プロヴァンスの時間の流れは素敵ですね

夏休みの一環として、月曜に映画休日といたしました。細君と朝いちばんの回のシネコン上映にいそいそと出かけたのは暑い時間を避けたいからでもありました。

仕事に憑かれたようなライフスタイルから、美食家としてのたおやかな時間で暮らしてきた人たちとのギャップを感じつつも引き込まれていく事件の渦中で、徐々に馴染んでいき忘れていたものを取り戻していき少年のような気持ちになっていく・・・。素敵な展開です。

そろそろ悠々自適ではなくて、自分の時間の中で暮らしていくことを志向することも探したいと感じている時期でもあり、気を強くさせてもらいました。

業界独り言 VOL337 こんなソフト見たことない、いやかくあるべし

世の中には神様の領域にまで達してしまった人たちがいるもので、ソフトウェア開発もデスマーチどこ吹く風で軽快に忙しくソフトウェア開発を続けている人たちがいるのである。デスマーチでないからといって暇なわけではなく、簡単に有用な仕事が出来るようになるとどんどん仕事が増えてしまうのである。ある意味なんともうらやましい限りではないか、つまらないことにこだわった仕様を達成するためにいじればいじるだけ複雑さが増していきインタフェースの数だけ出荷が遠のいてしまうそんな仕事をしている人たちもいるだろう。納期優先で打ち切ってしまう人もいるかもしれないし、結局出来ないままに税金を無駄遣いしてしまった・・・といった人もいるかも知れない。

さて、私が知る神様の領域を侵犯してしまった人の一人に、Dr.Kがいらっしゃる。いつお会いしても若々しくお話をしていて時間の経過を感じないほどいつも前向きで新鮮なのである。こんな書き方をしているとよほど交流があるのかと誤解されるかもしれないが、一度お会いしてDr.Kの魔力に魅了されてしまったものの実践となる段階にまで至らぬままになってしまったのは私の不徳のいたすところであり、そんな出会いからもう10年近く経ってしまったのである。とことんモジュール化を推進していった挙句に、世の果てだと感ずるところにまで達したらしいそんな感じを当時の私は持っていた。いわゆる孫悟空の世界にも似た。しかし、あれから10年が経ちDr.Kの終わりのない活動の中で、釈迦の手の先にまた世界を見たらしいということなのだ。

私が最初に見たオブジェクト指向の世界といえば、system6に代表されるMacintoshやJstarの世界なのだが、とりわけマックのソフトでの個々のアプリケーション連携が見せてくれた世界は、それまでのDOSの世界でのモノリシックな世界とは異なった柔軟でかつ深淵なものだった。UNIXで学んだシンプルなフィルターの概念とは異なるのだがアップル社で決められたしきたりに基づいて機能的に連携と独立がうまく機能しているように感じたのであった。なにかアイデアを練りたいといった状況において、そうした創作活動を支えてくれる道具としてはスムーズに動く世界がどれほどありがたいものか。私もMacに出会っていなければ、このような人生にはなっていなかっただろう。

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熱海会談ならぬ、強羅合宿

昭和の佳き時代では、電機会社にいると会社の研修とかで篭もって企画を練ったりすることはよくあった。とはいえそんな先輩の流儀に沿った活動が自らの仕事に大きな成果を出したのは平成に入ってのことだった。まだ当時のメーカーとしては上り調子で景気が良かったこともあり、気楽に検討会議に参加という出張伝票が簡単に発行通用していた時代でもあった。こうした余裕が新しい流れを生むというのは、 正しく認識はされていないようだ。経験者が伝えない限り有効性について伝承する術がないかもしれないのだが・・・。そうした経験者に限ってスピンアウトしていってしまうようだし・・・・。

当時、精神矯正教育がなされていた、ある電器メーカーに奉職していた時期には、創業者の歴史として熱海会談という大きなイベントを習っていた。曲がり角に立っていた販売店との関係改善において、販売店主らとの対話会を熱海の旅館で行ったというくだりである。社主が反省の弁を述べた上で共存共栄というスローガンを繰りだし団結を得たというものである。そんな会社のDNAがあったのかどうかは知らなかったのだが、「ちょっとアイデアがあるんだけど識者を集めて議論したいんだけれど・・・」と繰り出してきた仲間のYからの相談を受けて書き出したのは、このアイデアに対する勉強会としての合宿研修だった。当時使いだしたオブジェクト指向の使いやすさにすっかりはまった私の良い教材として、この案内状は作成されて配布がなされた。

熱海合宿で選択されたのは、安い公共教職員組合の温泉宿で会議室を二日間借りるという内容だった。招集したのは、ハード屋、システム屋、企画屋、ソフト屋、数学屋、方式屋いろいろなエンジニアたちだった。私は単なる端末ソフト屋あるいはアイデア屋という位置づけよりは、幹事になっていたようだった。お題は、Yが考え付いたのは当時の米国携帯電話AMPSシステムと共存する小電力のAMPS周波数で動作するコードレス電話システムというアイデアだった。実現性に対しての課題についてシステム面、ハード面、ソフト面、法令面などの議論をするということだった。日々携帯電話のシステムや端末開発に明け暮れている仲間たちにとっては新鮮なアイデアに対していろいろな議論が出来た良いチャンスであり、所属していた通信方式開発室といった組織名の面目躍如といった趣も室長にはあったようだ。

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業界独り言 VOL336 ひとつ携帯UIを体系として書き起こしてみないか

世の中には、センスのよいUIをもつ携帯やらブランドを冠するようなデザイン携帯などまでも登場してきていて、過剰な機能の積み上げ競争で技術者が悦にいっていた時代は終焉した。そうしたことに存在理由を感じていたメーカーは焦りを隠せないのである。どんなデザインのケースの上にでも簡単に体系だった使い勝手のよいUIを構築できるようにならないとやっていけない時代になりつつあるのだ。UIで差別化を果たせると考えるのもある意味過ちなのかも知れない。ただし、そうしたUIがポータブルな状況でどのチップセットにも載せられるのかということはないのかも知れない。

日本にはソフトウェアの天才が輩出している状況がある。たとえばADSLやC言語のマルチバイト化などで名を馳せたソフトバンクのCTOのT氏もいるし、言語Rubyの開発をして世の中に知られているM氏などもいる。さまざまな天才の方たちが業界には、いらっしゃるのだがなぜか端末のソフト開発というキーワードに照らしてみると出来上がってこないのは積み上げすぎてきた歴史が長いからだろうか。複数のアプリケーションが独立したタスクとして動作を終端して互いに影響を与えあって動作するようなモデルが出来上がってしまったのは組み込みの歴史ゆえなのだろうか。

タスクの数だけチームがいて、複数の仕様の間の通信の複雑性が増加して、結果としてバグを消しきれずにというよりも生み出し続けてさえしまう。それは致し方ないことなのだろうか、思いっきり大きなイベントマトリックスを駆使して仕様を明らかにしていくということも必要なことになっている。試験条件ということと、アプリケーションの範囲とは必ずしも一致しないのだが・・・。ユーザーのユースケースとして試験条件には列挙されあてがって実施するということになる。複数の機能動作の相互作用に基づくバグを切り出していくために境界試験やら過負荷試験などのことを実施してUIの試験を達成していくのは大変なことでもある。

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ハリーポッター・・・

不死鳥の騎士団というタイトルでの今回の作品は、細君は気のりがしないらしくひとりで見てきた。

現実の世界と物語の世界の時間進行は同一のはずなのであるが、読者の方たちはピーターパン的に成長抑制をしたとらえ方をするようで俳優・女優としての成長がお気に召さないのは仕方がないのだろうか。

昼過ぎの回ということでもあったが、人気は衰えることもなくなかなかのお客様のにぎわいだった。

最終の作品が発表された矢先でもあり、残り二回の作品が続いて映画公開されることを期待してやまない。

飛び込んでくる歌声は・・・

伊勢佐木町の松坂屋といえば、路上ライブのゆずで有名である。確かに10年少し前には、酔っ払いのカラオケ伯父さんとゆずのアコースティックな路上ライブが競演している時期があった。会社の帰り道になんどか遭遇していた。その後CS主催の日比谷野音でのライブで初めて正式にゆずと向き合い、以降はファンクラブにも加入して全国のおっかけライブをしているのだ。そんな状況が伊勢佐木町のその後に影響を与えたのかどうかは不明だが、土日の夜にはポストゆずといった雰囲気の若者が路上で演奏をしているようだ。

iPodが悪いわけではないだろうし、MP3が悪いわけでもない。ただし世の中でCDやレコードを正しく購入するという流れとは別に、個人の環境を便利にする道具として、PCでのりッピングが出来るようになり、またCDレンタルもごく普通に行われる状況となった。結果として、はたして楽曲を提供するシンガーの方たちに対して対価を支払うメソッドが確立しているのかどうかはCDをショップで買うことあるいは、ダウンロードオンライン販売を通じてのことになるのだろう。ライブに行くのも良いことかもしれないが、あれはかかっている費用から考えるとプラスになるのかどうかは不明で広告宣伝といった位置づけなのだろうと思っている。

伊勢佐木町を散歩して本屋を通りかかったときに耳に入ったのは、女性ボーカルの曲だった。地階のコーナーでセコハンのCDセールを近くのレコードショップがタイアップをしているようだった。それで階下に降りてみてレコードを物色していると、歌声はミニライブでの生演奏だったことが判明した。しばらくは聞き流しながらも、元気なハリのある歌声と詩を聴きながらしばし立ちつくして聞き入ることにした。さっそくテーブルに置いてあったシングルCDを買い求めた。綺麗に印刷してあるジャケットではあるものの、いわゆるCD-Rであったのだが、後でiTunesでりッピングしてみるとすでに楽曲もシンガーも登録されていることが判明してしっかりと登録をした上で自力で配布しているということらしく時代はこうしたシンガーの方たちには味方しているようだった。

年末にはアルバムを出すということなので、メールをジャケットに書かれていたアドレスに送付して感想を書きつづった。ほどなく返信も届き、インタラクティブな世界は以前にもましてインターネットな世界としてうまく機能しているように思われた。かつてのゆずの路上ではカセットテープを100円で販売していたのだが、現在では500円でCD-Rではあるものの自分のブランドでのシングルを販売出来るという状況はデビューというもののハードルが下がったということになるのかも知れない。いずれにしても実力あるシンガーであれば、どんな形にせよレコードやライブを通じて成果を出していくのだろうから始まったパスは関係ないだろう。

さて、このシンガー(Jina)はdiskunionを根城にしているひとらしい、私が気に入ったのはあわゆめという曲だ。

JinaさんのURLにはいろいろ情報があるらしい、近くで聞くチャンスがあれば試してみてはいかがだろうか。

次回の情報は8月12[日]
diskunion横浜関内店前
15:00〜,16:00〜
天候状況などによりライブが中止になる場合がございます とのことだった

急な展開でハワイで休暇

夏休みの早どりではないのだが、細君の知人の娘さんの結婚式に託けて急遽ハワイに行くことになった。金曜の夜のフライトである。いつも使っているノースウェストではあるのだが、細君には予めマイレッジで手配してあったものの自分の都合は最後まで決まらなかったことなどでネットで格安チケットを買っての旅行となった。向こうでのホテルは細君の知人の手配で部屋があるので大丈夫とのことだった。ある意味で気楽な旅である。いつものビジネスとは打って変わってエコノミーではあるのだが、ハワイまでの7時間ほどの短いフライトではかわらんだろうとタカをくっていた。

金曜日には仕事に出てからの旅行となったので、細君とは成田EXPRESSでの合流ということだった。勤務先からは銀座線・丸の内線とつないで東京駅から乗る連絡は悪くはない。朝から大きなトランクを会社まで持ち込むのも無粋なので、東京駅の地下にある大型コインロッカーに朝の通勤時間の時に入れてから会社に向かうのも合理的だった。いつもと違うのは、ユニクロの半そでシャツではなくて、ポロシャツを着こんでの出勤だったことくらいだろうか。Fabレスの西海岸のベンチャーであることもありネクタイをするようなスタイルではないのは、お客様にもご納得済みである。

エコノミーでノースに乗るのは初めてだったので・・・、自動チェックイン機での渋滞や前のお嬢さん方の混乱ぶりには辟易したもののスムーズに登録は出来た。唯一担当者に迷惑を掛けてしまったのは、プラチナ会員のタッグを彼女らが気付いて慌ててプライオリティータグを荷物につけさせたことぐらいだろうか。ノースウェストのラウンジは改装されて第三の新しい場所があり、お客様からうかがっていた充実したサービスを堪能することが出来た。細君はといえば、国際線のフライトにのるのは二度目であってほとんど初めての世界となっていたので二時間余りゆったりと待つことになった。

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キサラギ ・・・密室劇?

ゆかいな仲間が五人・・・あるいは怪しい男たちが五人集まったところから始まる密室劇。各人の秘密の出自が続々と明かされていく繋がっていく展開の妙に翻弄されたまま楽しんで終わってしまった。

軽妙なノリで若手俳優も色々と新境地の開拓に繋がったようだった。また。楽しみが殖えた。 小出恵介も先日のノダメカンタービレ以来、おいしいプロポーズでの細君からの不評も、挽回復帰してきたようだ。

歩けば出くわす日常とは

台湾での研修が終わり、週末となった。英語まみれで且つアジアンな日々から日常が帰ってきた。高温多湿の台湾に比べれば、まだ梅雨入り前の日本での気候は素晴らしいものである。サンダルをはいて、短パンで半袖シャツの出で立ちでウォーキングで横浜まで巡ってきた。空を見上げてアンテナを探している私と、生垣や花壇の花を探している細君とでは凸凹な印象なのだが・・・。

嗜好品などの買い足しなどを求めてデパ地下の珈琲ショップで試供品の珈琲を一口飲ませてもらったりしているうちに休憩することも忘れていた。気がつくと、みなとみらいまで戻ってきていたので、Leafみなとみらい辺りで休憩しようかということにした。ガーデンライブということで女性弾き語りの人が丁度演奏を始めたところだったので、アイスコーヒーとスティックケーキをゲットして残りの楽曲を楽しんだ。

ライブ会場となっている大通りでベンチに腰かけているとパンフレットを配ってくれる人がいたのでありがたく頂いた。脱サラしてインディーズをしているという女性ボーカルの方で、いわゆる「ゆず」世代の人なので音楽志向がワンサイクル回ってしまったような感覚であった。聞きなれた雰囲気の曲を聴かせてもらった。パンフレットによれば、戸塚生まれの方ですでにアルバムを一枚発表されたばかりということだった。

たまたま出くわした野外ライブにということで、以前のゆずの出会いを思い出した。ゆずの伊勢佐木ライブについては伝説となっているが、当時通勤ルートとして伊勢佐木の通りを利用する中で気がついていたような気がしていた。意識してライブに自転車で乗り付けるようになったのは、日比谷野音でのイベントでゆずが紹介されたからに他ならない。今回の彼女もゆずと同年代のミュージシャンということで楽曲などのメロディーラインに懐かしさを感じるのは、彼女らが胎内にいたころに聴いていた音楽とシンクロしてくるからなのかも知れない。

台湾新幹線700Tに乗ってきました

予定していた研修が台湾の新竹市で行われることになり、桃園空港からの足として高鐡を使ってみることにしました。空港から高鐵桃園駅までは、シャトルバスもあるようでしたが仲間と一緒だったのと聞いていた時刻まであまりなかったのでタクることにしました。コウテツは通じませんでしたが、シンカンセンは通じました。1200円ほどの距離でしたがあっというまに新しい駅に着きました。駅構内には、セブンイレブンが売店として入っているようでした。

チケット購入には、自動販売機に苦しめられましたが指定席を指示することで画面が遷移して購入にこぎつけました。あいにくと1000NTドルを紙幣で投入する130NTのチケットに対して山盛りの50NT硬貨が返ってきました。チケットは、領収証も兼ねる設定が出来るようなので購入時点で指定しておくと下車段階で戻ってきます。これはエコ的にも良い仕組みと感じました。

さてオレンジラインが入った700Tのストラップをセブンイレブンで買い求めたり反対プラットホーム(月台と書くらしい)での入線風景をムービーに撮ったりしました。この桃園駅は、いわゆるこだまでしか止まらないようで、台北から高尾を目指すときにはスキップする列車もあるようです。運用開始して半年程度だと思うのですが、車両はすでに黄ばみが来ているような印象で、黄砂の影響なのか、車両洗浄をしないのかは不明です。この点については、導入した洗浄マシンが稼働していないということが問題で、人力にて処遇しているとのことでした。

車内放送は、英語と中国語でオペレーションしていました。日本の700系と少し違うのは、ドアがセンサー式ではなくて、押しボタン式になっていることでしょうか。また、車両の端には大型荷物のスペースがあります。震動も少なくて快適な10分ほどの旅で新竹駅に到着しました。実際に投宿するホテルは、高鐡新竹ではなくて、在来線の新竹駅近くなので、またタクシーで移動です。こちらは240NT程でした。時間連絡がよければ桃園空港から新竹まではトータルで40分以下で到着するでしょう。

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