アメリカンな食事・・・

飽食あるいは肥満の蔓延と呼ばれるアメリカであるのだが、どこか根源的なところで何か感性が間違っているような気がしてならないと感じるのは日本人だけだろうか。無論、そうした感性自体も日本には忘れ去られつつあるのかもしれないのだが・・・。さて、短い期間とはいえ、米国に入ってその暮らしを続けていると、そうしたことを思い知らされることに遭遇する。月曜にはタイ料理のレストランに同僚と向かうことにした、前菜として生春巻きを選んだのは、まあ普通なのだが、私はタイ風焼き飯を、同僚はパッタイヌードルを頼んだ。ちょっとこれは二人前だろうという感じのものが届いたのだが、それは普通なことなのである。料理はおいしいのでよいのだが、残すのは気が引けるしさりとて食べ過ぎるという理性も働く。日本の居酒屋のような形で皆がシェアして食事するのであれば、よいのだがそうした感性・風習はアメリカにはない。

翌日は、お客様とのミーティングもうまく終わり帰国されるお客様との食事をすることになり、初めて米国にこられている方々もいらっしゃったのでいろいろ考えて美味しい韓国料理の店にお連れした。サンディエゴでは、寿司なども美味しいのであるが帰国される方たちにとっては日本食よりはよいだろうと思ってのことでもある。お客様たちは前日にはシーフードレストランでの食事をしていたとのことでもある。お客様四人と私たち二人を交えて六名で向かったのだが、メニューにはコースメニューがあり人数換算で3-4名というコースを選択したのは、以前にほかの日本のお客さまと訪れたときに人数分のコースでとんでもない状況になったからでもある。さてオーダーすると今度は六名の席で3-4人分のオーダーでは店側が納得しないようすなのである。

仕方なく、コースには含まれていないプルコギ(漬け込み味付き焼肉?)を追加することにした、結局トータル六名分となり、結果は最後は罰ゲーム的な様相を呈してきた。もっとも後から焼き始めたプルコギは好評で結局平らげることになった。プルコギを三人前オーダーして、白ご飯を追加で頼むのが印象としては最良だったのではと反省はされた。まあ、店側としては、人数分の売り上げを必要としているのだなあと感じるし、それに該当しないような体格のアジアなメンバーが来て食べきれないのなら残せといわんばかりでもある。料理がまずいわけでないので、チップをたくさん渡したほうがよいのかも知れないのだが・・・。いずれにしてもどこかで歯車が違っているんだよなと感じるのである。韓国料理では突き出しとしいうよりも小皿はデフォルトで出てくるのでオーダーは簡単なこともあり狂牛病について心配する方を除けばお勧めである。

PS:この店の牛肉は、アメリカの中でも高原地区で育成されたスペシャルな種類で安心して食べられる最上の肉ですとは店の入り口に書かれていました。

年末最終フライト?

今年は、元気なキャリアのサポートなどから例年になく米国出張が多い年となった。過去の記憶では最多だと思うのだが、関連して二度ほど台湾にも行くことになり結局今年のビジネス海外トラベルは10回を刻んだ。会社規定により一定時間を越えるフライトでは、ビジネスクラスの適用なので大半の出張である米国でのそれはマイルがよりたまることになる。航空会社の選択はいくつかの枠があるものの海外航空会社を選択することで、期限なしということになるのはある意味ありがたい。実際の使用は自分自身よりも親族の利用が多いのが事実なのだが、それもありがたいことではある。ジェット気流の関係で米国行きは速く、帰りは遅いということになるのだがいずれも10時間あまりのフライトをお付き合いいただく隣席の方とのふれあいも大切である。

海外航空会社ゆえに、隣席になるのは日本人になることは少ないのだが、久しぶりに今回はある団体の会長という方であいにくとおつきの方の分の席はビジネスクラスに取れなかったのだという。聞けば、二泊四日のビジネスフライトということでラスベガスの裁判所からの召集に応じるのだという、あとで調べたところ社債投資の後始末ということだったのでニュースでは著名な方だったようだ。なにを思われたのか、私が若造に見えていたらしくいろいろと話をしていくと驚かれたり盛り上がったりした。まだ人生経験不足という意味では、昨日のライブ会場の雰囲気からももしかしたら浮いていたのかも知れない。初めての方とお話をするという中で、人生の先輩としてのお話を伺えたり、自分自身の失敗談などを話せるのも楽しいひと時である。

私よりはふた周りほどの年の差のようで、彼の自慢の息子さんたちは40代に到達するころだという。私も国内メーカーとしての二十年余りの経験と、現在の暮らしとあわせて三十年あまりとなったエンジニアライフは破天荒とまではいわないまでも、楽しいバラエティに富んだベンチャー的な暮らしが長かったという話をしたりしていた。「人間いつしか、決断しなければならない時がきます」とは、会長さんの弁であるが、実際に部下に進めさせてきたことも含めてご自身の判断ですべてを切り盛りしていくということの大変さは、自分自身の立場にも合致してきたこのごろである。実際に社債投信をして、償還を期待しているところに破綻した通告やらあるいは、逆に社債投信以上の損害賠償請求をされたりという無体な状況の全貌はわからないまでも会長を招致して収拾させる状況にいたったのだろうことは想像に難くない。

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団塊世代のライブ

こんな書き方をしたら失礼かもしれないが、三十数年聴き続けてきた西島三重子さんのライブに初めて出かけてきた。今まですべてのLPを購入したりしてきたファンではあったのだがコンサートに足を向けたことはなかったのだ。のんだくれをはじめとする楽曲すべてを書いている歌謡曲調のシンガーソングライターの走りであろうと思う。失礼ながら私よりも四つほど年上でもあらせられる。近くで素顔を拝見するのは初めてで、印象はぽっちゃりとされたせいで、上沼恵美子さんのような風貌に近くなったようとも思う反面、歌いはじめると往年のLPジャケットでの印象に戻るのである。不思議なものである。聴衆はといえば、私をはじめとする50代以上のメンバー構成なのだろうと感じる。二部構成となっていて第一部は往年のフォーク歌謡を中心として、第二部は彼女の作品という構成で、皆さんドリンク・フードを楽しみながらラクジュアリーなライブとなっていた。

田舎暮らしを堪能されているという西島さんは、御殿場に住まわれていて、野鳥の餌付けを七年かけて成功したという、また写真にも傾倒されているようで、コンサートでは作品を用いたカレンダーをプレゼントとして楽曲のリクエストをいただいた観衆に配布して交流を図られていた。若い世代に囲まれて仕事をしているせいが自分自身の同年代の方たちが主体のライブに参加すると自分の年代を再認識もさせられるものである。ある意味でよい年を重ねたという印象の人もいれば、皆さんの人生の歴史が印象に刻まれているようだ。参加したのは急な展開での土曜の夜であり、翌日は朝から、電話会議の後、米国出張というあわただしいものだったのが、すごくゆったりとした充実した時間をすごさせてもらうことができた。

西島三重子さんといっても、名前を存じ上げない方もいるだろうが、「池上線」という歌ならばご存知のことだろう。映画のテーマソングなども書かれているし、とても素敵な方である。楽曲提供に腐心していた時期もあるし、最近ではラジオ番組でパーソナリティを務めたり、活発な活動をされている。シャンソン歌手などと報道されたりすることもあるようだが、それは平野レミさんと同列にするようなものかも知れない。多才な方なのである。こうしたミュージシャンの方たちの活動を支える収益源はなんといってもレコードの売り上げだろうし、こうしたミニライブなどはファンサービスの一環とCM活動であり採算からいえば投資の部類なのだと思う。まあ彼女のファンの多くが、悠々自適な生活をしている世代とも言えるので今までのレコードもCD化などをしていただければ是非買い求めていきたいものである。

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ゆずおだ

なんと、小田和正とゆずが共演のユニット構築です。初めてオフコースを聴いた高専時代の思い出と、また懐かしい感じの歌を口ずさんでいたゆずの伊勢佐木町での思い出がタイムトンネルを越えて繋がりました。こんな不思議なハーモニーを聴けるというのも有難い時代です。 よく話に出ていたのは、岩沢君と小田さんの高音対決という図式だっのたですが、こんなに早く実現するとは驚きました。収録曲は次のとおりです。丸井のコマーシャルソングということです。

クリスマスの約束/大好きな君に/いつか

 

のんだくれ

懸案で録音しないままに放置されていたのが、西島三重子のファーストアルバムである。すっかり忘れていた、ラジオ関東の昨日よりごきげんでしたかなどの曲もなつかしく、例のピクソールでクリーニングするのだが、個人所有だったこのレコードの状態は普通でいわゆるカビが発生しているようなものもなんとかクリーニングしたものの、残りはデジタル処理となった。耳障りなスクラッチノイズも単純にフィルタで処理するよりは、視覚的に拡大表示した上でハンドリミッティングで高精度な手作業(?)でゲイン処理の変更などで処理するほうが耳障りも曲の印象も損なうことが少ないようだ。

ちなみに、タイトルは「風車」というのが正しい、アルバムタイトルで、このアルバムを聴くきっかけになったのはラジオでかかった「のんだくれ」という曲に他ならない。この曲がメジャーなデビュー曲だったかと認識はしているのだが、一般には池上線のほうが著名だろう。最近では、SBSラジオでパーソナリティを務めたりもしているようだった。当時は、パルコ音楽祭でデビューしたというように記憶をしているのだが、FM東京で聴いた「のんだくれ」というこの曲を聴いた時には日本のフォークと歌謡曲の中庸をいく感覚の人だなぁと感じて自分の中で昇華していった。

曲はすべて、西島さんの作品で、作詞は佐藤順英さんということでした。

ピクソールのレコードクリーナー

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さて、表題のメーカーは上記の写真のような粘着性テープの原理を応用したレコードクリーナーの元祖ともいえるものである。私は、アナログレコードからデジタル化していく流れには、ステレオに接続したCDRWレコーダーに対して録音をしていくのだが、音源であるレコード自体の埃とりが一番大切な手順であることはいうまでもない。最近の若者は知らないとおもうのだが、針で音を拾う原理上埃があれば、それを音として拾ってしまうのである。その埃を粘着で取り去るというこのクリーナーは英国製なのだが、三十年以上もたつのだが未だに販売続けているのは偉い・・・。

ちなみに原理上も消耗品を提供しなければならないのだが、かえってそうしたビジネスモデルは長続きするのではないかと思われる。メカ自体はプラスティック製になり進化を遂げてはいるもののコンセプトにはいささかの変化もない。この製品が登場してからほどなく国内メーカーからシリコンゴムのローラーによるクリーナーを提供したメーカーが出てきたのだが、消耗品を必要としないビジネスモデルでは長続きしなかったようである。 このクリーナーを買い求めるにはアナログプレーヤーを置いてあるようなオーディオコーナーがあるような店か、レコードそのものを置いてあるような店に行かねばならない。

そろそろレコード針の心配もしなければならないのだが、まずはカートリッジの心配をした上で、交換針を用意するという手順が実際のところ必要な手順なのだろう。かつてグッドデザインを得た某大阪のメーカーのリニアトラッキングプレーヤーを使っているのだが、コンセプトとしても提供したT4Pという簡単な規格の共通カートリッジ故に、残された選択肢がより少なくなっているのはいたし方ないところでもある。 最近入手した日暮しのありふれた午後というアルバムをiPodに変換するまでには、CDRWの後の処理としてもノイズ処理などがあるのだが、まずは良質なアナログでの再生が大前提なのである。

お役所回りで・・

久しぶりに休暇をいただき懸案事項の事務処理にあたりました。六月に行った、不動産ローンの後処理は五ヶ月あまりの放置状態でしたので年内に片付けたいということでもありました。折角完済したのですから、自分名義の不動産に抵当権設定がついたままというのは情けないものです。銀行から来ていた完済後の後処理に関しての連絡を再確認して銀行に向かい、必要な通帳と印鑑を持ち込み手続きの書類をゲットしました。後は、法務局で・・・ということでしたが。

法務局は、馬車道の奥に位置していてみなとみらい線で馬車道駅まで向かいます。あいにくと午前の受付は終了しましたということで受付整理番号の20番という番号と受付待ち二人という表示をみて、午後一時からの再開では二番目だなと理解してしばらくは赤レンガ倉庫あたりまで散歩をして時間潰しです。ワールドポーターズで散策して頼まれていたフランスパンをゲットも出来たのでまずまずの展開でもありました。気がつけば万国橋の近くにあった純喫茶も潰れていたりしていろいろ。

法務局は神奈川県庁の第二庁舎にあり、ここの低層ビルは古い体裁のままで一階にある喫茶室も味わい深い佇まいです。食券の販売機で購入するスタイルですが、290円のコーヒーはなかなかのものでした。一時少し前には法務局に再度伺ったのですが既に午後の手続きが始まっているようで気がつけば番号は既に進んでいて25番までいっている様子。なんとマイペースに運用されている部署なのか、まあお役所らしからぬベストエフォートで作業されている姿は良いかも知れません。

持ち込んだ不動産関係の書類を確認していただき、所要の収入印紙の額を承り、反対側の売店で4000円の印紙をゲットして作業依頼の準備が完了する。ここまでの手続きを支援していただいてる方たちの仕事は、実は法務局とは関係のない方のご様子でボランティア?なのでしょうか。出来上がったキットを本来の窓口に持ち込み、引き換え書類をいただき、あとは三日間の待機ということになりました。

ありふれた出来事・・・

ヤフオクで探していた70年代のレコードが手に入った。表題の日暮しというグループのアルバムである。早速、オーディオセットでCDRWに録音してディジタル化を始めている。アナログソースなので物理的に録音時間はかかってしまうのは致し方ない。TEACから出していたオーディオ機器としてのCDレコーダーを使っている。怪しげなのはオーディオ用に著作権費用を払っていることになっているCDRWというメディアである。最近稼動させていなかったので、まずは該当のCDRWがまだ売られているのかということが課題だったが、以前このデッキを買い求めた旧ヤマギワ電気で置いていた。実は録音を始めてから、以前のCDRWも見つけることが出来た。

著作権料を払っていない、通常のCD-RやCDRWでは録音することが出来ないという厄介な政治的な状況下で開発販売されていた機器のようである。実際問題としてCDRWに著作権料を払ってみたところで録音されたPCMデータにはCRRMの鍵がかかるわけでもないので致し方ない。そもそも音源はアナログなのである。著作権協会に支払った費用がどういった形で還流されていくのかはより不可解である。そもそも、こういった機器を使わなければならない事情はディジタルソースとしての入手困難な音源をようやく入手しての話であり、そうした楽曲を提供していた方々が現在活動しているはずもなく、誰のためにお金を払うのかはきわめて不可解である。

私が、お金を支払ってでも聞きたいのはオリジナルを歌っていた方々あるいは楽曲を作られた方々に対してなのである。そんなことを愚痴っても仕方がないのだか、CDRWに落とされたデータは、続いてはサウンド補正処理をPCで施されてスクラッチノイズなどの除去を行い、音量の正規化などを施してから、iTunesなどにかけられてiPodに転送されてようやく私のライブラリとなる。表題の日暮しというグループは、ボーカルが杉村尚美という後にソロでサンセットメモリーなどを歌われた方でもある。「いにしえ」という曲は、コンピレーションアルバムとしてCD化されてはいたのだか、新入社員時代に購入して保有していたころの楽曲を聞きたくて再度入手することにしたのである。

椿山課長の七日間

帰国早々の土曜日であるが、貴重な細君との時間なので浅田次郎の邦画を見る事で意見が合った。社長からの呼び出しでのオフサイトミーティングもあったので、午後の六時の回で現地合流することにした。オフサイトミーティング自体は、横浜の駅前シェラトンで明日から米国に向かう社長とプロダクト担当のお二人をアプリ環境担当のメンバー達を迎えてのブレーンストーミングとなった。いろいろな開発プロジェクトの進行途上の中で、現実の顧客に向けて提案していくという流れをトレースしていく上で適切な提案が出来るのかどうかが課題である。

二時間あまりの会議は、iPodに仕込まれたマイクによりボイスメモ機能も確認することが出来て実際に録音性能も確認することが出来た。これ以上の録音達成には電源が必要だということも認識できた。音声は思いのほかクリアに録音できるようだった。ケーキセットのご利益があったのかどうかは不明だが社長ら二人に米国で訴求していただくことや、国内組みでフォローすべき内容については確認することが出来たので、週末の時間を使ったミーティングの価値はあったということだと思う。ベンチャー気質が残っている点はこうしたことに皆が快く参加してくれることからも確認できる。

ミーティングを終えて、横浜から関内までJRで向かい細君とCメールでコンタクトを入れる。伊勢佐木町で100円ショップでアイデアウォッチングをしているようだった。場所勘があったので、当たりをつけて程なく現地で合流することが出来た。今回の映画館である横浜シネマリンは、数少なくなった伊勢佐木映画街の生き残りである。ニューテアトルとあわせて封切り映画を上映するのはこの二館となった。最近のシネマコンプレックスとは異なり、それぞれ地下のフロアを使った小さなつくりは昭和からの映画館の末裔としてふさわしい佇まいである。とにもかくにも例によって二人で2000円で映画が見られるのだから感謝ものである。

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天候不順につき・・・

何度かに一度は芽を出してくるのが、フライトキャンセルあるいはディレイである。サンディエゴとLos Angelesの間のそれは特に午前中に起きることが多いのだ。くるときは良いのだが帰りは致命線となる。ちなみに今回のフライトでは来るときの便は空いていたにも関わらず、私の荷物は一便遅れていた。これは、何かの積み込み誤りか何か・・・だったろうか。帰りは、11時発のNWのLAX発成田行きに乗ろうと八時前のユナイテッドエキスプレスに乗る予定だった。他のメンバーよりは時間が早いこともあり一人でタクシーで空港に向かった。運転手のお兄ちゃんとは、ロスまでタクシーでいったほうがいいんじゃないの・・・などという話をしていたのだ。

カウンターでチェックインして荷物を預けて、ゆったりとiPodを聞いて待っていたのだが、ユナイテッドのお姉ちゃんがページングを始めた。10時以降のインターナショナルにコネクトする予定の方はバスに乗れという。飛行機が霧でサンディエゴにこれずに引き返したというのである。寝耳に水、帰国組と思しき旅行者がカウンター前に詰め寄っていた。お姉ちゃんいわく8時にバスが来てロスまでハンドルするので10時には到着するので、これが最善だというのである。ちなみにこの報知時刻は、7:30前である。バスへの振り替えチケットを発行してもらい、チェックインカウンターに戻り、荷物を返してもらい、さらにコミューター空港の外でバスを待つのだが、結局きたのは30分遅れで、8:30である。ある意味でこの時点で絶体絶命である。

まあ高速が順調ならばなんとか間に合うかもというのは前回タクシーでいった際に90分ほどで着いた記憶も手伝っている。だが、あれはホテルからではなかったか、いずれにしても一時間無駄に待つという徒労を味わった上では無料のバスに乗ることを選択するしかなく行動力不足の自分を憂う。あきらめてバスに乗り込んでいると、次々と後続のフライトまでもキャンセルになり当初の方針はますます揺らいでいたようだった。いわゆる自分のフライトは切り捨てられた部類に属していたようだ。誰かが「私のフライトは10:20なのよ」と叫んでいた。同類がいるようだ。

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