業界独り言 VOL265 怒れるH氏は・・・

去る大晦日には、本来であれば伊勢佐木町の松坂屋前のテレビ中継現場に居たかったのだが、当日は時間的な余裕もなくなり、続く展開となるゆずの年越しライブ会場に地下鉄で急行していた。駅に向かう途中で妹からSMSが届き「もしかして今マツザカヤでの合唱に混じっているとかしてない?」とは私のことをよく知る身内ゆえの内容だった。そんなメールを確認しつつ桜木町から細君とデートもどきでみなとみらいの会場に歩をすすめた。横浜港の淵にたつ会場には所謂ゆずっこと称するファンの集団が終結していた。すでに開場時間も過ぎているものの隊列の収拾などに追われていてまだ入れそうも無いくらい長い列となっていたので星空を見上げつつ行く年の風景の一つとして二人で見ていた。ようやく会場に入るとすでに大合唱が始まっているのは「ゆず」のコンサートならではの風景でもあった。幸い席が探しやすく座りやすい位置にあったのでそうした若い仲間の輪に加わり三時間近いコンサートという名前の立ちんぼ状態の疲れも忘れて没頭してしまいました。

デビューして六年あまりで、初めての紅白出場を実現したばかりの二人だけによる初めての年越しカウントダウンコンサートということでもあり、二時間ほどのライブを経て2003年を送り出すことに成功した。新年のカウントダウンをコンサート会場で迎えることが出来たのも2003年を無事やり過ごしたことの証にもなった。新年を迎えて最初の挨拶は会場のファンやゆず達とのものであり余韻残るままに新年の伊勢佐木界隈の街を帰りは歩きとおして自宅に戻った。みなとみらいから桜木町を抜けていく町並みに元気があるとはちょっといえないのが昨今の情勢だろうか。来月には地下鉄となる「みなとみらい線」が開通して、由緒ある桜木町の風景から東横線のホームが消え去ることになっている。みなとみらい地区の勢いもどこかに消えた印象があり、果たして開通する電車に期待が掛かっているという割には、みなとみらいにあるデパート自体が持ちこたえられずにシュリンクしているような状況である。

通勤電車で逢う知人のH氏は、みなとみらい線の延長線上にある本牧に住んでいるのだが、今回の東横桜木町の消滅には通勤ルートの改悪になると怒っていたようだった。本来であれば喜ぶべきと思っていたのに意外な反応だったのを覚えている。聞くところによると、みなとみらい線の延伸については、周辺住民が反対しているらしく実現が難しいらしい。電車が通るということは経済活性策の一つになると思っていたので、こちらについても意外だった。当面延伸する予定はないらしく、やはり経済活動のキーワードにもなる駅名でひと悶着していた「元町・中華街」という駅が終点になるようだ。二つの地名をつないで駅名にするのはよくある話だ、大阪の例などでは太子橋と今市による「たいしばしいまいち」などというのを思い出すが、頑なこの近辺の二つの地区をもつ、この駅では名前はつながらないらしい。

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業界独り言 VOL264 マルチメディアなUMTS端末

新年が明けました、最初の通番は最近の動画マルチメディアに因んだともいえる264ですね。そういえば、最近の携帯電話ソフトウェアの選択尺度にもマルチメディアなアプリケーションがどれほどASISで使えるのかということが挙げられる時代でもあるようです。年初に予定されているトレーニングなどにもチップとは独立した内容でマルチメディアアプリケーションに特化したものなどを計画しているようです。こうしたアプリケーション自体が戦略部品としての位置づけを果たすように変わってきたのは興味深いところでもある。過熱し過ぎた何処かの端末開発競争のせいなのか、開発リソースがそうしたテーマにのみ集約されてしまいがちなのが最近のメーカー事情でもあるようだ。リソースを裂けない端末開発には勢いレディメードでかつカスタマイズ可能なイージーなソリューションを選択するようだ。無論そんな使えるソリューションがあればの話だが・・・。

「開発にこれ以上リソースは裂けないんですよ。」とは、3Gチップベンダーも3G端末メーカーも同様な状況であるらしい。チップベンダーにもいろいろあってサポート自体をサービスとして価格を課している会社などでは時間計算でぼられるとかして独立採算を維持しようとしているらしい。株主優先の海外の会社ならではの姿ともいえるが、お客が数社つかなければ撤退していくのがそうした会社のビジネスモデルである。チップ価格の評価の範疇に初期コストとして捉えるのかノウハウ吸収にいたるまでの国内外でのフィールドテストなどを通じての日常とも思える現地からの現象を捉えたソフトウェア解析のレポートやり取りなどが、そうしたサービスを購入しなければ成立しないというのは経営陣の方々には判っていただけないようである。

サポートを受けたりしていくためには、相手の会社がどのように携帯ビジネスを捉えているのかを正しく把握することは肝要である。ともかく欧州のメーカーの本流としては、今は2.5Gなのである。あのGPRSからようやくEDGEに移行しようとしている渦中なのであって第三世代はFar Eastの話なのであるようだ。無論、現在の儲け頭となっているEDGE端末などの利益を投入して次世代の端末として3G端末の開発を続けているのである。開発プラットホームとして自社で利用しているものをプロダクトとして出している会社も数社あるようだ。ご存知のように3GPPの世界では規格自体がオプション豊富で各社のIPRが盛り込まれている形になっている。適用するキャリア毎に採用されているベンダーの機器との整合性確認を行う必要があり、こうした成果を蓄積していくことが主に昨年の各チップベンダーあるいはチップ開発をしている端末メーカーの最優先課題だったのだが・・・。

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業界独り言 VOL263 埋め込みソフトだから埋没するのですか?

導師のもとに年に一度集う忘年会が、今年も行われた。Windows一筋でDbase路線を追究し続けてきている導師さまであり、忘年会に参加する仲間はユーザーであったり元社員であったり色々である。ある意味で埋め込みソフト業界の走りとなるような世代の人たちはかなりの恩恵を受けてきたテクノベンチャーの走りともいえるだろう。WindowsNTの内側を知りつくした上で、昨今のLinuxに傾注する業界の流れを正面きって批判もしている御仁でもある。そんな導師さまであるが、Windows版として開発してきたdbase開発環境ともいえるソフトウェアプロダクトをLinux版として移植するという偉業などにも取り組みつつこの一年余りを過ごしてきたようだった。導師いわく「Unix(WindowsNT)は、まともに出来ているのにLinuxはでき損ないで、とても使えたものではない・・・」といったような論調なのである。かなり誇張が入っているかもしれないが、路線は外れては居ないと思う。データベースをまともに動かすことの難しさをOSの仕組みから取り組んできた人の言葉の重みを知るべきである。

「WindowsNTは、まともなUnixである」というのが導師の持論でもある。内部構造としての振る舞いという意味で導師は、そうした呼び方を使っているのだろう。Linuxに関して起こっている訴訟問題などについても内部を把握したうえで「あれは、あのままではすまない」と背景も含めて話し出すといった。ある意味で業界話の坩堝というのが、導師を囲む忘年会の実体でもあり、そうした中で五十台半ばに差し掛かっている導師自身、未だにソフトウェアプロダクツの開発を通じて飽くなき知識吸収をしている姿に肖りたいというのもつどう仲間の姿のようだ。ソフトウェアサポートをしている最長老の御仁は六十五の齢にして、導師の開発しているプロダクツの支援作業をしている。二次会・三次会になっても導師との掛け合いの熱気は冷め遣らない。天才的な技術者が作成したパートを理解不能ということで切り捨てて修正改悪したりするといったサイクルの顛末などソースコードのコメントに書き添えられた作者ネームなどをめぐって繰り広げられる話などは、他人事とは思えない話題でもある。

Linuxの未完成具合という呼び方が相応しいのかもしれないのが、出来ていない関数群や、エラー処理に構わないスタイルの設計コンセプトが頭の痛いところのようだ。Unixのコードのコンパイルは通すようにしているかのごとき実体のない関数群や、プログラムの開発主体が神のごとき精度で書き上げたコードしか受け付けない実装のライブラリやらで結局のところ実績のあるWindowsNTで動作するアプリケーションの移植にはWindowsNTと同様な実装コンセプトのライブラリを作り上げることになってしまったらしい。そんな導師が話を振ったのは最近家電業界でLinuxを担いでいるメーカーのエンジニアである。彼は学生アルバイトとしてサザンパシフィックで働いていたことがあり米国までいってデータベースソフトの仕上げやデバッグに没頭したりしていたこともある。仕事としてのLinux支援のなかで基本要素技術提供といった位置付けの彼の部署のジョブセキュリティはこうした世の中のLinux傾注で確保されてはいるもののお寒い状況のLinux現況のなかで同様な状況に遭遇しているようすだ。実績のあるアプリケーションが殆どないのがLinuxの現状でもあり、世の中の多くのアプリケーションの現実がWindowsベースで開発されていることを考えると導師の咆哮には首肯するのみのようである。

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業界独り言 VOL262 第三世代携帯ゲーム?

新型FOMAが年明けには発売になるそうだ、年末にはPSXが販売になるそうだし、やはりゲームでなくちゃ日本はやっていけないということなのだろう。来年二月に発売になるものを、この時期に発表しなければならないというのも本来であればクリスマスに出すべき予定だったからなのだろうか。発売を宣言したり、ネーミングに年度を冠したりするのが開発メーカーや開発部隊に対しての発破がけなのかもしれないのだが、果たして忙殺されている現場のことを思いやると声も掛けられない状況なのだと思う。最先端の技術に触れるというキャッチフレーズで求人を募ってきた求人雑誌の誌面に偽りはないというものの、そうかといって正しい表記であったかというと誤解を招いているのではないかという思いもある。誰もが、待ち望む端末を繰り出していくというのであれば誇らしげに仕事を見せることも出来ようものだが、果たして・・・。ニュースを報じていたキャスターは、「画面が綺麗ですね・・」と評して直ちにハンドオーバーしてしまった。

ゲーム端末としての機能は、ドラクエやファイナルファンタジーを動作させることが出来るそうであり、確かに最近ではゲームボーイを痛勤電車での中でやっている若者社会人やら、テトリスをやっている愛すべき中年サラリーマンもいる。平安の都ではないのだろうが、誰もが当時に思いをはせて笏を携えるかのように、ケータイをもち同時に複数の仲間達とリアルタイムに近いメールチャットを繰り広げているさまは、さしずめ漫画の如きである。技術の追求のみに心奪われて、繰り出していく画一化された道具立てのように見える端末と、それを使う世代が、遊び方の工夫とか心豊かな楽しみ方を出来ずにいるのはマニュアル化の温床が背景にあるからだろうか。楽しみ方の広がりとしてバグを楽しむような時代もあった、いかに多くのバグを知っていてその状態を再現できるかといったもの、ある種のゲームであったかも知れない。

ソフトウェアの複雑化により、リリース時期が最優先となりキャリアの仕様にあわせた端末を商戦にあわせて端末を提供できるのかどうかという経済活動のルールでは、モチベーションの維持も大変なことなのだろう。端末価格として支払われるユーザーからの費用と通信費用として支払われる一年余りの費用とで果たして相殺できるものなのだろうか。端末価格に追い討ちを掛けるようなライセンス費用という問題も確かにあるのだろうし、もうプラットホームを統一化してアプリケーションを流通できるようにしなければならないと考えるのは、どのキャリアも同じことなのだろう。第三世代端末としてIPベースで接続が果たされるようになり、最近のGSMにも対応した端末では米国でメールやウェブのアクセスすら可能なのである。アプリケーションがIPベースで構築されるようになってきた昨今では、通信キャリアのビジネスモデルが揺らいでしまう可能性を秘めている。

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業界独り言 VOL261 意外・心外・予想外・・

世紀を越える前に予感した事態は、結局のところ回避できなかった。自らの行動力の不足を改めて考え直している次第でもある。大きな流れとしての携帯バブルを起こした元凶は日本自身の突出したニーズと過当な競争だったのかも知れない。第三世代携帯電話の登場に向けて期待の高まった多くの技術が世紀を越えてどうなったのかといえば意外な結果や心外な結果などがあるように見える。1999年に当時、最高益を計上しようとする携帯電話メーカーから離反することにした。そして罵倒を浴びながら選択した路に描いた個人的な技術者としての視点からみた理想的な形などには必ずしもならなかった。そうした中で、少しずつ変容していきつつ辿りついている現状を、五年前の自分に教えてあげたい衝動にも駆られたりもする。予定されない未来を切り開き生きていくことは面白い。

そんなグローバルな先端開発の中での暮らしぶりにおいても、現実の市場に向けた仕事の中で打ち出していく方向修正の影響は、あまり日本の会社をとりまく環境と変わらないともいえる。では、何が違うのかといえば政治的な政策から時代を制御していこうというのではなくて、やはり自分たちの信ずる技術追求を自分たちの拠り所とする技術成果である特許による収益を現実社会のなかに成果貢献として対価を得ていくというビジネススタイルの上で偏ることの無い技術開発を続けてきたことに他ならないだろう。政治的な取り組みが無かったかといえば、語弊があるかも知れないが、信ずる世界に向けての行動を狂言だと周囲から見られても仕方の無いことだったろう。狂気とは相対的なものである。

開発効率の追求は、どの企業でも行なわれていることであり、それに必要なことは円滑なコミュニケーションの達成である。アジアの諸国が達成してきている携帯ビジネスでの技術成果は緻密に積み上げられてきた日本での成果などを手本に最先端企業との間での単一言語でのコミュニケーションにより達成してきたといえる。仲間として迎えている中国人のL君や、英国人のM君などを見ていても日本という市場での仕事で日本語で順応して、また英語によるより深いコミュニケーションの輪に顧客の声を展開して活動のサイクルをまわすことに尽力しているのである。なぜか、日本人だけは奢り高ぶったのか自国の言葉だけで終わろうと終始してきている。こうしたことは、二十世紀末からの悪しきツケなのではないだろうか。

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業界独り言 VOL260 想像力と好奇心

好奇心旺盛というのが、昔の技術者を志向する若者の代表値だったように思うのだが最近ではどうなのだろうか。好奇心のベースにあるのは、想像力による広がりであり、その好奇心で得られた複数の情報のシナプスが自身の想像力による理解の中で結合していくことが最も楽しい瞬間なのではないだろうか。HTMLの仕様をみて、情報をオブジェクトとして扱いブラウジングしていけるだろうと思い至った事例などからは3Gなどのツール開発の契機の中で生み出された技術といえる。そうしたシナプスをつないでいく上で大事な素養には暗算の能力などもあるのだろう、3Gや4Gをドライブしているプロジェクトの中核には暗算の達人が多いのではないかと思っている。最も高速なコンピュータとして自身の脳を活用してシミュレーション結果を手に入れられるのだから心強い限りである。頭の回転の指標として暗算能力などが、ひとつのベンチマークであるのは事実かも知れない(無論、それ以外の指標もあるに違いないが・・・)。

好奇心により、ますます想像力を膨らませて頭の中のシミュレーションを進めていく人の話を聞いていると、ちょっとついていくのが大変なのかも知れない。何人かとの議論などで想像が深まっていく場合には、良いのだろうが往々にして一人で思考と試行を繰り返した結果での話題を提起されてしまった場合には溝を埋めるのに苦労してしまうわけである。そうした溝を話す側が理解して咀嚼しつつ説明してくれれば良いのだが、ますます深みの思考と試行を進めてしまうのでは困ってしまうのである。うまく周囲を理解させつつ実際のビジネスとして動いていくように現実化していくという仕事の意味を理解しなければ、折角のアイデアも活かせず夢想家の烙印を押されてしまうのだろう。刺激される大量の情報の流れの中から、必要な情報を抜き出しをしていく、その技能自体は訓練の成果以外の何者でもないとおもう。考えるというサイクルをどれほど回せるかと言うマラソンのようなものかもしれない。安直に資料や解答を求めてしまう最近の風潮の中では難しいことなのかもしれない。

若い技術者達の特権でもある自由な発想を育てていくという考えが、指導者側にあれば有用な発想を製品開発に役立てていくというサイクルがひとつでも確立していくのではないかと思うのだがいかがなものだろうか。トライしてみたいという欲望を駆り立てていく好奇心をベースに想像力を訓練していくというサイクルが管理されたOJTとして確立すべきスタイルだと思うのだが、枠を超えた発想を持つ有望な若者をうまく指導していけるのかどうかも課題なのだろうか。リーダーがうまくリードしてくれるのかどうかを部下はよく見ているものなのだ。提案したアイデアを正しく評価したうえで今の仕事に活かすか、次の仕事に活かすか、さらに検討すべき点の添削指導を呉れるのかといったキャッチボールが必要なのである。今使われなくてもよいが、考えたアイデアを正しく評価指導してほしいのが部下なのである。想像力と好奇心のループをどれほど回すかによって伸びていくはずなのだ。

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業界独り言 VOL259 想像力の欠如

想像の範囲外の事象が起こると天災扱いにするというのだろうか、いくつかの保護機構に基づいて動作あるいは機能しているシステムにおいては、基本機能に不備があっても表面化しないという事例もあるようだ。組み込みの話ではなくて、新築によるライフスタイル変更で不慣れなことも手伝いいくつかの事故が勃発したのであるが、いずれも想像力の欠如ということにほかならないようだった。最初の事故は、私の付加した建具への加工工事の問題だった。新しく設えた食器棚にワイングラスなどをひっかけるグラスフックを木工でレールを造り付けていた。細君は建具と共に気に入ってくれていたようだった。

施工に当たってはラワン材をグルーガンで仮止めしてから、電動ドライバーで木ねじで締め上げるというものだったが、使用した木ねじの長さが不十分だったことと下加工のドリル処理が不足していたのでもくねじが十分に建具に食い込んでいないという工事不良だった。予め木ねじを吟味する際に確認すればすむことだったが、そうした手順とともに想像力が不足していたようだった。結局仮止めしていたグルーガンと少しの締め付けでついていた木ねじの食い込みなどがグルーガン接続の糊付けの劣化から、五ヶ月あまりたったある朝突然二列分のフックが外れて掛かっていた該当列のグラスが落ちて粉みじんになった。眼前で起こった事象に私自身何が起こったのかわからなかった。

起き抜けで、まだあまり頭の回っていない状況に、続いて尋常ならぬ事故の音で起こされた細君からの雷が轟いた。この一件の工事不良にともない、我が家での私の施工した工事についての信用はなくなり、以降の作業については必ず細君の確認または、業者による作業という手順をとるように心がけている。今懸案事項で上がっているのは、作りつけテーブルの配線が目に付くということから配線処理用の穴加工が提案されている。また、もう一つはアマチュア無線のアンテナ線の引き込み工事である。磁界ループアンテナと将来のアンテナ追加なども含めて納戸での組立作業や、完成後の室内での利用などを考えた壁内の配線工事を予定している。業者からの見積もりまちとなっている。

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業界独り言 VOL258 意固地なままで

いびきが最近ひどいということから、睡眠時無呼吸症候群ではないかとの疑いが発動されて、先日当該分野のクリニックを訪問した。最近の事件報道のせいで一躍名前を知られたのかクリニックでの診断は来年の新春まで予約で満杯だった。簡易診断は直ちに行われて解剖学的見地に立った見方から言えば、咽喉の高さが低く扁桃の切除などを行う手術が考えられるが、オルタナティブとしてはマウスピースをあつらえるということがあるそうだ。いずれにしても状況診断が必要なので宿泊診断もしくは貸し出し測定器による自宅自己測定の実施選択ということになるようだ。どちらのコースを選択してもしばらく、医学的なコメントも対策も講ずることが出来ないと言うのが実情だった。手術ということではなくマウスピースを作るか、あるいは誘因となっている可能性のたかい体重削減に努めるということになるようだ。

運動不足という言い方であれば、段々勤務先や住居が至便な場所に移ってきたことなども要因として考えられるかもしれない。現在の勤務先は、地下鉄駅から連結したビルであり雨の日にも傘をさしなおす必要などはない。高層階行きのエレベータにのれば空いていれば数十秒でフロアに到着してしまう。雨の日に足元を気にしつつ10分あまりも駅から歩くといった風景などから比べればよいともいえるのだが、仕事自体も電話やメールでの対応に終始してしまいがちな状況では日常生活の運動を考えなければならないようだ。以前の会社では、体質改善のために少し運動がてら駅までの道を30分あまり自宅から歩くという生活を続けたこともあった。これはかなりの効果があり体質が目に見えて改善した事例として会社の健康管理室でも紹介されたりもした。そんな時代も自宅の移転やら、会社の転職やらをへて自分自身の健康管理といった面ではちょっと偏りが続いてしまったようだ。

運動目的で少し手前の駅から会社まで歩いてみたりといったことや、あるいは街中の商店街を抜けて始発駅まで歩いたりといったこともしてみたのだが中々続かなかった。何かのきっかけで続けられない事由がおこると、それを理由にするのではないが弱い自分がさらけ出されてしまうようだ。続けられない理由を見つけられない状況を最近は、ようやく見つけ出した。至便な道具を使わないという第三号選択ともいえるエレベータを使わずに階段を利用するというシンプルなものである。この方式を選択すると最近の大江戸線のような地下深い駅などを利用すると良い運動をすることになる。天候に左右されることもない。しかし、最近の社会情勢の不安が首をもたげていて東京を狙うだろうテロリズムなどを考えると深い地下というオプションはオウム事件などから容易に心配されるので細君が禁止要請を発動している。幸いにして銀座線は浅いのでOKということだ。

しかし考えてみるとオフィスのフロアは18階であり、地下から考えると途方も無いような気もしてきた。低層階行きと高層階行きの二つのエレベータのあるビルでもありやると決めたので、登り始めると引き返せなくなってしまった。18階という階差が割りやすい数なので、いまは1/4だとか1/3だとか励みにはなるのだが、ともかく登り始めると諦めたとしても最低でも高層階行きのエレベータまではたどり着きたいというのが初日の思いだった。高層階の始まりは13階なのである。案の定初日は、そこで挫折してしまった。翌日はもう少し頑張ろうと15階までたどり着いた。このフロアにはエールフランスの事務所があり汗かき息も乱れた中年叔父さんがエレベータ乗り場から乗り込むのにはちょっと憚られた。そんなときに限って仲間の女性も乗り合わせていて「どうしたの小窓さん、こんなところから乗ってきて、なあにもしかして階段できたの、いやぁだ・・・」などと囃し立てられる始末となった。

三日目にしてようやく15階のバリアを越えて16階に到達すると頭をよぎったのは、「もうこの上の階はべつの仲間の居るフロアでもある」となんだか到達してしまったような気になってしまったということだった。確かに汗はかき息も大変な状況ではあったが、あとの二階を攻略して高みに到達することが出来た。時計を見やると五分あまりしか経っていないという事実だった、人間の感性なんてずいぶん非線形なものだなと改めて思い起こさせてくれた。とはいえ高みに到着してしばらくは汗をかきかき息を整えるで精一杯だった。一週間ほど続けたところ、体がびっくりしたのかある朝腿の付け根あたりが痛みを覚えたので様子見に一日自宅で仕事をすることにした。いままで自宅に置いてあったステッパ−は細君がいくら「あなたも運動をしないの」と誘っていたにも関わらず意固地に拒んでいたのがスーット踏むことにためらい無くは踏むことになれたのは不思議な感覚だった。

確かに朝の五分間のハードな運動ではあるが、山歩きで言う最後の直登といった感触を味わうことが毎日できるのはある意味楽しいことである。最近は、こうした感覚を持つことができるようになった。とはいえ、まだまだ一朝一夕に体重が減ったりするものではないのだが、ハードな運動を経た後の軽くなった足元の感覚をほぼ働いているあいだ維持できるのが快感でもある。もう少し進めば昼休みにも、もう一本やろうかということに繋がるかもしれない。今考えると意固地なままに運動を拒んできたような気がするし、何かのきっかけでそうした壁が取り払われたように感じている。やはり何か違うことに挑戦するということを日々実践していくことは大切なことだろう。続けていくことの障壁になるのが器材の障害だったりもするものであり、以前少し踏んだことのあったステッパ−などは細君と二人で利用したことがいけなかったのか摩擦熱で金属疲労をおこして壊れてしまったのだった。

現在利用しているステッパ−はそうした恐れもなさそうな、米国製の鋳鉄で出来たフレームにオイルダンパーで出来たプロボクサーが使うようなヘビーなものである。まあ、このステッパ−を踏んでいる運動の強さ自体は30分ほど踏んでも朝の五分のようにずっしりと残るものではないのだが、汗ばみ運動している感触として入浴まえの運動としては適度なものといえる。健康的な生活を続けているのが、まあある意味で余裕のある季節なので、問題は日本のお客様の支援活動の中でいかに米国流な緩やかなマイペースでスイートスポットを押さえていくような仕事スタイルに持っていけるのかどうかが次のシーズンの課題ともいえる。まずは来週の渡米作業の間にホテルでのジムなどの活用が如何に出来るかが課題ともいえるのだろう。毎朝、何は無くともこのページをアクセスされている読者のかたも居るようなので私以上に余裕ある技術者生活を実践体現されているらしい。まあ個人の意識さえあれば、そうした生活を実現しやすい環境であることは事実といえよう。あとは個人の問題なのである。個人の問題が少しずつ集約した結果として組織になっていくので、流されやすくなってしまうのかもしれない。そうした組織の慣習やらを改善していくためにも、まずは自己確立を追求していくことが必要なのだろう。

業界独り言 VOL257 サンクスギビングのひととき

収穫祭として米国メンバーの殆どは、この休みに入ってしまっている。もう水曜から次の日曜までがサンクスギビングに始まる年末休暇シリーズの第一ステージの始まりだ。こんな時期に没頭できることは、リリースされた情報の事前調査やらといった仕事や求人に申し込んできたレジメの確認やらといったことになる。お客様自身も慣れたところでは、急ぐ内容については予め手を打たれていたり、あるいはこちらから解決を急ぐように連絡をしたりといった事前策も打ってはいる。日本のお客様の仕事のピークと中々マッチしないといった実情などもあるのだが、致し方ないところである。事前の根回しや対応をとるといった異文化の認識が大切である。

米国にあわせて休暇をとる仲間も多い、忙殺されてきた時間との調和をとる意味でもそうしたことは大切である。最近は運動不足も祟っているので、こうした機会を機に階段昇降を選択したり、一駅ウォークなどを心がけている。五分間ほどの階段の登りは、なかなかきつい運動でもある、オフィスに着く頃には汗ばみ息も切れてしまう。始めた当初は、自分の階まで行き着かず途中の階からエレベータにのり仲間にあって「どうしたの、こんなところから・・」と赤面する事態になったりもした。少なくとも階段を選択してしまうとある程度の階まで行き着かないと連絡するエレベータすらないのが実情なのでよい訓練ともいえる。

のんびりと着実に進めていくことをテーマに取り組んできた組込み作業であるところの個人としての無線機作成プロジェクトもようやく、無線機として所定の性能を出すことが確認できる段階にいたった。よく出来た設計は再現性も高く、調和の取れた端末といえるようだ。といっても私自身は、そうした面での経験はアマチュアなので後輩や先輩に教えを乞うのである。もう退職はされた先輩は、無線機作りの趣味とソフトウェア技術者の後輩育成といった使命とを併せ持つ方で、いろいろと意見を頂戴したりしている。道具も不十分な中で製作を進めたりする有り様の中で測定器や工具の準備も色々と教えていただきながら進めてきた。開発仕事と一緒で準備万端でスムーズにいくと言うことは実感だった。

まずは、プロフェッショナル用の工具として、周囲からは笑われたのだが温度コンローラ附きのハッコーの半田ごてが良かったと思う。価格は2万円弱だったと思うのだが設定した温度に対してクイックに反応してヒーターのコントロールが行われて綺麗な半田付けが達成できたとと感謝している。慣れぬ者こそこうした道具は利用していくことが大切である。これにより半田付けに伴うトラブルは皆無だったといえる。大規模なキット故に、部品の過不足や改版情報に伴う組み立てマニュアルなどの不備を確認していくことなども起こるのでサポート会社とのスムーズなやり取りもユーザーとして感じることができた。普段とは逆の立場であった。自分の体調も含めて無理な作業は誤りを生んでしまうのも事実であり、入念に部品を整理してマニュアルをよく読み疲れた場合にはそこで終えるといったことが大切である。

既に老眼の域に突入している目の状況からは、必要な道具として大きなスタンド付きのルーペが、有用であった。シルク印刷されている基板の上に指示された部品を探すのはあたかも「ウォーリーを探せ」といった状況なのである。幸いにして1005や0603といったチップ部品はないのが救いだったがそれでもカラーコードを確認したりトランジスタの型番を読み取るのにもルーペは必須であった。とくにカラーコードの読み取りで茶色と紫の区別が難しいと思った。老齢からくるものともいえるだろうし色相から近い色になっているからなのかもしれない。作成のために購入した道具にはDMMもあり抵抗レンジでの測定なども頻繁に利用して確認実装していった。トロイダルコアにエナメル線でコイルを作成していくのも初めての体験でお客様のアナログ屋さんの少し昔の体験を共有するような気になれた。

無線機を作成していく上で必要な道具には、周波数カウンターもある。秋葉原の著名なパーツ扱い屋の秋月などが扱っている周波数カウンターキットなどもあるのだが、最近は中国や韓国の測定器も取り扱っているようで周波数カウンターは、たまたま会社にも無かったので韓国製のものにした。無線機の組み立てに入ったのが今年の七月なので既に五ヶ月あまりを費やしている長期プロジェクトでもある。本来の試験電波発生までの期間を超しているような気もするのだが、幸いにして電波管理局からのお達しまでは届いていない。周波数カウンターにより、無線機に内蔵されている幾つかの発信機の校正をする必要があったのだが、少しハメを外してCDMA用の周波数標準ユニットなるものに手を出してしまった。

本業である仕事に関連しているかと思われた質問メールが学校の先輩から寄せられていたのが、きっかけである。何せ先輩自身がウロ覚えの情報だったようでジャンク品としての当該ユニットが秋葉原に出回ったらしいが最近は入手できないがなんとかならないかといった話だったかと思う。CDMAやGPSといったキーワードから、「これは小窓君に聞けばなんとかなる・・」と思われたのかどうかは知らないが。私が同様な情報を目にしていたのはCQ出版の雑誌広告の隙間に載っていた米国扱いの広告で249ドルでジャンク品が手に入るというものだった。何せ周波数校正に使う以外には、なにかの時刻標準にするといった目的以外にアマチュア向けではない代物なので恐らく大きそうな筐体を自宅に置くのはね思っていたのである。

先輩からの問い合わせメールと自身の無線機の周波数校正などの話から、このジャンク品を購入して利用の上で先輩にプレゼントしてしまうことで必要に応じて借りにもいけると言う一石三鳥といった展開になった。科学する好奇心をもつ若い技術者にとっては良い教材になるだろうし校正もままならない学校において正確な周波数標準が手に入ることには意味もあるはずだからだ。特に自身の税金対策としての寄付をねらったわけではない。ああ早くそんな身分になってみたいものだが・・・。米国から購入したこのユニットは本業であるCDMA基地局のリニューアルで米国のキャリアから放出されたもののようです。PC接続のソフトも付属してきたので所謂DB25コネクタ経由でRS422接続で繋がるというものでしたがNet散策で見つけた解決策は基板自体に設定ジャンパーが搭載されているようでした。いろいろな情報から設定が必要らしいです。まずは開けたりするためにトルクスドライバーセットが必要になりました。

のんびりとした中で工具や部品を求めて秋葉原にいったりするのは、まああるべき姿といえるでしょう。幸いにして昼休みくらいの時間や帰宅時間を早めれば神田までは最低運賃でいけるのが便利なところでもあります。トルクスドライバーやジャンパーポストを手に入れて422から232に変更するために表面実装の抵抗チップを半田付けで取り去りました。PC接続用に必要なコネクタ結線にするための冶具を作成したりといったことで、ようやく周波数標準を動作させるPCソフトウェアとユニットを接続して必要な経緯度情報をユニットに教えることで衛星同期に成功することが出来ました。この周波数標準ユニット自体は、もう通信装置の更新と一緒に廃棄処分されたものですが内蔵されていたマイコンなどは私には懐かしいモトローラの32ビットマイコンでした。

まあこんな脱線をしつつようやく購入した韓国製の周波数カウンターの精度確認をしたところ10MHz測定で4Hz高めということなので、まあ十分な精度の測定器だなという安心を得ることが出来ました。忙しいなかでの時間を割いてする仕事はゆるやかな時間を楽しむと言うのがアマチュアの良いところなので納得のいく仕事をしていくというスタイルを追求しているわけです。ある意味でQuad社の開発風景と似ているところも在るかもしれませんね。ユニットは早速先輩の先生に着払いで送付してしまいました。寄付なのか、押し付けなのかは人によって違うかもしれませんが、今回のものは先輩にとっては願ったり適ったりということのようなのでうまく情報をまわすことによって得られた成果ともいえます。好奇心と積極的な行動は大切なものです。

組み立てと調整をしつつ、受信機の調整にはやはりSSGも必要であるということが判明しました。とはいえ義弟に貸していた無線機をまずは戻してもらいダミーロードに接続することでアマチュアバンドの旧型の範囲については調整することが出来ました。無線機自体が20年近く前の機種なので後年拡大追加したバンドには対応できてないのです。無線機と一緒に手配したアンテナは垂直のダイポールだったのですが、近隣の住宅への影響も考えて少し価格は張るものの同調形の磁界ループアンテナというものにした。アンテナの同調をとるといった目的もありアンテナアナライザが有用であるということから、これを利用するとSSGの代わりにもなりそうだということに結論付けて受信系統の調整を完了させるまでに至った。無論、前の会社の先輩から大掛かりな測定器の貸し出しの申し出も受けてはいたのだがちょっと置く先を勘案してまだ、そこまでは至っていない。

アンテナの設置には、仮設置として物干し台に行っているのだが、最終的には屋根馬を設置して屋根の上に置く必要がありそうだ。組み立てるユニットにはアンテナチューナーもあり、これを利用してローバンドに出るためのワイヤー設置なども思案中である。電信ベースでの携帯型無線機なども出ているようなのでこうしたキットにも触手が動いている。なにせ米国との往復出張なども頻繁なので、海の向こうから小電力での電信運用などの楽しみも増えてきそうな状況である。メールやインターネットのご時世と逆行する趣味と映るのかもしれないのだが、好奇心追求していくという仲間とのコミュニケーションを図るといった目的にはとても適っている趣味なのだと思う。もしもしハイハイといった手合いはケータイに移行しているので本来のアマチュア無線の世界に是正されたのではないかと思っている。

私自身はアマチュア無線という切り口で、学生時代から好奇心を満たしてもらいつつ、エンジニアの道を志してきた。アマチュア無線機の設計こそはしないものの無線機器やシステムの設計をソフトウェアの観点から続けてきた。そして実現してきた自動車電話やケータイといったもののお蔭で最近の人たちには無線で通じると言う感動はなくなってしまったのかもしれない。しかし、ブラックボックス化せずに内容に向かって好奇心を抱きつづけることで新たな発見や創造が生まれてくるのだと思う。いま若い世代のエンジニアの人たちが好奇心を失いつつあるのではないかと感じているのだが、いかがなものだろうか。DSPの限界やアナログとしての限界、あるいは素子としての限界などに好奇心を持ちつつバランスの良い設計を目指していくというのも肩から少し力を抜いて自身の在り様を見直してみてはいかがだろうか。何か共通のテーマを見出して活動をしていくというのがインターネットの時代のエンジニアの姿のような気がしている。

作り上げようとしている無線機にもDSPユニットが搭載される予定であり、このユニットはオープンソースでリリースされるとのことである。時代は変わってきたなと思っている。キットでクリスタルフィルタ自体をラダー型と呼ばれる同一共振周波数の素子を沢山半田付けしてバリキャップで制御したりしている。ある意味でとってもオープンである。ブラックボックスがまったく無いわけではなく沢山搭載されている制御マイコン自体は公開はしていないようである。性能を確保しつつ自由にさせるといった考え方はQuad社のチップの考え方にも通じているようだ。Quad社も時代の要請に応えるべくアプリケーション用のDSPチップについてはオープンにするという考え方があるようだ。半田付けからDSPソフト、そして総合の無線機性能を身をもって体感できるという奥深い趣味なのだが、こんな気の長い趣味が嫌われるのは基本ソフトを重要視している余裕がない世の中の流れと同じなのかもしれない。

業界独り言 VOL256 自由な風土のもたらすもの

メーリングリストを始めて四年が経過してようやく通算で9ビットの領域に突入することになる。知己たちの中には、メーリングリストの本文までは不要な人も多いのだろう、ある意味で私からのライブ信号あるいはハートビート信号のようなものであると思っているらしい。気にかかるテーマにメールを呉れる人もいれば、掲示板への書き込みで新たなテーマを呉れる人もいる。毎日の日課のようにメーリングリストとは関係なくバックナンバーのページをアクセスしている人もいるようだ。ちなみに私は自分のサイトのアクセスログを確認するのが日課になっている。メーリングリストへの反応を知るのによい方法だと考えているからでもある。長すぎるといわれたメール解消策として先頭のさわりというか起承転結でいうところの起の部分で引っかかってくれれば後半にというのが現在の独り言のシステムでもある。

めでたく来月から一人、わたしの知己が支援技術者としてチームに参画することになった。同様な時期を過ごしてきた彼には感性を同じくするものとして、このジョイントに歓迎のエールを送りたい。アナログ屋あるいはデジタル屋と分類するだけでは不十分なシステム屋の屋号を最近は掲げている知人のK君がいる。もとよりデジタル無線というものを標榜してきた彼にとっては両輪が回らなければ解決できないというのが実情なのだろう。そんなK君も最近ではチップを同時に複数任されていて自分の仕事は、IC開発屋だと称しているらしい。地道に開発してきたチップセットをまとめると一大事業になるのではないかと私は高く評価しているのだが、彼の壮大なプランを理解して支援している彼のチームにもエールを送りたいのである。こうした彼の思いを正しくトップが把握していれば良いのだが、互いに誤解していた上で、たまたま動いているケースでなければ良いと願うものでもある。

メーリングリスト開設までの過程からいえば、昔のミニコミ誌の創刊からの流れと同じような感覚であり開発現場の底流に流れる横たわっている共通的な問題点に対しての問題提起であり、自分としての考えを訴える場所でもあった。そんな小冊子が続いたのは、あるビッグプロジェクトの予算の影で共通要素開発といった切り口の自身の仕事の広告や情報収集といった面が強かったかもしれない。当然、プロジェクト解散後の状況でいえばわざわざ印刷してまでも配布するといったミニコミ誌が果たせる理由について自身としても確保することが出来ずに中断をしてしまうにいたった。転機を迎えることになった要因を外部に求めてしまえば神戸の大震災を挙げてしまうかもしれないのだが、もとより自分の率いていた当時のプロジェクトの凍結といった事態が自身としての余裕がなくなってしまったからかも知れない。こうした事態を迎えてさらに強く生きられずに殻にこもってしまったというべきだろう。

ベンチャーのようにシャカリキになって大企業の中を横断的に積極的に駈け回った発端は、自由な雰囲気の当時のプロジェクト運営だったろう。新たなビジネスを創生するための基礎技術であり実際の仕事への結びつけも含めて大企業にあるまじき雰囲気で開発が積極的に進められていたのは求心力のあるリーダーの元での仕事だったからだろう。そうしたリーダーの影響を受けて構成員は発奮して自分の持分を存分に仕事しようというやる気を引き起こさせてくれたのだと思う。そうしたキャラクタを買ってくれてか別のリーダーのもとで進めようとしたプロジェクトにリーダーとして引き抜かれた仕事には、夢を描きすぎた結果の凍結といった事態になってしまったのは、つづく世代を発奮育成させることが出来なかったことも要因のひとつだろう。デジタル化を進めていく上でプラットホーム論議がRTOSのみで終わりがちな時代にあってスクリプトの話を持ち出すには風呂敷が当時の会社には大きすぎたのかもしれない。

おおかれ少なかれエンジニアの中には、成功や失敗を繰り返して成長していくものだと思うのだが、とかく国内の製造業のソフトウェア技術者という職能にあっては長く技術専攻で仕事をしていくという場所がないのも事実である。挑戦できる機会が限られてしまい、いつものになるとも判らないあまた多数の開発テーマなどを研究させることには最近の国内メーカーは関心が乏しいのが現実である。技術者が考えを暖めつつチャレンジできるのは与えられた製品開発の中に徐々に埋め込んで実装実現していくことぐらいが関の山であるらしい。上司との間でそうした問題意識が共有できていれば継続的な形で仕事も進められようものなので、さきに紹介したシステム屋の彼などは恵まれた環境にいるといえるだろう。まあ彼自身はソフトウェア技術者という分野ではないのだが課長という職責を与えられてもプレイングマネージャーを貫こうとしているのは清々しく映る。

今のベンチャーに転職したという自己認識は、自由な風土にあると感じているし、前の会社でもある意味でベンチャー部門に所属していたのではと思っていたぐらい自由な雰囲気だった時期がある。無論大企業病が蔓延するなかで、いかにリーダーが腐心して部下達にベンチャー風土を実現しようと努力していたのだろうかと気がつくのはそうしたリーダーから離れてからなのである。また逆に自分自身がベンチャーの風土を実現しようと腐心して活動を起こしつつあるなかで、型にはめようとする会社の人事方針などがすりあわなくなったのも事実かも知れない。21世紀を迎える中で日本の製造業も年功序列を廃し変身したようなので、これからの若者達にとって良い環境になることを期待したいものである。会社に残り達観あるいは諦観して暮らしていくという道が閉ざされてしまったらしい現在とは異なり、当時の自分としては何か出来ないかと模索していくなかで結果として転職する羽目に陥ってしまったのである。

有数の企業が崩壊していくのを目の当たりにしていると、それまでの歴史も積み上げもあっというまになくなってしまうもののようだ。かつて、その会社のようになりたいと目指していた二つの目指す目標となる会社が前の会社にはあった。どちらの会社も現在では状態がおかしくなってしまい、そのどちらも陥った理由は同様なソフトウェア開発の破綻が契機だということなのだが、自由とは程遠いらしい、その会社の雰囲気が現在の会社で仕事をする中で判ってきた。自由な雰囲気を支えるために必要なリソースをアロケーションすること、またそうしたテーマとビジネスを舵取りしつつ続けていくことなどがベンチャー気風を支えていくために必要なことだろう。多くのベンチャーが起業して実践する過程でビジネスモデルを達成できずに当初確保した資金切れで破綻してしまうのは無理からぬことである。ベンチャーの雰囲気を継続していけることの凄さには、成功するためのビジネス戦略としての優位なパテントなどがベースにあるのがQuad社が続く理由でもあろう。

知己を通じて、Q社の社史が知りたいと申し出てきたひとが現れた。「半導体メーカーとしてのQ社の強さの秘密」といったイメージで弊社を見ているのだとすれば何か場違いな印象は拭えないだった。しかし、考えてみれば自身としての理解整理の意味でもこの申し入れを受けて対応することで得るものがあるとも思われた。流動的でフラットな組織あるいはメールをベースにしたITによるワーキングスタイルが時差のあるアジア地区のお客様にミートしているともいえるし、自身で経験してきたことも含めて話をすればよいように思えたので受けることにした。しかし、実は整理した社史がないらしいという興味深い事実もあるようで、ローカル社長の講演資料などをベースにした上で進めることになりそうだ。そういった意味においても大会社とはいいがたい会社である。社長室などが編纂していくだろう社史がないのはベンチャーの証明かも知れない。

最近ある興味深いデータが出てきたのは、仕事がうまく回る要因が、この自由な風土に根ざしているという事実である。社史の整理がてら見直してきた資料は、作成してきたカタログやお客様向けのニュースレターなどであるが、ロードマップの変遷や組織変革などがダイナミックに動いてきた経過がわかる。保守的な人は、はずれていき前向きな人は登用されて伸びていくのも明確である。失敗の歴史もそうした中には見え隠れするのだが、失敗するくらいの投資がなくては成功はおぼつかないのも事実であり、失敗となった開発成果の回収についての腐心のほどは後年実用化する技術の中で再会したりもしている。自由な風土で働く人々の前向きな積極性が、結果としてお客様を通じたビジネスを捕えて、それを支援していくことで開発が成功していくという図式ともいえる。パテントが柱ともいわれがちなQ社ではあるが、開発支援を積極果敢にこなしていくという姿は、なぜか脚光を浴びないのは組み込みの性なのだろうか。

高いかも知れないロイヤリティーを要求していくビジネススタイルは、無償サポートのなかでお客様も巻き込んだフィードフォワードあるいはフィードバックを実際の市場での確認試験を通じて実証されたソリューションを提供していくということが、実は最も大きなアドバンテージなのではないかと感じるようになってきた。最近は、世の中のご両親たちも小言をいわないお坊ちゃま、お嬢様を育てる風潮になってきていて高ビーなお客様が増えているようにも映る。そんな中でお客様に対しても、対等にアセスメントとして回答をするという風土が無償サポートを通じて、限りあるリソースの中で最良の結果を導いていくためにお客様自身を納得させて導いていくといった仕事になっているように思える。高いライセンスだといわれるライセンス費用を払わずに自社開発した場合を考えていただくのが論理ではあるのだが、ノーチョイスのCDMAではなかなかご理解いただけないのかもしれない。私自身がサポートをしているUMTSサイドの実情からいえば、まさにチップベンダーとしての競争の場であり、お客様自身がようやく重い首を縦に振り始めるようだ。

自由な風土が、CDMA陣営の先鋒である会社の中で起こった、反対側のUMTSの開発というプロジェクトを許容して、ビジネスモデルでぶつかり合う競合キャリアなどとの関係なども含めて、ここまでニュートラルに進めてくることが出来るまでの歴史は書ききれる範囲を超してしまう。まあ、想像していただくしかないだろう。UMTSの開発にアロケートされてきた人材が拡大してきた背景には、開発実績やビジネスに裏打ちされてきたからであり闇雲にここまで走ってきたからではないのである。地道に開発を続けて、全世界に試験場所を求めて端末を自ら持ち込み実証試験を果たしてくるなかで、自由な風土でない会社で進められてきたある意味で傲慢な標準規格というオプションだらけの世界を繋いで来くることが出来たのは必然だったのかも知れない。気がつけばトップランナーとして各通信キャリアからレファレンス端末として利用されるまでにいたっているのは、1999年春のNHKの番組を回想しつつ興味深いものである。