電源ボタンを長く押すと、内部ではshutdownコマンドが発行されます・・・・なわけは無いか。cursesライブラリで画面更新・・・っていうのもなんだかな。マルチメディア処理も含めてアプリケーションプロセッサに潤沢なリソースアサインをして端末のバッテリー持ちは、PDA並で・・・という訳にはいかないしな、やはり頑張らんといかん訳でクロックを下げても動作するような結局はアプリケーションコードの質を上げるしかあるまい。鈍重なコードを書いてしまってリソースを使っているようでは消費電流もおぼつかないのでね。というような会話が始まりそうな時代になってきた。まさか、個人の携帯電話にUnixのような環境が似合うのだろうか・・・という愚問はなしだ。既にシャープのザウルスにはlinuxが搭載されている。状況からだけでいえば、各社が携帯電話の為に開発してきた独自のMiniWindowsのような環境の保守ならびにそこへのアプリケーションの流通性や利便性を考えての対応だろうと思うのである。
知人の知り合いに、Linux環境の構築などに明るいソフトウェア技術者のM嬢がいらっしゃる。メーカーでの研究所の開発研究作業を支援するという職歴を経るなかで独特の技術文化形成を行ってきたようである。Naviの開発などではWindowsが搭載されたりするなかで研究所という機能に求められるものは、新技術の実用化プロトタイプまでの開発というのが最近の流行なのだろうか。彼女もそうした流れの中で、研究所に課せられた課題を主体的に走り回るというソフトウェア開発仕事に没頭しているらしい。予め断っておきたいのだが、彼女は知人の知り合いであって直接の知り合いではないのだ。だから、私がここで書き連ねていることの多くは私の想像の域を出ないのだが、出典となるようなネタは知人経由での情報であったり業界の動きからの類推であったりする。
ソフトウェア開発技術者として、メーカーに出向して仕事をするのは日本では、ごく一般的なことである。一通りの仕事が任されるのかどうかということについては派遣先の文化に依存するようだ。Quad社には基本的にサブコントラクターは居ないので、仲間達と一緒に日本に訪問してお客様の支援をするときに皆が吃驚することのひとつでもある。お客様の仕事の仕方として通信バブルが弾けてからというものの、ソフトウェア開発業界自体は買い手市場に変わってしまったようであり、元気なお客様のもとに集うように変わってきている。業界が減速あるいは失速しているなかで開発費用のデフレーションも始まっているようなのである。アプリケーション開発をしている上での指揮者自体は依頼元の開発技術者であるべきなのだが人材不在なのか、育成教育の不在なのかとんでもない担当者しか居ないケースもあるようだ。