VOL108 煩悩はここで打ち止めか 発行2001/6/14

サービスインしたFOMA端末のニュースを帰国する機内でみていた。普及機とカードの二機種が対象となっている。ウルトラマンの見れる高級機のサービスはまだらしい。大丈夫だろうかと思うことも憚られるこのごろである。組織変更が各社で行われている時期でもあり各社のトップが状況をどのように考えている目安だ。

先週発売されたTech Beingの霊験はまだ不明だが、この状況を正しく認識している意識あるエンジニアの出現を期待はしている。あまりにも若い技術者の卵の育成を出来る会社ではないが伸びたがっている優れている技術者であれば年齢を問わないというのも事実かも知れない。いずれにしても英語がネックになる人は無理だ。

先日、知人にも紹介していた英語耳という訓練CDの存在は少しは朗報になるのだと思う。聞けなければ始まらないからだ、このCDを聞くとかなり倍音強調したような内容と専用のヘッドホンでの訓練はかなり耳につく印象がある。実際には、既に二年の経験を通じているので、訓練CDの効果のほどは自覚はしていないのだが。

まる五週間の入社時期を米国本社で生活してきた中で自分の意識が目覚めてきたのかだんだん聞こえてきたという経験はある。きっとこうした感覚を日本にいても、持つことが出来るのであれば素晴らしいことだろう。自分に不足している、単語力の育成は新聞などの読解で補っていくことになるだろう。

実際、毎日の英語メールでは、互いのパターンが限られていたり米国メンバー達のスペルミスもよくあるからである。日本人は、カナ入力などで大変なのに彼らは、asciiの範囲しかないのに情けないように思うときもある。スペルチェック位は必ずかけて欲しいものなのだが。私の怪しげな英語に困惑もしているだろうが。

地方技術者の方が優れている印象を持つのは仕事に恵まれていない性だろうか。仕事に不自由しない都会の技術者が自立していない印象が強い傾向があるように感じる時もある。実際、知人の学校の先生などと話していても地方からの企業への求人は大変らしい。よい企業が地元に増えて欲しいというのは事実だろう。

都会に本拠を置く、最近仮想マシンで鼻息の荒い会社の実体もそうした優秀な関連企業の下支えがあってのことなのだ。インターネットの時代でエクストラネットも含めて開発を分散体制で進められるようだ。とはいえ、開発環境も含めたドキュメントなどが英語であることを厭わないのは地方ベンチャーのほうだ。

岡山に本拠を置く、日本語処理の会社の研究所には初芝時代の友人もいる。携帯での日本語処理もようやくDOSからWINDOWSクラスの機能を必要としてきたプラットホーム推進をしている立場からするとこうした識者との共同作業を通じて仕上げていく事も必要なのである。JRにもマイレッジが付かないものか。

通信プロトコルはIPV6とIPV4の共存の時代に突入を始めていて基礎研究から実用化での楽しみを行う事が出来る時期でもある。今サンディエゴでは、HDRの試験運用が為されていてHDRアダプターを利用している仲間が増えた。実際には通常のLAN接続でアダプターとコネクションするだけだ。快適な環境だ。

快適な環境を日本のモバイルニーズに適用していく上では上位層の技術としての、IPV6によるIPアドレスの確保が必要なのだ。全てのコンテンツがまだV6として揃っているわけでもないのだが。V4との接続にトンネリングすることも必要だろうしそうしたインフラ側での技術も含めてキャッチアップが必要だ。

Javaの本格化もこれからは環境も含めた取り組みがテーマになりそうだ。ETMも含めたインタフェースの平準化と共に中を飛び交うデバッギングインタフェースの高度化か進み、Javaのデバッガとネイティブデバッガとが並存するのが、来年求められている姿でもある。こうした環境を引っ張っていたりもする。

友人が、FOMAのモニターに当選した。実際にはデータカードタイプのものだ、実際に使っているのを見せてもらった。アンテナバーが不安定で通信状況も不安定だ。実際にインターネットからのファイル転送などを試みると息をするように三秒と持たない。とはいってもさすがにI-MODEよりは高速だ二倍の速度は出るようだ。

知人が転職していった鷹山が方針変更をしてUMTSに主眼を移すという。背景に何があるのか判らないが、まだまだ試験サービスのグレードも不十分だというのが印象である。秋までには十分な試験サービスに突入してもらいたいものだと思う。そうした花形として期待されているカメラ内蔵の端末に登場してもらいたいものだ。

モデムチップとしての位置付けで始まったQUAD社のチップにも期待されている内容がPDCでの結果を受けて多様なものをサポートする必要が求められ今変身を遂げようとしている。幾つかの取り組みはまさに先進的な物であり、今まで以上に多様な人材やベンチャーとの協業が必要だ。

VOL107 デジカメと携帯 発行2001/6/9

最近流行りの必須携帯グッズといえば、ケータイとデジカメだろう。気軽に撮れるデジカメの画面サイズは技術の進展と共に果てしなく競走を増している。最近では、一番手軽なおもちゃの会社が出しているものが実は一番手ごろだともいえる。カタログおたくな人であればメガピクセルといったものにまで手を出しているようだが。

最近のおもちゃのメーカーで出しているものでも35万画素程度の解像度は持っていて簡単にケーブル接続でデータを吸い出せる機能も持ち合わせているようだ。解像度が高いとモニターでの表示枠まてもはみ出してしまいかねない。35万という数値はVGAの規格であり通常の遊びやホームページに貼るには手ごろなサイズだ。

さてメガピクセルで写真をとりホームページに大きな写真を貼りこむのだが、実際のサイズを画面でみるとはみ出してしまう。必要なサイズに合致するようにHTMLの規約の中には論理的なサイズを指示してブラウザ側で縮小表示しようとする事が出来る。適当な画面サイズになるように簡単にホームページが作成できてしまう。

最近では、ADSLやらフレッツやらの効果も手伝って常時接続というのが普通になってきた。ISDNの64kbpsという速度では笑われてしまうような時代でもある。画面サイズの実物を越えてしまうデータが入っているために画面表示が遅いと嘆くのはもう過去の遺物のISDNの人だけらしい。

高速にしなければ、高解像度にしなければと、プリンタメーカーもカメラもネット屋も声高にいうのは相互結託しているのではないだろうか。世の中で限られたリソースをうまく活用していくということに力をかけるのではなく、浪費社会に向かわせているのは発信源が消費大国のアメリカだからなのだろうか。

浪費なのか消費なのかは使う人の意識次第なのだが意識ない人の消費は浪費なのだろうか。電話代がフレッツで安くなったのは良いのだが限られた携帯インターネットという怪しげな範囲にまでも持ち込まれると小さな画面しか持たないケータイに高解像度データが送られて話中が増えて、パケットが嵩み、バグ顕在で回収に走る。

実は、こうした画像サイズの向上を認識してシステム特許をとろうとしていた事があった。端末のクラスを認識して、送信側が自動的に最適なサイズや色数に落として送信するという機能なのだが、サーバー側がそこまでの機能能力を持てる時代が来ないことには実用化出来ないので忘れていた。不要なトラフィックで課金される。

そんなことが出来そうなサーバーベンチャーとの接点を見出していたのは、パケット交換サーバーの検討をしていたころの感覚だった。いまでは、そんなことよりもインフラとしての基本性能を実現することにはっちゃきになっているようだ。会社としての研究や戦略がなくなってきたのだろうか。ペンチャーは順調だろうか。

おもちゃの如く画面サイズ見合いの小さなカメラをつけた程度が良いのかも知れない。新聞記者が現場から送るデジカメのデータと日常の遊びで行っている事をまぜこぜにしているような気がするのは、そうした要望に対応しようと考えてきた業務用という特殊な世界に暮らしてきた性なのだろうか。いま業務用は死語となった。

業務用というと保証をしなければならないという感覚に陥るから、ベストエフォートでしかないインターネットとの接続は許されず、あいも変わらずアナログ専用線と専用の嵩張る、高額なモデムを購入してシステム構築をしている。サブシステムだけのリライアビリティを高めても、徒労に終わっているのではないか。

カリフォルニアでは電力会社の破綻が問題となり、あまり解決策の見えないままにホテルではエネルギー税のような費用を払わされる羽目になっている。何をしているかといえば電球を全部、蛍光灯に変えたりといった当たり前の企業努力をしただけのようなのだが何故、その費用を払わされるのかは理解できない。

それでも夜に停電したりして、朝の目覚まし時計が止まり遅刻する人もいれば、信号システムがダウンしてハイウェイが渋滞して朝のミーティングまでに会社に到着出来ない人が出たりする。すでに電力供給というインフラ自体がベストエフォートになっているのである。インターネットから電力供給される時代も近いのか。

インフラが混乱すると結局そうしたパニック状態では人間としての品位が問われるのだが、ここ米国では渋滞にはなるものの局面毎にみてみると一台ずつ交互に行き来するということが守られている。空港の発券システムがダウンしても手書きで、飛行機に乗せた荷物が正しく相手先まで届いているのは大したものである。

日本ではパニックが発生すると若い人はすぐに我慢の限界を超えてしまい、ホームでバックブリーカやヘッドロックを起こすような情けない状態である。教育の程度というものを、人間の品位という点で見てみると日本という国は超後進国なのではないだろうか。高度な電話機を開発しても殺人事件の材料にしかならない。

デジカメだけではなくて動画までもやり取りしようとしているのが、次世代というケータイの主要機能だそうだが見たい画像はウルトラマンだったのだろうか。人前で化粧する子供達だから、寝ぼけ顔であってもケイタイテレビ電話で話しをするのかも知れない。あごに押えながら電話をしてもカメラには黒子しか映らないのでは。

自分達で作り上げたPHSのインフラを捨てて、ケータイでわざわざ高速データ通信という掲げた目標はPHSと同じ速度しか出せない。それはもともと判っていたはずだ。矛先をImodeで変えさせて、新しい周波数帯に誘導していくことが狙いだったのだが新機能は動作せず余っていた1.5Gという周波数のi-MODE電話で落着。

実はこれで目的は果されたのだろう。どこでも電話がかけられるという国際ローミング機能などで電話された日には、パリからの電話で夜中に叩き起こされたりするのだがら。出先で電話で話しが済むほど国際会話に長けているようなお国柄の人達とは異なるのだから。絵空事の目標がはがされるとデュアルバンド対応で決まりか。

いや、どっちかというとPHSとの共用で十分なはずでありシステム的に二つを融合させるオペレーションを達成したほうが容易だったのではないか。どっちかという問い掛けに対してPHSを持たないキャリアの選択は、もう無線LANしかない街角でとまっていると高速にアクセスできるしスタバでも使える。どっちーか?

次世代という言葉に踊らされて色々な取り組みをしている各キャリアであるが、実際、今年これから展開される状況はドラスティックな物がありそうだ。破綻している携帯業界のメーカー側にとっては辛い時期だといえる。自分自身をしっかり確立して行っていることに納得しつつの開発をしていかないと維持できないだろう。

VOL106 来たれワールドクラス 発行2001/6/5 サンディエゴ

You are valuable in Japan. ハードウェアサポートの技術者に対して米国側の上司が言った台詞だった。パテントとチップのIPでビジネスモデルを構築した会社であり採用した人材に対しても、厳しい要求を突きつけてくる。当該の技術者は、日本の半導体メーカーの米国技術センターで早期からVHDLなどの実践を進めていた技術者だ。

彼は、永年の半導体開発の経験と英語会話能力に長けていることからサンディエゴでの開発やサポートに回ったらよいのだと思うのだが、同じ会社でも上司によって異なる処遇になるのはいたし方ないことだろう。無論自分で他の部署に売り込みに行って移籍する人間もいるので、彼もこれからの生活で挑戦していくことだろう。

会社が提供する開発プランを利用して自分自身のトライしたいテーマに取組むというのが技術者としての姿だろう。収入を得るために仕事をしているという人は別だが、技術者として何らかの社会貢献を自分自身の技術力を適時に活かした開発などを通じて行えれば最良だろう。設計という名前の生産ラインに流されている感覚ではない。

青色LEDを開発した中村さんのようなワールドクラスもいれば、QUAD社の例では、スタンフォードを出たばかりの日本人技術者でまだベンチャー黎明の時期に入社した若いディレクターもいる。日本の会社経験をもたない彼の場合には殆ど日本人の感覚ではないかも知れない。生粋のワールドクラスだ。

将来のワールドクラスになって欲しい技術者を養成するという姿と、現在のワールドクラスの技術者を迎えるという二つのアプローチがある。後者に相当する技術者だと既にそのメーカーにおいて活躍して海外の会議や打ち合わせに奔走している中枢か、あるいはマイペースで仕事をしつつ趣味として個人旅行で海外生活の長い人もいる。

中枢の技術者の採用には、そのメーカーとの間の関係に影響する場合もある。また、マイペースの技術者の場合には、個人的理由で退職することになっても会社としては特に彼の隠れた素養に気がついていないので問題にはならない。そのような人材こそは、QUAD社のような環境で仕事を悠々と進めていけるワールドクラスの人材だ。

まあ、なかなかそうした人材はいない。最近は米国出張が多く、また向こうのメンバーの日本出張も多くて相互協力をしつつの新たな時代に向けたコア技術の開発をチップという実需を通じて進めている。日常の携帯業界の動向のニュースを同時にウォッチし、意見を英語のメールや電話で議論するという生活でもある。

にわかにワールドクラスの生活に突入して二年余りの中でかなり自分自身でも肩の力も抜けて生活できるようになった。会社生活の中でTOEICなどの試験を受身で逃げていたことを思い返すとおかしなものである。無論、TOEICスコアで900といった点をたたき出す人や英語で喧嘩をするような人までもいるが・・・。

実は技術者生活として考えるとワールドクラスに達するのは自分の殻さえ破れれば、容易に到達していけると感じている。私の尊敬する大阪在住のRF技術者はQUAD社にも訪問したことがあり思い返すと漸く彼の姿に近づいてきたのかもしれない。何か自分自身にわだかまり昔はあったように思い返している。

やりたいテーマに取組めるのかどうかというのが技術者としては拘る点だと思うのだが会社から提供されるテーマを待っているだけではなくて、これがやりたいと提案して攻撃的に取組んでいくのは中々楽しいものである。自分でベンチャーの会社の方向性に影響を与えていけるということは会社からも自分が要望されているという事だ。

今、携帯電話というプラットホームに求められていることを集大成する中でLINUXのようなカーネル内部で通信処理を行い、アプリケーションとの独立を果すようなことをはじめようとしている。昨今のアプリケーション暴走などによる回収などという事態を回避できるようにしたいのとダウンロード可能な環境としての仕上げである。

IPV6の世界の構築やJavaの最先端技術の組込などソフトウェア技術者としては、かなり楽しめる世界がそこには広がっている。携帯電話の中にUNIXのような世界を構築してアプリケーションを安価に構築できるような実質的な世界を提供していくことは世の中の表層で見えているEPOCメーキングな世界とは異なる。

PDAの世界の延長上に構築していきたいと世界もあるだろうし、システム物の延長で端末構築をしたいという世界もあるだろう。WCDMAやCDMA1XEVが提供するインフラコストがマッチすればより面白い世界が提供されるだろう。通信キャリアを周波数毎買い取ってしまうというような投資家達が登場するような何しろ日本では周波数に費用がかからないのだから、こうした事態も容易に想像できる。

ユーザーがそこそこついている業務用通信キャリアなどでは維持更新をしていくのに必要なだけのユーザーがいるらしく、新規な要件を開発しなければこのさき五年は安泰らしい。周波数利用効率などの点がXのファンからクレームが付くような事が無ければ・・・。何かに新規の規格を興す為に余計な予算が国からつく状況ではない。

それよりもWCDMAを軌道に載せる事にしか感心はないだろう。溜池テレグラムがおかしくなると日本としては一大事である。自分達の進めたい仕事が、手がけられるかどうかという点に答えが見つからない人にとっては自分の殻を破る時期なのかもしれない。横須賀近郊にもQUAD社の看板を立てるらしい。沢山のお客様のいる場所である。

給与のことなどに関わることを忘れて技術者としての仕事に邁進できるということは私達が望んでいることではないだろうか。今、トレーニングの中で説明している女性の技術者はインド人系の人で、コールフローのシーケンスを判りやすい英語で説明してくれている。初芝情報の女性ソフト技術者の事をふと思い出していた。

就職情報誌の霊験はないと思ってはいるが来週戻ってからのリアクションを楽しみにしつつ彼女の説明を聞いている。金曜日にはUCSDのGSMのクラスも取らなければならない。休暇をどこかで取りたいと思うものの昨夜行った電話会議でサポートをした会社のサポートも気になっている。月曜日は休もうか・・・。

VOL105 がんばれWCDMA 発行2001/5/29

携帯電話の世界は、ワイドの開始で夢の花開く世界に突入するのだろうか。夢見から醒めてしまうのだろうか。大きなディスプレイに解像度もテレビ電話の可能な状態になるものが本当に欲しいのだろうか。二つの見方がそこにはあるようだ。そうした華やかな世界とは裏腹に実需を支えてきた800MHzのi-MODEは遂に溢れてしまいそうだ。

実需を支えてきたi-MODE端末ユーザーがワイドに流れてくれないと何が起こってしまうのだろうか。ユーザーを収容するために1.5Gのシティホンの周波数との共用モデルが要求されてしまいそうだ。しかし、ユーザーからみると同じ機能で値段が高くつくという状況になってしまう。i-MODEのコンテンツを楽しむユーザーが居ればだ。

周波数の割り当てに対応してのバンドの空き具合でいえば、JホンやTUKAといった物の機能がユーザーの要望にマッチしていれば収容能力もあり、ワイドな展開に流れない可能性もある。そうなると64和音がよいのか、アニメがよいのかという展開の選択をしているのだろうか。過剰とも思える機能競走は受けいれられるのだろうか。

ワイドが目指しているスペックも豪華なものだ。インフラ整備やソフト開発が遅れているとはいえ、カラー動画で通信したいという世界を目指してきた携帯が使われるのはどのようなシチュエーションなのだろうか、確かに電車の中で化粧を平気でするような時代の感性を持つ子供を教育育成してきたのだからそれも計画の範囲なのかも。

PDAのスペックを凌駕する端末を安価に提供して安く回線代を下げていきながら、果たしてどのようにして社会に貢献するビジネスモデルになりうるのだろうか。最近ではワイドな技術者との面接を行ったりもするのだが、端末開発としてはモデム購入した上でのアプリチップのソフトウェア開発に終始しているのが実情らしい。

液晶メーカーと話をしつつ、夢を語らいキャリアの提起するチャンスにサーフィンしてきた人物がいる。このメンバーは今ではQUAD社にいるのだが、実はi−MODEの開発は彼が為しえたようなところが大だ。ストーリーを持ちアグレッシブに周囲を巻き込み順序だてて開発してきた歴史を液晶メーカーとのミーティングで理解した。

ワイドに向けてさぞ、左団扇かと思って液晶メーカーに聞いてみると意外な答えがでてきた。次の一手が見えないようだ。ビジネスモデルがうまく回った愛のサービスのウェーブを引き起こしたのはcdmaの快走だったのかも知れないし、引き起こされた流れに乗り切った技術者は、新しいビジネスモデルを自分から起こそうとしてる。

携帯電話の小さなスクリーンに色をつけて漢字を出してメールやチャットをしている姿が荒廃する公衆電話の状況を加速しているのでもある。今では、白黒の画面を見ている姿が珍しくなってきた。東横線でもメール端末を広げている姿は大分減ってしまった。JやIに移行したのだろう。無論IMAPメールやチャットしている人もいる。

先日のビジネスショーにおいても虚ろな響きにしか聞こえてこないのはバブルが底流にあるからだろう。バブルでないとして、カラー動画携帯が出回って松井のホームランシーンを電車で見ているような通勤風景だったとして、いまよりも身勝手な若者達との間の喧嘩を助長することにはなるまいか。

怪しげな画像スクープが飛び回り一億総梨元さん状態な姿なるのだろうか。ナップスターの画像版がインタネットのクリッピングが流布される。まあもともとプライベートの感覚を持たない現在の若者にしてみたら気にならないことだろうし、そうした事が派生的に殺人事件などになったとしても気にしないような状況だ。

ものを大切に使おうという教育をしたいはずなのに買い替えを奨励してゴミを生み出している自分達の仕事に納得できなくなる時代に入るのかもしれない。そして買い替えが為されないと自分達の給与も払えなくなってしまう。自分達が生活の中で使うという行為の対価として支払い額で考えてみると未来は破綻してはいまいか。

ワイドが始まると過程して成り立っているのが世の中の大半を占めているのも実情だQUAD社もそうだろう。ライセンス料と開発投資というビジネスモデルを提示したのがこの会社だし、それを支えているのはメーカーの方であり、ひいてはユーザーの方である。ユーザーが受け入れられるエントロピーとのバランスが大切なのだ。

バランスの中で破綻に瀕している業界を新たなビジネスモデルでリニューアルしようと虎視眈々と狙っている会社もいる。そうした会社の手伝いもしている。自分の分野だけは大丈夫とたかをくくっているととんでもない展開になりそうな状況の萌芽を感じている。いずれにしてもCDMAの中心を回っているなかで生き証人になりそうだ。

もう警鐘を昔の仲間に鳴らすことも意味がない状況にも突入しそうだ。かつて大画面液晶を活用して縦横画面切り替えをフィーチャーした愛のサービス以前の端末開発の流れの中で予想してきた世界に今は昔の仲間の成果が形からは見えるのだが本流としての取り組みという観点で世界が大きく変わってしまったという現実を米国で知った。

やっぱり決断の早い会社・技術者を揃えて的確に配置して少数精鋭で戦略的にこなしている会社の実力はここにきて大きく花開こうとしている。そうでない状況を是認しつつ埋没してしまっている技術者としての感性も私は否定はしないが、残念だとも思う。たった一人の行動が愛のサービスを立ち上げたという事実に私は共感する。

さあ台数からも特定の会社がワイド陣営から大きな期待を寄せられているのは間違いない。さあ、この会社の成果がワイドの将来を左右してしまう時期でもある。その影に隠れて業務用無線は別の会社の仕事として大きな動きに飲まれそうな勢いだ。米国の無線機メーカーとの戦争は全く別の勝者を迎えるだろう。だからがんばれワイド。

VOL104 それは突然やってきた 発行2001/5/22

携帯電話の回収騒動が再発した。さあ大変だ・・・。株が下がり、暇になるのか。昨今の携帯業界でのメーカー同士の再編までも勃発していて実際の開発件数の是正が始まっているのだろうか。単にオーバーフローしている分が出来ないので受けられなくなったのだと見るべきだろうか。携帯の過熱した状況で撤退するという文字が新聞に、掲載される時代なのである。

技術者の手が集まらない、しかし開発は山盛りである。そして完成度が高まらない中で出荷せざるを得ない。端末の回収などを進めていくと短期的な資金の問題や長期的な仕組みの改善など多くの問題が浮き彫りにされてくる。メーカーの技術者の心中は心穏やかでないだろう。幸いFOMAは延期されたが・・・。

回収騒動として日経が特集を組んで問題提起は為されている。開発プロセスの改善に向けてビジネスをしっかり立ち上げている会社や、それを用いて自社の改善に取組みはじめている会社などもここ数年増えはじめているようだ。しかし聖域を設けて、実際の儲け頭である携帯開発事業には適用してこなかった経緯もある。

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VOL103 携帯電話の多機能化は何処へ 発行2001/5/14

携帯電話の回収騒ぎが続いている。高い完成度が求められる電話機の中に不透明な機能となるJavaなどの搭載をメーカー個別に進めていく流れの中で今後もこうした事態は続くのだろうか。日経エレクトロニクスに掲載された「人海戦術の破綻」特集は、携帯業界に良い意味で影響を及ぼしているのだろうか。

現状の流れからの刷新ということについては、第三世代携帯からという話に結び付けたいという流れも実際の現場にはトップレベルからの方針を実践していくマネージャの取組みとして積極的に取り組んで行くことが求められているのだろう。今はチャンスだと理解してもらいたいものだ。CMMの取組みなども時を得たといえるだろう。

携帯電話というビジネスがQUAD社のいうようなミドルウェアベースに置き換えることでPCのようなうまみの無いビジネスに置き換わってしまうのだろうかという話も記載されていたが、現在の各社で投下している開発リソースと、その製品生産による利益とのバランスシートがどれほどなのだろうか。回収騒ぎの台数も大きくなっている。しかし堅実に回収騒動に至らずにベストセラーを続けている会社もあるのだ。

奇しくも溜池テレグラムの決算が最高益を達成した記事が掲載される時期と重なり、FOMAのサービスインの遅れを試験サービスの開始としてあくまでも前向きに見せていくスタンスと相俟って携帯業界を支えているキャリア先導の図式の破綻というきな臭さも見え隠れする状況でもある。この利益を支えているのは通信料金なのである。

その通信料金の月額が800円減ったというニュースがあった。これだけ減ると、どこぞのキャリアの採算もおかしくなるらしい。つこうてなんぼの世界である。次世代携帯で向かう世界はお客の夢見る世界なのか、キャリアの夢見る世界なのか。周波数が不足する事態から、お客さまが要望するのに繋がらない電話機を売るしかないのが現実でありパケットでしか使わない文化を生み出したのが現状認識なのではないか。

回収で利益を失うのは当然として向かう姿は、開発完成度を高めようとして機種絞込みというOEMの道になっていくのも致し方ない。他社の設計ベースに上位機能だけを乗せこんでいくというスタイルも流行しそうな勢いだ。こうした実情が巷には理解されないだろう。もう携帯電話を製造するという仕事と開発するという仕事は分離されはじめているのだ。これはPCのきた道と同じなのかもしれない。

ハードウェアからソフトウェアへの転換をベースに考えていくならばソフトを動作させるための仕組みとしての技術追求の手綱をさばくことが必要だろうし、キャリアへの納入による利益追求を求めていくのならば、限られたハードウェアリソースでソフトウェアを稼動させるための技術追及といった手綱も緩めるべきではない。

品質問題をベースに捉えていくならば、一度山ほどある機能リストのスリムアップも考えてみては良いのではないかと思う。携帯を買い換える都度ついてくる説明書の厚みは如実にその機能と複雑さを思い知らせてくれる。最近、カシオのCDMAを購入した人が、電話帖登録と電子メールでの利用に辿り着くまでの苦言を呈してくれた。

かつてマックが独特のオブジェクト指向の使いやすさを持って、坂村先生の仰るような共通の使い勝手を見せてくれたことなどが達成出来ればと思うのは身勝手という物だろうか。使うの天国、作るの地獄というのが当時オブジェクト指向への地動説を唱えていた時代の状況を表わした合言葉でもあった。そんなブルーな気持ちをミドルウェアでクリアできれば・・・。

開発のサポートをして、次世代の計画を練っている我々にしてみれば若干の閉塞感すら漂う最近の携帯状況は、順風ともいえる。堅実な範囲で実装適用できる物の選択として仲間の開発した技術が採用される方向に風が吹いているからだ。コストを抑えて機能拡充やサードパーティへのオープン化などの実現が望まれているからに相違ない。

いずれにしても開発スタイルの転機が技術者とメーカーの相互に訪れていることになる。乗り切れない会社や技術者にとっては厳しい現実に直面していくだろう。会社を辞めて考え直している技術者の方などとコンタクトをとって支援技術という分野への転身などについてアプローチを考えてもいる。転機を乗り切ろうとしている元気な会社の技術者達とは、顧客先としての支援をより深めていこうとしている。

携帯という端末開発自体が、開発方法論、開発言語、搭載機能、デバッグ方法論などいずれをとっても広範な技術を要求しているのは事実だが、ベースとなる組込みソフトという世界で電池で長く動作してコンシューマで使っていくという形態が求める、ソフトウェアの完成度の高さは、組込みの世界でも厳しい状況である。

VOL102 シングルからツインへ 発行2001/5/11

シングルベッドからツインベッドへの話ではない。モデムチップを開発提供しているQUAD社としては、モバイル先進国である日本の爆発するアプリ環境を支えるチップとしての機能強化を進める中で悩み多き時代となり始めている。現在の32ビットマイコンでの範疇で出来ることの限界に近づきつつあるという。

シングルからツインになるとシステム開発の複雑さが増大することから、出来る限りシングルで実現したいのが背景にある。通話だけすれば結構という時代ではなくなり、メールも写真もあたりまえになりつつある。カラー静止画のみならず動画までもという時代背景から、分散処理も必要になってきたのである。

性能を向上するという目的だけに限ればCPUのクロックを向上するという単純な話であったりするのだがバッテリー動作の携帯電話というアプリケーションでは放熱器が必要になるような方法論は取れない。CPU組み込み状態で大容量の内蔵高速DRAMやらで実質的なMIPSを増大させているのが最近の流行だ。

組込みDRAMという技術では日本メーカーの技術もたいしたものであり、デジタルカメラというアプリケーションで一躍名をはせたマイコンメーカーもある。携帯電話をターゲットにして開発してきたマイコンもあったのだが、現在の主流になっているのは英国製のマイコンである。

さて、とはいえチップを高速にするにはパイプラインの改善など基本的にはコア面積が増大する方向で、いわゆるチップビジネス的にはコストがかさむ方向になる為、出来る限りシンプルなコアで性能を引き出すようにしているのが実情でもある。匙加減までも実際に設計しつつ追求しているメーカーでもある。

当然、面積を抑えて消費電力も抑えて結果として双方のためになるというのが、QUAD社のスタンスであるわけだ。そうした流れから逸脱しはじめてしまったのは複雑高級な機能を網羅した日本のケータイ文化である。組込み得意という日本のお家芸的に数々の機能を入れてきてしまった。カラーで漢字な世界である。

基本モデルはシングルで上位モデルはツインでというのがチップメーカーの考えであるのだが・・・機器メーカーは低消費電力で高速なマイコンにしてほしいという一点張りだったりもする。ツインにすればメモリセットもツインで必要になるからでもある。結局チップコストの話からチップメーカーに押し切られる。

組込みRAM内蔵の次世代チップの頃にはバランスの取れた設計になってくると思われるが、当面は高機能モデルには部材価格の高いものとなりそうだ。チップメーカーとしては、アプリケーションプロセッサなる概念を持ち出して新市場の到来としてEPOCなどの移植を実際に手がけてスマートな機器に対応した。

しかし、顧客自身でもアプリケーション部分についてはチップ開発を進めたいらしくRPCや高速通信などの機構を搭載しての分散処理を、異なったマイコンで異なる開発環境やエンディアンの相違なども含めて解決していこうという気概にもなっているらしい。こうした動きで性能が果たして向上するのかどうか・・。

仮想記憶を素直に実装して従来のRTOSとの互換性を果しつつWINDOWSの如く複数のプロセスを稼動させた携帯電話専用のライトなOSがQUAD社の回答でありアプリケーションの移植にも留意を払いモデム側のAPIをRPCで叩けるようにして従来のアプリケーションを別プロセッサに移行させるのだ。

チップを作りたいという顧客の動きや現状のソフトを修正する余地を出来るだけ減らしたいという現実的な要望などが飛び交い、アプリケーションの引越しは、新規機能を中心としてモデム側からRPCを行いたいというような方向になってきたりする。一時的な状況であるとは思うのだが、何とも釈然とはしない。

こうしてアプリケーションを仮想記憶の上で動作させてダウンロードアプリを、安心して利用できる・・・といった状況には、こうした状況ではまだまだ到達しそうも無い。幾つかの将来への布石を打ちつつアーキテクチャの提案をしていくしかない。開発体制の性能改善を図らなければこうした開発は出来そうに無い。

なぜか泥臭い開発を好む風潮が国内メーカーの技術者には多く見かけるのだが。そこから、足を洗ってすっきりとスマートに開発したいと思う人材を待望したりしつつする今日この頃でもある。

VOL101 ひとときの休息 発行2001/5/1

出張を終えて、そのまま現地入りになった。現地土曜出発・日曜帰国で現地入りである。成田から関西空港へのフライトならば良かったのだが・・・生憎と東京事務所からとどいたチケットは羽田から関西空港へのフライトチケットだった・・・。時差ぼけしている間もなくリムジンで、羽田へ向かう。

一時間20分という凡そ予定通りに巧みにリムジンバスは走っていった。日曜のディズニーランド渋滞などを回避しつつ走っていくのは巧みに連絡を無線で取り合うことによるものの恩恵でもある。こうした仕組みを支えているのが業務用のディジタル無線であり懐かしくも頼もしくもあった。

 成田までのルートで必要な範囲についてはカバー出来ているのだろう。こうした仕組みを支えていく日常的な通信を安価に実現したいという目的には適ったシステムだといえる。サンディエゴなどで見かけるNEXTELのシステムと同じスタイルである。グループ車両から通報される混雑状況の生データを全員で共有しあって最適ルートの探索を行い目的である高速安全運行を果しているのである。

空港に到着するやいなや可能な大阪行きの発着便を確認して早い便に振替を依頼した。生憎と関西空港ではなくて伊丹空港行きになった。初めての関西空港への着地を試みたかったのだが仲間が既に新幹線で急行していることもあり早く着く便への振り替えは急務だった。とはいえ、まだ体は時差ぼけのままだった。ビックウィングの移動には既に成田で自宅宛てのトランクは発送してありザック一つの軽装でもありスムーズに乗り込んだ。

大阪行きのジャンボはロスからサンディエゴほどの短いフライトで一時間足らずで到着となった。初めての伊丹空港ではあったが新装なったらしく従前の姿は不明である。モノレールなどの選択肢もあったものの梅田近辺への直行バスを選択した。行列にならび私の三人前で一端乗り込みが制止されたが、幸い最後の一人として補助席の最前列という極めて降りやすい位置を確保できた。

梅田からは良く見える位置のホテルだが極めてアクセスは悪い。ホテルと大阪駅の間には貨物の操車場がでんとあるからだ。シャトルバスがあるらしいのだが、近いとはしりつつタクシーに乗り込んだ。大阪交友会と書かれた懐かしいタクシー会社である。昔特別仕様のアプリケーションを組み込んだ無線機を開発した。

これには特別仕様のマイコンを誂えて標準機のプログラム容量を倍の8KBに拡張して取り組んだ。改造する過程で標準機種のバグが判明したりもした。スタックの不足が原因だったのだ。当時の4ビットマイコンでは15段以上のサブルーチンが呼び出せないのだが、余りにも職人技で機能を押し込めた結果、機能検証という段での内部見直しまでは手が回っていなかったのだった。

対策には、幸い広がったメモリを活用してサブルーチンのインライン展開を行うなどのことを行いスタック領域が段数を超えて使われないことを確認するために14段に抑えて最後のスタック領域が書き換わらないことをもってソースでの静的解析と共に検証結果としたのだった。そんなことを思い出してはみたものの不況によりタクシーでは無線による集客は最近そうとう減ったらしかった。

ホテルで先着していた仲間と合流して翌朝のスケジュールを確認しつつ夕食をとりにホテル界隈の町に出たが、梅田近辺とはいえ少しはなれた街中にはあまり豊富とは言いがたいものだった。デラックスなホテルの雰囲気とは相容れないものの中華の安いチェーン店が見つかり準日本的な食事をとることができた。けして和食とはいいがたいが・・・。

翌朝には本社のプロダクトマネージャを連れ立って関西のお客さまを訪問して二時間あまり新チップの技術Q&Aを行い、顧客要望からの幾つかのビジネス判断を必要としたものの幸いにも日本に社長が来ている時期でもあったのでメールでマネージャーから打診を行い二日以内に対応する旨の回答を行った。慣れない二人の外人を関西空港行きの電車にまで送り届けて新幹線で東京に急行した。

よく日には社長を囲んでのミーティングの席上で新チップ支援などでの最新顧客要望について課題と取組みを説明するなかで社長からも昨夜のうちに連絡を受け快諾し対応していることを知った。QUAD社の中でもチップビジネスのチームは分社を予定していることもあり、このチームとしての結束はより強固になっていくことを再認識できた。QUAD社としてのレポーティングチェインとしても高々8段階位で、全員がカバー出来ていたのだが、分社すると二段階くらいは短くなる。

週末には、初めてほぼ日本スタッフだけでのトレーニングを行った。従来は、米国スタッフによるゆっくりとした英語による説明と日本語でのQ&Aだったので今回の取組みは大きな一歩ではあった。日本語ベースで行う事による負担は大きなものではあるが、掛け持ちをしつつの幾つかのセッションの準備不足には反省が残った。初めてのトレーニングであったお客様からの叱咤については有り難く受け止めている。今までの経験のあるお客様にとっては格段の進歩と受け止めて貰えたようだ。

今回は初めてハード・ソフトの同時トレーニングセッションという離れ業となったのには、拡大するアジア地域でのサポートを同時期に複数進めなければならないという事情と、昨年来拡大してきた国内サポート要員の充実が背景にはある。とはいえ昨年までの状況を見知った顧客にとっては、日本語で説明するという展開には驚いているのかも知れない。

どたばたとする中で、新顧客探索で訪問を金曜日に行った。既にライセンス保有されているメーカーではあったが応用機器としての端末開発などを標榜されているらしくPCベースのエキスパートの方が揃っての中で携帯電話での昨今の多機能搭載のバックグラウンドを説明することになった。幸いにも最新型のCDMA電話機を保有しているために実情の実演には事欠かなかった。

携帯電話ソフトの混沌とした混乱の状況に比べれば、新たに端末開発を始めるという事業の人たちはすっきりと開発が始められそうな状況にあるのだがPCベースの人たちの感性としては使えるものはどんどん流用していくというものがありそうで、従来からのしがらみに縛られるタイプではないようだ。連休明けには特集が組まれるであろう人海戦術の破綻といった携帯業界の流れの新しい動きになってくれればとも思う。

開発の母体が電話機という機能からは突出してきた、携帯電話機という商品分野の仕事においてチップセットメーカーという立場とソフトウェアベンダーという立場の二つをとる中でコンサルティングといった側面やキャリアの指導といった側面あるいはベンチャー企業のインキュベーションといった面までもが、求められているようだ。とはいえ、ひと時のやすみをGWでとることが出来そうだ。

VOL100 来るべき無線機に向けて 発行2001/4/22 太平洋上

一週間の慌しい出張を終えて機上で、書き綴っている。色々な収穫のある出張であった。幾つかの現在からの方向付けの中で明らかになってきたことなどから、少し確定して見えてきた無線機の将来について纏めてみようと思う。携帯電話とはいえないのかもしれない。

・大ゾーンで固定料金で携帯電話と同じサービスを提供しうるソリューション
・携帯電話のアプリケーションをメーカーから離れて開発しうるソリューション
・何処でもつかえるマルチモードのソリューション
・グループ通信などの機能の取り込み
・情報量を制限した中での楽しめるコンテンツ技術
・安価に構築するというアプリケーション開発技術

半径50Km以上という広いセルサイズをカバーする技術がCDMA応用として既にサービスインしている。この応用の仕方には、旧来から公共用として議論されている機能が取り込める素地がある。まとまった周波数割付を日本で行うには、モトローラ社のサービスからの移行が容易だろう。MRCでのそれを移行するには政治色が強すぎる。

携帯電話のアプリケーションをPCのように別に開発する技術は既に登場目前となっている。iアプリのように制限されたものではなく、通常の公共通信を目的に開発されてきたものが出来るようになる。これは大きな地動説への変換も意味するような出来事になるだろう。

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VOL99 デジタル無線の巻き取り 発行2001/4/19 米国

米国でのトレーニングセミナーを終えた。新たな機能を盛り込み性能の話題が尽きないチップだったが、十分な性能を展開できることが明らかになった。これは、ビールのオツマミにも十分合いそうな状況である。日本で起こっている、新たな機能競争との接点で新機軸をも組み込める可能性も出てきた。

マルチチップにしなくても十分な性能を出せるということは、素晴らしい事だ。こうしたソフトとハードの両面を追求した物作りが日本では出来なくなってしまっているのだろうか。実証主義として実動作をさせて性能余力を検証していく姿は内部で見ていても中々のバランスである。性能は出来るだけあげておいて・・・という手合いのソフトウェア技術者が多くなってきたのは全体の風潮である。ただし日本だけではないか。

ソフトダイエット大作戦に向いた施策として中間コード形式の利用が功を奏しそうだ。実際にOSとして採用したものがC言語開発よりもコンパクトな容量で応用を見せ始めているようだ。マシンが高速になってきたことの裏返しともいえるのだが、高速になった性能をソフトウェア屋さんが勝手に使いきっているという声の多い昨今のハードウェア屋さんからみると痛快な技術である。

JAVA狂想曲が流れている現状からは、ハード屋さんはコストダウンという観点から離れてしまっているソフトウェア屋さんの状況との付き合いで疲弊してしまっているのだろう。ソフトウェア屋が間違いを侵さずに納期に仕上げるということのみに注意を払うようになってしまったのは誰のせいなのだろうか。あらたなオツマミを用意してビールでも呑んで貰うしかないのだろうか。

米国では、携帯電話でもないデジタル無線が日本とは違って結構普及している。大ゾーンをカバーできる広いエリアとグループ通話などのシンプレックスという通信形式が安価にサポートできているのが売りのようだ。タクシーの運転手がもっているのは、こうしたデジタル無線である。これから電話も掛けられるのが味噌でもある。同様のデジタル無線は日本でもあるらしいが・・・。

社名自体が次世代電話という、このデジタル無線を運用している会社も昨今の第三世代という変化の中で変貌しようとしている。独自の技術で大ゾーンをカバーするデジタル無線ではあったのだが、機能不足などアプリケーションよりの話が出てきたのだろう。かつて無線では世界一を標榜していた会社の技術だったのだが無線から携帯への移行でこの会社も埋没してしまったようだ。

次世代電話という会社が選択した技術は、CDMAである。この技術は潰しが効くようで設定パラメータ次第で大ゾーンの運用が出来るようになるのだ。実際問題として、すでに100kmというサービスエリアで利用実績を広大な豪州では達成したらしく、こうした実績も採用の条件だったのであろう。さらに、無線通信につきもののグループ通話という応用は既にIP通信で達成できていることから話が急展開しているようだ。来年にはこうした移行が本格化する。

日本での同様な業界では、利権争いに終始しているようだが、米国で同様な物を利用している姿と何が異なるのかはよく判らない。CDMAという携帯電話が特殊用途と見られていたデジタル無線すらも巻き取ろうとしている姿には、携帯電話で始まろうとしているプラットホーム化の実現などが、これからの展開に欠かせないことになろうとしているのだと思う。

同様な周波数帯を利用しながら、利用率が上がらないデジタル無線の現状を前にしていると携帯電話で逼迫した事態とのギャップがより強く感じられる。ビジネス用途ということに限ったデジタル無線のあるべき姿としても価格破壊とサービス改善の両立を果すべき時期に来ているのだが、今までの延長上で技術開発をしている事に誰もクレームをつけないのは何故だろうか。