開港祭・・・

開港記念日6/2といえば、横浜では市内の小中学校が休校になるのだが、残念ながら今年は土曜日ですでに休みである。まあ、我が家には2ndハーモもいないので関係ないか・・・。この季節には、開港記念バザールが開かれて一週間近く、植木市が横浜スタジアム周辺に立つのである。まあ園芸好きの方たちにとってはそわそわしてくるということなのだろう。

我が家でもご多聞にもれず、園芸好きの方がいるので最終日ではあるものの繰り出すことになった。さわやかな梅雨前の季節で済んだのは幸いでもあった。雷雨だったり、真夏日だったりと天候が不順になっているのは最近の日本での温暖化の影響なのかも知れない。先々週の中四国への旅行でも天候に恵まれたので、最近の家内イベントは順調である。

ありあけのハーバーといえば、倒産した以後に、関係者で再生といった流れで今は持ち直しているらしい横浜銘菓である。最近では、景気が良いのかプチセレブ狙いといった志向の店舗を中区にも展開しているらしかった。今日の散歩のついでに立ち寄り看板に出ていた「黒ハーバー」なるものを茶菓として買い求めようとしたのだが「箱売り」のみであるというタカビーな展開だった。まあ、一個売りが貧相とは思わないのだが、奢らないほうが良いのではとは感じた。結局買うのはあきらめて何かの機会に誰かにもらうまでは手を出さないことにした。

ありあけとは、異なるのだが破産再生と聞くと、米国の一連の航空会社が思い浮かべられる。先週届いたメールの中に利用しているノースウェスト航空からの破産再生プログラムが完了しましたというものがあった。確かにメニューやサービスいろいろな点で改善努力をしてきたのだろうと思うところが思い浮かべられる。ほかの航空会社と違って、ノースウェストにはエコノミーとビジネスクラスしかないという単純なクラス構成なので、ほかの航空会社のファーストクラスとの競争を避けるようにしたのかも知れない。そんなことを思い出した。

しゃべれども・・・・

国分太一君主演の映画である、初日となる土曜日に出かけた。夫婦50割引を活用して出かけたのは言うまでもない。最近邦画では欠かせない松重さんも出ているし、八千草さんも珍しく口の悪い下町のばあさんを好演している。ぱっとしない喧嘩っ早い二つ目の落語家が、ひょんなことから話し方教室をする羽目に陥ってしまうという展開である。美人だが口べたで怒っているような印象を与えやすい損な女性との心の交流や、心憎いほどうまい天性の才能と思われる話のうまい子役もハマっている。主題歌を歌っているのは、ゆずの二人なのである。

ゆっくりと、まったりと

忙しさの合間に休暇を入れることにした、趣味のアマチュア無線の年次総会に出席するという、なんとも暇な話である。ゆったりとした時間でないととてもそんな気にはなれないだろう。こうしたことこそが、休暇たる所以だろう。今年の総会は倉敷市の児島で行われた、瀬戸大橋線の岡山側のとっつきの部分といえば分るだろうか。日曜に予定されていたので、松山に前泊することで、朝の特急で愛媛県松山から急行したのは、同日程で松山に旅行する細君との共同日程だからでもある。細君はといえば、美術館の特別展を見るために愛媛まで繰り出すのである。マイレージがあるからとはいえのんびりとした旅行である。

二人の似て非なる旅行が相似を見せることになったのは、日曜・火曜と美術館に行きたい細君と、ご近所といえなくもない倉敷に日曜に出かけるという事態を一括の飛行機で行けるのではということからの発想だった。日曜の夜は、倉敷に泊まり、月曜にはまた松山に戻るということで、松山・岡山を結ぶ特急を往復するという鉄分の濃さも吸収できるというものである。実際に、特急しおかぜの洗面所は砥部焼の陶器で出来ていたりもした。残念ながら特急とはいっても最近では車内販売がなかったりする時代なので乗る時には要注意である。

瀬戸大橋線から見下ろす、10分足らずの瀬戸内海の風景は、子供時代の宇高連絡線を思い出させる大切な時間である。夏休みによく出かけた松山への旅はよき思い出であり、残念ながら今では親類も失われてしまい足も遠のいてしまっている。最後に訪ねたのが、叔母の葬儀だったように思う。

いろいろと片付いたような

ハセヒロオーディオのバックロードホーンとFeastrexのユニットをお迎えして自宅のいろいろな片付けの契機となった。

ビデオレコーダの処分もしたので、手持ちのゆずなどのビデオテープの処分や、ミニコンポなどの処分も併せて、あげますコーナーに掲載した。たちどころに欲しい人に連絡がついて、休日にも関わらず営業しているヤマト運輸に委ねて着払いでの送付まで完了した。便利な時代である。

引っ越して以来火入れもしてこなかったアンプセットは購入から5年以上は経過しているのでカセットデッキやMDレコーダーも不似合いな時代になっていた。当時を思い出して説明書を見てみるとAMでステレオ放送が始まっていたのに対応していたセットなので、実は1999年以前のような気がするので10年近く前のものになっているようだ。

机の上は片付いたのかどうかは、別にして少なくともアクリルのバックロードホーンスピーカーがiPodでデジタルアンプ駆動でなるような環境になった。いろいろ集めた懐かしのCDなども、目前に広がる8cmスピーカーの世界や、階下でゆったりと聞く、12cmスピーカーの極上な歪みのない世界も含めてゆとりが生まれたように思える。いらないものを捨てて初めて、ようやく落ち着けるように思う。

何かしなければ・・と買い込んで積読状態になっていたものもだいぶ片づけることにした。1年以上前の雑誌は取り置かないように基本的にはしているのだが、それでも残してしまった特集号などを確認しながら整理している。スペースを取らないのは、60/80GBのiPodの容量と持っているCDの相対的な容量差ぐらいのものだろうか。

片付けてアマチュア無線の世界も再開しようとして、作り出したK2の世界も今年はK3という最新設計のものが登場するようで、世の中が100万円の無線機を受け入れる時代にコストパフォーマンスの良い高性能な無線機として登場してくるらしい。大きな旋風になりそうである。ルーフィングフィルターと2ndIFにDSPというデザインがKITの世界にも登場してきたのは凄いことである。もっともキットのみならずドイツでもとんでもないスペックの無線機が登場したりしている。

オーディオ環境として、最終のスピーカー環境を極上にすることが出来た、アマチュア無線は極上性能のシンプルな無線機は手作りをすることが出来たし、極上な最新設計の無線機にまで手を染めるのかどうかは、まだ不明だ。アンテナ整備の前にカード作りなどをしながら、まずは無線連盟の総会に参加しつつの旅行など、今月の後半はさらに目白押しである。

ゴールデンウィークの過ごし方

初日は、雷がとどろき雹がふり、突風が吹き荒れるというのが関東での天候だった。幸いにもスタートが遅かったのも手伝い、軽い雨をかわしながら、横浜までの散歩を果たしてきた。アンプのラックなどの処分をして、アナログな機器であったレーザーディスクやVTRなどを連休直前の粗大ゴミ回収で引き取ってもらい少しスペースができた。ようやっとまともなスピーカーを置くスペースが確保できたのである。とはいえ、まだ超アナログなデバイスであるレコードプレーヤーは残してある、シンプルなデバイスの方が長生きするのであろうか。中途半端なデバイスとしてはMDレコーダーが含まれる細君のシステムコンポなどがあったのだが、これはすでに引っ越して以来お蔵入りになっていたので、今回追加処分を検討している。

CDとMDレコーダー、チューナー、カセットデッキなど一通りのものがそろっているコンポライクな日本コロンビア製のものである。どこかで引き取ってもらえる人がいればせありがたいのだが・・・。まあ型落ち甚だしいものではあるのだが・・・。一応AVアンプは残してはあるもののほとんどのAV機材はテレビ中心に配線しなおしてAVアンプの操作なしに切り替えができるように配線をしなおしてある。もてる機材を活用しまくる設定をAVアンプ中心に行ったのは不評であって簡単な操作でシステムが動作するのは望まれていたのである。スピーカの新規導入でスペースを生み出す必要が生じたのは良いきっかけとなった。

すでにHDDレコーダーの時代であり、残されたダビングなどはDVDの間でのものしかないこともあり、セレクターとしてのAVアンプの必要性はなくなっていた。過去のメディアであるFMやフォノあるいはCDをスピーカーで鳴らすという目的にのみスピーカを駆動するというのが現在の向かっている姿でもある。片手間設定でのっけてあるBOSEのミニスピーカから一気に、まともなスピーカーへの移行というのは極端すぎるかも知れないのだが、楽しみでもある。音が身近になれば、テレビの音もこの新しいスピーカで聞くことになるのかも知れない。簡単なAVアンプの置き台を作っておかなければならないのだが、近くDIYショップで板を手に入れてくることにしようと450スクエアのラック棚を買い求めてきた。当然キャスターも必要である。棚にシンプルにキャスターを直づけにしている。

スピーカーのエンクロージャー屋さんからの返事も来て、納品は連休明けになった。会社からの帰宅が楽しみなメーデーになりそうである。

iPod 80GBをゲットしました

昨年からのNWAのキャンペーンでポイント計算をした結果、iPodのホワイトをもらうことができました。三月にようやくアナウンスがあり、引き換え申込をして首を長くして待っていましたが、手に入れることができました。実際には会社キャンペーンの報償で私は60GのブラックiPodを持っていたので、今回のホワイトはそのまま細君の手に渡ることになりました。60Gでも途方もないのに80Gというのは一生分の曲を登録して持ち歩くことができるでしょう。充電用のUSBアダプターや、オーディオ接続用のドックなどを購入してステレオからの出力ができるように準備をしています。

私の時とは、リリース内容も変わってきているようで、iTuneはネットからダウンロードするようにという記載が書かれていました。でもってダウンロードしていくと、さらに別のものをダウンロードしろというような流れになって何回かダウンロードを繰り返すことで動くようになりました。ちなみに細君のPCはXP環境です。iTunesを入れるとすでにPC内部に登録されていた音楽データも勝手に整理してAACに変換してライブラリにしてしまうようでした。Macらしいといえば、それまでですが仕様がどんどん変わっていくような流れは安定しないソフトの元凶かもしれません。

原理に遡って

スピーカーの試聴会に行ってきました、日本橋の会場は手作りの雰囲気でしたが、製品はなかなかしっかりとした音を聞かせてもらいました。ユニットとして採用されていたものは、国産のこだわりメーカーの品物でしたが、実際に聞かせていただいたCDからは豊かな音楽性豊かなものが広がってきました。12センチのフルレンジスピーカということでしたが、エクスポーネンシャルホーンのエンクロージャーとの相性もばっちりでした。2時間あまりいろいろと聞き比べなどをさせていただいて、ぜひ自宅にも置きたいなと思ったしだいです。

このスピーカーはコーン駆動部の磁界の流れに着目した原理レベルでの最適解を探してたどり着いたというものでしたが、実際に聴かせていただいた様々な楽器は我が家の好みのものとして納得出来るものでした。磁気歪み率0.25%という内容がどれほどの意味をもつのかは専門外なので分かりませんが、ぜひ一度聞いていただきたいものです。フルレンジスピーカーの口径は12cmなのですが実際に聴かせていただいたエンクロージャーは口径20cm対応のものでした。

さて、この試聴会は新潟のベンチャーということで新潟県のアンテナショップのような位置づけの会場で行われていました。実際に会場にいたのは、ほとんどがリタイヤ族の団塊の世代といった趣で、オーディオという趣味が、世の中からはなくなってしまっているような状況にみえました。こうなったのはiPodのせいなのかどうかはわかりませんが、よい音を聞く習慣が無くなってしまったからなのでしょうか。 素直に作られたホーンと、素直に作られたスピーカの組み合わせで聞いたチェンバロの響きも弦楽器も忘れられないものでした。

これとは対照的なものかも知れませんが、やはりバックロードホーンのミニチュア版でアクリル仕立てのものがiPodと真空管アンプの組み合わせで置いてありました。スピーカーは8センチ口径のものでしたが、ボーカルを聴くには素晴らしい音像低位と艶っぽさを再現していました。こちらも手元にほしいものでした。こちらのユニットは台湾製ということで価格も先のユニットの2%程度のものなのですが、素敵な音を出してくれていました。

入学式は青春の1ページか

初めて入学式に向かう高校生と、その親が楽しそうに向かう姿をたくさん見かけた。自宅の少し上に高校があるからなのだが、年に一度しか見られない貴重な光景である。子供以上に親が楽しそうなのである。自分がもう一度高校時代に戻れるかのような錯覚を覚えている思しき風情を漂わせながら子どもと連れだって歩いているのである。自分が、入学式に向かったときにも確かに父が連れ添ってくれたような気がしている。桜の季節にはじまるこの風景は日本の良い風習なのかも知れない。

これから3年間という限られた期間で始まる子供たちの新しい生活体験は、親にとっても子供にとっても刺激的なものに違いない。まあ高校生活というものの経験がない自分にとっては、5年間の生活の始まりだったし、大人の世界にも見える上級生との生活やエンジニアに向けた学生生活は実務に向けた効率的なものだったといえる。最近の子供たちがはたして中学の段階でそこまで就学意識あるいは就業意識が芽生えているのかどうかはわからないのだが・・・。

自分が当時の両親の世代になっているのは確かなのだが、自分としては、この夢見心地の親たちが、子供たちの成長を見守ることができればよいのだろうと思う。高校の先にまつ大学あるいは社会というものに対して、子供たちの好奇心が育まれ必要な意識が芽生えて自身の気持ちに火がついて勉学に勤しむことが出来ればよいのだと・・・。教育現場で不足していたことの付けが、社会では発生していて年初に書いた別の掲示板での議論などもある。無為に過ごすことなく貴重な時期を過ごしてくれればよいと思うのである。

 

春遠からじ

一週間かけて、国内のお客様を巡ってきた。新しいビジネスの始まりの中での難しい状況での、新しい技術の展開フォローにはメールでのやり取りでは伝えきれない部分が多く、米国メンバーを交えての一週間のツアーはタイトなものではあったのだが共通認識を深めるという意味での成果は大きなものとなった。 サポートする側も開発するお客様も新たな枠組みでの仕事の仕方に面食らっているということが最前線での印象でもある。この一年で大きく変わってしまうことになるだろう開発の流れは、確かに効率を上げてその意味での開発生産性を向上することになるのかもしれない。無駄という認識で削減されようとしている部分が本当に意味のないものだったのかどうかは、実はまだわかってはいないのである。

一週間かけて日本のお客様の状況を把握して、さらに一週間かけて次の段階に向けての検討部隊との作業準備などを全体調整しながら準備をしている。サブマリンのように深く潜行(先行)して突然登場するといったことが出来ないのは現在のビジネスを抱えているが故の悩みであり、またそれほどの大規模な投資を対価が見られるまでに長期間続けていくといった余力も日本にはないのも事実なのである。今のビジネスをしつつ、次の流れに向けての検討を重ねていくという当たり前の仕事の仕方ともいえる。ただし、注意すべきは国内メーカーの主体性を失ってしまうような懸念があり強いリーダーシップをメーカーでないお客様が果たしていくというビジネスモデルの両刃の危険について警鐘を鳴らす人もいる。

いろいろなメーカーあるいはベンダー同士の協調の中でビジネスを進めていく上では、やはり密接なコミュニケーションが必要であり、ここで誤解が生じると、その修復には多大の労力を費やすことになるのは、それぞれが自主的に良かれと思って進めてしまうことが結果として時間がたつほどに大きく離反してしまう結果につながるからでもある。修復は早いほどよいのだが、あいにくとそうした誤解に伴う互いが自主的な積極策への動きが互いに見えにくいこともあり気がつくのに時間を要することが致命傷になることの心配もある。現場を離れたトップ同士での積極的な交流などで生じるよい動きも、現場のフォローがあって初めて実を結ぶことになりいろいろな階層の人たちに向けて正しいメッセージを発信続けていくことが必要なアクションとなる。

ようやく春らしい兆しが見える時期に、また渡米してこうした新たな取り組みの渦中で、現実と未来の狭間に立たされている。ロサンゼルス空港近くの桜はすでに満開となっている。日本の桜も、今週には咲きそろっていることになるのだろうか。西海岸でも南部に位置するこの地域での気候は年間を通じてそれほどの温度差もなくすばらしい環境となっている。それゆえに暗い日本海の荒海を見たり、長い冬を越えて春を期待するといった情緒に欠けるところもいなめないのである。四季のある国で仕事をしているお客様と、そうした能天気なあっけらかんとした環境でマイペースで仕事をしている状況の間には隔たりもあるのは事実である。コミュニケーションのベースとなる風土や文化は、対立したりあるいは新しい発見を生み出して相互研鑽ということにもなるので物事を達成させようとする強い意志が最終的な武器となって仕事を進めていくことになる。

時差を超えて、さまざまな現場で起こっている日々の新たな事件や革新などについての情報をメールやチャットで共有しながらのコミュニケーションワールドを過ごしながら、ここで良いコミュニケーションを達成することで始めて良いコミュニケーションツールを提供しうるソリューションベンダーとなるのだろうといまさらながらに思う。

仕事の狭間で悩みぬき

表題のような趣旨のメールを知人からいただいた、月に響く笛の話などから自分で抱え込んでしまってよいのかどうか悩んでいるといったことらしい。悩み多き派遣社員として長く仕事をされている方ゆえのお話でもあるようだった。真実を吐露したいという思いと、吐露してもだれも解決にも何も当たらないということなどが気持ちとして交錯している様子でもあるらしいが、抱え込んでしまっていることを話して楽になりたいということでもあるようだ。 

最近の仕事のはやりは、派遣に仕事をさせて、社員は悩まないということなのだろうか。社員以上に仕事に経験も知識も責任感も溢れるスーパー派遣な方が登場するのは、なにもテレビの番組だけではない。現実の仕事を回していく上でそうした方たちの力が必要だし、社員がそうした力を自ら育んでいく事に異を唱える風潮すらあるような気がするのは最近に限ったことではないのだろうと思う。あっけらかんとサラリーマン人生を送ろうと捉える正社員の方たち契約更新を契機として自らを高めていかざるを得ない仕組みで会社がようやっと回っている現実には寂しさと悲しさを感じてしまう。

会社には光の当たらない仕事もあり、そんな仕事を任されている派遣の人もいるのである。その会社がベンチャー気質に溢れていた時代を知っている私にとっては、そうした会社でも今では余裕がなくギスギスとして良いものを作り出そうということから、売り上げをこなすことに精いっぱいになっていると聞くと致し方ないのかなとも思う。果たしてそのようにしてこなしていった仕事が社会貢献になったのかどうか不明なのであるが、とにもかくにも地方公共団体や官公庁の予算に計上されていた内容を消化するということを通じて貢献だったと理解しているのに相違ない。その仕事の必要性について論じ始めたら田中元知事のような状況になってしまうのだろう。

そんな光景を思い浮かべながら、真実を吐露したがっている知人の思いの丈などを推し量った。イーホームズの社長のような真っ正直な生き方もあるだろうし、限られた官公庁の仕事を真摯にとらえて誠実に進めていく上での談合なども必要悪として考えてもよいとする企業の考え方もあるのかもしれない。 まあ事業経営者でない立場でなかなか判断を求められても難しいというのが実情なのだろうと思う。食品製造という仕事についたとしても会社としての素性があやしい最近話題の会社だったりすると本来のことに思いが行かなかったりもするので、その分野のプロとしての意識に目覚めないままに暮らしている人もいるらしいのが最近の日本だったりするらしい。

スーパー派遣のストーリー「ハケンの品格」は、今週が最終回となるのだろう、でもいたるところで品格を問われそうな会社の仕事や顛末は転がっているのだろうと思う。開発をしている人、サポートする人のそれぞれの成果が国を超えて文化を超えてそれぞれの国の端末やサービスとなって根付いていったときにサポートしている私たちの仕事の品格を高めていくことになる。コミュニケーションの手続きを間違って失ってしまった機会損失を贖うためには大変な労苦を必要とするし、その過程で互いの品格を傷つけあうような状況にも陥る。地道に解決をしながら掛け違ったポイントを互いに確認しあいながら前向きに仕事を進められるようにすることでコミュニケーションの傷口を癒していけるのだと思う。

義理の父が入院することになり、気になっていた骨伝導式のヘッドホンをプレゼントすることにした。というか最近になりようやくまともなスペックの骨伝導のものができたというのも事実らしくタイムリーに購入することができた。少し価格の張る製品だったが、音楽好きだった義理の父が耳が不自由になり楽しめないでいたらしいということも含めて想像以上に音楽が楽しめるような製品だったことがわかり安心した。BOSEのQuietComfortよりも高価なヘッドホンであり、かつ超磁歪トランスジューサーというメカニズムが必要とする電力からか連続10時間しかバッテリーが持たないということもあるのだが、新たな世界を提供することには相違ないということである。

ちなみにアンプ部分にはマイクを付けることも出来て、補聴機器としての補助機構にもなるようである。