毎週木曜日は、プロセス改善の日であった。もう一年が経過した。一昨年、初芝流の禁止技でプロセス改善活動は二つの躍進があった。(はずだ) 現場への浸透への真摯な取り組みは現場をいかに発奮させるかが鍵だった。禁止技は、そうした中で今はYRPローマに移籍しているNAKATA選手によって編み出されていた。彼の繊細な準備活動によって作られた計画書も、彼の次なるオーバーヘッド休暇で瞬時に現場のJさんをリーダーに変えて現場意識を発揚させた。もとより優秀な人材の宝庫であったT課長の部署には、こうした活動を支える素地があり思いのたけを実現していったのである。こうした基に広がりを見せた活動は、事業部に広く根付くはずだった。現場が発奮しても、管理が発奮しないのではその広がりは閉ざされてしまう。禁止技のPart2はプロセス改善の推進役である東川によって発動された。彼はヘッドハントされたからと外部に転身することを名目にして、会社側を説得して体制強化の確約を取り付けてきたのである。体制強化の時期でもありいつまでもオタクな東川に任せていては現場への悪い影響まで出てくる。人望のあるYさんを選出し、実効のあるH技師も担ぎ出すことが出来た。初芝の文化は緊急事態に発動するということになるのだろうか。こうした緊急事態も一年を経過するなかでゆったりと熟成をしてきたようだ。Yさんからのメールにはこんな雰囲気が感じられた。なぜか、コーヒーメーカーの音が懐かしく聞こえてくるような気がしていた。レベル3達成に向けて道具立ても含めて色々な約束事も決めて結束が固まっているようだった。
YRPローマの試合観戦にも是非訪れたいと思う今日この頃である。初芝を出ると、初芝がよくも悪くも見えてくる。会社の判断方向として多数の社員生活を預かるという立場からみて大変な時代の中で利益を出して悲鳴をあげるほどの生産を続けている姿は凄い、さすが、と感じ入る。そうした反面、仕事に悩みを持ちつつ苦しんでいる多くの技術者も知っている。そうした技術者に東川が出来るのは、自分の経験を語り、技術者としての自覚に目覚めてもらうことの手助けをすることくらいである。QUAD社から見れば仲間が増えるのは嬉しいし、それも望まれていることである。しかし、Yさんからのメールを読み返しつつゆったりとした中で着実と仕事を進めている姿に改めて敬意を表し、互いに切磋琢磨する仲間でありたいとおもうのである。仕事に悩み環境を変えたいという色々な方に出会い話をするチャンスを得た。またそうした人たちは素敵な気持ちで仕事に取り組んでいることもわかった。それでも仕事の悩みが消せない人たちにとって要素技術という観点からは十二分な環境で応えられる職場として、明日も懺悔の人とミーティングをする。職場をかえて初芝を応援するという仕事も素敵なことだと私は理解している。
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VOL20 ケータイでゲームは 発行2000/06/27
チップセット商売も携帯文化の変遷から大きく様変わりしようとしているようだ。もう、通信プロトコルのレベルでうんぬかんぬ言っている時代ではなくなりそうだ。ゲーマー上がりのテスターを雇ってリアルタイム性能をギャランティしなければならない時代に突入するのだろうか。Javaなどの話で出来るPDAという道もあるだろうが、日本が世界に誇るのは携帯文化とゲームにほかならない。ザウルスでLINUXならば日本の答えなのかもしれない。着メロはカラオケと同一レベルの日本発の文化だろう。シンプルなキーボードの構成で出来るゲームボーイの世界とケータイのUIの世界にはまた大きなギャップがある。ゲームをやるにはフレームワークとしてはひ弱である。ケータイでゲームをするよりもゲームで電話がかけられた方が良いのではないだろうか。既にメールマシンなどはゲームの域に入っているようだ。軒を貸すと母屋をとられかねないこのご時世だ何が起こるのかは不明である。ゲームとなると逃げ越しになる会社も多い。花札な893な世界には相容れないのだろう。
さてJavaとPDAの世界は、実は、これこそ自営通信などでのSOHOな世界に私には映っているのがどうだろうか。自営こそJavaだろう。公衆でのJavaなゲームで失敗したケータイで細々とSOHOな自営通信システムを構築できはしないか。答えはNOである。ケータイのランニングコストが高すぎるからである。では方策はないのだろうか。年末まで続く、HDR実験が、その答えになると考えている。2.4Mから600kというスループットを駆使したアプリケーションは考えるのみでも楽しくなる。楽しい忙しさを共有できる人を探しているのだが単なるオタクな忙しさに埋没している人が多いようにおもう。アプリケーションを書くのに辛いから楽にする為にコンパイラを開発してみようという発想が生まれる土壌があったことを私は知っている。問題は自分自身の中にあるように思う。上司に理解がないのではなくて、自分自身にプレゼンテーション能力が不足していると考えてみると人生は変わるように思われるのだが・・・・。
VOL19 H君からの手紙 発行2000/06/26
久しぶりに懐かしい仲間からメールがきた。初芝時代に共にしたことのあるH君からの手紙である。まだ、場所が移ってしまってからは初芝時代にも顔をあわせなくなっていた。東川が初芝をさってからは一方的な東川からのメールマガジンを読んでいたようだ。初芝での仕事は、事業部ベースでの開発と現場をも含めて開発しているものとがある。システム開発のコストダウンには、多様な機能を容易に実現するオブジェクト指向の考え方が有用である。しかし端末ではなかなかそうした手法ができないのであった。端末のリソースが限られるからということになっていた。昨今の端末開発でも、まだそうした一面は残っているようだ。最近の差異があるとすれば、逼迫した部品供給条件があげられる。使いたい部品を指名できず、手に入る部品で設計することを要求される時代になっていた。であれば、ソフトウェアの開発量も減るような気がするのだが、やはりソフトウェアの開発チーム毎のコミュニケーションの悪さは業界の共栄会社依存などが要因となるのか、大同小異であるらしい。
さて、H君はオブジェクト指向の技術を物にして、こうした業界のどこへでも出て行ける実力の持ち主であると私は評価している。彼の上司もそう話しているのを知っている。自由闊達に開発に取りくんでいるかと思いきや、メールの内容は悩みが書かれていた。携帯開発のメーカーへの転身を真剣に考えていたが、こうしたメーカーでは英語の重要度が増しているのだった。そう技術だけでは片手落ちなのだ。以前初芝の入社した折に「会社をいつ辞めてもいいように自分自身を磨くことが必要だ」と矛盾に満ちた話を聞かされていたことを思い起こす。実際そうした状況に自分自身はなってしまったわけであるが、会社が要求している英語の能力を実は拒んでいるのは技術者の側ではないのだろうか。会社の言う通りに力を身につけていれば会社にとっても、自分自身にとってもプラスになるのだ。
品川の会社に移ったA君ともメールをよく交している。彼は、初芝時代の辟易した点として自分達には、昇格条件として要求された英語の能力が自分達の上司達においても要求されるべきだという点を転職した当初は話していた。しかし、彼も実際の仕事の中で英語抜きでは進まない,現在の状況を痛切に感じたようで最近では、そうしたことを話さなくなった。中つりの見出しなどによれば課長を全員平社員に戻すような話まで出ている会社もあるらしい。逼迫した中で新たな仕事の仕方を会社も模索しているようすだ。
H君の話に戻そう。彼は、携帯メーカーへの転職を英語のレジメと面接というキーワードで断念したようだった。確かに、ワールドワイドに仕様が共通化する中で日本という枠組みで進めてきた技術立国が揺らいでいるようにも見える。物作り、開発、いろいろな側面がメーカーにはあるが技術者としてソフトウェアを進めていく上ではシステムを考える側に回らなければ、歯車の一つに自分が思えてしまうだろう。どんなに最先端の技術に従事しているとしても主体が自分の中になければ、その仕事は楽しいだろうか。技術者としての日本の優位性はどこにあるのだろうか。グローバルスタンダードの時代に三極鉱石を発見したといってもゃはりTransistorとして原理を発表してこその技術なのだ。我々には、そうしたことが求められているし無論、アジアあるいはユーロ・アメリカの技術者と対等に付き合っていくことが今また求められているのだ。一度自分の履歴書を英語で書き起こして自分の主張をまとめてみると自分の能力がより鮮明になると思う。
恥ずかしいのであれば、先輩として拙い英語の発表でも聞いてあげたいと思うのだが、皆はにかむばかりだ。
VOL17 インタビューの日々 発行2000/06/24
夏に入るのかと思い込んだ金曜日、また梅雨であることを思い返される天気になった。いつもより早くに会社に向かい大門で途中下車をした。ベーグルを買い求めるためである。ここのベーグルは中々良い。昼食をベーグルにしてみるためである。半年ほどの缶詰暮らしで体重が増えたことを気にしてのことである。幕張のお客様のサポートを確認しつつ、午前中にアポの入ったSONYの候補者との時間を気にしていた。サポートチームはフロアとして独立していて今年に入ってからは昨年からの3db強化もあって賑やかになっている。またソフトウェアの支援体制としてさらに6dbの増加をしていくには賑やかから騒々しさには変えたくないものだと、ある会社を思い出していた。
支援部隊としてのスキルはソフトやハードと限定されるものではない。総合的なシステムとして稼動しているCDMAのハンドセットを仕上げているお客様からの問い合わせには当然自分の得意でない分野も含めて広く考えて誰に聞くべきか、何を聞き出すべきかを考えつつのメールや電話の対応を進めていくことが必要である。入り口が騒がしいと思ったら朝からキャリアとやっていた電話会議が終わったようだった。幕張のキャリアとはなにか違うもたついた点が、このキャリアの良くない点であり二番手の烙印が中々消えないのだろう。社名を変えれば直るのだろうか?米国サイドで対応していた面々の顔や日本サイドでそれを危惧していたメンバーの両方の困惑の顔が思い浮かんでいた。会議は簡潔的確に意見をだしあうものなのてあるがずるずるとした印象で終わったようだ。こうしたキャリアの育成も含めて我々の仕事なのだろうと思う。どこかの会社でどこかの団体相手に行なわれていた悪い事例を思い出していた。
そうこうしているうちに品川の会社の候補者から電話が入った近くまでついた様子だった。最近品川の会社に転職したやつからの紹介である。品川の会社で10年以上仕事をしてきたツワモノらしい。品川の会社では10年の間に50%は転職してさるのが社風らしい。彼らは社に貢献するとかいった文化や精神はなく、まったくの個人の思いのみで仕事に就いているというのが初芝と大きく異なる点のようだった。要素技術を志向しつつもの作りに励んできたという候補者とひとしきり話をした。初芝時代を思い返しつつ、前職での話をすると彼はQuad社にしようか初芝にしようか悩んでいるようだった。表面からみる華やかさの品川の会社とは好対照の初芝ではあるが携帯というジャンルで特化してその頂点からほかの事業全てを引っ張っているというのが彼の初芝の印象らしく高速化時代をにらんで携帯を中心とする要素技術の世界に飛び込もうか悩んでいる様子だった。初芝は、現在社を挙げてWCDMAを推進しており求人活動も積極
的なはずだった。
品川の会社でワイドの開発をしているA氏は周囲の人的環境のひどさに閉口しつつも技術的な自分としての目標を目指して仕事完遂までは会社に留まりたいと話していた。きっと彼もQuadで欲しい人材の一人である。システムの要所を押さえられる数少ない技術屋である。そんな彼の紹介であり,実際この候補者とも意見の位相にずれはなかった。数多く品川の会社の中枢プロジェクトを任されているが人的環境のひどさなどから参っているというのが彼の状況に見受けられた。年度末までの仕事でキリをつけて移ることが出来ればというのが彼の希望だった。我々はすぐにでもきてほしいところであり彼のパーソナリティや能力の印象などからまずは保留して継続していきたいという感触をえた。
支援技術者という仕事が、東川が初芝から移籍してきて要素技術を提供支援していくという東川の初芝での思いと符合をしたんだという話をしたところ意を強くしてくれた。彼を紹介してくれたメンバーも含めて来年に向けて拡充していく姿が思い浮かんでいた。彼も初芝にいたとしたら、かつて東川が執筆していたTechPaperに投稿などもしてくれたであろう。要素技術で支援していくには、それを売っていくことが必要だと初芝時代に提言していたのだが、実際に商売としているQuad社に来てそれを実践している自分に気がついた。技術者のための技術者という支援技術者の仕事の妙味は中々わかってもらえないのだろう・・・
VOL18 学校はいま 発行2000/06/23
梅雨のさなかではあったが、母校を訪れた。赤坂から京葉線の乗り換えはいつものことながら良い運動になる。時刻表の8分ほどのマージンも実際はほとんどないような状況の距離である。学校を出てから四半世紀近いのでアクセス方法も多様になってきた。既に特急は京葉線に移ってしまったし、アクアラインでのバスも便利である。子供が少なくなってきた時代に、高専というものがどうなっていくのか、昨年の転職事件以来訪問していなかったこともあって訪問することにした。半日のデイオフを電子メールで事務所とメンバーにメールは投げていた。出先であっても急用があればcdmaにメールが入るのだ。東京駅からビューわかしおは雨の中を、ディズニーランドを横目に抜けていく。平日の雨という状況でも駐車場は一杯だった。家族旅行の風情のボックス席が空いていたので混ぜてもらいメールを確認しつつコーヒーを飲んでいた。
高専という学校が,現在のシステムアーキテクトを目指している時代で、どう機能していくのか気になるところである。電気が好きで入学してくるといった時代を東川は過ごしてきていたが、いまも同様なのだろうか。日常にケータイやピッチを利用しているような中でどんな意識が学生に生まれているのだろうか。高専は中学に続いて専門教育を大学レベルで実践し実習などを中心とした実戦力を養わせることが設立の主旨であったはずなのだ。確かに旧式の二現象のオシロで学んだことは、役に立ち会社生活でのそれにおいてどんな環境でも計測解析を出来るようになっていた。会社生活の中で研究職としての配属はありえないというのが当時の会社での考えでもあった。受験勉強というレース経験を持たない高専卒のメンバーの評価としてはしかたのないことであったろう。思い返すうちに蘇我に到着して、内房線の快速に乗り換えた。内房線の快速電車の停車駅の数は、やはり沿線の発展を映して増えていた。木更津に到着して茶菓を買い求めてタクシーに乗った。田舎だった木更津の町も大分変わっていた。校内に入っていくと来る度に建物が増えているような気がしていた。
一昨年訪れた折には、初芝通信のリクルータとして、翌年には木更津高専からの要請で先輩として社会人生活についてのパネラーとして意見を述べたりしていた。四半世紀前との差は訪問すると明確で、女子学生が一般化していることである。今年からは女子寮まで出来たそうである。機会均等という観点からもこうしたインフラ整備は良いことだとおもった。女子学生が増え始めたことは知っていたが女子寮まではなかった。かつて、初芝に入った頃に技術者として女性が入学したころに顕在化した。初芝としては、女性社員の定義を親元から通勤できる範囲として捉えていたことだったのである。女性の初芝進出は、およそ20年ほど前に私の後輩として入社したことではじまり、やがて初芝にも他社並に女子寮が出来るようになった。訪問すべき先生は、電気工学科と電子制御工学科に今は分かれている。かつては、電気工学科しかなかった分類が情報・電気・制御とに増設されている。高電圧から電子回路までの広範囲を学ぶことに無理はあったのだと思う。
VOL16 事務処理に追われる 発行2000/06/22
久しぶりに落ち着いて席にすわり幾つかの案件の谷間になったので事務処理を始めた。3ヶ月分の交通費の精算処理である。深夜タクシー代金の額が嵩んだ。35万円ほどの立替額になっていた。6月分からはそうした費用の額がへり、ようやく昨年のノンビリと余裕の生活パターンに近づいてきている。我々は忙しいお客様を助けて楽にするのが仕事であり、余裕をもって仕事が進められて当然なのである。我々が忙しくて顧客の対応が出来ないようではいけないのである。とはいえ、異常な状態が続いていたことから、ほっと息をつきこうした事務処理をしていると、まだまだベンチャーだと実感する。
しかし、Excelの帳票に入力して印刷してサインをするというのはまだ良いと思う。初芝時代を思い返すと紙に細かく書き込んでいたことを思えばベンチャのほうが気楽だともいえる。事務処理の傾向としていわゆるインタビューをする費用が増えてきた。本来、もっと早くに始めるべきであったのだが、無理を言って聞かないお客様に遭遇してしまったのがある意味で不幸である意味で幸せだった。忙しさの極限でQuad社がなにを出来るのかという点とお客様との接点においてどんなことから切り崩していくべきかという洞察力を養うという点である。現場現物でCDMAを学びそしてお客様を支援していくことがより深く出来る事になった。
Quad社を取り囲む状況は数多くの顧客と繰り出していく技術展開とから暇になることはないのでといっても忙殺されて三和タクシーを呼びつけて名前をいうと家に到着してから起こしてくれるというような状態ではない。忙しいから球場に野球観戦に来ている最中でも日本のユーザーとの電話会議にでてコメントを話すといったたぐいである。時差がこうした点を祖結合にしていて疲れは少ないようだ。無論お客様との関係をタイトに考えてしまうタイプの人は重荷を背負ってしまうのだろうがそうした感性ではやっていけないだろう。双方の中間程度の感性が必要なのだ。きっちり休むのが我々のスタイルである。
とはいえ、私の肝臓をいたぶってくれるような嬉しい悲鳴の連絡は中々来ないものである。求人も仕事も教育も全てこなすのがベンチャーらしいところである。「英語が・・・・」という人は多いが英語が怖くてUNIXは使えなかったのではないだろうか。一歩踏み出せば世界は広がると思うのだ。求人広告を出すと聞いて内容の確認を求められた。「資格 日本語およびある程度の英語の読解力と会話力があり、前向きで向上心のある技術者の方。米国および国内顧客への出張が可能な方。コンピュータまたは電子工学関連の大学または高等専門学校卒業以上の方。CDMAまたは他のワイヤレス端末機のソフトウェア開発経験のある方歓迎。給料 年俸制5万ピカソから12万ピカソ以上・・・」などとかかれていた。このフレーズでは新卒者も該当するなぁと読み返していたが、まぁいいかと思っている。ピカソの単位は忘れてしまった。
VOL15 続)基本ソフト開発の方程式 発行2000/06/21
このところ業界独り言日記の如くになってしまっている。基本OSのお話でYさんからご意見を頂戴した。基本ソフトとして購入したOSについての話だった。ICEレスでデバッグできる。メモリ管理が出来ていてプロテクション検出が出来てUNIXのように安心してデバッグが出来るというOSなのだったが・・・。基本OSを提供している側と日本のユーザーでの湯水のようにリソースを使うようなAPPLを短期間に高精度かつサイズを抑えて提供していくという図式に照らすと開発規模や提供しているツール性能などが合わないのだという。おなじOSが新たなCPUシリーズ問題を起こしてカーネルのバグだという。確かにツールやOSメーカーでの開発規模検証はユーザーのそれとは比べるまでもないのかも知れない。のんびり構えて、慌てず確実に直させていくためのフォローアップが必要なのだとおもう。
日本の差異と米国の環境での差異で明確なのは、WINDOWS98などを使わない点である。開発ツールを稼動させるためのOSとしてWINDOWS95/98といったものは使えない。開発ツール開発側ではOSの都合など考えた設計をしていないためである。結果リソース不足に悩んだり固まってしまったと悲鳴をあげるこえを耳にする。といってWINDOWS98をWINDDOWS2000に入れ替えるでもなくシュリンクラップで配布販売されるOSの品質を信じて疑わない。ゲームソフトでのそれは、楽しんでもらうために種種の工夫を織り込んでOSのバグや制限に対応したかたちで使えるようにしていくのが彼らの仕事である。組み込みツールの人たちの意識はそこにはない。彼らが検証利用している環境との差異についてよく話を聞いていくことが必要なのではないかと思う。私の知りうる仲間で開発マシンに98/95を入れているひとは昔からいない。開発ツールをこうした環境に構築してしまった日本のあるメーカーの悲劇をしっているが、このツールで育った世代の人たちはツールの動作にビクツキながら使うということを入社直後に学ばされてしまった。良いこととは思えなかった。
今アプリケーションサイズの膨大さは組み込みの例をとってもリンクの時間に10分近くを要する状況になっている。800MHzのPentiumIIIでWIN2000での話だ。信頼に足るOSの上でよい性能のコードやデバッグフィーチャを駆使してデバッグしていくという姿は、一般的なものだ。人によってはICEもつかわずに一気に実機でオシロを覗きつつの試験をしている。単体も行なわずに、あるいは机上チェックも行なわずに入れることはありえないといっているようにも思える。彼らのスタンスは謙虚である。動かないのは自分が悪い・・・・。何を間違えたのか良く考え直してみよう。匠の領域である。
とそんな話の通じないお客を目指して横浜線を北上している。彼らはツール大好きな人たちである。ツールにない計測の概念などについては考えも及ばないようだ。こまったものだ。
VOL14 Aさんのこと 2000/06/20
業界独り言をはじめて、テクノウェーブ時代とはことなり気軽にタイプしている自分に気がついている。紙にするということはやはり良いことなのだが、手軽さという観点においてはメールが気楽このうえない。サポートという仕事の面白味は、実は、いままでテクノウェーブが目指していた姿そのものなのかもしれないと感じるようになった。いくつかの経験に基づいたノウハウの集大成をOSの機能やコンパイラの性能や試験方法などのなかで綴ってきたことを体系化してライセンスとして提供し支援していくという姿は、基本ソフトという大袈裟な表現は抜きにしても方向性として納得するものがここにあるのだ。
相手は日本中の先端技術者がお客様であり、それぞれのノウハウ・技術との接点が製品として出てくるからお客様訪問で得るものは大きい。我々サイドのバックエンドを要素技術で支えてくれる技術者達が違うタイムゾーンで暮らしている。言葉や人種という問題は表面的なことで互いに技術というものをベースに真摯に話し合い解決に向かっていくのは素敵なことである。そんな中に飛び込んでしまった自分には驚いたりもするが一皮向けたような気がしてならない。
「東川さんのメールを見ていると本当に充実しているようですね・・・」とエールを送ってくれたのはAさんだった。既に転職して新たな世界に飛び込んだAさんだったが悩みは多いようだった。しかし、彼も大人で今いる場所で出来ることをチャンスとして伸び伸びとやっているようだ。彼いわく現在の状態は起承転結という段階での転でありまだ結があるのだという。結が近いのならばジョイントもしたいものだと思うし、まだまだ伸びていく個人コミュニケーションの中で前向きに取り組んでいきたいものだと思う。
列車好きの東川氏にとって日本中のお客様と話すための移動手段は、格好のものであり週末には鳥取までも赴こうとしている。初芝時代の同期入社だった人との久方ぶりの宴もありそうだ。縁はいなもの。Quad社転職で旧知のメンバーとの再開など、まさにこの業界の狭さを知る次第である。幕張の会社に行くことも増えてきた。京葉線の旅はなかなか快適だが、東京駅の乗り換えは辟易する。最近,丸の内線からの逆ルートの乗り換え方法を知り、また東京駅地下の複雑さと広さとを知り愕然とした。出張用にキックボードが欲しくなる今日この頃である。
VOL13 求人最前線で考える 2000/06/19
半年らいの異常な事態を収拾するなかで、国内支援体制の拡充が大きな鍵であることを認識し上司具申のうえ体制拡充の許可をえた。現状からの6dBの体制強化である。ベースが何人なのか20logなのか10logなのかはモザイクのかなただ。問題は、やはり言語の問題なのか、あるいは自分自身への自信のなさの現われか、あるいは生活保障ということからかなかなか名乗り出てくるメンバーにはお会いできない。敷居が高いのだろうか。見知った人から見識の再確認で済めば私も自信をもって本社に申請をしようというのが目論見であり、培った実績から米国での日本メンバーにこうした人事採用までの裁量をいただきありがたく思うと共にまだまだベンチャーであり毎年優秀な人材を採用教育してくれていた大企業という枠の力についてうらやましく思いもするのである。
ある程度の日本語の会話力があり、英語の読解力と会話力のある日本に留学してきている学生を対象にして新人確保という線も却って日本人の技術者を採用するよりも私たちとしては容易いかもしれないと思いついた。日本人でも、宇宙語を話すようなコミュニケーション能力のないオタクな技術者を採用してもここQuad社では務まらないだろう。お客様である技術者のための技術者が我々の仕事なのである。バックエンドのサンディエゴのチームと相対することは日常であり、かの東川氏ですらおぼつかない英語で暮らしつつ未体験のCDMAの世界に突入していったのである。現物を見ないで、仕事の指示や確認だけをしている生活も安住という観点からは捨てがたいのかも知れないが、果たして技術者としての自分自身というものを持ちつづけていくことについてはどうなのだろうか。東川氏のように時代から浮いてしまうことを恐れずに嵌りこむのも考え物かも知れない・・・が。
携帯の通信費用を下げることで景気は上向くのでないだろうか。今は通信費用の嵩む部分を被服費用や他の娯楽費用から浮かしているために景気を悪く見せているのではないだろうか。そんな話を嫁さんと交していた。たしかにタクシーの若い女性運転手などと話してみるとそうした実情が窺い知れる。でも通信は外せないようなのだ。となると被服費用などが安く済むことのメリットなどがユニクロ現象などに現れてくるのかもしれない。
ある会社でCDMAの開発をしていたという技術屋さんの紹介を受けた。もともとは初芝電送にいたそうで何年か前にまとまってスピンアウトして会社を興してシステムハウスをしていたらしい。会社ごとサブコンとしてある韓国の通信機器会社の日本研究所という組織を形成していたらしい。初芝でもよく見られた地方研究所のようなものだ。ただし会社全体の人材が借り物だというのも最近ではあることなのだろうか。Quad社のお客様でもあったこの会社
がシャットダウンすると聞き及び技術者の奪取に走ったのは言うまでもないことである。この会社では昨年田町系列の会社からCDMA技術者の引き抜きがあったらしく我々としては、半年毎に行なわれる新製品リリースに伴うトレーニング会場でのレセプションを通じて、そうした人材交流(?)を知りえたりしていた。都合を伺いインタビューとしてヘッドハント活動をしレジメを書いてもらい、サンディエゴとのテレビ面接も行い、ようやくオファーという段になる。東川氏の時とはことなり迅速な人事処理が進んだ。
Quad社では、顧客先からの技術者の引き抜きは本人の意向が先行しないかぎりは攻めていかないのが鉄則であり、大企業にありがちな本人の意向と昇格での管理志向とのせめぎあいで不満を持っている人がいれば狙いどころとなる。今年に入って東下からきた同僚も同様なパターンである。二人の目標は、9時にきて6時に帰ることであり、そうした目標が夢ではないことは昨年の生活から東川氏は知りえている様子だった。そうここで注意しなければならないのは、顧客先以外からの引き抜きには言及していない点である。米国の会社であり、研究開発陣の充実などはトップレベルであり何よりも確かに自分達で牽引しているという自負のある環境は技術屋として腕や頭に覚えのある人にはやりがいのある場所なのだと思い返す。
昨年懸案だったWCDMA問題も決着して未来が約束し開かれた現在は、東川氏が野比Laboの一節で述べていたような危惧も消えている。ただし、一年足らずの東川氏の経験からは長年会社で不平不満のみをいつも漏らしているような技術者では、きっと馴染めないのではないかと思うのである。自分に前向きで仕事の中でそれを実践していくような人材で、仕事に恵まれないというような人材がもっとも奪取に走るべき人材であることを確信している。そうした人材をTechPaperという実践を通じて知りえた東川氏にこうした人材推薦の白羽の矢がささり今は奔走しているようだ。
年収は残業など勘案してもきっとがっかりさせないものがある違いないし、業界の技術者の方々を支援するということで日本中をまさに回りつつ最先端の技術会話を楽しめるという仕事の楽しさはきっと東川氏の個人シグネチャからも伺いしれるだろう。ベンチャだから組織の弱い所もあるだろうが、フラットな組織はそうしたことの是正をどんどん具申して直していけるということを人材採用や教育などの問いかけからも真摯な議論を上司と交し会社としてそうしたことへの取り組みをしていくことをしている。そんな勢いのある会社なのだ。もうプロトコル屋だけが欲しいのではなくてそうしたことを常識として捉えて端末というシステムを理解したうえで個人生活の中心としてネットワークを広げていくなかでの広範な技術者を求めているのである。
??夢うつつで書いていたようだ。いや単なる独り言だ。年収など気にしないひともいるだろうしこうした生活にあこがれている人もいるかも知れない。チャンスは少ないが、奪取に呼応するダッシュを示してくれれば、私もダッシュして奪取に向かうはずである。あまり冷やかしで呼ばれても肝臓に負担がかかるので勘弁して欲しいのだが・・・・。今週は鳥取で美味しい出張を済ませて来週には本社で情報収集にあたらなければなるまい。・・・こんなに遅くなってしまった。
VOL12.5 基本ソフト開発の方程式 発行2000/6/14
素直な梅雨空は、ひとしきり雨が続いている。エルニーニョなど、どこ吹く風で本当に日本らしい天候を楽しませてくれる。春から初夏にかけては、5月病の社員などのケアなのかいろいろなイベントを駆使してモチベーションの向上を図るのはどこの会社も同様のようだ。日常の疲弊した仕事の中で技術発表などのモチベーションを続けることが人事考課の賜物であるにしても気分転換の範疇でこなすのも良策であろう。人脈を広げるのに活用するのもまた良いことだろう。
大会社には豊富で優秀な人材が多い、しかし実際に活躍されている例は少ないようだ、人材不足が先に立ち、そうした優秀な人材を教育しあるいは実践させ仕事の中で教育サイクルをまわしていくことがなくなり、安直なあるいは効果的な解決策としてソフトハウスの導入に走ってしまっているように映る。こうした大会社でも不景気の荒波は打ち寄せ、ソフトハウスの導入という至極普通の取り組みすら出来なくなった会社が、うみの苦しみを越えて不死鳥の如くよみがえってきた。この会社では、このことが会社の仕組みを刷新させたように見える。また、相変わらず底知れぬ人材のダイヤモンド原石の上に砂利道をしいて相も変らぬ道路工事を続けているような会社もある。予算がつくので仕事をする。仕事をしないと予算がつかない。人材を確保しないと戦争がこわい。だから予算を計上する。こんな悪循環がいつまでも回るわけではなかった。実際淘汰されるものだ。
原石の磨き方を知らないままに砂利道の中に迷い込んでいる会社も多いのだろう。贅沢なものだ。すばらしい原石もなんどもほっくり返すような工事をしていたのでは硬いダイヤもいつしかヒビがはいり小さくなり砂になってしまう。毎年新人が入るから気にしないのだという人もいるだろう。外から見ているとそんな光景に見えてしまう会社がそこここにある。組合の問題もあるのだろうが、技術者の生活とは残業時間で計れるものではないのではないか。諦めにもにた、そんな雰囲気を組合は察知しているのだろうか。組合の委員長自らがそうした仕事にどっぷりと漬かっているのでは当然の結果かもしれないが。
どの会社もソフトウェア技術者の拡充をいわれている。新社屋を建てて鳴り物入りで推進されている会社もあるし地道に技術者を募っている会社もある。組織を作るのが好きな会社では毎年事業部の名前や会社の名前を変えたりして麻痺している会社もある。麻痺した感覚では、組織の位置づけも毎年の名称変更と同じように捉えている会社もあるのだろう。実体と組織の名前は乖離していることが多いようだ。ソフトウェア技術者の育成確保のために専門組織の別会社を作るのも常套策である。効果的に解決するにはソフトハウスとのジョイントが一番ですという会社もある。確かにそうであるかもしれない。ソフトハウスという観点で工数販売を目標にしていないのであれば、よいのだろうが基本ソフト技術というものよりも仕事をこなすという観点を増幅してしまいがちなケースに遭遇することが多い。
ソフトウェア開発という仕事を冷静に見つめて、プロセス改善などの手立てを始めている会社などは救いがあるといえるのだろう。そうした活動の本質を理解している技術者の育成が大きな課題であり、むしろ入社した社員での宗教教育にも似た段階でスタンプを押すことが必要なのであろう。ここで成功すれば効果は10年から20年はキープできるものだ。失敗した場合には5年とたたずに去っていく技術屋となりえる。10年たって出ていく技術屋という場合には、スタンプを押した側に問題があるのではないだろうか。それでも何もしない会社も多く先進的な会社には、まだ救いが残されている。
ソフトウェアの技術屋ですと言われると言語処理の知識・リアルタイム制御・マンマシン・プロトコル制御さまざまな範囲の仕事の技術屋全般を指し示すことになる。小さく分解したものを作成するのがプログラマーであり、こうした分解したもの(モジュール)の更なる全体構造が示せる段階が、システムエンジニアであろう。役割分担を明確にして楽しく仕事をしている会社もあるようだ。しかし何よりもお客様に向けた製品化ストーリーや技術のロードマップを正しく示しそれに向かって進んでいくことが見せられなければ、仕組み自体が絵空事になってしまう。在りたい会社の仕組みと在りたい自分をマッピングできればそこに向かって自分も一緒に進んでいくことが出来るのだろう。「最新鋭の技術に手をつけられるが、その選択は自分達ではなく、ともかく忙しくて追い立てられるように仕事を進めているんだ」というのでは楽しい仕事ではないといえるのではないか。
自分達で切り開いていくという仕事は,マイコン黎明期でもなければ、なくなってしまったのだろうか。技術の革新のなかでそんなことはありえない。ただしそうした会社としてもつべき余裕までもつぶして仕事の取捨選択もできぬままに百貨店経営を進めていくことに未来を映し出すことが出来ないのではないかと危惧するのである。25年前のマイコン黎明期に、ソフトウェア課という組織を作成した先進の恐るべき会社があった。まだICEもないご姿勢でアセンブラで開発するなかで家電系の会社としてのこの先進さには目をみはるものがあった。こうした会社での仕事は楽しいに違いない。
取り組みが早すぎるという声がこの会社には、その後たびたび訪れたようだが、渦中で進めている間の技術者は幸せであっただろう。追いつけ追い越せと電々ファミリーへの猛追を行い追いついたときに在りたい自分在りたい会社というものを考えるべきだったのだろう。いま1000名を越えるソフト開発技術者を募り通信の世紀を越えようとしている。こうしたバベルの塔にもにた状況に陥りつつも実際にももしかしたら、バベルの塔が構築されるかもしれない様にはさらに畏敬の念をいだかざるをえない。ヘドロを凍らせつつ埋め立てた関西空港のようなさまには、WCDMAという見えざる敵に果敢にブートストラップ大佐の如く立ち向かっているのかも知れない。
先進の会社として四半世紀前にソフトウェア課を興した課長と、1000名を越える通信ソフト開発体制を作ろうとしている社長の二人を知っているものとしては、本来であれば隆盛についての祝辞を述べたいとおもうのだが、残念な気がしてならない。
本来であれば、ソフトウェア事業部として構築していくことで進められるようにも思うのだがLinuxのようなあるいはDOS/Vのような仕事の進め方はありえないのだろうか。量産とシステム対応という両極のものが、LINUXでSOHOな暮らしをしている人たちは実現できているように思えてきている。こうしたプラットホームといことを基本ソフトとして進められるのではないかと考えはじめたのだがいかがなものであろうか。何かそうした未来を提示するなかで、現在の状況からのマイグレーションの道を進めていくことが必要なのだろう。
単に奇麗事を並べて、技術発表の場などを通じて情報交流していくことや、人脈だけで仕事は動けないのである。LINUXなどと同様に組み込みソフトウェアも出荷すればよいのである。良いソフト部品はLSI同様に使われるものであると考える。売り物でなければ営業マンもおけない、誰かカリスマ技術者でもいれば別かもしれないが・・・・。最近一つの別の解が発見されたが、共通のプラットホームを導入して自分達の力のみで解決対応するという策に出た会社がそのサイクルをまわし始めたということだ。基本ソフトということを進めていきたい技術者にとっての行き場所は、こうしたプラットホームを提供する側に回ることなのかもしれない。
会社のためというよりも、逆転して社会のために基本ソフトの匠達は集う場所を変えるべきではないだろうか。グローバル化を推進する。特許を推進する。奔流を追求する。いずれも日常のことなのである。掲げている目標には違いが見当たらないのだ。そうしてみると何が違うのかは、いまだに良くわからないのだが、やっているということを各人が認識しているという点は違うのかもしれない。他人事という感覚は、ここにはない。