業界独り言 VOL187 急ぐのは悪魔の仕業

「急ぐのは悪魔の仕業」とは、イランの格言であるらしい。壊したりしても、それは神のみ心のままにとかもあるようだ。まあ、忙しいという文字は心を無くすということだから日本でもよくよく考えれば急いで忙しくなるのは勧めているわけではないだろう。週末の映画としてイランと日本の合作映画「旅の途中で」を見る機会があったからなのだが、カンバン方式を推進する自動車メーカーに部品納入を果たす子会社の購買担当サラリーマンが下請け業者との間での葛藤などが描かれていて、日本の下請け業者を支えている外国人労働者達とのあいだで起きた事件を通じて、イランに強制送還されてしまった技術者への未払い給料を支払いに行く旅をするというストーリーなのだった。

主人公のサラリーマン君は、画才のある夢を持っていた青年であったがバブル以降の日本経済という歯車に巻き込まれて自分というものを見失ってしまい企業戦争の渦中で心を失い恋人とも別れてしまったりしている。下請けの鉄工所で働いているイラン人の技術者への給与未払いを不法就労という環境下で、経営者である鉄工所の社長が厳しい資金繰りの中で未払いという形と最終的には通報して強制送還させてしまったという非道な仕打ちなどがあり、イラン人の技術者は人間不信に陥ってしまったようだった(これは映画で出てくる表現ではなく、私の感想であるのだが)。そして鉄工所は親会社からは切られて、倒産しまう。義理も人情も通じない世界としている。

救いの無い設定の中で、鉄工所の社長は急逝してしまい、残された悲しみの家族の依頼(この娘は別れた彼女)を受けた。亡き父が悔いていたイランに送還されてしまった技術者に未払い給与を鉄工所の清算で作ったお金を訪ねだして渡してきてほしいと懇願したのだ。大きな自動車メーカーに入社していたサラリーマン君は、派遣された子会社で、こうした孫請け業者との購買業務を通じて心を無くす所業に悩みつつも、出向先に転属として親会社からも切り捨てられて多忙な会社生活の歯車の中で、この生活を一端捨てる覚悟までを決めてイランに向かうのである。遠い異国であるイランの地で、心豊かに生きる老人と出会い送還されてしまった人物を探すトラック道中が始まった。これはサラリーマン君の自分探しの旅ともなったようだった。

携帯開発の渦中では、まさに「急ぐのは悪魔の仕業」と言われれば決めた日程などに通信キャリアや国家の威信が掛かり急かされた通信機メーカー・協力会社が恒常化してしまった残業などの心を無くしてしまった忙殺の中に身を置いているようだ。映画の回顧シーンの中でイラン人の技術者が、納期を繰り上げ督促をするサラリーマン君に冒頭の言葉を叫び、さらに「一日遅れることで何が変わると言うのか」と詰め寄るのだが・・・。ラバースタンプのように「工場のラインを止めることが問題なんだ」という回答しかできないのだった。同様な風景は、メーカーならば当然の風景のようにもなっているようだ。

開発の遅れをカバーする為には、上層である部長や次長といった肩書きの人までもが、現場に割りいって急場を凌ごうとしている会社もあるようだ。それで解決したとして、次長や部長の方たちが問題点をフィードバックして、会社としての対応力を向上させるための方策に繋がるのならよいのだが、果たしてそうしたことになっていくのかどうか。組込み業界と言われる特殊性の範疇で仕上てきたことの底辺の広がりと、ユーザー要望の拡大などで纏め上げる能力も検査する能力も含めてオーバーフローしているのに、まさにラインを止められない姿は会社の収益を担っている仕事だからなのかもしれない。会社が発展していくために必要な生産力・設計力・企画力といったものを追求していくという姿は、どこかにないものなのだろうか。

3GPPの開発をしていると、使われるお客様が通信キャリアから提示されるスケジュール自体が現状に見合っていないという事実に出会うことは珍しくは無い。技術的にリードしている通信キャリアでの3G開発事例などは、逆に歴史上の失敗の石碑にでもするべき事由となっている。オープンで開発していくというスタンスに立つ限りは、バランスをとりつつじっくりと取り組むしかないのである。期待する納期や期日に向けて問題となるのは、往々にして自身での検証の甘さと相互接続性テストのサイクルでの迅速なフィードバックが出来るのかどうかという点に掛かっている。そうした視点に立ってみると世界最先端の開発をしていくうえではテスト技術者自身、優れた3GPP規格の理解者であり提供されて試験しているコードの評価と改造確認くらいは出来るのが当たり前なのだろう。

そうはいっても、商用リリース時期に入っているべきフィーチャーを含めるとお客様の製品出荷日程から考えると二週間も無かったりするのだろう。といってお客様は、最先端の開発状況を知った上での納期追求ということに最近は納得してきたようだ。互いにマージンは無いのでテスト経過の綿密な報告やインクリメンタルにリリースされてきたコードのテストを続けて最先端の開発状況を自社製品にたちまちに反映させるといった自分達のするべき努力に賭けているのである。互いにプロフェッショナルである最先端な製品開発をしているといった互いの自負が支えているからだろう。ここまで辿りつくまでには色々な誤解や事件などがあったのではあるが、今となってはそうしたことを通じてどのように進めていくべきなのかを体得してきたといえる。

イラン人やパキスタン人といった人たちの感性というものを目にしたりすること、このQuad社に従事しつつ体得もしてきたのであるが彼らの感性を仕事に反映したからといって遅くなると言うことはないのである。少なくともソフトウェアの開発をここまで大規模にしてしまった3GPPというプロジェクトのせいかもしれないのだが・・・。「もう無駄だ、こんな状況じゃ試験をしても意味が無い帰ろう」といって帰国してしまったりとか、「う・・うごくぞ、さあデータをガンガン取るぞ」といって遅くまで仕事をしたりしているのが彼らの感性なのである。悪魔のささやきのような急ぎ方は決してしないのである。自分達の心の声に従ったペースを遵守しているのが彼らのスタイルのように見える。そうした仕事が出来ない理由は端末の開発競争だからなのだろうか。

アプリケーション開発の世界が残されている競争領域だと、言われてきたのはQuad社や北欧メーカーのチップセットを使って無理をしない開発を進めようという世界的な動きになってきたからかもしれない。アプリケーションプラットホームとして互いにアプリケーション自体を流通できるようになれば、大きな世界の変身といえるのだが、そうした事実が生まれようとしているようだ。考えてみればデジタルテレビの開発などでは開発費用の分担などでLSIの分担開発なとをしてきた歴史もあるのだから、携帯電話で必要なアプリケーションというものが部品として流通しだすのは自然な摂理ともいえる。そうした事態に突入しようとしている最先端実情を理解しつつ、現状の仕事の仕方や若手社員の育成を変えていくことが必要だと認識している協力会社は、これから伸びるに違いない。

無論、そうした近未来を認識して親会社という立場あるいは子会社という立場で、何を持って勝負としていくのかという点について、自問自答を繰り返しておかないと天動説から地動説といった事態に際して、会社事情の宗教裁判に出席するということに陥ってしまうだろう。エンジニアだというのならそうしたことを理解して、経営感覚を持ちつつ次の一手をどのように進めていくのかを考えるべきである。3Gはもう駄目だから、4Gの開発に移りたいなどと考えているのならば、お先真っ暗である。通信キャリアを超えてのアプリケーション移植すら視野に置くべきであるのだが、モデム屋は育たず、アプリ屋もいまいちの感性で右往左往している会社も見え隠れする。もう通信機メーカーという屋台骨からは独立したほうが良い時代なのでしょうか。

あらたな感性を持つだろう新規参入のお客様までも登場しそうな状況の変化には、アジアの中での通信機開発という状況においての各メーカートップの腹の座った決断がありそうです。エンドユーザーニーズに応える商品を提供するのがメーカーの役目でありそうした流れの中で必要な開発投資と投資回収の二面性を追及していくことが必要な状況で国内での設計開発に見切りをつけるのか、あるいはモデム開発投資をチップ契約で代替するのか・・・。中国・韓国の積極的な姿勢の中で日本の若者達の消極さが表面化してきた現在としては、じっくりと開発していくというビジネスモデルがコスト的に成立しなくなってきたのかも知れない。マイペースで開発が達成できて品質も納期も満たせると言う製品開発のストーリーを追及していければ日本でもまだやっていけるのではないだろうか。

業界独り言 VOL186 陽気なイヤーエンド

四度目のイヤーエンドとなった。九月で締めて2002年が終わったことになる。色々なチップやソフトのリリース、そしてそれらのサポートのサイクルが思い出される。入社してすぐに迎えたイヤーエンドから三年が経ち四度目のイヤーエンドなのである。しかし、イヤーエンドに行われる営業企画会議とイヤーエンドパーティの二つの一大イベントで締めくくられるのだが、実ははじめての経験だったりする。一年の総括として行われるこれらのイベントであるが出先地域のメンバーの招集は、各担当部門からの招待で為されている。最初の年は、私が新入社員であったことや免許を持たずに自転車で走り回っていたことなども含めて、あまり会場に到達するまでの方策について自分自身も含めて相互に認識できていなかったことが背景にあり米国にいたのにもかかわらず参加することは無かった。

二度目の際には、ハードウェア担当チームは呼び出されて米国までいったのだがソフトウェア担当チームが呼び出されることは無かった。会議やパーティ会場では「何故こないんだ」という話になり、呼ぶのを忘れていたという事実がようやく認識されたのであった。ハード担当・セールス・企画・物流といった各部門が集結されてにぎやかに行われたという話は後から聞いていた。翌年の三度目は、三度目の正直ともいうのだが、実際にチームからも招待状が来たり参加日程へのスケジュールやホテルの予約などを行っていた。また、当時はあるホットなお客様の支援も予定していて一週間早くに出張して対応したのちに迎えるという予定になっていた。そんな夜中に電話がなった。そう嫁さんからの、「すぐにテレビを見ろ」というあの9/11の事件を告げる電話だった。

そんな事件で当然、景気の良い会社でのイベントも米国全体のナショナリズムを高揚する非常事態のなかでキャンセルされていた。渡航も相互にかなわない状況の中でパーティだけは行われていたようだった。そうしてやっと参加することが出来たイベントが今回のものであった。あらかじめノーティスされたのはインビテーションのメールであり、内容はウェブページで申し込むようにと該当のURLがされていた。ログインするためのパスワードやアカウントが記載されていてどこかのホームページを思い起こさせた。この季節は毎年チップの提供時期と重なることもあり最初の説明会を実施する米国でのトレーニングに参加することがあわせて行われる時期ともなるのでそうした出張と連続前後して参加するようになっていた。それに加えて別のお客様のデザインレビューも行われることがあり米国での仕事が重なっていた。

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サンディエゴ通信 VOL12 ラホーヤの空と風に一番近い場所

発行2002/10/13

前回にひき続き、東医研が担当させていただきます。

小窓氏の独り言にも紹介されいた、ラホーヤ岬の一番高い場所についてのお話です。休日に家に閉じこもっているのが性に合わない私は、Palomar Mountainに行った日の夜、翌日の日曜にも、どこかへ行こうと考え始めていた。小窓氏や Micky を二日続けて引きずりまわすのは申し訳ないので、一人で出かけることにし床についた。さすがに、前日の疲れが出たのか、目が覚めると10時になろうかという時間で、ホテルの朝食も終っていた。まあ、米国出張でおなじみの連日の飽食に疲れた胃を休めるにも丁度いいと思い、朝食抜きで出かけることにした。そういえば、「リゾート地」としてのラホーヤを楽しんだ経験が無いことに気づき、近場の海岸沿いをドライブと決めた。

海岸沿いまでの道は簡単で、造作なく着けたのだが、日曜日の10時過ぎという事もあり、車を止める場所を見つけることが出来なかった。路肩の駐車スペースはことごとく埋まっており、空いているところは “20min parking” だったり車椅子マークだったりする。そうこうして、うろうろしているうちに、ブティック等が建ち並ぶ中心街から離れてしまい、自分の居場所がわからなくなってしまった。もう、Uターンをしようにも、元に戻れる自信がない。こういう時は、高いところに限る。坂を登る方向に向かって、車を進めていった。だんだんと、登っていくうちに、道の両側が豪邸だらけになっていき、TV等で見る、ビバリーヒルズさながらの風景である。ただ、両側の豪邸のお陰で、自分の居場所を確認するという本来の目的が達成できない。もっと、上がっていくしかない。話は、ちょっとそれるのだが、東医研は前職の際、長距離通勤の暇をつぶす為に、SFをよく読んでいた(ハヤカワや、創元文庫はお友達だった)。その中でも、ラホーヤという地名が何度か出てくることがあり、必ず、成功した人や、リタイヤした人達が住む、風光明媚な場所で、カリフォルニアに住む人たちの憧れの地の一つとして紹介されていた。まさに、その通りの風景が、今走っている両側に展開されている。

さらに進むうち、林立する電波塔が前方に見え始め、頂上が近いことが分かってきた。「あそこへ行けば、周りが見渡せるに違いない」と進んで行ったのだが、電波塔の周りは金網が張り巡らされていて、軍の施設のようだ、突入するととんでもないことになりそうだ。電波塔のピークを過ぎると、もう一つのピークがちょっと先にあり、そこには大きな十字架が立っていた。周りには、観光客らしき人影が沢山見えたので、そこへ向かうことにした。十字架の周囲にも駐車場があったが、数も少ない上に、Handycaped 用のスペースの割合が多く、別の 200m 程離れた大きな駐車場に停めて、十字架のある場所を目指して上っていった。上るうち、だんだんと、すばらしい眺めが目の前に広がり始めた。最終的に十字架のあるピークを上り詰めると、周りを 360 度周囲が見渡せ、思わず息を呑んだ。自分や小窓氏の泊まっているホテルや、I5 を下りる際の目印にもなるモルモン教の巨大な白い教会も見えた。それどころか、反対側にはリゾートのミッションベイや、その向こうに広がる San Diego のダウンタウン。西には果てしなく拡がる太平洋。東は、Mira Mar 基地とその向こうに広がる山並みである。そして、見上げれば、文字通りの「カリフォルニアの青い空」、そして爽やかとしか表現しようのない風が吹き抜けていく。似たような風景は、数年前にハワイの、Diamond Head に上ったで経験したが、陸地方向の果てしなさは、ラホーヤの方が数段上である。

これだけの風景である。写真を撮らないわけには行かない。まずは、自分を入れてセルフタイマーで2枚ほど撮ったところで、デジカメの電池が切れてしまった。皆さんにもお見せしたいので、パノラマ写真を是非とも撮りたいと思い、街中に戻って電池を買って戻ってくることにした。ただ、文句無しで気持ち言い場所である、街中に戻る前に30分ほどボーっとさせてもらった。さて、私のデジカメは比較的古いタイプなので、単三4本で動く。何処でも買えるとは思うのだが、ちょっと遅めのブランチにしようと、小窓氏が宿泊しているホテル最寄のモールのフードコートに行き、そのついでにモール内にある Radioshack で電池を買うことにして、山を下りた。下りは別のルートを取ったところ、ホテルからは、簡単なルートで来られることが分かりほっとした。

UTC モールのフードコートでは、中華のファーストフードにし、注文を受け取って、空いている席を見つけて座り、食べ始めた。なんとはなく周囲を見回していると、遠くに見慣れた昆虫採集スタイルの小窓氏を発見した。席を移動し、ご一緒することにした。小窓氏は、既にブランチを済まされた様子で、おなじみのCasio FIVA を広げて、独り言の原稿を書いているところであった。聞くと、3時から、今日到着するケイ佐藤氏とホテルで打ち合わせをすることになっているという。時間はまだ、1時を過ぎたところであり、「絶景の場所が15分ぐらいでいけるところにある」という話をしたところ(話をしたというよりも、強くお勧めしたという方が良いかもしれない)、一緒に行ってくださるということになった。食事も終わって、ここのモールにある Radioshack に行くという話をすると、「つぶれたよ」の一言。さすが、半年に一回のペースでしか来ていない私とくらべ、使い切れないほどのマイレージの処理に困っているという小窓氏は最新の情報を良くご存知である。結局は、私の宿泊しているホテルの隣のモールにも Radioshack があり、そこで電池を購入することができて事なきを得た。

気を取り直して岬の頂上を目指して走り始めると、ケイ佐藤氏より小窓氏のグローバルパスポートに電話が入った。いま「ホテルにcheck in した」ところだそうだ。結局は、岬の頂上で、ケイ佐藤氏と合流するという話しになった。そして、先程確認したルートで、難なく現地に到着し、記念写真やパノラマ写真の撮影をすませた。そして、しばし、小窓氏と二人で、風景と風を楽しんだ。そこへまた、ケイ佐藤氏から電話があり、ルートをお教えして電話を切った。私としては、「大きな十字架」ということを、何度も強調したつもりなのだが、ケイ佐藤氏は「独り言Vol 185 」にもあるとおり、電波塔側へ行ってしまわれた。再度あった電話に、「そっちじゃなくって、十字架のある方です」と伝えて、やっと合流することが出来た。

「ここは、すばらしく気持ちがいいところだねぇ。何度も San Diego に来ているが、こんなところがあるとは知らなかったよ。」と感動された様子で、紹介した甲斐があったというものだ。ところが、ケイ佐藤氏は「さて、例の話だけど…」と、すぐさま仕事の話を始められた。前日の、Palomer Mountain よろしく、観光地で無粋な話が、再度繰り広げられた。その後は、独り言にあるとおり、海岸沿いのレストランで、お茶をしながら、話は続いた。車はどうしたかというと、ケイ佐藤氏の執拗な捜索により、つぶれたお店の従業員用の駐車場を発見し、そこに停めた。有料の駐車場は、6-7ドルが相場であり、日本の観光地と比較すれば、ずいぶん安いとは思うのだが、それさえも許容できないようで感服した。レストランで展開された(無粋な)話の内容は、独り言に譲る。

ラホーヤは、ビーチリゾートというよりは、断崖もあるようなリゾートであり、神奈川で言えば、江ノ島ビーチというよりも、逗子や葉山に近い感じである。ただし、正確に表現しようとすると、スケールを10倍ぐらいにしないといけないのと、洒落た店や高級ブランド店が多く、軽井沢のテイストを加える必要がある。後で、現地で購入した AAA (JAF のアメリカ版)編集のガイドブックによると、岬の頂上は、Solidad Mountain と言う場所で、サンディエゴ風光明媚ルートの一部であり、観光バスのルートになっていることが分かった。なお、小窓氏は単位系の変換を間違ったようで、正確な高さは 844 ft であり、メートル換算で、 300 m 程である(既に訂正されているようだが)。

とにかく、Solidad Mountain は、文句なしで気持ちの良い場所であり、本社出張時には、毎回行くことにしようと決めた。ところが、以前日本のオフィスマネージャで、今は San Diego に勤務しているミヨコさんの話によれば、もっと空に近い場所があるという。何度かサンディエゴ通信や独り言で出てくる、ラホーヤ北方のリゾート Del Mar では、Hot air baloon が体験できるという。うーん、体験しなきゃいけないことが、次から次へと出てくる、ここは楽しい場所である。

おっと、このような事ばかり書いていると、東医研は「出張じゃなくて、遊び目的で San Diego 行ってるのか?」と思われるのに違いない。だが、平日は20時ぐらいまでオフィスにおり、食事を済ませてホテルへ戻ってからも、朝を迎えた日本のお客様とやり取りするため、0時過ぎまで仕事をしていることを強調しておきたい。Solidad Mountain に行った日も、夕方5時からオフィスに行き、日本のお客様との連絡や中国との電話会議を行い、20時過ぎまで会社にいた。要は、メリハリが大切なのだと思う。小窓氏の言うところの “San Diego way!”である。

業界独り言 VOL185 嫌な奴になろう 米国

爽やかな風を受けながら、ラホーヤの岬の上のSolidad Mountainのメモリアルパークに来ていた。360度に拡がる視界の半分は青い太平洋であり、半分は緑豊かなラホーヤ地区の町である。眼下にはUCSDのキャンパスや遠くにはミラマー空軍基地も広がっている。毎日が気持ちの良いこうした気候の下で、着々と開発を進めているQuad社の仲間と太平洋の向こうのお客様たちとの間には時差や気候差も文化も含めて大きなギャップがあるように今更ながらに感じている。小高いこの丘陵の高さも844feetということだが同僚の車でくればほどない良い場所である。日がな一日過ごせたら、気持ちも、まったりと溶け込んでしまいそうな場所である。忙殺されている日本のメーカーの技術者にしてみたら嫌な奴らだと思われるに違いない。

まったりとしている間にケイ佐藤も合流してきた、彼はこの日曜日に到着したばかりなのである。日本の休日に移動するのは時差を少しでも無くそうとするからに他ならないのだが、毎月のように世界中を飛び回っているケイ佐藤にはどこが本当の自分のタイムゾーンなのかいつも時差ぼけに苦しんでいるのかも知れなかった。借用しているケータイが鳴りケイ佐藤自体はちょっと道を間違えてアンテナの林立している別の峰にいってしまっていたようだった。やがて到着した彼も風景と素晴らしい風の双方に感動して、サンディエゴに何度も訪れている彼自身にとっても初めてだということだった。写真の絵としては、ここでF18が編隊で発進してくれたりすると映画の一シーンになりそうな感じである。

同僚の東医研君も含めて同じ会社からの転身組であり派閥ではないものの同じような文化背景を共有するものとして意識には近いものがあり携帯開発プラットホームの構築などについては基盤技術の開発をしてきた東医研君に意見を求めているのも日常であった。三人で残りの予定を確認しあってラホーヤのビーチ側の町に下りてお茶にしようということにした。ラホーヤ地区と称した場合には、この海辺の町を思い起こされる方のほうが多いのだろう。メキシコ調の白い建物なども混じったりする強い日差しのなかの快適な気候の町である。海岸の斜面を利用して立っているケーキハウスのデッキでお茶と相成った。到着したばかりのケイはビールで時差を取ろうしていたし私はアイスティーとキャロットケーキを頼んだ。

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業界独り言 VOL184 ソフトでの差別化 米国

旧い話を持ち出して、今更ながらのYacc/Lexといったコンパイラ構築の為のツールによりアプリケーションの書き方を改善しようというのは長らく染み付いた日本の組み込みソフト開発力強化の流の残骸の収容でもある。携帯やNAVIに限って言えば、既に組み込みという域を外れているのであるのだが、経営者も昔の技術者であった技術トップも認識できていないようだ。システム設計の感覚を忘れて個別機能の実現のみに腐心して開発してきたものを、合わないフレームワークであるITRONの世界に当てはめようとしているところに問題がある。このことをハードウェア的に解決しようといういかにも日本的な取り組みがDualChip化の動きである。

そうしたデュアルチップ化で問題が解決するのかといえば、問題の本質は違うところにあるようで実際には解決策にもならなかったりする。問題はRTOSのフレームワークにあるようなのだ。こうした問題を解決するフレームワークを目指して開発されてきた携帯向けのOSもあるし、ある意味でいえばWindowsCEもそうした範疇だとマイクロソフトは宣言するだろう、過去のXenixベースのカーネルを保有してきたという歴史から見ても彼らは真剣に目指しているのかも知れない。マッチするのかどうかは別だが・・・。実際問題知己の開発している次世代NAVIなどはWindowsCEを駆使しているようだ。過去から議論の多くにプラットホーム化が達成すると撤退してしまうという図式がある。差別化が出来ないからだという。自社としてそのプラットホームの上で工夫して使いきろうという気概は恐らくないのだろう。

製品での特徴としての差別化といえぱ、ハードウェアとしての自社IPを敢えて使うように推進することで、自社IPを必要条件に組み入れようとしたりすることであったりする。確かにプラットホームがオブジェクトで提供される限りにおいて、されらをトリッキーに拡張したりすることよりも安全策ともいえるのかも知れない。赤外線IrDAの開発の歴史は携帯端末などとの接続が目的であり提供されるハード性能や期待するアプリケーションに根ざして多彩な開発が行われてきたのだが離陸する直前にトンビにさらわれたようなBlueToothの出現などがあり叶わなかったりもしてきた。ある意味で枯れた技術を再登場させて暗くなった携帯業界の一筋の光明として利用しようということが国内では始まったようだ。

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業界独り言 VOL183 1xとUMTSの鬩ぎ合い 米国

国内の先発WCDMAキャリアの不振が濃厚になってきた。景気浮揚策としてあるいは、消費高揚刺激策としての位置付けにWCDMAは使えないのだろうか。漸くカバーエリアも広がりを見せてきたし、第二世代であるPDCとの共用など運用面でも実用的になってきたと思えるのにだ。期待の仲間と信じてきた欧州キャリアとの温度差は開くばかりだ。先日、北欧メーカーが続けてUMTS/GSM端末を発表してようやく始まるかの様相を呈してきたのだが内実はどんなものなのか。

あるメーカーの端末は一気にスタンバイ時間を350時間と発表したり結構いいかげんな状況が見えてくる。この数値をまともに捉えて気が滅入るような技術者であるならば、顔を洗って出直してくるのも良いかも知れない。そして、またこの数値を信じて国内に適用しようというキャリアがいるのならば、その方も同類かもしれない。こうしたペーパーマシンの云うことを信じて中々、開発適用に踏み出せないメーカーなどには幻惑のカタログスペックに映るようだ。CDMA端末が増えて景気浮揚になればウェルカムではあるのだが。

欧州キャリアの元気の無さは、元を辿れば機器開発メーカーの規格実現までの誤算により陥ったといえよう。無論元気が無いのは、3G免許を取得してしまったいわば紙くず同然になった権利を行使して赤字経営をしなければならないのかどうかという点に帰着しているようだ。ようやく作れる状況になってきた規格に基づいて相互接続性テストが本格化してきたというのが実情なのだが、世の中の期待は飽和してしまい、一気に詰まってしまったようだ。バブリーな世界平和に帰着している経営バランスが同時多発テロで一気に露呈してしまったからかも知れない。

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業界独り言 VOL182 仲間との意識共有 発行2002/9/29 米国

何をしに三週間も出張に来ているのかと言えば、幾つかの複合的な理由がある。本来ならば個別に往復するところなのだが、航空券の費用も身体への負担も高くつくので途中の一週間は通常の作業を米国で行うことになったのである。お客様と協同の作業が先週の一大イベントであった。デザインレビューの実施なのである。キーカスタマーへの注力は着実な展開を図って、米国技術者のリソースを最大限に活用してもらうという意味においても訪米してもらうのがベストなのである。枯れた商品であれば、そこまでする必要も無いのだが新分野の商品技術を適用していく上では慎重を期するのである。こうした携帯電話業界にあってビジネスクラスで五名の技術者を送り込んで来られたメーカーの意気込みもうかがえる。

広範にわたる携帯電話技術において、提供する技術範囲も広がりを見せてきていて三年前にジョイントしたときには手薄に感じられていたアプリケーション開発にも専任部署が生まれていて、チップ開発部門と共同で分担するようになってきた。しかしながら、チップ部門で彼らのミドルウェアを提供する上での理解については実際にアプリケーションを開発していないメンバーにとっては理解や意識を共有することは難しいように見受けられる。実際のお客様の開発支援作業をしているとお客様からの素直な質問の投げかけが、互いの責任分担をクロスオーバーすることが発生した場合も含めて提供している技術については相互理解を進めておくことは肝要である。

クロスオーバーしている範囲の仕事を進めていく上での壁は、仲間に対して「なぜ、その活動が必要なのかを言明しておく」という事さえしておけば、オープンドアな文化であるので事業部が異なっていても問題はない。互いの意見交換をしていく上では、ホワイトペーパーの交換ならびにミーティングが必要であると思う。今回は、お客様支援の週の後半に当該事業部の仲間も米国に来ていることもあって予めマネージメントを通じて意見具申をしておいてミーティングを取りつけておいた。チップ開発という立場でプロトコル開発に注力しているQuad社ではあるが、アプリケーション開発というスタンスでの理解については部品事業部ではもう一息という感がある。

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業界独り言 VOL181 携帯電話開発の行方 発行2002/9/28 米国

この間の三連休ではあるが、例によって米国への移動で休日を浪費していた。細君にしてみれば、身勝手な会社だと映っているのかもしれない。亭主元気で留守がいいという向きにあっては良い会社に見えるのかもしれないが。Quad社に転職してから三年たち、四年目に突入した。国内のアプリケーション事情との整合については支援を通じて、片鱗が見えてきた。詰まるところ各社共に行き詰まっているのが実情なのである。といってQuad社が提示したような アプリケーションプロセッサという概念によるものまでは受け入れたくないという我が儘な状況でもある。携帯から一足飛びにPDAといったような物に変わるのは時期尚早という判断でもあったのだろう。

日本の三連休は、ハッピーマンデー法案の成果でもある。秋分の日は丁度月曜に当たっていたわけだが・・・。西海岸の会社との関係でいえば、月曜日が休みというのは実質的にも、時差の関係もあり本社が日曜日の時に休めるので丁度よいわけだ。月曜日に移動して月曜日に到着するので、毎週の定例電話会議には米国からの参加が出来る。端末開発に向けたプラットホーム提供という意味においては、国内各社にも同時に供給して適時に製品が出せることから、ある程度はビジネスモデルとしても成功しているといえる。幾つかの特異例が課題としてはあるのだが・・・。

国内のメーカーは、携帯電話の回収騒動を経て、ソフトウェアの試験による品質確保に重点を置くようになっている。あるメーカーの弁を借りれば、「チップと最終ソフトが提供されてから半年かかります」というのだが、多くのメーカーが同時進行で開発を進めている中では、機種リリースが一巡してからの機種提供になってしまう。それでも独立独歩でだしていく姿は明快で潔い。自分たちのペースであるからと承知の上での開発なのである。こうした現場の状況と、そのメーカーの技術トップあるいは経営トップからの意見は必ずしも一致はしていないらしい。皆、積み上げたソフトウェアシステムが安定に稼働させるための技術については待望しているのであり、現状の中ではテストで品質を確認してからの出荷という形態しかとれないという判断なのだ。

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業界独り言 VOL180 技術者の楽しさ

日曜の朝、朝刊を取り込むと昨日取り忘れていた日経エレが入っていた。最近の話題は、携帯電話の低迷は既成事実となっていて記事にもならないようだ。そこへ今の旬の話題はJPEGの圧縮技術の特許の話である。国内の技術屋の意識向上を狙ってかプロジェクトXのような取り組みがうまくいった事例の回想話となっている。今苦しいという状況の中で奮起するような材料になるのかどうかという点については私には疑問に思える。歴史を紐解くという観点で当時の状況や背景を一面的に捉えてしまう危険性について編集では気にしてほしいものだと思う。景気のよいガツンとした記事を期待する向きが、編集指針にあるのかも知れないのだが。

携帯電話の開発状況がどのようなものなのかは、求人広告を見れば一目瞭然となっている。ここまで急速に冷え込んだのは何故なのだろうか。チップビジネスを展開している立場からみると国内の異様とも思える冷え込みぶりと自分達のチップの状況との間に相関性が取れないので、おそらく米国本社ではこうした雰囲気を感じ取ってはいないのだろうと思う。もとより日本市場の小ささは、CDMA本家から見た場合には蚊帳の外でもあった。PDCという特殊状況の封建制に守られた国民性もあったかと思う。まあGSMなどにしても、自国有利に導くための方策であったとみれば同じような状況にあるだろう。

今一番元気なのは、セットメーカーではなくて部品メーカーなのかも知れない。携帯電話の開発に従事していた知己は、無線システム開発能力を買われて高周波半導体開発の中心に移籍したようだ。ユーザーは今までの自分達の同僚であったり、また他社の携帯電話メーカーであったりするようだ。部品メーカーにとってはセットメーカーの経験が薄いために、ユーザーが感じ取る悩みなどに対する技術的な助言などが出来にくいという事情がある。そうした中で彼のように中心となって携帯電話を纏め上げてきた高周波技術者というスキルマップは有効活用されているようだ。大きな会社グループとして、部品事業や携帯電話までをカバーしている場合には殆ど転職というような状況にも関わらず「異動ですか」の一言で片付けられてしまう。

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業界独り言 VOL179 有望な?履歴書

携帯業界の元気の無さとは裏腹に、今Quad社では求人活動がホットなのである。といっても求人雑誌に大々的に打ち出すといったものではない。というのも昨年一度やってみたりした成果からもアプリケーションエンジニアという呼び方で私達の仕事を括るのがどうも難しいらしいということ。また、必要なスキルというものが中々満たせないものであるらしいこと。そうしたモノを満たす人は、日本的な風土の会社に結構染まっていて転職しようなどと考えないという事などが判っているからでもある。

といいつつも、この三年余りの間にソフトウェアのアプリケーションエンジニアの規模は7dbも向上しているし、ハードウェアのアプリケーションエンジニアも6db向上しているのである。我々のビジネスモデルというものに照らしたバランスを取りつつの拡大ということがひとつの足かせでもあるし、先に述べたような日本の技術者の保守性などが理由にあげられることだろう。私も以前の会社での自分を振り返ったり当時の周囲の状況などを思い返すことで納得したり吹っ切れたりしているのも事実ではあります。

CDMAの技術によるチップソフトの開発提供と方式ライセンスで、食べているQuad社というものの実像は実はあまり書籍にもなっていないのが実情でライセンシーの方々が特許開示やら技術契約に基づいてチップやソフトのサポートを通じてしか知りえていないというのが現状かと思います。私達の会社での常識とは、ソフトウェアの技術者であれば、C/RTOSの知識を保有しているという前提に立ち、携帯電話を構成する通信方式のプロトコルあるいは無線制御、デバイス制御、音声音源制御といったことなどの何か要素技術を核としてひとつ以上保有して英語圏の会社としての開発活動をフラットなオープン組織で進めているというものです。

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