原理に遡って

スピーカーの試聴会に行ってきました、日本橋の会場は手作りの雰囲気でしたが、製品はなかなかしっかりとした音を聞かせてもらいました。ユニットとして採用されていたものは、国産のこだわりメーカーの品物でしたが、実際に聞かせていただいたCDからは豊かな音楽性豊かなものが広がってきました。12センチのフルレンジスピーカということでしたが、エクスポーネンシャルホーンのエンクロージャーとの相性もばっちりでした。2時間あまりいろいろと聞き比べなどをさせていただいて、ぜひ自宅にも置きたいなと思ったしだいです。

このスピーカーはコーン駆動部の磁界の流れに着目した原理レベルでの最適解を探してたどり着いたというものでしたが、実際に聴かせていただいた様々な楽器は我が家の好みのものとして納得出来るものでした。磁気歪み率0.25%という内容がどれほどの意味をもつのかは専門外なので分かりませんが、ぜひ一度聞いていただきたいものです。フルレンジスピーカーの口径は12cmなのですが実際に聴かせていただいたエンクロージャーは口径20cm対応のものでした。

さて、この試聴会は新潟のベンチャーということで新潟県のアンテナショップのような位置づけの会場で行われていました。実際に会場にいたのは、ほとんどがリタイヤ族の団塊の世代といった趣で、オーディオという趣味が、世の中からはなくなってしまっているような状況にみえました。こうなったのはiPodのせいなのかどうかはわかりませんが、よい音を聞く習慣が無くなってしまったからなのでしょうか。 素直に作られたホーンと、素直に作られたスピーカの組み合わせで聞いたチェンバロの響きも弦楽器も忘れられないものでした。

これとは対照的なものかも知れませんが、やはりバックロードホーンのミニチュア版でアクリル仕立てのものがiPodと真空管アンプの組み合わせで置いてありました。スピーカーは8センチ口径のものでしたが、ボーカルを聴くには素晴らしい音像低位と艶っぽさを再現していました。こちらも手元にほしいものでした。こちらのユニットは台湾製ということで価格も先のユニットの2%程度のものなのですが、素敵な音を出してくれていました。

入学式は青春の1ページか

初めて入学式に向かう高校生と、その親が楽しそうに向かう姿をたくさん見かけた。自宅の少し上に高校があるからなのだが、年に一度しか見られない貴重な光景である。子供以上に親が楽しそうなのである。自分がもう一度高校時代に戻れるかのような錯覚を覚えている思しき風情を漂わせながら子どもと連れだって歩いているのである。自分が、入学式に向かったときにも確かに父が連れ添ってくれたような気がしている。桜の季節にはじまるこの風景は日本の良い風習なのかも知れない。

これから3年間という限られた期間で始まる子供たちの新しい生活体験は、親にとっても子供にとっても刺激的なものに違いない。まあ高校生活というものの経験がない自分にとっては、5年間の生活の始まりだったし、大人の世界にも見える上級生との生活やエンジニアに向けた学生生活は実務に向けた効率的なものだったといえる。最近の子供たちがはたして中学の段階でそこまで就学意識あるいは就業意識が芽生えているのかどうかはわからないのだが・・・。

自分が当時の両親の世代になっているのは確かなのだが、自分としては、この夢見心地の親たちが、子供たちの成長を見守ることができればよいのだろうと思う。高校の先にまつ大学あるいは社会というものに対して、子供たちの好奇心が育まれ必要な意識が芽生えて自身の気持ちに火がついて勉学に勤しむことが出来ればよいのだと・・・。教育現場で不足していたことの付けが、社会では発生していて年初に書いた別の掲示板での議論などもある。無為に過ごすことなく貴重な時期を過ごしてくれればよいと思うのである。

 

春遠からじ

一週間かけて、国内のお客様を巡ってきた。新しいビジネスの始まりの中での難しい状況での、新しい技術の展開フォローにはメールでのやり取りでは伝えきれない部分が多く、米国メンバーを交えての一週間のツアーはタイトなものではあったのだが共通認識を深めるという意味での成果は大きなものとなった。 サポートする側も開発するお客様も新たな枠組みでの仕事の仕方に面食らっているということが最前線での印象でもある。この一年で大きく変わってしまうことになるだろう開発の流れは、確かに効率を上げてその意味での開発生産性を向上することになるのかもしれない。無駄という認識で削減されようとしている部分が本当に意味のないものだったのかどうかは、実はまだわかってはいないのである。

一週間かけて日本のお客様の状況を把握して、さらに一週間かけて次の段階に向けての検討部隊との作業準備などを全体調整しながら準備をしている。サブマリンのように深く潜行(先行)して突然登場するといったことが出来ないのは現在のビジネスを抱えているが故の悩みであり、またそれほどの大規模な投資を対価が見られるまでに長期間続けていくといった余力も日本にはないのも事実なのである。今のビジネスをしつつ、次の流れに向けての検討を重ねていくという当たり前の仕事の仕方ともいえる。ただし、注意すべきは国内メーカーの主体性を失ってしまうような懸念があり強いリーダーシップをメーカーでないお客様が果たしていくというビジネスモデルの両刃の危険について警鐘を鳴らす人もいる。

いろいろなメーカーあるいはベンダー同士の協調の中でビジネスを進めていく上では、やはり密接なコミュニケーションが必要であり、ここで誤解が生じると、その修復には多大の労力を費やすことになるのは、それぞれが自主的に良かれと思って進めてしまうことが結果として時間がたつほどに大きく離反してしまう結果につながるからでもある。修復は早いほどよいのだが、あいにくとそうした誤解に伴う互いが自主的な積極策への動きが互いに見えにくいこともあり気がつくのに時間を要することが致命傷になることの心配もある。現場を離れたトップ同士での積極的な交流などで生じるよい動きも、現場のフォローがあって初めて実を結ぶことになりいろいろな階層の人たちに向けて正しいメッセージを発信続けていくことが必要なアクションとなる。

ようやく春らしい兆しが見える時期に、また渡米してこうした新たな取り組みの渦中で、現実と未来の狭間に立たされている。ロサンゼルス空港近くの桜はすでに満開となっている。日本の桜も、今週には咲きそろっていることになるのだろうか。西海岸でも南部に位置するこの地域での気候は年間を通じてそれほどの温度差もなくすばらしい環境となっている。それゆえに暗い日本海の荒海を見たり、長い冬を越えて春を期待するといった情緒に欠けるところもいなめないのである。四季のある国で仕事をしているお客様と、そうした能天気なあっけらかんとした環境でマイペースで仕事をしている状況の間には隔たりもあるのは事実である。コミュニケーションのベースとなる風土や文化は、対立したりあるいは新しい発見を生み出して相互研鑽ということにもなるので物事を達成させようとする強い意志が最終的な武器となって仕事を進めていくことになる。

時差を超えて、さまざまな現場で起こっている日々の新たな事件や革新などについての情報をメールやチャットで共有しながらのコミュニケーションワールドを過ごしながら、ここで良いコミュニケーションを達成することで始めて良いコミュニケーションツールを提供しうるソリューションベンダーとなるのだろうといまさらながらに思う。

仕事の狭間で悩みぬき

表題のような趣旨のメールを知人からいただいた、月に響く笛の話などから自分で抱え込んでしまってよいのかどうか悩んでいるといったことらしい。悩み多き派遣社員として長く仕事をされている方ゆえのお話でもあるようだった。真実を吐露したいという思いと、吐露してもだれも解決にも何も当たらないということなどが気持ちとして交錯している様子でもあるらしいが、抱え込んでしまっていることを話して楽になりたいということでもあるようだ。 

最近の仕事のはやりは、派遣に仕事をさせて、社員は悩まないということなのだろうか。社員以上に仕事に経験も知識も責任感も溢れるスーパー派遣な方が登場するのは、なにもテレビの番組だけではない。現実の仕事を回していく上でそうした方たちの力が必要だし、社員がそうした力を自ら育んでいく事に異を唱える風潮すらあるような気がするのは最近に限ったことではないのだろうと思う。あっけらかんとサラリーマン人生を送ろうと捉える正社員の方たち契約更新を契機として自らを高めていかざるを得ない仕組みで会社がようやっと回っている現実には寂しさと悲しさを感じてしまう。

会社には光の当たらない仕事もあり、そんな仕事を任されている派遣の人もいるのである。その会社がベンチャー気質に溢れていた時代を知っている私にとっては、そうした会社でも今では余裕がなくギスギスとして良いものを作り出そうということから、売り上げをこなすことに精いっぱいになっていると聞くと致し方ないのかなとも思う。果たしてそのようにしてこなしていった仕事が社会貢献になったのかどうか不明なのであるが、とにもかくにも地方公共団体や官公庁の予算に計上されていた内容を消化するということを通じて貢献だったと理解しているのに相違ない。その仕事の必要性について論じ始めたら田中元知事のような状況になってしまうのだろう。

そんな光景を思い浮かべながら、真実を吐露したがっている知人の思いの丈などを推し量った。イーホームズの社長のような真っ正直な生き方もあるだろうし、限られた官公庁の仕事を真摯にとらえて誠実に進めていく上での談合なども必要悪として考えてもよいとする企業の考え方もあるのかもしれない。 まあ事業経営者でない立場でなかなか判断を求められても難しいというのが実情なのだろうと思う。食品製造という仕事についたとしても会社としての素性があやしい最近話題の会社だったりすると本来のことに思いが行かなかったりもするので、その分野のプロとしての意識に目覚めないままに暮らしている人もいるらしいのが最近の日本だったりするらしい。

スーパー派遣のストーリー「ハケンの品格」は、今週が最終回となるのだろう、でもいたるところで品格を問われそうな会社の仕事や顛末は転がっているのだろうと思う。開発をしている人、サポートする人のそれぞれの成果が国を超えて文化を超えてそれぞれの国の端末やサービスとなって根付いていったときにサポートしている私たちの仕事の品格を高めていくことになる。コミュニケーションの手続きを間違って失ってしまった機会損失を贖うためには大変な労苦を必要とするし、その過程で互いの品格を傷つけあうような状況にも陥る。地道に解決をしながら掛け違ったポイントを互いに確認しあいながら前向きに仕事を進められるようにすることでコミュニケーションの傷口を癒していけるのだと思う。

義理の父が入院することになり、気になっていた骨伝導式のヘッドホンをプレゼントすることにした。というか最近になりようやくまともなスペックの骨伝導のものができたというのも事実らしくタイムリーに購入することができた。少し価格の張る製品だったが、音楽好きだった義理の父が耳が不自由になり楽しめないでいたらしいということも含めて想像以上に音楽が楽しめるような製品だったことがわかり安心した。BOSEのQuietComfortよりも高価なヘッドホンであり、かつ超磁歪トランスジューサーというメカニズムが必要とする電力からか連続10時間しかバッテリーが持たないということもあるのだが、新たな世界を提供することには相違ないということである。

ちなみにアンプ部分にはマイクを付けることも出来て、補聴機器としての補助機構にもなるようである。

e-Tax 続報

さて、今週は確定申告で課税される方々の期限となっている。あたふたと年休を取られる方もいらっしゃることだろう。実際問題、eTaxにして便利になったという面と、こんなシステムの動作状況で稼働率が低いという状況では今後が思いやられるということも含めてeTaxもあまりお勧めできる状況ではないといえるだろう。eTaxのシステムを使っていてインターネットのリンクの問題なのかサーバー側の問題なのかといった心配を勘ぐるまでもないのだが、普通の操作登録をして30秒以上も応答が無くなってしまうような状況を普通の人は待てないのではないかと思われ・・・。

そんなe-Taxではあったものの、ともかく払うべき課税アイテムを列挙登録しておいたのだが生憎と非課税というよりも控除対象となる生命保険料などの払込通知の資料が年末調整で提出したままになっていてかつ、年末調整が行われなかったことなどから手元に存在しないという事態であり、総務に問い合わせるも半期毎の昇格・査定の季節と重なり確認が取れない状況となり、まずは割愛してまとめておいた。書き込んだ電子資料に対して、電子署名を施して送信するのがeTaxのシステムである。添付資料などは郵送することになるのであり、確定申告の訂正として還付申請を行うのが時期の観点からもよろしいかと思われ、そのように実施した。

送信が完了すると、ただちにPayEasyで払込ができるようになった。銀行口座から連携して税金額が振り込まれるように連携しているのはeTaxの便利なことではあるのだが、額などについては今一度逐一確認することは必要だと思われ・・・。随分な額の予定納税を実施してはいたものの、昨年もストックオプションを適時に売却してしまい五月の最高値で売り切ってしまったことなどから税金への還元も、また記録更新とあいなった。子供もいない我が家にとって税金の納付で得られるのは人間愛くらいのものであろう。

e-Tax つれづれ

「簡単だねぇ」と大沢親分に言われて導入する人がどれほどいるのかどうか不明なシステムがe-Taxである。ともあれ、年に一度の面倒くさい行事確定申告が簡単になるはずもない。e-Taxを導入するのには何が必要かといえば個人認証を行う納税者カードのようなもの(住民基本台帳card)を発行してもらい、これを入手をする必要があるのだ。国民総背番号制なんてものには、とっくになっていのだがカード自身は配布されていないのである。何に使うのかといえば、免許を持たない人の身分証明書には使えるようなのだが、使い道ICカードゆえに期限もあり個人特定の認証が目的となっている。これがあれば、実印も印鑑証明もいらなくなるようなもののはずなのだが一向に普及する気はない。ちなみにカードの発行には500円が必要であり、発行を受けるためには、当然、最寄の区役所まで出向かなければならない。

写真付きの身分証明書としてはハムの免許とパスポートしか持っていないのだが、三年前に再発行してもらったアマチュア無線の免許証を出しても話がこじれそうなので、一般的な回答としてのパスポートを提出した。10年パスポートの九年目に入っているところなので、実はアマチュア無線の第二級免許の写真のほうが新しい。電話級の免許となると中学生の自分が写っているのでこれを出しても始まらないだろう。身分証明書としての使い道には写真・住所付もできる様なのだが危ないのでそうしたものは増やさないという方針でいる。証明書はひとつあれば沢山であり、住所や名前・写真などがわかると厄介な事件に巻き込まれかねない。無論亡くしたときの想定だが・・・。カードを扱うためのcardリーダーも当然必要でヨドバシなどで3000円ほどで買い求める必要がある。またcardに書き込まれた情報を個人認証サービス局にPKIのペア鍵を書き込み運用できるようにしなければならない、ここにも費用が500円ほどかかる。この電子証明書の期限は三年間ということである。実は、住基カードの期限もありこれは10年である。まあパスポートと同じということかも知れません。

税金を払い込むためにお金を投資するということには不満のあるかたも多いでしょう、払ってやるから取りに来いとはいえないのは国民の義務だからですが、果たして払い込んでいるほどの恩恵を受けているのかどうかはまったく不明です。相互扶助という意識でなければ折り合えないのが実情でしょう。毎年自分の誕生日あたりから税金の手続きの話の時期に入ります。ちょうど一ヶ月ほどですが、今回は二週間の出張が挟まったのでこちらでeTaxをしようかとも思ったのですが、カードリーダーまで持ち込んで米国から納税手続きするのは異常でしょう。ともあれ未だ0.1%ほどの普及率ということですから電子政府には程遠く、掛け声と現場の乖離ははなはだしいものです。手続きを簡素化して事務合理化に貢献しようということでの理解認識のもとに訪れる役所の対応などにはいちいちいやになってしまうほどです。そんな役所との付き合いが薄まるという意味ではよいことだろうとしてしか認識できないのでもあります。公僕という言葉をまずは、子供時代に正しく教えないと五時に帰る首にならない世界という認識の子供が大人になり悪循環をまわすだけのような気がします。

私の払い込む納税がほかの必要とする方々に還元されるのは、私の望むところですが、意識のない公僕ならぬ日本株式会社の方々の給与支払いに回ってしまったりしているのではないかという疑念が増えていくばかりです。ともあれ、株価での所得にしろ、給与での所得にせよ公明正大に払ってやろうじゃないかというのが私の生き方だったりしています。また、株価が高騰したので高め設定にしてあったストックオプションや社内持ち株などが売れてしまいました。円安の時期だったのでこれはうれしいです。還元する額が増えて国民の義務が果たせるのはありがたいことです。

三連休をつぶして、三連休の街に阻まれて

日本での三連休は、先週のことで、今週は米国が三連休なのである。

日曜のフライトで飛んできて月曜からの仕事をしているので、日本での休日を一日つぶした勘定になる。

でもって急に出張が延長になったのだが、今度は、米国がプレジデントデーで三連休となる。時期的には、旧正月とかぶる時期でもある。

やった・・・と思うのは早計で、街こそは休みの只中にいるのだが、日本は日曜の午後からは起きてくるのでメールの嵐と対峙しなければならないのである。

まあ支えになるのは脳天気ともいえるカリフォルニアの青い空である。こんな天気のサンディエゴもあるかと思えば、ボストンにいる知人は雪がふり路面凍結で思いっきり背中から転んだらしい。はてさて日本は、雪もないまま冬を終わるやに聞いているのだが・・・。

カリフォルニアの通勤風景

業界独り言 VOL335 効率化とゆとりは共存するのか?

いわゆるニッパチの季節ではあるが、最近ではチョコレート業界の後押しも功を奏して景気はいかがなものかと思う、今日この頃でもある。節分の売り上げも単なる豆だけではなく太巻きのメニューも加えたり、月間のアイテムとしてイチゴの季節であると訴えたりと情報操作に奔走しているようだ。さらに最近では放送業界の番組なども通じて人心を惑わせるという技までも繰り出されているということなのだが、さてポリフェノールは無罪だったのだろうか。衛生管理という基本中の基本をなおざりにしてきた会社だったのかと思わせる驚愕の事実などが明らかになったりして「見る」チョコレート効果はマイナスになっているのかも知れない。

端末開発という仕事を進めている流れの中で、遭遇してきたコストが合わないという現実を直視しているメーカーが多いのは事実だろう。また、そうした中でコストダウンを進めようと苦心惨憺しているのも事実だ。開発コストダウンで下請け叩きをしても始まらないのだが、結局仕事が回らなくなってきたところから切り捨ててというよりもプロジェクト自身が切り捨てられたりしている惨状ともいえるだろう。複数のキャリアにうまく自社のデザインをフィットさせようとしている会社もある。キャリアの仕様など鼻にもかけずにマイペースにものづくりにまい進しているメーカーなどは国内のメーカーではない。国内キャリアの複雑高度な端末仕様がクールな文化だという意見もあるのだが、クールな文化として感じ取る以前にビジネスとして始まらなければ話にならないのでもある。

ひとつの方策が最近二番煎じまで登場してきたキャリア自身によるデザインの推進である、国策として単にRUIMの互換性が課題だといっている脳天気な政府もいるのだがキャリア同士のサービスの競争を続けてきた流れに目を瞑って話をしても意味がない。懸命に国の援助も受けずに自らの投資を行いコストダウンにまい進しようとしているのである。サービスを競争させる中で端末の差別化でなくサーバーとしての差別化に走れというのなら、まだ納得がいくのだがそんな視点があるわけでもないし、P2Pで様々なサービスを実現していくことこそが時代の流れとも思えるのに、サービスと端末価格のバランスをうまく実現させようとしているキャリアの努力などを理解しないままの無策な政府提案だといえる。

結局、余計な仕事をしないで共通仕様の端末ベースをうまく作り出した上で、各通信キャリア同士の仕様競争と、端末メーカー同士の競争とを実現していくうえにはリーズナブルな方策のように見える。問題は、端末開発経験というものを本当の意味で通信キャリアが体験する中で遭遇する困難をいかに乗り越えるのかという点になると思われる。通信キャリアの実力が問われるということでもあり、また利権うごめく中での物づくりの上でIPを尊重しあいながらプラットホームとして完成させていくという仕事には多くの課題が横たわっているといえる。 同床異夢とまではいかないまでも、メーカーは異なるキャリアに対応を同様にしたいものであり・・・・。

今の仕事と、これからの仕事・・・そんな掛け声をかけながら方向を精査しながらの開発スタイルという本来の姿としてギアが入り始めてきた。とかく今の話を追いかけすぎだった時代から考えるとゆとりといえるだろうし、そうした中で効率化を果たして生きたいという思いにも注力することになる。責任分解点を明確にしようということも新しい流れだ、自分の領域を確保しながらインタフェースを明確にして境界面を厳然とOSと構造で分離した形にするというになる。下手にやると、どこかのPDA用のOSのような顛末になってしまう。モジュール化した強固なコンポーネントで構造を作りこむことで、Openなインタフェースな世界を構築することが望まれている。適当なソースコードを開示して適当に修正を許容するような姿ではなくIPを担保したうえでインタフェースがオープンな世界ということになる。

なにぶんにも開発費用を捻出できるのはビジネスモデルを確立している人だけであり、そうした人たちが無為な金遣いをしないことが、ゆとりを生み出す効率化につながる仕事のスタートだと思うのだが、とかく現状肯定に走ってしまいがちな狭い視点の業界経営陣が多いことが課題なのだろう。政府を使って馬鹿な政策を振り回させることで、自分たちのことにプラスにつながると考えているのだろうか。そんなおろかな幻想を政府に抱くことがすでに間違っていると思われる。さあ地道にまっとうな仕事をしようや。しかし地道な仕事をしていても後ろ指はおろかスケープゴートにされてしまうような現実の政府や官僚の中で、がんばっている藤田東吾さんのようなまともな感性をみなで共有したいものである。

業界独り言 VOL334 新築そっくりさん

知人であるM氏は、大手電器メーカーでソフトウェア開発を多年に亘って携わってこられた方で、最近ではCMMIなどのソフトウェア品質改善活動などの枠組みを全社的な活動にする事務局などもかって日本あるいはアジアを飛び回っているらしい。大学は、もともと京都大学を出られているのだがあまり京都の町に造詣はなかったらしい。そんなM氏としばらくぶりに食事をしたのは、大阪地区・中国地区への出張が続き大阪泊まりとなることがあったからでもある。彼は、学生時代からいつかはもういちど京都に住みたいという思いを持ってはいたようで、それまで住んでいた奈良の地を離れて最近は京都の北のほうへ居を移したということだった。築70年近い建物の壁や柱などに直しをいれてあるということだった。その家に帰り着くには、出町柳駅から自転車で25分ほどかかるということで健康的な生活でもあるらしい。関西の方ならばご存知のように京都の北というのはだんだん山に向かっていくという地形なので帰りに25分かかる道は行きには15分ほどで済むらしい。

さて耐震偽装などが明らかになっている現在では、中身を見える木造の家をさらに改築してすんでいるというのは賢明な選択でもあろう。建築では設計確認申請という手続きの合理化・簡素化といった観点から強度計算などの仕組みをツールチェーンで提供する枠組みを国の認定で提供するという革新的なことになったのは大規模な地震などを経て建築設計に関しての強度評価ということを国として基準を改定したうえで確認申請をツールで行っていくということになったからでもあるらしい。そうしたことで新たなビジネスが生まれていき、昨日紹介したイーホームズのような民間審査を行うことも出来てきたのだろう。まあ人間が設計している内には感性としての閾値やアナログ的な視点が残るのだが、そうした作業がツール化されてしまうと実態として行っている部分が隠蔽化されてしまい感性が失われてしまうというサイクルに陥るのはいたし方ないことでもあろう。想定しないケースで別の目的で悪意を持った使い方をすることで経済設計ということを評価するような事態はともかくとして、強度不足の感性を持ち得ないということは最近のツールまみれの技術者に共通のことかも知れない。

さてソフトウェア開発の大規模化の流れで、全貌が見えなくなってきたということが最近のソフトウェア開発では共通認識となってきてしまっているようだ。こうしたソフトウェア開発からものづくりの見直しを図って位置から再設計しようなどということを受け入れてくれる幸せな余裕のある、あるいは実際の商品化など念頭にないような仕事など出来ようはずもない。無論、エンジニアの方々はいずれ機会があれば、そうしたことに取り組みたいということも共通認識として持っておられるようである。しかし、そうしたことで得られるメリットと現在のビジネスモデルの中で許容される開発投資のバランスをみれば新築そっくりさんとして手を入れていくということになるのであろう。ただし、丈夫な骨組みで作られたふるい家を新築そっくりさんで変えていくということ、改築改築で出来上がった熱海の楼閣のような状況に手をいれていくということには違いがあるのだと思う。

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月に響く笛

書店で買えない本があるという、ネットでしか買えないらしい。耐震偽装の冤罪というか、政府の情報隠蔽工作の犠牲になった人物が書かれたものである。当初は、文芸春秋に持ち込み共感をえて発刊されるそうだったのだが圧力がかかり発行できなくなったらしい。ネットで検索して購入出来たのはAmazon取り扱いの直販スタイルでの購入となった。取り扱いをしただけで圧力がかかるのかも知れない。現政権の存続も危ぶまれる大疑獄とも受け取れるのである。

この本には一応コードもついているのだが「ISBN4-903786-00-5」、版元はimairu.incとなっている。面白いのは住所はNHK放送センター内郵便局留と記載されていることだ。著者の藤山東吾さんは、元イーホームズの社長であり、その事業を破綻に追い込んだのは権益を守ろうとしている政権中枢の方をはじめとするものだったのだろう。その顛末を知りたいという方は是非読んでいただきたいものである。残念ながら世の中を正そうとする正義の意識で書き起こされたものであっても、図書館には決して置いてくれないようなものなのである。

アパホテルの一件が京都から再発しそうな状況だったのが、また隠蔽、情報操作されているような最近の動向を見るにつけ唯一の方策は正しい事実をみなが認識することにあるだろう。ただし、最近ではあるあるに限らず、もしかしたら日常に起こっている事件すらも情報操作攪乱のためのやらせだったりするのではないかとかんぐりたくもなるのである。政府だけで出来そうな失言などの話などが京都アパの一件と入れ替わりに立ち上がったのではないかなどとあらぬ妄想が駆け巡ったりもする

月に響く笛