業界独り言 VOL118 展開は急にやってくる 発行2001/8/9

神宮外苑の夜景に、花火が打ちあがった。中森明菜のライブもあるらしい。そうした都心の花火大会を高層階から見下ろすというスタイルである。今日は家族や友人も呼んで祝杯を交わしつつのパーティだ。オフィスの明かりを消して、夜景を鑑賞しているわけだ。赤坂のオフィスは小さなビルであったことも手伝い、神宮外苑の花火については知らなかったのだが・・・。

花火の話がメールのやり取りで話題として取り上げられて、トップの方の反応について食い下がった若手の突っ込みがあった。結果として急遽バーティとなったようだ。やり取りをしていた時期には丁度訪米していたことがあり仔細についてはよく知らないのだ。急展開を知った結果、帰国途上のお土産としてナッツのパックを買い込んでおいた。

サンディエゴからサンフランシスコへのフライトは時として霧のために、よく遅れる為に接続の時間的余裕は大切なのだが今回のそれは一時間しかなかったので危うくコネクトしそこないそうになった。サンディエゴのカウンターで遅れていた前の便への変更が叶い荷物を預けて飛び込みサンフランシスコでのステイ延長はせずに済んでいたのだったが・・・。

成田に着いてみると荷物は間に合わなかったらしくスーツケースは翌日の到着となった。会社へのお土産のクッキーやナッツは機材で持ち込んでいたCD-RなどのPC周辺機器のバッグと一緒に会社へ発送依頼をしてサンフランシスコで買い込んだベーグルと背中のザックのみで自宅に向かい翌日は、お土産と荷物が私の代わりに届けられて、自身は翌日月曜は休暇をとった。

月曜日は、メールの整理などを行い、翌日の花火大会への案内を贈った知り合いたちとの連絡を取り合っていた。携帯端末のソフトウェアを検査システムを開発している者や司法試験を目指す者、某メーカーの技術者などなど結局都合が付いたのは四名ほどであったが、二人は時間までには到着しそうで、一人は遅くになりそうだった。

携帯端末のソフトウェア品質については最近のホットな話題でもあり、QUAD社としても関心を持たざるを得ないテーマでもあった。開発している友人の状況の話を聞けないかと打診したら、社長と共に説明に伺うという展開になっていた。急な話ではあったが、弊社の社長の都合もつきそうなので紹介しつつ話を聞くことになった。

液晶表示ユニットとのIFをハッキングする装置をベースにしてUI回りのソフトウェアの動作を機能検証するというのが彼らのオリジナルであり携帯電話の二大メーカーとのシステムハウスとの接点を活かして成約が進んでいるらしい。最近のi-MODEではテスト項目数が10万件以上にもなるらしくテスト工数は膨大らしい、またテストを人間が行っているメーカーなどではテスト操作の精度にも問題があるわしい。

実際にQUAD社として取組むべきテーマでは無いにしても、電話機としてのリモート操作のフィーチャーなどは通信キャリアが仕様として提示しておけば自動化が出来そうな感触にも繋がりそうだ。アプリケーションを別チャンネルで配布するという計画などもあるためにメーカーとキャリアの双方が対象になるのかもしれない。テストで品質を確認するというのは最後の手段ではあるのだが・・・。

プレゼンが終わり、パーティの時間となった。用意された会場は広い会議室と花火が見えるサイドのオフィスである。麦酒や日本酒が、花火やつまみを肴に空いていった。冷房の効いた部屋で音の鑑賞までは出来ないものの打ちあがる様々な花火の輪を堪能しつつ歓談の輪も広がっていた。仕事に思い悩む友人もパーッと花火をみつつのオフィス風景を見て転機を考えてもいるようだった。

大きく広がりつつあるビジネスを確実にしていく為に、仲間を増やすことは必要で昨今の製造メーカーでの早期退職奨励制度などの時期とあわせて急展開していくと考えて色々なヘッドハンターに依頼をしているもののQUAD社で必要とする技術者というカテゴリーへの応募は極めて少ない。不遇な状況の知己が居れば積極的に声はかけているつもりなのだが、急展開に乗ってくるタイプの欲しい技術屋は確かに少ない。

ビジネスに生きているものとして、周囲に起こっている変化に対応していくのは常である。知り合いのクラブのママは急展開として、その店のオーナーになった。チャンスを見事にキャッチアップした結果である。チャンスを掴むものとして急展開に対応できるのかどうかという点が大きく必要とされるのである。また、人生の常として不幸などによる急展開から今度は店を手放して家業を手伝うことになったというのだが、始まりが急展開であったことを思い返して、終わりの急展開にも納得がいった。

閉店が近づいた、そんな店で急展開の踏ん切りに悩む技術者と話し込んでいた。変わって行く周囲の状況の中で変わらぬ仕事の仕組みに悩み解決を模索してきた彼ではあったが、会社の経営悪化による経営トップの警告奮起にも関わらず変化の無い環境に辟易して、今一度自分のやってきた仕事の見直しと共に自分の人生での取り組みについて考え直す夏休みを迎えようとしていた。「君は何をしたいのか」それが私からのエールであり、閉める店に残されたボトルの中を気にするか、別の店で新たなボトルを求めるのかは、その人の決断である。

業界独り言 VOL117 新世紀にあった開発の考え方

期待に満ちた21世紀に入ったのに、この閉塞感はなんなのだろうか。何を間違えて世紀を越えてしまったのだろうか。世の中に物は溢れているのに、開発すれど楽にならず厳しさだけが増していく。生産したものの価値が低いのに対価を高く要求してしまうことによるインフレーションだったのだろうか。最近では、給与を抑える形にした新しい形のデフレーションが進んでいるようだ。

ユーザーの価値観も多様化してきている。必要なこととそうでないことに対しての感覚は鋭くなっている。もらえる給与のなかでやりくりしていくのだからいたしかたないだろう。端末の競走が、キャリア同士の顧客不在の状況が続いている。わざわざ携帯でゲームをしたいという顧客に実際にこの機能を組み込むことで発生する費用はいくらで結果として通信費用を押し上げていますよとかハッキリと説明できるキャリアはどこにもない。

これは、どこかのキャリアが破綻するまで続くの死の行軍ともいえる。キャリアが死ぬまでには、多数の殉職者が出てしまうのは過去の戦争の歴史などを紐解いてみても明らかである。ましてやキャリアが破綻すれば、利用している顧客にそのまま跳ね返ってくるのは対岸の電力事情をみても明らかだ。キャリアが端末を販売するという構図そのものが間違っているのではないだろうか。

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業界独り言 VOL116 天動説から地動説へ

少し古い話になるが、リアルタイムOSを開発したことについて記しておこう。坂村先生の果たした功績は大きい。組込の世界でのITRONシェアは凄いものだ。先だって坂村先生の講演を拝聴することが出来たが、BTRONへの想いは現在の携帯のGUIすら視野においていたものだったようだ。透徹した思想だ。
 
さて、私はリアルタイムにBTRON事件が起きたころを渦中のBTRONの開発を推進してきた会社に暮らしていた。80286のアーキテクチャを使い切ろうとしたのはBTRONだったのかも知れない。インテルのアーキテクチャには不備もあったようでBTRONでは特殊なAPIを取ることになったようだ。
 
そんなことは、無線機器開発に身をおいていた自分には知る由もなかったのだが、仲間には、BTRON開発に参加した経験のものもいた。組込システム用のRTOSを開発することになったのは、偶然の所産であった。予めスレッドを分割したコードを作り出すプリコンパイラという機構を発案し、この実装を進めてきた。
 
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業界独り言 VOL115 新技術の追っかけは好きですか 発行2001/7/26

じりじりと暑い日々が続いている。最近は、帽子を被り首筋の日焼けをガードしているのだが、リュックを背負っている、その姿には採集網が似合うと言われている。ゆりかもめの週に続いては、品川港南口でのトレーニングセミナーが二日続き、叉サンディエゴからは仲間達が支援に駆けつけてくれた。HDRのセミナーだった。

最近のQUAD社の製品展開は、必ずしも日本のキャリアのスケジュールにマッチしている訳ではないが着実に製品を出してきている。マイペースと映るかもしれない製品群によっては山ほどのお客様に対して広いホールを借りてのセミナーもあれば、こじんまりとしたセミナーを会社の会議室で行ったりもする。

規模に限らず出来る限り日本語でセミナーを実施したいというのが私達の思いではあるのだが、支援してくれる仲間は逆に日本語で説明している間に繰り出された、質問についてのキーワードのみが耳に引っかかり気になってしまったりもするようだ。しかし、この二年間の間にお客様のトレーニング対応力も随分進展したようだ。

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業界独り言 VOL114 携帯業界は夏休み?

東京ビッグサイトの一週間が明けた。月曜日の設置以降、3日間の立ち尽くしの日々であった。展示会の中での説明員という立場で過ごすのは、この会社に移ってからは初めてのことである。携帯を中心とするこの展示会は、携帯電話業界の現状を映しているのだろう。掛け声のみが空回りしているような雰囲気が感じられる。

展示会はトレードショーを標榜しているのだが、実際のところお土産狙いでカタログコレクターになっているのが日本人の姿の多くのように映る。QUAD社のチップを契約して利用するのは、限られた製造メーカーの方であり、そもそも展示する意味があるのかどうかという本質的な問い掛けすらあるのだが・・・。

そうした対象となりうるお客様の訪問も当然あるし、モバイルブロードバンドという時代に向けてPCやPDAの業界の方が開発の対象として捉え始めているのも事実ではある。そうした時代の要請として、3GPPが推移してきたはずなのだが、二年間あまりの推移を見直してみると果たして狙いどおり進行してきたのだろうか。

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業界独り言 VOL113 真夏のビッグサイト

ワイヤレスエキスポの季節がやってきた。独り言の発端にもなった展示会でもある。あれから三度目の展示会には、日本事務所として説明員として動員されることになった。昨年はと思い返すと、どこかの顧客の支援作業を進めていたようにも思い出す。こうした展示会も雨後の筍如く登場したものの沙汰止みになるのではないだろうか。
 
最新の情報を収集するのに使うというよりも各社の学芸会的な様相を呈してきていて出資を求めるベンチャーは手の内を美味しそうに見せることに終始しているのが実情だろう。火中の通信キャリアは、全てが順調の様に振舞うだろうし、追っかけをしている通信キャリアも、手を変え品を変え臨んでくるだろう。
 
サンディエゴからマーケティングのメンバーが来たので昼食時でもあったので近くの弁当屋まで案内した。一人はハワイ出身で片言日本語交じりでの会話もする。風貌からは、日系だと伺える。梅雨が明けたらしく、夏空になっている。高層ビルから出た都心の蒸し暑さは、さしずめサウナの如き状態だ。弁当屋には寿司や弁当が並んでた。
 
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業界独り言 VOL112 ワールドカップに向けて

次世代携帯が、華やかな情報と昨今の回収問題との狭間でゆれている。期待に満ちた動画ケータイが投入されてめくるめく魅力的なコンテンツが出回るのだろうか。試験運用からシステムの運用上の技術的な課題が解決されて、端末のプライスも安く抑えられた「すごいケータイ」が登場する筈なのだ。顧客は、皆待っている筈なのだ。

さて、次世代ケータイのターゲットは、当然ワールドカップなのだ。中村俊輔のフリーキックの瞬間を誰かが録画した内容が「俊輔くーん」と叫びながらメールに添付されて、送付されたりするのだろう。メインスタジアムの最上段で観戦している人たちにとってはフェンス越しに誰かが撮影したMPEGの瞬間ムービーが、あれば超嬉しい。

面白いコンテンツが増えて今までよりも高速にダウンロードが出来ても、その請求書をみて更に縮こまってしまうのでは、致し方ない。ワールドカップの開催会場である韓国で使えるようにWCDMAに乗り換えてくださいというのはメーカーの勝手な言い分である。しかし、横浜国際スタジアムで利用できるような動画インフラは無い。

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業界独り言 VOL111 ベンチャー気質の仲間達

株主総会の季節を迎えた、各社各様の迎え方をしているようだ。駅前から、会場までの道案内が出たりしている会社もあったようだ。会社の方針が大変更になりハードからソフトに切り替わった会社もあるし、カリスマトップが逝去されて会社の方向性が取りざたされている会社もあるようだ。トップに限らずカリスマ技術者もいるらしい。

オーバーアクションなパッション一杯の技術者がいる。「これが判らん奴は来るな」と迄言い切る彼の言動には、今までの技術者としての実績に裏打ちされているようだった。一億円で一部開示、三億円でパッケージとして開示、十億円で移籍すると断言する彼の説明には小気味よい響きがある。部門としてのベンチャー気質を感じた。

ハードとソフトの境界がはっきりしなくなった昨今ソフトウェアで実現する性能差別は容易に他社がキャッチアップ出来ると思われがちだが実像としては、提供されている数々のフィーチャーのインプリメントに追われているのが実情のようで、既に各社がインプリメントしたフィーチャーの数は各社の開発能力のバロメータとなっている。

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VOL110 Javaの楽しみはこれからか 発行2001/6/25

Javaの実用化時代を迎えようとしている。「携帯にスクリプト言語を搭載しよう」という暴言を吐いたのは94年頃だっただろうか。インタプリタで動作するスクリプト言語の多様な応用について研究してきた西海岸の研究所生活の成果を実践していた技術者との出会いがそれを携帯への実装という展開への取り組みになった。

まだJava以前の時代にそうしたものを米国に対して提起したというのも時期尚早だったのに違いない。PHSの32kbpsのデータサービスを使い切って実験をしていた仲間との出会いが早すぎる時代の扉に手をかけてしまった理由でもあった。ソースコードを飛ばしていた当時の実装が中間コードになれば、凄いことが・・。

そうした思いに突き動かされて初芝電器の技術力を総動員してのプロジェクト推進という展開になった。エージェントを飛ばしあい受け入れあうという概念は、今のJavaと何も違いは無かったし実際問題スクリプト言語もスタック型の言語だった。コンパイルした中間コードを飛ばそうというのが合言葉だった。

赤外線の規格であるIrDAの標準化も離陸しそうな状況だったこともあり今の愛のサービスとノキアの電話機とIアプリも含めて実装しそうなトンでもない内容ではあった。中間コードの実装検討と上位層のアプリケーション設計などをマーケティング推進の中でカスタマーである米国キャリアと詰めていたのだが、頓挫してしまった。

一つはデジタル無線機のコストが顧客の要望価格に至らないこと。一つは年明けに発生した阪神大震災である。中核の技術者が被害地域にすんでいたことも有り仕事に大きな影を落としてしまった。初芝の既存技術の集大成ともいえるプロジェクトではあったがビジネスユニットである事業部の価格理由などから中断となった。

プロジェクトは中断したものの、一度意識を高めてしまったことからJavaの前身となるプロジェクトなどの情報やWAPなどの立ち上がりを見つけて情報交換しつつ自分達の取り組みが時期を得たものだと納得していった。インフラを起こし端末を開発してアプリケーション開発ツールまでも提供するという仕事は大仕事であった。

Javaのコードが提供されたときには、VMを実際にコンパイルしてみて速度やサイズの評価などをしたりしてもみた。まだ実際の端末に展開していくにはVMのコードサイズが大きすぎた時代でもあった。速度はPCの上でも不十分であったが、評価用の画面やUIの設計をしていくことへの適用を試みたりしていた。

単なるインタプリタとして捉えた場合にはBASICも同様の制限があったはずでVMとしての問題点については解決すべき共通項があった。バーコードリーダ端末を開発した際にSDKの開発も含めて行ったのだが、当時としてはC言語のクロスツールを自前で提供していた事が時期尚早すぎてBASICの提供を要望された。

BASICについては当時すでに色々な端末にマイクロソフトベースのものが実装されていた。CのSDKも自前で提供していたこともありBASICについては、更に色気を出して高速なインタプリタを提案して開発を行った。ハードウェアによるインタプリタである。中間コードの割り付けを工夫して機械語と共存させた。

無論、当時の8ビットマイコンの命令セットがbasicに適合するわけもなく、16ビット整数演算の命令範囲のみが機械語となり、文字列演算やら倍精度演算達は中間コードとなった。コンパイラとの併用で中間コードと機械語を混在させる形を取っていた。インタプリタという仕組みは機械語と中間コードの識別だった。

結局、中間コードは例外割込みの処理として組み込まれた。現在のJavaの実装でのハードウェアインタプリタと同様な概念である。この際にパテント申請はしたものの、事業部の本業と関係の無い特許に光があたることはないだろう。無線端末を開発している事業部で「プログラム実行方法」に関する特許は、蚊帳の外だ。

Javaの実装技術としてマイコンコアの命令セット切り替えで対応するコア技術が登場した。レジスタの割付の意味などをJava状態と従来状態とで切り分けた上で不足する命令群は、拡張命令として処理を実装されている。拡張命令の実装は割込み処理としてのインプリメンテーションに依存する。先の特許に抵触する。

とはいえ、転職した先では、こうした早期の基本特許に相当するものに光が当たらないほうが良いのかもしれない。いろいろな意味で特許について提出や申請を求められてきた結果が、有用な特許が埋もれてしまうのは皮肉なものであるが、大企業の実体としては、きっとそんなものなのだろう。灯台もとくらしという奴である。

マイコンコア技術の一角になるかも知れない技術ではあるが、インタプリタの歴史というホームページでも作ったほうがよいのだろう。Linuxの上で動作する、CPMエミュレータが雑誌に掲載されていた。そういえば、VAXのエミュレータをUNIX込みで作成したことも、もっと陽のあたるところに出すべきだろうか。

いずれにしてもJavaの楽しみはこれからだ。携帯コアに搭載されて登場するのは来年だろうが、開発環境やアプリケーションのスタイルなど色々な物が改革時期になってくるのだろう。エンジニアの面接を行いながら、彼らが活躍する時代の姿が少しずつはっきりと見えてきた今日この頃でもある。

VOL109 次世代携帯の夢を追う 発行2001/6/20

二週間の出張が終わり帰国すると、国内での出張ラウンドが待っていた。一日に二つのお客様を回るペースで四日間を過ごした。まとめをする金曜日にはかなり疲れてしまった。プロダクトマネージャーやソフトウェアリーダーを日本のお客様に連れていき問題認識を深めて次世代チップなどへの反映が図られた。

同一時差で暮らしてきた仲間とそのまま時差に突入してしまったせいもあり、互いに疲れを感じつつの出張行脚となった。西東京の一部のお客様は、乗り換えも含めて気持ち的にはかなり遠く感じたりするし、新幹線で向かう必要のあるお客様が、かえって近く感じたりもする。

奈良駅に直結したホテルに泊まることになったのだが、学研都市線で奈良に向かう途中ではラッシュアワーと共に途中からは車両切り離しに出くわして木津につく頃には周囲の風景は一転しまっていた。木津から奈良までは程なく到着しようとしていたのだが周囲の夜景からは、果たして夜の食事の心配を始めていた。

幸いにもホテル内のレストランでのラストオーダーにはまにあった。こうした規模のホテルには珍しく大浴場もありゆったりと浴槽で足を伸ばすことも出来た。修学旅行の団体もフロアによっては使っているようだ。夜中に電子メールが繋がらずに閉口したが、交換機が無料通話のダイヤルを国際電話と解釈したのが理由だった。

ほぼ田植えの終わった水田風景の中を雨を縫って顧客先をタクシーで回るのだが、サンディエゴのメンバーは当然の如く傘など持ち合わせてはいない。昼食を顧客近くのハンバーグレストランで取ってから距離的にはほどない中も折りたたみの傘ではビショビショになってしまった。待ち合わせのショールームにはPDAがあった。

次世代携帯の中核となっているPDAライクな世界は、まだ誰も信じていないのが事実だ。現在全く存在しない市場には、PDAの世界からの延長線あるいは携帯からの延長線という事で予想していくしかないというのが各メーカーの方々の考え方だ。検討してみた上で弾き出したコストでの採算性と商品力と利便性は不透明だ。

個々の要素技術に立ち返ってみて、徐々に取り込んでいくというのは考え方としても納得性の高い方法である。昨今慌しい携帯ソフトの完成度を高める方法として、製品としての回収を避ける目的でメモリプロテクションを採用するのも考え物だったりする。開発プロセスの改善といった長期的な観点での取り組みでは不足なのか。

誰が使うのかという観点、そしてそのコストおよびビジネスモデルなどがコンセプトから実需への展開のなかで迷走しはじめているようだ。オプションで接続する事でお茶を濁そうという展開も当初のメール端末などからみると正しい選択肢かも知れない。端末との接続仕様が性能を満たすのかどうかの議論はあるだろうが・・。

携帯電話から次世代携帯に移ろうとしてベースとなるチップセットも産みの苦しみを感じている。コアの改変やら開発環境の整備など難題が山積している。携帯というビジネス全体が要望しているものに応えようとしているのだが、ライセンスビジネスとの関連などまだまだ難関は多いようだ。気がつくとコピーライトだらけだ。

コピーライトを進めている会社でコピーレフトなLinuxでも採用すれば面白いと思うのだが・・・。サポーター体制などが課題になるようだ。いずれにしても、メモリ保護のかかる時代に突入しようとしている。コストと品質の二つが背景にはあるようだ。性能向上に押されてキャッシュもつみモードも増強する一途だ。

電話機としての性能を高めていくべきか、モデムとしての性能バランスに傾注すべきなのかという議論がある。ターゲットとする分野は異なるからだ。ただし、後者については新たなジャンルであり次世代携帯とPDAの中間的な位置付けの不透明な状況である。ザウルスもありEPOCもありCEもあるわけだ。PALMも・・

忙しい開発アイテムを戦略マーケティングと共に配置していくことが、必要ではある。実際にお客様方が成功して達するのであり現在のWCDMAのような見世物であっては困るのだ。ビジネスモデルとしてコンテンツ屋とチップ屋(ソフトもあるが)と製造屋さんと方針を決めていただくキャリアという構図である。

自分達の技術ロードマップに自信を持ちつつも現状の動きとの綾なす中、激論を太平洋を挟んで戦わせているトップマネージメント同士の戦いの記録なども非常に参考になる。記録が残るメールの仕組みで戦いあうのは相互に確たる自信や意見があるからに相違ない。電話で説明をするような類のマネージメントとは一線を画す。

みな、次世代の現状と未来について色々な意見があるからだ。色々な方式を開発している人たちの状況などをみているとまだまだ判らないというのが正直な感触だ。サンディエゴで大学のセミナーコースを一日受講してGSMのおさらいなどをしたが、インフラ構築の話などが中心で既に欧州をカバーしたことの裏返しだった。

もう技術論ではなく、政治の話となっているような気がしてならない。技術論から展開を予測していた人たちがいるとすれば、その予測は外れてしまったようだ。GSMとCDMAの両用機がワールドな答えになってしまいそうだ。その次のワイドな展開に繋がれば良いのだが、技術論の好きな欧州人の議論とビジネスは別だ。

次世代のキーフィーチャーとして画像センサーやユビキタスコンピューティングの為のシンクロナイズ技術やマルチフォーマットのビューワなど楽しいテーマが盛り沢山である。提供する側、使う側ともに大変なボリュームの仕事になりそうである。RTOS開発していたメンバーもアプリを含めた広がりを楽しんで(?)いるようだ。

日本語のアプリケーションを実際にデモしたいので実機で開発させてほしい・・・と単身、サンディエゴに乗り込んできたのは彼であり、おかげで二週間の滞在の後半も車に不自由することはなかった。渡航決済などの手続きはメールの返事のみでOKである。マイペースな中で時期を得た開発を分担して、彼は光っていた。