業界独り言 VOL290 プラットホームの行く末には

昨年の冒頭に内心考えていた、年内の独り言の300号達成という目論見は達成できなかった。残念だが、確かに最近低下してきた最近のアクティビティは寄る年波のせいだとは考えたくは無いのだが・・・。Quad社の私がある意味で精神的に疲れたりしているようでは、本当に大変な仕事に邁進されている知己たちからの毒殺でもありそうな状況である。まあ冗談は抜きにしても、最近ようやく噂の端末開発を終えようとしている仲間たちを囲んだ新年会でも企画してはいかがでしょうと労わるメールが届いたので、早速賛同者を募る旨のスレッドを掲示板に立てたのだが、果たして何人集まることやら。

プラットホームという言葉が最近の3Gを取り巻く環境では、通信キャリアも端末メーカーもチップセットベンダーも皆が口を揃えているのだが、興味深いことが最近起こった。Quad社においてチップセット評価用の端末を製造していることは、ご紹介したかも知れないのだが最近のプラットホーム展開の中で特に指名されているわけでもない。一つの実装例として、ここまでの機能がありますと紹介するあるいは機能確認をフィールドで行うための端末ですということで通信キャリア向けに提供しているレンガとも呼ばれるような無骨な大きさの端末であった。実際にメーカーが物づくりをしていくうえで、ある意味で実装サイズからも参考になるようなものでは決して無かったのだ。

いま、とあるメーカーが中国のデザインハウスで設計した端末は、リファレンスデザインを踏襲しつつも、そのコンパクトな形状ゆえか、そぎ落とした機能美というべきなのか3Gのテレビ電話としての機能を搭載した上で基本を抑えた挑戦をある意味で行なった成果でもある。この端末が、通信キャリアなどで評判が良いのである。実際にみてみるとQVGAサイズと映る液晶のサイズも実際の解像度はQCIFでありQuad社のリファレンス端末同様なのである。しかし現物として出来上がりでいえば満足のいく仕上がりである。無論、大味な仕上がりだという声もあるだろうが、完璧に仕上げることにとられていて品質過剰として、実際の商機を逸するような正気の沙汰とは思えないような状況よりは遥かによいと思うのだが。

ざらついた仕上がりという感触について、おそらく国内のメーカーでは耐えられないということなのかも知れない。機能は前よりも高く、完成度は高く、納期は限られた範囲で仕上げて欲しい・・・。そんな状況の中で、慣れてきたプラットホームからの切り替えを迫られて物づくりを進めていくことになり、以前以上の結果を求められているのは無理難題ということかも知れない。携帯電話の開発効率を高めるべく進められるはずのプラットホーム切り替えでありながら、足枷のごとく捉えられているということではないにしても、協業という形で分業してでも仕上げていくということになるのだろうか。エンドユーザーからは見えない、開発方法論の差異などは、ある意味で機能追及が停滞しているというふうに映りもするだろう。

ある通信キャリアがLinuxを採用すれば、自社も追従すべきかと考える通信キャリアも居るだろうし、「オープンソースが望ましい」というフレーズだけを取り上げて開発方法論の切り替えを求めてくるような短絡的な意見まで出てくる次第である。国内の通信キャリアからWindowsでやって欲しいと言われないのはVirusなどで懲りた経緯なのかどうかは不明であるが、モデムもクローズでアプリもクローズでは開発に収拾が付かなくなるということなのだろうか。携帯電話と事情は違うものの、政府のオープンソース路線に引きずられて単なるWindowsのライセンス料金などの問題のみにフォーカスして、あたかも安いシステムが構築できるということでシステム構築しようとしてきた流れの中で現実のアプリ開発が停滞している事実もあるようだ。

結局のところ、windowsベースで構築してきたアプリをJAVAやLinuxで置き換えていくことの本質としてアプリ開発が利用してきたWindowsAPIの代替案がないことのようだ。オープンソースで成功してきたという事例があるとすれば、自らがクリエイティブにアプリすらも開発していくというスタンスの仕事かもしれず、最近のCGベースの映画製作などがそうした事例になるのかもしれない。となりの芝生ばかり見ていても仕方がないのだが、携帯電話で最近起きているプラットホーム切り替えの選択をしたメーカー同士が結託いや協業するというのも、従来のプラットホームで構築してきたライブラリ整備をするために要した開発コストの共有いや分担が目的なのかも知れない。協業しているという会社にしてみても、多様な可能性の追求をしているのも実情のようだが、ふっきれた開発を出来るのかどうかはリーダーの資質と自由裁量を許す社風なのかどうかによるものかも知れない。

開発がある程度見えてくると、社内の競争相手との弁論合戦に移るらしく自分の論陣を張るための資料要求などが出てくるのも致し方なたところだろうか。欧州向けということで他社チップセットを選択してみたところで、かならずしもスムーズに開発が出来るのかどうか別問題らしい。ある意味でWCDMAのOEMメーカーから嫌われ者の烙印を押されている観のあるQuad社のワンチップソリューションを選択して評価するメーカーなどの場合には、ローエンド向けとしての位置づけで評価するということでしか、始められないというのが実情なのだろう。結果としてミドルクラスの端末機能が出来てしまったりすると、その会社の中での暗雲が立ち込めたりするのは日本メーカーならではの政治的な風土などがあるからなのだろうか。両天秤に掛けるという裁量があるのならば想定されたケースの一つだと思うのだが・・・。

正月明けとはいえ、新年度に向けて各メーカーや通信キャリアが新たな展開に向けて色々な要望が出てきているのは、勢いのあることでよいことだろう。ようやく世の中にはLinuxやSymbianの端末がメジャーリリースを始めていて、これから続く世の中のベースとなるのかどうか興味深いところでもある。知己の会社のSymbian端末が欧州モデルとしてリリースされたという記事があり、昔携わっていた同僚に確認すると永い開発期間を経ての成果だといい、自助努力で販売するしかないのだという。開発期間の短縮の先鋒として登場してきた携帯電話専用のOSを利用しても時間が掛かってしまう現実には、なにかビジネスモデルがどこかで間違っているのではないかと思ってしまう。チップメーカーが、そうしたOSの組み込みまでをサポートしたとしても実際の物づくりの過程で必要となることには移植組み込みだけでは済まされない事情があるようだ。

かつては、プラットホームの移植や評価を星の数ほどしているのではないかと知己には冗談をいっていたのだが、実際にそうした全方位外交をしていたようなOEMメーカーも、少しずつ実際の端末を着地リリースさせつつということが求められていて膨らんだ仕様の実装解決に苦労を続けている。現在のモノリシックな構成ではなく、OS9やQNXのような動的な真のモジュール化を達成できる構造などを目指していくというのが流れの一つだろうし、これまでのソフトウェアアーキテクチャーとのシームレスな移行を提案できるような仕組みが無ければ、知己たちの期待するプラットホームとはなりえないのだろう。国内トップのキャリアもマイクロカーネル仕様であることを要求仕様に打ち出す状況なども含めてプラットホームベンダーにとってはチャンスあるいは転機の年となるのだろう。多くのユーザーや実装アプリを抱えている現在からの移行や、より魅力的なアプリ開発に向けての新技術提供が期待される新年となりそうだ。

新年早々に、中国のお客様のサポートに訪れてみたものの、半日のミーティングの後は、何故か西欧人ばかりが客となっているタイ料理レストランでお客様と夕食をとることのみになった。帰国のフライトが早かったので、折角ホテルで用意されたフルコースのアメリカンブレックファストも食べることが出来ずに空港のラウンジでカップヌードルを啜るという残念な経過となった。駅前の立ち食いそばやで食事をとっているような状況を解決して、もう少しゆったりと、しかし確実にテンポよく開発を進めていくための支援をしていけるように今年はしていきたいと思うのである。四回も北京を訪ねてサポートをしているのに、いまだ、天安門広場も故宮も見たことがないのである。UMTSのみならずCDMA2000もサポート対象としてプラットホーム依存部分の仕事を中核にすえるという自身の体制変更もあり、今年は相当に変化のある年になりそうである。知己たちとの新年オフ会なども楽しみにしつつ頑張っていきたいと思う。

業界独り言 VOL289 この指とまれ

不況の中で、携帯業界も様変わりをしつつあるようだ。正確には携帯業界が不況だとは思わないのだが、世の中の仕組みの変化に追従できずに対応しかねているということだろう。チップ作りを生業にしている人にしてみれば、毎年とにもかくにも端末切り替えをしてくれる市場がどこにあるのだろうかということにもなる。無論そうした端末切り替えを支えていくための機能実現やコストダウンの要請が厳しくなっていくのは当たり前の話であり、その為の技術追求や研究が各社で為されてきているはずなのである。単なる件名消化のために、協力会社の技術やリソースに頼って作り上げるような仕事の仕方が通用するのは建築業界くらいのものではないのだろうか。携帯バブルの時代といわれていたときにはそうしたビジネススタイルも許容出来たのかもしれないのだが、そんな時が長続きするはずも無く沢山の開発を通じて、育成してきた社員リソースを駆使して最新技術で物作りに邁進していけば良い・・・はずですね。

まあ、開発リソースの投入の仕方が変わってきたように映るのは今年に入ってからの傾向でした。従来であれば、端末メーカーとの仕事に忙殺されているはずのソフトウェアハウスの仕事が、ミドルウェアベンダーなどに移り変わってきていたからです。ソフトウェアハウスの方が横展開あるいは新規事業的なアプローチを始めているのも、そうした表れなのでしょう。実際に新しいビジネスを模索しつつ、新たな開発を通じて、新たなスタイルでのデザイン成果一式を売るといったことを始めている事例などが始まっている。いわゆる、「この指とまれ」といったスタイルであろうか。横展開を自在に操ろうとしているベースには、デザインハウス自体がチップメーカーとの間でソフトウェアのライセンス契約を行い、自らの手で評価設計を行い顧客のニーズに基づきカスタマイズを受注するというモデルになる。さらに進んで生産をEMSに委託してその生産システムの為のソフトウェアまでも受託するといった動きもあるようだ。

実際にそうした、真っ只中でのサポート仕事を通じて国内への波及は来年からかしらと思っていた。北京に赴いてそうしたスタイルで開発されているお客様やデザインハウスのサポートを先だっての週末に行った。急遽の金曜日のミーティングだったのであるが、案の定半日では済まずに翌土曜日もデザインハウスでのサポートをすることになった。急な延長で土曜日の夜は予定が空いてしまったので、北京で仕事をしている別の端末メーカーで働く知人と夕食をとることになった。およそ10年ぶりの再会ではあったものの互いの過ごしてきた時間のギャップを埋めつつコーヒーを飲みつつ談話となった。北京で3G開発の仕事を進めている知己にとっては、やはり前向きな開発を進めているベンチャーデザインハウスからの打診なども受けていたようで時期などを確認してみると、国内メーカーとの仕事受注が確定してからという時期に符号していたようだ。色々なチャンスで前向きに仕事を広げるための画策をしている姿はベンチャーらしいといえる。

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業界独り言 VOL288 横浜事変

国内で相も変らぬ通信キャリア間の開発競争を続けている間に、開発成果の実を挙げている新しい開発の流れが海外で立ち上がろうとしているようだ。端末開発という仕事が、共同開発をしても採算が取れなくなってきている国内の事態とは何が異なるのだろうか。開発費用という観点で追求してきた流れが共通プラットホームの上でアプリケーションの流通を図ろうとしている動きと、現実にはすぐに選択できない方法論を実証実験として取り組んでいる動きなどを巧みに織り交ぜている会社もあるようだ。無論成果がよければ切り替えていくための開発投資という見方をすれば積極的な取り組みであると私には見える。現在に流されたような仕方で開発を進めているような仕事のみではエンジニアのリサイクルが必要になるだろう。

開発管理という意味を追求していくことには、真の競争力を追求していくことにリソースを最適化していくということに他ならないのだろう。開発の主要メンバーが中国に移動して渇をいれながら新たな開発協力会社を育成していこうという仕事も一つの方策である。国内の状況だけでは見えてこないこうした様々な状況を正しく社内に展開して理解が得られているのかどうかは別の意味で技術管理としての課題である。社内エンジニアが自社の開発方針、技術指針に対して疑問を投げかけられているような事態となっているのでは勿体無いのである。リーダーエンジニアからのアラームが経営陣に届かないでいるような事態はありえないはずだ。

まったく自社リソースを掛けずに協力会社のリソースのみで開発の新しい姿に挑戦しようとしているのも凄いことだ。国内での開発管理経験を適用して、アジアの技術開発協力会社との協調に取り組んでいる。プラットホーム提供元との接点を国内の子会社を通じて行なうことが必要なので、なかなか主体的に取り組めなかったりするのは課題でもある。アジアの技術開発協力会社がODMメーカーとしてデザインを提供するというスタイルが始まってきた。CDMA2000もUMTSも実際の商品が出始めているのだが、いずれも中国からだ。まだまだ日本のメーカーから見れば稚拙に映るのかも知れないが侮れない事態だと理解するべきだ。彼らは、開発実績と低価格を武器に多くのクライアントにデザインを共有提供しつつ、更なる独自の技術蓄積を果たしていくことが出来るからだ。

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業界独り言 VOL287 簡単なことが難しい

師走を目前にしてサンクスギビングやクリスマスカード、年賀状の手配といった行事への対応が要請されはじめる時期となった。日程を押して徹夜をしてまでのサポートに嵌ったりしているのだが、どうにも簡単なはずのことが中々出来ていないということばかりである。確かに様々なお客様が取り組んできたバラエティに富んだ端末やソフトウェアを見ていることから、隣の芝生が青く見えてしまうキャリアや参加してくるお客様が増えてきていることも事実なのだ。誤解ではないにしても、理解不足な点は否めないのは事実だろう。全てをQuad社が実現している訳ではないし提供している部品群の上に立脚して今までもミドルウェアを移植実装してきたOEMメーカーでの地道な実績やノウハウがあってのことである。そうしたノウハウの全てをQuad社が知りうる筈もないのである。差別化の部分というか、お客様のカスタマイズの範疇としてきた部分には、お客様の範疇の仕事があり、プライスレスな今までの成果というノウハウの部分となっている。

Quad社が提唱してきたバイナリー環境の認知度も高まりを見せてきていて、お客様のアプリケーション設計を全て賄えるところに届こうとしている。チップ事業部が提供しているソフトウェアパッケージも呼応する形に変化してきているし、最近の新しいお客様の求めている姿は新聞紙上を賑わすような、自社開発路線からの切替などを機軸に出来る限りアウトソーシングの上で製品開発が達成できるようにという彼らの姿からも窺えるのである。とはいえ、日本の携帯端末の奥深さをQuad社だけで達成しうると考えるのは早計でありミドルウェアメーカーとの連携などの上に拠って実現されるものとなるのは明らかである。お客様自らの社内の経験値やノウハウを利用して自社開発していたのではコストが合わないということであれば、アウトソーシングしていくなかで如何に活用できるのかという点が鍵となるはずなのである。日本の携帯端末開発地業界では、既に自社仕事という内容事態が衛星会社を通じての実務となっていて事業推進母体となっている親会社の指導だけでは活用が難しいということになるのだろうか。

なんでも出来る限りのサポートをして欲しいという要請が出てきたのは、中国向けの端末開発を検討しているお客様からだった。まあ世の中に残された大きな市場というもの自体が中国にしかないというのも事実なので、新しい市場に向けて新しい仕事の仕方で臨みたいというのは自然な姿だといえるのだろう。理想を掲げて、管理のみで新たなビジネスを立ち上げられるのかどうかはお客様のお手並み拝見という所でもあるものの、サポートする立場でいえば通常のお客様以上のサポートをどこまで提供するのかという点については戦々恐々としているところでもあった。新規な戦略提携としてのお客様開拓という目的に提示した内容は限られた内容であり、ドライバーのサンプル提供などで済むはずだった。自分達の分を超える作業については、拡大してゆく市場を見据えての適応策をとりつつの取り組みもQuad社が考えるサバイバルゲームへの対応だった。サポートしていく範囲がお客様以外にも広がってきたのは戦略的な取り組みといえるので前向きなりソース投入であり、けっして後ろ向きな取り組みではない。

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業界独り言 VOL286 匠の技にも限界がある

組み込み業界以外にも匠の技が多くあるのは日本の特質だったかもしれない。以前、欧州で列車の正面衝突が起こった際の事故原因を確認したところ、時刻表どおりに走ったら必然の衝突だったというオチだった。日本の列車ダイヤの正確性は、世界に誇るものであったらしい。最近の列車ダイヤ改正で、定期券でグリーン車に乗れるようになった。この一環でSUICA内部にグリーン券情報が書き込まれるサービスが始まったりとデジタルデバイトを進めているのが見て取れる。便利とは裏腹に、合理化でのコストアップを棚に上げて車内改札の料金アップをそれとなく始めてみたりといった状況である。確かに車内改札で1000円で駅で購入すれば750円なのだからお得だといえるだろうし、以前の方法論でいえば定期券の場合には切符も買いなおす必要があったのだから安くなったという意見もあるのだろう。

他方混乱している実状もあり、SUICAを個人用のIDとは考えずに財布だと思っている人たちにとってはSUICA専用のグリーン券購入機という端末がホームにあるのだが、これでは二人分のグリーン券を購入することは出来ない。便利そうで不便な機械を設置しておいて、デジタルデバイドされた人たちには、高い車内改札を選らばせるか、いったん改札を出てもらい切符を買いなおさせるのである。便利な仕組みであるのだが、融通の利かないシステムを構築してしまっているのが現実である。もっともスマートなシステムのユースケースに合う人であれば、SUICA定期で通勤していて疲れた帰宅ではゆっくりとグリーン車で座って帰るという選択をホームで行い、余分なチケットも発行されずに降車駅までの区間情報つきのグリーンデータが書き込まれたSUICA定期を見つけたグリーンの座席の上部のマークにかざすと降車駅までの間は改札無用のランプが点灯するのである。

こんな便利なシステムを導入しているのがJR東日本の最新車両なのだが、匠の技を駆使した最新車両とそのサービスを堪能できるのは、やはり匠の技で組み込まれたダイヤの間隙と貨物線の活用という大技で実現した湘南新宿ラインという形態になるのだ。幾つかの沿線を束ねて接続しているのが湘南新宿ラインの実体なので、昨今の不透明な世情や不順な天候などとが相俟って中々安定な運営が適わないという事実もある。二つの異なる系統のラインを結ぶのは所謂埼京線と東京メトロライナーが走る旧貨物線であり、宇都宮線と高崎線、そして東海道線と横須賀線という多様なラインを結んで実現しているのである。これだけ異なったラインが重畳して運営しているさまは緻密に組まれたダイヤの魔術師の成果といえるだろうし、人身事故や天候の影響を受けやすいのも事実である。現在の日本の不安定な世情で毎日のように人身事故が続いているような状況ではまともな運転は望めそうも無いのである。

ぎりぎりのスケジュールで組まれたダイヤで運転している状況で必要なことの一つには、突発事故などへの対応能力も求められている筈なのだが・・・。実態としては、平身低頭謝るホームでの顧客渉外担当と、謝る理由を新たに生み出す混乱した情報を撒き散らす運営だったりもする。なにかの事故で始まったダイヤの乱れに対して、どうも線路を借用して運用していると映るのは湘南新宿ラインになるようだ。「次の大船行きは、新宿を出ました」「いや、次に到着するのは新木場行きです。」「大船行きは池袋に到着しました」「大崎行きが池袋を出ました」・・・「大船行きは、池袋で止まっております」「湘南新宿ラインの運行は本日は見込めません」などといったい何が起きているのか判らないという状況で30分以上ホームに待たされているのである。事の起こりは、何だったのかは別にして何故このように運行できなくなるのかはシステムが出来ていないということなのだろう。折角買ったグリーン券情報が無駄になりはするものの走りそうも無いのであきらめた。

湘南新宿ラインに限らずギリギリで運営しているのは、端末メーカーやソフトハウスでもそうなのだろうと思う。何かの打ち合わせばかりが続いていると開発がストップしていたりするのはそうした事の裏返しだったりもする。まあQuad社にしても、そうした傾向が出てしまうケースがあるだろう。お客様のサポートとして米国にお連れして特急処置をしたりすることもあるのだけれども、その裏返しとして開発運行計画に支障が出たりしてしまうことになる。余裕が持たれて吸収できる場合もあるだろうし、個人毎の休暇スケジュールなどから折り合いが付かない場合も出てくる。無論休暇をとり家族との暮らしのために会社で仕事をしているというスタンスのメンタリティがメジャーなので、休暇をとるために自分の責任を果たそうと追い込み仕事を完成させていくという風潮もある。こうした感覚は日本の長屋的な雰囲気のメーカーには見られないと私は感じる。そうした感覚の技術者がいると浮いてしまいがちになるのだと思う。サービス残業でずるずると出来る人ばかりが仕事が集中してしまうというのはおかしいし、出来ない人が帰っていくのもおかしなものだし、中々日本の就業環境はぬるまったい感じがする。

突発事故が続き、まともな運行がままならないように見える湘南新宿ラインにも拘らず東急東横線の特急と勝負するかの如き広告を打っているのは可笑しなものである。まあ、お客様からそうした声がQuad社にも投げかけられているかも知れないので、地道に処理対応力を増やそうと画策しているのではあるが、なかなか必要なまともな即戦力の人材に遭遇しないのは何故なのだろうか。我々の要求が高いというのだと人事担当は言うのだが、果たして、ごく真っ当なエンジニアであれば採用出来るのにギャップがそこにはあるようで、このギャップを通り越すトンネル効果を期待するのにはエネルギーが必要だということになる。匠の技を伝承構築していく上に必要なのは匠の技を理解する素養のある人が一つの条件でもあるし、そのために必要なコミュニケーション能力である。最近の主体性のない若者のような感性では、いくら英会話能力に長けていたり、技術素養を示す一級無線技術士の資格などを保有していても仕事にならないという事態も目にしている。同様な世代の若者が、戦場に旅行してしまう時代なので致し方ないことなのかも知れない。今までの感性で人を判断してはいけないようだ。

開発メーカーの現場に居る方だとしても、開発から遠ざかり現場仕事としてのソースやビルドあるいはデバッグといった類から、システム仕様としての理解に必要な各種通信技術の規格の理解を時系列として理解できるような人ということを要求すると中々両立するような人に出会うことは殆どない。そうした方を擁しているのは、規模の小さな会社で取り組んでいた場合には見受けることがあり、発展を遂げていくと、そうした感性は失われて管理主体になってしまうのは、日本のソフト開発の実状なのだろうか。不幸にして、開発が取りやめられたりした会社で、閉塞感にさいなまれた人たちにめぐり合うと弊社としては有用な人材として活躍する場所が与えられるのだが・・・。お客様の会社の規模や会社のカラーなどにより中々、Quad社のようなベンチャー気質の会社との付き合い方に嵌らずに成果が出せないケースもあるのだが、そうした中でこちらから見て活躍しているように映る人材が必ずしも、その会社からの評価が高いとは言えないのも不思議なものである。会社の人事評価制度などについては、暴露本が出て叩かれている電機メーカーもあるようなのでうまく機能しているとはいえないのだろうか。

会社成績も好調な中で、まともな社員であれば皆昇給するのが当たり前というのは日本のメーカーの事例なのだろうけれども、そんな中でも成果を生み出さない社員に対しては、評価に応じて減俸にそうとうする昇給・ボーナスのゼロ査定という現実が外資としての姿としては見えてくる。まともな仕事をするという経験を持たずに、会社経験が過ごせてきた人にとってはQuad社は合わない環境なのだといえる。ゼロ査定が出た場合の意味には、次の半年で評価改善が見込めないときには好調な状況であったとしてもファイヤーということになる。退職金もないのが会社の仕組みでもあり、そうした自身の現実を対象となる人物が技術者としての期待値として何をするべきかが判らないのだとすれば、そもそもボタンの掛け違いの根は深いということになる。会社としては、求人も大変な中で優秀な人材として雇用した人物が機能しない場合には、なんとか使えるように努力するということも続けてはいるのだが、戦場に旅行してしまいかねない感性の世代には通用しないのだろうか。

人間的な素養という点の目安として、以前に既婚歴があるかどうかという点を考慮に入れようと考えていたのだが、そうした問題のある人物には共通してその点は合致しているようだ。とはいえ、まだサンプル数も少ないので基準化するのには早いものの、最近のレジメでは気になって見る点となっている。結婚などは、ある意味で勝負を打つという感性が必要な一大事業の一つだと思えるからだ。前向きに仕事をしていけるという点には、どこが前なのかは理解しているということが一つにはある。若すぎた人材の場合には彼が仕事をしているということが前向きと誤解している節がある。お客様にとっての成果を、会社としてのビジネスモデルの中で出していくように進めることが、前向きなのであって、進めた成果がなくては進んだということにはならないのである。年俸制の会社の中で残業時間あるいは規定時間分席にいたからという感性の人では困るのである。有用な人材であっても、採用条件としての適正に合わない人物の場合には悩ましい、まだ陣容が少ないなかでは中々研修時間もとれずに自立してキャッチアップしていける人を探しているのが実状でもある。

システムエンジニアという呼称がよいのか、コンサルタントという呼称が良いのか中々説明が付かない現在の仕事において、昔の職場の知り合いであっても中々伝えきれないものである。やはり、要望するスキルセットを持つ人物がいるのはベンチャー的な気風を持ちプレイングマネージャー的な仕事をこなされている方でないと難しいようだ。伝家の宝刀を何時でも抜けるように鍛錬を怠らないという気風の人などとの採用を今では次のステージに進めようとしているのだが、UMTSのリーダーとなりうる人材については溌剌とした感性でやっていきたいという強い希望を持たれる人を探している。日本の多くの端末機開発メーカーは匠の技を忘れて管理のみに走り、いつしか匠の技を理解できない状況にまで陥っているというのが現状であるように見える。端末開発に夢を語るでもなく、仕事として行なっているという姿が多いようだ。マルチメディア機能の実現などを果たしていく上でリアルタイムシステムのシステムエンジニアとしての感性や、プロトコルの理解などを合わせて活用できる仕事場と思うのだが、そうした仕事を封印してきた付けで人材の育成志向がそこから外れてしまっているようだ。

無体な要求をしてくる、お客様の姿をみていると匠の技の理解が不十分ゆえに出てくるのが背景だと思われる。どのようにチューニングしていくと達成出来そうなのかどうかということが理解できないのではないかと思うような実情に出くわし、東奔西走しつつ教育をしているような気にさえなってくる。これもお客様のサポートの範疇なのだが、そうして教育する対象の方々は何故か正社員ではない方々ばかりの様な気がする。20年近く、そうした仕事を前の会社で出来てきたこと自体が異様なことらしく、組み込みソフトという仕事をメーカーという立場で出来たのは幸せなことだったと思い返すべきなのだろうか。管理のみで実務をしないという選択に何故なってしまったのかという点については元々匠の技を理解できない人たちが決めてきたことゆえの必然の結末だったのかも知れない。今からでも遅くはないので、是非若い方達が管理に手を染めるにしても実務を離れることはないようにしていただきたいというのが経験値からの提言なのだが、匠の技にも限度があるということ位を理解できる程度には、感性を維持していただきたいものである。そんな感性をもつ私の敬愛する女性エンジニアが体制に反攻してベンチャー的な職場に転出していったのだが、彼女にはエールを送りたいのである。

業界独り言 VOL285 明るい日差しの中で

まぶしいばかりの日差しの中で、サンディエゴの港に面したホテルの庭でのランチを摂っている。年度末の会議・研修でのランチの風景であり、各国のセールス・サポート・マーケティングが一同に会する重要なイベントである。世界各地から呼び寄せられた100名以上のメンバーの渡航費用もともかくイベントしてホテルの会議室を四日間も借り切るという費用なども考えると大変な金額となるのだろう。普段は、電話会議や電子メールでやりとりしつつ機能しているビジネスもフェイストゥフェイスで関連者を集めるというスタイルで実施することの意義は大きい。こんな費用を掛けられる会社のビジネスモデルは、どこか普通とは違うのかも知れないが、実際問題としてチップセットの売り上げ・利益をアジアから大きく享受している事実は確かなものであり、そうしたメンバーを呼び寄せるのは一面当然かも知れない。

世界中の嫌われ者といった雰囲気だったQuad社を取り巻く環境も変わりつつある、提唱するライセンスビジネスモデルが認知されてきたというべきなのか。バベルの塔を推進していると思しき、国内トップの通信事業者との協業がアナウンスされてしまった現在としては、挙国一致といった雰囲気などが掻き消えてしまった現実を映し出している。そうした流れに戸惑っているのはQuad社自身にもあるのだろう、3G推進という切り口で第三号選択までも口にした後に、遭遇したこの奇妙なる展開を予測できていた人も少ないだろう。アンバランスを生み出したのは、五年前の手打ち以来ということになるのだろうが、最先端の中でのドラマティックな様々な展開で歴史を刻んでもきた。蓄積した知財によるライセンス費用などを技術投資に回しつつ展開してきた流れは、一面シアトルのコンピュータメーカーと同様に見られてしまうのかもしれない。

萎縮する国内キャリア向けの通信機メーカーとは異なり、拡大しつつある状況に向けて兵力増強として「自衛隊に入ろう」的なメッセージを発信しても平和安住志向の社会ゆえか反応はいまいちである。そうは言いつつもそれなりに拡張したメンバーの中には、国家資格ホルダーで高いTOEICの得点を持つ若いエンジニアもいる。しかし必ずしもそうした人材が、人財なのかどうかは別問題でもある。Quad社というタイトルのみに大会社的な印象を持たれて入ってきたという印象もあり、そのタイトルにマッチする人材になるべく努力するということが見えずに単にお客様との通訳サポートに終始していたりもする。お客様さまの言葉をそのまま仲間達に向けた言葉として伝えてしまったりしていることから、メンバーの一員であると認められないばかりか孤立してしまっていたりする。こうなると私も手出しが出来ない、成果が出ないとお客様からも見切りをつけられてしまう。幅広い技術で支えられている中でのサポートという業務のチームワークを活かすことが出来なければ、致し方ない。

要望されている質問の背景や、次の展開などを気配りして先手をうった対応をしていくというのが期待される姿なのだが、こうした気配りするという言葉の意味を、30にならんとしているこのエンジニアに教えなければならないのだろうか。新卒の学生を雇ったわけでもないのだが、彼の経歴からそうしたことを感じ取れなかった私達の人材分析力の欠如がこうした事態を招いている。この現実を前にして私達が学んだ大きな採用への条件とは結婚経験者でなければ雇わないという意見が出始めている。彼女あるいは彼氏を説得できないような人材がお客様の満足するサポートとしての気配りなど出来よう筈も無いのである。我々が少しずつ学んできた失敗の事例のなかで実は一番大きく見落としていたのは、こうした厳しい環境のなかでモチベーションを高く維持しつつ自分でキャッチアップしていける人材なのである。

そんな状況の中で、新たな人材発掘に向けて、門戸を開いてみると、逆に英語が大きな壁となってしまうようだ。英語が出来てもコミュニケーションの成立できない人材もいれば、TOEICの点のみにこだわりを見せるような気持ちに落ち込んでしまうエンジニアも居るのである。少しずつそうした候補者の人たちの気持ちを解きほぐしているというのが現状なのだが、熱き血潮の人材は日本にはいなくなってしまい、かぁっとなる韓国の人たちが伸びていくのは仕方の無い現実なのだろうか。解きほぐした成果かどうかは別にしても、経営トップに噛み付いて自己改革を始めようとしている人たちの気持ちに火をつけたりした成果も出ている。候補者を失ったという近視眼的な考え方ではなくて、端末メーカーとしての発奮につながり元気の良い開発を始めていただければ私達のビジネスにも繋がるはずなので、こうしたことはずっと続けていくべきだと考えている。

長い人生の瞬間の事象であり、航海を続けていく技術者にとって加速度を感じつつの生活を是非志向してもらいたいと思うのである。加速度を感じなくなれば惰性の人生となってしまい、少なくともエンジニアの姿とはいえなくなってしまうと思うのである。大企業に在籍しているからといってベンチャー的な仕事が出来ない訳では決して無いのである。失敗したあとに失敗しないために仕事に取り組まないというような閉塞した流れになってしまっている現代の状況を打破するのは、そうした事態のなかでの中間管理職の人たちが後進たちを認識して正しくナビゲートしていく心のゆとりを提示することでもあるはずだ。加速度を感じなくなった人生に見切りをつけて、新たな職場に転籍していく人もいるだろう、そのまま惰性で優秀な人材を活用できないでいることのほうが重大な損失である。活用できないが確保しておきたいというような気持ちでは会社は決して成功しないと思うのである。

明るい日差しの中で過ごした一週間の期末のイベントの締めくくりは、奥様あるいはご主人を招いての大パーティである。5000人を呼びホテルを借り切って行った夢幻のひと時は夜中の二時に幕をとじた。一年間の忙しい仕事を互いに支えた配偶者の方に仲間を紹介しつつ互いの仕事を讃えている時間は、この時間のために一年間働いているという気がしているほどだ。モチベーションを高めて最大の効率を出していくためには安い費用だともいえるだろう、こんな風景は、少し前の日本の企業でもあったはずなのだが切り捨ててしまってきたのは本当に無駄だったからなのだろうか。仲間との結束、モチベーションといった得がたいものを亡くしてしまい、仲間が転職して移っていくことで心を更になくして行ったりしているようにも見える。生まれ変わるために必要なことは、実は過去に学ぶと良い素材や方法があったのではないのかとつくづく思うのである。

果たして、来年のこのイベントの際に拡大していく情況の続報をお届けできるのかどうかは、まだ未知数なのかも知れない。Quad社のチップ供給能力が世の中の状況を左右したりするような状況が良いのかどうかは別にしても、必要なのであれば必要なだけ対応していくだろうということは今までの右肩上がりのQuad社の状況が示しているといえるだろう。忙しいだろうの一年の成果を、また暑い眩しい日差しの中でランチを摂りながら反省しあうということが続くように今年も一年頑張ろうと思うのである。パーティに出ずに帰国した仲間は台風の渦中に出会い、飛行機が成田に着かなかったり大変だったようである。パーティを楽しんだ人たちは、台風一過の青空から舞い降りてきたかというと台風で機体が米国に回らずに今日はロサンゼルスで足止めを食っていたりもするようだ。幸い選んだノースウェストは遅延のみで夜の内には帰国出来そうな状況である。来年も楽しみにしていきたい。

業界独り言 VOL284 次代に必要な支援技術者のDNAとは

なかなか、ビジネスが好調すぎる状況が続き、サポートの内情からいえば大変なままである。不幸なことにお客様のプロジェクトが順延したりしたのだが、サポートにとっては幸いだったので、この間に一気呵成に体制強化を果たそうとしているのだが、中々やはり決まらない。こちらから持ちかけるようなスタンスでは、私たちの要望する携帯開発支援というテーマを正しく理解してモチベーション高く嵌る人がいないようなのである。最初に掛け違ったボタンは互いに不幸の始まりとなるし、初恋は悲恋に終わるのも常なるかもしれないので致し方ない。最近のカスタマー増加は、国内ユーザーをほぼカバーするにいたりこれ以上の増加よりも、充実したサポートで応えられるようにするためにも適切な人材登用は最重要な仕事となっている。

人材登用も大会社であれば定期採用といった流れで様々な人材を採用していき、その先輩の目利きの利くうちに後輩や研究室からの推薦を受けた人物をとっていくということになるのだろう。私には分からないのだが、大学卒の方々にはそうした学校風土も含めたDNAがあるらしい。3σの範囲の人材を探していくということであれば、こうした手続きでの確率は高く、それゆえに確立してきたものでもあろう。大学経験のない私にとっては、ある意味で実務と基本しか知らないが好奇心は旺盛で、ともかく仕事を通じて学んで行きたいといった高専のDNAしか持ちえていない。とくにこれが得意といったこともないが、このことには興味が旺盛であるといったことでしかなかった。この技術が出来るとどんな風に世の中が変わっていくのだろうかといった視点は常に意識していたようにも思う。

自身の経験から言えば、景気の悪いオイルショックのどん底に遭遇して、流石の高専でも就職出来ないものかと考えた時期もあった。確かに大手電機メーカーからの求人は悉く、否定的なものばかりとなり自分たちの就職というスタンスから進学というスタンスに切り替えた仲間も多かった。大学で新たに学ぶというものはなく、もう少し追求したいということについての単位しかないのも事実だったのだが時代背景に後押しされてという姿だったと思う。つい最近送られてきた同窓会の報告に掲載されていた進路情報の構成をみて、大学進学率が高いことをまざまざと知り、もしかすると高専の存在意義がなくなってきているのかも知れないと感じた。効率を重んじて適時な教育を目指して実践的な技術者を送り出していくという教育方針と現実の社会風土がミスマッチしているのかもしれない。

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業界独り言 VOL283 組み込みソフト大国の底流

台風が吹き荒れる状況の中でも、追い風として利用すればいけるのでは・・・といった危険な状況を自転車で運転していかざるを得ないような実情が最近の状況である。不安定な自転車からナビつきの自動車で戦略を立てたりといった状況にシフトしつつサポートをしていかなければならないということが私達に求められていることでもある。とはいえ安直な有効策は見当たらないのも事実であり、ある意味で付き合いにくい技術集団という見方もあるのは事実かも知れない、それは手取り足取りリードしていくということではなくて、資料やソースを提示するのでついてきて欲しいというのがスタンスともいえる。そうした対応を冷たいと取られるのかもしれないのだが、プロとしての対応を互いに求めているというのがビジネスモデルである。

匠の技を追求しているお客様もいる、バイトパッキングを追及しつつ仕事を仕上げていくという方針が垣間見えるのは彼らのリンク作業などから窺える。昨今の大規模なソフトウェア開発の現場ではコード圧縮の効果の高いARMのSUMコードなどを適用してみても4MBの空間距離制限に入るのは至難の技なのだが、サブシステム単位でのカスタマイズ配置をリンカに指示するなどの古の技を伝承しつつ仕上げていくというのである。技術の進展は、こうした古の技を必要とすることもなく自動的に最適なコードを追加挿入して余分な開発リソースを掛けずともビルドを完了させることが出来るようにはなっている。匠の技で対応してきた歴史に対して新しい技術によるリンカ機能などは実績の無い新技術ということで先送りにされるのは組み込み大国の一般的な風景でもあるようだ。

開発現場の中で、疑問を感じずに繰り返しの仕事にまい進している人も多いようだ。同じことの繰り返しを厭い自動化やツールによる合理化を考え工夫して対応していくというUNIX的な文化は影を潜めてしるようだ。就職事情の厳しさを反映してなのか、育成されてきた教育によるものなのか若者達の中にこうしたことに疑問を持たずに一生懸命に無駄と思われるような仕事をしている姿も目立つようだ。コスト意識もジョブセキュリティも考えない誉められ教育の「おててつないでゴールイン」的な中で暮らしてきた意識には競争も工夫などへの強い意識が感じられないというのである。空洞化して流出した仕事をつなぎとめる覇気もないということなのだろうか。仕事は流出したものの、流出する技術はあるのだろうかという事を考え出すとお寒いのである。平和というぬるま湯な意識の中では、生きようという意識自体が空洞化してしまっているのかも知れない。

組み込みソフトを開発していくためのMeisterと呼べるような人材こそが、各メーカーのキーマンとして厚く処遇されるべきと考えているのだが、管理者の意識も含めてそうしたことの重要性を正しく認識できている会社は少ないようだ。製品を開発していく過程で必要なコスト削減のための機能選択など厳しい要件があるのは事実で、ビルドするためにデバッグ情報を生成しないことなどを実践してコンパイル時間を短縮したり、デバッグメッセージを割愛するようなFEATUREとしてビルド作成したりしている。当然、緊急事態としての追い込みに入ればデバッグ情報をつけてのフルビルドを必要とする。5000本あまりのファイルを食べて肥大化したデバッグシンボルを生成するには昨今の記録メディアであるDVD-RAM程度の容量が1ビルドツリー毎に必要になる。さまざまなお客様に対応したテストビルドなどを実施していくのにはディスクスペースとしてIEEE1394やUSB2.0で接続されたオプションHDDが必須となってしまう。内蔵のHDDだけでは、行う都度に消してしまう必要があったりするのでキャッシュといえるのかも知れない。

プロトコルセットをキャリア毎に細かく既製服として取り揃えていくという流れが必要になりつつある中で、そうしたことに気を病まなくなるお客様が出てくることには、組み込み大国の有り様について大きな問いかけが始まっているようだ。封緘したプロトコルセットに問題が出てしまった時に手を下そうとすることに意義を見出すお客様が居なくなってしまうのだろうか。製品責任を全うしていく上では必須の事項ではあるはずだが、そうしたアクティビティすらもアウトソーシングしてしまうという時代に入っていくのだろうか。確かにそうしたプロトコルセットのサポートを生業とするスキルフルなソフトハウスも登場してはいるようだ。心地よいほどキビキビと仕事を管理してシステム開発を推進していくタイプの会社として活躍する国産のメーカーだったところもある。国内事業者との間で培われたそうした管理技術を駆使してアジアの技術レベルを高めるべく大陸に打って出ているようにも映る。

抑えるべき点を自社内部のスキルセットとして留保蓄積してきた成果が、管理を全面に押し出したスタイルとしてもタイムリーな仕事を支えているようだ。分業体制が会社を超えて相互活用する時代に入りつつあるということなのかも知れない。自立する子会社たちという姿に照らしてメーカー枠を超えた技術協業が携帯電話の一機種の開発の中でも見え隠れしている。中途半端な内部あるいは自社技術であるならば評価に値しないと切り捨てる時代に入っているというのだろうか。今までの重厚長大な会社などでの社風を変えていくのは子会社からしか起こりえないようにも見える。何かの決断をするといった段階で自社の慣性モーメントの大きさに始めて気づかれるトップの方も居られるようだ。脱皮を目指しているトップの方達の思いと、現場で開発に携わる方々の間には大きなギャップが見えるのはクッションとなっている中間層の方達の優しさが問題なのだろうか。

社風をアウトソーシングの上に成立させるというトップ方針で国内外の端末開発をバリバリと進められているメーカーもある。五年前の印象と今の姿では大分異なってはいるようである意味で成熟からくるきな臭い匂いもあるようだ。大企業病の要因となる部分をアウトソーシングと管理とで解決できるということの難しさには、やはり会社としての血流が必要なのだと思う。これではいけないと思う中間層や若手技術者たちの意識を削がずに高揚しつつ仕事の中で昇華させていくということには、大変なトップの方の努力も必要なのだろう。現場の開発技術者たちを開発迷宮の中で追い込み退路をふさぎ責任追及をしていくということで出てくるものは、本当の問題点なのだろうか。五年前の雰囲気にあったベンチャーの気概のようなものは失せてしまったようだが、ベンチャーの意識あるソフトハウスを互いに競争させて使いこなそうということ相殺しようとしているようだ。ただし、技術の横展開や共通化といった観点での大規模化の利点が生かされないということに気が付いてはいないようだ。あまりにも社員が少ないという事が、悪弊となっていることに違いはない。元気のあるこの業界随一という会社のこれからの脱皮変貌にも期待したい。

メーカーとしての製品開発という枠で、有用な商品企画といった役職にいく人たちの流れが、そうしたスタイルの中では育つことがないように見える。昔のスタイルでいえば、開発経験の感性を活かした商品企画への転籍などだったと思うのだが、最近では最初から専門職として企画の仕事を勤めて、開発に従事してまた経験値を積むとそうした人たちは流出していくようなスタイルに見える。ある意味で会社中がアウトソーシングを目指しているようにも見えるのだが、経営トップの方が考えている姿とは違ってきているように見えるのは気のせいだろうか。トレイニーとしてのコンピュータメーカーの丁稚奉公、国内電機メーカーとしての二十年の経験、そんな枠からはみ出して飛び出した五年間の業界生活を通じてみてようやく、国内電機メーカーの良き時代の良き理由を得心したりもするのは、先端技術の提供サポートを同時並行で異なる国内メーカーに供給しつつ物づくりを支えるという特異な経験の仕事の妙だったりもする。昔の会社の仲間が、Quad社に通信キャリア担当の企画マーケティングとしてジョイントしてきた。有能な女性である。また、この彼女の後輩も同時期に飛び出して元気な携帯メーカーのUMTS企画担当に転じていたりする。強力なコンビが戦場を移して展開されるようだ、端末開発で元気を失っている会社が、その中の活力溢れるエンジニアを外部に輩出して業界の変化に呼応しているのは不思議である。

組み込みソフト大国の底流を下支えする重要な仕事になりつつも、お客様である国内電機メーカーの方々のビジネスモデルが瓦解ではなく脱皮しつつあるということだと信じてナビゲートしていくのが仕事である。大規模化が日々進展しつつある状況のなかで、納期に応じた開発を続けていくことはメーカーとしての最低限のテーマではあるのだが、それと併せてメーカーとしての自覚の中で追求していくべき技術もあるはずなのだと思う。そんな意識をトップの方が持ち合わせているか、現場の方が熱く強くもちつつトップに具申して実現をしていくといったサイクルが残っている会社もあると信じている。携帯電話とPCは異なるということで開発を進めてきた歴史背景を理解せずにPC化の流れに進んでいくときに本来の追求してきたテーマを捨ててしまったのではと思える事態もみえてくる。コスト追求が生んだ結果は、ハードコストよりもソフトコストらしくメモリを潤沢に積み、あるいは制限の無いデュアルマイコンといった世界を安直に始めてしまう。そんな世界に警鐘を鳴らしつつ自分達でライトハウスとして先を照らしていくというのがナビゲータなのである。まともな技術者感性を持ち、将来展望を高感度アンテナでキャッチしつつ確信しつつ実務の仕事の中で展開していくという楽しすぎる仕事に興味を示さない殻に閉じこもったエンジニアしか居ないのであれば、この国に将来は無いのだろうか。

業界独り言 VOL282 人は自らを変えることが出来るのか

長年のラブコールに応えてくれて、とある端末メーカーのエンジニアのA君が、インタビューの要請に応えてオフィスを訪ねてくれた。平日の昼間に年休を取得した上で、インタビューに臨む姿は真面目な気持ちに違いない。家族を支えるものとして生半可な気持ちで臨めないだろうし、また家族の同意を得た上で臨んでいるとすれば、彼の悩みは深いのだろう。忙しい中で休暇取得までして大変な決断を迫ってしまったのかという思いとは異なり、彼自身は現在では家族のための生活として自身の生活を見直しているということだった。とはいえ、国内の端末メーカーにあり、3G草創においては試作機開発やらスタンダードにも深くかかわり開発してきたという彼のような人材が、ヒマをつけやすいという事態は端末メーカーとしての余裕というべきなのだろうか。

メーカーの3σからはみだしてしまった観のあるエンジニアとして、自らの為に会社をうまく使いこなしてきたという感覚のあるA君は、自らの志向と会社の指向とをうまく調整して活躍してきたエンジニアだと思う。肥大化する標準化動向の中で、プロトコル開発の渦中にあっては象を弄るごときエンジニアとは一線を画しているように見えた。そういう思いに到達した彼が次の命題として捉えてきたのはプロトコルをスタンダードからオブジェクト指向的な考え方に基づいたオブジェクト生成を行い見通しの良いキャリア毎の差異などにも柔軟に対応していける、夢のプロトコルスタックの開発だったらしい。ある意味通信端末業界での青色LEDの開発に匹敵することだともいえるのだろう。そんな技術者の知的好奇心を充足せしめると共にビジネスに直結する形で達成感を与えうるメーカーはどこかにないのだろうか。

時代は日の丸プロトコルの開発を死守すべしといっていた90年代からみれば、いかにビジネスを達成すべきかというようになり、ソフト開発のバベルの時代を越える中で変質してきたようだ。重い足枷となりいくら効率を打ち上げてみても近道をしようとしても中々到達しない世界にいるのは釈迦の掌ということのようにも見える。多くの神々達の戦いも、生きることに宗旨替えする流れの中で無為なることに到達したということなのだろうか。WinWinというような時代を瞬間生きてきた人たちがギアを外してしまったのか、なかなか組み立てなおすということに至らない。疑心暗鬼な周囲の諸国家との関係やら、高邁な理想やら効率のみで導けない方程式がそこには横たわっている。ある意味で、そうした状況の中で夢の青色プロトコルスタックを開発してこれた彼は幸せなのかも知れない。しかしビジネス着地こそが会社の果たすべき道だとすれば、そこに行き着けないのではと彼が感じとる状況には将来が描けないということなのだろう。

ちいさなベンチャーとして始まったQuad社の歴史は、彼の社会人生活と同期生という見方も出来る。まだ二十年に満たない社会人生活も会社の歴史と比較をするのが彼の今夜の家族との会話になるのかも知れない。しかし、大企業の技術者として暮らしている現在の彼の殻をやぶって、歴史の浅いベンチャーの中で仕事をするということについては家族の方も彼のなかに流れる熱き想いを感じてくれるに違いない。そう、今彼は会社を選ぶ側に回り、自分を生かす主体が自らにあるスタイルでの仕事に入ろうしているのでもある。日本的な湿気のあるような会社生活ではないのかも知れないが、日本の会社が目指している米国的な会社スタイルとも相容れない雰囲気があるのはQuad社の不思議なところでもある。私自身は、ベンチャースピリットのある仕事を求めて移ってきたというのが正直なところでもある。前向きに暮らして生きたいという想いをもつ人たちにもっと集ってもらいたいと思うのである。

A君の面接を通して、彼に自分と同質なものを感じたのは、かつての自分を重ね合わせてみてしまったからなのかもしれない。かつてプロトコル開発というには稚拙な時代に私が取り組んだことはといえば、当時のアセンブラベースのシステム開発にへき易して到達すべしとして捉えていたコンパイラーベースへの移行であった。そしてそれを自らの強い熱意で期待を超える成果としてアセンブラ以上の性能を実現して実用化に達することが出来た。そんな時代の中で彼のようにアセンブラで苦労していた開発をする気に掛けていた元の愛する同僚たちのいる職場があり、まさに1986年というのはそんな時代だった。そんな愛する仲間の為を思って開発に注力していたコンパイラは不純な理由だったのかもしれない。当時は、端末開発に向けてソフトウェア開発という仕事の黎明期の中で女性活躍の陰で頑張るお姉さまエンジニアたちに可愛がられて育てられていたエンジニアなどが彼の時代のエンジニアなのかもしれない。

そんな旧き記憶を呼び戻しつつ、次の時代に向けて考えていた90年代後半の自身の覚醒などを思い返すと現在の仕事などを予見していたのだろうかと合点がいった。大企業の中ではベンチャースピリッツ溢れる仕事に恵まれるという幸せで暮らしてきた自身が、殻をやぶってしまったことは自由に裁量を与えてくれて開発に取り組ませてくれた先輩上司のお陰でもある。未だに教えを請う先輩は、溌剌と後身の育成に取り組まれているのである。彼も会社生活としての成人を迎えようとしている中で、大きな挑戦というのが自身を変えて新しい目標に挑戦できるのかということでもある。彼同様にQuad社自身も20年という成人に向けて殻をさらに破るということが必要なのだとも思う。今、ブロードバンド接続の中でグローバルな仕事環境の中で仲間達の時差を越えて開発をしているという自分自身を思うに、私自身が昔、まさに考えていた仕事の流れの中に今があるということも再認識してしまった。

私が、捜し求めているのは私自身の変革に必要な後任であり、摩訶不思議な縁により行ってきたモデムの世界の開発支援に必要な、これからのコンパスを持っている人物である。そうした目的に沿ってみると、A君の青色プロトコルスタックの開発などはQuad社の羅針盤になるかもしれないのである。そんな強い思いを彼が抱いてくれるようになれれば、きっと彼が思い悩むことへの私からのカウンタープロポーザルになるのではないかと思っているのである。なにしろ私の予見は今まで悉く当たってきたという見方もできるので、この予感も正しいのではないかと確信してもいるのだが果たしていかなものになるのだろうか。五年間という雇用期間サイクルが一巡するなかで私が考えてきたアプリケーションを主体とする時代に遭遇しつつQuad社自身も大きな変容を遂げてきている。きっと創業20年の頃には更に変身しなければならないのだろう、そんな時代に向けても核となるモデム技術者としてのA君のような自身に羅針盤を持つ人は大歓迎なのである。

会社生活に違和感のあるエンジニアは、少なくないのかもしれない。A君のように自己分析をして次なる施策を考えて行動をしている姿を見ていると変態を遂げようとしている渦中なのだとも思う。どんな艶やかな転身をするのかは不明だが、自信みなぎる明るいA君に会えるのではないかと期待もしているのである。技術を理解する仲間のなかで、時期をもとめ周到に実用化していくという仕事がかつての日本企業の良い点だったのだが、最近では直近のことに気を取られたり意味の無い開発投資とは名ばかりのアウトソーシングとしてのソフトウェア開発消費に充てられてしまっていることでA君のような優秀なエンジニアのモチベーションを亡くし暗いという印象を与えてしまうような情況に陥らせてしまっているのではないだろうか。A君がQuad社に来るとは限らないし、今の会社で青色プロトコルスタックアーキテクチャを開発するもよしである。私が予感する次の姿は、まだ此処には書かないで置こう。

業界独り言 VOL281 順風の嵐の中で

順風満帆を通り越した観のある状況が続いている。逆風で苦しんでいる人たちに比べれば羨まれる状況なのかも知れない。しかし、忙しさも大変さもこの上ないのである。突然台風の追い風の中で自転車競技で逃げ切れとは言わないまでも近い状況が起こっているのではないだろうか。Quad社の中でのビジネスも、この五年間の中で大きく様変わりを遂げてきている。よい意味で積極的な展開の中で大きく成功を収め伸びてきているといえるだろう。そうしたベンチャースピリットを失わない社風の中で、安定を求めたりしている人がいるとすると、アゲンストの風になるようだ。会社の方向が変わる中で自分自身も期待されるものに変身していくことが望まれるのはベンチャーの常であろう。寄らば大樹の意識でベンチャーに奉職するのは大きく間違っていることに気がつくことだろう。

会社が成功を収めていく上では、順調に事業を伸ばしていくということが求められるのだが、期待以上の成果が上がってしまった場合には処理しきれなくなるということも起こってくるのである。現在のボトルネックは明らかに、求人活動にありグローバル体制の中でエンジニアとしてのスキルを発揮してユーザーに対してコンサルティング能力を展開していける三河屋の御用聞きになれる人材を集められるかどうかが鍵なのである。コミュニケーションスキルとしては単に英会話能力を要求しているだけではなくて、ごく普通の感性としてのお客様の痒いところに手が届くことが提供できるのかどうかが課題なのだといえる。深い専門と幅広い知識に裏打ちされたコンサルタントをお客様からは期待されているのであり、生きたナレッジベースとしてのQuadの組織を活用していける感性が求められているのである。

とはいえ採用というワークの重要性・難しさについて殊更あげるまでもないのだが、五年間に出会ったいろいろな候補者の中から選択をしてきた中には我々の懐の浅薄さから失ってしまった事例もあげられる。AさんとBくんという二つのアプリケーション技術者の候補者について、一人の採用枠を適用すべく試験や面接を試みてきた。経験豊富なAさんは30代後半という状況の主婦でもあり、初期AMPS携帯電話の組み込みソフト開発の経験を経た上で、いまではシステム開発などの受託をフリーランスでやっておられる優秀なエンジニアである。B君は、まだ20代なりたてのエンジニアであり専門学校でソフトを学びソフトハウスに入り3G開発に明け暮れるメーカーに派遣されて、システムテストの渦中での問題切り分けに奔走してきたというふれこみだった。

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