VOL88 どこもくわしこも 発行2001/3/1米

各人エンジニアとしての拠って立つところは何かしらあるはずだ。Quad社の強みはCDMAに対しての先行した技術をハードウェアならびにソフトウェアで実現してきたことだったのであろう。世界がCDMAに塗りつぶせるかどうかの議論は別だが、自負も含めて相当なリードがあるという見方もあるだろう。中からのそれが正しいのかどうかは言及できないのは会社員として致し方ない。Quad社でエンジニアとして働いていくならば会社が考えている先進性に呼応する取り組みに従事していくことは必定である。

あるキャリアが韓国に出資して事業を始めようとしている。韓国は最初にCDMAを導入した先進の国でもあるが、そうした国にWIDEなシステムを持ち込んだキャリアの戦略も凄いと思う。そうした動きの中で最近トップの方が韓国のキャリアとミーティングをするなかで技術論としてのWIDEの敗退を思い知らされたようだ。国内のノリで韓国の事業が成功していくかどうかには悲観論も含めて考え直す気持ちになったようだ。お茶で濁そうと思っていたこともビールやコーヒーを進められたり、高速データ通信での利用効率など含めて自問自答の日々を過ごしているらしい。

ビッグスターも地方展開での巡業については、くわしこもショックを隠せない様子だ。ビッグスターの下積みからの今の華々しい成果が薄氷なのか磐石なのか悩む日々が続いているらしい。LとRの発音の区別が難しい日本の人たちにとってはビールで青ざめる日々が続いているらしい。どこもそうなのかも知れないが、お茶の人たちにとってはビールにはアルコールが入っている為に中毒になる人たちが出ることを恐れてもいるようだ。ビールがJリーグ会場で売られるようになるとどこでも売られるようになりかねない気配もある。

ワイドなビンビールが出荷されそうな状況も手伝って、お茶の問屋では商売替えも辞さない様子もあるかも知れない。どこでも出荷されるにはそれなりに、どこでも売るためのルールが存在しているのだが先進のワイドなビール工場の人たちが、あまねく続く日本の茶畑のお茶の業界での結束力を理解しているとも思えない。互いに無いものねだりをしているようにも見える。逆にどこでも売るためのお茶問屋とワイドなビール工場が手を組んでしまったら・・・何が起こってしまうのだろうか。

日経新聞を読むだけでは計り知れないディープな世界がそこにはありそうだ。ディープな世界を軽いノリで見ているQuad社と過去も含めたしがらみも含めて悩んでいる韓国に展開しようとしているキャリアの世界とでは同一ドメインにいるとは思えない空間の相違がある。ワイドなビールの世界が始まったとすると、潤沢な仕事を膿みだしていたけったいなビジネスモデルの世界が天地反転してしまうこともあるかも知れない。都会に暮らす技術者の多くが安住してきたどこでも商売が日本だけにしか通用しない自分達の世界を縛っているとしたら・・・電機労連も悩みを深めるに違いない。

21世紀を迎えて、技術者の自立を更に促す事態が起こるかもしれない。しかし、日常そうしたことをケアしている技術者にとっては雑作の無いことだろう。自分の納得する技術開発やテーマを、日々の仕事に見出している技術者にとっては、会社のビジネスモデルが変わってもマイペースで暮らしていくに違いない。そうした技術者が次代を生み出していくはずだ。

無線インタフェースのベンチャーをされている知己がサンディエゴのQuad本社を訪ねてきていた。たまたま偶然で挨拶する機会をえた。私もたまたまサンディエゴにきていたのだった。狭い世界だが何か符号するフェーズのあう人たちがいて、それで世界を引っ張っているようなこともあるのではないかと勝手に納得している。この知己のベンチャーがかつて、ある会社を出入り禁止になるような過去があったことを知る人はいないし、出入り禁止にしたような人は自分達の技術管理の能力を超えた仕事を彼にやらせていた事こそ反省すべきかもしれない。

日本の会社は、何か問題があると悪者をきめて縛り首にしていく。半導体の会社の関係者であれば、この技によって業界で食っていけなくなる。ベンチャーではそうした事は微塵も無い。いつでもその人が持っている技術が有用であれぱ進んで利用していく、そんな風潮があるのではないか。半導体と通信技術の業界の相違をみつつ、両方の顔をもつQuad社はどんなことになるのか考えても今は答えが見つからない。

VOL87 仮想世界の中へ 発行2001/2/28米

サンディエゴでの朝食をオフィスでとりつつ、東京の自分のマシンを遠隔で起こす。この時間は、だれも居ない時間なので快適に東京への回線を占有できる。リモートでVirtual Network Computingというフリーソフトでアクセスしている。会社の私のマシンは、二台あり、今回持ってきているのはノートの方でWindows2000で動作している。おいてあるのはデスクトップでありやはり、Windows2000で動作している。

デスクトップのウインドウが私のノートの上に広がる。1280×1024のスクリーンサイズはノートからはみ出てしまう。仮想スクリーンの中にカーソルを持っていくと少し遅れた描画で仮想スクリーンの中にカーソルが現れる。デスクトップにあったVmwareと書かれたアイコンをクリックすると、少し遅れて画面が反応する。 開かれた新しい窓には、WindowsNTという文字が出てくる。

仮想端末の先には、仮想マシンがいて、WINDOWSNTを仮想的に動作させてある。このOSでないとアプリケーションが動作しないものがあるからだ。APIが変わってしまうことからNTで動作しているものが、そのままではWINDOWS2000では動作しないのだ。アプリケーションを大切にしたいのであればAPIを変更するべきではないと考えているのだが、完成度の低さなどから時折大胆に変えてしまうことをOSとアプリケーションの双方を牛耳っているMSは実践しているようだ。

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VOL86 新しいビジネスの音 発行2001/2/27米

最近、ピンポンが流行っている。Quad社の開発チームの挨拶代りだ。広い構内なのでロビーにおいても周囲の邪魔にはならないのだ。仕事の区切りに汗を流している。少し遅くになったのだがリリースファイルのチェックインが終わった。ちょっとビルドが動作している間に一汗かいている様子だ。ラリーが続いていると最後は歓声でおわる。

あたりは暗くなり気がつくと、午後8時半を回っている。外は真っ暗だ。二階のサポートチームのブロックはもうピンポン台の周りにはいないようだ。問い合わせのメールもピンポン状態でやりとりが続いているが、サービスエースでバグの指摘を決めてくるひともいれば、ネットにかかり届かない玉を拾ってばかりで情報が届かない人もいる。ようやく届いた時にはバージョンが古くなっていてほかの人の間でわかったいろいろな問題点が明確になっていた。

ソフトウェアのリリースは、機能が追加される段階でバージョンがあがり不具合がある度に修正でリビジョンがあがる。これは、通常の製品開発と同様であろう。ところが、新たなバージョンが出来るときには古いバージョンに対してのバグが集約された上で新たなバグ修正なども包含されてリリースされる。以降は新しい版でしかパッチリリースもなくなる。

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VOL85 都会技術者と地方エンジニア 発行2001/2/27

製造メーカーから転職して足掛け3年目に入った。以前の会社では、よく地方周りをしてきた。システム件名というものが地方に根ざしていたからでもある。自分自身、実際の風土や文化に触れつつのそうした開発が肌にもあっていたので嬉々として飛び回った。幾つかの失敗談は元の会社の懐の深さを示す逸話になったりもしていた。

Quad社に入り、全国区でのサポートを東京からだけで行っていくことは無理が多いことから、営業と共に地方巡業を行うことも必要なことである。以前の生活から考えると大阪に行く回数はサンディエゴで行く回数に置き換えられたものの地方に向かう回数、端末開発をして開発環境も含めた全てを自分自身で行っていたSE時代の近い状況になってきているように思い返した。

日本海側にある会社を訪問することになった。担当営業からは技術説明ならびに技術広報の役を頼まれていた。この会社には、前の会社の同僚がトラバーユしていた。トラバーユといっても彼の父親が重役をしていたこともあり、Uターンともいえるものだった。この地区には少し離れたところにユニークなシミュレータ開発を手伝ってくれたメンバーもいて、出張の折にはどちらも寄りたいと考えていた。

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VOL84 携帯でモバイルペンティアム? 発行2001/2/25

携帯のソフト開発が爆発しているのは、明らかなのだが・・・。それとは逆に技術者の夢は萎んではいないだろうか。開発リソースがショートしてキャリアの要求する時期に新製品を出しつづけていかなければならないという図式なのだが。8MBにも及ぶアプリケーションの世界を各メーカー毎に独自の環境として作り上げてきた匠の技があるのだと信じているのだが・・・。

チップビジネスを営んでいる上では、ユーザーが開発する製品機能に出来るだけマッチした機能・性能・価格を実現すべく腐心するのが私たちの務めでもある。当然、毎年出てくるチップのリリースには、ある時期までに機能集約を図って製品方向を定める必要がある。世界からみると「携帯でインターネットをしたい」という状態ではあっても、「している」という状況では必ずしもないそうだ。AOL買収を決めたキャリアは米国進出を考えてのことだろうが・・・。

チップ開発提供というビジネスが世界に根ざした上で使われる時期と製品寿命とを考えていくと難しい問題となって浮上してくるのは価格・機能・時期といったバランスである。ある意味で既に日本はショールームである。別にラスベガスや幕張にいかなくても町のそこかしこが既にモバイルインターネットの展示会である。電車のつり革につかまって読んでいる雑誌には製品紹介が広げられており、椅子に座っている人々は実際にそうした新製品をひけらかすではないにしても実際に利用しているのだ。気になるモデルも買って使っている人が身近にいて覗き込み、うんやはりあの色の液晶はちがうとか悩んでいるのかもしれない。

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VOL83 バーチャルな世界でハマリ道 発行2001/2/20

今年になってから加わった新人君は、いまバーチャルな世界にはまっている。QUAD社でもなかなかリアルワールドから離れられない中で仕事も環境も仮想空間にはまり始めている。彼の略歴から考えると彼が求めていること自体がそうした方向なのかも知れない。

組み込み世界で仮想記憶を求める声は、ソフトの暴走を止める意味で求められていた。しかし、高速動作を考えていく上では過去はあえて仮想記憶を使わずにリアルな世界で使っているという選択肢を選んでいた時期もあった。時代は、携帯端末にも高速なリソースを求めてそうした中でソフトウェアの保護も含めて機能が求められるようになってきた。

もとより、仮想的な世界の所産であるJavaなどを組み込むことの経験もあり仮想空間をサポートする新機種や仮想マシンの組み込みなどを中心に大きくカスタマーを指導していくことが求められているのだ。UNIX使いである彼はtcshベースでMuleと呼ばれるEmacsベースの環境が今まで開発環境であり、Quad社に移ってきても同様の姿を目指してきた。

しかし、現実のお客様はカスタマーから離れて環境管理が容易なWINDOWS環境に移行してきておりQuad社が薦める開発環境もそれに合わさざるを得ないのが実情でもある。Unixベースでの開発に慣れ親しんだ正統派(?)のソフト技術者としてはWindowsベースでの環境の不安定さや機能不足などにカスタマイズが出来ない点などもあわせて一ヶ月の研修期間も終えて自分のスタイル追求を出し始めている。

当初彼が、目指したのはCygwinによる擬似UNIX環境でのコマンド環境とMeadowと呼ばれるWindowsベースで動作するEmacs環境である。幾人かの熱狂的な信者により支えられているこうしたツールではあるがWindowsベースの環境でもあり不安定さや改善途上のツールであることも手伝いUnixベースで使ってきたMuleと呼ばれるUnix版のEmacsと比較すると眉唾な点も目立ってきていた。

サンディエゴのメンバーが標準で提供している高機能エディタベースでのコンパイラー利用はある意味でEmacsベースでやってきた彼のスタイルに近いものを提供はしているのだが、長年慣れ親しんできた「小指が痛い」といったところであろうか(Emacsでは小指を酷使するのである)。カーソルをマウスで動作させるといった作業が嫌いなのであろう。コンパイル環境としての性能を計ってみたところ1GHzマシン環境で4分ほどで600本以上のファイルの全コンパイルが完了していた。

彼は、Windowsのファイル環境でそのまま動作するLinuxMLDというベース環境を持ち出して準備をはじめていた。彼の狙いとする点は明らかで、Unix(Linux)とWindowsを同じファイルシステムで動作させてWindowsベースでのコンパイラ利用とそこで利用するファイルを共用していくということである。こういった「お題」を自分に課して仕事を進めていけるのはある意味でQuad社の自由な雰囲気からであろうか。

きびきびと動くEmacs環境は彼の苦労の末に達成した。懸案のツール環境を確保するために持ち出したのは仮想ソフトのVMwareである。彼のはLinuxで動作するものでありLinuxの上でWindowsマシンが登場するのである。彼は、もともとのマシン用に付属してきたリカバリーディスクを用いて仮想空間に展開しようとしたが仮想マシンのBIOSにはメーカーIDが書き込まれていないらしく検証段階で蹴られてしまった。結局、地道にWindows2000をここにインストールすることになった。

Windows2000のインストールが終わりコンパイル環境も確認できた。VMwareの上での速度は少し遅くなった。4分が6分ほどになった。以前のラップトップで行っていたときの30分に比べれば格段に速いのは変わらない。安定な環境できびきびと編集作業が出来て以前と同様な環境が出来たのだが・・・コンパイル結果のエラー情報を利用したりすることがEmacsでは必要なのだが、これを実現するにはWindows2000をrshで実行させたりすることが必要になるのだった。

変な話だが、また彼は仮想的にUnixの振りをするCygwinというソフトをLinuxの上で動作させている仮想環境VMwareの上で動作しているWindows2000の上に展開して稼動させて、これをメイン環境であるLinuxのEmacsからリモートで動作させることでWindowsの上で動作させているクロスコンパイラーを稼動させようとしている。仕事の流れでは振り出しに戻った印象もあるが、確実に環境は深化している。進化ではないかも知れないが・・・。

構築できた環境で彼は、きびきびと彼の感性のままに開発が出来るようになり出来るだけ能率よく仕事を進められるはずだ。こうしたことにケアをしないのでは結局効率が上がらないのだと思う。技術開発ベンチャーにジョイントした彼の姿はよくマッチしていると感じている。そんな瑣末なことをと思われるかも知れないが、何度も繰り返される会議やデバッグ打ち合わせで出てくる内容のベースにあるバグやミスは環境で回避できるものがかなりあると信じているし感じてもいる。バベルの塔建設にもにたWindowsとコミュニティによるLinuxの構築にも通じているかもしれない。

VOL82 採用というプロセス 発行2001/2/17

独り言を書きつつ、足掛け三年目になった。相変わらず人探しを続けている。独り立ちできる通常の技術を持ち合わせて英語で自分の技術を語れる人が私たちの求める姿である。国内向けの開発をしている中では、ドキュメントで読みこなすことしか発生しないので英語の力は伸びないのは致し方ないと考えるようになっていた。技術力は日本の先進性からアプリケーションなどから見れば優秀な点は認識してきていた。

仕事として採用プロセスを行うのだが、色々な人が挑戦してくる。英語能力と技術能力にバランスが取れているような人は仕事が順調に推移しているのか転職にチャレンジしてくるような人は少ないようだ。英語の能力を抜きにすれば国内のメーカーで活躍できそうな光った人もいる。逆の人もいる。英語の能力では問題がなく、実際に海外メーカーで仕事をしているという人も。技術的に疑問の残る人が逆に多かった。

300人近い技術者を束ねている技術リーダーという職責の方が転職に訪れたこともあった。国内のトップメーカーの立場で転職したい気持ちはきっと別の達成感を求めて、やはり管理志向でない仕事にチャレンジしたいという年齢的な悩みなどからのようだった。

まったく英語については出来ないという様子にうそは無いようで彼のやりたい仕事を弊社で進めていくことは適わないようだった。彼がそのメーカーで達成してきた大規模な開発プロジェクトで分散した複数の開発プロジェクトを束ねていく為の開発プロセスの改善などは逆に弊社でも学んでいくことが必要だとも思うのだが、彼が、やっていきたい仕事ではないようだった。

携帯開発にチャレンジしたいという意気込みでやってきた若者もいた。DSPを得意とするという技術屋さんだったが、残念ながら日本では開発はしていないので開発業務をしていきたいという想いは遂げられそうも無かった。後日、協業しているベンチャーのDSP系ソフトハウスの方と話をするなかで求人の話が出て彼を紹介することにした。何か仕事で接点が出来るかもしれない。

アマチュア無線機のメーカーにジョイントしてアナログ無線技術を身に付けつつ組み込みマイコンでアセンブラベースの開発を重ねてきた人もいた。MCUの経験から海外マイコンメーカーの支援技術者(FAE)としてここに転職して経験を重ねてきたのだが、ここでは英語はEmailでしか必要がなかったようだ。QUAD社での実情からみると同一職種でありながら意味が異なるように感じた。現在は、別の会社に移籍して組み込みマイコンのソフトウェア開発をガンガンやっているようだったが、RTOSベースでマイコンに近い環境を構築している現状には戸惑いを隠せない様子だった。

支援技術者という仕事は、ある意味で対等に話し合うのはメーカーの部長さんクラスであり、彼らの仕事を進めていく上での技術提供メーカーとして日本部長の位置付けであると考えているのだが、同様に技術問い合わせに対応していく段では現場の最先端技術を利用するうえでのお客様からの質問に答えていくという細かい部分にまで対応していけるプレイングマネージャーの雰囲気である。

現場での作業に目を配りつつ、日本の色々なメーカーの方たちの製品開発にタッチしていくという楽しみは中々味わえないものである。若い技術者の方には理解しがたいものかもしれないし、そうしたネットワークを構築して最終ユーザに良い製品やサービスを提供していければ、わたし的には大満足な日々であるのだが、メーカーの開発プロセスには軋みも生じているように感じることがある。採用というプロセスもあれば、その逆のプロセスもあるということを認識して日々研鑚に努めてもらいたいものである。

さあ、次には何をしていこうかと方向転換を出来るような実力を皆が身につけていれば支援技術者の仕事は楽になる・・・。とすると、わたしの首が危うくなるのか。私自身も日々研鑚はしているのだ。また何か楽しいやりたい仕事が出てくるに違いない。自分の仕事をプラス志向で減らしていけるように努力する。マイナス志向で減らすのは簡単なことなのだが・・・。生活はしなければならないのだ。

VOL81 H君への手紙 発行2001/2/16

国内のキャリア向けの支援をすることは、そのままキャリアへの納入カスタマーの課題を書き換えてしまうことにも繋がっている。我々ががんばるとカスタマーの方にとってはある意味で重荷になってしまうという面もあるかも知れない。しかし、重荷にならない範囲で仕様を決定している限りにおいては溜池の会社のそれを抜き去ることが難しいのも事実である。キャリアのスキルアップにはどうすれば良いのだろうか。自分たちの組織強化には人材拡充が求められているのは事実だった。採用と教育の二つが柱になる。

H君からの手紙にあった欧州の会社からの転職候補者面接を行うことになった。この人のレジメは中々魅力的だった。北欧のその会社に入るまではPDCのベースバンド系のDSP開発をしていて川崎郊外にある会社系列に在籍していた。MOVAテスタのスクリプトを書いたりしつつスキルアップを図り北欧の会社に転身したようだった。

北欧の会社では、WIDEなんとやらを開発しているという触れ込みでもあったので、即戦力の期待に基づいて面接に臨んだのである。人物が訪れたのは、会議室のひとつで人事担当の面談の後に私たちが面接対応した。QUAD社で求める人材像についてはヘッドハンター会社に通知してあったのだが、このハンターとの面接が少しいびつだったようだ。

我々が提示している職種は次世代CDMAの開始に先立ち端末試験ビジネスを企画していることから試験担当の技術者と今話題の携帯プラットホームの支援技術者と、チップ支援のソフトウェア技術者・ハードウェア技術者の募集のそれだった。対象者は、アプリケーションのグローバル化担当をしているらしく端末の表層を撫でているような仕事に飽きてしまったらしく、プロトコルや下位レイヤーの技術などを学びキャリアアップを図っていきたいという希望があった。そして対象者は試験技術者とプラットホーム支援技術者を志望して我々のチップ支援技術者ということには興味がなかった。

残念ながら、即戦力でのRF経験などをもつことが試験担当には求められることなどから、対象者の勉強していきたいというスタンスとは相容れなかった。半年以上は北欧で開発に従事してきたという対象者のコミュニケーションスキルには問題は無いようだった。現状に近い、プラットホーム支援技術者の仕事について説明をしたところやはり、これも対象者のしたい仕事ではなかったようだ。結局チップ支援技術者が一番していきたい仕事に適合するようで、対象者も俄かに興味を示し始めた。QUAD社のソースを読み解ければ、プロトコル全般からほぼ携帯電話の技術を手中に収めることができるのは事実である。

ようやく双方の興味と私たちの利害が一致することになり対象者に技術質問を投げたのだが・・・。川崎のMOVAメーカー、北欧の携帯メーカーを歴任している大卒8年目というレジメから見られたものとは裏腹に、ソフトウェア技術の希薄なことだった。本当にアプリケーションをC言語で開発しているのだろうか。我々が与えた組み込み技術者の尺度を計る、良く書かれた実際には誤った文字列複写関数の問題点を示すことは出来なかった。続いて少し問題を簡単にしてビットセットの関数を作成するという課題には、「カーニハンリッチーのCを貸してください」という要求を私たちに突きつけた。そしてどうも対象者は定常的に辞典のようにこの本を利用しているらしく指が必要なページを覚えているようだった。しかし、正解にはたどり着かず誤った例を示した。我々の疑問を確認する意味でビットクリアの関数を作ってくれということで再トライをお願いした。しかし、同様な形で誤った答えを示してくれた。

対象者は素直にC言語は最近の二年間での経験しかないのですと正直に語ってくれたがアセンブラーでMCUの組み上げ等をしてきたという経験とはギャップを感じた。また二年間の間に文法を覚えずに仕事が出来るのだろうか。このメーカーの端末の完成度については疑問を持たざるを得ないことになった。しかしこのくらいの技術者があたりまえなのだろうか。いぜんH君が転職を希望した会社である。H君は、こんな課題くらい簡単にやっつけてしまうだろう。しかし、彼は英語能力でこのメーカーへの転職検討を半ばで諦めていた。英語能力があるだけで技術能力を見極めずに採用をしているらしいことは見えてきた。まあH君が転職していたとしても彼には不遇な環境であったかもしれない。この北欧のメーカーは端末開発からは撤退することになったようだ。技術者もリストラされるはずだが、さもありなんという気にもなってくる。注意して我々の感性でいう普通の技術力をもった技術者を見つけ出せるよう努力をしていきたい。

一月に入った、T君は大変優秀である。伸び伸びと仕事にまい進している。彼に聞くと水があうようだ。彼が、前の会社で腐っていたことを思い返すと何が違うのだろうかと思う。やっている仕事の方向は殆ど同じであるが唯一違う点は、要素技術開発した結果は複数のメーカーに同時進行で提供していくことだろう。彼は、以前の会社で付き合っていたJavaのメーカーと共同で開発していくことになるようだ。その風景は似ているが、彼の雰囲気はとても明るい点が違う。やっていることを理解する仲間との意識のピンポンが良い結果を生むようだ。

VOL80 CMMレベル4は性能もコストも改善 発行2001/2/9

ソフトウェア開発プロセス改善が携帯業界で吹き荒れそうだ。開発プロセスを見直していくということが1番忙しい業界になぜ適用が進もうとしているのだろうか。ソフト開発プロセスの改善を推進していくというテーマを提示されつつ、こうした動きとかけ離れていったことを思い返してみると、やはりそこには必然があったのだと今更ながらに感じる。開発プロセスがうまく動作している会社も、定義だけは成されていても実態がない会社も知っている。

開発プロセスレベル4の達成が出来た会社がある。そして製品の品質もそこには明らかにスペックからも見て取れるほどの差が顕在化している。自分達のプロセス自身の再定義なども含めて実現できるためにはトップ判断も含めて会社としてのコミュニケーションの素速さや情報共有が出来る必要がある。硬直化した組織では、組織も含めたプロセス再定義などが出来ないからでもある。こうしたことまでの達成イメージの共有を経営トップとの間で最初に共有しなければならないのだろう。

一度動き始めた開発テーマ自身も、成り行きに沿って書換えるぐらいのことも必要なのかもしれない。こうしたことは政治家の世界を見ても一度決断したものを止めることなどは出来ないのは人間の性なのかも知れない。実際には、続けるべきテーマでありながらも会社としての利益率確保などから期末近くには予算削減が周期的に起こることなどは既に組織としての革新時期の到来を告げているのかもしれない。

最終ユーザーが見えないなかで開発されたと思しき製品も見受けられるようになった。テーマ設定・レビューといったフィードバックあるいはフィードフォワードなどをうまく機能させる為にもCMMでいうところの軽快なプロセスの稼動は必要なのである。一度決めたプロセス定義に縛られる必要は無いのである。一年100万台の企画商品と10年で1万台の企画商品とを同一のプロセスに分類していくことが出来るはずも無いのである。しかしだからといって起こった技術成果の共有が出来るようにしなければ、無尽蔵とも思われる飽くなき開発リソースの要求を止めることすら出来ない。

人数が徒に増えれば、バベルの塔の例をみてもうまくいくことは絶対にない。開発費用も増大したうえで品質は落ちるだけである。同一の開発リソースの投入にもかかわらず出来上がる成果に大きな開きが出来てしまうのはソフトウェア開発プロセスへの理解をしたうえでの投資をするかしないのかに大きく関わっていると言われてきた。そして実際にそうした実績が見えてきてしまった。明らかな差が白日のもとに曝されることになってしまった。

ただ忙しいだけと思われてきた手をつけてはいけないという言われてきた携帯業界での開発生産活動について、ドル箱の開発生産活動こそIT投資を行いプロセス改善と情報共有が出来るようにすべきなのだ。ドル箱と思われた事業が突然首位を追い落とされる事態などが、品質や開発活動のプロセスあるいはビジネスモデルも含めて見直しを迫られるというのが21世紀に入って明確になってきたようだ。

これからでも遅くは無いのだから、早くに気づいて是正を行うべきである。ブランドを壊してしまったあとでは遅すぎるのだ。開発プロセスを容易に切り替えてしまうということは実は撤退も鮮やかな会社なのかも知れないが、実際には開発した技術をそうしたことで失ったりしない点が異なるのである。そうした点で捉えてみると事業部制ということが時代からも当て嵌まらなくなってしまったのだろう。

VOL79 シンプルな感動で目を回せ 発行2001/2/8

iアプリが始まっている。電車でも黒赤緑の紙袋を抱えながら、説明書を読み耽る光景が増えている。コマーシャルも始まっていて、よく目を凝らしてみると実はFというマークが目に入る。なぜPではないのかと勘ぐってしまった。それなりに理由はあるのだろうと思う。ただし、電車でみる光景はPマークの取設を読んでいるように見える。続けて出てくる機種は、さらに改善されてくるに違いないと思う。

自分で作ったアプリを携帯で動かすことが出来るのはある意味で凄いことだと思う。歴史に残すべき事由だと思う。ハッカーたちが腕を競って楽しいアプリを競争して作るという世界になるのかどうかは別問題ではあるが、DIYの雰囲気を醸し出すということも手伝ってJavaの搭載は新たな文化を生み出すと感じる。ソフトウェアのプロの方たちがこうした世界であまりにも足枷が重いなかで性能のバラツキも含めての市場がどうなっていくのかは想像に難くは無い。

最近、ケイ佐藤が楽しそうにしているのだ。一つはお茶を濁さぬ戦略の萌芽が見えてきたかららしい。彼はVisorを使ってその楽しさを伝道者として伝え歩いているようだ。確かに、彼のVisorに組み込まれたアプリケーションを見ると目を回すのだ。16MHzのモトローラで出来ることが実はとても判りやすい楽しさで正に目を回すこと請け合いなのだ。

世の中の携帯での開発ベースはすでに腕自慢の世界に移行しているのは確かなので職人技に拘ってコストを抑えるという16ビットな戦略をとれるのはブランドを確立したメーカー以外は中々とれないのも事実である。苦心惨憺してゲームを動かしたりしている光景と楽しそうなケイ佐藤のVisorの風景にはギャップがあるのだ。

お茶を濁して懐かしのゲームを楽しむのもよいのだろうが、ケータイならではのアウトドアと、ネットを一体化した健康に留意したゲームなどはコンビニデートを楽しんでいるカップルをピンポンの世界からリアルワールドに有益情報を仮想的にマッピングする技術などで、まさに目を回すことが出来るようだ。こうした世界をいち早く体感している彼は、この楽しさを伝えたくてたまらない様子である。

VisorにもJavaTeaを楽しむことは出来るのだが、このレベルよりも高速に待ち受け状態であればcdmaでのJavaも動くらしいことは判ってきた。Visorで目を回す楽しさは当然、Nativeで動作しているものであり、ケイ佐藤が言わんとしていることも実は現状のチップで実現できるらしいというのが彼の笑いが止まらない理由なのである。

私は、この楽しさを伝えられるのは実はアンアンあるいはピアといった雑誌で日常的にタイアップしていくものなのだろうと考えている。そうして、最近コンビニで人気の懸賞雑誌もなくなってしまいねない可能性がそこにはあり、日常の散歩そのもので毎日得した気分になってしまいかねないとさえ考えているのだ。卓球カップルもよいが、私は自分自身の趣味でもある発見の多い散歩の世界をお勧めする。

Gooの音も出ないくらい楽しい世界が起こるかもしれない。実世界にマッピングしたサービスは想像だにしない新たな世界を見せてくれるかもしれない。まだ見てはいないのだが、アヴァロンがそうしたものに近いのかも知れないなと勝手に思ったりもしている。基礎技術を押さえることで、健全な世界で楽しめるという文化創生が出来れば、最近のコミュニケーション能力の低下したアンビリーバボーな世界から脱皮出来はしないかと勝手に思いをめぐらしている。

どらえもんポケットの楽しさを是非享受してもらいたいものと、ゆったりとお茶を飲みつつ独り言を話しているのだ。私達は楽しい世界を、地元に根ざして構築できるに違いないと確信している。地下鉄で暗くメールを読み書きするのも良いだろうが、明るい太陽の元で友達と語らう楽しさを、未知なる町を探索する散歩の楽しみを、あるいは突然梨元さんになってしまう楽しさも考えると眠れなくなってしまいかねないのだ。

あまりにも楽しいので、何かデメリットが発生するに違いないと考え始めた。そしてデメリットを生じる人を味方につけて、その人たちがメリットを享受できるようなモデルをすることで確実にしていくことが、そのための策であると考えている。良い案でも、こうした配慮をしないとデメリットを生じる人たちの手で潰されてしまうことも考えなければならないからだ。

ケイ佐藤が伝道者として説くさまに対して、「あまりに面白すぎるので今の製品が売れなくなってしまうのでしばらく手をつけないようにしましょう。」というひとが居たという事実を私は、業界の病巣のようにも感じている。