業界独り言 VOL225 自律するソフトハウス

携帯ソフト開発のビジネスモデルの変革期に差し掛かっているという認識は、発注元以上に強く認識しているのがソフトハウスだ。知己のソフトハウスも違わず、発注元からの発注高の減少に迷走しているらしい。開発要請に応えて拡充してきた開発部隊であり、そうした従来のイケイケムードは無くなってしまったらしい。ある開発規模を契機に投下工数の関数が指数的に伸びるようになってしまったらしい。無論こうしたパラメータはソフトハウスと発注元の会社のビジネスモデルとの相互関係によって成り立っているのでソフトハウスに非がある訳ではない。あくまでも発注元の要請に応える黒子なのである。発注元での開発実績程度がソフトハウスが会社概要に掲げられる範囲であろう。同業他社に開発人員を提供した場合には業務機密保持という壁などが厚く立ちはだかるのがソフトハウスビジネスの難しいところである。

ソフトハウスの積極策というと、実績を武器に同業他社に展開していくということでもある。社内的にはノウハウを共有していくという姿がソフトハウスの開発効率を高めてひいては、発注元にとっても魅力的なものとなる・・・というのが日本的なモデルといえる。そうした事を狙って知己の会社を紹介したこともある。端末開発を闇雲に進めているお客様にとっては経験深いソフトハウスを紹介することは福音に聞こえるようだ。まあCMMのレベル5の会社への発注が功を奏しないという事実も確かにあり、発注元のビジネススタイルに成果が依存してしまう嫌いがあるのはしかたがない。ソフトハウスが受託開発をしても版権が納品先に残り、瑕疵対応といっても次のビジネスを受諾する中で対応していくというのが、実像として見えてくる。ソフトハウスが攻勢に回れないのは、そうしたことが背景にあるとおもえる。

開発効率の改善を目指して、さまざまな技法などが編み出されているにも関わらず、実際の開発に際しては抜本的な手が打てないでいるのは、ソフトウェア技術者の保守志向が挙げられるのではないか。確かに近年発生した携帯電話の回収騒ぎに端を発する問題で、「携帯電話の信頼性」についてはPCソフトと同列に扱えないほどの領域に行っていることがあげられるかもしれない。回収し対応する費用は数十億円にも達するといわれているのであっという間に利益も飛んでしまうのが実情でもある。開発費用が端末コストの大半になってきた昨今開発コストの削減のためにハードコストの増加には目を瞑ろうとしている動きがつい先日まであったほどだ。残念ながら、そうした過保護な状況が破綻してきたのが現在でありアプリケーションの効率的実装についてハードソフトの両面から軽量化戦略が生まれつつある。

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業界独り言 VOL224 好奇心は推進力 発行2003/4/28

B型の技術者だけではないだろうが、ソフトウェア技術者の方には好奇心を持ち続けてほしいものである。最近の雑誌SoftwarePeopleの二号で特集に組まれていた「ソフトウェア開発で伸びる人、伸びない人」という項でも書かれている。カスタマーから降りてくる仕様に基づいての仕事しかしないという選択しかないという状況もあるのかもしれないが、上司も含めた経験のない仕事を受注するということには、そうしたビジネスモデルでは到達しえないはずである。ソフトウェア開発に従事する人たちが頭が固くてどうするのか・・・という思いは最近では通用しないのだろうか。柔軟にいろいろな答えがあるのはハードもソフトも同様であるはずで、その中でカスタマーニーズに照らしたシステム設計開発を通じて実装していくということになっている。

我が家は、現在自宅を新築建築中である。ようやく手に入れた土地に合わせて建てるためには、注文住宅で、作るしかなくシンプルを目指した設計を設計士の方と進めてきたのであるが、プランニング段階では、3DプランナーといったPCソフトで内部の配置などを構造を無視してつくりあげた。これは、いわゆるカスタマーの仕様ということになる。設計士の方が、これの仕様に基づきいろいろな工法や部材の選択などをして設計図を仕上げていく。設計図面には、こうした設計士の方の思想がびっしりと書き込まれていくのである。こうした設計図面に基づいて、工事を実施施工する建築業者との現場の打ち合わせなどを通じて具現化していき最終的に建築物となっていく。リソースである建築費用や、現場の諸条件といったものをクリアしつつということになる。

住居の設計というものにおいては、土地の状況といったものに根ざした工法上の制限といったものや設置する家具なども大きく影響する。細君が選択したシンプルなシンクは、ステンレスの一枚もので溶接されての仕上がりは長手方向で3m弱といったものであり、組み立て済みの形での搬入とするということらしかった。土地から制限された条項はなにかというといわゆる旗のような形の土地で入り口のアプローチ部分の幅や長さ、またその道路との接合部までの上り坂などといったものが影響する。横浜の谷戸に位置する地形からは隣接する段差の住宅などとの条件から1階部分についてはRC造りあるいは擁壁の設置などが要求された。コンクリートの打ちっ放しが出来るということから二もなくRC造りの1階に木造の二階が載るという混構造という工法になった。しっかりとしたコンクリートの1階は細君の要望から旗竿部分のアプローチから玄関が直には見えないようにした。

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業界独り言 VOL223 ASMからCへ、そしてCから

最近の若い技術者の教育においては、機械語やアセンブラを教えずにC言語でそうした制御を行わせるらしい。まあ、メーカーの技術者にとってはソフトウェア仕様書が処理手続きの言語であって、C言語は機械語であるのかも知れない。メーカーによっては、ポインターの使用を禁じているところもあるらしい。ポインターを使わないという選択肢を選ぶ限りにおいては、C言語での利用は安全なものとなるのだろうか。ある意味でそれを狙っているのならば正しいのかもしれないが、配列とループで構成されるソフトウェアを見ても何も感じない感覚に陥ってしまう人たちを指導したいのならば機械語を正しく教えることは必要なことだろう。「最近はマイコンが速いから関係ありません」などと仰る人はパソコンアプリの開発に従事しているからだろうか。

組み込み開発という世界は、それぞれのターゲットアプリケーションを実現する上で必要なシステムを構築するということである。自動車電話というシステムを構築するために、当初はマイコンなど存在していなかった。マイコンの代わりに構築されていたプロトコルを処理実現するための制御コントローラを起こすことから始まっていた。RCAの4000シリーズなどで作られたコントローラはプログラム機能を持ち弁当箱程度の容積をそのためだけに必要としていた。後年にも画像処理の世界でも同様で、TV画像処理のエフェクターを開発していた先輩技術者は、高速なビットスライスプロセッサーを組み合わせて使って専用のマイクロプログラムを書き起こしシステムを開発していくという時代でもあった。ハードもソフトも開発していく・・・。組み込みソフトの起源は、こんな風景から始まったといえる。

アセンブラや機械語という世界から高級言語の世界が組み込み開発に登場してくるのには、高速なマイコンか高性能なコンパイラかの二つの切り口が必要だった。また、割り込み処理とメインといった組み合わせで実現していたシステムに高機能を持ち込んでいくためにはTRONなどのRTOSが必要となっていた。そうしてC言語とRTOSの両面が組み込みソフト開発を新たな開発に導いてきたのである。現在では4ビットマイコンなどで開発していた家電調理機器までも8ビットあるいは16ビットマイコンなどでC言語で開発しているらしい。開発効率や性能がバランスが取れてきたことが背景といえる。マイコンコードとC言語の期待する動作振る舞いの差異などをノウハウと考えていた時代から、最近ではC言語のコード効率が最良になるようなハード設計がなされるようになったりしている。

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業界独り言 VOL222 リセット以降main以前

昨日は、坂村先生がプロジェクトXで取り上げられていたのだが、相変わらず元気に取り組まれているプロジェクトリーダーの姿をみて安心できた。問題となる組み込み開発の歴史の中で、日本が活躍していける余地がどれほど残されているのだろうかという点でプロジェクトXの主題となっている部分が気になっている。プロジェクトXを見ている視聴者が、実務を経験してきたものたちとしてその事実を次代の若者に伝えられるのかということ。次代を担うべき若者たちは、こうした事実や歴史について関心を示すのだろうかということ。確かに番組作りとして、進められてきたTRONの締めくくりをPCから携帯で台数ベースで世界に伍するようになったと結ぶのも良いだろう。しかし、基礎技術が必要だと説いてきたOS開発の中核技術者たちのメッセージを会社として本当に理解しているのだろうか、そうしたことの裏返しが組み込みの現場での問題の源流になっているのではないのか・・・。

製品の核となるOSについてリアルタイムOSの一つとしてTRONがあることについて異を唱える人はいまは何処にもいないだろう。実際の海外のOSベンダー自体もオープンなAPIあるいはソース公開といった形でTRON仕様のOSを提供しているのも普通となっている。ではOSが公開されたことで、これを自分たちのアプリケーションに特化させるように取り組めるのかどうかという点については、各ユーザー側の課題である。アプリケーション設計者が考えずともOS技術者が対応しているので製品性能は保証されるといった形が求められているシナリオだったはずだ。たしかに番組でもそのようなコメントが為されていた。タコなアプリケーションがいたとしても性能に影響なくOSが介在してバッテリーの持ちが確保されるというはずだったのか。各メーカーが似たようなものを開発することなく共通基盤の上に立ち特化させれば良いというのがTRONの精神だったはずなのだが。

リアルタイム処理の設計が出来るのかどうかという点が組み込み開発の肝の一つであるといえるし、またそうした中にもうまく言語処理ベースでの機能などもうまく使いこなせるかという点も求められているのである。これらが互いを意識しないことなどから実際の製品開発としてその製品のための基盤を立ち上げる最初の過程こそが要素技術蓄積がものをいう場面といえる。言語処理とOSの話に入る前の話題としては、昔でいうところの「C言語のROM化」という話題であるといえる。言語処理系が提供するライブラリやブートストラップコードの振舞うmain関数以前の事などがそうした話題の中核といえる。出来上がったプラットホームで設計するアプリケーション系の設計しかしない技術者では注意を払わない縁の下の技術でもある。開発の主体がアプリケーションに移っていった昨今ブートストラップ的な要素のケアが薄いのはいたし方ないことなのか。共通要素は動いて当たり前といった扱いで評価が薄いのは、眼に見えた売り上げをお客様から上げられないからなのだろうか。

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業界独り言 VOL221 デジカメと携帯の違い 発行2003/4/13

二つの異なる業種のメーカーがデジカメという業界で出会い、レンズの開発の分担と高密度設計生産の分担というコラボレーションを成し遂げて異なる魅力的な商品開発を成し遂げているという事例が出てきた。携帯電話という商品もいまやカメラ付きでなければ売れないという状況にあるらしく玩具のデジカメ程度の解像度からメガピクセルに移行しようとしているようだ。デジカメのメーカーの中には、携帯電話の開発生産をしているメーカーも多いのだが、最近はデジカメ業界自体も淘汰されてきたようで猫も杓子もという状態ではないようだ。電卓のような状況は過ぎ去ったようだ。デジカメをはじめて世の中に送り出したというメーカーも電卓の雄であった。次の携帯のコンセプトは、デジカメと携帯の融合なんですとかつて語っていたのを思い出す。そんな会社がレンズメーカーとのコラボを成し遂げたのはうれしい限りでもあった。

さて携帯電話での状況を見てみると、そんなコラボという姿には中々到達しないギクシャクとした状況が続いている。たとえば3G端末の開発の難しさに加えてさらに政治的な難しさを追加してしまう状況が、日本仕様と世界仕様の共用モデルには存在する。国際仕様として次々と出てくるCRの追求と過去のスペックでの動作との共存という範囲で動かしていく国内での実用システムの稼動という条件がその状況の一つである。開発費用の負担という奨学金のような助成制度が通信キャリアからメーカーに向けて出ている状況もそうした難しさを顕しているといえる。ビジネスモデルとして成立していくのかどうかはユーザー次第ともいえるしメーカー次第ともいえる。開発費用の分担で端末開発費用に占めるソフトウェア費用が下がるという効果を期待しているのであれば、それは幾ばくかの効果があるのだろう。開発整備された共用コラボレーションというビジネスモデルは、中々携帯ではうまくいかないように見える。

携帯電話の開発をしているメーカー間の差が見えてきてもいるようだ。あれほど人員投入を繰り返してきたメーカーが、社内から赤紙召集してきたエンジニアをリリースし始めているようだ。先端分野への異動は、個人の希望と企業方針での赤紙召集の二つがあるようで、赤紙召集と中途採用とを繰り返して飲み込んできた人材を使いきれないという状況ではないと思うのだが開発テーマの絞込みといった状況が思い浮かぶのである。悪く言えば人あまりとなっているのかも知れない。人材派遣業界としての側面も大きいソフトハウスなどにおいてもプロジェクト失注といったことになり、こうした情報を買い叩き材料にして人をまだ集めようとしている会社に吸い込まれたりもしているらしい。携帯電話開発のバブルは確かに弾け始めているらしい。

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業界独り言 VOL220 肩の力を抜いて

日曜日の朝から前日移動の出張で国内を飛び回るのは今年の初めから続いている。今日は、博多の町に来ている、桜は葉桜になり始めている。昼前の飛行機の移動になるのは同行するサンディエゴの仲間のホテルのチェックアウトの都合でもある。彼らを引き連れて次の目的地に運び一緒に翌日から試験を始めるというのが私の仕事の一部でもある。国内メーカーで働いているとき以上に国内の出張も多いのは仕事が集中しているからでもある。大阪で今年宿泊した日数は一ヶ月近くになりそうだ。既に、大阪のホテルのドアボーイには顔が売れてしまっているので到着した段階で名前を呼ばれてしまう状態だ。まだ、博多での仕事は大阪ほどではなくてホテルでの過ごした日数も二週間あまりではある。まとまった休みを取れるのは来月だろうか。

大阪で過ごした中の多くは開発現場の中でのお客様支援だったり、実環境での試験走行だったりしていた。昼夜を問わず効率優先でタクシーで支払った金額なども、相当な額となっているだろう。毎月の給与で増えていくはずの預金残高の伸びが悪いのは自身の清算手続きが滞っているのが理由らしい。それでも住宅建設で必要な資金などが赤字にならぬよう追いかけて処理するのだが、出張先で手続きをしなければならないのは確かだ。十日までに処理をしないと給与日前には振り込まれないのは、いずこも同じだろう。都内でも同様な試験を続けているので大型ボックスタクシーに機材を積み込みPCを覗き込みながら日がな走り回っていることも貴重な経験といえる。試験チームがドライバーとの会話を必要とするために乗り込んできたので、実務を助手席などで続けつつ走るのはかなりタフな仕事といえる。

私の仕事の説明をするのは難しいかもしれないのだが、そんな背景を理解してくれようとする旧来の仲間が一人、ここ福岡に住んでいるのだ。彼は、場所が幾ら離れていてもすぐに打ち解けるある意味で合わせ鏡のような友人といえる。地域の商店会の専務理事を兼務されている同期のKは書店経営をしている。博多での作業が続く中で、彼のお店にお邪魔するのも三度目となった。あらかじめお土産の希望は、伺っていたので羽田空港で買い込んで乗り込んできたのである。日曜の前日出張はゆとりともいえるのだが、あいにくと手配しなければならない機材がいくつかあった。最近はついていないシリアル端子が必要なのでUSB接続型のものを二つと、最悪の場合に備える意味でのデバッグ用の電源である。端末をJTAGで接続する際にはバッテリーを外してアダプター装着するので安定化電源が必要なのでした。

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業界独り言 VOL219 春が来た 発行2003/4/5

花祭り・・・お釈迦様の誕生日である。鉄腕アトムの誕生日も近いらしい・・・。春は名のみではなく、確かにこのところの暖かな日々を見ていると実感するのである。春には歌が詠いたくなるのであろうか・・・フォークソングなども多いのは確かだ。ゆっくりと音楽に浸る時間が取れるようになれば、パソコンにつないだままのMP3プレイヤーも本来の目的に使えるようになる。FlashMedia代わりに利用しているMP3プレイヤーは今となっては型落ちの64MBのUSBタイプではあるが、お客様とのデータ交換などには有用なものである。三年前に求めたスマートメディアもそうした媒体であったが32MBという容量では最近お客様のソフトが入らない時代となっている。

引越しの準備もかねてCD整理をしつつすべてMP3に変換しておこうというプロジェクトを個人的には敢行しているのだが、実は古いメディアであるアナログレコードの変換という懸案事項も横たわっていた。CDレコーダーも購入はしてあるので手間だけなのと曲間での加工などの後処理が必要なのと、レコード盤毎に異なる音域の設定などの前処理もありなかなか進まないのも実情である。もう年代ものになってしまったレコードプレーヤをみると当時の活気のあった会社を思い返すのである。レコードの再生には、イコライザが必要になるので従来であればプリアンプないしはプリメインアンプを用いるのだが昨今のAVアンプには搭載されていない。

CDレコーダーと接続したCDアンプにはフォノイコライザが辛うじて残っていたのでこれが利用できるのだが、もう予備となる系統は我が家には残っていない。オーディオと呼ばれていた製品業界は、デジタル化の始まりで広がりを見せるというよりも大衆化を果たしてしまい低価格化の波を大きく被ってしまったようだ。差別化をみせるのは音の好みであったはずなのだが、先に価格レンジから規定される制限の中で売れるための条件を満たせればというような商品の流れになってしまったようだ。数多くあったオーディオ雑誌やらFMラジオの雑誌なども随分少なくなってしまったのである。新入社員のころに磨り減るほどにかけていたレコードなどは予備のレコードを買ったほどだったし買ってからすぐにテープに落としてわざわざテープを聴いていたりしたものだった。

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業界独り言 VOL218 進まない改革

閉塞感のある業界の実態の理由の一つはバブルが弾けたということであろうか。実際バブルの過程で値付けが意図した販路で処分できないシステムなどの場合には量産効果が出る余地もない。そんな通信システムも国際規格に準じたシステムでは従来のPDCシステムの無線基地局よりも安くできるそうなので第三世代のシステム移行でコストダウンが図られるという説は正しいのかもしれない。同一のソフトウェアでどこの国にも通用するというコンセプトもコストダウンに繋がるといえるだろう。大きなコストダウンにより売り上げの落ち込みもあるだろうからリストラになるのだという話も的を得ている。この業界は第三世代という契機を通じて結果として自分たちの仕事を失うような仕事だったのだろうか。

自分たちの付加価値がバブルの産物だったのかどうかという点については、精進している者たちには考える必要もないのかもしれない。リストラにより縮小されて最適化されていく組織の中で自身をさらに適合させて精進を重ねていくものもいればチャンスを求めて外部に出て行く者もいるだろう。自身の可能性を狭めずに広角に捉えていったほうが技術者としてより成功が期待できるのではないだろうか。企業活動の成果が、社会に貢献評価された結果としての報酬であるという考え方の会社もあるだろう。成果がないという事であれば存在価値がないので淘汰されてしかるべしというものだ。自身の限られた人生の中での活動の場を会社を通じての社会貢献と捉えるという思いはある種の宗教観のようにも映る。

一つ気がかりになっているのは、主体的に前向きな開発として進めている組織と流されるままに仕事の仕方を改善せずに負の遺産としてのソフトウェア資産の継承を続けている組織があることだ。確かに個別の開発という期間の中で限定されたリソースの中で手をいれずに古いソフトウェアを使い続けるという方針もあるのかも知れないのだが・・・。果たして残すべき資産としてのソフトウェアなのかどうかという議論が行われているのかどうかが、鍵なのかもしれない。検討もしないで使い続けている理由には、開発した担当者がいなくなってしまったので誰も分からないから・・とか、機能として製品のメイン機能ではないために担当を置く予算がないということなどが一般的だ。概して問題となるソフトウェアのベースは調整機能であったりする。

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業界独り言 VOL217 かみ合わないデバッグ

WCDMAあるいはUMTSという名前で開発されている通信システムは、規格が策定年月込みで次々と実装開発が進められてさらにその間に発生した変更要求(CR)の盛り込みとを合わせた形でようやっとベースとなる規格として扱うことになる。残念ながら、さらに規格の中でいくつかのオプション選択が可能となっていることや、規格の解釈相違などが現実にはありこうした問題点を切り分けつつ開発を進めることになる。自由な規格という性格が開発を難しくしているのは明らかであり、時限を切られた開発を進めていた日本などが暫定規格を採用通信キャリアが決めて進めることになったのはいたし方ないことでもある。また、通信規格とは別に通信キャリアが策定する仕様というものが別に存在するのでアプリケーションや検証といった目的の作りこみは、これらを解決して実現することになる。

国内の通信キャリアが、グローバルスタンダードとして採用したUMTS規格での第三世代は親会社となった欧州通信キャリアの意向なども加わりさらにGSMとの共存などの色合いが濃くなったのは納得のいく流れである。既にアプリケーションレベルで写真メールなどがGPRSベースで流行を始めたというのは日本発の技術という意味でいえば喜ばしいことだろう。国内でPDCをサービスしているにも関わらずGSMとの共存を追及していくことでPDCからのスムーズな撤退ということなども将来には考えているのかもしれない。通信コストの削減やグローバル化を目指しているという姿は、通信容量不足に追い込まれたトップキャリアの背景からの相違なのだろう。デュアルバンド実現という技術的な課題には、日本規格で既に実現しているPDCでのデュアルバンド化などの観点から無線的な技術解決については果たせているようだ。

赤いボディで既に市場に登場したGSM対応のUMTS携帯電話にはSIRを考慮した設計からなのかアンテナが口元についている実装となっている。当然SIRの危険性という面から見れば頭が温まるよりは舌や口が温まり饒舌になり通話時間を延ばすという期待もあるのかも知れない。二つの異なるバンドと通信規格の双方を実現するという目的には内実は大変な技術的な内容があるようだ。技術者の方や通信キャリアの評価する方たちはなぜか、使い方を不自然にアンテナを有効に使えるような形で配置したりしてデータ伝送の試験をしていたりするのは妙なものだ。それだけ性能評価などが難しいということもあるのかも知れないのだが・・・。性能評価を妨げているのは、無線性能評価を左右する無線区間の設計などがインフラベンダー毎に異なっていることも背景にある。各地域毎に分けられて異なる通信インフラメーカーの機器が納入されているのはUMTS規格を共通のより所にしているからということでもある。

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業界独り言 VOL216 初めてのC

携帯端末の開発支援をしていると不思議に思うことがある。通信機メーカーあるいは電機メーカーに入って携帯の開発に従事したいと願って叶った結果の仕事に就いているはずの有望な若手が実際の開発に携われないのである。仮にS君という名前にしよう、彼は電機メーカーに入り携帯電話の開発に携わりサンディエゴのQuad社にもお客様トレーニングの一環として訪問された方である。英語も堪能であり、技術的なセンスも中々の有望な若手といえる。そうした彼らを中心として構成された開発チームを見るとピラミッドのよう全体に広がる次の階層のエンジニア達の殆どは制服の違う人たちなのである。彼が実際に詳細設計やコーディングまで手がけたソフトウェア開発モジュールは大きな特色のある通信機能であり、彼はその開発取り組みに燃えているという印象がサンディエゴで会ったときには感じられた。

そんな彼に日本での支援作業の中でお客様として付き合いあるときは深夜に及ぶ作業の中で技術者の先輩としての話なども心割って話したりするような機会にも恵まれた。今、彼は手がけた端末の通信性能担当ということになり主にデータ通信機能について取りまとめをしている。童顔に見える彼ではあるものの実際まだ28歳ということで入社して六年目という脂の乗っている時期ともいえる。六年目であればかなりのソフトウェア開発をこなして実際のドライバーレベルの設計から始まりおそらくシステムあるいはサブシステム開発の取りまとめまでを経験しているというのではないかと想像していた。しかし、実際に彼がソフトウェアのモジュール開発に携わったのは今回の機種の特殊通信サブシステムが初めてということだった。そして彼のはじめてのCプログラミングであり、またシステムプログラミングだったようだ。

ごく日本的なというと、語弊がありそうだが、おそらく技術的に難しく実証確認が必要な通信機能ということで彼に白羽の矢が立ったのだと理解している。そして取り組み性能チューニングや実証確認を通じて目鼻がついたところでお決まりの話であるところの「引継ぎ」が発生してマネージメントに戻されたのではないかと推測している次第なのだが果たしていかなものだったのか。確かに見せてもらったそのコードには、真摯な取り組みの格闘のあとが見て取れるし幾つかの部分にはコーディングスタイルなどが、統一されていなかったりするのもそうした状況から致しかたないことだろう。HLDに終始するのがメーカーの技術者であるにしても、モジュール開発の経験がある程度は必要なことは自明な事と思うのだが、なかなか急成長に立ち上がった部門などでは、実現できない点なのかもしれない。そこまでケアする余裕がないということなのだろうか。

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