業界独り言 VOL315 めざめよ組み込みエンジニア

組み込みソフトウェアエンジニアというカテゴリーが最近はあるのだといい、国を挙げて育成支援しようという動きもあるらしい。体系だった形で産官学の一体化したフォーメーションで育てていくというのだが落としこむ先のメーカーには、そうした意図を受けるだけの器量があるのだろうか。組み込み技術者育成のテーマとしてロボコンなども最近ではETロボコンというらしい。どうも高専というカテゴリーがあいまいな実務向きの学校が手がけるテーマがそうした方向に展開されやすいのは致し方ないことだろうか。四半世紀の世の中の流れからみれば、マイコンが登場する以前にあったコンピュータ技術としての体系に向けて国産コンピュータの育成はIBMに追いつけ追い越せというものであった。奇しくもマイコンを開発したエンジニアが日本人だというのは誇るべきことだと思うし、そうしたDNAがもっと出てくるべきだと信じている。野望もつエンジニアというのは血液B型の典型なのかも知れないが、世界征服を可能だと信じて疑わないくらいの気持ちは何処かでもってほしいものでもある。

エンジニアとして取り組んでいる仕事の中で、なんらかの挑戦があって問題を解決していくためにアイデアを絞り出していくというサイクルを重ねて成長していくものだと思う。さまざまな困難な状況に陥るのは仕事としてごく自然なことだと思うし困難な状況が人間を育てるものだと思う。最近のOEMメーカーの苦境というもので、エンジニアが育っているのかというとどうも違うような気がしている。難しいテーマで苦労をしているのではなくて、手抜きをしてコストダウンをしろといわんばかりの要求が提示される恰も木村建設のようなクライアントからの要求で、経済設計をしろといわれて対応していくかのような仕事に手をつけたくはなし・・・。今までの仕事の流れにダウトを宣言して離職する人などは、自分の誇りをもって辞することを堂々と示したほうがよいだろう。とはいえ、日本的なメンタリティの中での仲間を裏切るような気持ちに苛まれたりもするのは良く分かる気がする。陰口を叩かれたくないという気持ちもあるのだろうげれど、そんなことよりも大切にしたいのは自分自身を裏切らないことではないだろうか。

私自身の経験からいえば、転職当時にかなりの陰口を叩かれたり、メールの受信拒否など色々なことがあった。ビジネスが始まれば毎年流入してくる人材や離れていく人材など六年も経過した今ではすっかりはるか昔の話に思えるくらいだ。そんなことに気を使うよりも、何がその仲間たちに貢献できるのかを考えたほうが良いということである。現在のQuad社の実情で言えば、実はすっかり日本法人を乗っ取ってしまうのではないかというほどある会社の卒業生の比率が高まっている。その会社から来た仲間が集まると、叶えられなかったテーマについての思いを共有しつつ視点を変えてどのように対応していけるのかという議論が始まってしまう。私自身の転機となった社内情報誌の発刊に繋がる事件のきっかけが今の社長であったりするし、その事件の当日の記念写真に納まっているメンバーがいつしか集まってきているのは不思議な偶然というか必然なのかも知れない。人と人の連鎖のような共有が新たな仕事に向けた情熱を生み出す源なのかもしれない。

続きを読む

業界独り言 VOL314 組み込みソフトは何処に向かうのか

時代の流れからなのか、日経バイトが休刊となるのだそうだ。日経といえばさんざん購読予約の延長などのお願いばかりが目に付いていたのが、最近になり毎号単位で通常の書店での雑誌販売の形態もとるようになっていた。日経エレクトロニクスのカテゴリーとは離れて、マイコンに携わるカテゴリーのエンジニアの技術真髄を語るという目的で、米国のDDJなどと並ぶBYTEマガジンとの提携で始まったものである。実は母体でもあるBYTEマガジンは単なる初期のパソコン雑誌というだけでは無く、業界の中心人物たちの研究の発表の場としての色彩も持ち合わせていた。そんなBYTE誌の終了以降も日経バイトの存続は続いてきた。日経バイトの編集方針もいろいろと工夫を重ねてきたのだろう、組み込みソフトウェア業界も含めた技術交差点といった趣の発表の場であったりもしていたのだとおもう。そんな取り組みも含めて、突然の休刊のアナウンスには残念と思うのと共に現状の流れの中で納得するような雰囲気を知己たちのメーカーなどからも感じている。かつてのマイコン登場の頃の勢いは、プロセッサ誌の登場や、その終焉なども含めて時代は移り変わってきている。

組み込みソフトウェアの旗手たる挑戦的なエンジニアたちの活躍の場所はいったいどこになってしまうのだろうか。米国では、まだ組み込みソフトウェア業界に向けた雑誌が続いており、その意味では健全のようにも映るのだが国内でのバイト誌の休刊には考えさせられてしまう。中国のソフト技術者たちののあくなき追求の熱いスタンスを見ているものとしても、国内のソフト技術者たちの戸惑いには日本の枠組みの中で進めてきた開発の流れの変革が迫られているようだ。挑戦したいものの活躍の場所が中々与えられる状況になっていかないということには、成熟し始めた状況の中では致し方ないことなのだろうか。ようやく携帯がPCのような環境になってきたという見方は、早合点なのかもしれないけれど実際にプラットホーム共有を行うメーカー間での端末完成度の競争などが見えたりしている。同一のプラットホームを利用していても異なった端末の実現やオリジナリティを実現できるのはQuad社のカスタマーなどがもとより実践してきたことでもある。数年来UMTS開発をしている知己のOEMメーカーからフルセットのソフトウェアの提供を要求されたりもしてきた背景もある。

組み込みソフトウェアという分野をOEMメーカーの視点から共有できるのかという点については、知己たちと続けてきたオフ会などのワークからも難しいらしいことは感じ取れていた。Quad社の技術伝道者として各OEMメーカーの技術トップの方たちにプレゼンテーションをしたりすることを通じても国内キャリアから提示される仕様のトラッキングに疲弊している様子が窺い知れた。新たな挑戦をする余裕があるのかどうかというファイナンシャルから見た点と共に、開発リソースとしてのアロケーションが可能なのかどうかという現実面がある。しかし、また新たな通信キャリアの登場の中で対応してビジネス拡大をしたいというメーカーの思いは前述の苦境とは裏腹でもある。通信キャリアの戦国時代とも言えるMNPの時代に突入する中で端末メーカーとしての対応力が問われてもおり、端末メーカー自身も今後の通信キャリアの行く末を見据えながら出来る対応について吟味をしている。いくら投資をして端末が出来上がり、その上でその端末についてユーザーにとって魅力のあるものが出せるのかどうかが鍵である。通信キャリアの仕様に応えることだけで一杯いっぱいになってしまったのでは仕方の無い状況である。

続きを読む

業界独り言 VOL313 スクリプトからラブコール

ワイヤレスな世界に身を投じる羽目になった契機が何だったのかと思い起こすと、10年あまり昔を思い起こす。当時何をしていたかというと組み込みCコンパイラを10年あまり楽しんだ挙句に先の世界に向けてスクリプトやらシミュレータやらの仮想的な世界に足を踏み入れ始めていた。携帯電話というよりは、トランクドという最近ではかえって最新アプリケーションとなってきたPTTサービスの端末作りをしながらPTTからの革新を目指していた。PHSの手伝いを終えて、元の職制でのPTT無線機のデジタル化の流れを率いていた。ソフトウェアのベースとなっているチップセットは市販の慣れ親しんだ他社製マイコンであり、何故か他社にもない高性能なシミュレータを開発して開発に勤しんでいた。シミュレータの機能は自分たちが必要としているものを盛り込んでいたし、16ビットマイコンの性能は当時の処理要件を十分に満たしていた。

アナログなシステムの開発の時代は自身の若き時代にアセンブラで対応してきたことを思い出させもするし、4ビットマイコンで高級言語で挑戦して失敗もして、それを契機に他社製8ビットマイコン用の高性能Cコンパイラを開発して応用商品などを手がけてきたりした。そういった意味で自分自身の技術者人生の中での大きな位置づけであったと思い返しもしている。アナログからデジタルに移行する流れで、自動車電話から業務用電話と移って来た自身としては、デジタル化の奔流に入ったのはNTTのデジタルムーバに向けた基地局システム提案やらパーソナルハンディホンでの提案開発活動が実務としての接点となった。無線機ソフトウェアの開発というには、OSや開発環境などに重きを置いてきたこともあり、プロトコルの開発に関しては若手にすっかり任せて、PHSの実務開発の流れにおいてはすっかり開発環境に嵌っていた。

実機以上に精密な測定が出来るというコンセプトを正面切って対応して実装開発してくれた仲間の成果を活かしてトータルの開発効率を向上させるという観点に推移した。コマンドを自動化したり、結果を判断するスクリプト機能を動かすことを始めていた。いわゆるUNIXの世界でのツールチェーンであり、またツール連携でもあった。シミュレータが動作する中での外界とのインタフェースを持たせるための機能としてプロセス間通信を行いつつPerlなどとの連携にも走っていた。気がつけば、開発成果を日経の雑誌に掲載したりすることも行い、外部や内部セミナーとしての紹介なども実践した。開発で実用化した技術自体は実践現場で活用してなんぼの話であり、PCUNIXの到来を探りながら開発環境自身をPCUnixとHP/SUNなどのEWSとの連携で高効率に動作させようといった実用化もしていた。スクリプトだけで幾らでも応用が出来たのである。

続きを読む

業界独り言 VOL312 DoCoDeMo 3GPP

いよいよ、新周波数帯の提供が始まり新たな国内キャリアの登場とつながるストーリーが始まった。もとよりMNPが解禁となる事態を控えている状況も含めて、各通信キャリアを取り巻く状況は、思っている以上に厳しく、また斬新に変化を遂げようとしているようだ。通信ベンチャーが端末作りに登場することもあるだろうし、端末メーカー自身も特定の通信キャリアにのみ操を捧げる妾商売のような体制を安穏と続けられる状況などは描けない様子である。いまや誰でも3GPP端末の開発を手がける状況になってきているともいえるのである。通信プラットホームを提供しているチップセットベンダーの成果が徐々に実りの時代を迎えつつあるという状況に推移してきているからでもある。中国や台湾勢のデザインハウスが通信プラットホームベンダーの環境を用いて、国内の新キャリアに向けて開発協力を見据えた活動が始まりつつあるようだ。こんな状況を想定してかローエンド3GPP携帯を二年前から着手してきた端末メーカーもある。

とはいえ二年前に作ったコンセプトが、今日に通用するのかという最近登場した、その端末のできばえからも古臭さを感じさせるような点はない。国内キャリアに打って出るといいったコンセプトに向けて同時期に投入された他のメーカーの実装からも戦略の差異やアプローチの差が窺えもする。国内の開発競争に投入して残り少ないリソースのアサインを悩むよりは、プラットホームも替えて設計も替えてという博打とも取れるような決断をされた背景にこそ深い悩みがあったのだろう。当然、そうした博打の結果が出るまでの過程で起こる様々な出来事をいかにして解決して対応してきたかというのは、現在では相当価値あるその会社のノウハウでもある。また、その会社の決断によりビジネスモデルに弾みがつき技術力を高めた中国の設計会社では2Gのみならず3GPPにも対応が出来るということで週単位で担当営業マンが往復するような状況にもなったと聞く。開発費用の捻出に走ることよりも、市場の見極めと徹底したコンセプトを新たな枠組みで挑戦して結果としての開発費用をも抑えることに成功しそうな勢いでもある。

誰もが3GPP端末を開発出来るような状況自体は、Quad社のような相互接続性テストに精力的にリソースを傾けつつ整備をしてくるようなチップベンダーの取り組みで解決出来るものでもある。しかしながら、国内キャリアなどの高機能化してなおかつ日々進化していくような端末仕様に合致するスペックの商品を開発していくのは大変なことでもあり、この辺りこそが国内メーカーの生きる道とも言われているのでもある。ハイエンド端末の仕様に対応していく流れから離れてオリジナリティのある端末仕様を逆に提案していくような動きが出てきたことは成熟してきたことの現れともいえるのたろう。通信業界のリストラクチャリングの流れで、新興キャリアでは端末メーカーに対してキャリアとしての端末仕様を特に提示するスタンスを取らないところまでも出てきている。開発資金の提供までして、整備されたプラットホームのご利益を期待する流れの成果も確かに出始めているのも事実らしい。プラットホーム開発した端末メーカー以上の出来栄えで応用製品開発に成功した別の端末メーカーなどが、その成果でもあるらしい。

続きを読む

業界独り言 VOL311 仕事の妙味

Quad社には、色々な経歴の人たちが集まっている。顧客先からのエンジニアが特に多いし、また様々な経験を積まれているかたもいる。今年からジョイントしたK君は、国内端末メーカー二社の経験を持っていて最初の職種はCDMA端末設計のハードウェアのエンジニアであった。ソフトウェアエンジニアを志向したものの会社の人事処遇が適わず転職したのだという。しかし、二社目の会社でそうした要望を転職での希望を述べたのだが、ハードウェアエンジニアからのソフトウェアエンジニアとしての転身のステップとしてのシステムエンジニアとしての処遇となったらしい。3GPPを紐解き、仕様理解からの端末モデムシステムのアーキテクチャ開発などのシステム設計に従事してきたのだという。しかし、そうした処遇からの次の段階であるソフトウェアエンジニアへのステップには中々進めないでいたようだ。なぜこんなことを知っているのかといえば、彼の前の二つの会社を担当している弊社の営業マンが共通の人物だったからでもある。えてして部品メーカーの営業マンは、訪問している会社の人事情報などの動向などについては詳しく察知しているものであるからかも知れない。

転職後のK君が、Quad社に転職が決まるまでにも、またいろいろな経緯があった。彼がやって行きたいという仕事と彼自身が現在保有している技術のマッチングが合わない故にQuad社でのソフトウェア技術者として、即戦力として働いてほしいという要件とあわなかったからでもある。そんな彼がQuad社に転職してきたのは彼が保有している現在の標準化活動技術者としてのスキルが認められて、Quad社の日本での標準化活動のメンバーとしてサンディエゴからの逆指名があったからでもある。彼の足跡は、実際の標準化委員会の参加活動を通してQuad社のメンバーに認識評価されてきたということがきっかけである。Quad社という組織の中での標準化委員としての活動は、多くのOEMカスタマーを支えるチップセット開発のベースでもあり昨今のOEMメーカーが参加する委員会活動のアクティビティよりも積極的なものであるらしい。そんな彼が、Quad社に入ってデメリットもあったらしい何しろ途中入社などに手厚い待遇を示す国内メーカーでの転職経験をした彼にとっては住宅手当などの処遇がなくなってしまい実質の収入は下がってしまったというのだ。ともあれ半年毎に給与見直しを行っていくQuad社の仕組みがおそらく彼の仕事成果を収入に反映して良い成果を得ているのだろうと思うのだが・・・

個々の採用条件などがベースとなって構成される各人の給与額などは実際の所、いびつになっているケースもあるのだろうが、半年毎の成果見直しにより伸び悩むのか急速に改善していくのかは個人の資質であり仕事の成果によるものである。横並びの給与が当たり前のように考えてきた時代を生きてきた者としては、自己の仕事成果を見てくれた成果としての給与システムには満足できるだろう。そんなK君が、いま光っているのである。もとよりスタンダードエンジニアとして活躍をしている彼なのだが、今回は彼の最初の会社に対して3GPPのトレーニングをするという状況に陥っているのである。従来は、C2Kしか開発してこなかった会社が3GPPにも登場してくる背景には、通信キャリアからの特色ある端末への期待もあるし、Quad社の提供するプラットホームの精度やチップソフトウェアの横展開といった期待がOEMメーカーにはあるからだ。ある意味で、K君が元の仲間たちに対して恩返しをしているようにも映るのだが、互いのビジネスベースでの偶然でもある。転職することで義理を欠くといった気持ちが日本の技術者に強いのは、その実として自分自身が提供しているスキルが不十分だからと考える傾向があり、自分自身の成長を妨げているからと考えるような世界の風潮からいうと子供じみた感性ともいえる。互いのプロ技術を発揮して仕事を推進する場所が会社という舞台なのである。

続きを読む

業界独り言 VOL310 アーキテクチャの進展

昨年末に国内メーカーから迎えたエンジニアM君は、日系ハーフの米国籍で、特徴のある流暢な日本語とネイティブな米語を扱うバイリンガルである。昨年の前半は、お客様として何度か米国にも来訪していただき当時のQuad社が考える次世代UIという名前の技術を適用したUI作りを試行していただくプロジェクトの中心でもあった。とはいえ、当時の状況で考えれば、UI技術への踏み込みが十分でない状況のQuad社での助走期間の技術提供だったともいえる。国内メーカーの中で一般通念として普及してきたUI開発の流れはWidgetベースのUI部品を駆使したものに推移しておりそうした流れにいた国内メーカーがQuad社の呼びかけに応じたのは、自社技術とQuad社技術の双方の視点にたち先を見越して研究を進めていくためのものであったかも知れない。Quad社が提唱するバイナリ実行環境がゲームアプリだけでなく一般のUIを含めたベース環境に移っていくであろうことを察知した先進メーカーに違いはなかった。並行して開発が進められていた国内キャリア主導のキャリア仕様を満たすプラットホームエンジンの開発というテーマなどと合わせて、当時はQuad社の中では将来技術の協奏曲となっていた。

M君が、端末UIの開発エンジニアとしてバイナリー環境を詳しく理解していく流れにのり商品開発を達成していく中で、国内メーカーでの仕事よりもQuad社でのビジネスに魅力を感じたのは、理解した技術を幅広く実践して伝えていくことにあったようだ。開発していくベースを広げたいということが背景にはあったのだろう、年末にジョイントしてからQuad社が暖めていたUI技術の進展にはベースとしてのWidgetを自社昇華した上でUIプレイヤーという新しいレイヤーを提唱しているベンチャーを吸収することでもあった。2.5Gの肥大化するUI開発の流れにあった欧州地区の事情に応じて3GUI技術としてXMLベースのUIを開発してきたベンチャーにとっては各キャリア毎のUI差異を吸収しうることを当初の目的としつつも、Quad社が提唱するアプリケーション全体に向けたアプローチに繋がる流れに共感を覚えたのでもあろう。もう一歩踏み込んだ形でのアプローチとしてバイナリ環境の上にUI開発環境として構築していくことになったのは大きな流れとなった。M君は、さっそくこの新XMLベースのUIプレイヤー実用化の先鋒となるユーザーサポートの渦中でエバンジェリスト兼サポーターとなり実用化を達成することになった。昨年来の流れであるところの各通信キャリアに対応するアプリケーション制御といった切り口にも繋がる形になっていくことは次の進展となるのだろう。

端末開発費用という観点で見た場合に、なかなかやりたいテーマを続けていくことが出来ないというジレンマもM君にはあったのかも知れない。事実、端末メーカーでの開発内容自体はかなり変わってきているのも実情だ。大規模化する開発規模の流れの中で端末一社でそうした負担をしていくことが出来ないというのは、高機能イケイケ路線で進んできた国内メーカーや国内キャリア事情の曲がり角というべきかも知れない。3G端末の離陸は、国内第二位のキャリアとそれ以外のキャリアとの競争に基づいてドライブされてきた。そうした中で、ビジネスモデルの異なる通信キャリアに向けた端末作りの条件をクリアするための模索が各メーカーで続けられてきた。第一位のキャリアのみに物づくりしているメーカーもあれば、一様に提供しようとしているメーカーもある。実際に現時点で同時に既存の三つのキャリアに端末提供が果たせているメーカーは居ない。それだけ3Gに推移してからの要求されるアプリケーションやキャリアスペックを満たすためのアーキテクチャ条件が難しいということでもある。無論、通信キャリア自身もそうしたことを理解した上でプラットホーム整備と銘打った開発や開発費用提供あるいは仕様開発といったことを進めてきていたのである。

続きを読む

業界独り言 VOL309 マイクロカーネルはマルチOSの夢をみるか

仮想OSといえば、VMwareのようなPC環境で複数OSをインストールして同時にLinuxやXPあるいはBTRONを動作させるといったものが思い浮かぶだろうか。仮想マシン環境の提供が出来れば、さまざまなOSをインストールすることが出来るようになる。複数のOSをインストールしなければならないのは事務用のアプリケーション環境としてのWindowsが蔓延る中で致し方ない状況の技術者の方たちの状況や、デザイナーの方たちのマッキントッシュ環境でのWindowsアプリの必要性などが背景だった。ちょっと似て非なるケースとして携帯電話で最近起こり始めた状況には、通信キャリアが提唱するプラットホーム環境に向けてチップセットベンダーが工夫提供するなかで、高機能OSと呼ばれるLinuxやらSymbian、WindowsCEとチップメーカーが保有するプロトコルスタックとの融合で派生してきている。組み込み端末の中で更にオーバーヘッドを生じさせるような仕組みの投入が必要なのかという意見もあるだろうし、アプリとサービスは分離された実装をすべきであり当然の帰結と結ぶ方もいるだろう。いままで議論にも上がらなかった背景には、チップセット実装としてワンチップに実装することが常識として想定されてこなかったからでもある。

チップとしてワンパッケージかどうかという問題であれば、現在のMCP技術などを駆使してパッケージにスタックして実装することも可能である。個々のチップセットの開発事情を無視してインテグレートして製品として仕上げていく困難さは益々難しくなっていき多額の投資をその過程で必要としてきている。GSMのコアとWCDMAのコアをとりあえず繋ぐというような実装でIPの再利用という形のみでワイヤリングしてチップにすれば完成するというようなものであれば、苦労はないのであるが、システムインテグレータとしての責任を負える技術を持てるのかどうかは課題だろう。最近ではリコンフィギュアブルなハードウェアの登場だとかソフトウェア無線だとか色々な騒音の中で個々の技術を押さえて本当の意味で実装できるメーカーがどれほど居るのかは甚だ疑問である。個々の技術のアイデアをメーカーに提案して端末メーカーの責任でそれらの技術を昇華させていくといったストーリーは現実問題として機能しなくなり、そうした仮定に基づいて進めていく仕事の過程で気づく問題点の中でプロジェクトが頓挫破綻に流されているようだ。落ち着いて基礎研究などするゆとりはないということだろうか。

周囲のこうした状況を反面教師としているのか、まったく気にもしていないのかは別にしてマイクロカーネルをベースにしたシステムコンフィギュアラブルなベースシステムに切り替える取り組みもワンチップ大関の次の流れとして業界に大きなインパクトを与えている。無論、先に述べたような業界事情の中で本質を正しく認識されているのかどうかは甚だ疑問であり、実際に商用化した実績を通じてそれはまた徐々に広がりを見せていくに違いない。ARM9ワンチップでLinuxとシステムとしての無線プロトコルが端末として実用化出来るのだろうか・・・という問いかけでもある。Linuxのみでシステム構築されてきた方々ならぱご存知のようにアプリプロセッサに実装して専用化していく流れでようやく一世代前の端末レベルに追いつこうかというもっさりとした状況でもある。当然、通信キャリアの方々やOEMメーカーの技術トップの方々に対して行うプレゼンテーションに対しても冷ややかな反応であることも否めない。とはいえ、そうした実装成果を商用化していこうというOEMユーザーが居るということであり、実際の彼らの端末が世の中に登場することで、ようやく認知されるということかも知れない。

続きを読む

業界独り言 VOL308 気がつけば仲間が

「月一連載ですか?」と仲間にチャカされた。確かに月一になってしまうこともままあるのだが、一ヶ月以上あけると心配メールやら飲み会しましょうメールやらが届き始めるのである。どうも私の独り言は、そうした人たちのガス抜きになっているようで、月一以上に間をあけると耐え切れなくなってしまう人がいるらしい。Quadジャパンという組織にジョイントしてはや六年余りとなりいまや80名を超える組織となってきた。当初のこじんまりしたビルでは収まりがつかないくらいの仕事を抱えている状況を見れば必然といえるのだろう。なかよくCDMA陣営のことだけしている時代は終わりを告げて3G開発を掲げる全てのキャリアやお客様にソリューションを提供することになっている。昔では考えられなかったような状況で、近在の三つのキャリアやそれ以外のキャリア候補生などにも顔をだすようになっている。一つの御題が出来てコンセプトが固まると、そのテーマを一様に説明に出向き噛んで含んで説明するのが最近の忙しさの主因でもある。伝道者という言い方が正しいかも知れない、またお客様のフィードバックを感度よく拾い出すというミッションでもある。

いろいろなメーカーや経験を持つ仲間たちで構成されるQUADジャパンの組織にひときわ、熱き想いを語る仲間として前職場での卒業生がいる。いまではその数は会社の構成の二割に達する勢いを見せている。IEEEのフェローの称号を冠する大先輩がいたり、気がつけば知己が社長を務めている現在は六年前からの計画通りであり、昨年暮れに北京で久しぶりに再会した先輩もまた加わることになった。大きな流れを感じたり不思議に思い返したりしながらまだ転職前のコンサルタントとして中国に訪問していた、その先輩と食事を北京で共にしたりしていた。その時の夕食のメンバーはといえばソフトウェア業界の重鎮ともいえる開発会社の気鋭のリーダーや計測器メーカーの方たちだったりもする。3G市場を活性化させんとする同士達の集いだったりもする。先輩自身も長らく欧米での開発拠点を率いて現地開発拠点としての取りまとめを推進してきたものの3Gに推移して以来の開発の重圧をこなしていく流れの中で現地と本国である日本との間の乖離に苦労を重ねてきた経験があった。そういった乖離の理由の一つに現地で起こっている事情や今までの開発スタイルが3G移行に伴いミスマッチしてきたことが挙げられるのだろう。

結局、開発計画の矛先が二転三転する中でなかなか着陸することに繋がる前に開発が中断するということが多発してしまうのは、過去のその会社としての成功経験が尾を引いているからだろうか。現地に任しきれずに開発計画を次々と変えていくことを続けて業界一開発プラットホームの多さを記録したりしていた。長く一つのことを続けていくということを達成できないのには何か別の本質的なDNAが欠けているからなのかも知れない。新たなことにアグレッシブに取り組んでいくということと完成にまで漕ぎ着けるために頑張っていくということの両輪を回していくことがなかなか出来ない事情がある。また開発がスムーズに達成したとして、その商品がヒットするのかどうかは別の課題でもある。苦労をして開発を続けてきた技術者のチームにとって経営方針の篩いにかけられて方針変更での中退などを余儀なくされることでモチベーションの維持が出来なくなってしまうのは残念なことでもある。国内市場にのみ頼っての商品化しか出来ないのであれば、海外市場についての体制維持が覚束なくなるのはいたし方ないことでもある。3G開発という業界を飲み込んでしまった開発のバブルの後始末に突入しはじめる状況になった業界としては、未だ慣性モーメントとして旧来のビジネススタイルで開発費用の拠出を通信キャリアからの提供を受ける形での寄生生活が染み付いてしまっている。

続きを読む

業界独り言 VOL307 ワンチップ大関

世の中のメーカーには嫌われるQuad社でのアプリケーションエンジニアという説明の難しい仕事をしている。パテントとテクノロジーのバランスを取りながら経済を回していくというQuad社独自のビジネスモデルは裏返せば第三世代携帯という流れの底流であり、奔流でもあるのだろう。この流れに抗うように、欧州や国内のメーカーがGSMに拘ってきたのにはGSMとして構築してきたビジネスモデルを崩したくないというのが本音なのだろう。GPRSやEDGEという形で少しでもGSM陣営のままでビジネスを運営したいというのはライセンス優位性などを欧州に位置づけてきたGSM戦略のしたたかな理由だからでもある。3Gの本格的な胎動に期待しているのは、誰あろうQuad社自身であることは、ライセンスビジネスからも明白である。3Gの普及によりデータ通信速度の水道哲学が達成できるほどの効率よいシステムが構築出来るのかという期待も含めて自身に課しているというところでもある。

まともにメールもままならないようなGPRS環境でなく安定なデータ通信環境に移行する目的でも3Gに期待するのは、サポート渦中のアプリケーションエンジニアならではのことなのだろうか。六年前の自分を思い起こして見れば64kbpsのPHSカードを適用していた。そうしたカードをフルに稼動しながら、1XやUMTSのサポートをしてきた。都内中をタクシーや借り上げたレンタカーによる試験車に乗り込みテストエンジニアと運転手との通訳支援をしつつ、実際の自分の通常の支援作業であるところの問い合わせ応対やらソースコードの解析などを移動する車両から行っていたりもした。そうした結果としてUMTSの赤い通信カードが開発完了してPHSからの卒業を迎えることが出来た。いまや新幹線での移動も含めて開発サポートのインフラとしてはUMTSカードは必需品であるといえる、とはいえ仲間たちの中では1Xチームの1xEVDOカードの方がメジャーでもある。たまたまUMTS開発を支援をしてきた故の状況はレアーこの上ないということなのかもしれない。

PHSからUMTSに変わったからといってスムーズにどこでも通信できるわけでもない。ある意味で真のUMTSといえる通信キャリアのネットワークゆえに根幹のネットワークの問題もあるし、三つの異なるインフラベンダーでの仕様相違なども複雑に絡まっている。リライアブルなネットワーク構築に関してはモバイル故に完璧とはいかないので、移動先からの運用方法の一つにはVNCやらリモートデスクトップやらが必要となる。ビルドやJavaベースのデスクトップをネットワーク利用していく上では回線が確保されている端末からのアクセスをするしかないというのも実情である。手元で行うのはメール操作やファイル編集といった類となる。とはいえ振動する状況で思考をしつつ、問い合わせに対して電話をかけたり、メールで回答をしていくというのは修行僧のような感覚になってきてしまう。場所を選ばずどこでも仕事をしているという状況の中でも最悪の環境は、ある意味で終焉を迎えたといえる。こうしたプロジェクトを通して国内各地区でのテスト走行の結果はプロトコルスタックに蓄積反映されたからでもある。

続きを読む

業界独り言 VOL306 呼びかけが届く日

3Gの本格的な離陸を前に、携帯電話業界の様相は当初の期待とは裏腹にがらっと変わってしまっているようだ。国際的に通用する価格帯で実用的な機能に絞った形での端末作りをしたメーカーの端末の登場などは、従来のキャリア競争の果てに陥った華美な高機能端末の開発といった今までの流れとは本質的に違う動きといえる。高い通信料金に裏打ちされたビジネスモデルが破綻しはじめていることの象徴といえるのかも知れない。それでも高機能商品が無くなることはないだろう、ただし開発費用の負担や端末価格としての期待値については厳しいハードルが課せられる状況になってきている。そういった状況から、発展期にあったイケイケドンドンといった風潮が薄まり、着実な物づくりとして保守的な志向に変わったりする傾向があるのかもしれない。とはいえ、取り巻く状況と開発の流れがマッチしているのかどうかは別問題である。

あまたある機能を網羅しようとして書き起こす仕様書の完成度追求と、その機能をハードウェア・ソフトウェアの上に実装実現していくということの難しさを少しでも軽くしようという動きが昨今の端末プラットホームの流行になるのだろう。旧来のRTOSに積み上げてきた流れや、オープンソース思想を拠りどころにしたLinuxや、PDAの先にある形態としての携帯を目指した専用のOSなどが、そうしたプラットホームの主役となってきている。そうしてかつて各OEMメーカーが腐心して来た、細かい端末プロトコルとモデム機能の微細な仕上げとしての改修を進めてきていた部分は薄まり大味な仕上げの端末が今後の実態となってくるのだろう。導入したプラットホームという物自体も通信プロトコルと端末機能のAPIを一貫して開発出来ているメーカーはなく、通信キャリア自身が大盤振る舞いをしてチップベンダーに委託しつつ自らがAPIセットをさらに定義しようという意気込みが出るくらいなのである。

そうなると通信端末メーカーのエンジニアとして求められる部分も大きく変わりつつあるというのが実情として映ってくる。知り合いのダウンロード機能を売りにするベンチャーなども、高機能路線の中でのある意味でターミネーターとして期待されているオンライン書き換え機能を訴えて、新規リーグの創設を提起している。そうした新たな息吹と自身の閉塞感を感じた技術者の素直な流動が始まっているのは象徴的なことといえる。ただ此処でオンライン書き換え機能自体はomaなどで規定されてきている動きがあり基本的な機能はどのベンダーのオンライン書き換え技術を採用しても利用が出来る。一つのベンダーで占有されたくないという欧州の感性と、日本の通信キャリアの思いには開きがある。オンライン書き換え機能は、メジャーな技術となってきたものの新たな取り組みもあったそうだ。実際、今年は世界初の挑戦も実現したそうで、いわゆるプッシュサービスによる書き換えが実際になされたそうだ。お客様にとっても驚きの書き換えサービスとなったのだろう。

OEMメーカーとしての端末開発を仕上げビジネスに繋げるという仕事をしてきた流れは、揃ってきた技術群やプラットホームあるいは通信キャリアの決断というもの契機にして端末メーカーとしての妙味は大分技術的には志向が変わってきている状況である。Quad社などが進めているオールインワン構想などもある意味で、似た取り組みとはいえるものの一モデルで複数の機種展開が出来るような視点を技術の機軸に持ち込んだ上での実装が商用化の中で進められている。CPU高速化の中でXMLベースUI構築技術が開花したのは、かつてスクリプトベースで端末開発を進めていた過去のデジャブとも感じられる。時代が許容するだけ進化したというべきだろうか、あるいは足踏みをしていたからだろうか。スクリプトはWAPやJavaに変容していきインターネットの進化結果を引き入れてXMLで表現可能な時代になった。目的であるソフトウェア開発の簡易化に因んだカテゴリーを分けた書き分けの時代になろうとしている。

プラットホームとしての開発の流れに変わり行く中で、まだモデムプロトコルの影を引きずる部分もあるだろう、欧州展開では相変わらず根強いGSM/GPRSの世界があり、UMTSとして3GPPが追加されてきた流れだ。GCFの仕事のながれの経験を踏んできた経験者は貴重であり、それがWCDMAとしても同様に適用されていくのが始まっている。プロトコルをシステムとして捉えて切り分けを進める仕事から、アプリケーションに踏み込んでいく時代である。Release99から新たに換わり行く流れで多くの技術を吸収するチャンスでもある。ギブ&テイクとしてのスキルや経験を持ったエンジニアにとってはキャッチアップも含めて絶好の機会である。私など広範な経験こそあれ、深くプロトコルに傾注することもなく生きてきたソフトウェア技術者の人生であったが、最初のQuad社での手厚いお客様へのサポートを仲間と進める中でサポートしていく上に必要な知識や自己としての技術を確立していくことが出来たのである。もとより通信最前線で働いているエンジニアの方に臆する点などなかろうものだと私は思うのである。

Quad社で展開が始まった、新たなRTOSの入れ替えを契機とするアーキテクチャの大変更ともいえる動きを如何に巧みに解決しつつ発展に移行しようとしている。この新しい流れの意味についても今ならOJTとして切り込み伝道者として広めていくというストーリーとなる。携帯電話専用に設計されたはずのOS環境で解決がなされていない問題にまで踏み込みワンコアアーキテクチャでシステム的に環境的にも優れたソリューションを提供しようという時期において、幅広い範囲で夢を描ける確かな眼を持ったエンジニアを集めようとしている。ある人たちにとっては高い税金を払わされているという印象が強いQuad社かもしれないが、先進の技術をパテントとして提供しつ得られた対価としての費用を技術投資に真摯に投入しているのも事実である。自分たちの税金で払ったというマイナスの想いでとらえるよりも、対価を要求するスタンスこそ求められる時代なのではと問い返したい。

そんなQuad社を含めたプラットホームベンダーに転進する動きが出てきたのか、Quad社の株価動向などもプラス志向となってきているようだ。国内通信キャリア全てに適用端末が登場してくるなかで、バイナリー開発自身も特定キャリア向けということだけではなくなってきている。とはいえダウンロードまで駆使するような、運用になるのかどうかは別問題である。アプリケーションとしてXMLアプリを技術採用された通信キャリアなどではダウンロードは別系統で実施したりしているので、多様なオプションが生まれるということでもあろう。XMLアプリケーション技術が実用化されたことを正しく理解されるかどうかはOEMメーカーの感性しだいとも言えるのだが、国内OEMメーカーに対しての技術伝道セミナーも開催される運びとなった。日経エレのインタビューで答えた内容に比べればスケジュールは早まっているとも言える。ここでも伝道者としての新たな展開が始まろうとしている。

伝道者としての責任は重いのは事実であり、「24時間体制で残業時間の規定もなく働くのですか・・」という問いかけもあったりする。確かに年俸制の、この会社にあって残業時間という定義はない。お客様の製品開発を支えていく上で、ASAPに対応してくださいという悲痛なサポート要請は確かにあります。ただし、われわれが提供する24時間サポートとは世界中の仲間と一緒に果たすという意味でのサポートです。個人が24時間意味も無く働くということではありません。メールで詳細を説明しお客様に必要な発生データの取得をお願いしてサンディエゴや欧州で再現できるようにするということが求められ、そのことを達成するために必要なワークにあっては自分の判断で積極的に顧客訪問したり現場に飛んでいくということになります。権限を任された範囲でベストを尽くしていくということでもあります。同様にマイペースで仕事をするということも必要なことで、場所を問わずに自宅や出先からでも仕事は出来る環境です。そんな中で私も、大阪から北京に飛んだり、成田で仕事をしたりというのが日常でもあります。心地よい疲れはマイペースで仕事に取り組んでいるからでしょう。こんな呼びかけがようやく届きそうな今日この頃です。