業界独り言 VOL285 明るい日差しの中で

まぶしいばかりの日差しの中で、サンディエゴの港に面したホテルの庭でのランチを摂っている。年度末の会議・研修でのランチの風景であり、各国のセールス・サポート・マーケティングが一同に会する重要なイベントである。世界各地から呼び寄せられた100名以上のメンバーの渡航費用もともかくイベントしてホテルの会議室を四日間も借り切るという費用なども考えると大変な金額となるのだろう。普段は、電話会議や電子メールでやりとりしつつ機能しているビジネスもフェイストゥフェイスで関連者を集めるというスタイルで実施することの意義は大きい。こんな費用を掛けられる会社のビジネスモデルは、どこか普通とは違うのかも知れないが、実際問題としてチップセットの売り上げ・利益をアジアから大きく享受している事実は確かなものであり、そうしたメンバーを呼び寄せるのは一面当然かも知れない。

世界中の嫌われ者といった雰囲気だったQuad社を取り巻く環境も変わりつつある、提唱するライセンスビジネスモデルが認知されてきたというべきなのか。バベルの塔を推進していると思しき、国内トップの通信事業者との協業がアナウンスされてしまった現在としては、挙国一致といった雰囲気などが掻き消えてしまった現実を映し出している。そうした流れに戸惑っているのはQuad社自身にもあるのだろう、3G推進という切り口で第三号選択までも口にした後に、遭遇したこの奇妙なる展開を予測できていた人も少ないだろう。アンバランスを生み出したのは、五年前の手打ち以来ということになるのだろうが、最先端の中でのドラマティックな様々な展開で歴史を刻んでもきた。蓄積した知財によるライセンス費用などを技術投資に回しつつ展開してきた流れは、一面シアトルのコンピュータメーカーと同様に見られてしまうのかもしれない。

萎縮する国内キャリア向けの通信機メーカーとは異なり、拡大しつつある状況に向けて兵力増強として「自衛隊に入ろう」的なメッセージを発信しても平和安住志向の社会ゆえか反応はいまいちである。そうは言いつつもそれなりに拡張したメンバーの中には、国家資格ホルダーで高いTOEICの得点を持つ若いエンジニアもいる。しかし必ずしもそうした人材が、人財なのかどうかは別問題でもある。Quad社というタイトルのみに大会社的な印象を持たれて入ってきたという印象もあり、そのタイトルにマッチする人材になるべく努力するということが見えずに単にお客様との通訳サポートに終始していたりもする。お客様さまの言葉をそのまま仲間達に向けた言葉として伝えてしまったりしていることから、メンバーの一員であると認められないばかりか孤立してしまっていたりする。こうなると私も手出しが出来ない、成果が出ないとお客様からも見切りをつけられてしまう。幅広い技術で支えられている中でのサポートという業務のチームワークを活かすことが出来なければ、致し方ない。

要望されている質問の背景や、次の展開などを気配りして先手をうった対応をしていくというのが期待される姿なのだが、こうした気配りするという言葉の意味を、30にならんとしているこのエンジニアに教えなければならないのだろうか。新卒の学生を雇ったわけでもないのだが、彼の経歴からそうしたことを感じ取れなかった私達の人材分析力の欠如がこうした事態を招いている。この現実を前にして私達が学んだ大きな採用への条件とは結婚経験者でなければ雇わないという意見が出始めている。彼女あるいは彼氏を説得できないような人材がお客様の満足するサポートとしての気配りなど出来よう筈も無いのである。我々が少しずつ学んできた失敗の事例のなかで実は一番大きく見落としていたのは、こうした厳しい環境のなかでモチベーションを高く維持しつつ自分でキャッチアップしていける人材なのである。

そんな状況の中で、新たな人材発掘に向けて、門戸を開いてみると、逆に英語が大きな壁となってしまうようだ。英語が出来てもコミュニケーションの成立できない人材もいれば、TOEICの点のみにこだわりを見せるような気持ちに落ち込んでしまうエンジニアも居るのである。少しずつそうした候補者の人たちの気持ちを解きほぐしているというのが現状なのだが、熱き血潮の人材は日本にはいなくなってしまい、かぁっとなる韓国の人たちが伸びていくのは仕方の無い現実なのだろうか。解きほぐした成果かどうかは別にしても、経営トップに噛み付いて自己改革を始めようとしている人たちの気持ちに火をつけたりした成果も出ている。候補者を失ったという近視眼的な考え方ではなくて、端末メーカーとしての発奮につながり元気の良い開発を始めていただければ私達のビジネスにも繋がるはずなので、こうしたことはずっと続けていくべきだと考えている。

長い人生の瞬間の事象であり、航海を続けていく技術者にとって加速度を感じつつの生活を是非志向してもらいたいと思うのである。加速度を感じなくなれば惰性の人生となってしまい、少なくともエンジニアの姿とはいえなくなってしまうと思うのである。大企業に在籍しているからといってベンチャー的な仕事が出来ない訳では決して無いのである。失敗したあとに失敗しないために仕事に取り組まないというような閉塞した流れになってしまっている現代の状況を打破するのは、そうした事態のなかでの中間管理職の人たちが後進たちを認識して正しくナビゲートしていく心のゆとりを提示することでもあるはずだ。加速度を感じなくなった人生に見切りをつけて、新たな職場に転籍していく人もいるだろう、そのまま惰性で優秀な人材を活用できないでいることのほうが重大な損失である。活用できないが確保しておきたいというような気持ちでは会社は決して成功しないと思うのである。

明るい日差しの中で過ごした一週間の期末のイベントの締めくくりは、奥様あるいはご主人を招いての大パーティである。5000人を呼びホテルを借り切って行った夢幻のひと時は夜中の二時に幕をとじた。一年間の忙しい仕事を互いに支えた配偶者の方に仲間を紹介しつつ互いの仕事を讃えている時間は、この時間のために一年間働いているという気がしているほどだ。モチベーションを高めて最大の効率を出していくためには安い費用だともいえるだろう、こんな風景は、少し前の日本の企業でもあったはずなのだが切り捨ててしまってきたのは本当に無駄だったからなのだろうか。仲間との結束、モチベーションといった得がたいものを亡くしてしまい、仲間が転職して移っていくことで心を更になくして行ったりしているようにも見える。生まれ変わるために必要なことは、実は過去に学ぶと良い素材や方法があったのではないのかとつくづく思うのである。

果たして、来年のこのイベントの際に拡大していく情況の続報をお届けできるのかどうかは、まだ未知数なのかも知れない。Quad社のチップ供給能力が世の中の状況を左右したりするような状況が良いのかどうかは別にしても、必要なのであれば必要なだけ対応していくだろうということは今までの右肩上がりのQuad社の状況が示しているといえるだろう。忙しいだろうの一年の成果を、また暑い眩しい日差しの中でランチを摂りながら反省しあうということが続くように今年も一年頑張ろうと思うのである。パーティに出ずに帰国した仲間は台風の渦中に出会い、飛行機が成田に着かなかったり大変だったようである。パーティを楽しんだ人たちは、台風一過の青空から舞い降りてきたかというと台風で機体が米国に回らずに今日はロサンゼルスで足止めを食っていたりもするようだ。幸い選んだノースウェストは遅延のみで夜の内には帰国出来そうな状況である。来年も楽しみにしていきたい。

業界独り言 VOL284 次代に必要な支援技術者のDNAとは

なかなか、ビジネスが好調すぎる状況が続き、サポートの内情からいえば大変なままである。不幸なことにお客様のプロジェクトが順延したりしたのだが、サポートにとっては幸いだったので、この間に一気呵成に体制強化を果たそうとしているのだが、中々やはり決まらない。こちらから持ちかけるようなスタンスでは、私たちの要望する携帯開発支援というテーマを正しく理解してモチベーション高く嵌る人がいないようなのである。最初に掛け違ったボタンは互いに不幸の始まりとなるし、初恋は悲恋に終わるのも常なるかもしれないので致し方ない。最近のカスタマー増加は、国内ユーザーをほぼカバーするにいたりこれ以上の増加よりも、充実したサポートで応えられるようにするためにも適切な人材登用は最重要な仕事となっている。

人材登用も大会社であれば定期採用といった流れで様々な人材を採用していき、その先輩の目利きの利くうちに後輩や研究室からの推薦を受けた人物をとっていくということになるのだろう。私には分からないのだが、大学卒の方々にはそうした学校風土も含めたDNAがあるらしい。3σの範囲の人材を探していくということであれば、こうした手続きでの確率は高く、それゆえに確立してきたものでもあろう。大学経験のない私にとっては、ある意味で実務と基本しか知らないが好奇心は旺盛で、ともかく仕事を通じて学んで行きたいといった高専のDNAしか持ちえていない。とくにこれが得意といったこともないが、このことには興味が旺盛であるといったことでしかなかった。この技術が出来るとどんな風に世の中が変わっていくのだろうかといった視点は常に意識していたようにも思う。

自身の経験から言えば、景気の悪いオイルショックのどん底に遭遇して、流石の高専でも就職出来ないものかと考えた時期もあった。確かに大手電機メーカーからの求人は悉く、否定的なものばかりとなり自分たちの就職というスタンスから進学というスタンスに切り替えた仲間も多かった。大学で新たに学ぶというものはなく、もう少し追求したいということについての単位しかないのも事実だったのだが時代背景に後押しされてという姿だったと思う。つい最近送られてきた同窓会の報告に掲載されていた進路情報の構成をみて、大学進学率が高いことをまざまざと知り、もしかすると高専の存在意義がなくなってきているのかも知れないと感じた。効率を重んじて適時な教育を目指して実践的な技術者を送り出していくという教育方針と現実の社会風土がミスマッチしているのかもしれない。

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業界独り言 VOL283 組み込みソフト大国の底流

台風が吹き荒れる状況の中でも、追い風として利用すればいけるのでは・・・といった危険な状況を自転車で運転していかざるを得ないような実情が最近の状況である。不安定な自転車からナビつきの自動車で戦略を立てたりといった状況にシフトしつつサポートをしていかなければならないということが私達に求められていることでもある。とはいえ安直な有効策は見当たらないのも事実であり、ある意味で付き合いにくい技術集団という見方もあるのは事実かも知れない、それは手取り足取りリードしていくということではなくて、資料やソースを提示するのでついてきて欲しいというのがスタンスともいえる。そうした対応を冷たいと取られるのかもしれないのだが、プロとしての対応を互いに求めているというのがビジネスモデルである。

匠の技を追求しているお客様もいる、バイトパッキングを追及しつつ仕事を仕上げていくという方針が垣間見えるのは彼らのリンク作業などから窺える。昨今の大規模なソフトウェア開発の現場ではコード圧縮の効果の高いARMのSUMコードなどを適用してみても4MBの空間距離制限に入るのは至難の技なのだが、サブシステム単位でのカスタマイズ配置をリンカに指示するなどの古の技を伝承しつつ仕上げていくというのである。技術の進展は、こうした古の技を必要とすることもなく自動的に最適なコードを追加挿入して余分な開発リソースを掛けずともビルドを完了させることが出来るようにはなっている。匠の技で対応してきた歴史に対して新しい技術によるリンカ機能などは実績の無い新技術ということで先送りにされるのは組み込み大国の一般的な風景でもあるようだ。

開発現場の中で、疑問を感じずに繰り返しの仕事にまい進している人も多いようだ。同じことの繰り返しを厭い自動化やツールによる合理化を考え工夫して対応していくというUNIX的な文化は影を潜めてしるようだ。就職事情の厳しさを反映してなのか、育成されてきた教育によるものなのか若者達の中にこうしたことに疑問を持たずに一生懸命に無駄と思われるような仕事をしている姿も目立つようだ。コスト意識もジョブセキュリティも考えない誉められ教育の「おててつないでゴールイン」的な中で暮らしてきた意識には競争も工夫などへの強い意識が感じられないというのである。空洞化して流出した仕事をつなぎとめる覇気もないということなのだろうか。仕事は流出したものの、流出する技術はあるのだろうかという事を考え出すとお寒いのである。平和というぬるま湯な意識の中では、生きようという意識自体が空洞化してしまっているのかも知れない。

組み込みソフトを開発していくためのMeisterと呼べるような人材こそが、各メーカーのキーマンとして厚く処遇されるべきと考えているのだが、管理者の意識も含めてそうしたことの重要性を正しく認識できている会社は少ないようだ。製品を開発していく過程で必要なコスト削減のための機能選択など厳しい要件があるのは事実で、ビルドするためにデバッグ情報を生成しないことなどを実践してコンパイル時間を短縮したり、デバッグメッセージを割愛するようなFEATUREとしてビルド作成したりしている。当然、緊急事態としての追い込みに入ればデバッグ情報をつけてのフルビルドを必要とする。5000本あまりのファイルを食べて肥大化したデバッグシンボルを生成するには昨今の記録メディアであるDVD-RAM程度の容量が1ビルドツリー毎に必要になる。さまざまなお客様に対応したテストビルドなどを実施していくのにはディスクスペースとしてIEEE1394やUSB2.0で接続されたオプションHDDが必須となってしまう。内蔵のHDDだけでは、行う都度に消してしまう必要があったりするのでキャッシュといえるのかも知れない。

プロトコルセットをキャリア毎に細かく既製服として取り揃えていくという流れが必要になりつつある中で、そうしたことに気を病まなくなるお客様が出てくることには、組み込み大国の有り様について大きな問いかけが始まっているようだ。封緘したプロトコルセットに問題が出てしまった時に手を下そうとすることに意義を見出すお客様が居なくなってしまうのだろうか。製品責任を全うしていく上では必須の事項ではあるはずだが、そうしたアクティビティすらもアウトソーシングしてしまうという時代に入っていくのだろうか。確かにそうしたプロトコルセットのサポートを生業とするスキルフルなソフトハウスも登場してはいるようだ。心地よいほどキビキビと仕事を管理してシステム開発を推進していくタイプの会社として活躍する国産のメーカーだったところもある。国内事業者との間で培われたそうした管理技術を駆使してアジアの技術レベルを高めるべく大陸に打って出ているようにも映る。

抑えるべき点を自社内部のスキルセットとして留保蓄積してきた成果が、管理を全面に押し出したスタイルとしてもタイムリーな仕事を支えているようだ。分業体制が会社を超えて相互活用する時代に入りつつあるということなのかも知れない。自立する子会社たちという姿に照らしてメーカー枠を超えた技術協業が携帯電話の一機種の開発の中でも見え隠れしている。中途半端な内部あるいは自社技術であるならば評価に値しないと切り捨てる時代に入っているというのだろうか。今までの重厚長大な会社などでの社風を変えていくのは子会社からしか起こりえないようにも見える。何かの決断をするといった段階で自社の慣性モーメントの大きさに始めて気づかれるトップの方も居られるようだ。脱皮を目指しているトップの方達の思いと、現場で開発に携わる方々の間には大きなギャップが見えるのはクッションとなっている中間層の方達の優しさが問題なのだろうか。

社風をアウトソーシングの上に成立させるというトップ方針で国内外の端末開発をバリバリと進められているメーカーもある。五年前の印象と今の姿では大分異なってはいるようである意味で成熟からくるきな臭い匂いもあるようだ。大企業病の要因となる部分をアウトソーシングと管理とで解決できるということの難しさには、やはり会社としての血流が必要なのだと思う。これではいけないと思う中間層や若手技術者たちの意識を削がずに高揚しつつ仕事の中で昇華させていくということには、大変なトップの方の努力も必要なのだろう。現場の開発技術者たちを開発迷宮の中で追い込み退路をふさぎ責任追及をしていくということで出てくるものは、本当の問題点なのだろうか。五年前の雰囲気にあったベンチャーの気概のようなものは失せてしまったようだが、ベンチャーの意識あるソフトハウスを互いに競争させて使いこなそうということ相殺しようとしているようだ。ただし、技術の横展開や共通化といった観点での大規模化の利点が生かされないということに気が付いてはいないようだ。あまりにも社員が少ないという事が、悪弊となっていることに違いはない。元気のあるこの業界随一という会社のこれからの脱皮変貌にも期待したい。

メーカーとしての製品開発という枠で、有用な商品企画といった役職にいく人たちの流れが、そうしたスタイルの中では育つことがないように見える。昔のスタイルでいえば、開発経験の感性を活かした商品企画への転籍などだったと思うのだが、最近では最初から専門職として企画の仕事を勤めて、開発に従事してまた経験値を積むとそうした人たちは流出していくようなスタイルに見える。ある意味で会社中がアウトソーシングを目指しているようにも見えるのだが、経営トップの方が考えている姿とは違ってきているように見えるのは気のせいだろうか。トレイニーとしてのコンピュータメーカーの丁稚奉公、国内電機メーカーとしての二十年の経験、そんな枠からはみ出して飛び出した五年間の業界生活を通じてみてようやく、国内電機メーカーの良き時代の良き理由を得心したりもするのは、先端技術の提供サポートを同時並行で異なる国内メーカーに供給しつつ物づくりを支えるという特異な経験の仕事の妙だったりもする。昔の会社の仲間が、Quad社に通信キャリア担当の企画マーケティングとしてジョイントしてきた。有能な女性である。また、この彼女の後輩も同時期に飛び出して元気な携帯メーカーのUMTS企画担当に転じていたりする。強力なコンビが戦場を移して展開されるようだ、端末開発で元気を失っている会社が、その中の活力溢れるエンジニアを外部に輩出して業界の変化に呼応しているのは不思議である。

組み込みソフト大国の底流を下支えする重要な仕事になりつつも、お客様である国内電機メーカーの方々のビジネスモデルが瓦解ではなく脱皮しつつあるということだと信じてナビゲートしていくのが仕事である。大規模化が日々進展しつつある状況のなかで、納期に応じた開発を続けていくことはメーカーとしての最低限のテーマではあるのだが、それと併せてメーカーとしての自覚の中で追求していくべき技術もあるはずなのだと思う。そんな意識をトップの方が持ち合わせているか、現場の方が熱く強くもちつつトップに具申して実現をしていくといったサイクルが残っている会社もあると信じている。携帯電話とPCは異なるということで開発を進めてきた歴史背景を理解せずにPC化の流れに進んでいくときに本来の追求してきたテーマを捨ててしまったのではと思える事態もみえてくる。コスト追求が生んだ結果は、ハードコストよりもソフトコストらしくメモリを潤沢に積み、あるいは制限の無いデュアルマイコンといった世界を安直に始めてしまう。そんな世界に警鐘を鳴らしつつ自分達でライトハウスとして先を照らしていくというのがナビゲータなのである。まともな技術者感性を持ち、将来展望を高感度アンテナでキャッチしつつ確信しつつ実務の仕事の中で展開していくという楽しすぎる仕事に興味を示さない殻に閉じこもったエンジニアしか居ないのであれば、この国に将来は無いのだろうか。

業界独り言 VOL282 人は自らを変えることが出来るのか

長年のラブコールに応えてくれて、とある端末メーカーのエンジニアのA君が、インタビューの要請に応えてオフィスを訪ねてくれた。平日の昼間に年休を取得した上で、インタビューに臨む姿は真面目な気持ちに違いない。家族を支えるものとして生半可な気持ちで臨めないだろうし、また家族の同意を得た上で臨んでいるとすれば、彼の悩みは深いのだろう。忙しい中で休暇取得までして大変な決断を迫ってしまったのかという思いとは異なり、彼自身は現在では家族のための生活として自身の生活を見直しているということだった。とはいえ、国内の端末メーカーにあり、3G草創においては試作機開発やらスタンダードにも深くかかわり開発してきたという彼のような人材が、ヒマをつけやすいという事態は端末メーカーとしての余裕というべきなのだろうか。

メーカーの3σからはみだしてしまった観のあるエンジニアとして、自らの為に会社をうまく使いこなしてきたという感覚のあるA君は、自らの志向と会社の指向とをうまく調整して活躍してきたエンジニアだと思う。肥大化する標準化動向の中で、プロトコル開発の渦中にあっては象を弄るごときエンジニアとは一線を画しているように見えた。そういう思いに到達した彼が次の命題として捉えてきたのはプロトコルをスタンダードからオブジェクト指向的な考え方に基づいたオブジェクト生成を行い見通しの良いキャリア毎の差異などにも柔軟に対応していける、夢のプロトコルスタックの開発だったらしい。ある意味通信端末業界での青色LEDの開発に匹敵することだともいえるのだろう。そんな技術者の知的好奇心を充足せしめると共にビジネスに直結する形で達成感を与えうるメーカーはどこかにないのだろうか。

時代は日の丸プロトコルの開発を死守すべしといっていた90年代からみれば、いかにビジネスを達成すべきかというようになり、ソフト開発のバベルの時代を越える中で変質してきたようだ。重い足枷となりいくら効率を打ち上げてみても近道をしようとしても中々到達しない世界にいるのは釈迦の掌ということのようにも見える。多くの神々達の戦いも、生きることに宗旨替えする流れの中で無為なることに到達したということなのだろうか。WinWinというような時代を瞬間生きてきた人たちがギアを外してしまったのか、なかなか組み立てなおすということに至らない。疑心暗鬼な周囲の諸国家との関係やら、高邁な理想やら効率のみで導けない方程式がそこには横たわっている。ある意味で、そうした状況の中で夢の青色プロトコルスタックを開発してこれた彼は幸せなのかも知れない。しかしビジネス着地こそが会社の果たすべき道だとすれば、そこに行き着けないのではと彼が感じとる状況には将来が描けないということなのだろう。

ちいさなベンチャーとして始まったQuad社の歴史は、彼の社会人生活と同期生という見方も出来る。まだ二十年に満たない社会人生活も会社の歴史と比較をするのが彼の今夜の家族との会話になるのかも知れない。しかし、大企業の技術者として暮らしている現在の彼の殻をやぶって、歴史の浅いベンチャーの中で仕事をするということについては家族の方も彼のなかに流れる熱き想いを感じてくれるに違いない。そう、今彼は会社を選ぶ側に回り、自分を生かす主体が自らにあるスタイルでの仕事に入ろうしているのでもある。日本的な湿気のあるような会社生活ではないのかも知れないが、日本の会社が目指している米国的な会社スタイルとも相容れない雰囲気があるのはQuad社の不思議なところでもある。私自身は、ベンチャースピリットのある仕事を求めて移ってきたというのが正直なところでもある。前向きに暮らして生きたいという想いをもつ人たちにもっと集ってもらいたいと思うのである。

A君の面接を通して、彼に自分と同質なものを感じたのは、かつての自分を重ね合わせてみてしまったからなのかもしれない。かつてプロトコル開発というには稚拙な時代に私が取り組んだことはといえば、当時のアセンブラベースのシステム開発にへき易して到達すべしとして捉えていたコンパイラーベースへの移行であった。そしてそれを自らの強い熱意で期待を超える成果としてアセンブラ以上の性能を実現して実用化に達することが出来た。そんな時代の中で彼のようにアセンブラで苦労していた開発をする気に掛けていた元の愛する同僚たちのいる職場があり、まさに1986年というのはそんな時代だった。そんな愛する仲間の為を思って開発に注力していたコンパイラは不純な理由だったのかもしれない。当時は、端末開発に向けてソフトウェア開発という仕事の黎明期の中で女性活躍の陰で頑張るお姉さまエンジニアたちに可愛がられて育てられていたエンジニアなどが彼の時代のエンジニアなのかもしれない。

そんな旧き記憶を呼び戻しつつ、次の時代に向けて考えていた90年代後半の自身の覚醒などを思い返すと現在の仕事などを予見していたのだろうかと合点がいった。大企業の中ではベンチャースピリッツ溢れる仕事に恵まれるという幸せで暮らしてきた自身が、殻をやぶってしまったことは自由に裁量を与えてくれて開発に取り組ませてくれた先輩上司のお陰でもある。未だに教えを請う先輩は、溌剌と後身の育成に取り組まれているのである。彼も会社生活としての成人を迎えようとしている中で、大きな挑戦というのが自身を変えて新しい目標に挑戦できるのかということでもある。彼同様にQuad社自身も20年という成人に向けて殻をさらに破るということが必要なのだとも思う。今、ブロードバンド接続の中でグローバルな仕事環境の中で仲間達の時差を越えて開発をしているという自分自身を思うに、私自身が昔、まさに考えていた仕事の流れの中に今があるということも再認識してしまった。

私が、捜し求めているのは私自身の変革に必要な後任であり、摩訶不思議な縁により行ってきたモデムの世界の開発支援に必要な、これからのコンパスを持っている人物である。そうした目的に沿ってみると、A君の青色プロトコルスタックの開発などはQuad社の羅針盤になるかもしれないのである。そんな強い思いを彼が抱いてくれるようになれれば、きっと彼が思い悩むことへの私からのカウンタープロポーザルになるのではないかと思っているのである。なにしろ私の予見は今まで悉く当たってきたという見方もできるので、この予感も正しいのではないかと確信してもいるのだが果たしていかなものになるのだろうか。五年間という雇用期間サイクルが一巡するなかで私が考えてきたアプリケーションを主体とする時代に遭遇しつつQuad社自身も大きな変容を遂げてきている。きっと創業20年の頃には更に変身しなければならないのだろう、そんな時代に向けても核となるモデム技術者としてのA君のような自身に羅針盤を持つ人は大歓迎なのである。

会社生活に違和感のあるエンジニアは、少なくないのかもしれない。A君のように自己分析をして次なる施策を考えて行動をしている姿を見ていると変態を遂げようとしている渦中なのだとも思う。どんな艶やかな転身をするのかは不明だが、自信みなぎる明るいA君に会えるのではないかと期待もしているのである。技術を理解する仲間のなかで、時期をもとめ周到に実用化していくという仕事がかつての日本企業の良い点だったのだが、最近では直近のことに気を取られたり意味の無い開発投資とは名ばかりのアウトソーシングとしてのソフトウェア開発消費に充てられてしまっていることでA君のような優秀なエンジニアのモチベーションを亡くし暗いという印象を与えてしまうような情況に陥らせてしまっているのではないだろうか。A君がQuad社に来るとは限らないし、今の会社で青色プロトコルスタックアーキテクチャを開発するもよしである。私が予感する次の姿は、まだ此処には書かないで置こう。

業界独り言 VOL281 順風の嵐の中で

順風満帆を通り越した観のある状況が続いている。逆風で苦しんでいる人たちに比べれば羨まれる状況なのかも知れない。しかし、忙しさも大変さもこの上ないのである。突然台風の追い風の中で自転車競技で逃げ切れとは言わないまでも近い状況が起こっているのではないだろうか。Quad社の中でのビジネスも、この五年間の中で大きく様変わりを遂げてきている。よい意味で積極的な展開の中で大きく成功を収め伸びてきているといえるだろう。そうしたベンチャースピリットを失わない社風の中で、安定を求めたりしている人がいるとすると、アゲンストの風になるようだ。会社の方向が変わる中で自分自身も期待されるものに変身していくことが望まれるのはベンチャーの常であろう。寄らば大樹の意識でベンチャーに奉職するのは大きく間違っていることに気がつくことだろう。

会社が成功を収めていく上では、順調に事業を伸ばしていくということが求められるのだが、期待以上の成果が上がってしまった場合には処理しきれなくなるということも起こってくるのである。現在のボトルネックは明らかに、求人活動にありグローバル体制の中でエンジニアとしてのスキルを発揮してユーザーに対してコンサルティング能力を展開していける三河屋の御用聞きになれる人材を集められるかどうかが鍵なのである。コミュニケーションスキルとしては単に英会話能力を要求しているだけではなくて、ごく普通の感性としてのお客様の痒いところに手が届くことが提供できるのかどうかが課題なのだといえる。深い専門と幅広い知識に裏打ちされたコンサルタントをお客様からは期待されているのであり、生きたナレッジベースとしてのQuadの組織を活用していける感性が求められているのである。

とはいえ採用というワークの重要性・難しさについて殊更あげるまでもないのだが、五年間に出会ったいろいろな候補者の中から選択をしてきた中には我々の懐の浅薄さから失ってしまった事例もあげられる。AさんとBくんという二つのアプリケーション技術者の候補者について、一人の採用枠を適用すべく試験や面接を試みてきた。経験豊富なAさんは30代後半という状況の主婦でもあり、初期AMPS携帯電話の組み込みソフト開発の経験を経た上で、いまではシステム開発などの受託をフリーランスでやっておられる優秀なエンジニアである。B君は、まだ20代なりたてのエンジニアであり専門学校でソフトを学びソフトハウスに入り3G開発に明け暮れるメーカーに派遣されて、システムテストの渦中での問題切り分けに奔走してきたというふれこみだった。

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業界独り言 VOL280 最新流行の開発スタイルとは

携帯電話の開発スタイルが大きく揺れている。開発プロセスがどうしたというレベルではなくて、ビジネスモデル自身が揺れ動いているようだ。唯我独尊というスタイルが日本の組み込みのお家芸とでもいうのがTRONをはじめとする、20世紀に到達した一つのビジネスモデルであった。各社が個々にオリジナルアーキテクチャで似て非なる端末を、通信事業者の仕様というスタンダードに合わせて物づくりを進めてきた。通信端末メーカー同士の競争というよりも、通信キャリア間の競争によるサービスやフィーチャーの競争といったものが実体だったので国内の端末事情だけで見たシェアと国外への輸出までを見たシェアでは異なった姿が透けて見えてくる。国際的に見ても唯我独尊を地で行く北欧メーカーによる覇権も陰りを見せてきた。飽和してきたニーズの先に広がって見えるのは人口としてのニーズが予測しやすい中国なのだろう。

北京の地で見た、高度な都市を目指している街づくりとは裏腹なスモッグや整備不良の自動車の氾濫には、危うい中国の薄さが見えているようだ。海外メーカーとの提携による現地生産された自動車群が、国としての環境などに気を配らないままに成長のみを目指してきた流れの果てがこうした現状なのだろう。どこかで見た風景ではある。21世紀を迎えて、夢の鉄腕アトムは登場せずにペットの犬が登場したのが現実でもある。悪夢のようなテロを始めたのは日本だったりもするのは、流行の最先端をリードしているので日本をウォッチしようというのが会社としての方針に掲げられるのも無理からぬ事でもある。ただし、理解不能な文化ギャップの点などからも、その隙間を埋めていくための仕事には大変な努力が必要とされるのだろう。チームとしての仕事の推進、事業部としての中期戦略、会社としての長期戦略といったレベルでの判断が求められる中でチームとしての仕事や事業部としてのビジネスが達せられていくのである。

携帯電話の開発スタイルを具現化あるいは選択していく上での課題は、通信事業者が抱えているビジネスとしてのスケジュールを達成していくことと端末納入を果たすメーカーでの開発リソースや選択したプラットホームでのアプリケーション開発や流通性の容易さ、モデム機能としての完成度などなど多岐に亘っている。中々、全てを満たす回答を用意できるところは少ない。色々な誤解の上に立脚して始まった製品開発が途上で暗礁に乗り上げることもままありトップ判断のみで始まった結果といった場合には、まあ良いのであるがそうした状況を経験したうえで現場での判断を仰ぐようになってきた会社などでは現場のマネージャーレベルにも重圧がかかってきているようである。ビジネスの戦場が国内の飽和した状況から海外戦略に移っている今となっては、どこかのトレンドを作り追いかけていくという能天気な図式に追従していても致し方ないということでもある。

国内通信キャリアや端末機器メーカーといった携帯ビジネス業界をターゲットにした展示会が今年もやってきた。経営トップが交代したり大規模なリストラを敢行して再生を掛けようというようなキャリアや端末メーカーなどがあることもあるのかバブリーな雰囲気は無くなり堅実な路線になりつつあるという見方もあるという。そんな話と会期前半の人出などから首肯していたのだが、最終日の金曜日は給料日ということもあり賑やかな人出となったのは、忙しさなどの反映と給与日などの反動などが出た結果からなのかも知れない。開発スタイルの狭間で忙殺されている中で最終日の展示会要員として駆り出されてみた印象は聞いていた話とは違っているように映った。もともとQuad社が展示会に出ている意義そのものが何なのかという聞いてはいけない不文律があるようにも思えるのだが、展示会で展示したからといって売り上げや商談がまとまるような性質の会社ではないのである。

まあ一説によれば、日本法人の社長が業界時事放談のように切り込む業界への提言をイベントとして受け取ってもらえる場所であり、その見返りとしてブースの場所を借り受けているというのが一つの解釈としてまことしやかに流布されていたりもする。多くの訪問者の方々は、Quad社の取り組んでいる技術の概観をそこで知り、次のステップに行くという本当の私達にとってのターゲットではなくて通信キャリア自身の会社の方達にご自身の会社で扱われている技術を正しく理解していただくといった流れだったりもする。コンテンツプロバイダーの方達にまでなるともっといい加減となり、30fpsのQVGAの画像技術というハードソリューションと15fpsのQCIFでのQXVといった自社のソフトウェアソリューションの画面サイズと名前とを混同して同様なものとして理解されていたりと、まぁ千差万別である。三日間の会期中にコンテンツプロバイダーに向けたバイナリ環境の技術メッセージなども活況を呈していた。

知己や先輩の方々なども多く来場いただきご挨拶を差し上げることも出来なかった大先輩もいらっしゃった。バイナリー環境についてのメッセージに強く賛同された大先輩からは同様なプロセスをPHSの上で実現しようとしているんだという積極的な支援の言葉も頂いたりして大変恐縮もしている。金曜日一日の出席ではあったものの良い機会を頂いたと感謝もしている。いつもメールで独り言を差し上げている昔の仲間も製品出荷が出来たので一段落しましたのでといって挨拶に寄ってくれた。この会社側に加わってから五度目の展示会となり、当時から考えると会期中アテンドしなければならなかった時代からみると大きな発展を遂げてきているなと改めて感じもするのである。自分の仕事を次の段階に進めていくといったことを考えて行こうということなどが最近の開発支援というサポートの仕事の変質あるいは変容といったものから感じてきているのも事実でもある。

ちょっと変わったお客さんも来ていた。携帯電話で行う放送システムについての特許を取得したという御仁である。デジタルTVのモバイル放送などの向こうを張って効率の良いデータ放送の仕組みを実現するのだというのが主張らしくいわゆるコンサルタントとしての事業と特許取得とを進めている御仁であった。ままそうした御仁にとっては業界の仕組みがとうなっているのかという理解が欠如したりしているし、彼が主張するところの技術の骨子については業界側の理解が欠如していることもあって中々思うような展開にならないということらしい。彼が取得したという特許番号はP3504584なるものであり興味のある方は取り寄せられて参照されるとよいだろう。少なくとも第三位の通信キャリアが運用しているデータプッシュのサービスの仕方は抵触しそうな内容である。彼としてはシェア18%の相手をする気はさらさら無くてCDMA2000/WCDMAの上でデジタル放送よりも効率的に無料コンテンツを放送したいという要望のようだ。

ビジネスを開発したいという目的からすれば、通信事業者が享受する利益についての説得などの説明があるべきであるが、学者さんゆえの彼の認識では皆が同様のコンテンツ取得を行っていることの非効率さを是正したいというのが理論的な話であり、これでは通信事業者が考えるコンテンツを沢山アクセスしてほしいという意図や売り上げが減るといった少し前の時代の話からしても取り合えないという話となるようだ。最近ではパケット専用のシステムを構築する中で放送機能までもも視野にいれたデータ通信規格を論じているCDMA2000などやWCDMAからのHSDPAなどでも、従来から国営放送株式会社などジョイントしてきたシステムまでも蔑ろにして反旗を翻すこともなども出来ないという事情などもある。すでにいくつもの通信キャリアなどとの話し合いをしてきた結果らしく彼としては、どうも国策として推進している事業に反旗を翻すことは現状の通信キャリアは出来ないらしいということまでは認識をされてはいるようだった。

もっと前向きに国際特許を取得して海外にまで打って出るということなどをすれば、国策などとのコンフリクトもなく逆に通信規格に盛り込んで逆上陸とった手もあるのだろうが、そこまでの戦略はないようである。まあ彼が記述した学者から見たcdmaとTDMAの双方に適用可能と書かれている特許内容の文章を読むと、CDMA本陣の会社としては彼が言及しようとしていることの本質が理解されないだろうなということと、そうした非効率さを逆手にとって改善した1Xevdoのシステムなどや非同期でシステムを構築しているWCDMAといった世界からみると彼の特許自身が伝えている周波数という概念が論点となり、おそらく特許としてはWCDMAには不適合ということになるだろうし、EVDOでは採用しない技術となるだろう。まあ孫さんたちのビジネス抗争の中でもまれていくことが唯一の生きる道が、ほそぼそとTDMAシステムで構築運用されている通信キャリアからパテント費用を期間限定で得ることしか出来ないのだろうと思いもする。

特許で生き抜こうという彼の思いを遂げるには、ちょっと現在の流れを読み違えているによもみえるものの、彼の考える学問解釈としての戦いがまだ続くのだろう。バイナリ開発環境としてのスタンスが確立しようとしている流れから、時代からの要請として全てのアプリケーションをバイナリメソッドで開発できるようにという動きが活発化してきた。ゲームやアクセサリをベースに進化してきたメソッドの更なる深化が求められている。ツール提供を無償で行いAPI開示のみでやってきたビジネスにも転機が訪れようとしているのは、周囲からの要請としてのオープンソースの技術やら、有償でサポート要員までも提供するといったビジネスなどを提供している技術達との対抗策を求められるからでもある。「幾ら払えば公開してくれるんですか」と札びらを切るようなことを申し出られると「一つの契約の範囲で出来ることを出来るだけやります。お客様の端末開発を最後までサポートします。」といったことを社是として取り組んでいる会社にとっては不協和音となる。

全てお客様の要請に応えられる状況にしておくという目標に到達させようという努力をしてはいるものの、欧州社会から嫌われてきたCDMAの覇者という烙印を消し去るまでには、まだまだ多くの努力が必要となっている。幾つかのモデム開発での努力については実りを迎えてきており、最近では新規参入の実績のないチップセットメーカーの技術採用については通信キャリア自身から端末機メーカーに開発期間からみての指導などが入るような時代に突入してるのはそうした積み重ねの結果でもあるだろう。モデム技術を追求して端末構成技術としての低価格マルチメディア対応端末が構成できるソリューションとしての技術提示をしてみてもアプリケーションプロセッサに慣れてしまったお客様にしてみれば当たり前のことを凄いことと捉えるには至らないしワンチップで行うことの凄さを価格面の次に、開発スタイルとしてもasisで使える凄い技術を普通に提供していくことに向けた努力をしていくことが今の課題である。

ともあれ一式ソフトも開発環境も揃えてPC上で開発可能な環境を提示してあげなければ、開発費用の観点からインドや中国で行おうとしているソフトウェア開発の効率化という観点が活かされないということにもなる。まずはハード的にも安くて、ソフトウェア開発の費用としても超安価に仕上がるというとてつもないビジネスモデルを要求されているのが、お客様からの求められている開発プロセスというのか端末ビジネスの実情ともいえるのである。「一式揃えて持ってきてね」という台詞がまかり通る時代になりつつあるようで、仕上げの作業は中国インドで実施するとなると果たして日本では企画のみに終始するというユニクロのような時代になってしまっているのかも知れない。幸いにして北京の午後の会議などには関西空港から行けば一泊二日で参加が可能となっているのも事実である。月曜にお客様Aをたずねて大阪入りして、火曜の朝には関西空港から北京入りしてお客様Bとのデザインレビューを実施して水曜の朝には中国事務所から社内電話会議に参加して午後の飛行機で成田に帰ってくるというような時代なのである。

業界独り言 VOL279 大阪、北京、サンディエゴ

ピンポンのようにめまぐるしく活動している会社の中で限られたリソースで行う仕事の今年の実情については、ちょっとイメージはしていたものの実際の現場ではなかなか大変である。解決するには、リソースの追加と開発アイテムの無駄の削除ということにもなり、解決するために更に忙しさを助長するというのも仕方が無いといえる。魔法使いを探しているわけではないのだが、ごく普通の感性の組み込みソフトウェアエンジニアとしてサンディエゴとお客様の間に立ち明るく解決にまい進してくれる前向きな人物を探しているだけなのだ。当然多岐にわたる携帯電話のソフトウェアの全てに対応可能なスーパーマンなどを求むるべくもないし、バリバリと開発管理を推進しているような現在の携帯端末メーカーのキーマンを引き抜くつもりもない。以前までは重要視されてきた3G開発でのプロトコル開発の経験や知識は最近ではあまり重要とはいえなくなってきた。多年の会社としての蓄積がブラックボックスとしての完成度を高めてきたこともあり、携帯電話開発の上での重要な事は、端末としての魅力となるソフトウエア開発全体になってきた。

端末のレファレンスデザインとして提供する内容自体が、プロトコルソフトウェア屋あるいはベースバンドチップセット屋といった集大成でかつ世界各地での相互接続性試験などをクリアしてきたというのも当たり前となっている。いまではその提供されるチップセットやソフトウェアを使って、そのまま作れるソリューション提供が求められているというようだ。端末メーカーが何をするのかといえば、端末の企画を策定してコストの合うデザインハウスを選択して、最終価格がクリアできるチップセットを選択する。無論チップセットの選択の条件には、それを使って作りうるアプリケーションの全貌が見えていて対応するベンダーでの開発が容易なことも視野に入っているだろう。昨今の中国市場に向けた開発においては、機能も価格も厳しい条件が課せられて開発主体となるデザインハウスやソフトウェアベンダーも勢い中国やインドといった地域のリソースを使わざるを得ないというのも実情といえるようだ。

国内向けの端末開発でさえ、そうした傾向は色濃くなってきておりお客様のオフィスを訪ねるとアジアの仲間達が一緒に働いている姿を目にするし、またそうした仲間が窓口となって実際の開発の多くが彼らの自国で行われているようでもあるらしい。国内のサポートとはいえ、関西地区のオフィスに詰めながら、コンタクトしているお客様とは彼らの日本語や私の英語やらを通しての相互理解を高めていくことになっている。大阪事務所の近くには、割とお奨めのインド料理店があり、ここのカレーは日本向けにカスタマイズされているとはいえ、サンディエゴの仲間のインド人達にも評判の良いお奨めの店である。高くもないしやはり大阪は食い倒れの町ということの表れでもあるようだ。今年になってから、ソフトウェアハウスとの直接的なサポートを要求されるような事態が増えてきたのもチップセットビジネスのサポート形態の変容が理由に挙げられるのだろう。とはいえ、ライセンスビジネスの観点からデザインハウスやソフトウェアハウスを対象にサポートをしていくということにはQuad社自身のビジネスモデルの変革が求められてもいる。

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業界独り言 VOL278 ビール工房の杜氏探し

ビール工房で杜氏探しとは、季節外れというか的外れというかおかしなものである。まあ、米国でのプロジェクトの名前がビールに因んでいるのだが、これから国産メーカーの端末としての仕込み醸造を始めるに当たり杜氏に相当する人が必要だというのが、国内キャリアの意向ということで既にミスマッチしているという状況にあるのかも知れない。ビールをおいしく仕上げるには材料だというのが米国の仲間の意見でありおいしい麦芽を準備しているのだという。日本では、きめ細かな泡立ちやのど越しの切れなどが望まれるというしビールのラベルにも留意が必要だというので、話があらぬ方向に向かっているという危惧もある。まあ最近では、ノンアルコールビールをコカコーラが出すような時代でもあるので、ビールとしての素性などにまで言及する人がいないのも事実からも知れない。出来上がってしまったものをASISで使うということが求められてしまうのかも知れない。

杜氏といえば、灘の生一本なども含めて関西地区にこそ居るような気がしているのだがいかがなものだろうか。幸い、酒都と呼ばれる地区にもお客様がいるし、関西にはユーザーが多いのも事実である。衣替えの季節を迎えて、夏の日差しの中で人の動きが始まっている。サンディエゴの青い空が好きですという人も居れば、メーカーの開発受託支援の中での経験を前向きに生かして源流での仕事がしたいからという人もいる。長年送り続けてきたラブコールが届いた人などには、サンディエゴからは以前の面接の際のコメントなどが再度メールで送られてきたり二も無くOKという連絡が入った。いろいろな背景があって面接OKにも関わらず周囲の状況の中で押し潰されてしまったというのが、もう四年も前の話でもあった。そんな状況も彼が続けてきた仕事を通じて後輩を育成して彼自身が巣立てる状況に変わったようである。

モデム開発という仕事がメインだった五年前とは、様相が異なってきた現在ではアプリケーション支援が主要なテーマになってきた。モデムは動いて当たり前という段階に入ってしまったチップベンダーが注力するのはそうした部分になってきている。といってもLinuxでbootを早くしようといったことでもないのだが、基本は安い端末を実現するためのソリューション追及という観点がチップベンダーとしての付加価値であると考えているのである。ビール醸造キットをリリースしてみたところで、そうした趣味の領域を楽しみつつメーカーとしての味付けにこだわろうということが少なくなってきたのは時代なのだろうか。自前で育成してきたUIをあっさりと切り捨てて、レディメードのものに切り替えてしまった会社もあるようだ。自前のUIの考え方をそうした醸造キットをベースに追求しようとしている真摯なメーカーなどのサポートをしていると気持ちが良いものである。

増え続けるカスタマーに対する答えや、仕事の方向性としては雛型となるソフトウェアキットの提供などもあるだろうし、着せ替えとなるような洋服となるアプリケーションなどを開発するベンダーも登場してくるようだ。アプリケーション間の管理的な動作などを規定するキャリア毎の詳細な仕様などに対応するフレームワークなどもパッケージとして開発提供あるいは流通する時代になりそうだ。通信キャリアによっては適用するアプリケーションを直接コンタクトして開発を進めるといった動きなども想定しているようだ。携帯バブルで溢れていた仕事の内容や質が問われる時代を迎えようとしている。端末メーカー以上に自身のビジネスモデルを模索しているのがいわゆるソフトウェアハウスのようだ。通信キャリア毎のノウハウや端末メーカーの違いなどを吸収する仕事を続けていくことで積み上げてきた蓄積をある意味で工数販売してきた流れからの脱却が求められている。

しかしソフトウェアのプロではあるものの端末ビジネスの表舞台に立ってこなかった歴史から、あくまでも下支えという仕事から自立するビジネスモデルは描きにくいのも事実だろう。開発してきたノウハウを表立ってIPとして出せないのは、過去のお客様との契約であり、仕様書などから得てきた仕事の流れからきたものだからだ。組込みという世界で共通フレームワークとしてソフトウェアが流通する段階にまで至るのだとすれば、一大革命ともいえるだろう。端末メーカーとしては特色あるデバイスなどに注力して差別化を果たしていくだろうし、アプリケーションベンダーが登場してFilemakerのような会社として独立していく時代になるのかも知れない。ソフトウェア技術者としての仕事という定義が最近では、ハイレベルの仕様書のみを書き起こす仕事となっているようだ。こうした仕事が消滅して、もしかすると企画会社により物づくりが達成するPC事業のようになってしまうのだろうか。

杜氏としての技術追求を指向しているような人たちにとっては、メーカーとしての物づくりの仕方の変革はあるいみで産業革命のような位置づけの中で付加価値を求められる流れから追い風になるのかもしれない。IT時代の杜氏としては、同時にいくつものアプリケーションベンダーや端末ベンダーとの調整に臨みつつ、国内を渡り歩きメールを交換を重ねて最終端末の確認をしにまた現場や西海岸での検証作業などを繰り返している。ハードウェアの設計作業自体も最近のお客様の状況では、リファレンスデザインの提供でお客様が完成度を高めていくという仕事のサイクルがビジネススタイルに合わないという状況になっている、いまではそのまま使える部品であり設計そのものを期待されているという風潮となっている。台湾や中国メーカーがODMとしてハードを開発して、日本メーカーでは特色あるキーパーツの開発に注力して、日本の企画会社が端末としてのアプリケーションセットを決めて纏め上げるというのが2006年危機という時代なのだろうか。

まずはやってみようという気風に満ちている関西の杜氏たちを探して、私達自身の仕事容量を増やしていこうというのが作戦なのである。物怖じしない気質の関西出身のエンジニアを収容できるようなインフラとして設けた大阪の事務所なのであるが、まだ一人しか見つかっていないのである。行き来しつつサポートするという仕事のスタイルを続けざるを得ないのだが、のぞみの移動時間も勿体無いというのも事実であり気概ある人材を発掘したいと思うこのごろでもある。口数の少ない人ではサポートは務まらないのでコミュニケーションをお客様との間と達成しつつ、端末作りの理解を果たした上で技術開発メンバーとのコミュニケーションで問題解決を果たしていくというビジネスには、実はもう日本人では当てはまらないということなのだろうか・・・。

業界独り言 VOL277 夢か誤解か

先日、山登りクラブの先輩と大阪地区で食事をしたのだが、初めての単身赴任生活に面食らっている様子でもあった。今では、立場は違うものの無線仲間であったり山歩きの仲間であった当時の話でひと時を過ごすことが出来た。米国製のキット作りの話なども持ち出してみたところ驚嘆もされた。確かにHFのフルセット機能搭載のトランシーバーをキットとして提供するメーカーのベンチャースピリットと共に設計完成度や製作の容易さなどは、かつて彼が自らの手で作った製作記事などを雑誌「ラジオの製作」に投稿していたころを思い出させたのかも知れない。かつてのキングオブホビーと称せられていたアマチュア無線が単なるQSLカードなどのメンコ交換やラグチューに興じさせて買えば済むといった状況にしたのにはメーカーにも責任があるのかも知れない。また、携帯電話やPHSを開発投入していくなかで不安定さの通信を楽しむといった気風は消し飛んでしまったらしい。

そんな先輩も端末機器メーカーの技術トップとしての一面もあり、いまでは端末開発でのソフトウェア開発の苦労とがっぷり四つに組んできたということもある。このメーカーが要求することは、少しいつも時代の先端の先を行き過ぎてしまう嫌いがあるのだが、一年ほど前に言われてきたのは「すべて一式ソフトウェアを納めて欲しい」というものだった。要素技術を提供していくのがQuad社のビジネスモデルではあるものの商用端末のソフトウェア一式を開発提供して欲しいというメッセージは異質なものであった。当時の回答は、そうしたビジネスモデルは無いのですが・・・というものであった。それから一年余りが経ち、同様な要求が他のメーカーからも出るようになってきた。これは夢か誤解か・・・。背景には、乗り遅れてはいけないという緊迫した事情が3G携帯開発業界に走っているようだ。トップランナーの通信キャリアが繰り出した先行商品の後続端末を適正なカテゴリーに納めた形でものづくりをする必要に駆られているからだ。

2006年問題の提起などや、最近の定額通信事情などが通信キャリアの再編劇などへのストーリー展開などがあるようだ。確かにメモリーが潤沢にあることを要求されるような、UNIXベースいやLinuxベースの端末が全てのプラットホームに共通するわけでもないらしい。要求されるカテゴリーに対応する技術や商品の売り込みがチップセットベンダーから一斉に行われているのもそうした背景に呼応するものなのだろう。既定路線としてのモデムチップとアプリケーションチップではカバーできない内容なのかも含めて開発費用がBOMに占める割合なども含めての精査が日々行われているのだろう。海外のチップベンダーがセットメーカー参りを続けているのが最近の特徴であり、以前であれば逆にセットメーカーが海外まで詣でていたのとは何か事情が異なるようである。どうも要因にあるのは、Quad社の活動でもあるようだ。Quad社の中のソフトウェア事業部門の最近の動きが理由らしい。

Quad社が提唱するバイナリー実行環境が、正面斬って表舞台に活動を現してきた。ソフトウェア事業部門とチップ事業部門とのコラボレーションが一つの特色ともいえ2Gから3Gへのスムーズな移行を目的として儲けなしで他社にも塩を送るようなスタイルに面食らっているのも事実だろう。取り巻く他の国内の通信キャリア達も当惑気味でありながらも、開発環境あるいはプラットホームとしての可能性に着目しているようだ。移植キットを提供しているスタイルの上で自由に移植してよい開発環境というものは、稀代の施策であると思うのだが、これを応用してビジネス向け無線端末機器の開発に適用したらなどと夢見てしまうのは門外漢ゆえだろうか。携帯電話のような専用チップの支配がないからなのか、なかなか腕まくりをしてみても始まらないということなのだろう。数が出ない製品にこそ標準プラットホームの利用が求められている事実と、そうした手当てもままならずに採算割れとして撤退していくような状況もあるようだ。

適当なARMコア内蔵の集積度のマイコンが利用可能であれば良いのだが、業務用などの無線機器のデジタル化の流れの中でせめてマイコンコアだけでもARMを載せたチップ開発などをしてもらえればと思うのだがいかがなものであろうか。ダウンロードモデルでの課金システムでなくとも最近ではこうした実行環境をプロトコルを越えて利用しようという気運がお客様からも出てきているようである。自社マイコン搭載のチップセットを利用してきた過去の流れからの決別などを考えているのは、ソフトウェア開発費用の最適化共有化といった目的に照らして共通アプリケーションが流通可能になりはじめたからてもあるようだ。無論、携帯電話開発の事業としてみれば、開発環境としてWindowsベースでの開発キットの上で複数のアプリケーションのインタラクションなどの検証が可能になる状況は、出荷母数の少ない無線システムにおいても携帯電話などに向けて開発整備されたミドルウェアを共有したりするといったことを支える大きな力になる。

開発効率の改善という目的であれば、毎回スクラッチ&ビルドを行うような仕事の仕方がもとより問題なのだが、プラットホームに振り回されていて効率が低下しているというケースもあるのかもしれない。とはいえ色々な背景のなかで仕事をしているビジネスの世界では傍から見るほど話は単純ではないのも事実なのだろう。落ち着いて端末開発の地力を蓄積しつつの仕事をしている会社もあれば、件名消化にのみ終われていて放出消耗しているという感じに映る会社もあるようだ。同じように技術パッケージを示してみても関心を示さないか、反応が全くことなるのもそうした状況の裏返しということでもあるだろう。モデム屋として通信プロトコルの試験をいくら重ねてみても、そうしたことへの関心は薄れるばかりである。第三世代バブルが弾けた理由には、いつまでも火付きの悪い、頑固な欧州などに見るような明確な第三世代への移行理由が見当たらないケースが支配的だという説もある。余りにも期待しすぎで投資しすぎた移行を急ぎすぎた日本などが自家中毒を起こしているのではと私は思っている。

いまの仕事に照らしてみると期待するビジネスを進めていく上で最も好ましい人材とは、端末開発メーカーの中で開発プラットホームの検討に傾注しつつ、実際の開発部隊から浮いてしまったような人たちなのかも知れない。本来、端末開発メーカーの中での重要な仕事として位置づけられているべき仕事が、スケジュール優先のままにリーダーシップを発揮できずにいるのだとすれば、逆にそうしたワークを評価される立場に回ったほうが互いの利害一致も図れてよいはずなのだが。クラブの先輩から頂いた期待値から言えば、来年には、そうした端末ソフトウェアの一式提供が図られるような時代に突入しそうだというのだ。そうしたソリューションを出せるチップベンダーが伸びていくのかどうかはまだ不明だが、開発ビジネスが変わりつつあるように見えるのは昔の電訳機開発を受諾するデザインハウスのようなビジネスに近づいているのかも知れない。

業界独り言 VOL276 爽やかな一陣の風の如く

爽やかな薫風のみどりの新人の季節である。電機業界もここ数年続いてきた景気低迷の中からの回復基調であるらしく、存在意義も虚ろなままにすっかり空洞化してしまった組合の形骸化したみどりの日のメーデーなどとは無関係に、景気の成果として給与や賞与などにも良い結果が伝えられているようだ。景気の明るい兆しが技術者にとっても良いことなのだろうと思う。電機業界という中で長年勤め上げるというスタイルが当然のように思っていたりするのは確かに傾向としてあるようだ。つい最近、先輩の方々が会社を勤め上げられて第二の人生をスタートするというのを見ていると若手技術者とは異なった潔さやエンジニアとしてのプライドや若々しさを改めて教えてくれた。無論世の中の変遷の中で担当する業界の縮小でサバイバルをして転職をして自分の考えるスタイルの仕事を目指して頑張っているエンジニアなども最近の候補者のレジメなどからも窺いしれるようだ。

技術者という枠にとらわれないで知人を見てみると、一昨年来、お付き合いしてきた不動産の担当営業のIさんの事例なとも興味深い。みどりの日にIさんが、転職されるということで拙宅まで挨拶に見えられたのである。こうした業界の中では人の異動は普通に起こることらしいのだが、彼女の転出については現在の不動産会社の社長からもエールを貰っての転出らしいのである。我が家とIさんの出会い自体はかなりの偶然でもあり、彼女がこの不動産会社に入社した最初の食いつきの顧客でもあったようである。我が家が一戸建ての注文住宅を建築した顛末についてはお伝えしたとおりなのであるが、当初は、彼女の所属する不動産業者にとっては建売物件などの延長上としての特殊例としての扱いだったらしい。そんな会社に良い影響を与えて注文住宅に没頭する一つの契機になったのが我が家の一件であり、彼女のパーソナリティが為せる技でもあったようだ。建築士を別途契約して真剣に応ずる中で、彼らの会社としての取り組みにも戸惑いと共に変化の意識が芽生えたようであった。

横浜地区で最大規模の不動産業者といえば、悪名高い業者があり、以前住んでいた我が家も実はその不動産業者を通じて購入していたのだった。如何にその業者の仕事がいい加減だったのかは、実際に自宅を売却処分する段になって思い知らされたりもしたのであるが、そうした話も含めて知ることになったのはIさんから教えてもらった普通の業者としての仕事の仕方を通じての結果でもあった。最近その悪徳業者の広告が入らなくなったなぁと思っていたら実質倒産したというのが実情らしく、ローンを組めないような顧客に売りつけるなどの売り上げ至上主義の結果として銀行からも融資の査定からは業者として認めないといった流れになり淘汰されたというのが、その結果であるらしい。そんな我が家も彼女の仕事によりクリーンな物件として転売も叶い、ダークな購入経過で余分に支払わせられたらしい費用なども含めて昨年度の資産売却での赤字計上で払拭されたので一段落ともいえる。

悪徳業者としてその不動産会社の業容が成り立たなくなった上で、まともな会社方針である彼女の現在の会社で受け入れた人材もいるようで会社の方針次第で活躍の場は如何様にでもなるものである知らされたりもするのである。Iさん自体は、不動産会社に移籍して来るまえは建築会社の中で営業担当として活躍していたこともあり自己の研鑽計画に則って不動産物件を取り扱いつつ自分の夢を描こうとしていたのである。彼女のそうした経歴がミニデベロッパーとしてのオペレーションを果たしていた小さな不動産業者にとってもラバースタンプな建売物件だけに終始しないことの取り組みを拙宅の一件を契機に切り開くことになったようだ。彼女の信頼する建築技術者などを会社に紹介したところ二も無く信頼されているからゆえに入社も決まりバリバリと仕事をして工務部門は三倍の規模にまでなったということである。仕事を如何に人の輪で前向きに仕事をしていくかで会社そのものが変容していくということを改めて知ることにもなった。

Iさんの希望は、元気な高齢者を対象にしたコロニーを作りたいということだった。彼女の母は、田舎暮らし体験をさせることを長野県で運営していて、その筋の人にはとても著名な人であるらしい。そんな影響もあってのことか、彼女は元気な老人が共同生活を助けていけるような事業を将来したいという夢を描き、建築業界で培った経験に基づきコロニー構築のための会社設立や適当な不動産物件を探し出したりすることも含めて念頭におき自分の働く場所を変えて経験を積み自分自身の考えるあるべき自身の姿に向けて生活をしていたのである。そんな彼女にとっては不動産物件の販売に伴う周辺住民との調整活動なども含めて自身への研鑽活動と捉えて前向きに全て取り組んできたのである。結果として売ってしまえば終わりといったこともなく、彼女自身の評価も会社の評価も高まることでうまく活動を続けてきたのである。

そんなIさんが転職の挨拶に来られたのは我が家との付き合いが彼女のこの横浜の地での不動産営業担当としての仕事の区切りにおいて象徴的な仕事であったからだとも思う。急に彼女が次のステップに進むことになったのは実家の母親のダウンが契機らしく、まずは体験民宿の運営を引き継ぐことを決めたようだ。彼女の母親も前向きな積極的な人生を推進している達人らしく体験民宿のホームページなどからもそうした実情を垣間見ることができた。彼女が考えている夢実現のステップとして、一時的にせよ体験民宿を運営することはきっと良い経験となるはずだし、元気な老人に向けたコロニーを作るということが都会で行なうことかあるいは田舎でも共通なのかといった問いかけに答えを探す意味でも良い試練の期間でもあるだろう。夢はすぐに叶うわけではない、ただし意識を持ちつつ生きていくことでステップを踏んでいくことは出来るのだろう。

ゴールデンウィークの爽やかな気候のなかで彼女の巻き起こした旋風を思い返しつつ、彼女を交えて三人の成果でもある我が家のリビングでゆったりとランチタイムを過ごし、「妙に心が落ち着くんですよねぇ、この高い天井が・・・」とリビングの上の高い吹き抜けを見ながら、皆で彼女の次のステップについて話し込んだ。実家にある蔵を改造して自分のスペースを作るらしいとのことなので「気」が満ちるということで著名な彼女の実家にも一度お邪魔させていただき、こんどは彼女の蔵の屋根に取り付けられるだろう明かり取りなどを見せてもらうことにした。こうした良い「気」を放つ人と一緒の仕事をしていくことで周囲の人に与える良い影響があるのではないかと思っている。同様なオーラの強い先輩が36年の勤続を終えて大企業の勤めを終えられた、なお次の段階として業界に向けて仕事を始めようとしている姿を見ているとまた良いサイクルが始まるのではないかと期待もしている。

会社の中での仕事に埋没してしまい自らの疑問に答えられなくなった後輩であるT君がいる。久しぶりに着たメールには「私も退職してしまいました」と書かれていて経緯も含めて心配でもあったので早速逢う事にした。大学を米国で終えた彼などは語学に苦も無くうらやましいと思っていたのだが、システムエンジニアとして実践してきた仕事の流れが会社のビジネスモデルの変遷と共に自分自身の中の気持ちとのマッピングが出来なくなってしまったらしい。携帯電話とは異なる業務用無線機の応用商品システムを構築してきた彼にとっては、端末アプリケーション開発のコストや汎用化といった流れに取り組みつつも変革しきれないでいたらしい。システムエンジニアとして多様なシステム構築を果たして問題解決をしてきた彼がエンジニアとしての精神を蝕むような状況になったのだとすれば相談する相手もいないのかということを景気回復しつつあるという端末メーカーのなかに残っている問題だと再認識する次第でもあった。

まずは彼自身が何をしていきたいのかを自分で納得するまで考えることが必要だろうし、生活をしていくことも必要である。精神に変調を来たして退職したのであるとするのならば、納得をした自分の生き方を考えた上でステップを踏みつつ生きていくことをまずは勧めた。語学堪能でシステムエンジニアとしての経験を持つ彼にとっては、次の仕事は見つけられるのだろうが、会社というシステムが変容する中で変遷した価値観との協調が出来ずに退職してしまったことから再出発に際しては会社に頼ることのない強い自己を確立することが必要だと思う。彼が顧客と考える人たちにソリューションを提供できなくなってしまった現在の会社のシステムに見切りをつけたという見方も出来る。前向きに進みたい彼にとっては会社に居続けることに違和感を覚えて納得できないからなのだとすればどこか共感するものもあり、気になってしまうのは同類だと感じているからかも知れない。彼の事例も爽やかな退職の一例なのかも知れない。彼には、是非「気」が満ちるという長野の田舎を体験してもらいたいものでもある。

単に端末メーカーが、採算の取れない事業を消去法で対応していくことで回復しているのだとすれば、社会の公器としての責任はどこに行ってしまったのだろうか。公器の責任を果たす意味で取り組んできたやり方に問題があったのではないか。利益の旗頭でもあった携帯電話の開発ですらも開発費用の問題が提起されている現在の流れであり、多品種少量生産ということがマッチングしなくなってきたシステム商品という分野のサバイバルについては議論する余地もないということだろうか。タクシーが無線機を使わずに個人運営的にご贔屓探しとして携帯電話の番号入りのカードを配る時代では、彼らがタクシー無線機を使った応用商品をいくら提案しても解決が出来ないのは無理からぬことでもある。タクシーを呼ぶ顧客にしてみれば、タクシー会社に対して贔屓の客として酔っ払った状態で任せて自宅まで連れて行ってもらいたいはずなのである。

こうした目的に対しての答えからいえば、携帯電話をセンサー端末として捉えたりすることでいかようなシステムでも開発が可能な時代になったともいえる。タクシー無線機自身にもバイナリーな実行環境を導入することが開発効率の改善に寄与するかも知れないし、携帯電話の業務用アプリケーションを開発することでもダウンロード運用が出来るともいえるだろう。何せ最近の携帯電話のGPS機能や地図機能などを使ってシステムを組めば、業務用システムを開発しシステム運用コストも含めて良好なものにすることが出来るだろう。無論そうした要求仕様を書き起こした上で開発してもらうのは中国やインドの会社なのかも知れない。今までの会社の仕組みで出来なくなったというのであれば、今の要求条件に見合った身の丈に自分自身を合わせていくことが求められてもいるはずである。無償で提供している同様な開発環境やアプリケーション開発ベンダーなども含めて利用していくことも出来るかもしれない。真剣に前向きに夢を語るリーダーとして活動していけば、T君もIさんのようにドリームカムズトゥルーを実現できるのではないだろうか。