業界独り言 VOL255 懊悩するエンジニア

忙しさが、一段落して次の段階を模索している。新規開発のお客様の登場への対応や、新機能の実現への戦略など肉体活動とは裏腹に頭脳活動が忙しくなっている。商品化最終段階を迎えるお客様との開発作業には、精神修養の場とも思えるような精神活動も必要であり肉体活動も厳しい状況を迎えてきた。そんな状況をクリアしてからの現在では、次の段階として過ちを繰り返さないためのソフィスティケートされた取り組みへの切り替えなどの戦略が求められる時期でもある。自身の解析能力の蓄積以外にも、人間分析などの素養が求められる求人採用活動などもスケジュールを埋めている昨今である。平日の出張はないものの、会社帰りの夕食がビジネスミールとなってしまう傾向にある。

そんな中で米国在の知己が国内に来ているので夕食を一緒にどうかというVPからのメールが、今まさに自宅に帰るコールをしたときに入った。内容を確認の上、自宅にキャンセルコールを入れて待ち合わせ場所に向けて、帰宅ルートを変更した。地下鉄の方向は逆になるもののどちらに乗っても自宅への帰宅方向に影響はなかった。渋谷駅の上に作られた新しいホテルのロビーでVPや知己と合流して高層階のレストランに向かった。プリフィクスディナーを取りつつ、再会を祝いつつ近況のアップデートをしていった。知己のやってきた仕事はある意味で私の乗らなかった前の会社の仕事でもあり、ある意味で別の歴史の流れを見ているような気持ちも入り混じっていた。私の予測が正しかったかどうかは不明だが、出来た成果に満足している知己の姿は、すがすがしく思えた。

新たな米国でのビジネスに向けて取り組もうとしている、知己は自己の確立した米国の仲間達とのビジネス確保という責任とともに、日本の会社を通じての貢献という目的に則った落とし所を考えているらしい。部長クラスの彼に寄せられる期待は、そのまま会社活動の戦略そのものでもあり、彼が元気に仕事が出来ないような会社では、続く部下達が未来が描けるはずもない。彼を支えている現場のエンジニア達と、彼が考えるお客様への将来の貢献とのマッチングを図っていくためにも彼の感性に会社が期待しているのだろう。彼との会食が、お互いの感性の爪とぎといった目的として意見交換をしているのが、会社のビジネスミールにしている理由でもある。相互に悩むテーマがあり、何か新しいきっかけやアイデア探しをGive&Takeで考えているのである。

会社としての仕事の範囲や方向を思い込みで狭めていたりはしないだろうか。特定の通信キャリア向けの仕事に打ち込むという一途さをもって会社としての誠実さだと思っているのかもしれない。しかし閉塞された政治的な状況の中でブルーな気分で企画を悩んでいても仕方がないのだとおもう。ビジネスチャンスとして捉える範囲を自らの会社の技術蓄積に基づいて方向是正していくのならば、なにも悩むことは無いのだろうと思うのだ。端末の開発などの効率を如何に改善していくのかという命題を実際のビジネス展開の中で最近は考えていくようにしている。難しい条件のお客様であればあるほど考えることは楽しいものである。色々なアイデアを提案していくうちにお客様自身も悩んでいたことから開放されて頑なな考えから一歩踏み出したりもしてくれたりするのである。

複雑化してきたデジタル化ネットワークの中で、どの通信キャリアのシステムもブロードバンドを目指して変わろうとしているのだが相互接続の壁は中々埋まっていないようである。お互いにネットワークとして存している限りにおいては、このネットワーク相互接続という命題を考えていくには積極的な理由が無い限りは進まないものである。ユーザーの視点から解決を図っていこうとした場合には、むしろネットワークよりは端末からの視点のほうが自由な発想に立てるものであるとおもう。最近マルチモードに対応したチップセットを開発提供しはじめてからは相互連携するような機能をユーザーに高次元から使わことが出来るような設計に変化してきている。なにせ相容れない競争しているキャリア同士の方式の双方に対応したり、あるいは電話とLANの世界の接続のような話が日常となりつつあるのだ。

WCDMAの第三世代目のチップとソフトのトレーニングを行うことになったのは、なんだか意義深いような気がしている。予期したように、もうプロトコルの解説などの項目はなくなっている。開発の中心はアプリケーションの実装に軸足が完全に移行しているのである。アプリケーション開発の仕事がお客様の開発費用の七割くらいになっているのではないだろうか、残った三割でハードや接続試験やプロトコル確認といった範疇になっているのである。無論、自社開発している方の具体的な数値は無いのであくまでも現在知りうるお客様の概観としてだが・・・。三年前頃にやっていたアプリケーションのためのプロセッサ開発自体は、お客様のアンタッチャブルなドメインを侵犯してしまったらしく折角の技術開発成果も利用されることはなかったが、しかし暖めてきた、こうした技術が花開く状況まで続けていたのである。

デュアルチップで提供しようとした段階でお客様から否定された理由づけの項目に悉く現在ではお客様自身が陥っているのである。やはりモデムプロセッサの上でアプリケーションとモデム機能の両立を果すべきというのがお客様から学んだ我々のテーマだった。このテーマに取り組んでこれたことはチップメーカーとしての次を考えて必要なことであった。チップセットの設計ルールの細密化により高機能化とともに果すべき内容をお客様の一般化した形での機能を出来るだけ安価にカバーしようというのがポリシーなので、必ずしも日本のお客様のハイエンドなニーズにマッチしないこともある。モデムチップセットビジネスの大変さは、3Gの混沌とした規格のなかで旅立ってしまった通信キャリア達のある意味で標準化の中からのローカライズ妥協の産物でもあるオプション選択の豊富さと様々な解釈を許してしまう仕組みにともなう相互試験コストでもある。

日本のメーカーがチップセット開発を続けていけない理由は、ビジネスとして離陸しない中でのこうした開発費用を端末利益から補填できないからでもあった。加えて通信キャリアが要求する無体なアプリケーション開発の要請が、ますます日本での突出した開発規模の増大につながり破綻が連鎖反応しはじめたようである。なぜか開発を続けてきたCDMA陣営のリーダーという会社のなかでのWCDMA開発という色物扱いだったテーマが脚光を浴びるようになったのは不思議なものである。同根の技術を完成させていくうえで我々自身が学んだものは標準という中での複数のオプションや実装の違いという現実の真摯に向き合ってきた集大成からだともいえる。なぜか私が第一世代のWCDMAチップから支援を続けてきたことは、知己の言葉によればマンガのようだとも言われてきた。自己否定の中からの仕事を通じて現実に辛口に向き合えているのかもしれない。

WCDMAやGPRSの開発といったテーマから今回のトレーニングではカメラ附きケータイの作り方やテレビ電話といった話題にすっかり移行してしまった。しかし、まだ私が昔の小冊子で思い描いていたようなアバタ−を使ったUIを作ろうといった夢のあるテーマにまではお客様は向いてはいないようである。折角のGameマシン相当の三次元描画やサウンド機能があるのに画一的な押しボタン型のUIをグラフィックスで実装してもつまらないと思うのだが、そうしたUIにも1000人月を越すような開発費用のつけが残っているかららしい。考えてみるとバブルの時の残債を抱えている人たちがマンションを処分できないのに似ている。不良債権と認識されて国から処理費用が補填されたりもしているようだが次に繋がる開発なのかどうかを企画を立てる人がナビゲートすべきテーマであるはずだ。ちなみに我が家の新築には中古マンションや中古一戸建てを住み替えてきた歴史が結果オーライとなってきたのは単なる幸運なのだろうか。

引っ越して四ヶ月が経過した、住み慣れる暇もなく出張ばかりが続き最近になりようやく自宅からの通勤が続くようになってきた。見ていると町の風景も変わっているようで、商店街にあったパチンコ屋が四半世紀の営業をやめたという看板が出ていた。寂れつつある駅前商店街なのであるが時代の波に乗れない経過なのかも知れない。かつてははやっていたという商店街だったらしいのだが、さらなる発展を目指して昼間込み合う交通量規制を警察に申請して三時から六時までの時間を車通行を規制することにしたのだが、これがきっかけとなって「不便な商店街」の烙印がおされてしまい廃れていってしまったのだという。廃れたことの証明は、通り沿いの商店の活気のなさからも頷ける。内科医ではないものの症状分析が不十分なまま外科手術あるいは強い薬を打ってしまうことの怖さがそこにはある。

業界独り言 VOL254 YAMAUCHIの謎

組み込みソフトではないが、暇を見つけてはアマチュア無線機の組み込みユニットの作成を手がけている。最近では、見かけなくなった大規模なキットであり、中身は半端ではない内容となっていて、もう中年真っ最中の私としては視力補正機構を付けなければ仕事にならないのも事実である。まあ携帯電話の開発現場とは異なり米粒ほどの表面実装部品0603などの部品を採用している部分までは、ないのがせめてもの救いでもある。そんなキットがあったとすれば、まともに組み上げられる人は数少ないし、ビジネスとして成立するとは思えない・・・。まあ、古きよき時代を懐かしむ世代が暇を潰していくのには最適なおもちゃである。半田ごてを握り、組み立てていくといった風景は、最近ではロボコン参加を目指す子供たちぐらいなのだろうか。

組み上げている無線機には、既に数多くのマイコンが搭載されているようだ。マイコンが搭載されているからといってもPICマイコンなのでI/Oラインと簡単な発振子と電源位しか接続されないのでシンプルな限りである。構造から言えば、各構成ユニット毎のコントローラとしての機能をうまく通信しつつ動作するようになっているものだと感心したりもしている。かつて四半世紀前に遭遇した自動車電話の商用機種にマイコンが複数搭載されていた史実(?)などを思い出したりしてアマチュアが自由に使いこなせる時代に到達したのだなと感慨もひとしおである。ビット同期をソフトウェアで行ったりトーン検出を行ったりといったのが当時のサブシステムの4ビットマイコンの役割でもあった。信号処理と系統制御を行っていたのは16ビットマイコンでもあった。

アナログ無線機で構成されていた時代では、分散マイコン同士が通信して協調動作するといったものではなかった。機能ブロックのハードからの置換といった目的で自由に組み替えられるいってみればCPLDのような位置づけでの使い方だった。周期を計測してトーン周波数を検定したり、低速信号の同期捕捉処理を行ったりといった使い方である。当時の8ビットパソコンなどでもデュアルマイコンなるものも登場してきたのは、グラフィックスなどの機能拡大とメモリ領域の確保といった背景があった。無論各社の対応は巧みに隠し機能を使いアドレス拡張を施したシングルチップ構成もあったし、グラフィックスプロセッサを開発したりといった会社もあった。素直に二個のマイコンを搭載した国内メーカーではメインCPUとのコマンド通信処理で実現していたのだが、通信オーバーヘッドが仇になりゲームなどが作りにくいといった風評もあったのだが、ハッキングして流出した情報は「YAMAUCHIの謎」というものだった。

リバースエンジニアリングなど当たり前の時代でもあり、解析をした結果分散マイコン側にソフトウェアをダウンロードするためのパスワードが”YAMAUCHI”という文字列だったのである。開発担当者の名前だったのかも知れない、キーボードなどのイベントのみを通信経由で実装することでいわゆるインベーダやらギャラキシアンといったゲームの実現が果たせたというのである。シングルであれば簡単なテーマが分散処理することによりアーキテクチャにあわせた実装検討を強いられることになるのは繰り返す事由なのだろうか。低速な8ビットマイコンからアドレスも速度も解決することになった16ビットマイコンへの移行などで、こうした分散処理が集約されたりといったことの繰り返しをしてきたように思い返す。機能部品としてのマイコンのソフト開発はハード屋の仕事だったりするのも常だったりして組み込みソフトの中でも光の当たらない世界だったりもしていた。

アセンブラからCに移行して開発速度の加速と共にメモリ容量も拡大の一途となり、FlashやRAMの容量なども機種ごとに次々と大きくなっていった。PDAに無線機を接続したような機種が登場したりしてモデムとして高い携帯電話を活用しようという動きや、実用的な速度を低コストで実現することもあわせて実現したPHSなどの登場なども携帯ソフトの複雑化を加速したのである。そして4年ほど前のiMODE事件などを契機に本格的に油を注いだ形になったといえる。携帯だけでWebブラウジングが出来たりMailが出来たりといったことをHTMLベースで実現したりJavaを登場させるなど様々な技術が投入されて開発に繋がった。機能競争としてPDCとCDMAとが違った切り口で登場したことなども加速した要因の一つだったのだろう。低速度に特化した言語を開発したベンチャーなども今では標準化の流れの中に埋没しようとしているようだ。

この長い長い舞台の中で大道具は次々と変遷を遂げていったので、使用してきた台本があわなくなってしまった。時代に合わない平屋作りの実写のサザエさんから二階建てのアニメに変えなければならなくなってきた。登場するキャラクタは変わらないのだが・・・。電話帳を開いて電話をかけて、メールをして書き込みや写真を控えたりといったことがオブジェクト連携で実装されるというのが現代のソフトウェアである。500人を超す電話帳に可変長のデータが格納された現在では、まともなデータベースなしではタブで飛んだ瞬間に画面展開できないような実装では受け入れられないのである。そうした基本機能の追及をしている中でインプットメソッドなどへの逆連携も要求されている。メールアドレスフィールドに入れる全角データを半角に変換したり、電話番号の長さや名前の長さといった制限を越えた入力に対して警鐘を鳴らすといった機能も要求される。ダブルバイトでの日本語処理と画面描画などにも細かく要求されることは多いのである。

実はマルチメディアなアプリケーション開発をしていくことよりも、必要なオブジェクトのクラスライブラリを開発してきたことの成果のほうがコスト高くかかって来たのが実情のようだ。「携帯電話用に開発された欧州生まれのOSをベースに1000人月を越すアプリケーション開発費用を投入して出来た成果を次に生かせるのか?」という問いかけは、私達に掛けられた物なのか自問自答なのかもちょっと曖昧のようだ。彼ら自身、成果なのか足かせなのかという自問自答を、開発のベースにしたプラットホームOSを考え直すのかどうなのかということにも繋がっているようだ。Windowsと同様なコンセプトで開発してきたバイナリなAPIが彼らの期待する機能性能を果たすクラスライブラリなのであれば、彼らのアプリケーション開発に投入されてきたリソース自体が無為なことになりかねないという危惧を最初に露にしていた。

モデムチップ以外にアプリケーションプロセッサを搭載して実現してきた人たちが、アプリケーション開発費用として投入してきた開発費用という成果を資産とみているのか、負債とみているのかは微妙なところでもある。いずれにしてもドラスティックなスマートな判断が下せるような日本企業は存在しないのも事実で、破綻した決裁機構の判断なきままに現在の方策を負債と認識した上で現場は動いていくのだろう。ポータブルゲームセットを凌ぐグラフィックス性能をシングルチップで叩き出してきた技術の積み重ね自体に誤りはなく、視点を変えたAPIの拡充が尤も重要なテーマとなっていることを認識していくことが我々の課題でもあるようだ。YAMAUCHIの謎ではないにしてもアプリケーションプロセッサとの処理分担をどのようにするのかについては、意外な答えが待っているのかもしれない。逆に言えば、アプリケーションプロセッサを使ってきたお客様が考えている付加価値は自身のクラスライブラリの移植するために必要な期間との算段なのである。

YAMAUCHIの謎を知っているのかどうか、このお客様に問いかけることはしない。お客様自身が考えるというあるべき姿についての叩き台についてのコンサルティングに向けて私自身もアーキテクトの端くれとしてオプションを揃えたいと考えている。技術的な最良解が見つかったからといって決裁機構の破綻したお客様が選択できるとは限らないからでもある。いずれにしても日本の通信機メーカーをここまで貶めるにいたったのは通信キャリアのビジネスモデルの誤りなのか、ソフトウェア開発管理の失敗なのかはまだわからない。こうした実情を知らずに国のトップがOSのことを論じていたりする姿をみるとサポートしている見識者の方々にも見せないこうした組み込みソフトの背景は、本当に闇の中にエンベデッドされているようだ。デジタル家電を持っているメーカーは少しは潤ったボーナスが出るという景気上向きの状況のようだが、埋め込みソフト技術者がビジネスモデル自身に埋め込まれてしまっている状況からの離脱を考えなければ自身のビジネスの将来を考えられないのだろうと思う。

業界独り言 VOL253 オープンな組み込み開発とは

オープンなものを使いたがる最近の風潮からなのか、組み込みでもLinuxは贔屓にされはじめているらしい。まあ納入先であるお客様から仕様を提示されて使えといわれると断れないという背景も手伝っているようだ。ソフトウェアハウスが中々自立できない背景としては、まずは開発受託という契約のなかで守秘義務や、開発成果物に関しての版権の帰属などの扱いが発注元に残るなどのことがあげられる。開発環境としてオープンなものを利用したからといって、開発スタイルから要求されるクローズな運用形態から、右から左に成果物としてのライブラリなどを自らのものとして提供したりすることが出来ないのである。結局仕様書を起した開発依頼元が営々と保守作業を開発先に依頼し続けるといった形が組み込み開発の一般的な風景となってきていたのである。無論そうした管理作業や企画作業といった高位な開発分担といったものを集約するような自社系列ソフトハウスといったものを擁して柔軟な対応を目指してきた会社もある。

インテグレーションでのトラブルなどを開発現場で見ていると端末メーカー自身が構築するプラットホームというものの難しさというものを具に感じる。多年の経験をもとに蓄積された技術として行われている端末メーカーもあり、開発スタイルとしては少しずつ仕様を市場にあわせてシュリンクダウンして一回の開発成果をグリコのように一粒で何度も美味しいといった仕事の仕方を率先垂範しているところもある。今、そうした端末メーカーは収支も改善したうえでユーザーの好感度も高いといった順調な滑り出しに移行したようにみえるところもある。苦労した開発成果を大事にしていくということは、ひとつの答えでもある。昔からの伝統的なアプリケーション構造から踏み出せないという端末メーカーもある、複雑怪奇とも映る多岐にわたる端末の操作仕様なるものが通信キャリアから提示されているからであり、通信キャリアから提示される新たな機能追加を、ことのほか恐れてしまうのは操作マトリックスの次元が増えてしまうからなのだという。

そうした足枷のない開発というテーマがあれば自由な形で理想的な開発に取り組めるのではないかと考えるのは無理からぬことであるが、自由市場として国内の携帯端末が志向できるのかというと、いままでの通信キャリアが企画した端末群に合わせて出荷していくというビジネススタイルにどっぷりと浸かってしまった会社の動きには合わないようだ。通信キャリアから独立して自社端末を提供販売していくという事態には、端末電話番号の自由化以降でないと実現できそうもない。まずは会社としての業績拡大あるいは確保といった視点で考えていくと子供が減りつつある現状の国内のみをターゲットしていくには事業としての将来が見えないという背景があり、国内の市場規模に合わせて身の丈をあわせるか、。欧州や中国といった市場に向けて進出していこうとするのには、価格も機能もバランスよく効率的に開発が進められる必要があり、国内のような足枷もないことから自由な開発をしていこうという動きが出てきたようだ。

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業界独り言 VOL252 今時の仕事の中から

時間が足らない・・・と追われているのが、業界の渦中の原風景といえるだろうか。お客様を回っていても、余裕のある風景に出くわさないのは開発競争のせいなのかぎりぎりを追い求める姿ばかりが目立つ。会社での生産活動というものが、半年あるいは一年という周期での成果をも求めているからなのだろう。春から参加した仲間がいみじくも言うのは、「前の会社では先に帰るのが気が引けるという雰囲気がありましたよね・・・。」ということであり、実際問題、お客様の声からもそうした実情が日本中に蔓延しているように思う。そうしたお客様の感性から、朝早くにきて五時には帰り始めるサンディエゴの仲間のサポートを不満に思うのはいじめられっこの反感なのだろうか。お客様の支援を続けている上で、彼らなりに一生懸命サポートしているのに、生活習慣の違いや考え方の違いで反感や不満を吐露されてしまうのは致し方ないことなのだろうか。

コミュニケーションの壁と感性や習慣の壁が立ちはだかり、責任を負わされて出張させられているお客様にとっては精神的にタフな時間のハザマで不満となるのだろう。予め出張訪問の目的を提示された中で、その内容として米国にきてこそ成果の上がるということで我々が支援してきたわけであったのだが、当初の目的が果たされても彼のミッション以外の懸案事項のパイプ役として米国に残させることになってしまったようだ。我々にしてみれば、まったく意味のないことであるのだが、日本の会社ではよくある風景なのだろう。世界中で動作する電話機の開発をしていく中で様々な複数の通信方式をカバーしていくという、いまの潮流でお客様自身も自国や海外で現地テストを繰り返しておられる。我々も通信方式毎に開発拠点を分けているので欧州や米国内でも各地に開発拠点がありサンディエゴに来ているからといって開発の全貌が押さえられるわけではない。ある意味でインターネットが私たちの組織としてのバスラインであり生命線であるとも言える。

お客様内部の組織の風通しの悪さを痛感することも、多々ある。お客様をある目標に向けて邁進されているモノリシックな集団と捉えている私たちの仲間からは「Why?」と投げ掛けられる事例に遭遇する。ハードやアプリ、プロトコルといったお客様内部の組織同士の壁が、露見するのは納期期限といった極限状況だからともいえるのだろうが、意味もなく「管理者のみを出来るまで帰ってくるな」と派遣したりするのはまったく理解できない。ロジカルにエンジニア同士が意見交換をして問題解決をしていくというのならば、意味がある出張派遣なのだが・・・。端末開発経験がないままに、技術者としての感性も薄いままにコミュニケーションもままならない中で責任を持たされて派遣されてくる姿をみていると悲哀を感じざるを得ない。新規な市場に向けた端末開発を、自らの経験もなくすべてモデムチップメーカーに求めてくる姿には大いなる疑問を持たざるを得ない。3Gで破綻した端末業界の中でブイブイと仕事を進めているメーカーであれば、いかようにでも人材補充が果たせるはずなのにオンブにダッコで済ませようというのは・・・なにかボタンの掛け違いと感じる。

そんな仕事の状況を忙しいからとだけ捉えているのでは、私の職責範囲からいえば不相応であり次に向けたお客様へのコンサルティングとしても含めて提言をしていくこと改善していくことが必要なのはいうまでもない。インクリメンタルな開発をネットワークよく進めていきたいというのが我々が考える姿であり、基礎技術の開発母体である自分たちのあるべき姿と、利用されるお客様からのフィードバックも含めて我々が期待するアプリケーション開発母体であるお客様のあるべき姿については、日常の仕事の中から要求をしていくのは我々の仕事でもある。東アジアのお客様が、熱い血潮をたぎらせて要求してくる内容に応えつつも、無理無体な要求の行く末が待ち受けているのは自分たちの仕事としてのメンタリティの破綻である。サンディエゴにいる日本人の仲間を交えた電話会議などでは、米国の感性で語る日本人に向けて言葉じりを捕まえて苦言を呈されることにも遭遇する。そんな中で、青色LEDの中村さんがいみじくも呼ばれていた「スレイブ」とは日本的な仕事の進め方の中での技術者の位置を示していることなのかも知れない。そうした技術者から要求される内容に応えろということを追及していくと「我々はお客様のスレイブではない」といった仲間からのリアクションに遭遇するのである。

我々の技術を求めて開発に利用していくというお客様に向けて、正しいメッセージを送ろうとすると会社としての真摯な仕事の仕方を伝えることではあってもローカル言語でのみコミュニケーションをとろうとするような仕事の仕方を強いるお客様に対して、前向きな仕事に捉えにくいという事情まではなかなか理解されない。コミュニケーションを自らとられようとしないお客様に向けて支援していくことは、そのお客様の将来に向けても甘やかした仕事として毎回翻訳したりしたからといって改善されないのが最近の若い技術者の風潮のようにも映る。外注会社の技術者たちとのコミュニケーションのみに没頭して、ソースコード設計者との真摯なコミュニケーションをとらずに自分たちの理解あるいは誤解のままにソースコードを改版して利用できるようにだけしていく姿があったりする。彼が次の機種でどのような形でリーダーシップを発揮するような技術者に伸張できるのかどうかは、いまは分からない。我々の仕事は、彼らの言葉と開発者の間のコミュニケーションコンサルタントといえるのかもしれない。我々を利用されずに自らの殻で仕事をする限り、我々が提供できるサービスグレードが次の段階に上がっていくことはない。

製品開発を仕上げていく上で、さまざまな問題が起こるのはままあることだと思う。しかし、同じような開発を続けていくのであればだんだん慣れて前向きな形で学習成果とてもいうようなものが出てくると期待するのは間違いなのだろうか。システム全貌が見えるような技術者が不足してしまっているのは、通信システムとしてのバベルの塔が到達した成果からなのだろうか。何かの問題を解決しようとして、とりくむ提案などが想定する新たな課題あるいは過去に検討した課題について想いが次々と巡るのがシステム技術者としての姿なのだが最近はそうした技術者はいないようだ。システムエンジニアという職種を我々チップ部隊が抱えているのはシステム開発という中で必要だからだ。システムエンジニアがタイムラインを設計しシミュレーションを重ねてきた検討のうえに現在のハードやソフトがあるのだから、そうしたベースに起因する問題があればシステムエンジニアを巻き込んでいくことが必要なことである。製品の問題解決などをしていくうえで、そうしたシステムエンジニアが現地に実際に飛んでいき解析をしているのも普段の風景でもある。

そうした光景を間近にみつつ、自らのスキルアップにマッピングしていける仕事がサポートエンジニアである。システムエンジニア、DSPエンジニア、ハードウェアデザイナ、各レイヤごとのソフトウェアデザイナといった様々な職域の成果であるリリースされるコードを評価するテストエンジニアはスタンダードに精通したうえでコードのレビュワーでもある。問題点の指摘とともに現場での確認のなかから生まれる時機をえた修正データなどのフィードバックがデザイナーに渡っていくのである。急がしい仕事ほど要求される仕事の質が高めることを求められ、デザイナーたちとのやり取りの真剣さも半端ではなくなってくるRFのタイミングや性能の課題を解決していくためにはRFシステムをお客様が改版してきた流れを理解したうえで、適切なソリューションを提案していくことが必要となる。無線のわかるソフト屋が必要なのはこうした状況からも切望するのだが、最近の状況をつぶさに知っている最近ジョイントした仲間からは、「いまは、そうした技術屋さんはいませんよと」切ない答えが返ってきた。まだロジックアナライザを駆使して仕事をするようなソフトウェア屋ならばなんとかなりそうな状況ではあるらしい。これも、またまれなことであるらしいが・・・。

仕事に疲れた、若き管理者が出張先の米国で自らの仕事を貶めて時差の国で担当者としての仕事範囲に没頭してしまうのは、ある意味で仕方がないことなのだろうか。プレイングマネージャーとして自らの専門と管理業務の両立を果たすには時差越えの仲間たちとのコミュニケーションギャップに悩んでいるという状況も見え隠れする。電機労連で決められたとおりに米国での運転禁止をそのままに実現されているお客様を元気付けたりするためにも米国の陽気な食事に連れ出したりするのも私たちの仕事でもある。1パウンドバーガーと洗面器の如くに盛られたシーザーズサラダを平らげたりする姿を見ていると少しは安心したりするものの、米国に送り込まれて四週間あまりの若きリーダーに期待されているリーダーシップの姿は中々電話会議越しには聞こえてこない。これでリーダーシップを発揮されて自らの予定計画なども日本からの指示ではなく発案してきぱきと我々に指示を出してくれたら、彼の滞在期間ももっと短くて済ませることが出来たのではないかとさえ思うのである。そんな活躍をしてくれる彼ならば、我々は仲間に迎えたいと考えもするのだが。

3Gに憑かれたような印象のメーカーがある、日本やアジアのメーカーの台頭を恐れてマイスター制度などの隠れ蓑を使い認証試験などの手間を取らせて自国域の利益を確保しようとしてきた歴史がある。日本のコメ保護と同様な世界がそこには見え隠れしている。オープンな規格と称しながら、自社のインプリメンテーションやノウハウをオプション選択として多様な自由を認めてしまった。そんな3GPPの世界がスタート出来ない理由はそうした歴史を紐解けば明快だ。自らが複雑化したパズルを解けなくなってしまった・・・そんな印象が現在の3GPPにはある。開発の複雑さと多様な基地局との検証試験の組み合わせをカバーできるメーカーは、いなくなってしまいそうだ。チップメーカーとしての旗揚げを期したメーカーもプラットホームに冠した名前の影響なのか親会社の経営状況を反映して、破綻寸前という事態に陥ったようでもある。長続きはしないと言われてはいたものの、国内メーカーに期待されたその姿は、ある意味で別チップメーカーからの反動だったのかもしれない。

端末開発の世界をクリアーにしていくためにチップメーカーに期待される姿は、単なるモデムチップではない。リアルタイムのモデム世界とアプリケーションの共存を果たす匠の技となってきた日本の端末作りではなしえなくなってしまっている。バイナリーなマイクロソフト的な世界の実現か、あるいはマイクロソフトそのものとの共存なのかいろいろな未来は描かれている。なぜか日本のメーカーが選択しようとしていくものが悉く破綻してしまっているのはなぜなのだろうか。結局のところ戻る先の有望な未来像は、TRONだったりするのかも知れない。理想郷に憧れるままに現実世界との乖離をしてしまった結果が、チップメーカーの破綻だったり、ライセンスフリーなはずのカーネルが、その技術集大成の歴史からみた保証に起因するライセンス縛りなどが起こっている。日本のメーカーの技術管理の弱さが露呈している結果なのかもしれない。まあ政府にも大きな責任はあるだろうし、そうした政府に入れ知恵した愚か者はどこかに消えてしまったようだ。気がつけば、スーパー301を打ち出したメーカーとの協調路線が始まりそうな事態のなかで、また泥仕合のなかにいるのはなぜなのだろうか。

「毒食らわば皿まで・・・」と居直る日本メーカーが増えてきたのは、こうした現実世界のなかでビジネス達成のための方策として認識が高まってきたことが要因だろう。嫌われ者の烙印を押されてきた立場から、ソリューション提供者の立場への変遷が始まろうとしている姿にこそ本当の意味での3Gの時代が始まるのではないかという感触がある。TRON+Windows的な姿に世の中が動こうとしている中で先取りをする形になったソリューションにはワンチップソリューションがあり、無論、内部2チップでのまさに+Microsoftの世界も到来するのだろうか。世の中を危惧するまでもなく、国内のメーカー技術者の技術力低下傾向は目を覆うばかりであり、こんな状況のなかでメーカーがオリジナルでプラットホーム開発を推進できる時代ではなくなっているのかもしれない。そうなると出入り業者として下請けに甘んじてきたソフトウェアハウス自体が自立して設計推進できる環境を目指しているソリューションは時機を得たものといえそうだ。メーカーに出来ることは商品企画だけで、管理のみに追われて技術を見失ったメーカーを頼らずに拠り所となるプラットホームに期待がかかるのは責任重大な事態といえる。しかし、そんな仕事の楽しさを理解してもらえないのは通信メーカーの現状に甘んじている技術者の保守性からなのかもしれない。若い時期に適切な指導と仕事を得なかった不幸な技術者たちともいえるのかも知れない。

ある通信機メーカーのソフトハウスの黎明期の立役者ともいえる人物が仲間に加わりそうな状況になったらしい。彼は、当時のソフトハウスの担当分野ではもっとも手薄な分野に二名で臨んでいたうちの一人であり、もう一人のエンジニアは不遇の事故で亡くなっている。彼自身が立ち上げたころの時代は自動車電話と呼ばれていた端末開発が携帯に変わりゆくなかで、現代の開発スタイルの色濃くする中でマイスター志向ともいえる彼の感性は合わなくなり転職することになっていた。というか独立して自身で会社を興してフリーランスでさまざまな仕事に取り組んできたのは彼のすごさでもある。そんな彼が、あえて仲間に入ろうというのは、こうした携帯ソフト開発の革新が起ころうとしている事態を具に感じて、自分の技術経歴の集大成としてそうした事業を達成することに参加したいということらしい。五年がワンセットと呼ばれるこの会社でのこれからの五年間はまさに大転機のソフト開発の嵐になってしまうのかもしれない。この一文を書いている間に国内外の出張を3セットこなし四週間あまり過ごしてしまう濃い時間だった。

業界独り言 VOL251 明日の開発の仕事には

開発支援をしながら、五年目に突入した。来年起こるだろうソフトウェア大恐慌時代を前にして、少なからず前向きに生きていきたいという思いがこれからの一年に私自身に問い直しを迫っている。自己矛盾するような仕事をしているのでは・・・と人から言われるような仕事をしているように見えるらしい。ある意味で私自身も仕事の流れにながされているのかもしれない。ただ、ある意味で日本メーカーが進むべき道を示しているのではないかという自負はある。日本メーカーが諦めてしまった技術追求をしていけるのは、我々自身であり、そうした結果こそがソフトウェア大恐慌時代を越えて生きるソフトハウスや通信機メーカーに光明をもたらすのではないか・・などといまさらながらのドンキホーテぶりに自分で書きながらあきれ返ってもいる。

13年ぶりに日本に帰国したという知己のIさんを囲んで食事をした、集った仲間はみな彼と仕事をしてきた戦友である。今、彼は新しい任地に向けて赤紙で召集されたばかりであった。とはいえ少し前に聞いていた話は、行き場所がなくなってしまい英国に残している家族との生活が維持できなくなり新しい生活を考えようとしていたということだった。おなじ会社の中で新たな酒造りを別の任地で行うために欠かせない人材として彼を考えていたのは偶然の所産なのか計画だったのかは神のみぞ知る。ある意味で、その日に集った仲間は組み込みソフトウェア開発というビジネスモデルを立ち上げつつ成果を残しながらも変容する業界の流れの中で自己矛盾をきたして戦地を去っていった者ばかりであった。集った仲間と話をしていると戦争の話に終始するのは致し方ない。竹槍で戦ってきた時代を通して技術を学び、米国の先進技術を学んだりしてきた仲間だったからだ。

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業界独り言 VOL250 Mさんへの畏敬の念

私のこの会社での最初のサンディエゴへのフライトだった1999/9/11から四年が経過した。五年がワンセットといわれるのが、この会社でもある。チップとプロトコルセットの提供という状況で始まった、チップセットビジネスは大きく様変わりしてアプリ屋さんが花咲く時代に入ってきた。はみ出し三号と自嘲的に自らを呼ぶT君などは、お客様支援の中でこれからの時代の中で活躍をしていくエンジニアである。ケータイ開発という業界で仕事をしていると色々なエンジニアの集大成として製品開発が進んでいくのがよくわかる。企画や開発管理を中心としたいわゆるメーカーの技術者の方たちと、ある意味で支援技術者の我々はオーバーラップした仕事範囲となる。彼らがメーカーとして実装していく上での担当エンジニアの方たちへの開発委託を行い、発生した疑問や課題を会社としての我々にぶつけてくる。ソースコードやドキュメントを広げつつお客様の質問を正しく把握して回答や回答を出せる技術者へのナビゲートを行うということになる。

何らかの得意ジャンルがあり、こうした組み込みソフトウェアへの基礎素養がある人材であればキャッチアップしつつサポートという仕事は達成しうるのだ。こう確信していたのでT君の伸長は計画通りであった、また時期を同じくして採用した若手候補技術者のT2君については、ある意味でいまどき技術者の姿を垣間見たようで残念な結果となった。半年あまりの試用期間の中で外資という枠での言葉の壁が立ちはだかり彼はキャッチアップすることも出来ずに去っていくことになった。基礎素養があれば、若さは可能性だと考えてきた私達の世代は取り合えない姿があるように見える。若手技術者との間にある四半世紀あまりのギャップをこちらからの感性だけで推し量るのには無理があるらしい、ソフトウェアからのソースコードのトレーシング能力を買ったのが彼の採用だった。ソフトウェア派遣技術者として基地局システムの開発に実際に従事してきた中で培ったものなのかも知れない。納期までにともかくソフトウェアを動作させるという最近の風潮の中で彼はそうした力を蓄え、そうした仕事に辟易し転進したかったようだった。

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業界独り言 VOL249 次世代のソフト開発とは

暑い夏が、帰ってきた身に堪える。米国への三泊五日の仕事で休みを貰った月曜には作りかかりの無線機の組み立てもようやく二日目を迎えた。この日の成果としてはケース前面などが出来上がった。目に見えた成果が積み上がってくるのはキット作りの楽しみであろうか。世の中の電機業界の情勢は、いろいろらしくV字回復を遂げた電機メーカーのトップが気勢を挙げていたりするようだ。リストラを完了して企業としての体力回復を果たしたということも要因とはいえ、強い商品が台頭してきたこともあるのだろう。最近の強い商品というキーワードに関していえば、ソフトウェアが欠かせない要素というよりも、この開発方法や取り組みでコストが変わってしまうという事情がある。V商品を台頭するにはソフトウェアの開発力が欠かせないということになる。

日中韓の三国でLinuxをベースとする基本OS環境を開発するという話が出てきている。他方でLinux自体の自由さを阻むようなきな臭い訴訟も始まっている。Linuxのベースとなる技術がATTのUnixからの派生であるというのならば、確かにまったく異なるというのは言い切れないのだろう。Copy文化が蔓延している日中韓という三国において、Copy文化から生み出されたLinuxを利用するということは素直な流れといえるだろうし、版権やライセンスを主張されるMicrosoftなどからの離反をしていくということも多くの背景にあるのだろう。日中韓で進めようとしている矢先に、Linuxの基本線が崩れてしまったらどうなってしまうのだろうか、三国で出資してライセンスホルダーである会社を買い取ってしまえば問題は解決するはずである。逆に、その会社をMicrosoftが買い取ってしまったならばどうなってしまうのか。いつか見た風景のフラッシュバックしてしまうのは私だけだろうか。

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業界独り言 VOL248 日本発、UMTSの世界初

最近視力の低下・・・いや老化が著しい、また老眼の度が進んだようである。忙しい合間に見つけた日曜の半日を費やして購入してあったアマチュア無線機のキット製作に取り組んだ。最新部品で構築された無線機に搭載される部品の品名を読み取るのは最早ルーペなしでは仕事にならない。パソコンでのソフト開発であれば、おじさんフォントにしたり、大型ディスプレーにするというオプションがあるのだが、組み立て現場ではそうもいかない。アナログ屋さんや無線屋さんといった方たちとの接点を意識する意味でもこうしたキットを通じて感性を近づけておくことは必要なことと認識している。私小説を書き起こすことになった、99年七の月から四年が経過して世の中も変わり、予期したこと予期しなかったことなどの経緯を確認したりするこのごろでもある。

中年となった私自身が相応な年齢になっていることから、いわゆる同期や知己たちが会社での職制から見ると要職についている。そうしたことから、お客様として付き合う責任ある方々との真摯なバトルには、ある意味で仲間あるいは後輩とのやり取りと感じることも少なくない。また現場の方々として付き合う若い技術者との接点が私の感性を維持させてくれているのかもしれない。まあ精神の若さと肉体の若さは別物ではあるが、髪の毛や髭の色はすっかりグレーゾーンに突入している。ロマンスの香りはないにしても、ビジネスの領域では、溌剌としたテーマにしうる部材を預かり多くのお客様の開発を通じて異なったインプリメンテーションという楽しみを同時期に平行して評価できるという、言い表しようのない楽しみに浸かっている時間に続く次のストーリーを用意する必要もありそうだ。

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業界独り言 VOL247 梅雨のようなBon Vacation

世の中が、毎年の繰り返しとなる日本の民族大移動の夏の陣・・・盆休みである。当初の予定は、最高気温更新などが続くであろうこの季節を楽しむことなく、からっとした気候の中で紺青の青空を見上げつつのデバッグ支援をしているはずだった。夜になれば、AOLのページなどからアクセス出来るテレビ東京の動画ニュースなどを見やりつつ渋滞情報を参照しつつというスタイルの一週間のはずだった。第三世代の開発が一段落したお客様の関心事は、欧州展開のための世界対応ということにシフトしていった。本来ならば第三世代が世界対応の筈なのではという突っ込みは無しだ。

実は梅雨明けを聞いたのは、大阪入りしてからのことである。週末を挟んで大阪暮らしを、インドの仲間と過ごしたのは三月に経験して以来のことでもある。ライセンス商売をしているQUAD社としてはお客様が設計するデザインのボディに基本プラットホームとなるチップとソフトを提供してお客様が日本風の携帯電話に必要なアプリケーションを載せて仕上げていくというサイクルである。この春に過ごした二週間あまりの追い込みの仕上げは、こうした活動を加速させてくれた。試験環境である日本でのFTとのサイクルと米国開発陣営とのサイクルが見事にシンクして成果を発揮したのである。

そんな成功体験がお客様にとっては、大きな思い込みとなっていたようだった。季節は移り、春の国内行脚試験から、夏の世界対応となり舞台は国内では何も出来ない事態となっていた。試験装置をフルセットで揃えれば何とかなるだろうという思いも欧州認定取得に必要な測定システムを完全に揃えるまでには至らないのはRF性能評価のシステムとソフトウェア性能追い込みで必要な擬似試験対向装置というものの意識の違いだったかも知れない。世の中が第三世代に傾倒する中で2.5Gの開発というテーマの完成度はイマイチの様相となっているようだ。以外と実の薄い世界だったかも知れない。

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業界独り言 VOL246 今日から出来る国際化

気が付くと大阪で一週間暮らしている。洗濯も溜まり二日分の着替えでは賄えず、急遽細君に送付してもらった。ホテルに洗濯機があるような米国スタイルの大型ホテルが日本に無いのは、なぜなのだろうか。スラックスを洗濯依頼すると1000円かかるのだが、普通のコインランドリーでもあれば400円もあれば、ほかの洗濯も含めてドライヤーまで掛けられるのであるが・・・。ユニクロ衣料だとすると洗うことよりも買い込んだほうが良いような気になってくる。エコロジー的に考えると泊まっている現在のホテル選択が間違っているということになる。米国の仲間といっしょに泊まる必要などを考えると、まあ難しいところである。

せっかく出来上がった新居にゆったりと出来ないのは、仕事柄仕方がないのだろうか。最近は、定時退社よろしく明るいうちに帰るように努めていたのだが・・・。開発渦中のお客様の忙しさと私たちの仕事の忙しさは若干違うのだと思う。私たちも忙しいのではあるが、調整の利く忙しさであり、お客様のサポートをしつつ帰宅してからも仕事が出来るのである。お客様とのタイムラグ、仲間とのタイムラグの二つをバランスよくこなしているつもりだ。梅雨明けの先月末から夏に突入してずっと大阪暮らしを続けている。仲間が大阪入りするのを受けて関西空港からの乗り換え手順を英語と英文URLで指示したりして現地ホテルでの合流をすべく東京を離れたのは先月末のことである。最新リリースが米国では出たこともあり、出荷準備を急いでいるお客様は夏休み前とはいえ土日返上してのポーティング作業が始まる週末でもあった。

南森町の一号線沿いにある大阪のオフィスは、この地区のお客様サポートには必須のインフラである。大阪事務所に詰めるエンジニアの数は、まだ多くはない。言い換えれば地域に根ざしたエンジニアのために興した事務所ともいえる。ともあれ事務所の開所以来、ワイドな展開においての各地域ごとの接続テストなどにはベストマッチしていて大阪地区でのテストにあっては解析データの転送などにADSL接続されたSOHOオフィスは便利に限りである。米国への近さという意味で言えば関西空港から乗り込んでくる仲間もいるので大阪はやはり便利である。デラックスなホテル生活と疲れを癒すマッサージなどを頼んでいると前の会社の大先輩を思いだす。干支が同じ先輩は、熱く未来を語るひとであった。バブル景気だったこともあるのかも知れないが、未来に期待をかけた製品開発に多くの後輩のモチベーションも高く引き込んでいった。

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