業界独り言 VOL305 新時代の到来

米国同時テロのあの日から、四年が経過した。そんな非日常の中で暮らしているという認識もないままに過ごしていた当時は暮らしていた。翌日からの米国での仕事を前に、準備として追い込みの作業を進めていた矢先での、あの事件との遭遇であった。戦争開戦といった疑問符が頭の中で駆け回ったのは徹夜体制でしていた仕事の次の展開として徹夜明けで向かうはずの成田空港への必要性が失われたことを自己再確認して深夜帰宅のタクシーの中だったように思い返す。あれから四年が経過して国際情勢としては更に混沌とした状況の中にいる。そんな中でも経済活動としてのアクティビティは秩序の枠の中で進められていて国策同士のぶつかり合いの中で中国にまで出張して日本メーカーのサポートをする時代を迎えている。

国民に聞いてみようという掛け声一つで解散となった選挙が行われ想定以上の結果となったのは新時代の到来といえるのかも知れない。多数決で決めるという論理が組めないほどに破綻した国会で明確な政策を打ち出せないできた与党からの転進にはふさわしい幕開けかも知れない。無論、この政局が安定していると考えるのは早計で、毎回サイコロの目のように結果が変わる時代になったのかも知れない。戦争の反対は平和ではなくて、秩序ある状況だという。戦争が手段だと考えれば、対抗する手段は外交交渉であろう。外交交渉にいたるまでの民意作りというよりも国民世論形成までも国策として刷り込みを徹底的に果たしている隣国などは、その行為も含めて積極的な外交交渉を戦時下のような面持ちで進めているといえる。

日本の平和ボケした状況で自らの国の歴史もまともに学ぶことも出来ない状況を正すことすら、出来ないのは歪曲した歴史のみを教えている隣国からの横槍に同調するようにすでに刷り込まれてしまった人たちで国が左右されるように構成されているからのようだ。ある意味で今回の選挙結果が新たな秩序を求めたのだとすれば、平和ボケした政党を選択できない状況になったのは致し方ないかも知れない。日々の経済を活動させていくために政治が動いていくが故に、隣国との経済関係と歴史問題を打ち出す政治としての建前との矛盾に遭遇してしまうのだ。まあ経済の関係がないにも関わらず拉致などの政治的な関係でのみ修復が図られる側面においては戦闘能力を含めた自立できない自国の現状の中で何の解決策も打ち出せない事情でもある。

米国の政治の影ふみのみをしていても仕方がない。3Gの開発戦争が終結して3.5Gや4Gに戦いの場は移っているというのが携帯業界の実情だろう、すでに国内の状況は戦いの矢尽き刀折れといった状況がメーカーには見え隠れしている。4Gこそ規格を自国の利益にまわせる様に実践実装を行い先陣を切り進んでいるというのが国内の先進キャリアの状況でもある。しかし、世界のバランスの中で果たして3Gすらまともに確立させないままに2Gを引っ張ろうとしている欧州の実情には、ユーロ圏での国情の改善が図られないままに、コスト高となる新方式に移行することをまだ国民レベルで認識していない状況が本来の遅れの理由なのだろう。3Gとしてのアプリケーションの面白さを使いこなそうとするのはむしろ東アジア圏なのかも知れない。

少なくとも従来の日本にはそうした勢いがあったし、バブルとはいえ文化的な先進性はアジア諸国に対して羨まれるものであったのは間違いない。憧れの日本の情けない実情は、国際競争力を失い自分たちの今までの状況を維持することすらままならない事態に遭遇してコスト見合いまで合理化を迫られる中でイケイケドンドンの状況からのギアチェンジに戸惑っている。国内メーカーや国内キャリアに元気になってもらうのは、Quad社のビジネスにおいても一蓮托生の必要かくべからざることである。あまねく技術を提供していくことこそが、Quad社の目指しているものであるからだ。技術の受け取り手であるメーカーのビジネスモデルに矛盾や採算性が問われている状況に対してもソリューションを提供しなければならないのは最近の一番の課題でもある。

ある意味で今までは防御を張っているようなライセンスビジネスからの発想だったところから踏み出してOEMメーカー自身の生産性を高めていくために力を注いでいくことが求められ始めているという時代の変革を一昨年辺りから真剣に考え取り組んできた成果がそろそろQuad社にも出てくる状況になってきた。これから、OEMメーカーに福音をもたらすことが出来るかどうかが問われている最大の期待であり課題であるだろう。メーカーの開発の痛みをよく理解するためには、メーカーと同じだけの端末を仕上げるということの取り組みをするという方向性もあるだろうし、そうしたアクティビティを共有技術としてのビジネスモデルを描く3rdパーティと協調路線を結ぶということもあるだろう。有識者である元気をなくした会社から元気な気持ちを活かせない技術者を受け入れるという方策もある。

開発という課題が段々なくなってしまうというのは、製品あるいは分野が成熟した証拠でもあるだろう。たとえば無線LANの技術などはコスト力も含めて日本が手がける部分などなくなってしまい企画することぐらいしかなくなってしまっているようだ。おかげで大変安価なユニットやアクセスポイントが手に入るようになっているのはありがたいことでもある。携帯電話の開発現場においても同様で標準化されたベースバンドLSIやアプリケーション環境を使い始めるとことのほか開発する項目がなくなってしまっているという現実に直面し始めているというのが最近のメーカーでの状況でもある。無論メーカーとして取り組むべきテーマが無くなったわけではなく、共有技術として解決されてしまった分野を手がけていた技術者の仕事が失われているという見方も出来るのかも知れない。

エンジニアの将来はいかようにでも会社としての経営の方向性の中で活用していくことは出来るのだが、明確な将来の方向性を示すことなく経営活動としての設計開発のサイクルが無為に過ごされたり開発成果を出せないままに破棄してしまったりということが続くと、技術者としての仕事への興味も意欲も失せてしまうということになる。そんな状況も相まって閉塞感が漂っているのが最近の携帯電話業界には多いようである。仲良く他社と協業しているという姿がギコチナイのは、当然だともいえるだろう。共同開発をしてきたメーカー同士ということでも現場の技術者にとっては辛い仕事になっているようだ。技術提携という流れで、独自の部分をどうやって作りこんでいくかという点が、特に頭を悩ませるのだろう。

プラットフォームとしての枠組みを各通信キャリアごとに提供することが求められている。そして各OEMメーカーが従来培ってきたそうしたノウハウをOEMメーカー自身が組み込み拡張していくことはコストが許さなくなっている。OEMメーカーは、完成度の高いプラットホームを求めてより矛盾が広がっていく状況にある。ノウハウを持つエンジニアこそチップメーカーサイドでの仕事に移動すべきだといえるのである。無論プラットホームベンダーも自社製品のみでそうした要求に応えられる物づくりをしようと画策しているのだから、好機といえるのである。こうした技術をキャッチアップしてしまった場合には、また別の技術を開発していくことになり、そうした前向きに幅を広げていくことも求められるのは技術者としての仕事として当然だろう。

あまり自分自身の仕事の枠組みを殻に閉じこもるようにすべきではない。人生一生勉強が続くものであり、特に技術者のライフワークはとくにそうだろう。プロトコルエンジニアからマルチメディアのエンジニアに転進したりするのもごく普通のことである。リアルタイム処理や、コンパイラの開発や、RTOSの開発、ICEの開発、端末設計から、システム商品の開発あるいはSDKの開発や講習会でのカスタマー教育など多面に亘るソフトウェアエンジニアの仕事を次々と変わって実践していくということなどは、各自の技術者人生の中で必ず遭遇することだと思うのである。それぞれの課題やテーマの中で自身が必要とするスキルを身につけ、それを用いて解決をしていくといういことが回せるのがソフトウェアのエンジニアというものだと言えるのである。

マクロやミクロの両方の視点をもち、現在の答えと将来の取り組みへの手がかりを考えながら日々の仕事をしていくということになる。アプリケーションを開発していくという上では、必ずしも同一の方法論で統一すべきではないという点に到達するのは、VBなどで開発している最近のシステムアプリケーション事情からも導出されるべき事由である。携帯電話のアプリケーションをJavaで書くべきなのかどうかという点なども興味深いテーマではあるものの、幾つかの背景から、そうはならずにWebで進められているXMLアプリケーションに注目が集まっている実情でもある。ようやくこうした成果が登場してくる時代になり、来年の端末開発では必須の機能やメソッドとなってしまうようだ。これが、携帯電話開発競争の新たな武器といえるのかも知れない。

白物電話機を開発することで、異なったUIを持つ違ったターゲットの電話機を構築していくことが出来れば、開発力の向上に向けた大きなステップになるはずだ。そうした状況で考えれば、メーカーとして拡張すべきサービス部分の開発を手がけたり、多様なユーザーに向けたユースケースでの実装評価を始めたりそうした研究実践を始めるのは、もう明日のテーマとなっている。そうした状況をキャッチアップしてもらうこともQuad社の伝道者としての仕事といえる。アプリケーションそのものの開発のあり方を問い直すような状況を提案するのは、画期的な効率改善を必要とする国内メーカーに向けた、テーマとして捉えて来月にはそうした技術説明会などが始まる予定だ。

今年のUI構築技術としてのXML応用技術は、昨年などはOEMメーカーが実践してきたWidget化を追いかけてきた状況からいえば、追い抜いてしまった印象がある。停滞している国内OEMメーカーの状況などからいえば、致し方ないことも知れないが、Quad社としてはOEMメーカーが成果を出してもらうことでビジネスモデルが回るのである。OEMメーカーの成果に繋がることを研究率先推進していくのは、社是ともいえる。そうした目的に、研究投資を積極的に進めていくという健全なサイクルを進めているので、ライセンス費用を有効に活用しているとも言えるのである。システム化技術としてのマイクロカーネル化も、ワンチップ化での3rdパーティOSの実装などを真面目に取り組んでいる結果ともいえる。地道に開発研究してきた成果を伝道していくことの喜びを分かち合いたいものである。

業界独り言 VOL304 新たなる挑戦

今日は、防災の日のはずである。新聞の紙面では祭礼でパニックを起こさせた無手勝流の新しいテロ手法が報じられていた。防災とは異なるかもしれないが、最近の天災続きの状況で猛威を振るったハリケーン・カトリーナやら日本での地震など身近に起こっていると感じている。米国籍の会社仲間が東京から、週に三日は大阪に移動して顧客サポートをしている。先端技術を選択されているお客様の支援のためである。年末商戦をターゲットにした厳しい条件ではあったが、技術的にも商品的にも問題を解決し、最後の詰めをしているようだ。そんな彼は月末には夏休みを取得して実家であるノースキャロライナに帰国するのだという。ちょうど米国での研修が指示されている状況でもあり実家帰国がロハで達成できるという状況は、彼の最近の成果も含めて当然だとも感じている。そんな彼の実家は実はハリケーン・カトリーナの猛威の影響を受けたようだ。何事もないと良いのだが・・・。

仙台で最近起こった地震なども、Quad社では特に仙台地区での展開もないのでと思っていたら、最近のQuad社が買収発表を行ったブロードバンドワイヤレスネットワークベンチャーの日本代表が米国からのドラスティックな動きの中で「まさかQuad社で技術説明会をすることになるとは考えてもいませんでした」という前説をしつつの説明会が急遽企画され昨日ホットな中で行われた。技術的な感性からいえば、かなり感覚も近い技術として同類だなという思いを持った。無論Quad社でも同種の技術開発を競合として進めていた経緯もあったらしくそうした社内コンペティターとの技術融合を通して一体化した中でよりよい技術として仕上げていくという流れに繋がるのだろう。仙台では、既にワイヤレスブロードバンドサービス実証実験が行われているのでもあった。説明会のプレゼンをみつつ地震のことを思い出していた。

説明会を受講して新たなQuad社としてのビジネス展開などに思いを巡らしつつ一路新幹線で関西入りをした。あいにくと新大阪止まりの「700系のぞみ」ではあったものの、先頭座席のコンセントがないタイプだった。このところ確率では九戦三敗といった感じである。まあ最近切り替えた軽量パソコンは駆動時間が長いということもあり気にならないかなということでもあったが、コンセントが無いタイプの先頭座席はテーブルが短く最悪なのである。明確にビジネスのぞみといった名称で車両を分けて欲しいものである。お客様が増えてくる状況に対応していく為にはサポート力の強化も大きなテーマであり来年度の取り組みの一つには大阪事務所のエンジニア増員や事務所拡張なども取り上げている。長年取り組みをしてきた採用のアクティビティではあるものの目だった成果も最近では続かなくなってきた。幾つか自信を持って紹介した人材の採用プロセスが最終段階で失敗したりもしているので、少し慎重になっている自分がいる。

プロジェクトXよろしくの熱血ストーリーなどは、最近の携帯電話開発の世界では中々聞こえてこないようだ。そんな熱い血潮を支えるほどのリソースも滾る情熱をもつ若者たちもいないのだろうか。前者はともかく、後者はいてほしいと思うのだが、モチベーションを高く保ちつつ生き続けるような仕組みもないままにカツカツのリソースで忙殺され疲弊しながらともかく仕事をしているらしい。採算が合わないからと、一方的に開発リソースを一極集中して始めた開発すらも制御しきれずに頓挫したりしている状況が聞こえてくるのは決まって3GPPの人たちからである。大規模な市場が待っていると期待されて、ようやく普遍的な位置づけに切り替わってきた時代のはずなのに・・・。税金として取り立てるようなQuad社のライセンス料金が立ちはだかっているからだという人もいるのだが果たしてそうなのだろうか。いろいろな工夫をして開発コストを抑制して鎬を削っているメーカーもいるのだが、やはりグローバル開発に立ちはだかっているのは日本の鎖国事情が手伝っているようだ。

開発費用を浮かそうとして適用するのは、最近では次のような手法であるようだ。出来合いのレファレンスデザインを導入する。選択のキーワードはハードウェアコストであるらしく、開発費用の観点でのコストについては二の次であるらしい。開発に関しての関心事項は、ブラックボックスを避けたいという心でありオープンでないものについては導入したがらないのである。そんな風潮を受けてLinuxが流行っているような気もするのだが、もともとTRONは無料の上で公開もしてきたはずなのに何かおかしいと思うのだが・・・。坂村先生も納得はされていないのが最近の端末開発事情ではないだろうか。レファレンスデザインで提供されるソフトウェアを更に自らの会社流に修正を指示して懸命にカスタマイズさせていく風景もよく見かける。そうしないと国内のキャリアの仕様やら、自社の歴史に裏打ちされたUIが作りこめないとか、過去との互換性が取れないからとかいろいろな意見が出ているからのようだ。短期日に要領よく作り上げるというゴールや達成するためのストーリーを決めている割には、レファレンスデザインを叩き壊して作り直させている感じさえ受けるのである。

安く作り上げるということは、言い換えれば、国際標準であるノキア端末の仕様と同等に仕上げることだという説もある。国内のキャリアに向けて今まで各メーカーが鎬を削ってきた状況の製品グレードと比較すれば折り合わないという事実もあるのかもしれない。そうした国内での経験値をグローバルなスタンスでの開発に生かせるようなメーカーとしてのアクションをとり始めているところもあるようで、これは新たなる挑戦ということになるだろう。ドコモ向け端末やら、KDDIの端末にも韓国製や中国開発の端末が登場してくる時代を迎えようとしている。グローバルな規格の中で国際的に通じる企画の商品として端末が登場してくるのであれば、欧州市場にも切り崩していけるのだろうがuiの感性をカバーするのは大変そうだ。UIをXML化して対応力を強化する技術についても年内には商品としての登場が期待できそうであり、次の展開としてのプリセット利用やらビジネスアプリなどに向けた展開なども興味深い状況が待ち受けている。

ワイヤレスブロードバンド技術を適用した携帯との共用チップセットなども、視野に入ってくるしQuad社のカバー範囲の広がりとともにサポートする人材の更なる拡大が求められているのも事実だろう。自立したエンジニアで、自己の世界を確立したうえで好奇心旺盛に新技術などの裾野の広がりをケアしつつ伸びていきたいという前向きなエンジニアが必要である。ある意味でメーカーで行うべきテーマが絞り込まれてしまうゆえにメーカーとしての仕事と技術リーダーとしてのQuad社側でのサポートの仕事という範囲を考えると魅力的だと思うのである。しかし、外資というハードルが高いと見られるのか、あるいは不安だと思われるのかが鍵となるのか、求人活動の成果には繋がらないのはメンタリティが前向きなエンジニアで会社の状況が閉塞的な中に留まっているような人はいないということなのだろう。国内だけで開発が終わる時代は終焉を告げていて、自社開発するにしてもアジアな協力会社を得なければ採算も技術者も取り合わない状況である。

携帯電話のみならず、ビジネス端末の開発に向けてもQuad社のソリューションを使いこなしてバイナリー環境やLinuxなどを使いこなしてXMLでUIを作りこなしていく時代に入るのだとすればエンジニアの数も取り組みも刷新していく必要があるだろう。受動型のサポートではなくて積極的な前向きなサポートをしていくために十月からの新しい年度の流れでは新たなる挑戦が求められているのだとおもう。前向きでいろいろなことに取り組んで生きたいというエンジニアこそQuad社のようなアクティビティの中で実質を伴った提案志向のコンサルティングをしていくのが楽しいやりがいある仕事だと思うのだが。そうした楽しさを伝道していくことが当面の私の課題でもあり、前向きなアクティビティに賛同していただく周囲のサードパーティの方たちへの仲間作りなどの作業が重要なテーマである。新幹線で関西に移動しつつ、有望な印象があったかつてのお客様のエンジニアと面談をしてそうした楽しさを伝えていくことや、実務としてアジアな渦中で開発を推進されているお客様のミーティングに向かって翌朝から関西空港がフライトしたりしている。

熱い思いが感じられない流れの中で淡々と開発が進められている印象のあるレファレンスデザインを用いたグローバルな開発スタイルなども、実はレファレンスデザインの強力な力の結果を表していることなのかも知れない。レファレンスデザインを使いつぶして全精力をかけて取り組んでいける余裕のあるメーカーなどは数えるほどしかない。そこまで行けないメーカーでは国内先進メーカーのプラットホームを受け入れて妙味もない自社仕様へのカスタマイズのみに忙殺されているのは矛盾を感じていることだろう。また全精力をかけてプラットホームを使いつぶしていくような仕事の仕方をしているメーカーがなぜか成功しないのも不思議なものである。ある意味で少し引いた印象のレファレンスデザインの使い方のほうが効率よく開発が進むというような印象もある。レファレンスデザインの完成度を上げる仕事をレファレンスデザインメーカーにジョイントして進めることも、閉塞感のある国内の状況を改善する手立てだと私は認識している。

大阪地区の下町である南森町にあった関西地区のサポート拠点も、ベンチャーとしてのQuad社の仕事の広がりを支えていくには手狭になり、来年までには大阪駅前までに移転拡張する計画である。そんな状況の中で期待されるサポート体制のイメージはハッキリと私の頭には浮かんでいるし、実際にそうした形になるだろうと思う。そんな状況を思い浮かべつつ北京の街で仲間と中華料理に舌鼓を打っている自分がいる。六年前にQuad社にジョイントしようと決めたときにイメージした将来の絵と、出来上がったことにギャップは多少はあるものの概ねの方向性に間違いはなかったと理解している。そして、今あらたなイメージの中で自分が取り組んでいくべき方向性やお客様への貢献度や対象となる範囲の広がりなどを考えるとおそらく日本事務所の体制は、もっともっと拡張していくべきだろう。顧客への貢献実績を着実に上げていくために意識高い仲間を募って生きたいと思っている。

業界独り言 VOL303 サマーバケーションはいつ? (サンディエゴにて)

西に東に奔走している。梅雨のさなかには、奈良の大仏を見に行くついでに、京都の竹林を訪ねて侘び寂びの技術の世界に生きる導師に教えを請う。ひと時の時間を共有したということで得られる安心感は、孤独な組み込み世界のエッジを生きていく者にとって変えがたいものである。俗世の流れに思いを馳せて道頓堀の川端の居酒屋で仲間と取り組んできた技術と今後の方向について昼間の顧客訪問を振り返る。スカッと晴れたような答えにならないのは日本の気候に依存するのだろうか、ウェットな気候で暮らしてきた日本人の”粋な”感性には、情に縛られることを善しとするようだ。梅雨が明けて、新たな技術の詳細を伝えに伝道の旅に出た、朝から新幹線オフィスに身を置き、第三世代のモデム環境の恩恵を享受しながらそんな暮らしを許容するコンセントも含めたインフラに感謝する。二時間あまりで大阪に至るような暮らしに不自由を感じることはなく、この狭い国土に見合ったインフラであることを再認識するのだが、どうもこの国に実際の暮らしぶりよりもインフラ整備によるフーバーダム的な政治思想が席巻しているように思われる。

第三世代という議論には辟易してしまうものの、結局のところ的確なサービスを提供することもなく目的の不明確なままに3G論議は終わり、政治的な道具立てとして魅力を失ったテーマは4G論議に移行している。輝かしい未来に描いているテーマと現時点での状況からのマッピングが見えないのは、3Gサービスの不毛な開発に費やした疲れや民生化した筈の通信事業者間の競争が結局のところ利権を巡る抗争にあるからだろうか。国民から多額の収益を巻き取る携帯電話事業の仕組みによって世の中の若者たちは、お金の使い道などの価値観を異なるものにしてしまったようだ。新たな市場創造をしたという意味において偉業と讃えるべきなのか、世の中をギクシャクとさせる状況にしてしまった確信犯として戦犯訴追をすべきなのか。夢のある仕事として始まったパーソナル通信環境を構築というテーマは、実りある時代を迎えて輝いているべきなのだが、従事している技術者達の顔が晴れないのは異常である。

世の中の麻痺しきった生活に渇をいれて指導してくれる先輩である祖父母といった家族の輪は切れている。勝手気ままに暮らす子供たちが過ごすようになった現代の日本。そこには効率という名の下に失った大切な何かが数多くあるようだ。そうした状況を加速してしまったのは、場所を選ばず自在にコミュニケーションする道具を開発してしまったことかも知れない。今電話をするときに手で、周りを気にして電話口を覆うようなしぐさをとるような人は数少なくなってしまった。高性能な電話機の開発がそうした仕草を必要としなくなったことが原因ならば、確かに技術者が戦犯ともいえるだろう。技術開発の発展とは別に文化継承という流れでの道徳教育を支えるインフラの破壊は進んでしまったようだ。自分の欲望のままに、同様な仲間とのコンタクトが自在に出来る時代を許容せざるを得ないような状況を想定していたのかどうかは、技術開発という流れとは別の課題だといえるのだろう。パーソナルコミュニケーションという技術は、それまでにあった交換台・呼び出し・交換機・電子交換機という技術から離れて、ついにP2PでSkypeを実行するにいたっている。

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業界独り言 VOL302 夕焼けの水平線に サンディエゴにて

忙しさの変容からか、また独り言のペースが高まっている。あるいは、独り言を通じて誰かとメッセージ交換をしていると考えている人もいるかも知れない。確かに、あても無く独り言を書き連ねていくのは寂しいものだが、かつての同僚らと会社を超えて業界同士の範疇で互いに叱咤激励しているという部分もあるだろう。「これからも元気をください」というメールが届いたりするのは、まだ善しとすべきだろう。自分自身の得心を得たいが故に、異論反論をいただきたいという思いも独り言の源泉でもある。複数の通信キャリアとの付き合いやら、異なったOEMとしての視点あるいは競合他社の視点いろいろな問題が、携帯電話という膨れ上がった爆発寸前の業界には山積しているのである。キャリアからキャリアに移る人もいれば、3rdパーティからOEMに移る人もいる。それぞれの部分での課題の壁を打ち破りたいという想いなどがそこにはあるようだ。

携帯業界は、そうした状況を反映してどんどん狭くなってきているように感じている。しかし狭いとはいえ、変わらないのはそれぞれの会社としての歴史や集うリーダー達の意識などによってたつことなのだろうか。最近では八方美人の如くさまざまなキャリアや端末ベンダーに対して、垂直統合戦略に基づいた展開をしているQuad社なのだが、どんな気持ちで付き合っているのかは、みな様々な違いを見せている。太平洋にしずんでゆく夕日を見ながら帰途につく人たちとシャニムニ働いている反対側の人達の意識の差は立場の違いからか肩にちからが。自分たちの文化と異なる人達とのコミュニケーションで障害を起こしているのは、東アジア地区の中でも日本に多いように見えます。最近ではすっかり国際企業として自社ブランドを確立しはじめた隣国の会社などを見ていると何か日本のみが失ってしまった時間があるように思えてなりません。

まあ少しでも未来に期待をつないでいくというのが、仕事の支えになりますので自身のモチベーション改善ということも含めて新技術などの伝道のようなアクティビティを仕事の中でも意識して取り組んでいるところです。ベンチャーの知人も自身のビジネスモデルの刷新の必要性ということを感じ取っての取り組みとして同様なことをなされているようです。広がり行く変容しつつある状況の中で、端末ビジネスも変わっていかざるを得ないのでしょう。単にMNPが始まり、パイの取り合いが始まるというような狭い観点だけでなく携帯電話のインフラを使ってどのようなサービスに利用していくのかということを考えていくことが必要です。無論コスト削減が必要だということも事実でしょうし、海外メーカーなどを使って国内インフラが何処も端末購入をすることになりました。日本人の感性に合うものが作れるのかどうかということもあるでしょうが、少なくともキャリアからの仕様に差異は無いはずです。華美な余計な機能を取り外し、魅力的な端末が構成しうるのかどうかという点も興味深いです。

最近ではリファレンス実装として、3GPPに合致するあるいはGCFに適合するといったことは当たり前のことになりつつあり、さらに踏み込んでキャリア仕様までもパッケージングしようという動きすら見られます。そうなるとメーカーが取り組むことは何があるのでしょうかと悩む人がいるようです。言い換えると今までは、どうもその事を実装できるかどうかということでメーカーの方達が自社の存在理由の一部としているような節がありました。チップセットとソフトウェアをそろえてインテグレーションしていく流れの中でキャリア対応の完成パッケージが存在するようになれば開発コストは一段と下がることでしょう。そのインテグレーションが大変で今までPCの世界ほどにまではプラットホームが完成していなかったと評されているわけでもあります。端末実装の世界で通信プロトコルの世界とアプリケーションUIの世界とを切り分けてきた背景には、それぞれの主体が異なるということもありました。

究極の世界として、最適なOSの上で通信プロトコルもアプリケーションも一体となって自在に実装出来るような環境が出来ればそれに越したことは無いわけですが・・・。製品レベルとしては意外なことですが、組み込みという世界で大規模なシステム構築をしていくために必要な機能分割単位での独立動作が保証されるようなOSの仕組みまでは提供されていなかったようです。モデムとアプリを分けることが前提となったビジネスモデルが、そうした姿を生まなかったともいえます。最高性能を実現しようとするならば、MMUもつかわずに全てモノリシックな状態で実行するというものが、ある意味で究極の組み込みだという意見もあるかも知れません。しかしそうした姿では大規模なシステムを構築していくことが困難になるということも一方ではあり、仮想的な環境としてJavaを動作させるといったこともひとつの解決策だったかも知れません。そんな世界から整理された権限を個別に与えられたOSに移行しようすれば、良いはずなのですが・・・・。

理想的な姿をまず描いて、その実現の機能検証を実装して評価しようというある意味で前向きな研究開発が進められました。昨今の状況でそうした研究を実際に行えるようなメーカーがいないと思われるのですが、垂直統合を標榜する故のことでもありました。理想系として研究開発された結果実現が確認されたのは、現状のスーパーバイザモードで動作する超組み込み状態で開発されてきたシステムとLinuxのシステムをひとつのカーネルの上で独立して動作させることがひとつの成果でした。これによりスーパーバイザモードで開発されてきたコードをUserモードで動作検証することや、そうしたカーネルによるオーバーヘッドの評価などが出来ました。Linuxが動作することにより3rdパーティのOSが動作することを許容する枠組みが確認できたことになりました。理想系として開発したもうひとつの成果はモノリシックな構造を書き換えてモジュラー化された構造の上で全てDLLで動作するような枠組みとしての実験でした。自在に必要なモジュールをローディングして動作させることが確認できました。

ある意味で壮大な研究を実証実験を通じて行った成果、大規模な携帯電話の枠組み(Platform)を刷新していくロードマップが規定提案できるようになりました。大きなメリットとして挙げられるのはカーネルを除く全てのシステムをユーザーモードにおく事でセキュアな環境が構築できることや独立して動作するまったく別のシステムを稼動させうること、あるいはつまらないメモリリークなどに繋がるエラーなどが容易に検知しうることなどが挙げられます、ドライバーにしてもアプリにしても許可されたメモリやIO空間に対してのアクセスしか出来ない状況が作り出されるので安心することが出来ます。またドライバー自身を別のプロセスとして動作させることも可能となり、3rdパーティによるドライバー開発といった仕組みも提供することが出来るようになりそうです。当然いいこと尽くめとはいかずに管理することのオーバーヘッドから性能劣化が数%ついてしまうのはいたし方ないことでもあります。しかし、最近のマイコン性能向上の枠組みを利用すればそうしたことも問題がありません。なにしろソフトウェア開発効率向上のためにチップを分けようという原点を正すことなのですから。

さて、そんなすばらしい環境に飛びこんでいけるのかという新たな障壁が生まれました。やはりユーザーにとっては大規模なシステム開発の根底となる部分の差し替えには賛辞もありますが、不安もありました。前向きな不安という意味で面白いと感じたのは現在使い込んでいる自社あるいは3rdパーティ製ソフトウェアが内包しているだろうバグの問題です。(無いのかも知れませんが・・・)今までは見過ごしてきた問題が、新たなOS環境のもとでは白日の下に晒されてしまいソースを自社部分は直すための工程を組めば済むことですが、3rdパーティとの協業作業については想定外だというのです。多くのメーカーが新機能についての差分開発をする形で蓄積してきた今までの環境を再検証するということが必要になるということなのです。無論新しい枠組みは検証も容易になりますので良いことなのですが工数見積もりも含めて想定外のこととなるのです。この程度のバグは許容してほしいという思いは差分開発をしている現状のユーザーの素直な悲鳴でもありました。

こうしたユーザーの前向きな不安を払拭する意味での対応策は、垂直統合を標榜するソリューション提供者としては新OS環境で検証するリファレンスを提供しつつそして枯らした機能を旧OSの枠組みでもしばらく提供を続けることがマイグレーションの道筋のようです。超組み込みの世界からの脱却という、新世紀突入という章に迎えるにあたっては今後のOEMや通信キャリアが考えるサービスの根幹を替えて加速させる意味を持つものの今まで以上に啓蒙活動をしていくことが重要となっています。しかし、こうした枠組み提案も含めて全方位戦略をとっているQuad社としての取り組みには別の批判もあがっています。全ての通信キャリアに技術提供している立場から言えば、こうした新しい技術を前向きに早くに使いこなしたほうがメリットがあると思いとは裏腹に、先人の苦労は積みたくないというのです。逆にいえば新たな技術提供を別の通信キャリア向けに提供してもよいのかという問いかけには別の答えも返ってきそうです。

インテグレーションされたパッケージに魅力的なサードパーティのコンポーネントが勝手に乗り込みだしていくとすると、通信キャリアが考える端末戦略自体とは別次元で顧客の心をつかみ出してしまうかも知れません。通信キャリアの競争ではなくて、本来の端末メーカー自身の競争になっていく時代なのかも知れません。こうした動きのベースにあった背景自体は、護送船団のように開発費用までも通信キャリアから補填を受けなければ端末開発がままならない状況に危機感を感じたこの業界を支える端末メーカー以外からの動きでした。しかし、そうした展開の行く先に待ち受けているものが、シンプルな通信キャリアとしてのサービス競争であり、端末メーカー毎の魅力という本来の姿に移るのではないかと感じます。通信キャリアがそうした業界自体の有り様に協力こそすれ、反発していくようではまだまだ携帯電話ビジネスの将来については面白い展開が待ち受けているのかも知れません。

新たな端末プラットホームを垂直統合で構築しようという野心的な取り組みがなされているメーカーがあるのは、同様な大規模化したIT化した家電機器のソフトウェア開発もまた大きな課題なのでしょう。機能が膨らみすぎて、その機能をUIとしても表現しきれていないような商品も出始めているようです。もっさりとした使い勝手なども含めて、PC化されていく端末機器に毎日のようにパッチ適用やアップデートを掛けていかなければならないような時代になってしまうのであれば、本来の製品購入をした目的を果たせないで無為な時間を過ごしてしまうパソコンユーザーのような気持ちを全員にしいてしまうのがIT化が描く未来なのでしょうか。セキュアなソフトウェア設計を果たしていくために組み込み端末機器の設計にも、OSからアーキテクチャーに至る変革の時期に直面しているのでしょう。メーカー自身で全てが捌けない事態を理解したうえで、正しくオープン化されてきた流れを受けて自らが手を動かして考えて本来のシステムエンジニアとしての役目を果たす時代になってきているようです。

サンディエゴ湾から、みえる綺麗な夕焼けの向こうに広がるのはアジアの端末機器メーカーの未来なのでしょう。リーダーとなるメーカーがぜひ東方の国から出てきてもらいたいものです。

業界独り言 VOL301 とっておきの仕事?

楽しくて仕方がないと思っている仕事も、人手がなければ始まらないということにもなる。どれだけ楽しいのか伝えられなければ、伝道者としての仕事も落第である。伝道者としてユーザーを掴む、仲間を増やすいずれにしても結果は・・・と問われて成果が出ないのであれば努力不足ということなのでしょう。たとえば、究極の実装として、ワンチップでプロトコルからUIまでが複合的な構成でリアルタイムとアプリケーションが共存しうるといったテーマを面白いでしょうと説明してみても、意図が伝わらない現状もあるでしょう。モデムとアプリとして個別ありきの常識に固まった人たちにしてしまった戦犯は、どこかに潜んでいるのかもしれません。最近ではマルチコアでクロックを下げて実装するのが低消費電力と高性能を両立する要だという意見もありますから、その意味でモデムとアプリを分けるのだという人もいます。ちょっと意味が違うと思うのだけれども、そんなことの本質まで議論するような閑のある人も理解している人もいないようです。突き詰めていくとCellのような構成になってしまうのかも知れませんね。

CPUの構成としてハードウェアアーキテクチャーとシステム実現のためのソフトウェアとしてのアーキテクチャーの視点を持つことが必要ですね、という話の延長線上にマイクロカーネルベースの環境の上に複数のOSを搭載してリアルタイム性能とアプリケーション管理の視点の両方に対応するといったことも検討の遡上には挙がってはマルチチップなどの影に消えていったようです。モデムチップとアプリチップの双方に乗り込んで設計を推進していくといったアクティビティに繋がらないのは、現実的な仕事の中で検討する余地などが日本メーカーに見られなくなったからだろうか。アーキテクチャーを新たに起こしてプラットホーム整備をするなんていう仕事を現実に興せる環境が限られているのは、そのことに必要な開発リソースや将来に向かった展開までが描けないからでしょう。よしんば描けたとして様々に変化していく状況の中で開発のテーマあるいは事業として維持していくことが出来るのかどうか・・・課題は山積している。

エンジニアにとって楽しい仕事も、使っているキャリアにとってみての視点はまだ別のものがあるようだ。高止まりでウインウインと重機がうなるような状況が続くはずもない状況を理解したうえで、得られた資金をチップメーカーに投資して解決をプラットホーム整備を行い解決を図ろうとしている状況もあるようですが・・・。結局トータルで幾らになるのという現実的な目的を果たすことが出来ないままに描いた食えない餅では成り立たないのはお察しの通りです。隣の芝生が青く見えるのはメーカーに限らず、通信キャリアでも同様らしく他のキャリアのやっていることをとっておきの仕事と捉えて同様なことにチャレンジしたがるのものです(実は相手がその逆に思っているのかも知れないのですが・・・。)。互いに環境が異なることを認識しないままに評価しているために、自分たちの開発チームの足を引っ張っているような状況もままあるようです。ソリューションベンダーとしての仕事では、実現した製品を作ってもらって何ぼの世界ですから、秘蔵っ子の楽しい技術も、実際にメーカーやキャリアの状況の中に写像してみると綺麗な画像にならないこともあるのですが、割り切りと考えていくのは世の常です。

携帯電話という消費電力重視の世界で特殊化されてきたものも、プラットホーム化が果たせるほどに潤沢なリソースが使えるようになってきたのはシリコン技術の進歩があるのでしょうね。本来の端末構築の目的を忘れて、目先の競争に走ると相手よりも強いミサイルや兵器を欲しがるようになるものです。具体的なテーマも考えずにリソース拡大を図っていくような進め方は自然の摂理からみても、間違っているのですが何故か携帯電話のグリーンプログラムを課したりすることは考えていないようです。リサイクルマークが付けられたりして困るのはチップベンダーとしてのQuad社もビジネスに影響があるでしょう。リサイクルしても製品として出荷することに対して課徴金を掛けるというわけにも行かなくなってくるでしょうから、iPODよろしくダウンロードしたくなるようなコンテンツの開発やら枠組みを提供していくことにもっと軸足を置くべきかもしれません。一年置きに買い換える人ばかりではないですし機能追加があとから出来るような仕組みなども含めて使いやすくするといったことも視野にいれるべきでしょう。

組み込みの仕事という観点では、実際の現場仕事が出来るのは日本ではなくなっていくのではという危機感も手伝い、ベンダーの方々やソフトハウスの方々などが梃入れをしてOEMに対して渇を入れたりしようとするようになってきました。腰が引け気味の業界の中で前向きな仕事を推進していくべきチップベンダーであるべきというお声も頂戴します。確かにリファレンスを作って仕上げはOEMさまにお願いしますというビジネスモデルも引き合わなくなっている時代のようです。一式使えるようになっているものを持ってこないと話にならないとまでいわれるとOEMさまの存在理由はと問い返したくなりもしますが、お客様の声には違いありません。ワンチップでマイクロカーネルを動作させながら、ソースデバッグを実現させたりすることにほくそえむような感性を持てる職場は、どうもお客様の場にはなさそうです。ロケット開発の現場にいる人たちと製品としてのミサイルとして購入して戦争をしている人たちの差なのでしょうか。組み込みという仕事を楽しいものとして味わえる感じられる職場であることをもっと訴えれば求人活動にも繋がるのでしょうが、どうもこうした感性を持ち合わせている人がいないということなのでしょうか。

XMLを組み込みで活用することで日本のコスト高情勢であっても、機敏に対応していくことで商機を導くことが出来るのではと考えたりもします。日本のOEMメーカーの方が元気になるような技術を提案してビジネスモデルの刷新などを提案していくということも最近の私の楽しい仕事のひとつです。こうした意気を感じ取ってくれる先輩達も周囲に増えてきているのも事実なのですが、もう少し追い込み有無を言わさぬところまでの充実整備を図ることが必要なことのようです。優れた技術を匠の感性で仕上げを加えていくというのはグローバルな会社でいろいろな感性の人たちが集まっている会社ゆえの楽しさでもあります。荒削りに物事を仕上げていく段階も必要ですし、細やかに完成に向けて感性を高めつつ確認を進めていくという人も必要です。合理的にテストを導くための方法論を論理的に考えてツール立てを作っていくひとも必要ですし、ソリューションベンダーと呼ばれる姿に求められる範囲は考えれば考えるほど深くなっていくものです。

先日、知人の方の紹介で若手の技術者の方を紹介していただきました。未だに人が集まらないで悲鳴を上げていることを知ってのことのようです。ご自身の会社の人材が活用されていないと嘆き、さらに紹介されるというアクティビティにまでとられているなんて、大きな信頼を寄せていただいているのはありがたいことです。実際に会ってみると、若いなりにはよく物事を理解しているという感じのする好人物でした。日本のメーカーが行うインプリンティングというシステムにより技術者の多くの方たちがカルガモ状態になっているのは確かです。彼自身も自分の境遇を客観的に見るということまでは出来ていないようでしたし、彼自身が作りこんでいる現在の仕事の意義についての理解や将来性についてはというところには視点を持っていないようでした。インプリンティングも含めて社員教育がなされていることのメリットは、そうした人材が何らかの事象で切れてスピンアウトした際に有効に活用できるということを私たちは上げています。最初から外資系の会社に入った人たちにはそうしたピンとした部分が足らないように思えます。

落ち着いてて仕事が出来るような環境でないということがあるのでしょうか。どうなるかわからないという状況であたふたと仕事をしているという風景が透けて見えてきます。外資系という枠組みでありがちなストックオプションが効率的に活用できることを期待してきっちり五年間仕事をする人もいるのかも知れません。外資に移ってしまうと尻軽と見られるのか、半年もたたないうちに引き抜きの電話やメールが入ってくるようになるのはなぜでしょうか。名刺がどこでどのように活用されているのかは知りませんが・・・。自分に納得の出来る仕事がじっくりと出来るそんな職場にいるという自負がありヘッドハンターの電話やメールには逆に切り返してこちらで募集していることを伝えたりしているのですが、その返事が返ってくるというような見返りがないのは、何かフェイクな話だということでしょうか。自身が楽しく仕事を前向きにしていることを伝えているつもりなのですが、よほどライバルメーカーなどの求人に掛ける意気込みで年俸の30%といったヘッドハンターの取り分が魅力的なのでしょう。なかなか減りません。

技術者もある意味で旬があると思われます、素直に育つ時期と悪い癖を掴んでしまうようになる時期とです。素直に育っている天然なエンジニアが良いのか、酸いも甘い知った癖が強くなったエンジニアが良いのか意見が分かれるようです。最近人事の方からは前者で優秀な若者を探し出すようにと明示されるようになりました。インターン制度まで活用してはどうかという意見も出るような状況なのでQuad社を目指す若者が輩出することも期待しているのですが、いつもそうやって学校を訪問しようとすると既に夏休みに入っているのですね。今後に向けてという価値観で夏休み明けにでも学校を訪問するというオプションも考慮に値するようです。ぴっかぴかの技術屋の卵を学校からインターンで探し出すべきか、ヘッドハンターに懸賞金を付けて探し出すか、面白いテーマや仕事の話に反応してくるような人材を地道に探し出したいという思いに舞い戻りつつ気持ちのせめぎあいが続くようです。日本人をあきらめて日本に住むエンジニアを選択してみてはという声もあるのですが、まだまだ日本人に期待は持てるはず・・・。

業界独り言 VOL300 次代の人たちへ

組み込み技術者にとっては、最近の携帯電話の機種開発という事は、全貌を捉えることは難しく、担当機能ブロックに閉じた形での接点しかなくなっているという状況でありシステムエンジニアとしての感性などを持つことはキャッチアップする術すらないということなのだろうか。即戦力という謳い文句で活動している教育現場や再教育を指向している会社での最前線などにおいて基本を抑えるという枠組みに、あまり時間が割けないということにもなるようだ。現在、ベンチャーのCEOなどの職にある知人達の世代が経験してきたリソース不足の時代で学んできたパフォーマンス追及などの工夫といったことを現代の状況で経験し教えていくことが難しいということのようだ。外部の環境として、マイコン草創期から長らく開発に携わってきたという得がたい実践を結果として体系的に経験していくということが出来たというのは、一握りの世代に限られてもいるようだ。

教育現場に立ち返り、教職の道をとるという選択をしている知己もいる。あるいは悠々自適の段階に入る中で、専門学校でクラスを持ち自身で経験してきた内容をベースにしてシステムを理解させる目的でリアルタイムシステムOSの開発を課題としてコースを起案実践されている人もいる。歴史の中を生きてきた人の経験と、教育で得る経験は違うのかも知れないけれど少なくとも経験して理解したことを教育を通して理解してもらいたいという思いは強いのである。先日、ベンチャー社長のYさんとお会いして食事をした際にも、苦労して性能を出すことに邁進したZ80の経験が大きなベースとなっていますというのである。実際の社会に出てから取り組む「お化け」のように肥大化した携帯電話のシステムに遭遇する前に、全貌が把握できる範囲のマイコンシステムを一人で全て構築してみるという事は有益なのだと思う。

世の中は技術進展により素晴らしいツールが揃い原理原則を理解せずとも、仕事が出来るようになっている。上述のZ80などのマイコン開発経験もシミュレータなどを用いて行なうことが出来るのだろう。だけれどもマイコンは是非自身で半田ごてやオシロスコープあるいはロジアナでも良いが裸一貫でデバッグする経験を是非積んでもらいたいものである。そうした環境までもシミュレーションできるようにすべきだという声もあるのかも知れないが・・・。マイコンのデバッグにポートに接続した一個のLEDでデバッグするようなことから初めて貰いたいものである。基本を理解した上で、効率改善の目的で開発されたツールを使うのは良いことなのだと思う。かつて他社マイコンのシミュレータをチームとして開発したことがあったのだが、目的は、時間を止められるチップと同じ動作をするマイコン環境の構築だった。そんなことが他社マイコンの公開されている資料だけで出来るものかという意見もあるだろうが・・・。

そこまで原理を理解しないままにツールを使い問題解決をしていく人たちが、ツール原理とシステム動作の狭間で稚拙な理解のままに問題解決が進まない状況に遭遇しているケースが多くあったからでもある。実際に動作しているシステムを止めることなど出来ないながらもマイコンデバッガーで恰もブレークを張っておき止めた所から再開していくといったことを実践しているシーンなどがそうした背景でもあった。高精度なシミュレータを開発する為に一年半近くもリソース投下して実践して一連の成果を生み出したのだが、果たしてそうしたツールが自社チップでもない物が対象だったことも含めて、プロジェクトへの思いや、その成果活用が図れているのかどうかは今となっては不明である。ある会社という枠組みの中で、そうした事への挑戦が必要と認められて何かしらのプロジェクトに貢献することが出来たのは確かだし、会社としての新規事業を起こすという事にまで繋げる必要も無かったのはチップセットを事業とするものではなかったことにも起因している。

アプリケーションとしてシステム設計開発を進めている流れが巨大化したバベルの塔の如き状況に直面する中で、自身でフレームワークを新規に構成することにまでリソースを割けるかどうかの判断は現在では皆無に近いようだ。プロジェクトを推進していく上で自前のプラットホーム開発をしている別チームの動きなども知りつつも現実的なスケジュールでの実現をするために使えそうな外部プラットホームを利用していることもままあることである。一度決めたプラットホーム戦略の変更は大きなイナーシャで動いている会社全体のプロジェクトに対して少なからずインパクトを与える。ある意味で切り替えて微細な改善を図ったりすることよりも変えずに失敗したとしても、それなりの経験を積めればよいと考えているのではないかと思っているのでは伺えるほどである。プラットホーム整備に各社が傾注しているように見受けられる昨今とは別に、溢れる開発要件を消化する目的で社外のプラットホームに長けているODMベンダーを活用するというのも一つの傾向にある。

次代を担う若い技術者たちには、是非組み込み業界の実情を捉えていただいた上でブリッジエンジニアに終わることなく原理原則を押えた上で深い専門を持つ志向を持っていただきたいものである。とかく昨今のエンジニアをとりまく環境は消耗品としてエンジニアを捉えているのではと思えるほど余裕がなく、今や人材育成の旗頭を掲げているメーカーなどはことのほかないものである。国策として掲げているエンジニア拡充という施策の中に、国外のリソース活用などを主眼としている現状の仕事としての枠組みとなってきたブリッジエンジニアという事の起草自体が国策と矛盾しているように私自身は感じるのである。現場から乖離したままに、実際の開発を知らぬブリッジエンジニアが跋扈している状況で製造力設計力を向上していくという仕事になるとは思えないのである。状況の矛盾に気づきつつも製品開発を余儀なくされるメーカーにとっては弥勒信仰に陥ってしまったり、効率改善の流れで追求すると自社リソースの削減という矛盾に落ち込み悩んでいるのも国内メーカーの実情である。

コアな技術に注力しているという自負を自身を世の中に問うて考えられる技術者やベンチャーならば、その人あるいはその会社の価値を会社や業界が認めている故に仕事の心配などどこ吹く風だろう。そこに疑問が生じた時にとるアクションは自己開発であり、新機軸の事業創造となるのだろう。外資の会社ではドライに切り捨ててコスト効果最大の答えを選択するというのが世の常であり、国内メーカーでは、いまだ達し得ない部分がそこには厳然として存在する。それゆえに自己矛盾が解消できないというものでもある。革新的な技術提供により、ビジネススタイルを刷新できればリージョナルに解決すべき課題や強みが見えてもくるものでもあると信じている。そうした事に気が付くのかどうか常に自分自身あるいは自社ビジネスの弱みを認識していることが最大のポイントになる。エンジニアという自分自身を活躍させるかどうか、ベンチャーとしての自社を躍進させるかどうかは常に主体としての自分やCEOなどの意識にかかっている。

残念ながら、日本という市場で仕事をしているエンジニアにとっての足枷は常に付いて回る状況である。世界的に見ても突出した最先端の機能を要求されるのはキャリア相互の競争が熾烈になっているからだろう。一極集中したキャリアの状況がある意味で革新を生み出すことになったのは、運命だったのだろうし、各メーカーが試行錯誤を繰り返しつつデータ主体の通信へと拡大してきた経緯でありアプリケーションが整備されてきた。これも交通インフラが整備されている状況が有効となり、ちょっとした暇つぶしや電車などの通勤通学などの時間までも開拓することに成功したわけである。他方残念ながら日本という国情から物価が高い中で暮らさざるを得ない状況で、生産性の低い取り組みをする限りにおいてはソフトウェアビジネスという事業がコストダウンの観点からも将来が危ぶまれているわけである。そうした事を是として将来はブリッジエンジニアしか存しないと規定したわけでもないのだろうと理解したい。

いま、世界が漸く日本と同じような土壌に立ちプラットホームの整備がかない始める状況になると、公正な競争に勝ち抜いていくための独創的な技術が求められるのは日本のコスト高の国情ならではとなる。組み込みの仕事をしたいのでインドや中国に行かざるを得ないと結ぶのは余りにも悲しいのである。日本で同じ仕事をする限り魅力的な仕事に映るはずも無いのである。ドカタ商売で物づくりが出来なくなって久しいとはいえ、インテグレーションのノウハウを各メーカーが負担することすら覚束なくなっているのも事実である。中継ぎの技術としてレディメードのプラットホームを利用してある程度仕上げた後は、自前のプラットホームに移行するという美しいプランを掲げるメーカーもあるだろう。各メーカーの戦略がミートするかしないは数年立たないとわからないものの、投資がなされてモチベーション高い仕事に取り組むことが出来ている人たちは幸せな状況といえる。世の中の動きを理解しつつ、状況が暗転した場合においても自力を蓄積することには活用できるように努力していく意識は大切である。

野望を持てとまでは言わないものの、自分の夢を描けることが必要なのだと思う。人により人生観も異なるだろうから、単なる職業としてのみ技術屋をしているというのであれば、モチベーションを高く持つこともなく失敗しても後腐れなく次のテーマに入っていけるのだという人の生き方も一つの道かもしれない。ただ日本に求められる技術者の仕事がより創造的な仕事を求められるようになってきていることを理解すべきだと思うのである。今までの延長線で済むというようなドカタ仕事などは無いのである。自分の夢の過程として現在の仕事をマッピング出来る様に考えられるかどうかで、仕事へのモチベーションは大きく変わり成果も変わってくるはずだ。自立したエンジニアに向けて、成長していけるエンジニアとは好奇心旺盛な若い状況で、恵まれた上司のもとで仕事の指針を正しく与えられて進めることが出来るかどうかにかかっていると感じている。成果としての成功失敗に関わらず、そうした中から何を学び次に対しての戦略を考えていけるのかどうかそんなまとめ方をしてくれる上司であるべきだ。

 

業界独り言 VOL299 想定の範囲?

携帯電話業界では、最近、端末におけるプラットホームの開発が流行している。いままで通信キャリアが提示してきた端末動作仕様なるものを実現するために必要な機能を網羅設計することの難しさを共通化して肩代わりしたいということが底流にはあるようだ。とはいえ、今まで端末メーカーが自社のノウハウとして蓄積してきた部分も含めて未経験の通信キャリアが仕様を書き起こしてきた側から、実装を検討する側に回って開発するということには大きなギャップがある。昨年から起こってきた流れには端末開発のベースとなるOSプラットホームの選定といった段階では解決できない部分にミドルウェアとして通信キャリアの仕様を網羅する部分を作りこむというのが業界全体としての動きであった。プラットホームの部分をOEMメーカー自身が開発していくという昔ながらのスタイルもあれば、通信キャリアが開発費用負担をして自ら取り組もうという大英断をしたスタイルもあるし、通信キャリアが基本設計のガイドライン提示を行い各OEMが実際の実装を行い結果としての成果物を流用展開できるようなインフラまでも用意するといったスタイルまでもある。

OEMの実装状況や開発のボトルネックを考慮しないままで通信キャリアが、他の通信キャリアとの競争からスペック競争のみに走っていくことでは追従できずに疲弊して破綻してしまうのも実情である。通信メーカーが新たなプラットホームを選択して実際に通信キャリア向けのプラットホームとして仕上るまでには一年以上を要するということなのだろうか。無論、そうした難しい端末仕様となっているのは国内通信キャリアに多く見られるようでAsIsで使えるようにしてくれればという欧州のキャリアも多いようだ。まあUI仕様程度の話から、プロトコルやUIMサービスといった部分で選択する多くのオプションなどの差異吸収といったことまでも様々ある。標準といわれるブラウザ技術などをバイナリー提供しているベンダーなどではさまざまなOEMやキャリアの要望に応えるべくソースがFEATURE定義だらけになってしまったという話もある。一つのソースであるかも知れないのだがカスタマイズするための技術として適切なものといえるのかどうかは不明である。通信キャリアのスペックとOEMメーカーの独自性の狭間に晒されるベンダーとしては苦渋の選択といえるのだろう。

そんな端末開発に100億円以上が必要となるといわれる所以は、のりしろを繋ぎこむインテグレーション技術に投下するために必要な費用を各OEMメーカー自身が負担しているからに他ならないからだろう。とうぜんそうした費用を負担しきれないメーカーは、開発レースから落ちこぼれていくしそれにより、今まで開発に投下されてきた外部リソースという意味でのソフトハウスが仕事を切られてしまうという事態は想定の範囲でもある。アプリケーションエンジンを開発しているメーカーも端末が出来ないのであれば、売上が成立しないので困ってしまう事態となってしまうのである。自らの手で端末開発を手がけているわけではないので、こうした転機にあってはビジネスモデルの改革を考えていかざるを得ないのだろう。積極的に自らの製品範囲を広げて通信キャリアサービスに対してコンプライアンスな環境を提供できますというコンサルティング的なビジネスも視野に入れ始めているようだ。多くのチップベンダーが提供するプラットホームにあわせた形での提案が広告やイベントを通じて発表されているのが最近の事例でもある。

Quad社で始めてきたバイナリー環境も、ある意味でそうしたOEMメーカーとしての取り組みを昇華させてプラットホーム技術として展開してきた技術を、端末事業撤退後ソリューションビジネスの一環として展開拡張しているのだ。国内の元気ある通信キャリアが、CDMA2000で展開している流れにおいて、この技術をJava対抗といった切り口で利用してきたのは一概に誤りとはいえないまでも本来の意味においてJavaとは異なる意味でのプラットホーム技術の一つであることに違いない。各OEMメーカーがRTOSの上に工夫を凝らされてアプリケーション環境を構築してきた流れを統合されて通信キャリア指導でプラットホーム一本化という動きの中で最近発売開始されたモデルが注目もされている。とはいえ今までの各OEMが蓄積してきたノウハウと核となるアプリケーションを通信キャリアがどこまで取りまとめられるかという事は一つの挑戦だったといえるのだろう。

どの通信キャリアも悩みながらプラットホーム整備を行っているので、互いにやっていることについての興味と自社で進めている現場チームへの猜疑心などがあいまって時折トップからのお達しからおかしなシチュエーションを想定してしまうことがないともいえない。プラットホームの整備は互いに利用してもいない環境の中で、人伝に聞く内容に右往左往されたりしているのは仕方が無いだろう。プラットホーム整備の最大の目的は端末開発コストの削減に他ならない。端末開発にあたり通信キャリアの仕様を満たすための工夫が、ミドルウェアとして達成できるのであればアプリケーションの流通が可能となるというのが狙いであり、期待されるのは試験コストの削減などとなる。無論、ベンダーとしては各OEMにカスタマイズ対応する図式からの開放が期待できることから賛同が得やすいとも思われる。

しかし、プラットホーム構築において通信キャリア指導で進めていくには、各OEMのノウハウが必須でありIPRとして通信キャリアが提示してしまう中には、その費用分担についての調整が想定されもする。仕様自身がIPRであると言われないのであれば、自力で構築する芽もあるのだろうが、誰かが資本投下してくれるのであればプロジェクトとして推進したいというスタンスが見え隠れするソフトハウスでは、なかなか踏ん切りがつかないのも事実である。鶏と卵の議論になってしまい、プラットホーム構築が出来ればコストダウンとなり、そのプラットホームを前提としたビジネスで自立も可能になるというすごろくのストーリーは中々スタートしない。競争を最大に感じている、通信キャリア自身が資本投下して行った事例が続く中で、想定の範囲を越えるリアクションも出てきたようで興味深い。

端末が売れれば桶屋が儲かるといった図式の仕組みが携帯電話端末には、いくつかのIPRがある。そうしたIPRを握っているベンダーがサイクルを回すことに注力するというのは考えるべきストーリーの一つだったのだろう。実際問題、Quad社自身も自社が保有しているIPRにより端末が展開されることによる見返りを十二分に考えるケースでもある。スムーズに端末を生み出していくということをビジネスに積極的に捉えようという動きは、そうしたIPRを保有するアプリベンダーが主導して発動されている。しかし、不思議に思えるのは本来OEMが蓄積してきたプラットホーム化に向けた端末構成技術のノウハウを利用するには、従来のような下請けとしてではなく自社ビジネスとしてアプリベンダーが発案行動していく流れには、何か大きな先行投資としての動きが感じられる。PDCで構築してきたサイクルからの大きな転進に向けて色々な形で動きが発生しているのは戦国時代の様相がますます深まった最近の状況でもある。

プラットホームが整備されることにより、次に起こるのはPC化の流れであり、果たして国内メーカーが最先端技術を積み上げてきたビジネスモデルの大転換期が近づいていることは皆認識しているはずである。開発コスト削減が果たされる中で次に各メーカーが考えるのは自社が保有しているIPRによる端末コストのBOM算定における相殺優位性となる。GSMのライセンス費用やマルチメディアのライセンス費用など自社が保有する強い技術が無ければそうした部分についてのコスト差は厳然としてメーカー毎に存在する。無論機敏な経営手法などを旗頭として取り組むというオプションもあり、新たな技術に積極果敢に取り組んでいくというメーカーなどは早くに消化することでビジネス商機を広げようということでもあるらしい。商才に長けた東アジアの仲間達も利用可能なプラットホーム戦略の中で、結局国内OEMが保有する何らかのアドバンテージが必要なのだが、それはブランドイメージなのだろうか。

XML化技術が世界を救うとは言わないまでも最近の日経エレクトロニクスでも注目しているのはXML技術の組込み世界への応用であるらしい。Quad社が最近手がけているのも、XML化技術の応用としてUI表記言語としてのXMLでありこれに基づく物づくりの方法論を一つのパッケージとして開発プラットホームの味付けに一役買わせようという魂胆でもある。携帯電話の物づくりの難しさが、開発プラットホームの整備で解決されてタイムリーに端末を供給していく中で、端末をキャンバスと見立ててXMLでアプリケーションとしてのuiを書き起こせるというストーリーを提案している。これは端末をメディアとして提供するといった時代の到来といえるのかも知れない。端末技術の進展の中で良い時代になろうとしているともいえる。端末開発現場の方々の理解が追いついているのがどうかは別問題かも知れない。気がつけば自分達の仕事の価値が薄まったり存在理由について問われたりする時代になるのかも知れない。

業界独り言 VOL298 技術屋冥利

「目指すは世界一のメーカーですから・・・」と、きっぱりと言い放つのは知己の関西の某組み込みベンチャーのCEOのYさんである。社歴として二十年を越しつつも大メーカーというよりもベンチャーで尖がった製品を出し続けるのは社風ゆえだろうか。最近の携帯電話開発などをしているメーカーのエンジニアからは聞かれないようなフレーズだったので妙に耳に残っている。私は国内のテクニカルベンチャーの中でも群を抜いている社風と実績だと思っている。ベンチャーの証左としては人数の少なさでも証明できるかも知れないが、それ以上に営業陣営を拡大しない志向を持つ経営にも現れているだろう。堅実経営の実績として国内組み込み業界の隙間をいつも埋めてくれてきた成果からは、銀行融資を必要としない姿などに映し出されている。出来ないことはきっぱりと断り、無理に拡大はしていかないという姿にはCEOの考える会社としてのバランスを維持したいという思いがあるようだ。

尖がった社風の理由は、ある意味で生意気な文化が残っているのだろうし、生意気を支え続けるのは突出した技術志向を本当の意味で掘り下げてきたからでもあろう。この会社の社歴を見ていると、どんな技術を指向して開発し蓄積しつつ、現場開発技術者に必要な次の技術に耳を傾けて開発を進めてきたのかが判るような気がするのだ。しばらく面と向かってあったこともないYさんであるが、三年ほど前に京都のオフィスを訪ねたことがある。その前にあったのは某メーカーの開発現場で十年ほど前に、また最初に逢ったのは彼らの創業まもない頃の二十年も前になる。頻繁にあう訳でもないのだが彼から、いや彼の会社から発せられる新たな技術には、いつも今までの経過や深化発展してきた風土が浮き上がってくるように感じて嬉しいのである。日本人の技術屋としての彼らのスタンスの颯爽としたところには啓蒙される次第である。

そんな彼の社風には、ある意味で拡大に対しての懸念があってのことがあり、手付かずの業界もあったようだ。蟻地獄のようになっている組み込み業界の一部などに対応しようものならば、技術指向の真摯な彼らの取り組みであったとしても受け入れられない現実の壁があると感じていたのだろうか。現実の蟻地獄を見てきた気鋭の技術者を迎えて、Yさんたちの技術指向や深化したテクノロジーを伝導するエバンジェリストとして位置づけるという斬新な取り組みが行なわれたのは二年ほど前である。気鋭の技術者として私も知りえていたTさんがYさんの会社に転職すると聞いて、Tさんの前職で取り組まれてきたこと自体がTさんの中で一巡してしまったのだろうなという思いと、Tさんが組み込み業界に不足している部分をYさんの会社の技術にどこかで触れる出会いがあってのことなのだろうなと勝手に思いを巡らして納得してしまったのである。実際にTさんの転職祝いでお会いすることでそうした思いを更に強くしたのである。

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業界独り言 VOL297 組込み下克上

組み込み業界の中でも、生き残りをかけた状況になってきた観のある携帯電話業界では、生存をかけた戦いが繰り広げられている。既に多くのメーカー自身が自覚しつつも、現在の殻や今までの流れを、破ること・変えることを何らかの形で試行しているのが実情なのだが、結果として見えてくる実績としての現実には中々繋がらないままでいるようだ。流血騒動となっている開発スタイルの変革の中では止められないメインストリームにすら鉄槌を下す時期に来ているのではという知己もいるのだが、そういう状況を認識している経営陣と現場の間に見える乖離した状況は救世主を待ち望んでいる弥勒信仰に似ているのかも知れない。変えられない意識となっているのは今までの会社教育の成果でもあろう、優秀な学生を投入してみても会社の教育指針が無いままに、また経営指針が振れている状況のなかで暮らしてきた彼らにとっては変わり行く流れの中で盲従することを生存の術と認識しているようだ。

盲従すれば生活していけるという、羨ましい状況が存するということは信じられないのだがバブル期に展開した世代と去り行く団塊の世代のギャップが、よりその問題を誇張したようにみせているのかも知れない。このエネルギーレベルを突破するにはエサキダイオードでも展開してトンネルを開けなければならないということなのかも知れない。残念ながらバブル期で進めてきた経営の蓄積は、本来ならば併せて蓄積できたはずの匠技術の集大成などに結晶させていくべきだったのだろう。しかし、筋肉質を構成する部分に対しての運動不足や適切な栄養指導がたたったお陰で成人病となり、団塊世代のリタイアの中で栄養士・運動指導員という状況にも遭遇しているようだ。東洋医学的にいえば人間が本来保有している自己治癒力をフルに活性化する鍼灸術で回復するツボがあるはずなのだが、ゆったりとハリ治療をする余裕もないのが現実の風景らしい。

挑戦する気概を持つ若者が育たなくなったのは、国の指導のなせる業でゆとり教育という方針無きお仕着せの生活を過ごしてきた不幸な歴史の結果だろうか。果たして、そんな生活意識で暮らせるほどに資源がない日本という国家にあって、また勤労意識も無為なままに会社で過ごす時間をカウントするモデルで給与を得ていけるという大きな誤解をうみ出しているようだ。ユーザーニーズと最近までの歴史に基づいて偶々先進の文化を過ごしてきた事実は確かに日本にはあるのだろうけれど、きわめて不確かな国としての拠り所を忘れているのであれば未来は覚束ないのである。2Gで栄華を極めてきた携帯電話メーカーは、機能拡大の流れの中で辛酸もなめてきた経緯もあるもののそうじて次々と新たな技術に対しての意識に集中してきたようだ。着実の自社技術を固めていくという動きよりも繰り出されてくる通信キャリアからの新たな仕様に対応していくことに翻弄されてきたという言い方が正しいかも知れない。

不幸にも状況を悪化させたものは、2Gから3Gへの切替でありアプリケーションプラットホームとプロトコルの分離もままならないうちに3G開発の試行が始まりお召し列車が走るプロセスを時限立法するという展開となった。そこまでに至る状況は通信キャリア自身が持つ栄華の結果でもあり伸びすぎた一強の顛末として有限なる世界としての自然な成り行きだったのかもしれない。パテント戦争までも巻き起こして始まった3Gの開発競争は、結果として国策プロジェクトの如き様相の中で、必ずしも目指す戦勝国とはなりえなかった。またどこに戦勝国がいるのかも不明なほどに実態としての3GPPの離陸には時間が掛かり、大規模なレベルで実働しているネットワーク事例といえば日本にしかなかったりするのも事実である。キラーアプリを持たない中で繰り広げられる3GPP陣営の無為な戦いに参加しているメーカーや傘下のソフトハウスなどは戦いのみで利益を挙げようとする、ドコカの国の傭兵ビジネスのようなものにも映る。

第三世代に向けて新たな通信キャリアが登場したり、パケット定額の実現に向けた競争や、シンプルな使い勝手での共存やら各通信キャリアごとの状況が色分けされてきているのが見えてきた。明確なメッセージとして音楽配信をキラーアプリとして訴えるキャリアと、ユーザー数に影響を与えない形でのテレビ電話をキラーアプリだとしてユーザーを模索しているキャリアなどがある。コマーシャルで大衆に訴え続ければ、やがて芽吹くニーズに繋がるいうのだろうか。ISDNでさえも芽吹くことの無かったアプリケーションを携帯することで解決するとは思いにくいのである。現在明確なニーズがあるとすれば、英会話教材システムとしてのその位置づけになるのだろう。相手とめんと向かって話すことが簡単に出来るのであれば、きっとこの国のエンジニアなども英会話で苦労することも無いのだが、それくらい大きな壁があるのだ。テレビ電話のアプリケーションを支える技術としてアバターが必須だというのもおかしな話であり、顔をみせるのも嫌なので人形を出すというのであるから・・・。

第三世代のシステムに移行するという明確な目標や利便性についてエンドユーザーと共有しないままに移行してきたことが3GPPが、うまく行かない理由だともいえるのだろう。現行のシステムで不満の無い人たちを巻き込んで議論のみをし尽くしてきたという歴史があまり地に足の着いた形にならずにいたのである。第三世代により世界中どこでも繋がる携帯電話を目指している現実のなかで使っているユーザーのプロフィールがアジア地区のみが突出しているということでもあるのだろう。もう一つ歴史認識を正しく持つ必要があるのは実はバンド構成であり、世界の趨勢と日本の構成の上下のバンド構成が異なっていることが挙げられる。これゆえに、第二世代までに使ってきた800MHzでは日本のみが孤立してきたのである。そんな孤立した状況のなかで第三世代に繋がるまでに普及したアプリケーション開発を支えてきたのは周波数に縛られないPHSシステムだったというのも興味深い。TDDによりピンポンすることにより国際的に通用する規格として受け入れられてきたのでもある。

新興国の通信事情改善につなげる世界貢献という意味では、PHSが果たしてきた意義は大きいものだと思うのだが、そうした自負心を持つ人は何故か日本人には少ないようだ。PHS自身を過去のものとしてしまう状況には、国内での第三世代競争の犠牲者として生贄にされてしまったからなのだろう。PHSこそ本来ならばプロジェクトXにでも登場させるテーマだと思うのだが、どこでも使えるという利便性や高速通信という特性をうまくコストバランスよく達成した素晴らしい技術だと思うのである。PHSと携帯の二つの機能をもつ端末の登場などはある意味で画期的なものではあったにもかかわらずユースケースとしてアプリケーション設計から呼処理を設計しなおすこともなくドッチーカと悪口を叩かれるような実装になってしまったのは、端末開発に従事してきた人たちの意識不足からなのだろう。同様な状況がWLANとCDMAの共用機種などの登場で再登場してくるのは世の常なのである。適当に済ましておいてはならない重要な点として認識していたのかどうかがエンジニアに問われている。

懸命に実装検討などを深く先行開発してきたメーカーではアプリケーションの進展を見越して携帯のためのWindow機能やアプリケーション管理機構などを構築してきた。落ち着いて基礎技術を開発していくというのはメーカーとして必須な項目であると私は信じているのだが、実際には最近ではソフトウェア開発に費やした費用を研究開発費用としては認定されないというような状況であるらしいし、またそうした評価になっても致し方の無い実態なのかもしれない。通信プロトコル開発に押されてしまい自社開発から、他社協業を模索したり、チップセットとしてライセンス導入したりという流れの中で本当の意味で携帯電話開発の要になる部分についての基礎技術については殆ど手付かずになってしまっているのもメーカーでは事実のようである。徒にRTOSをITRONからLinuxあるいはSymbianに変えてみたところで、携帯電話というアプリケーションを構築してきた自分達の蓄積されているはずの経験知識を毎回マッピングすることに苦労を費やしている姿が見え隠れしている。

携帯電話のためのプラットホームとして技術追求をしているという会社がどれほどあるのかは判らないのだが、まあ端末開発という大命題を背負ったユーザーを味方に引き入れて、その開発を通じて一年以上も費やしていくことが出来れば一つの方向性を会社として持つことが出来るはずだろう。そうした開発プロセスの見直しなどどこ吹く風で急激なコスト圧縮を要請されているのも事実であり、それが故に協業やら短期的なプラットホーム選択だったりもするようだ。しかし短期的な選択が正しいことなのかどうかも含めてエンジニアリングとしての眼が曇ってしまっているように映るのは私だけだろうか。知己たちの会社に基本的な技術解説や新技術の解説などを通じて、今後の展開についてのプレゼンテーションをすることが続いているのだが多くの知己たちからは「本来そうあるべきなんですが・・・」と肯定とも否定とも判然としない現状としての反応が返ってくる。六年前に捉えていたQuad社としてのビジネス範囲からは大きく異なり拡がってきているというのが、最近の動向でもあり私自身の経歴も含めて歴史認識も含めて将来動向に柔軟に対応していく社風の現われでもあるようだ。

来年は一つの大きなステップであり、二強一弱と言われている状況の弱のキャリアにとっての転機ともなるチャンスになるかも知れない。二強と呼ばれるまでに成長したキャリアへのサポートもそれぞれ展開しているものの歴史を大きく塗り替えるような史実を残しそうなほど厳しい現実と将来展開への大きな転機というのが今年からのアクションに委ねられている。しかしそうした危機認識をしているキャリアの要請に応えられる危機意識を持ったOEMがあるのかというと課題でもある。そんなOEMの多くは、現状疲弊の中で懐疑的な一弱のキャリアに向けて舵取りをする経営判断など出来ないということもありうるだろう。OEMのこうした疲弊生活の中でシュリンクしてしまったビジネスに気概をもって挑戦しようという志の会社はOEMではなくて傘下のシステムハウスなのかもしれない。長年のビジネススタイルの枠からの脱却が出来るのかどうかという踏み絵などがあるわけではないものの現実の選択としてリスクを持った新たな挑戦までに辿りつくのかどうかは不明である。下克上というキーワードを世の中に繰り出してくるかどうか、二強一弱からの脱却がいかになるのか、つまらない現実から脱却して挑戦するエンジニアの登場なども期待するところである。

業界独り言 VOL296 組込み大国の岐路

桜が満開となり、また新たな年度が明けたのだが、果たして組み込み大国日本にとってこの新年度は、いかがなものであろうか。携帯電話という切り口での偏光グラスで見ているからなのかも知れないのだが、携帯業界には、まるで山火事とも映るような猛烈な花粉を噴出しているような状況もあるようだ。そんな製造業としては景気回復という尺度になったというのだが、その理由が団塊世代の人たちの退職などにあるのだとしても、現在の財務内容とこれからの期待されるビジネスプランの実像の健全さに問題がなければよいのであるが・・・。端末開発に必要な開発費用というもの内訳を合算した上で、端末事業としてのボリュームを考慮に入れた上で採算が取れるのかという観点でみると甚だ怪しいという会社が多いのではと感じている。無論開発投資として、有形無形の資産価値が生まれるという費用の処理方法もあるのだろうしそれぞれの会社経営の考え方に口を挟む積りは無い。ただ開発に従事されているエンジニアの方達が活気に溢れ目が輝きという姿になるというのが開発投資という姿だと思うのが正直な個人としての感想である。

新年度にあたり、体制刷新や再生を期しての合理化に賭けるという会社もあるようだ、後進に道を譲り外郭からサポートをすることにしたのだという先輩もいる。長きに亘る海外での開発リーダーの経験を持つ先輩であり、人望も厚く後輩の指導にも長けたこうした人材を流出してしまうということについては些か残念に思うと共にデジャブのように思い返すところもある。外郭からサポートするという心意気を持つのは旧きよき時代を過ごした仲間ゆえなのか互いに精神を共有するところなのであるが、果たしてそうした偏執的な会社への愛情が傍から見て理解されるのかは別問題である。ましてや10年経てば会社の気風も文化もすっかり変わってしまったのではという危惧もあるのだ。ここ数年で大会社病と呼ばれるようになってきた顧客先などを見るにつけ、現在でも頑張っている闊達な雰囲気を持つお客様には強く応援をしていきたい衝動に駆られる。そうした部隊が一部にでも熾き火を持っていればと思うのである。

元気のない国内の多くのメーカーとは状況が異なるのが、同じアジア東地区の隣国である。文化的な背景や現在の伸び行くそうした国家のとりうる姿が、おしゃれに映る日本の現状などとかぶり国内の格差が広がる中で国策として反日に動くという状況でもある。実態として先進の部分でこそ日本の今までの成果に憧れを持ちつつ嫉妬も深いということでもある。ともあれ伸び行くそうした国家との物価格差を契機にしたにしても、今ではすっかり元気になりパチモンメーカーとは言わせない欧州の血統を組むデザインと熱き血潮の流れによる開発の勢いで国際化をすっかり果たして普通に英語を駆使して国際感覚で開発を進めている。彼らの中では社内がライバルであると共に共有した情報をベースに効率よく開発を進めていくスタイルはアメーバー経営とも異なるようだ。日本が組み込み大国となりえた時代に始まった崩壊の序曲は、やはりゆとり教育などと称して国際化を目指すでもなく自律する推進力を忘れて道を誤ってしまったように思い返される。

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