気になっていた冷やし中華を食べることは忘れていたが・・・。

ロサンゼルスに到着して入国検査のレーンに到着したのだが、列をガイドする明確な指示がなく最終の窓口の表示から外国人のラインを選択した。入国検査の遅さが厳しさの反映なのかどうかは判らないのだが、やたらと時間がかかる人や差し戻しで別の窓口を指示されたりする人もいる。生憎と選択したレーンは外国人対象の端であったので、確認もせずに並んだ輩が、米国籍窓口から隣にいけと飛ばされてくることなどからますます列が進まない状況となっていた。おなじロサンゼルス空港でもノースウェストが到着する側では、こんな経験はなかったのだが・・・。ようやっと到達した段階では、ビジネス三泊というスケジュールの説明のみで気の抜けるほどあっけなく通過することができた。蓄えた髭とパスポート写真の照合にも問題はなかったようだった。荷物を受け取りコネクション便の荷物窓口を探したのだが見当たらず隣接する国内便のところまで転がしていくことにした。真新しいスーツケースの車輪は軽く快調に進めることができた。

予定では、予約が取れているアメリカンイーグルの便には一時間以上あったのだが、長い長い長蛇の列が待ち受けていて、Eチケットでないことから到底乗れそうもない事態であった。結局カウンターに辿り付いたときにもらった便名は一時間あとのフライトだった。スーツケースを預けることが出来たので、手荷物検査での徒労を少しでも減らすことにはなった。中にとぐろを巻いている電線やらPC周辺機器のお店を手荷物検査コーナーで広げる気にはさらさらなれなかったのである。そうでなければ長蛇の列に並ばずに手荷物検査までスーツケースを持ち込むことも出来たのだが・・・。便名と席名とゲートを確認して手荷物検査のレーンにならぶ、レーン入り口で基準もあいまいにレーンの指示がある。指示されたレーンは全員靴を脱ぐコーナーであった。検査機で反応しなくても検査を続けるのだから検査機の意味がないような気もするのだがいかがなものか。アジア人はすべて信用されていないのではないかとさえ感じるのである。

シャトルバスに乗り込みアメリカンイーグル専用のゲートまで移動する。バスの中では日本人の学者らしい風貌の人から声を掛けられた、サンディエゴには学会参加ではじめて来たという。飛行機乗り換えでの不安がうかがえたので、ここからのブンブン飛行機での楽しみを話して気分を軽くしてあげた。フライト時間までは、さらに30分以上あり今回はリカチャン電話を持ち込んでいたので壁のコンセントを探して充電しつつ仲間たちに到着確認を入れた。学会の先生は、チケットに席の指示がないことから不安そうだった。自分のチケットを確認すると確かに席が記載されている。ゲート横のカウンターで確認をとると、席がないということだった。確約は出来ないが乗れそうなのかもといったところだろうか。搭乗時間となり、順次乗り込むことになったのだが、学者先生ともう一人が列から離されて待つことを言い渡されたようだった。安心してタラップを上がっていくと私の座席には誰かが座っている、28件かキャビンアテンダントに話してもらちがあかずいったん戻ってカウンターのレディに問い合わせると確かにあんたの席だといわれる。ほかの全員が乗り終えてから、われわれ三人の処遇が割り付けられて先頭列の席に座ることになった。発券のシステムがおかしいのか、あるいは前の便に乗り遅れた客がいたのかは不明だ。

問題が解決したかとおもうと、搭乗が終えたはずの機内に、今度は航空会社の女性が乗り込んできてひとつ後方の空いていた席に座り込んでしまった。キャビンアテンダントが制止するような雰囲気もあったのだが同じ航空会社の社員ではないのか。もう荷物を載せたんだから、私を下ろすなら荷物も降ろしなさいよといった口調でまくし立てている。キャビンアテンダントを煙に巻くように今度は隣席の客と話し出してしまった。カウンターに立っていた係員のレディもやってきたのだがどうにもこうにもらちがあない。こんなやりとりが始まって時間はずいぶんたっている。さらにもう一人乗り込んできた困惑した風情の航空会社の人はこの便で移動する要員パイロットらしかった。どうもこうした職員の席が空いていることを知っていて乗り込んでわがままをいっているのが後席にいるおばちゃんらしかった。結局、最後に乗り込んできたパイロットの方は操縦室に入り、補助席を中で広げて三人が操縦室に乗り込むことになって解決することになった。いいかげんなシステムで起こるこうした事態を予備の席で解決していこうというのが実情なのだろうか。かの日立のシステムである国鉄の発券システムでの新幹線ダブり発券にも遭遇したことはあったので、まあこんなものかもしれないなあと思いかえしていた。

業界独り言 VOL248 日本発、UMTSの世界初

最近視力の低下・・・いや老化が著しい、また老眼の度が進んだようである。忙しい合間に見つけた日曜の半日を費やして購入してあったアマチュア無線機のキット製作に取り組んだ。最新部品で構築された無線機に搭載される部品の品名を読み取るのは最早ルーペなしでは仕事にならない。パソコンでのソフト開発であれば、おじさんフォントにしたり、大型ディスプレーにするというオプションがあるのだが、組み立て現場ではそうもいかない。アナログ屋さんや無線屋さんといった方たちとの接点を意識する意味でもこうしたキットを通じて感性を近づけておくことは必要なことと認識している。私小説を書き起こすことになった、99年七の月から四年が経過して世の中も変わり、予期したこと予期しなかったことなどの経緯を確認したりするこのごろでもある。

中年となった私自身が相応な年齢になっていることから、いわゆる同期や知己たちが会社での職制から見ると要職についている。そうしたことから、お客様として付き合う責任ある方々との真摯なバトルには、ある意味で仲間あるいは後輩とのやり取りと感じることも少なくない。また現場の方々として付き合う若い技術者との接点が私の感性を維持させてくれているのかもしれない。まあ精神の若さと肉体の若さは別物ではあるが、髪の毛や髭の色はすっかりグレーゾーンに突入している。ロマンスの香りはないにしても、ビジネスの領域では、溌剌としたテーマにしうる部材を預かり多くのお客様の開発を通じて異なったインプリメンテーションという楽しみを同時期に平行して評価できるという、言い表しようのない楽しみに浸かっている時間に続く次のストーリーを用意する必要もありそうだ。

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業界独り言 VOL247 梅雨のようなBon Vacation

世の中が、毎年の繰り返しとなる日本の民族大移動の夏の陣・・・盆休みである。当初の予定は、最高気温更新などが続くであろうこの季節を楽しむことなく、からっとした気候の中で紺青の青空を見上げつつのデバッグ支援をしているはずだった。夜になれば、AOLのページなどからアクセス出来るテレビ東京の動画ニュースなどを見やりつつ渋滞情報を参照しつつというスタイルの一週間のはずだった。第三世代の開発が一段落したお客様の関心事は、欧州展開のための世界対応ということにシフトしていった。本来ならば第三世代が世界対応の筈なのではという突っ込みは無しだ。

実は梅雨明けを聞いたのは、大阪入りしてからのことである。週末を挟んで大阪暮らしを、インドの仲間と過ごしたのは三月に経験して以来のことでもある。ライセンス商売をしているQUAD社としてはお客様が設計するデザインのボディに基本プラットホームとなるチップとソフトを提供してお客様が日本風の携帯電話に必要なアプリケーションを載せて仕上げていくというサイクルである。この春に過ごした二週間あまりの追い込みの仕上げは、こうした活動を加速させてくれた。試験環境である日本でのFTとのサイクルと米国開発陣営とのサイクルが見事にシンクして成果を発揮したのである。

そんな成功体験がお客様にとっては、大きな思い込みとなっていたようだった。季節は移り、春の国内行脚試験から、夏の世界対応となり舞台は国内では何も出来ない事態となっていた。試験装置をフルセットで揃えれば何とかなるだろうという思いも欧州認定取得に必要な測定システムを完全に揃えるまでには至らないのはRF性能評価のシステムとソフトウェア性能追い込みで必要な擬似試験対向装置というものの意識の違いだったかも知れない。世の中が第三世代に傾倒する中で2.5Gの開発というテーマの完成度はイマイチの様相となっているようだ。以外と実の薄い世界だったかも知れない。

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業界独り言 VOL246 今日から出来る国際化

気が付くと大阪で一週間暮らしている。洗濯も溜まり二日分の着替えでは賄えず、急遽細君に送付してもらった。ホテルに洗濯機があるような米国スタイルの大型ホテルが日本に無いのは、なぜなのだろうか。スラックスを洗濯依頼すると1000円かかるのだが、普通のコインランドリーでもあれば400円もあれば、ほかの洗濯も含めてドライヤーまで掛けられるのであるが・・・。ユニクロ衣料だとすると洗うことよりも買い込んだほうが良いような気になってくる。エコロジー的に考えると泊まっている現在のホテル選択が間違っているということになる。米国の仲間といっしょに泊まる必要などを考えると、まあ難しいところである。

せっかく出来上がった新居にゆったりと出来ないのは、仕事柄仕方がないのだろうか。最近は、定時退社よろしく明るいうちに帰るように努めていたのだが・・・。開発渦中のお客様の忙しさと私たちの仕事の忙しさは若干違うのだと思う。私たちも忙しいのではあるが、調整の利く忙しさであり、お客様のサポートをしつつ帰宅してからも仕事が出来るのである。お客様とのタイムラグ、仲間とのタイムラグの二つをバランスよくこなしているつもりだ。梅雨明けの先月末から夏に突入してずっと大阪暮らしを続けている。仲間が大阪入りするのを受けて関西空港からの乗り換え手順を英語と英文URLで指示したりして現地ホテルでの合流をすべく東京を離れたのは先月末のことである。最新リリースが米国では出たこともあり、出荷準備を急いでいるお客様は夏休み前とはいえ土日返上してのポーティング作業が始まる週末でもあった。

南森町の一号線沿いにある大阪のオフィスは、この地区のお客様サポートには必須のインフラである。大阪事務所に詰めるエンジニアの数は、まだ多くはない。言い換えれば地域に根ざしたエンジニアのために興した事務所ともいえる。ともあれ事務所の開所以来、ワイドな展開においての各地域ごとの接続テストなどにはベストマッチしていて大阪地区でのテストにあっては解析データの転送などにADSL接続されたSOHOオフィスは便利に限りである。米国への近さという意味で言えば関西空港から乗り込んでくる仲間もいるので大阪はやはり便利である。デラックスなホテル生活と疲れを癒すマッサージなどを頼んでいると前の会社の大先輩を思いだす。干支が同じ先輩は、熱く未来を語るひとであった。バブル景気だったこともあるのかも知れないが、未来に期待をかけた製品開発に多くの後輩のモチベーションも高く引き込んでいった。

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業界独り言 VOL245 自分のペースを作ろう

展示会の季節が終わったのだが、例年よりも長い梅雨となっているようだ。七夕から始まった新居での生活に合わせて、温めてきたハム再開活動も少しづつ進展を見せてきた。3Gのバンドとは異なる短波帯でのアマチュア無線で目指すは雑音にかき消される中の不安定な通信である。セルラーの電話でのレーキ受信による通信の安定化など及ぶべくも無いのがナローバンドでのアマチュア無線である。むしろ不安定な通信のなかで耳を澄ます自分自身の感性や聴力を試されるというのも楽しみなのである。少年の頃とは打って変わり、世のなかからはキングオブホビーなどと呼ばれていたゆとりの時代は、どこかに置き忘れてしまったようである。かつては原田知世に恋焦がれたピークのアマチュア無線の時代を過ごした若者たちも中年予備軍にシフトしかかっているのが現在である。ゲーム世代の子供たちが育ってきた時代には、すでにPHSや携帯が普通となっていて、科学するような子供たちの刺激をするのはパソコンになってしまった。

読み書きの英語には、インターネットが効果を発揮するようになっているのかも知れない。インターネットで飛び込んでくる情報の洪水の中にコミュニケーションツールとしての英語は必要不可欠となっている。藤村有広さんが見せてくれたような、時間を越えた無線での無線通信会話などの時代に届かないのは、却って時代に逆行しているような気もしている。懸命に会話をしようとしていた時代から、書面や資料を読み漁り疑心暗鬼になる時代になっているような気がするのは気のせいだろうか。アマチュア無線と聞いて、スキー場での出逢いを思い浮かべる世代ではなくて、バーニアダイヤルを回しながら竹ざおアンテナでモールスを聞くというイメージの小学校時代やSSB短波の時代で迎えた中学を振り返るのが私のハム観なのである。最初に手に入れたAMのトランシーバーは夏に楽しい50MHzだった。ハイキングに持ち出して山頂での爽快感を更に増すのが遠くの知らぬ人たちとの会話だった。

高専に進み、無線に昂じるようになったのは悪い先輩の影響だけとはいえないだろう。実家の書店前に置いたガシャポンの利益を、小遣いとしてもらっていたのでアルバイトをするでもなく傾倒できたのも背景にあるだろう。丘の上に立つ絶好のロケーションに恵まれた学校生活で無線をするのは心地よいことでもある。オタクな趣味と分類されてしまうのは、致し方ない。しかし山歩きと合わせての無線という趣味は健全に趣味といえたと思うのだが。今でこそ話をしながら歩いているのは普通になったのだが、当時を考えると精神的に可笑しくなった人が独り言をのべつ話しているか、無線機を抱えておしゃべりをしている無線屋だったろう。といっても肩に食い込むベルトに耐えて話に夢中になっているのだからそうとう変だ。長時間の通話というものを実施するとなくなってしまう山ほどのアルカリ乾電池の費用も頭の痛いことだった。

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業界独り言 VOL244 不死鳥の如く・・・

知己が課長に昇格したという報をきいた、ただしメールの文面からは元気が感じられなかった。当人曰くは「降格」であるということなのだが、果たして実態はいかがなものか心配になった。他の若手達も課長登用されたらしく、まずは合わせて彼らの昇格祝いを行おうとメールを送り、元気付けの夕食をご馳走しつつ話を水曜に聞くことにした。電機業界では一般に水曜日はノー残業デーという設定のはずなので、快諾の返事がきていた。当日は、ビッグサイトで展示会の説明員で駆り出されていたので、余裕で待合場所に向えそうだった。最近のりんかい線の開通に伴い、横浜からは湘南新宿ラインによりビッグサイトは、近くなったし。また大井町や品川シーサイドから京浜東北あるいは大井町線、京浜急行への乗り換えも容易となった。横浜地区の知己に向かうには、とても便利である。逆にゆりかもめの利用は、縮退するような気がしてならないのだが・・・。

知己の仕事分野は、無線機の開発であり業務用と称せられる範囲のそれはシステム開発も合わせて行う特性がある。世の中のデジタル化の煽りをうけて、さまざまなFMで済んでいた無線機がデジタル化して多様な機能を組み込むことが望まれてきた。こうした業界は、一般に携帯バブルに踊らされた結果、他の通信技術に向けたリソースや蓄積された人材技術については散り散りになったりしているようだ。会社の利益を稼ぎ出す携帯の事業に邁進していくのは企業としての当然の姿と映るのだが、社会貢献というキーワードで見れば、社会を構成するさまざまなサービスに向けての無線技術を提供していくということについての責任もあるはずなのだが・・・。お客様毎に存在する周波数セットやアプリケーションを、業界として規格標準化を達成していくには、業界自体が疲弊しているようなのである。

ともあれ昇格した知己たち三人を祝い祝杯をあげつつ夏バテならぬ仕事バテ解消を図る美味しいウナギを食べながら話を聞くことにした。三人の若手技術者たちが、成果に基づきリーダー(課長)に選任されようとしているのは、一面喜ばしいことのようでもあるが、彼らが気にしているのは課長としての管理業務が増えることで、今渦中で抱えてきた仕事が増大することと次代の若手を育てていくに必要な事業としての将来像が彼ら自身が描けて居ないことが原因であるらしい。疲弊した業界事情で、当面の売り上げ達成といった目的のみで利益確保もままならない仕事の仕方を家庭を捨ててまで埋没している状況で暮らしていることについては麻痺しきっているような様子だった。

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業界独り言 VOL243 ユーザーインタフェースは文化

携帯電話の開発支援をしている中で、ユーザーインターフェースも、それなりのものを提供しなければ、昨今のマルチメディア機能の実装などの確認評価すら出来ないというのが実情でもある。既に5×7のドットマトリックスキャラクター表示からグラフィックスベースに移行はしているものの、とりあえずのサンプルという程度にお客様も思っているのだろう。ユーザーインタフェースは文化の表れであり、お客さま自身の製品特徴でもあるからだ。プラットホームを開発提供していく上で、昔のワークステーションでのMotifやSunviewなどのスタイル提供などの領域にまで持ち込んだとしても細かい使い勝手は中々決めかねるのだろうか。

最近M社の端末からT社の端末に携帯電話を切り替えたのであるが、使うことの多いメールでの操作性などの使いにくいと感じている点などには、端末操作の慣れ以上に端末設計へのポリシーベースでの相違を感じてしまう。マッキントッシュのような使いやすさを追求していくことが、端末開発にこそ求められているのだと思うのだが、こだわりを持つUI設計の追及をしているメーカーが結果としての端末を効率よく開発していくことは難しく永遠のテーマのようにも映る。端末開発をプラットホーム化して、PCの如くにまで分離した開発を可能にしようというテーマにも取り組んではいるものの、まだその域にはお客様の文化改革も含めて時間が掛かりそうだ。差別化と共通化の矛盾するなかで、まだ未成熟な分野といえるかもしれない。

通信プロトコルをカバーする機能として、通信キャリアからの仕様提示を受けて推奨ミドルウェアの提供を受けて実装されている通信機メーカーもあれば、自社実装している会社もある。自社実装しているからといってユーザーインターフェースにまで力が入っているかというとそうでもなかったりする。こだわりの使い勝手を追求しつづけていくにはテストや仕様化などの作業に手間取ってしまいリーズナブルな開発コストにならないからなのかもしれない。とはいえ、アプリケーションを支えるプラットホームとの独立性が保たれていれば移植は容易なはずなのだが、全てをこなせる会社は中々見当たらないようだ。ここのアプリケーションの評価というものと製品が叩き出した利益などからみた評価などが独立して行われないからなのだろうか。

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業界独り言 VOL242 自宅建設を終えて判ったこと

計画に基づき11月に着工して、古家の取り壊しやら整地をへて地鎮祭はいちおう執り行った。土地の神様としてのお願いをサルタヒコ大神にお願いするわけである。お祓いの後には、家の形をした陶器のいれものにヒトガタなどをいれたものを地面に埋め込むというものである。鍬入れなどの儀式を経て、神に奉げた野菜や果物、乾物などは、そのまま自宅の食膳を飾ることになった。本来であれば、上棟式なども行うものらしいがRCと木造の混構造という住宅において、いつが上棟なのかということの定義が曖昧な気がしたのと忙しくて対応しきれないということで、こちらは除外することにしてもらった。無論最近では、地鎮祭そのものも執り行わない事例が普通だというのであるから、無神論とはいわれないですみそうである。

旗ざお状の土地の竿に相当する部分には、実は隣のアパートの階段や物置が越境していることは予め契約の段階で知らされていた。近々立て替える際に大家がきちんと直すという一文の取り交わしが土地売買の段階でも再確認されていた。しかし、実際に越境した場所を借家として住んでいる住民とは、私たちにとっての隣人なのである。問題が単純ではなかった。購入当初、空き家となっていた古家の竿の土地には我が家の如くにしつらえた鉢植えが並んでいたのであり、これについての撤去のお願いなどを筋は通るというものの購入を取り扱う不動産業者を介して進めてもらったのはいうまでも無いことではある。越境のほどは図面では2メートル幅あるはずの土地に30cm以上もせり出しているのである。自宅を段差の無い構造にすることなどから、1階のフロアが階段で三段ほどの高さにせり上がってしまいアプローチをスロープで構築しようということが隣地の物置などを塞いでしまうことになってしまった。まだ工事は始まらないものの、気まずい雰囲気ではある。

隣地との問題は、工事でも起こっていた整地した土地に降り注いだ雨は従来であれば古家の屋根が受けて雨水として下水に流し込んでいたわけであるが、整地して外溝などを一旦リセットしてしまったために露出した土地のみになってしまっていた。これがもたらしたものは昨年末に起こった大雨の際に工事で仮設に掘り返していたガスや水道配管工事の土地を流れ出した水の流れで管路を露出させるような事態になってしまった。工法の想定や環境への配慮などが必要なのが個別の注文住宅を特定の土地で作ることの難しさであろう。いってみれば立ち上がってしまえば安定なソフトやハードが立ち上がり時点のみで不安定さをかもし出すようなことに似ている。ブートストラップを安定に立ち上げる技術や心配りというものが建築においても必要なのだ思い知らされた。そしてそれを解決するには工事日常での周囲とのコミュニケーションに他ならない。ケアできないほど多重に仕事をこなしているような業者では、中々現場で起こっている問題に対応できないのはソフトウェアと一緒で問題が起こる段階で優先度が上がるのも同じである。

RC工事が始まり、鉄筋の溶接くみ上げが出来て型枠が準備できておそらくコンクリートミキサーが大量の生コンを投下して振動をかけつつ充填していくという流れが終わるとしばらくは養生させて固まるのが終わるのを待つ以外にする仕事はない。しかし、ここでまた問題が発生した工事用トイレの施錠が不十分でかつ未処理のままで放置され、臭害を周囲に引き起こしたのである。工事からは待つ以外にすることがないとはいえ日常の確認を怠ってはいけないのである。そんな問題を引き起こしているとは知らずにコンクリートが立ち上がる頃に現場を訪れた我々を待っていたのは周辺住民のクレームの嵐であった。建設業者である監督が中々現場確認に来ないのでクレームをいえずにいたというとんでもない事態だったというのてある。問題を現場で覆い隠そうというのは、どの業界も一緒であるがボロはすぐ出てしまうのである。やるべき作業やプロセスが普段行われていた、開発主体のまとまった分譲建築ばかりをしていたというのが原因でもあるだろう。要は開発プロセスが期待するものと合っているのかどうかということである。

RC作りの壁の無い打ちっ放しの工法ということの難しさは、表面仕上げではなくて実は必要な要件を網羅した設計を完遂できるのかということに尽きるようだ。こちらから要請した要件は、段差をなくした床と、床暖房、細かく指定した配線工事などであり、インターホンや照明スイッチ、通常の住宅では電気工事のみで100万円ほどが、この業者で見込んでいる額だそうなのだが、LAN配線やBS/CS配線工事を依頼していたことなどから倍近い額となってしまった。壁がある構造ならばつぶしが利くのだが、打ちっ放しでは確実な配管の処理と穴あけが必要なのである。工事進捗の話の中で、床暖房のリモコンの配線を忘れておりましたという報告が設計士の方からあり、配管が露出するということを聞かされていたのだが、実際に出来てみると配管は無かった。他の立ち上がり配管が集中している壁に穴を開けて解決したのだそうだ。失敗と思ってみても解決策は色々あるかも知れないということなのかもしれない。

さて我が家ではアナログWOWOWとデジタルBSとPerfecTVを視聴しているという事情があった。今回の地域は共聴システムとしてのCATVが配置されているみなとみらいビル群による難視聴地域ということらしかった。さらに細君の希望もあり110度CSでやっているコンテンツにまで手を伸ばすことになっていたことも合わせてとりあえず有料CATVにも加入することにした。配線系統については、ISDNによる二回線処理で電話とFAXを処理することにしていたので、機能コンセントには、賑やかな端子が配置されている。複雑化するシステムを単純化する一つの解決策として四衛星対応のアンテナというものが見つかった。CSとBSの二つのLNAが搭載されている二焦点型のパラボラである。見た目には、一つのアンテナなのだがLNAの数だけケーブルは二系統引き出されている。CATVの帯域に対応したブースターとCSと110度BSにまで対応するのは難しいらしいのだが、CATVの業者が接続に来たときには「配線が間違っているので修正しました」という説明をして確かに地上波とCATVは受信可能となっていた。

翌日ようやく、秘蔵のアンテナを設置して接続して方位を探ろうとしたものの信号が受からない。説明で聞いていた、屋根裏のアンテナ配線ボックスを覗き込むとBSパラボラと書いてあるケーブルが未接続になっていた。多分対応するCATV業者が指定したブースターがBSを更に受け入れる仕様にはなっていなかったのかもしれないのだが・・・。説明を受けた図面では、BSとの混合ユニットを設置することになっていたので工事仕様誤りである。生憎と今日は建築業者が休みなので、クレームのメールを入れて修正させることにした。ネットで対応するユニットを探すとCATVに適用可能でBS110にまで対応可能なブースターはあるので混合ユニットと合わせて変更してもらうことが必要なのだと思う。まあ、工事業者も工事の段階でアンテナは客持ちということで確認が取れないという事情があったのもか知れないが接続確認程度はしてほしいものである。現場に行かないと試験が出来ないというのでは、ソフト開発の現場と同じではないか。

BSとCATVのチャネルをカバーするという仕様が最近では、BS110度をカバーするという意味も含まれてきていて額面の理解と現場の対応などが混乱しているのはいたし方ないようである。結局仕切っているはずの監督も、建築設計士の方も専門的な内容には介入せずに、そのまま私が提出した仕様を工事業者に流していたようで互いの理解のレベルを合わせることの難しさを痛感するのである。結果として私が知りたいのは工事業者が理解したはずの工事図面の提示を求めることでしかないのだが、弱電工事一切を任される業者は、インターホンの工事も電話線の工事も照明器具の配線もLAN工事やアンテナ工事までもがカバー範囲となっているのが実情で彼ら自身も理解が充分であるとはいえないようだった。機能コンセントとしては、BS、CATV地上波、LAN、電話、FAX、AC二系統が配備された。将来のテレビが薄型化して配置変更した場合なども想定した場所に配線を予備としてしておいたし、テーブルの両端には互いのパソコンがテレビ機能が追加された場合や、和室に篭って仕事を夜する場合なども想定して五箇所に配備した。一箇所には、CS放送用の端子を追加していた。すべての機能確認が終わるのは少し先になりそうである。

電話工事屋が来て、気が付いたのは二台もっていたTAの一台はルーター機能があったのだがFTTHの時代になり、シンプルなもう一台のみにしていたのだが、これには実はDSUが付いていなかった。引越し元の家には、買取の旧型の大型DSUが着いているのだが、まあ予備品として回収済みのDSUを特別に無償でつけてくれることになった。この八年間の間に技術進歩は著しく最新型ではないにしてもDSUが非常にコンパクトになっていた。まあ、最近ではISDNは人気がないので進歩は止まっているのかもしれないのだが、我が家のシステムはNTTから表彰されるくらいの仕様になっているのではないかとおもっている。i-numberにせずにダイヤルインで、そのままISDNをオリジナル仕様どおり使っているしグローバル着信機能の裏技なども使わずに正々堂々と料金を払っているのは今時化石のような存在かも知れない。まあ、FTTHの設置に際しては、移転ではなくて、廃棄と新規という手続きを進められた。新規加入であれば費用が安く済むのだが移設だと費用が高いのである。ベーシック契約という高い費用を払い続けているユーザーが他社FTTHに乗り換えしないための施策なのかもしれない。相変わらず一年経ってもFTTHのONUのダイナミックループは逆立ちを続けていてNTTがこの事業を大変な費用を賭して行っていることのスタンス表示を続けていた。FTTHの引越しは実は一番簡単でルーターが設定を記憶しているので何の問題もなく立ち上がってしまった。

RC作りにする中で、工事途上問題となったのはステンレス一体型シンクにも起こった。長さが4メートルにも近づく長いシンクを一体くみ上げした状態で搬入するという業者からの通達に対して、RC作りの1階に搬入するにはドアから入らないのである。高さ85cmと細君が指定した高さの直方体構造のものをドアからキッチンに持ち込むことは出来ないというのである。隣接の段差の上にある家の横を通してもらい、庭側からおろして搬入するということでなんとかなりそうだということで監督が問題を起こしてきた隣の家に話を通して、一応許可を得てもらっていた。搬入が終わってみると実は、シンク業者が分離して物を納入してきたらしく、なんの問題もなく工事が終わったというのである。コミュニケーション不足あるいは突然の仕様変更はよかれと思って行われても現場には徒労感や混乱が生じるものである。なにしろ立ち上がっているコンクリートの壁に合わせてカスタム仕様に作ってもらったステンレスシンクには予備がないので工事するほうも疵をつけたりしないように最新の留意を払って工事をしようとしているのである。

さて、他のキッチン周りはどうなったかというと、今年の三月に購入手配するつもりで見積もりをとっていた無印良品のリサイクルウッドのキッチン収納は、出荷停止処分になっていた。理由は、最新素材であったリサイクルウッドの強度不足による顧客クレームが出たことによるものらしい。強度不足といってもおそらくはユーザー側の仕様を越えた使い方であろうが、ソフトウェアと違ってこうした場合には製品としての機能不足あるいは商品生命の命としての風評などが立つことを恐れての製品改良を余儀なくされるのが業界の慣わしでもあるようだ。もともとシンプルな造りが気に入っていて選択していただけのものだったので、どうような造りで何とかして欲しいと頼んでいたところ結局建具業者で作ってくれることになり、無印良品以上のできばえで安価にカスタム仕様のキッチン収納が出来上がった。軽いアクリルの嵌った扉の仕上げも同様なコンセプトである。最初からこれでも良かったのにというのはユーザーの立場であるのかも知れないのだが、要望の曖昧さというものを事例として参考に提示したものが必達の仕様として受け取られてしまうのではないのかというのは他山の石になるやも知れない。

同様な話で購入できなくなったのは、気に入っていたクックトップのマジックシェフのものが丁度製品切り替えの時期となり在庫がなくなってしまったので今は、お売りできないということが間際になってから判明した。なにしろステンレスシンクにカスタム仕様の穴をあけるのでクックトップとセットで購入手配が決まっていないと始まらないのである。焼き魚機能のないクックトップという選択肢から結局当初には除外していたフランス製のロジェールにすることになった。五徳がないので中華なべの使いにくさについては細君も気になっているものの他の点では使いやすさに気に入っているようで、今では中華なべをこのクックトップで使えるようにするために燃えているようである。何か金属の輪のようなものがきっとありそうな感じがしている。ユーザーが当初から、これだけは譲れないといっている仕様だったはずのものを実は取り下げてしまうのも身近にみて不思議に感じている。

夫婦二人での気楽な暮らしも、下町暮らしですっかり細君も車の運転からは遠ざかってしまい、いまではどちらも自転車を使っているのだが(ちなみに私は運転免許も持っていない)、自転車の収納についてはコンクリート構造が決まったときから一台は天井から吊りたいといって、当初の担当SEだった建築設計士でもある設計事務所の社長とのやりとりでは話をして互いに納得していたはずだったのだが、実務が始まり、担当の設計士の方との実務の詰めが始まる中で当初の社長とのやり取りが色々とこぼれていて自転車の話はすっかり落ちていた。話を再提起して出てきた案は、壁からの突き出したパイプという案だったのだが金属が出っ張っていることについては危険なこと当初提案したのは吊るためのベースだけをつけてくれればSカンをつけて済むのにという話を再度つめてようやく実現した。SEが切り替わるときのやり取りは仕様の取りこぼしなどが多発するのは納得するものであった。

きめ細かい仕様を確実に仕上げていくには、一年余りもかけても中々到達せずに、最後には引越し準備に追われてしまい、それが終わっても積み込めなかったものがかなりあるのは仕様以外に物理的な機材を置き忘れてきたりしている。小さな引越し便で二度目の仕上げの引越しを敢行してようやく集約を迎えることになりそうである。ともあれ、基本線からいえば、コンクリートと木造という混構造の住宅を依頼してようやく期待以上の家が出来上がったのは事実である。木のにおいが豊富なRC打ちっ放しの壁を見ていると不思議な気になってくる。仕様や要求が無体な夢想のようなものに映るかもしれないものが、熱い思いに支えられて追求をしていくことにより求める答えに近づいていくのが、家作りなのかもしれない。既成の住宅プランに合わせて作られる人もいるだろうし、あまり関心もなく人と同様に家を求める人もいるのかも知れないのだが。少し世のなかのギアから外れてしまった私と連れ添っている細君も含めてユニークな家族なのかもしれない。この箱(ハードウェア)をどのように使いこなしていくのかというのが私たち夫婦の暮らしぶり(ソフトウェア)としての追求がこれから始まることになる。これがスタートラインなのである。いま、私たちはペーパーマシンではなく実機を手にしたのである。