業界独り言 VOL320 パソコン通信の終焉から

三月末で、ニフティサーブが終了となった。かつては日経MIXや電機メーカー中心のネットも存在していたが、いまとなっては最後の牙城として残っていたのはFUJITSUと日商岩井で始められたNIFTYのみとなっていた。パソコン通信の時代から始まった電子メールは、センター集中型のシステムとして大小の規模の差はあれ、電子フォーラムなども運用されたりしてきた。 パソコン通信の始まりは、当時の端末事情も反映してかワープロ通信なる言葉も生まれたり、端末としての通信ワープロなる通信モデム搭載の機種も時代を反映して登場したりもしていた。事務処理のアウトソーシングなども兼ねた電子データの交換手段としての通信方法論であったりもしていた。DOSマシン上で動作する同時に複数の通信回線をサポートするためのソフトウェアや複数のモデムを収容するためのシリアルカードなども登場していたのを思い返す。

ソフトウェア開発環境に登場した、UNIXマシンなどの登場や普及が始まった時代背景などとのマッチングもあったからだといえるだろう。もともと自社サポートネットワークとしての位置づけなどもNECや富士通といったコンピュータメーカーの背景にはあったのだろう。パソコン通信をベースとしてドキュメントの配信やらソフトウェアコンポーネントの配信なども可能になったのは1980年代の半ばからだっただろうか。モデム搭載の富士通の 通信ワープロOASYSなどが登場したり、通信機能が使いこなせそうな持ち歩ける98LTなどが登場したりして機動力が増したと感じた。当時は、開発環境としてのDOSではなくて、TERM環境を通して会社のUNIXマシンが呼び出せるようになったと感じたりしたことでもあったからでもある。当時のパソコン通信を使ったのは電子会議などの仕組みを利用して同志を探したりすることが目的であったかも知れない。

そんな時代から20年あまりが経過して最古参のNIFTYサーブもベースとなったCompuServe自体が既に終焉している中で 、孤軍奮闘してインターネットの時代としてのWebベースのシステム運用と共に旧来のモデムで接続するパソコン通信システムとを一体化して運用してきた。通信ワープロなる言葉が生まれたり、携帯型PDAのようなものもそうしたインフラをベースにして新規事業を模索したり需要を喚起したりしてきた。ADSLが普及してインターネットが過去の負債のようなISDNインフラを否定して単なる電線レンタル事業に貶めたりしたような印象もある。最近ではISDNのTAなどを買い求めようとしても黄ばんだ箱の商品しかないような印象がある。ISDNの開発に敬意を払い、2B機能をフルに活用してアナログFAXとアナログ電話を相変わらず利用しているのは何か間違っているかも知れない。

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業界独り言 VOL319 もうすぐ35歳?

既に、実年齢でいえば35歳などはとっくに過ぎている。ソフトウェア技術者の35歳定年説などということすら喧伝されていた日本という国でもあるが渦中のエンジニアとしてはソフトウェアエンジニアは年齢をHEXAすなわち16進で数えるということで得心していた。そんな年齢である0x35あるいは035Hという値を捉えていくとあと数年かという実感を伴いつつ次のステージを考えながらの人生として生きていきたいと感じてもいる。生活していくうえでの社会貢献という意味で組み込みソフトウェアの世界を築きながらマイコンの歴史と一緒にアプリケーションを渡り歩いてきた。日本の生きる道は加工貿易であると説かれて育ってきた小学校からの流れを遡って思い返してみると現在の状況は、日本という国は何を生業にしていると言えるのか疑問が多い。

実際に家電メーカーに就職してから飛び込んだ組み込みソフトという世界は、家電メーカーという枠にはまだ繋がらない時代に始まり、システム物と呼ばれていたものが、現在ではデジタル家電などと呼ばれる複雑怪奇なものにまで到達している。奉職当初は、漠然と思い描いていたソフトウェア開発というものが、徐々に仕事を通じて形成されていったと考える。ソフトウェア開発という仕事をしながら、ターゲットとなるシステムや端末の将来を描いているエンジニアもいれば、開発している流れの中に必要な様々な技術に思いを馳せたりするというタイプのエンジニアもいる。元来、メーカーが求めているソフトウェアエンジニアとは前者なのであろうと思うのだが、どちらかといえば後者に自分自身を位置付けながらも二十年あまり一つのメーカーで仕事をし続けられたのは、そのメーカーの懐の深さ以外の何者でもないだろう。

マイコンを動作させて期待の動作をするシステムを構築するというのが組み込みソフトウェア開発である。時には、複数のユニットを組み合わせてシステムを構築するものもあれば、一つでシステムを構築するものもある。当初は、前者をシステム物・後者を端末物といって区別をしていたように思う。とはいえ某メーカーの自動車電話端末には、三つのマイコンが搭載されてシステムを構成されていたというのは、家電メーカー故のユニークな感性からかも知れない。ソフトウェアで動作しようが、ハードウェアで動作しようが機能部品には違いがないのである。個々の機能が整理されていれば再利用性の高い部品としてソフトウェアが動作するように複数のマイコンに分解したとしても 分散処理はうまく機能するのだろう。超分散マイコンシステムとして構築された自動車電話交換システムなども、そうした会社のDNAを如実に示してきた記念碑的な仕事だったといえるだろう。

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業界独り言 VOL318 輝く瞳に乾杯

組み込み開発の時代の変遷が、大きく舵取りを始めている。ここ二年余りに国内の端末メーカーに提案をし続けてきたことがようやく地に足をついた形で始まろうとしている。端末開発という仕事の流れの中で 、開発の主体が企画をしているOEMメーカーから離れてソフトウェア開発を実業となす形態に移行しようというのは画期的な出来事であるかも知れない。端末メーカーが主体となって企画から開発を全て担っていた開発の流れが通用しなくなってしまったのは開発コストの増大と共に開発成果を生かしきれない開発規模の小ささが国内メーカーの弱い点でもあるからだ。完成度の議論や端末の格などという向きもあるかもしれないが、ノキアなどの開発規模の大きさは圧倒的なものであり、国内の大手キャリア のみに納めることで採算を確保しているという現状に未来はありえない。

海外端末の開発競争にさらされて撤退したり巻きなおし図ろうとしている日本の端末開発の実情は生産性の低さを示しているのか、結局自国の経済格差と技術力のバランス比率が崩れてきたということなのだろうか。組み込み開発の仕事が次々と減ってきているという話ももれ聞こえるのだが、まあ携帯電話の開発のことを指しているからかも知れない。そこそこの性能の端末と評する低価格な第三世代携帯が中国・韓国メーカーから登場してきたことが一つのきっかけだろうし、早晩そうしたメーカーも技術をキャッチアップしてくることが想定され自分たち存在理由を問われることになるからでもあるだろう。コンシューマー化を遂げたハードディスクレコーダーのようなプラットホームを適用さえすれば誰でも簡単に出来上がってしまうような状況に突入しそうな状況でもある。

チップセットビジネスに踏み出してCDMAを推進してきたQuad社でも、モデム機能から踏み出した形でアプリケーション中心の流れに踏み出してきた。アプリケーション志向に踏み出していくという流れは、転職するころから具申もしてきたし、実際に着メロなどをきっかけとしてDSP活用という形でのアプリケーション志向を技術開発の流れとなった。多くのベンチャーが音や映像の技術を提示しながら活躍の場を求めてQuad社の門戸を叩いてきた 時代には、頼りなげだった渉外担当もマルチメディアマーケティングのボスになっている。顧客先に提供する機能の多くも携帯電話として必須となってきたメディア再生・録画・グラフィックス・テレビ電話・・・など次々と広がりを見せている。ストックオプションを得て悠々自適のはずの仲間たちも技術に携わることで生きがいを感じているようだ。

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業界独り言 VOL317 難しいことは言わないが

新たなメンバーを数人迎えて、トレーニングやサポートの日々が始まっている。無論、新たなお客様に対してのトレーニングをするということも最近は多く行っているので、実は、そうしたお客様へのトレーニングをしている席上に出席しながら、実はNewcomerのトレーニングも兼ねていたりもするのである。そうした実情を参加されているメーカーの方も知ってか知らずか、といってど素人のメンバーではないので経験値に基づいたフォローが出たり話題も提供出来るので、参加していただいている事は相互にとってメリットがあることでもある。海外渡航の経験も長い人もいれば、数週間海外留学したことがあるといった人もいる。サンディエゴが彼らにとっては、なじみの深いところでもないので俄かに単身出張してもらいはなからレンタカーで運転してくださいといっても温度差はある。

国内のお客様に技術サービスを提供し、その貢献によって商売をしているQuad社のビジネスモデルでは単に時間売りをしている訳ではなく製品にチップが採用されてようやく回収が出来るシステムでもある。無論、ライセンス収入を得ている部署もあるのだが、これは次期の技術開発投資に向けられているのであってチップビジネス部門では、そうして開発されてきた技術成果を投入して開発したチップセットと、そのソフトウェア資産ならびに技術サポートの提供を通してビジネスに繋いでいるのである。端末開発を弊社チップセットでやっていただくというからには、ワンショットの契約フィーが課せられてこれにより無償供与されるチップセット(サンプル数)や、技術トレーニングそしてサポートが受けられるようになる。同時期に多くのお客様に技術提供をしながら、技術完成度をさらに高めて効率よくサポートをしていこうというモデルでもある。

当然、こうしたサポートするエンジニアの資質は、私たちの理解としてはソフトウェアエンジニアとしての常識を持った普通の技術レベルの人材を求めている。しかし、なかなか求人用件を掲げてみても期待値に適う人材に出会うことが少ないのはなぜなのだろうか。また、数少ないメガネに適う人材が見つかっても、気持ちとして自立してすっと話が決まるまでには紆余曲折がある。不景気な、この時代に転職するということ自体がリスクだと考える人が多いのは事実なのかも知れない。お客様の開発エンジニアと対峙して、技術の語り部でありホームドクターでありといった仕事をこなしていくのには開発をベースとした仕事にフォーカスしていた感性では向き合えないのかもしれない。ある意味そうした仕事を卒業した上でのシニアの感性が求められている。

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業界独り言 VOL316 太陽と北風

どたばたとする中で、2005年が終わり新年を迎えた。開発規模の可愛い端末がアジアを舞台に開発が出来たことは大きな成果だったといえるだろう。一年前に、雛形の試作機が出来上がっていたとはいえ小型のFOMA端末が同様な設計を踏襲しつつもグローバル仕様のクワッドバンド搭載で出来たのには大きな流れの予兆としても後世に残ることでもあるだろう。無論、そんな開発の過程で生み出されてきた想定外の事象などは、傍から見ればとんでもなく映ることかもしれない。理想を掲げてひた走るクワッド社の路線に異を唱えることはないものの、成果を示さないと乗ってこないのには業界の元気の無さが原因でもある。そんな対極に居たエンジニアのK君が年を越えてメンバーとなった、口説くのに要した時間を無駄とは思わないものの今後の時間を大切にしていきたいと感じている。

ひたすら真面目に取り組んできた、そうしたエンジニアのK君ゆえにクワッド社のソリューションを使って手抜きとは言わないまでも自らの取り組んできたことが、容易に実現しうる世界を目の当たりにしても冷静に分析をしているようだ。自らの経験に基づいてきたメーカーの設計にとっては、チップセットベンダーの提供するプラットホームの特性などの仔細な部分で想定外となる部分もあるだろうし、互いの常識が通用しない部分などが起こることも致し方ない。そうした衝突を経て妥協と回避策を処理した上で想定外となるような仕上がりの端末として登場してきているのでもある。問題は、企画した端末が企画した価格で企画した時期に出来上がるのかどうかということが一番重要であり、そうした流れの中で成果を出しうるチップセットソリューションであれば素直に受け入れて評価することでもあろう。

最良のソリューションは自らが作り出すプラットホームであるのかも知れない。といって各端末メーカーが自由に開発するほどの余裕もリソースもテクノロジーも無いということもあるだろう。高邁な思想に基づいて、何かの傘の下でプラットホーム開発を進めているメーカーもあるかも知れない。長い未来を見据えた上での戦略でもあるのかも知れない。シリコンの上に画を描いて仕上げて試験をして性能を出せる状況にまで仕上げていくというサイクルを真剣に取り組んでいけるのであればいつかは成果も出るだろう。昨今のコミックと一緒でいくら良い作品を仕上げても印刷所の能力をどのようにして押さえるのかどうかで冊数が決まってしまうという状況などにも似ているのかも知れない。半導体業界の中で試作をしたりする余裕などはさらさらないのだろうし、一枚のシリコンの中にすら分譲地を用意して異なったマスクを引き受けるという状況なども現実となっている。

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業界独り言 VOL315 めざめよ組み込みエンジニア

組み込みソフトウェアエンジニアというカテゴリーが最近はあるのだといい、国を挙げて育成支援しようという動きもあるらしい。体系だった形で産官学の一体化したフォーメーションで育てていくというのだが落としこむ先のメーカーには、そうした意図を受けるだけの器量があるのだろうか。組み込み技術者育成のテーマとしてロボコンなども最近ではETロボコンというらしい。どうも高専というカテゴリーがあいまいな実務向きの学校が手がけるテーマがそうした方向に展開されやすいのは致し方ないことだろうか。四半世紀の世の中の流れからみれば、マイコンが登場する以前にあったコンピュータ技術としての体系に向けて国産コンピュータの育成はIBMに追いつけ追い越せというものであった。奇しくもマイコンを開発したエンジニアが日本人だというのは誇るべきことだと思うし、そうしたDNAがもっと出てくるべきだと信じている。野望もつエンジニアというのは血液B型の典型なのかも知れないが、世界征服を可能だと信じて疑わないくらいの気持ちは何処かでもってほしいものでもある。

エンジニアとして取り組んでいる仕事の中で、なんらかの挑戦があって問題を解決していくためにアイデアを絞り出していくというサイクルを重ねて成長していくものだと思う。さまざまな困難な状況に陥るのは仕事としてごく自然なことだと思うし困難な状況が人間を育てるものだと思う。最近のOEMメーカーの苦境というもので、エンジニアが育っているのかというとどうも違うような気がしている。難しいテーマで苦労をしているのではなくて、手抜きをしてコストダウンをしろといわんばかりの要求が提示される恰も木村建設のようなクライアントからの要求で、経済設計をしろといわれて対応していくかのような仕事に手をつけたくはなし・・・。今までの仕事の流れにダウトを宣言して離職する人などは、自分の誇りをもって辞することを堂々と示したほうがよいだろう。とはいえ、日本的なメンタリティの中での仲間を裏切るような気持ちに苛まれたりもするのは良く分かる気がする。陰口を叩かれたくないという気持ちもあるのだろうげれど、そんなことよりも大切にしたいのは自分自身を裏切らないことではないだろうか。

私自身の経験からいえば、転職当時にかなりの陰口を叩かれたり、メールの受信拒否など色々なことがあった。ビジネスが始まれば毎年流入してくる人材や離れていく人材など六年も経過した今ではすっかりはるか昔の話に思えるくらいだ。そんなことに気を使うよりも、何がその仲間たちに貢献できるのかを考えたほうが良いということである。現在のQuad社の実情で言えば、実はすっかり日本法人を乗っ取ってしまうのではないかというほどある会社の卒業生の比率が高まっている。その会社から来た仲間が集まると、叶えられなかったテーマについての思いを共有しつつ視点を変えてどのように対応していけるのかという議論が始まってしまう。私自身の転機となった社内情報誌の発刊に繋がる事件のきっかけが今の社長であったりするし、その事件の当日の記念写真に納まっているメンバーがいつしか集まってきているのは不思議な偶然というか必然なのかも知れない。人と人の連鎖のような共有が新たな仕事に向けた情熱を生み出す源なのかもしれない。

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業界独り言 VOL314 組み込みソフトは何処に向かうのか

時代の流れからなのか、日経バイトが休刊となるのだそうだ。日経といえばさんざん購読予約の延長などのお願いばかりが目に付いていたのが、最近になり毎号単位で通常の書店での雑誌販売の形態もとるようになっていた。日経エレクトロニクスのカテゴリーとは離れて、マイコンに携わるカテゴリーのエンジニアの技術真髄を語るという目的で、米国のDDJなどと並ぶBYTEマガジンとの提携で始まったものである。実は母体でもあるBYTEマガジンは単なる初期のパソコン雑誌というだけでは無く、業界の中心人物たちの研究の発表の場としての色彩も持ち合わせていた。そんなBYTE誌の終了以降も日経バイトの存続は続いてきた。日経バイトの編集方針もいろいろと工夫を重ねてきたのだろう、組み込みソフトウェア業界も含めた技術交差点といった趣の発表の場であったりもしていたのだとおもう。そんな取り組みも含めて、突然の休刊のアナウンスには残念と思うのと共に現状の流れの中で納得するような雰囲気を知己たちのメーカーなどからも感じている。かつてのマイコン登場の頃の勢いは、プロセッサ誌の登場や、その終焉なども含めて時代は移り変わってきている。

組み込みソフトウェアの旗手たる挑戦的なエンジニアたちの活躍の場所はいったいどこになってしまうのだろうか。米国では、まだ組み込みソフトウェア業界に向けた雑誌が続いており、その意味では健全のようにも映るのだが国内でのバイト誌の休刊には考えさせられてしまう。中国のソフト技術者たちののあくなき追求の熱いスタンスを見ているものとしても、国内のソフト技術者たちの戸惑いには日本の枠組みの中で進めてきた開発の流れの変革が迫られているようだ。挑戦したいものの活躍の場所が中々与えられる状況になっていかないということには、成熟し始めた状況の中では致し方ないことなのだろうか。ようやく携帯がPCのような環境になってきたという見方は、早合点なのかもしれないけれど実際にプラットホーム共有を行うメーカー間での端末完成度の競争などが見えたりしている。同一のプラットホームを利用していても異なった端末の実現やオリジナリティを実現できるのはQuad社のカスタマーなどがもとより実践してきたことでもある。数年来UMTS開発をしている知己のOEMメーカーからフルセットのソフトウェアの提供を要求されたりもしてきた背景もある。

組み込みソフトウェアという分野をOEMメーカーの視点から共有できるのかという点については、知己たちと続けてきたオフ会などのワークからも難しいらしいことは感じ取れていた。Quad社の技術伝道者として各OEMメーカーの技術トップの方たちにプレゼンテーションをしたりすることを通じても国内キャリアから提示される仕様のトラッキングに疲弊している様子が窺い知れた。新たな挑戦をする余裕があるのかどうかというファイナンシャルから見た点と共に、開発リソースとしてのアロケーションが可能なのかどうかという現実面がある。しかし、また新たな通信キャリアの登場の中で対応してビジネス拡大をしたいというメーカーの思いは前述の苦境とは裏腹でもある。通信キャリアの戦国時代とも言えるMNPの時代に突入する中で端末メーカーとしての対応力が問われてもおり、端末メーカー自身も今後の通信キャリアの行く末を見据えながら出来る対応について吟味をしている。いくら投資をして端末が出来上がり、その上でその端末についてユーザーにとって魅力のあるものが出せるのかどうかが鍵である。通信キャリアの仕様に応えることだけで一杯いっぱいになってしまったのでは仕方の無い状況である。

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業界独り言 VOL313 スクリプトからラブコール

ワイヤレスな世界に身を投じる羽目になった契機が何だったのかと思い起こすと、10年あまり昔を思い起こす。当時何をしていたかというと組み込みCコンパイラを10年あまり楽しんだ挙句に先の世界に向けてスクリプトやらシミュレータやらの仮想的な世界に足を踏み入れ始めていた。携帯電話というよりは、トランクドという最近ではかえって最新アプリケーションとなってきたPTTサービスの端末作りをしながらPTTからの革新を目指していた。PHSの手伝いを終えて、元の職制でのPTT無線機のデジタル化の流れを率いていた。ソフトウェアのベースとなっているチップセットは市販の慣れ親しんだ他社製マイコンであり、何故か他社にもない高性能なシミュレータを開発して開発に勤しんでいた。シミュレータの機能は自分たちが必要としているものを盛り込んでいたし、16ビットマイコンの性能は当時の処理要件を十分に満たしていた。

アナログなシステムの開発の時代は自身の若き時代にアセンブラで対応してきたことを思い出させもするし、4ビットマイコンで高級言語で挑戦して失敗もして、それを契機に他社製8ビットマイコン用の高性能Cコンパイラを開発して応用商品などを手がけてきたりした。そういった意味で自分自身の技術者人生の中での大きな位置づけであったと思い返しもしている。アナログからデジタルに移行する流れで、自動車電話から業務用電話と移って来た自身としては、デジタル化の奔流に入ったのはNTTのデジタルムーバに向けた基地局システム提案やらパーソナルハンディホンでの提案開発活動が実務としての接点となった。無線機ソフトウェアの開発というには、OSや開発環境などに重きを置いてきたこともあり、プロトコルの開発に関しては若手にすっかり任せて、PHSの実務開発の流れにおいてはすっかり開発環境に嵌っていた。

実機以上に精密な測定が出来るというコンセプトを正面切って対応して実装開発してくれた仲間の成果を活かしてトータルの開発効率を向上させるという観点に推移した。コマンドを自動化したり、結果を判断するスクリプト機能を動かすことを始めていた。いわゆるUNIXの世界でのツールチェーンであり、またツール連携でもあった。シミュレータが動作する中での外界とのインタフェースを持たせるための機能としてプロセス間通信を行いつつPerlなどとの連携にも走っていた。気がつけば、開発成果を日経の雑誌に掲載したりすることも行い、外部や内部セミナーとしての紹介なども実践した。開発で実用化した技術自体は実践現場で活用してなんぼの話であり、PCUNIXの到来を探りながら開発環境自身をPCUnixとHP/SUNなどのEWSとの連携で高効率に動作させようといった実用化もしていた。スクリプトだけで幾らでも応用が出来たのである。

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業界独り言 VOL312 DoCoDeMo 3GPP

いよいよ、新周波数帯の提供が始まり新たな国内キャリアの登場とつながるストーリーが始まった。もとよりMNPが解禁となる事態を控えている状況も含めて、各通信キャリアを取り巻く状況は、思っている以上に厳しく、また斬新に変化を遂げようとしているようだ。通信ベンチャーが端末作りに登場することもあるだろうし、端末メーカー自身も特定の通信キャリアにのみ操を捧げる妾商売のような体制を安穏と続けられる状況などは描けない様子である。いまや誰でも3GPP端末の開発を手がける状況になってきているともいえるのである。通信プラットホームを提供しているチップセットベンダーの成果が徐々に実りの時代を迎えつつあるという状況に推移してきているからでもある。中国や台湾勢のデザインハウスが通信プラットホームベンダーの環境を用いて、国内の新キャリアに向けて開発協力を見据えた活動が始まりつつあるようだ。こんな状況を想定してかローエンド3GPP携帯を二年前から着手してきた端末メーカーもある。

とはいえ二年前に作ったコンセプトが、今日に通用するのかという最近登場した、その端末のできばえからも古臭さを感じさせるような点はない。国内キャリアに打って出るといいったコンセプトに向けて同時期に投入された他のメーカーの実装からも戦略の差異やアプローチの差が窺えもする。国内の開発競争に投入して残り少ないリソースのアサインを悩むよりは、プラットホームも替えて設計も替えてという博打とも取れるような決断をされた背景にこそ深い悩みがあったのだろう。当然、そうした博打の結果が出るまでの過程で起こる様々な出来事をいかにして解決して対応してきたかというのは、現在では相当価値あるその会社のノウハウでもある。また、その会社の決断によりビジネスモデルに弾みがつき技術力を高めた中国の設計会社では2Gのみならず3GPPにも対応が出来るということで週単位で担当営業マンが往復するような状況にもなったと聞く。開発費用の捻出に走ることよりも、市場の見極めと徹底したコンセプトを新たな枠組みで挑戦して結果としての開発費用をも抑えることに成功しそうな勢いでもある。

誰もが3GPP端末を開発出来るような状況自体は、Quad社のような相互接続性テストに精力的にリソースを傾けつつ整備をしてくるようなチップベンダーの取り組みで解決出来るものでもある。しかしながら、国内キャリアなどの高機能化してなおかつ日々進化していくような端末仕様に合致するスペックの商品を開発していくのは大変なことでもあり、この辺りこそが国内メーカーの生きる道とも言われているのでもある。ハイエンド端末の仕様に対応していく流れから離れてオリジナリティのある端末仕様を逆に提案していくような動きが出てきたことは成熟してきたことの現れともいえるのたろう。通信業界のリストラクチャリングの流れで、新興キャリアでは端末メーカーに対してキャリアとしての端末仕様を特に提示するスタンスを取らないところまでも出てきている。開発資金の提供までして、整備されたプラットホームのご利益を期待する流れの成果も確かに出始めているのも事実らしい。プラットホーム開発した端末メーカー以上の出来栄えで応用製品開発に成功した別の端末メーカーなどが、その成果でもあるらしい。

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業界独り言 VOL311 仕事の妙味

Quad社には、色々な経歴の人たちが集まっている。顧客先からのエンジニアが特に多いし、また様々な経験を積まれているかたもいる。今年からジョイントしたK君は、国内端末メーカー二社の経験を持っていて最初の職種はCDMA端末設計のハードウェアのエンジニアであった。ソフトウェアエンジニアを志向したものの会社の人事処遇が適わず転職したのだという。しかし、二社目の会社でそうした要望を転職での希望を述べたのだが、ハードウェアエンジニアからのソフトウェアエンジニアとしての転身のステップとしてのシステムエンジニアとしての処遇となったらしい。3GPPを紐解き、仕様理解からの端末モデムシステムのアーキテクチャ開発などのシステム設計に従事してきたのだという。しかし、そうした処遇からの次の段階であるソフトウェアエンジニアへのステップには中々進めないでいたようだ。なぜこんなことを知っているのかといえば、彼の前の二つの会社を担当している弊社の営業マンが共通の人物だったからでもある。えてして部品メーカーの営業マンは、訪問している会社の人事情報などの動向などについては詳しく察知しているものであるからかも知れない。

転職後のK君が、Quad社に転職が決まるまでにも、またいろいろな経緯があった。彼がやって行きたいという仕事と彼自身が現在保有している技術のマッチングが合わない故にQuad社でのソフトウェア技術者として、即戦力として働いてほしいという要件とあわなかったからでもある。そんな彼がQuad社に転職してきたのは彼が保有している現在の標準化活動技術者としてのスキルが認められて、Quad社の日本での標準化活動のメンバーとしてサンディエゴからの逆指名があったからでもある。彼の足跡は、実際の標準化委員会の参加活動を通してQuad社のメンバーに認識評価されてきたということがきっかけである。Quad社という組織の中での標準化委員としての活動は、多くのOEMカスタマーを支えるチップセット開発のベースでもあり昨今のOEMメーカーが参加する委員会活動のアクティビティよりも積極的なものであるらしい。そんな彼が、Quad社に入ってデメリットもあったらしい何しろ途中入社などに手厚い待遇を示す国内メーカーでの転職経験をした彼にとっては住宅手当などの処遇がなくなってしまい実質の収入は下がってしまったというのだ。ともあれ半年毎に給与見直しを行っていくQuad社の仕組みがおそらく彼の仕事成果を収入に反映して良い成果を得ているのだろうと思うのだが・・・

個々の採用条件などがベースとなって構成される各人の給与額などは実際の所、いびつになっているケースもあるのだろうが、半年毎の成果見直しにより伸び悩むのか急速に改善していくのかは個人の資質であり仕事の成果によるものである。横並びの給与が当たり前のように考えてきた時代を生きてきた者としては、自己の仕事成果を見てくれた成果としての給与システムには満足できるだろう。そんなK君が、いま光っているのである。もとよりスタンダードエンジニアとして活躍をしている彼なのだが、今回は彼の最初の会社に対して3GPPのトレーニングをするという状況に陥っているのである。従来は、C2Kしか開発してこなかった会社が3GPPにも登場してくる背景には、通信キャリアからの特色ある端末への期待もあるし、Quad社の提供するプラットホームの精度やチップソフトウェアの横展開といった期待がOEMメーカーにはあるからだ。ある意味で、K君が元の仲間たちに対して恩返しをしているようにも映るのだが、互いのビジネスベースでの偶然でもある。転職することで義理を欠くといった気持ちが日本の技術者に強いのは、その実として自分自身が提供しているスキルが不十分だからと考える傾向があり、自分自身の成長を妨げているからと考えるような世界の風潮からいうと子供じみた感性ともいえる。互いのプロ技術を発揮して仕事を推進する場所が会社という舞台なのである。

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