業界独り言 VOL260 想像力と好奇心

好奇心旺盛というのが、昔の技術者を志向する若者の代表値だったように思うのだが最近ではどうなのだろうか。好奇心のベースにあるのは、想像力による広がりであり、その好奇心で得られた複数の情報のシナプスが自身の想像力による理解の中で結合していくことが最も楽しい瞬間なのではないだろうか。HTMLの仕様をみて、情報をオブジェクトとして扱いブラウジングしていけるだろうと思い至った事例などからは3Gなどのツール開発の契機の中で生み出された技術といえる。そうしたシナプスをつないでいく上で大事な素養には暗算の能力などもあるのだろう、3Gや4Gをドライブしているプロジェクトの中核には暗算の達人が多いのではないかと思っている。最も高速なコンピュータとして自身の脳を活用してシミュレーション結果を手に入れられるのだから心強い限りである。頭の回転の指標として暗算能力などが、ひとつのベンチマークであるのは事実かも知れない(無論、それ以外の指標もあるに違いないが・・・)。

好奇心により、ますます想像力を膨らませて頭の中のシミュレーションを進めていく人の話を聞いていると、ちょっとついていくのが大変なのかも知れない。何人かとの議論などで想像が深まっていく場合には、良いのだろうが往々にして一人で思考と試行を繰り返した結果での話題を提起されてしまった場合には溝を埋めるのに苦労してしまうわけである。そうした溝を話す側が理解して咀嚼しつつ説明してくれれば良いのだが、ますます深みの思考と試行を進めてしまうのでは困ってしまうのである。うまく周囲を理解させつつ実際のビジネスとして動いていくように現実化していくという仕事の意味を理解しなければ、折角のアイデアも活かせず夢想家の烙印を押されてしまうのだろう。刺激される大量の情報の流れの中から、必要な情報を抜き出しをしていく、その技能自体は訓練の成果以外の何者でもないとおもう。考えるというサイクルをどれほど回せるかと言うマラソンのようなものかもしれない。安直に資料や解答を求めてしまう最近の風潮の中では難しいことなのかもしれない。

若い技術者達の特権でもある自由な発想を育てていくという考えが、指導者側にあれば有用な発想を製品開発に役立てていくというサイクルがひとつでも確立していくのではないかと思うのだがいかがなものだろうか。トライしてみたいという欲望を駆り立てていく好奇心をベースに想像力を訓練していくというサイクルが管理されたOJTとして確立すべきスタイルだと思うのだが、枠を超えた発想を持つ有望な若者をうまく指導していけるのかどうかも課題なのだろうか。リーダーがうまくリードしてくれるのかどうかを部下はよく見ているものなのだ。提案したアイデアを正しく評価したうえで今の仕事に活かすか、次の仕事に活かすか、さらに検討すべき点の添削指導を呉れるのかといったキャッチボールが必要なのである。今使われなくてもよいが、考えたアイデアを正しく評価指導してほしいのが部下なのである。想像力と好奇心のループをどれほど回すかによって伸びていくはずなのだ。

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業界独り言 VOL259 想像力の欠如

想像の範囲外の事象が起こると天災扱いにするというのだろうか、いくつかの保護機構に基づいて動作あるいは機能しているシステムにおいては、基本機能に不備があっても表面化しないという事例もあるようだ。組み込みの話ではなくて、新築によるライフスタイル変更で不慣れなことも手伝いいくつかの事故が勃発したのであるが、いずれも想像力の欠如ということにほかならないようだった。最初の事故は、私の付加した建具への加工工事の問題だった。新しく設えた食器棚にワイングラスなどをひっかけるグラスフックを木工でレールを造り付けていた。細君は建具と共に気に入ってくれていたようだった。

施工に当たってはラワン材をグルーガンで仮止めしてから、電動ドライバーで木ねじで締め上げるというものだったが、使用した木ねじの長さが不十分だったことと下加工のドリル処理が不足していたのでもくねじが十分に建具に食い込んでいないという工事不良だった。予め木ねじを吟味する際に確認すればすむことだったが、そうした手順とともに想像力が不足していたようだった。結局仮止めしていたグルーガンと少しの締め付けでついていた木ねじの食い込みなどがグルーガン接続の糊付けの劣化から、五ヶ月あまりたったある朝突然二列分のフックが外れて掛かっていた該当列のグラスが落ちて粉みじんになった。眼前で起こった事象に私自身何が起こったのかわからなかった。

起き抜けで、まだあまり頭の回っていない状況に、続いて尋常ならぬ事故の音で起こされた細君からの雷が轟いた。この一件の工事不良にともない、我が家での私の施工した工事についての信用はなくなり、以降の作業については必ず細君の確認または、業者による作業という手順をとるように心がけている。今懸案事項で上がっているのは、作りつけテーブルの配線が目に付くということから配線処理用の穴加工が提案されている。また、もう一つはアマチュア無線のアンテナ線の引き込み工事である。磁界ループアンテナと将来のアンテナ追加なども含めて納戸での組立作業や、完成後の室内での利用などを考えた壁内の配線工事を予定している。業者からの見積もりまちとなっている。

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業界独り言 VOL258 意固地なままで

いびきが最近ひどいということから、睡眠時無呼吸症候群ではないかとの疑いが発動されて、先日当該分野のクリニックを訪問した。最近の事件報道のせいで一躍名前を知られたのかクリニックでの診断は来年の新春まで予約で満杯だった。簡易診断は直ちに行われて解剖学的見地に立った見方から言えば、咽喉の高さが低く扁桃の切除などを行う手術が考えられるが、オルタナティブとしてはマウスピースをあつらえるということがあるそうだ。いずれにしても状況診断が必要なので宿泊診断もしくは貸し出し測定器による自宅自己測定の実施選択ということになるようだ。どちらのコースを選択してもしばらく、医学的なコメントも対策も講ずることが出来ないと言うのが実情だった。手術ということではなくマウスピースを作るか、あるいは誘因となっている可能性のたかい体重削減に努めるということになるようだ。

運動不足という言い方であれば、段々勤務先や住居が至便な場所に移ってきたことなども要因として考えられるかもしれない。現在の勤務先は、地下鉄駅から連結したビルであり雨の日にも傘をさしなおす必要などはない。高層階行きのエレベータにのれば空いていれば数十秒でフロアに到着してしまう。雨の日に足元を気にしつつ10分あまりも駅から歩くといった風景などから比べればよいともいえるのだが、仕事自体も電話やメールでの対応に終始してしまいがちな状況では日常生活の運動を考えなければならないようだ。以前の会社では、体質改善のために少し運動がてら駅までの道を30分あまり自宅から歩くという生活を続けたこともあった。これはかなりの効果があり体質が目に見えて改善した事例として会社の健康管理室でも紹介されたりもした。そんな時代も自宅の移転やら、会社の転職やらをへて自分自身の健康管理といった面ではちょっと偏りが続いてしまったようだ。

運動目的で少し手前の駅から会社まで歩いてみたりといったことや、あるいは街中の商店街を抜けて始発駅まで歩いたりといったこともしてみたのだが中々続かなかった。何かのきっかけで続けられない事由がおこると、それを理由にするのではないが弱い自分がさらけ出されてしまうようだ。続けられない理由を見つけられない状況を最近は、ようやく見つけ出した。至便な道具を使わないという第三号選択ともいえるエレベータを使わずに階段を利用するというシンプルなものである。この方式を選択すると最近の大江戸線のような地下深い駅などを利用すると良い運動をすることになる。天候に左右されることもない。しかし、最近の社会情勢の不安が首をもたげていて東京を狙うだろうテロリズムなどを考えると深い地下というオプションはオウム事件などから容易に心配されるので細君が禁止要請を発動している。幸いにして銀座線は浅いのでOKということだ。

しかし考えてみるとオフィスのフロアは18階であり、地下から考えると途方も無いような気もしてきた。低層階行きと高層階行きの二つのエレベータのあるビルでもありやると決めたので、登り始めると引き返せなくなってしまった。18階という階差が割りやすい数なので、いまは1/4だとか1/3だとか励みにはなるのだが、ともかく登り始めると諦めたとしても最低でも高層階行きのエレベータまではたどり着きたいというのが初日の思いだった。高層階の始まりは13階なのである。案の定初日は、そこで挫折してしまった。翌日はもう少し頑張ろうと15階までたどり着いた。このフロアにはエールフランスの事務所があり汗かき息も乱れた中年叔父さんがエレベータ乗り場から乗り込むのにはちょっと憚られた。そんなときに限って仲間の女性も乗り合わせていて「どうしたの小窓さん、こんなところから乗ってきて、なあにもしかして階段できたの、いやぁだ・・・」などと囃し立てられる始末となった。

三日目にしてようやく15階のバリアを越えて16階に到達すると頭をよぎったのは、「もうこの上の階はべつの仲間の居るフロアでもある」となんだか到達してしまったような気になってしまったということだった。確かに汗はかき息も大変な状況ではあったが、あとの二階を攻略して高みに到達することが出来た。時計を見やると五分あまりしか経っていないという事実だった、人間の感性なんてずいぶん非線形なものだなと改めて思い起こさせてくれた。とはいえ高みに到着してしばらくは汗をかきかき息を整えるで精一杯だった。一週間ほど続けたところ、体がびっくりしたのかある朝腿の付け根あたりが痛みを覚えたので様子見に一日自宅で仕事をすることにした。いままで自宅に置いてあったステッパ−は細君がいくら「あなたも運動をしないの」と誘っていたにも関わらず意固地に拒んでいたのがスーット踏むことにためらい無くは踏むことになれたのは不思議な感覚だった。

確かに朝の五分間のハードな運動ではあるが、山歩きで言う最後の直登といった感触を味わうことが毎日できるのはある意味楽しいことである。最近は、こうした感覚を持つことができるようになった。とはいえ、まだまだ一朝一夕に体重が減ったりするものではないのだが、ハードな運動を経た後の軽くなった足元の感覚をほぼ働いているあいだ維持できるのが快感でもある。もう少し進めば昼休みにも、もう一本やろうかということに繋がるかもしれない。今考えると意固地なままに運動を拒んできたような気がするし、何かのきっかけでそうした壁が取り払われたように感じている。やはり何か違うことに挑戦するということを日々実践していくことは大切なことだろう。続けていくことの障壁になるのが器材の障害だったりもするものであり、以前少し踏んだことのあったステッパ−などは細君と二人で利用したことがいけなかったのか摩擦熱で金属疲労をおこして壊れてしまったのだった。

現在利用しているステッパ−はそうした恐れもなさそうな、米国製の鋳鉄で出来たフレームにオイルダンパーで出来たプロボクサーが使うようなヘビーなものである。まあ、このステッパ−を踏んでいる運動の強さ自体は30分ほど踏んでも朝の五分のようにずっしりと残るものではないのだが、汗ばみ運動している感触として入浴まえの運動としては適度なものといえる。健康的な生活を続けているのが、まあある意味で余裕のある季節なので、問題は日本のお客様の支援活動の中でいかに米国流な緩やかなマイペースでスイートスポットを押さえていくような仕事スタイルに持っていけるのかどうかが次のシーズンの課題ともいえる。まずは来週の渡米作業の間にホテルでのジムなどの活用が如何に出来るかが課題ともいえるのだろう。毎朝、何は無くともこのページをアクセスされている読者のかたも居るようなので私以上に余裕ある技術者生活を実践体現されているらしい。まあ個人の意識さえあれば、そうした生活を実現しやすい環境であることは事実といえよう。あとは個人の問題なのである。個人の問題が少しずつ集約した結果として組織になっていくので、流されやすくなってしまうのかもしれない。そうした組織の慣習やらを改善していくためにも、まずは自己確立を追求していくことが必要なのだろう。

業界独り言 VOL257 サンクスギビングのひととき

収穫祭として米国メンバーの殆どは、この休みに入ってしまっている。もう水曜から次の日曜までがサンクスギビングに始まる年末休暇シリーズの第一ステージの始まりだ。こんな時期に没頭できることは、リリースされた情報の事前調査やらといった仕事や求人に申し込んできたレジメの確認やらといったことになる。お客様自身も慣れたところでは、急ぐ内容については予め手を打たれていたり、あるいはこちらから解決を急ぐように連絡をしたりといった事前策も打ってはいる。日本のお客様の仕事のピークと中々マッチしないといった実情などもあるのだが、致し方ないところである。事前の根回しや対応をとるといった異文化の認識が大切である。

米国にあわせて休暇をとる仲間も多い、忙殺されてきた時間との調和をとる意味でもそうしたことは大切である。最近は運動不足も祟っているので、こうした機会を機に階段昇降を選択したり、一駅ウォークなどを心がけている。五分間ほどの階段の登りは、なかなかきつい運動でもある、オフィスに着く頃には汗ばみ息も切れてしまう。始めた当初は、自分の階まで行き着かず途中の階からエレベータにのり仲間にあって「どうしたの、こんなところから・・」と赤面する事態になったりもした。少なくとも階段を選択してしまうとある程度の階まで行き着かないと連絡するエレベータすらないのが実情なのでよい訓練ともいえる。

のんびりと着実に進めていくことをテーマに取り組んできた組込み作業であるところの個人としての無線機作成プロジェクトもようやく、無線機として所定の性能を出すことが確認できる段階にいたった。よく出来た設計は再現性も高く、調和の取れた端末といえるようだ。といっても私自身は、そうした面での経験はアマチュアなので後輩や先輩に教えを乞うのである。もう退職はされた先輩は、無線機作りの趣味とソフトウェア技術者の後輩育成といった使命とを併せ持つ方で、いろいろと意見を頂戴したりしている。道具も不十分な中で製作を進めたりする有り様の中で測定器や工具の準備も色々と教えていただきながら進めてきた。開発仕事と一緒で準備万端でスムーズにいくと言うことは実感だった。

まずは、プロフェッショナル用の工具として、周囲からは笑われたのだが温度コンローラ附きのハッコーの半田ごてが良かったと思う。価格は2万円弱だったと思うのだが設定した温度に対してクイックに反応してヒーターのコントロールが行われて綺麗な半田付けが達成できたとと感謝している。慣れぬ者こそこうした道具は利用していくことが大切である。これにより半田付けに伴うトラブルは皆無だったといえる。大規模なキット故に、部品の過不足や改版情報に伴う組み立てマニュアルなどの不備を確認していくことなども起こるのでサポート会社とのスムーズなやり取りもユーザーとして感じることができた。普段とは逆の立場であった。自分の体調も含めて無理な作業は誤りを生んでしまうのも事実であり、入念に部品を整理してマニュアルをよく読み疲れた場合にはそこで終えるといったことが大切である。

既に老眼の域に突入している目の状況からは、必要な道具として大きなスタンド付きのルーペが、有用であった。シルク印刷されている基板の上に指示された部品を探すのはあたかも「ウォーリーを探せ」といった状況なのである。幸いにして1005や0603といったチップ部品はないのが救いだったがそれでもカラーコードを確認したりトランジスタの型番を読み取るのにもルーペは必須であった。とくにカラーコードの読み取りで茶色と紫の区別が難しいと思った。老齢からくるものともいえるだろうし色相から近い色になっているからなのかもしれない。作成のために購入した道具にはDMMもあり抵抗レンジでの測定なども頻繁に利用して確認実装していった。トロイダルコアにエナメル線でコイルを作成していくのも初めての体験でお客様のアナログ屋さんの少し昔の体験を共有するような気になれた。

無線機を作成していく上で必要な道具には、周波数カウンターもある。秋葉原の著名なパーツ扱い屋の秋月などが扱っている周波数カウンターキットなどもあるのだが、最近は中国や韓国の測定器も取り扱っているようで周波数カウンターは、たまたま会社にも無かったので韓国製のものにした。無線機の組み立てに入ったのが今年の七月なので既に五ヶ月あまりを費やしている長期プロジェクトでもある。本来の試験電波発生までの期間を超しているような気もするのだが、幸いにして電波管理局からのお達しまでは届いていない。周波数カウンターにより、無線機に内蔵されている幾つかの発信機の校正をする必要があったのだが、少しハメを外してCDMA用の周波数標準ユニットなるものに手を出してしまった。

本業である仕事に関連しているかと思われた質問メールが学校の先輩から寄せられていたのが、きっかけである。何せ先輩自身がウロ覚えの情報だったようでジャンク品としての当該ユニットが秋葉原に出回ったらしいが最近は入手できないがなんとかならないかといった話だったかと思う。CDMAやGPSといったキーワードから、「これは小窓君に聞けばなんとかなる・・」と思われたのかどうかは知らないが。私が同様な情報を目にしていたのはCQ出版の雑誌広告の隙間に載っていた米国扱いの広告で249ドルでジャンク品が手に入るというものだった。何せ周波数校正に使う以外には、なにかの時刻標準にするといった目的以外にアマチュア向けではない代物なので恐らく大きそうな筐体を自宅に置くのはね思っていたのである。

先輩からの問い合わせメールと自身の無線機の周波数校正などの話から、このジャンク品を購入して利用の上で先輩にプレゼントしてしまうことで必要に応じて借りにもいけると言う一石三鳥といった展開になった。科学する好奇心をもつ若い技術者にとっては良い教材になるだろうし校正もままならない学校において正確な周波数標準が手に入ることには意味もあるはずだからだ。特に自身の税金対策としての寄付をねらったわけではない。ああ早くそんな身分になってみたいものだが・・・。米国から購入したこのユニットは本業であるCDMA基地局のリニューアルで米国のキャリアから放出されたもののようです。PC接続のソフトも付属してきたので所謂DB25コネクタ経由でRS422接続で繋がるというものでしたがNet散策で見つけた解決策は基板自体に設定ジャンパーが搭載されているようでした。いろいろな情報から設定が必要らしいです。まずは開けたりするためにトルクスドライバーセットが必要になりました。

のんびりとした中で工具や部品を求めて秋葉原にいったりするのは、まああるべき姿といえるでしょう。幸いにして昼休みくらいの時間や帰宅時間を早めれば神田までは最低運賃でいけるのが便利なところでもあります。トルクスドライバーやジャンパーポストを手に入れて422から232に変更するために表面実装の抵抗チップを半田付けで取り去りました。PC接続用に必要なコネクタ結線にするための冶具を作成したりといったことで、ようやく周波数標準を動作させるPCソフトウェアとユニットを接続して必要な経緯度情報をユニットに教えることで衛星同期に成功することが出来ました。この周波数標準ユニット自体は、もう通信装置の更新と一緒に廃棄処分されたものですが内蔵されていたマイコンなどは私には懐かしいモトローラの32ビットマイコンでした。

まあこんな脱線をしつつようやく購入した韓国製の周波数カウンターの精度確認をしたところ10MHz測定で4Hz高めということなので、まあ十分な精度の測定器だなという安心を得ることが出来ました。忙しいなかでの時間を割いてする仕事はゆるやかな時間を楽しむと言うのがアマチュアの良いところなので納得のいく仕事をしていくというスタイルを追求しているわけです。ある意味でQuad社の開発風景と似ているところも在るかもしれませんね。ユニットは早速先輩の先生に着払いで送付してしまいました。寄付なのか、押し付けなのかは人によって違うかもしれませんが、今回のものは先輩にとっては願ったり適ったりということのようなのでうまく情報をまわすことによって得られた成果ともいえます。好奇心と積極的な行動は大切なものです。

組み立てと調整をしつつ、受信機の調整にはやはりSSGも必要であるということが判明しました。とはいえ義弟に貸していた無線機をまずは戻してもらいダミーロードに接続することでアマチュアバンドの旧型の範囲については調整することが出来ました。無線機自体が20年近く前の機種なので後年拡大追加したバンドには対応できてないのです。無線機と一緒に手配したアンテナは垂直のダイポールだったのですが、近隣の住宅への影響も考えて少し価格は張るものの同調形の磁界ループアンテナというものにした。アンテナの同調をとるといった目的もありアンテナアナライザが有用であるということから、これを利用するとSSGの代わりにもなりそうだということに結論付けて受信系統の調整を完了させるまでに至った。無論、前の会社の先輩から大掛かりな測定器の貸し出しの申し出も受けてはいたのだがちょっと置く先を勘案してまだ、そこまでは至っていない。

アンテナの設置には、仮設置として物干し台に行っているのだが、最終的には屋根馬を設置して屋根の上に置く必要がありそうだ。組み立てるユニットにはアンテナチューナーもあり、これを利用してローバンドに出るためのワイヤー設置なども思案中である。電信ベースでの携帯型無線機なども出ているようなのでこうしたキットにも触手が動いている。なにせ米国との往復出張なども頻繁なので、海の向こうから小電力での電信運用などの楽しみも増えてきそうな状況である。メールやインターネットのご時世と逆行する趣味と映るのかもしれないのだが、好奇心追求していくという仲間とのコミュニケーションを図るといった目的にはとても適っている趣味なのだと思う。もしもしハイハイといった手合いはケータイに移行しているので本来のアマチュア無線の世界に是正されたのではないかと思っている。

私自身はアマチュア無線という切り口で、学生時代から好奇心を満たしてもらいつつ、エンジニアの道を志してきた。アマチュア無線機の設計こそはしないものの無線機器やシステムの設計をソフトウェアの観点から続けてきた。そして実現してきた自動車電話やケータイといったもののお蔭で最近の人たちには無線で通じると言う感動はなくなってしまったのかもしれない。しかし、ブラックボックス化せずに内容に向かって好奇心を抱きつづけることで新たな発見や創造が生まれてくるのだと思う。いま若い世代のエンジニアの人たちが好奇心を失いつつあるのではないかと感じているのだが、いかがなものだろうか。DSPの限界やアナログとしての限界、あるいは素子としての限界などに好奇心を持ちつつバランスの良い設計を目指していくというのも肩から少し力を抜いて自身の在り様を見直してみてはいかがだろうか。何か共通のテーマを見出して活動をしていくというのがインターネットの時代のエンジニアの姿のような気がしている。

作り上げようとしている無線機にもDSPユニットが搭載される予定であり、このユニットはオープンソースでリリースされるとのことである。時代は変わってきたなと思っている。キットでクリスタルフィルタ自体をラダー型と呼ばれる同一共振周波数の素子を沢山半田付けしてバリキャップで制御したりしている。ある意味でとってもオープンである。ブラックボックスがまったく無いわけではなく沢山搭載されている制御マイコン自体は公開はしていないようである。性能を確保しつつ自由にさせるといった考え方はQuad社のチップの考え方にも通じているようだ。Quad社も時代の要請に応えるべくアプリケーション用のDSPチップについてはオープンにするという考え方があるようだ。半田付けからDSPソフト、そして総合の無線機性能を身をもって体感できるという奥深い趣味なのだが、こんな気の長い趣味が嫌われるのは基本ソフトを重要視している余裕がない世の中の流れと同じなのかもしれない。

業界独り言 VOL256 自由な風土のもたらすもの

メーリングリストを始めて四年が経過してようやく通算で9ビットの領域に突入することになる。知己たちの中には、メーリングリストの本文までは不要な人も多いのだろう、ある意味で私からのライブ信号あるいはハートビート信号のようなものであると思っているらしい。気にかかるテーマにメールを呉れる人もいれば、掲示板への書き込みで新たなテーマを呉れる人もいる。毎日の日課のようにメーリングリストとは関係なくバックナンバーのページをアクセスしている人もいるようだ。ちなみに私は自分のサイトのアクセスログを確認するのが日課になっている。メーリングリストへの反応を知るのによい方法だと考えているからでもある。長すぎるといわれたメール解消策として先頭のさわりというか起承転結でいうところの起の部分で引っかかってくれれば後半にというのが現在の独り言のシステムでもある。

めでたく来月から一人、わたしの知己が支援技術者としてチームに参画することになった。同様な時期を過ごしてきた彼には感性を同じくするものとして、このジョイントに歓迎のエールを送りたい。アナログ屋あるいはデジタル屋と分類するだけでは不十分なシステム屋の屋号を最近は掲げている知人のK君がいる。もとよりデジタル無線というものを標榜してきた彼にとっては両輪が回らなければ解決できないというのが実情なのだろう。そんなK君も最近ではチップを同時に複数任されていて自分の仕事は、IC開発屋だと称しているらしい。地道に開発してきたチップセットをまとめると一大事業になるのではないかと私は高く評価しているのだが、彼の壮大なプランを理解して支援している彼のチームにもエールを送りたいのである。こうした彼の思いを正しくトップが把握していれば良いのだが、互いに誤解していた上で、たまたま動いているケースでなければ良いと願うものでもある。

メーリングリスト開設までの過程からいえば、昔のミニコミ誌の創刊からの流れと同じような感覚であり開発現場の底流に流れる横たわっている共通的な問題点に対しての問題提起であり、自分としての考えを訴える場所でもあった。そんな小冊子が続いたのは、あるビッグプロジェクトの予算の影で共通要素開発といった切り口の自身の仕事の広告や情報収集といった面が強かったかもしれない。当然、プロジェクト解散後の状況でいえばわざわざ印刷してまでも配布するといったミニコミ誌が果たせる理由について自身としても確保することが出来ずに中断をしてしまうにいたった。転機を迎えることになった要因を外部に求めてしまえば神戸の大震災を挙げてしまうかもしれないのだが、もとより自分の率いていた当時のプロジェクトの凍結といった事態が自身としての余裕がなくなってしまったからかも知れない。こうした事態を迎えてさらに強く生きられずに殻にこもってしまったというべきだろう。

ベンチャーのようにシャカリキになって大企業の中を横断的に積極的に駈け回った発端は、自由な雰囲気の当時のプロジェクト運営だったろう。新たなビジネスを創生するための基礎技術であり実際の仕事への結びつけも含めて大企業にあるまじき雰囲気で開発が積極的に進められていたのは求心力のあるリーダーの元での仕事だったからだろう。そうしたリーダーの影響を受けて構成員は発奮して自分の持分を存分に仕事しようというやる気を引き起こさせてくれたのだと思う。そうしたキャラクタを買ってくれてか別のリーダーのもとで進めようとしたプロジェクトにリーダーとして引き抜かれた仕事には、夢を描きすぎた結果の凍結といった事態になってしまったのは、つづく世代を発奮育成させることが出来なかったことも要因のひとつだろう。デジタル化を進めていく上でプラットホーム論議がRTOSのみで終わりがちな時代にあってスクリプトの話を持ち出すには風呂敷が当時の会社には大きすぎたのかもしれない。

おおかれ少なかれエンジニアの中には、成功や失敗を繰り返して成長していくものだと思うのだが、とかく国内の製造業のソフトウェア技術者という職能にあっては長く技術専攻で仕事をしていくという場所がないのも事実である。挑戦できる機会が限られてしまい、いつものになるとも判らないあまた多数の開発テーマなどを研究させることには最近の国内メーカーは関心が乏しいのが現実である。技術者が考えを暖めつつチャレンジできるのは与えられた製品開発の中に徐々に埋め込んで実装実現していくことぐらいが関の山であるらしい。上司との間でそうした問題意識が共有できていれば継続的な形で仕事も進められようものなので、さきに紹介したシステム屋の彼などは恵まれた環境にいるといえるだろう。まあ彼自身はソフトウェア技術者という分野ではないのだが課長という職責を与えられてもプレイングマネージャーを貫こうとしているのは清々しく映る。

今のベンチャーに転職したという自己認識は、自由な風土にあると感じているし、前の会社でもある意味でベンチャー部門に所属していたのではと思っていたぐらい自由な雰囲気だった時期がある。無論大企業病が蔓延するなかで、いかにリーダーが腐心して部下達にベンチャー風土を実現しようと努力していたのだろうかと気がつくのはそうしたリーダーから離れてからなのである。また逆に自分自身がベンチャーの風土を実現しようと腐心して活動を起こしつつあるなかで、型にはめようとする会社の人事方針などがすりあわなくなったのも事実かも知れない。21世紀を迎える中で日本の製造業も年功序列を廃し変身したようなので、これからの若者達にとって良い環境になることを期待したいものである。会社に残り達観あるいは諦観して暮らしていくという道が閉ざされてしまったらしい現在とは異なり、当時の自分としては何か出来ないかと模索していくなかで結果として転職する羽目に陥ってしまったのである。

有数の企業が崩壊していくのを目の当たりにしていると、それまでの歴史も積み上げもあっというまになくなってしまうもののようだ。かつて、その会社のようになりたいと目指していた二つの目指す目標となる会社が前の会社にはあった。どちらの会社も現在では状態がおかしくなってしまい、そのどちらも陥った理由は同様なソフトウェア開発の破綻が契機だということなのだが、自由とは程遠いらしい、その会社の雰囲気が現在の会社で仕事をする中で判ってきた。自由な雰囲気を支えるために必要なリソースをアロケーションすること、またそうしたテーマとビジネスを舵取りしつつ続けていくことなどがベンチャー気風を支えていくために必要なことだろう。多くのベンチャーが起業して実践する過程でビジネスモデルを達成できずに当初確保した資金切れで破綻してしまうのは無理からぬことである。ベンチャーの雰囲気を継続していけることの凄さには、成功するためのビジネス戦略としての優位なパテントなどがベースにあるのがQuad社が続く理由でもあろう。

知己を通じて、Q社の社史が知りたいと申し出てきたひとが現れた。「半導体メーカーとしてのQ社の強さの秘密」といったイメージで弊社を見ているのだとすれば何か場違いな印象は拭えないだった。しかし、考えてみれば自身としての理解整理の意味でもこの申し入れを受けて対応することで得るものがあるとも思われた。流動的でフラットな組織あるいはメールをベースにしたITによるワーキングスタイルが時差のあるアジア地区のお客様にミートしているともいえるし、自身で経験してきたことも含めて話をすればよいように思えたので受けることにした。しかし、実は整理した社史がないらしいという興味深い事実もあるようで、ローカル社長の講演資料などをベースにした上で進めることになりそうだ。そういった意味においても大会社とはいいがたい会社である。社長室などが編纂していくだろう社史がないのはベンチャーの証明かも知れない。

最近ある興味深いデータが出てきたのは、仕事がうまく回る要因が、この自由な風土に根ざしているという事実である。社史の整理がてら見直してきた資料は、作成してきたカタログやお客様向けのニュースレターなどであるが、ロードマップの変遷や組織変革などがダイナミックに動いてきた経過がわかる。保守的な人は、はずれていき前向きな人は登用されて伸びていくのも明確である。失敗の歴史もそうした中には見え隠れするのだが、失敗するくらいの投資がなくては成功はおぼつかないのも事実であり、失敗となった開発成果の回収についての腐心のほどは後年実用化する技術の中で再会したりもしている。自由な風土で働く人々の前向きな積極性が、結果としてお客様を通じたビジネスを捕えて、それを支援していくことで開発が成功していくという図式ともいえる。パテントが柱ともいわれがちなQ社ではあるが、開発支援を積極果敢にこなしていくという姿は、なぜか脚光を浴びないのは組み込みの性なのだろうか。

高いかも知れないロイヤリティーを要求していくビジネススタイルは、無償サポートのなかでお客様も巻き込んだフィードフォワードあるいはフィードバックを実際の市場での確認試験を通じて実証されたソリューションを提供していくということが、実は最も大きなアドバンテージなのではないかと感じるようになってきた。最近は、世の中のご両親たちも小言をいわないお坊ちゃま、お嬢様を育てる風潮になってきていて高ビーなお客様が増えているようにも映る。そんな中でお客様に対しても、対等にアセスメントとして回答をするという風土が無償サポートを通じて、限りあるリソースの中で最良の結果を導いていくためにお客様自身を納得させて導いていくといった仕事になっているように思える。高いライセンスだといわれるライセンス費用を払わずに自社開発した場合を考えていただくのが論理ではあるのだが、ノーチョイスのCDMAではなかなかご理解いただけないのかもしれない。私自身がサポートをしているUMTSサイドの実情からいえば、まさにチップベンダーとしての競争の場であり、お客様自身がようやく重い首を縦に振り始めるようだ。

自由な風土が、CDMA陣営の先鋒である会社の中で起こった、反対側のUMTSの開発というプロジェクトを許容して、ビジネスモデルでぶつかり合う競合キャリアなどとの関係なども含めて、ここまでニュートラルに進めてくることが出来るまでの歴史は書ききれる範囲を超してしまう。まあ、想像していただくしかないだろう。UMTSの開発にアロケートされてきた人材が拡大してきた背景には、開発実績やビジネスに裏打ちされてきたからであり闇雲にここまで走ってきたからではないのである。地道に開発を続けて、全世界に試験場所を求めて端末を自ら持ち込み実証試験を果たしてくるなかで、自由な風土でない会社で進められてきたある意味で傲慢な標準規格というオプションだらけの世界を繋いで来くることが出来たのは必然だったのかも知れない。気がつけばトップランナーとして各通信キャリアからレファレンス端末として利用されるまでにいたっているのは、1999年春のNHKの番組を回想しつつ興味深いものである。

業界独り言 VOL255 懊悩するエンジニア

忙しさが、一段落して次の段階を模索している。新規開発のお客様の登場への対応や、新機能の実現への戦略など肉体活動とは裏腹に頭脳活動が忙しくなっている。商品化最終段階を迎えるお客様との開発作業には、精神修養の場とも思えるような精神活動も必要であり肉体活動も厳しい状況を迎えてきた。そんな状況をクリアしてからの現在では、次の段階として過ちを繰り返さないためのソフィスティケートされた取り組みへの切り替えなどの戦略が求められる時期でもある。自身の解析能力の蓄積以外にも、人間分析などの素養が求められる求人採用活動などもスケジュールを埋めている昨今である。平日の出張はないものの、会社帰りの夕食がビジネスミールとなってしまう傾向にある。

そんな中で米国在の知己が国内に来ているので夕食を一緒にどうかというVPからのメールが、今まさに自宅に帰るコールをしたときに入った。内容を確認の上、自宅にキャンセルコールを入れて待ち合わせ場所に向けて、帰宅ルートを変更した。地下鉄の方向は逆になるもののどちらに乗っても自宅への帰宅方向に影響はなかった。渋谷駅の上に作られた新しいホテルのロビーでVPや知己と合流して高層階のレストランに向かった。プリフィクスディナーを取りつつ、再会を祝いつつ近況のアップデートをしていった。知己のやってきた仕事はある意味で私の乗らなかった前の会社の仕事でもあり、ある意味で別の歴史の流れを見ているような気持ちも入り混じっていた。私の予測が正しかったかどうかは不明だが、出来た成果に満足している知己の姿は、すがすがしく思えた。

新たな米国でのビジネスに向けて取り組もうとしている、知己は自己の確立した米国の仲間達とのビジネス確保という責任とともに、日本の会社を通じての貢献という目的に則った落とし所を考えているらしい。部長クラスの彼に寄せられる期待は、そのまま会社活動の戦略そのものでもあり、彼が元気に仕事が出来ないような会社では、続く部下達が未来が描けるはずもない。彼を支えている現場のエンジニア達と、彼が考えるお客様への将来の貢献とのマッチングを図っていくためにも彼の感性に会社が期待しているのだろう。彼との会食が、お互いの感性の爪とぎといった目的として意見交換をしているのが、会社のビジネスミールにしている理由でもある。相互に悩むテーマがあり、何か新しいきっかけやアイデア探しをGive&Takeで考えているのである。

会社としての仕事の範囲や方向を思い込みで狭めていたりはしないだろうか。特定の通信キャリア向けの仕事に打ち込むという一途さをもって会社としての誠実さだと思っているのかもしれない。しかし閉塞された政治的な状況の中でブルーな気分で企画を悩んでいても仕方がないのだとおもう。ビジネスチャンスとして捉える範囲を自らの会社の技術蓄積に基づいて方向是正していくのならば、なにも悩むことは無いのだろうと思うのだ。端末の開発などの効率を如何に改善していくのかという命題を実際のビジネス展開の中で最近は考えていくようにしている。難しい条件のお客様であればあるほど考えることは楽しいものである。色々なアイデアを提案していくうちにお客様自身も悩んでいたことから開放されて頑なな考えから一歩踏み出したりもしてくれたりするのである。

複雑化してきたデジタル化ネットワークの中で、どの通信キャリアのシステムもブロードバンドを目指して変わろうとしているのだが相互接続の壁は中々埋まっていないようである。お互いにネットワークとして存している限りにおいては、このネットワーク相互接続という命題を考えていくには積極的な理由が無い限りは進まないものである。ユーザーの視点から解決を図っていこうとした場合には、むしろネットワークよりは端末からの視点のほうが自由な発想に立てるものであるとおもう。最近マルチモードに対応したチップセットを開発提供しはじめてからは相互連携するような機能をユーザーに高次元から使わことが出来るような設計に変化してきている。なにせ相容れない競争しているキャリア同士の方式の双方に対応したり、あるいは電話とLANの世界の接続のような話が日常となりつつあるのだ。

WCDMAの第三世代目のチップとソフトのトレーニングを行うことになったのは、なんだか意義深いような気がしている。予期したように、もうプロトコルの解説などの項目はなくなっている。開発の中心はアプリケーションの実装に軸足が完全に移行しているのである。アプリケーション開発の仕事がお客様の開発費用の七割くらいになっているのではないだろうか、残った三割でハードや接続試験やプロトコル確認といった範疇になっているのである。無論、自社開発している方の具体的な数値は無いのであくまでも現在知りうるお客様の概観としてだが・・・。三年前頃にやっていたアプリケーションのためのプロセッサ開発自体は、お客様のアンタッチャブルなドメインを侵犯してしまったらしく折角の技術開発成果も利用されることはなかったが、しかし暖めてきた、こうした技術が花開く状況まで続けていたのである。

デュアルチップで提供しようとした段階でお客様から否定された理由づけの項目に悉く現在ではお客様自身が陥っているのである。やはりモデムプロセッサの上でアプリケーションとモデム機能の両立を果すべきというのがお客様から学んだ我々のテーマだった。このテーマに取り組んでこれたことはチップメーカーとしての次を考えて必要なことであった。チップセットの設計ルールの細密化により高機能化とともに果すべき内容をお客様の一般化した形での機能を出来るだけ安価にカバーしようというのがポリシーなので、必ずしも日本のお客様のハイエンドなニーズにマッチしないこともある。モデムチップセットビジネスの大変さは、3Gの混沌とした規格のなかで旅立ってしまった通信キャリア達のある意味で標準化の中からのローカライズ妥協の産物でもあるオプション選択の豊富さと様々な解釈を許してしまう仕組みにともなう相互試験コストでもある。

日本のメーカーがチップセット開発を続けていけない理由は、ビジネスとして離陸しない中でのこうした開発費用を端末利益から補填できないからでもあった。加えて通信キャリアが要求する無体なアプリケーション開発の要請が、ますます日本での突出した開発規模の増大につながり破綻が連鎖反応しはじめたようである。なぜか開発を続けてきたCDMA陣営のリーダーという会社のなかでのWCDMA開発という色物扱いだったテーマが脚光を浴びるようになったのは不思議なものである。同根の技術を完成させていくうえで我々自身が学んだものは標準という中での複数のオプションや実装の違いという現実の真摯に向き合ってきた集大成からだともいえる。なぜか私が第一世代のWCDMAチップから支援を続けてきたことは、知己の言葉によればマンガのようだとも言われてきた。自己否定の中からの仕事を通じて現実に辛口に向き合えているのかもしれない。

WCDMAやGPRSの開発といったテーマから今回のトレーニングではカメラ附きケータイの作り方やテレビ電話といった話題にすっかり移行してしまった。しかし、まだ私が昔の小冊子で思い描いていたようなアバタ−を使ったUIを作ろうといった夢のあるテーマにまではお客様は向いてはいないようである。折角のGameマシン相当の三次元描画やサウンド機能があるのに画一的な押しボタン型のUIをグラフィックスで実装してもつまらないと思うのだが、そうしたUIにも1000人月を越すような開発費用のつけが残っているかららしい。考えてみるとバブルの時の残債を抱えている人たちがマンションを処分できないのに似ている。不良債権と認識されて国から処理費用が補填されたりもしているようだが次に繋がる開発なのかどうかを企画を立てる人がナビゲートすべきテーマであるはずだ。ちなみに我が家の新築には中古マンションや中古一戸建てを住み替えてきた歴史が結果オーライとなってきたのは単なる幸運なのだろうか。

引っ越して四ヶ月が経過した、住み慣れる暇もなく出張ばかりが続き最近になりようやく自宅からの通勤が続くようになってきた。見ていると町の風景も変わっているようで、商店街にあったパチンコ屋が四半世紀の営業をやめたという看板が出ていた。寂れつつある駅前商店街なのであるが時代の波に乗れない経過なのかも知れない。かつてははやっていたという商店街だったらしいのだが、さらなる発展を目指して昼間込み合う交通量規制を警察に申請して三時から六時までの時間を車通行を規制することにしたのだが、これがきっかけとなって「不便な商店街」の烙印がおされてしまい廃れていってしまったのだという。廃れたことの証明は、通り沿いの商店の活気のなさからも頷ける。内科医ではないものの症状分析が不十分なまま外科手術あるいは強い薬を打ってしまうことの怖さがそこにはある。

業界独り言 VOL254 YAMAUCHIの謎

組み込みソフトではないが、暇を見つけてはアマチュア無線機の組み込みユニットの作成を手がけている。最近では、見かけなくなった大規模なキットであり、中身は半端ではない内容となっていて、もう中年真っ最中の私としては視力補正機構を付けなければ仕事にならないのも事実である。まあ携帯電話の開発現場とは異なり米粒ほどの表面実装部品0603などの部品を採用している部分までは、ないのがせめてもの救いでもある。そんなキットがあったとすれば、まともに組み上げられる人は数少ないし、ビジネスとして成立するとは思えない・・・。まあ、古きよき時代を懐かしむ世代が暇を潰していくのには最適なおもちゃである。半田ごてを握り、組み立てていくといった風景は、最近ではロボコン参加を目指す子供たちぐらいなのだろうか。

組み上げている無線機には、既に数多くのマイコンが搭載されているようだ。マイコンが搭載されているからといってもPICマイコンなのでI/Oラインと簡単な発振子と電源位しか接続されないのでシンプルな限りである。構造から言えば、各構成ユニット毎のコントローラとしての機能をうまく通信しつつ動作するようになっているものだと感心したりもしている。かつて四半世紀前に遭遇した自動車電話の商用機種にマイコンが複数搭載されていた史実(?)などを思い出したりしてアマチュアが自由に使いこなせる時代に到達したのだなと感慨もひとしおである。ビット同期をソフトウェアで行ったりトーン検出を行ったりといったのが当時のサブシステムの4ビットマイコンの役割でもあった。信号処理と系統制御を行っていたのは16ビットマイコンでもあった。

アナログ無線機で構成されていた時代では、分散マイコン同士が通信して協調動作するといったものではなかった。機能ブロックのハードからの置換といった目的で自由に組み替えられるいってみればCPLDのような位置づけでの使い方だった。周期を計測してトーン周波数を検定したり、低速信号の同期捕捉処理を行ったりといった使い方である。当時の8ビットパソコンなどでもデュアルマイコンなるものも登場してきたのは、グラフィックスなどの機能拡大とメモリ領域の確保といった背景があった。無論各社の対応は巧みに隠し機能を使いアドレス拡張を施したシングルチップ構成もあったし、グラフィックスプロセッサを開発したりといった会社もあった。素直に二個のマイコンを搭載した国内メーカーではメインCPUとのコマンド通信処理で実現していたのだが、通信オーバーヘッドが仇になりゲームなどが作りにくいといった風評もあったのだが、ハッキングして流出した情報は「YAMAUCHIの謎」というものだった。

リバースエンジニアリングなど当たり前の時代でもあり、解析をした結果分散マイコン側にソフトウェアをダウンロードするためのパスワードが”YAMAUCHI”という文字列だったのである。開発担当者の名前だったのかも知れない、キーボードなどのイベントのみを通信経由で実装することでいわゆるインベーダやらギャラキシアンといったゲームの実現が果たせたというのである。シングルであれば簡単なテーマが分散処理することによりアーキテクチャにあわせた実装検討を強いられることになるのは繰り返す事由なのだろうか。低速な8ビットマイコンからアドレスも速度も解決することになった16ビットマイコンへの移行などで、こうした分散処理が集約されたりといったことの繰り返しをしてきたように思い返す。機能部品としてのマイコンのソフト開発はハード屋の仕事だったりするのも常だったりして組み込みソフトの中でも光の当たらない世界だったりもしていた。

アセンブラからCに移行して開発速度の加速と共にメモリ容量も拡大の一途となり、FlashやRAMの容量なども機種ごとに次々と大きくなっていった。PDAに無線機を接続したような機種が登場したりしてモデムとして高い携帯電話を活用しようという動きや、実用的な速度を低コストで実現することもあわせて実現したPHSなどの登場なども携帯ソフトの複雑化を加速したのである。そして4年ほど前のiMODE事件などを契機に本格的に油を注いだ形になったといえる。携帯だけでWebブラウジングが出来たりMailが出来たりといったことをHTMLベースで実現したりJavaを登場させるなど様々な技術が投入されて開発に繋がった。機能競争としてPDCとCDMAとが違った切り口で登場したことなども加速した要因の一つだったのだろう。低速度に特化した言語を開発したベンチャーなども今では標準化の流れの中に埋没しようとしているようだ。

この長い長い舞台の中で大道具は次々と変遷を遂げていったので、使用してきた台本があわなくなってしまった。時代に合わない平屋作りの実写のサザエさんから二階建てのアニメに変えなければならなくなってきた。登場するキャラクタは変わらないのだが・・・。電話帳を開いて電話をかけて、メールをして書き込みや写真を控えたりといったことがオブジェクト連携で実装されるというのが現代のソフトウェアである。500人を超す電話帳に可変長のデータが格納された現在では、まともなデータベースなしではタブで飛んだ瞬間に画面展開できないような実装では受け入れられないのである。そうした基本機能の追及をしている中でインプットメソッドなどへの逆連携も要求されている。メールアドレスフィールドに入れる全角データを半角に変換したり、電話番号の長さや名前の長さといった制限を越えた入力に対して警鐘を鳴らすといった機能も要求される。ダブルバイトでの日本語処理と画面描画などにも細かく要求されることは多いのである。

実はマルチメディアなアプリケーション開発をしていくことよりも、必要なオブジェクトのクラスライブラリを開発してきたことの成果のほうがコスト高くかかって来たのが実情のようだ。「携帯電話用に開発された欧州生まれのOSをベースに1000人月を越すアプリケーション開発費用を投入して出来た成果を次に生かせるのか?」という問いかけは、私達に掛けられた物なのか自問自答なのかもちょっと曖昧のようだ。彼ら自身、成果なのか足かせなのかという自問自答を、開発のベースにしたプラットホームOSを考え直すのかどうなのかということにも繋がっているようだ。Windowsと同様なコンセプトで開発してきたバイナリなAPIが彼らの期待する機能性能を果たすクラスライブラリなのであれば、彼らのアプリケーション開発に投入されてきたリソース自体が無為なことになりかねないという危惧を最初に露にしていた。

モデムチップ以外にアプリケーションプロセッサを搭載して実現してきた人たちが、アプリケーション開発費用として投入してきた開発費用という成果を資産とみているのか、負債とみているのかは微妙なところでもある。いずれにしてもドラスティックなスマートな判断が下せるような日本企業は存在しないのも事実で、破綻した決裁機構の判断なきままに現在の方策を負債と認識した上で現場は動いていくのだろう。ポータブルゲームセットを凌ぐグラフィックス性能をシングルチップで叩き出してきた技術の積み重ね自体に誤りはなく、視点を変えたAPIの拡充が尤も重要なテーマとなっていることを認識していくことが我々の課題でもあるようだ。YAMAUCHIの謎ではないにしてもアプリケーションプロセッサとの処理分担をどのようにするのかについては、意外な答えが待っているのかもしれない。逆に言えば、アプリケーションプロセッサを使ってきたお客様が考えている付加価値は自身のクラスライブラリの移植するために必要な期間との算段なのである。

YAMAUCHIの謎を知っているのかどうか、このお客様に問いかけることはしない。お客様自身が考えるというあるべき姿についての叩き台についてのコンサルティングに向けて私自身もアーキテクトの端くれとしてオプションを揃えたいと考えている。技術的な最良解が見つかったからといって決裁機構の破綻したお客様が選択できるとは限らないからでもある。いずれにしても日本の通信機メーカーをここまで貶めるにいたったのは通信キャリアのビジネスモデルの誤りなのか、ソフトウェア開発管理の失敗なのかはまだわからない。こうした実情を知らずに国のトップがOSのことを論じていたりする姿をみるとサポートしている見識者の方々にも見せないこうした組み込みソフトの背景は、本当に闇の中にエンベデッドされているようだ。デジタル家電を持っているメーカーは少しは潤ったボーナスが出るという景気上向きの状況のようだが、埋め込みソフト技術者がビジネスモデル自身に埋め込まれてしまっている状況からの離脱を考えなければ自身のビジネスの将来を考えられないのだろうと思う。

業界独り言 VOL253 オープンな組み込み開発とは

オープンなものを使いたがる最近の風潮からなのか、組み込みでもLinuxは贔屓にされはじめているらしい。まあ納入先であるお客様から仕様を提示されて使えといわれると断れないという背景も手伝っているようだ。ソフトウェアハウスが中々自立できない背景としては、まずは開発受託という契約のなかで守秘義務や、開発成果物に関しての版権の帰属などの扱いが発注元に残るなどのことがあげられる。開発環境としてオープンなものを利用したからといって、開発スタイルから要求されるクローズな運用形態から、右から左に成果物としてのライブラリなどを自らのものとして提供したりすることが出来ないのである。結局仕様書を起した開発依頼元が営々と保守作業を開発先に依頼し続けるといった形が組み込み開発の一般的な風景となってきていたのである。無論そうした管理作業や企画作業といった高位な開発分担といったものを集約するような自社系列ソフトハウスといったものを擁して柔軟な対応を目指してきた会社もある。

インテグレーションでのトラブルなどを開発現場で見ていると端末メーカー自身が構築するプラットホームというものの難しさというものを具に感じる。多年の経験をもとに蓄積された技術として行われている端末メーカーもあり、開発スタイルとしては少しずつ仕様を市場にあわせてシュリンクダウンして一回の開発成果をグリコのように一粒で何度も美味しいといった仕事の仕方を率先垂範しているところもある。今、そうした端末メーカーは収支も改善したうえでユーザーの好感度も高いといった順調な滑り出しに移行したようにみえるところもある。苦労した開発成果を大事にしていくということは、ひとつの答えでもある。昔からの伝統的なアプリケーション構造から踏み出せないという端末メーカーもある、複雑怪奇とも映る多岐にわたる端末の操作仕様なるものが通信キャリアから提示されているからであり、通信キャリアから提示される新たな機能追加を、ことのほか恐れてしまうのは操作マトリックスの次元が増えてしまうからなのだという。

そうした足枷のない開発というテーマがあれば自由な形で理想的な開発に取り組めるのではないかと考えるのは無理からぬことであるが、自由市場として国内の携帯端末が志向できるのかというと、いままでの通信キャリアが企画した端末群に合わせて出荷していくというビジネススタイルにどっぷりと浸かってしまった会社の動きには合わないようだ。通信キャリアから独立して自社端末を提供販売していくという事態には、端末電話番号の自由化以降でないと実現できそうもない。まずは会社としての業績拡大あるいは確保といった視点で考えていくと子供が減りつつある現状の国内のみをターゲットしていくには事業としての将来が見えないという背景があり、国内の市場規模に合わせて身の丈をあわせるか、。欧州や中国といった市場に向けて進出していこうとするのには、価格も機能もバランスよく効率的に開発が進められる必要があり、国内のような足枷もないことから自由な開発をしていこうという動きが出てきたようだ。

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業界独り言 VOL252 今時の仕事の中から

時間が足らない・・・と追われているのが、業界の渦中の原風景といえるだろうか。お客様を回っていても、余裕のある風景に出くわさないのは開発競争のせいなのかぎりぎりを追い求める姿ばかりが目立つ。会社での生産活動というものが、半年あるいは一年という周期での成果をも求めているからなのだろう。春から参加した仲間がいみじくも言うのは、「前の会社では先に帰るのが気が引けるという雰囲気がありましたよね・・・。」ということであり、実際問題、お客様の声からもそうした実情が日本中に蔓延しているように思う。そうしたお客様の感性から、朝早くにきて五時には帰り始めるサンディエゴの仲間のサポートを不満に思うのはいじめられっこの反感なのだろうか。お客様の支援を続けている上で、彼らなりに一生懸命サポートしているのに、生活習慣の違いや考え方の違いで反感や不満を吐露されてしまうのは致し方ないことなのだろうか。

コミュニケーションの壁と感性や習慣の壁が立ちはだかり、責任を負わされて出張させられているお客様にとっては精神的にタフな時間のハザマで不満となるのだろう。予め出張訪問の目的を提示された中で、その内容として米国にきてこそ成果の上がるということで我々が支援してきたわけであったのだが、当初の目的が果たされても彼のミッション以外の懸案事項のパイプ役として米国に残させることになってしまったようだ。我々にしてみれば、まったく意味のないことであるのだが、日本の会社ではよくある風景なのだろう。世界中で動作する電話機の開発をしていく中で様々な複数の通信方式をカバーしていくという、いまの潮流でお客様自身も自国や海外で現地テストを繰り返しておられる。我々も通信方式毎に開発拠点を分けているので欧州や米国内でも各地に開発拠点がありサンディエゴに来ているからといって開発の全貌が押さえられるわけではない。ある意味でインターネットが私たちの組織としてのバスラインであり生命線であるとも言える。

お客様内部の組織の風通しの悪さを痛感することも、多々ある。お客様をある目標に向けて邁進されているモノリシックな集団と捉えている私たちの仲間からは「Why?」と投げ掛けられる事例に遭遇する。ハードやアプリ、プロトコルといったお客様内部の組織同士の壁が、露見するのは納期期限といった極限状況だからともいえるのだろうが、意味もなく「管理者のみを出来るまで帰ってくるな」と派遣したりするのはまったく理解できない。ロジカルにエンジニア同士が意見交換をして問題解決をしていくというのならば、意味がある出張派遣なのだが・・・。端末開発経験がないままに、技術者としての感性も薄いままにコミュニケーションもままならない中で責任を持たされて派遣されてくる姿をみていると悲哀を感じざるを得ない。新規な市場に向けた端末開発を、自らの経験もなくすべてモデムチップメーカーに求めてくる姿には大いなる疑問を持たざるを得ない。3Gで破綻した端末業界の中でブイブイと仕事を進めているメーカーであれば、いかようにでも人材補充が果たせるはずなのにオンブにダッコで済ませようというのは・・・なにかボタンの掛け違いと感じる。

そんな仕事の状況を忙しいからとだけ捉えているのでは、私の職責範囲からいえば不相応であり次に向けたお客様へのコンサルティングとしても含めて提言をしていくこと改善していくことが必要なのはいうまでもない。インクリメンタルな開発をネットワークよく進めていきたいというのが我々が考える姿であり、基礎技術の開発母体である自分たちのあるべき姿と、利用されるお客様からのフィードバックも含めて我々が期待するアプリケーション開発母体であるお客様のあるべき姿については、日常の仕事の中から要求をしていくのは我々の仕事でもある。東アジアのお客様が、熱い血潮をたぎらせて要求してくる内容に応えつつも、無理無体な要求の行く末が待ち受けているのは自分たちの仕事としてのメンタリティの破綻である。サンディエゴにいる日本人の仲間を交えた電話会議などでは、米国の感性で語る日本人に向けて言葉じりを捕まえて苦言を呈されることにも遭遇する。そんな中で、青色LEDの中村さんがいみじくも呼ばれていた「スレイブ」とは日本的な仕事の進め方の中での技術者の位置を示していることなのかも知れない。そうした技術者から要求される内容に応えろということを追及していくと「我々はお客様のスレイブではない」といった仲間からのリアクションに遭遇するのである。

我々の技術を求めて開発に利用していくというお客様に向けて、正しいメッセージを送ろうとすると会社としての真摯な仕事の仕方を伝えることではあってもローカル言語でのみコミュニケーションをとろうとするような仕事の仕方を強いるお客様に対して、前向きな仕事に捉えにくいという事情まではなかなか理解されない。コミュニケーションを自らとられようとしないお客様に向けて支援していくことは、そのお客様の将来に向けても甘やかした仕事として毎回翻訳したりしたからといって改善されないのが最近の若い技術者の風潮のようにも映る。外注会社の技術者たちとのコミュニケーションのみに没頭して、ソースコード設計者との真摯なコミュニケーションをとらずに自分たちの理解あるいは誤解のままにソースコードを改版して利用できるようにだけしていく姿があったりする。彼が次の機種でどのような形でリーダーシップを発揮するような技術者に伸張できるのかどうかは、いまは分からない。我々の仕事は、彼らの言葉と開発者の間のコミュニケーションコンサルタントといえるのかもしれない。我々を利用されずに自らの殻で仕事をする限り、我々が提供できるサービスグレードが次の段階に上がっていくことはない。

製品開発を仕上げていく上で、さまざまな問題が起こるのはままあることだと思う。しかし、同じような開発を続けていくのであればだんだん慣れて前向きな形で学習成果とてもいうようなものが出てくると期待するのは間違いなのだろうか。システム全貌が見えるような技術者が不足してしまっているのは、通信システムとしてのバベルの塔が到達した成果からなのだろうか。何かの問題を解決しようとして、とりくむ提案などが想定する新たな課題あるいは過去に検討した課題について想いが次々と巡るのがシステム技術者としての姿なのだが最近はそうした技術者はいないようだ。システムエンジニアという職種を我々チップ部隊が抱えているのはシステム開発という中で必要だからだ。システムエンジニアがタイムラインを設計しシミュレーションを重ねてきた検討のうえに現在のハードやソフトがあるのだから、そうしたベースに起因する問題があればシステムエンジニアを巻き込んでいくことが必要なことである。製品の問題解決などをしていくうえで、そうしたシステムエンジニアが現地に実際に飛んでいき解析をしているのも普段の風景でもある。

そうした光景を間近にみつつ、自らのスキルアップにマッピングしていける仕事がサポートエンジニアである。システムエンジニア、DSPエンジニア、ハードウェアデザイナ、各レイヤごとのソフトウェアデザイナといった様々な職域の成果であるリリースされるコードを評価するテストエンジニアはスタンダードに精通したうえでコードのレビュワーでもある。問題点の指摘とともに現場での確認のなかから生まれる時機をえた修正データなどのフィードバックがデザイナーに渡っていくのである。急がしい仕事ほど要求される仕事の質が高めることを求められ、デザイナーたちとのやり取りの真剣さも半端ではなくなってくるRFのタイミングや性能の課題を解決していくためにはRFシステムをお客様が改版してきた流れを理解したうえで、適切なソリューションを提案していくことが必要となる。無線のわかるソフト屋が必要なのはこうした状況からも切望するのだが、最近の状況をつぶさに知っている最近ジョイントした仲間からは、「いまは、そうした技術屋さんはいませんよと」切ない答えが返ってきた。まだロジックアナライザを駆使して仕事をするようなソフトウェア屋ならばなんとかなりそうな状況ではあるらしい。これも、またまれなことであるらしいが・・・。

仕事に疲れた、若き管理者が出張先の米国で自らの仕事を貶めて時差の国で担当者としての仕事範囲に没頭してしまうのは、ある意味で仕方がないことなのだろうか。プレイングマネージャーとして自らの専門と管理業務の両立を果たすには時差越えの仲間たちとのコミュニケーションギャップに悩んでいるという状況も見え隠れする。電機労連で決められたとおりに米国での運転禁止をそのままに実現されているお客様を元気付けたりするためにも米国の陽気な食事に連れ出したりするのも私たちの仕事でもある。1パウンドバーガーと洗面器の如くに盛られたシーザーズサラダを平らげたりする姿を見ていると少しは安心したりするものの、米国に送り込まれて四週間あまりの若きリーダーに期待されているリーダーシップの姿は中々電話会議越しには聞こえてこない。これでリーダーシップを発揮されて自らの予定計画なども日本からの指示ではなく発案してきぱきと我々に指示を出してくれたら、彼の滞在期間ももっと短くて済ませることが出来たのではないかとさえ思うのである。そんな活躍をしてくれる彼ならば、我々は仲間に迎えたいと考えもするのだが。

3Gに憑かれたような印象のメーカーがある、日本やアジアのメーカーの台頭を恐れてマイスター制度などの隠れ蓑を使い認証試験などの手間を取らせて自国域の利益を確保しようとしてきた歴史がある。日本のコメ保護と同様な世界がそこには見え隠れしている。オープンな規格と称しながら、自社のインプリメンテーションやノウハウをオプション選択として多様な自由を認めてしまった。そんな3GPPの世界がスタート出来ない理由はそうした歴史を紐解けば明快だ。自らが複雑化したパズルを解けなくなってしまった・・・そんな印象が現在の3GPPにはある。開発の複雑さと多様な基地局との検証試験の組み合わせをカバーできるメーカーは、いなくなってしまいそうだ。チップメーカーとしての旗揚げを期したメーカーもプラットホームに冠した名前の影響なのか親会社の経営状況を反映して、破綻寸前という事態に陥ったようでもある。長続きはしないと言われてはいたものの、国内メーカーに期待されたその姿は、ある意味で別チップメーカーからの反動だったのかもしれない。

端末開発の世界をクリアーにしていくためにチップメーカーに期待される姿は、単なるモデムチップではない。リアルタイムのモデム世界とアプリケーションの共存を果たす匠の技となってきた日本の端末作りではなしえなくなってしまっている。バイナリーなマイクロソフト的な世界の実現か、あるいはマイクロソフトそのものとの共存なのかいろいろな未来は描かれている。なぜか日本のメーカーが選択しようとしていくものが悉く破綻してしまっているのはなぜなのだろうか。結局のところ戻る先の有望な未来像は、TRONだったりするのかも知れない。理想郷に憧れるままに現実世界との乖離をしてしまった結果が、チップメーカーの破綻だったり、ライセンスフリーなはずのカーネルが、その技術集大成の歴史からみた保証に起因するライセンス縛りなどが起こっている。日本のメーカーの技術管理の弱さが露呈している結果なのかもしれない。まあ政府にも大きな責任はあるだろうし、そうした政府に入れ知恵した愚か者はどこかに消えてしまったようだ。気がつけば、スーパー301を打ち出したメーカーとの協調路線が始まりそうな事態のなかで、また泥仕合のなかにいるのはなぜなのだろうか。

「毒食らわば皿まで・・・」と居直る日本メーカーが増えてきたのは、こうした現実世界のなかでビジネス達成のための方策として認識が高まってきたことが要因だろう。嫌われ者の烙印を押されてきた立場から、ソリューション提供者の立場への変遷が始まろうとしている姿にこそ本当の意味での3Gの時代が始まるのではないかという感触がある。TRON+Windows的な姿に世の中が動こうとしている中で先取りをする形になったソリューションにはワンチップソリューションがあり、無論、内部2チップでのまさに+Microsoftの世界も到来するのだろうか。世の中を危惧するまでもなく、国内のメーカー技術者の技術力低下傾向は目を覆うばかりであり、こんな状況のなかでメーカーがオリジナルでプラットホーム開発を推進できる時代ではなくなっているのかもしれない。そうなると出入り業者として下請けに甘んじてきたソフトウェアハウス自体が自立して設計推進できる環境を目指しているソリューションは時機を得たものといえそうだ。メーカーに出来ることは商品企画だけで、管理のみに追われて技術を見失ったメーカーを頼らずに拠り所となるプラットホームに期待がかかるのは責任重大な事態といえる。しかし、そんな仕事の楽しさを理解してもらえないのは通信メーカーの現状に甘んじている技術者の保守性からなのかもしれない。若い時期に適切な指導と仕事を得なかった不幸な技術者たちともいえるのかも知れない。

ある通信機メーカーのソフトハウスの黎明期の立役者ともいえる人物が仲間に加わりそうな状況になったらしい。彼は、当時のソフトハウスの担当分野ではもっとも手薄な分野に二名で臨んでいたうちの一人であり、もう一人のエンジニアは不遇の事故で亡くなっている。彼自身が立ち上げたころの時代は自動車電話と呼ばれていた端末開発が携帯に変わりゆくなかで、現代の開発スタイルの色濃くする中でマイスター志向ともいえる彼の感性は合わなくなり転職することになっていた。というか独立して自身で会社を興してフリーランスでさまざまな仕事に取り組んできたのは彼のすごさでもある。そんな彼が、あえて仲間に入ろうというのは、こうした携帯ソフト開発の革新が起ころうとしている事態を具に感じて、自分の技術経歴の集大成としてそうした事業を達成することに参加したいということらしい。五年がワンセットと呼ばれるこの会社でのこれからの五年間はまさに大転機のソフト開発の嵐になってしまうのかもしれない。この一文を書いている間に国内外の出張を3セットこなし四週間あまり過ごしてしまう濃い時間だった。

業界独り言 VOL251 明日の開発の仕事には

開発支援をしながら、五年目に突入した。来年起こるだろうソフトウェア大恐慌時代を前にして、少なからず前向きに生きていきたいという思いがこれからの一年に私自身に問い直しを迫っている。自己矛盾するような仕事をしているのでは・・・と人から言われるような仕事をしているように見えるらしい。ある意味で私自身も仕事の流れにながされているのかもしれない。ただ、ある意味で日本メーカーが進むべき道を示しているのではないかという自負はある。日本メーカーが諦めてしまった技術追求をしていけるのは、我々自身であり、そうした結果こそがソフトウェア大恐慌時代を越えて生きるソフトハウスや通信機メーカーに光明をもたらすのではないか・・などといまさらながらのドンキホーテぶりに自分で書きながらあきれ返ってもいる。

13年ぶりに日本に帰国したという知己のIさんを囲んで食事をした、集った仲間はみな彼と仕事をしてきた戦友である。今、彼は新しい任地に向けて赤紙で召集されたばかりであった。とはいえ少し前に聞いていた話は、行き場所がなくなってしまい英国に残している家族との生活が維持できなくなり新しい生活を考えようとしていたということだった。おなじ会社の中で新たな酒造りを別の任地で行うために欠かせない人材として彼を考えていたのは偶然の所産なのか計画だったのかは神のみぞ知る。ある意味で、その日に集った仲間は組み込みソフトウェア開発というビジネスモデルを立ち上げつつ成果を残しながらも変容する業界の流れの中で自己矛盾をきたして戦地を去っていった者ばかりであった。集った仲間と話をしていると戦争の話に終始するのは致し方ない。竹槍で戦ってきた時代を通して技術を学び、米国の先進技術を学んだりしてきた仲間だったからだ。

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