残念な初戦となってしまいました

四年前の時には何をしていたのかというと、携帯ワールドカップに出場して名古屋地区をはじめとするテスト風景の中にまぎれていました。気がつけば、泊まっていたホテルのレートが日曜のみ大阪での試合があったことが災いして一泊四万円に跳ね上がっていたのは、そうした状況を反映してのものだったようです。今回はドイツまではいけないのですが、ドイツで走行試験をしている仲間もいるようです。オーストラリアに語学研修に一年余り向かう知人がいるという話を細君から聞きました。なんだか今日は我が家でも世界に話題が向いています。

迷走状態の中での覇気のある動き

日本国内の携帯端末開発事情は、迷走の感がぬぐえないのはいたし方ないことだろうか、前向きに生きようという技術志向のエンジニアがいないわけではない。端末開発のお手伝いをする仕事をしながらいろいろな出会いに遭遇する、前向きに生きたいと考えている人は何人もいるのだが、実際に自らのアクションを興す人は少ないようだ。周囲の状況の枠組みに組み入れられてしまっていることに疑問を感じないあるいは恩義を感じているというのが実情だからだろう。つらい状況の中で少しでも改善したいという青い鳥症候群のように冷やかし半分ではないにしても仮面接をしたりする人はいる。その先に進もうという話になると、腰が引けてしまう感があるのは自分自身に「英語での枷が出来ないので・・・」と言い訳をしてるのに過ぎないと思う。日々のコミュニケーションとして日常化していけば会話なんて習熟するものである。その世界に進みたいのかどうかという覇気があるのかないのかということが一番私たちが気にしている点なのである。

レトロな世界に浸るには

昔は無線機の箱は修理に送付したりするのには捨てられないものだった。最近では、高機能フィルムの登場でパソコン送付と同様な形で梱包が容易に実現できるようになっている。20年あまり貸し出しぱなしになっていた(正確には未返却のまま督促タイムアウトを繰り返してきた)二台の無線機が帰ってきたのもつかのまに、ケースも再塗装のお願いをしたりしつつそこそこの修理をお願いして北陸の富山に依頼したのは一ヶ月ほどまえのことだった。そんな無線機が帰ってきて最終段の真空管はそのままにまだ出力が出来るようだった。修理に必要な部品の多くは半固定の抵抗器だったようだ。

 暖かい雰囲気のパネルです

最近流行のブログも導入するかと・・・

情報発信をセミブログのような形でMLと会員制公開の道で進めてきましたが、いっそのことブログの範囲で語らう場も必要かと準備してみました。独り言のような運用だけでは、ちょっと不十分のように感じもします。 まだ運用が慣れないので何が出来るのかどうかも含めてトライアンドエラーの流れです。過去のバックナンバーもすべてBlog形式に変換しようかとも思っているのは検索したいといった要望があったりするからでもあります。

組み込み業界独り言とは

ここでは、携帯業界などを中心とする組込業界の渦中で働く技術者の方を対象にした勝手な思い込みによるモノローグを綴っているものです。ヨタ話などもあるかと思いますが、火の無いところに噂はということで携帯業界の関係者の方々の日ごろの思いの吐露も含めて流しています。くれぐれもヨタ話あるいは噂の域を出ないものとして読み流していただければ幸いです。 このページのむトップの写真はK2というアマチュア無線機のキットの基板写真です。組み込みという定義からは少し外れるかと思いますが、無線業界で生きているものとしての嗜みということでご容赦を・・・・

小窓次郎

業界独り言 VOL320 パソコン通信の終焉から

三月末で、ニフティサーブが終了となった。かつては日経MIXや電機メーカー中心のネットも存在していたが、いまとなっては最後の牙城として残っていたのはFUJITSUと日商岩井で始められたNIFTYのみとなっていた。パソコン通信の時代から始まった電子メールは、センター集中型のシステムとして大小の規模の差はあれ、電子フォーラムなども運用されたりしてきた。 パソコン通信の始まりは、当時の端末事情も反映してかワープロ通信なる言葉も生まれたり、端末としての通信ワープロなる通信モデム搭載の機種も時代を反映して登場したりもしていた。事務処理のアウトソーシングなども兼ねた電子データの交換手段としての通信方法論であったりもしていた。DOSマシン上で動作する同時に複数の通信回線をサポートするためのソフトウェアや複数のモデムを収容するためのシリアルカードなども登場していたのを思い返す。

ソフトウェア開発環境に登場した、UNIXマシンなどの登場や普及が始まった時代背景などとのマッチングもあったからだといえるだろう。もともと自社サポートネットワークとしての位置づけなどもNECや富士通といったコンピュータメーカーの背景にはあったのだろう。パソコン通信をベースとしてドキュメントの配信やらソフトウェアコンポーネントの配信なども可能になったのは1980年代の半ばからだっただろうか。モデム搭載の富士通の 通信ワープロOASYSなどが登場したり、通信機能が使いこなせそうな持ち歩ける98LTなどが登場したりして機動力が増したと感じた。当時は、開発環境としてのDOSではなくて、TERM環境を通して会社のUNIXマシンが呼び出せるようになったと感じたりしたことでもあったからでもある。当時のパソコン通信を使ったのは電子会議などの仕組みを利用して同志を探したりすることが目的であったかも知れない。

そんな時代から20年あまりが経過して最古参のNIFTYサーブもベースとなったCompuServe自体が既に終焉している中で 、孤軍奮闘してインターネットの時代としてのWebベースのシステム運用と共に旧来のモデムで接続するパソコン通信システムとを一体化して運用してきた。通信ワープロなる言葉が生まれたり、携帯型PDAのようなものもそうしたインフラをベースにして新規事業を模索したり需要を喚起したりしてきた。ADSLが普及してインターネットが過去の負債のようなISDNインフラを否定して単なる電線レンタル事業に貶めたりしたような印象もある。最近ではISDNのTAなどを買い求めようとしても黄ばんだ箱の商品しかないような印象がある。ISDNの開発に敬意を払い、2B機能をフルに活用してアナログFAXとアナログ電話を相変わらず利用しているのは何か間違っているかも知れない。

続きを読む

業界独り言 VOL319 もうすぐ35歳?

既に、実年齢でいえば35歳などはとっくに過ぎている。ソフトウェア技術者の35歳定年説などということすら喧伝されていた日本という国でもあるが渦中のエンジニアとしてはソフトウェアエンジニアは年齢をHEXAすなわち16進で数えるということで得心していた。そんな年齢である0x35あるいは035Hという値を捉えていくとあと数年かという実感を伴いつつ次のステージを考えながらの人生として生きていきたいと感じてもいる。生活していくうえでの社会貢献という意味で組み込みソフトウェアの世界を築きながらマイコンの歴史と一緒にアプリケーションを渡り歩いてきた。日本の生きる道は加工貿易であると説かれて育ってきた小学校からの流れを遡って思い返してみると現在の状況は、日本という国は何を生業にしていると言えるのか疑問が多い。

実際に家電メーカーに就職してから飛び込んだ組み込みソフトという世界は、家電メーカーという枠にはまだ繋がらない時代に始まり、システム物と呼ばれていたものが、現在ではデジタル家電などと呼ばれる複雑怪奇なものにまで到達している。奉職当初は、漠然と思い描いていたソフトウェア開発というものが、徐々に仕事を通じて形成されていったと考える。ソフトウェア開発という仕事をしながら、ターゲットとなるシステムや端末の将来を描いているエンジニアもいれば、開発している流れの中に必要な様々な技術に思いを馳せたりするというタイプのエンジニアもいる。元来、メーカーが求めているソフトウェアエンジニアとは前者なのであろうと思うのだが、どちらかといえば後者に自分自身を位置付けながらも二十年あまり一つのメーカーで仕事をし続けられたのは、そのメーカーの懐の深さ以外の何者でもないだろう。

マイコンを動作させて期待の動作をするシステムを構築するというのが組み込みソフトウェア開発である。時には、複数のユニットを組み合わせてシステムを構築するものもあれば、一つでシステムを構築するものもある。当初は、前者をシステム物・後者を端末物といって区別をしていたように思う。とはいえ某メーカーの自動車電話端末には、三つのマイコンが搭載されてシステムを構成されていたというのは、家電メーカー故のユニークな感性からかも知れない。ソフトウェアで動作しようが、ハードウェアで動作しようが機能部品には違いがないのである。個々の機能が整理されていれば再利用性の高い部品としてソフトウェアが動作するように複数のマイコンに分解したとしても 分散処理はうまく機能するのだろう。超分散マイコンシステムとして構築された自動車電話交換システムなども、そうした会社のDNAを如実に示してきた記念碑的な仕事だったといえるだろう。

TZ801.JPG 続きを読む

業界独り言 VOL318 輝く瞳に乾杯

組み込み開発の時代の変遷が、大きく舵取りを始めている。ここ二年余りに国内の端末メーカーに提案をし続けてきたことがようやく地に足をついた形で始まろうとしている。端末開発という仕事の流れの中で 、開発の主体が企画をしているOEMメーカーから離れてソフトウェア開発を実業となす形態に移行しようというのは画期的な出来事であるかも知れない。端末メーカーが主体となって企画から開発を全て担っていた開発の流れが通用しなくなってしまったのは開発コストの増大と共に開発成果を生かしきれない開発規模の小ささが国内メーカーの弱い点でもあるからだ。完成度の議論や端末の格などという向きもあるかもしれないが、ノキアなどの開発規模の大きさは圧倒的なものであり、国内の大手キャリア のみに納めることで採算を確保しているという現状に未来はありえない。

海外端末の開発競争にさらされて撤退したり巻きなおし図ろうとしている日本の端末開発の実情は生産性の低さを示しているのか、結局自国の経済格差と技術力のバランス比率が崩れてきたということなのだろうか。組み込み開発の仕事が次々と減ってきているという話ももれ聞こえるのだが、まあ携帯電話の開発のことを指しているからかも知れない。そこそこの性能の端末と評する低価格な第三世代携帯が中国・韓国メーカーから登場してきたことが一つのきっかけだろうし、早晩そうしたメーカーも技術をキャッチアップしてくることが想定され自分たち存在理由を問われることになるからでもあるだろう。コンシューマー化を遂げたハードディスクレコーダーのようなプラットホームを適用さえすれば誰でも簡単に出来上がってしまうような状況に突入しそうな状況でもある。

チップセットビジネスに踏み出してCDMAを推進してきたQuad社でも、モデム機能から踏み出した形でアプリケーション中心の流れに踏み出してきた。アプリケーション志向に踏み出していくという流れは、転職するころから具申もしてきたし、実際に着メロなどをきっかけとしてDSP活用という形でのアプリケーション志向を技術開発の流れとなった。多くのベンチャーが音や映像の技術を提示しながら活躍の場を求めてQuad社の門戸を叩いてきた 時代には、頼りなげだった渉外担当もマルチメディアマーケティングのボスになっている。顧客先に提供する機能の多くも携帯電話として必須となってきたメディア再生・録画・グラフィックス・テレビ電話・・・など次々と広がりを見せている。ストックオプションを得て悠々自適のはずの仲間たちも技術に携わることで生きがいを感じているようだ。

続きを読む

業界独り言 VOL317 難しいことは言わないが

新たなメンバーを数人迎えて、トレーニングやサポートの日々が始まっている。無論、新たなお客様に対してのトレーニングをするということも最近は多く行っているので、実は、そうしたお客様へのトレーニングをしている席上に出席しながら、実はNewcomerのトレーニングも兼ねていたりもするのである。そうした実情を参加されているメーカーの方も知ってか知らずか、といってど素人のメンバーではないので経験値に基づいたフォローが出たり話題も提供出来るので、参加していただいている事は相互にとってメリットがあることでもある。海外渡航の経験も長い人もいれば、数週間海外留学したことがあるといった人もいる。サンディエゴが彼らにとっては、なじみの深いところでもないので俄かに単身出張してもらいはなからレンタカーで運転してくださいといっても温度差はある。

国内のお客様に技術サービスを提供し、その貢献によって商売をしているQuad社のビジネスモデルでは単に時間売りをしている訳ではなく製品にチップが採用されてようやく回収が出来るシステムでもある。無論、ライセンス収入を得ている部署もあるのだが、これは次期の技術開発投資に向けられているのであってチップビジネス部門では、そうして開発されてきた技術成果を投入して開発したチップセットと、そのソフトウェア資産ならびに技術サポートの提供を通してビジネスに繋いでいるのである。端末開発を弊社チップセットでやっていただくというからには、ワンショットの契約フィーが課せられてこれにより無償供与されるチップセット(サンプル数)や、技術トレーニングそしてサポートが受けられるようになる。同時期に多くのお客様に技術提供をしながら、技術完成度をさらに高めて効率よくサポートをしていこうというモデルでもある。

当然、こうしたサポートするエンジニアの資質は、私たちの理解としてはソフトウェアエンジニアとしての常識を持った普通の技術レベルの人材を求めている。しかし、なかなか求人用件を掲げてみても期待値に適う人材に出会うことが少ないのはなぜなのだろうか。また、数少ないメガネに適う人材が見つかっても、気持ちとして自立してすっと話が決まるまでには紆余曲折がある。不景気な、この時代に転職するということ自体がリスクだと考える人が多いのは事実なのかも知れない。お客様の開発エンジニアと対峙して、技術の語り部でありホームドクターでありといった仕事をこなしていくのには開発をベースとした仕事にフォーカスしていた感性では向き合えないのかもしれない。ある意味そうした仕事を卒業した上でのシニアの感性が求められている。

続きを読む

業界独り言 VOL316 太陽と北風

どたばたとする中で、2005年が終わり新年を迎えた。開発規模の可愛い端末がアジアを舞台に開発が出来たことは大きな成果だったといえるだろう。一年前に、雛形の試作機が出来上がっていたとはいえ小型のFOMA端末が同様な設計を踏襲しつつもグローバル仕様のクワッドバンド搭載で出来たのには大きな流れの予兆としても後世に残ることでもあるだろう。無論、そんな開発の過程で生み出されてきた想定外の事象などは、傍から見ればとんでもなく映ることかもしれない。理想を掲げてひた走るクワッド社の路線に異を唱えることはないものの、成果を示さないと乗ってこないのには業界の元気の無さが原因でもある。そんな対極に居たエンジニアのK君が年を越えてメンバーとなった、口説くのに要した時間を無駄とは思わないものの今後の時間を大切にしていきたいと感じている。

ひたすら真面目に取り組んできた、そうしたエンジニアのK君ゆえにクワッド社のソリューションを使って手抜きとは言わないまでも自らの取り組んできたことが、容易に実現しうる世界を目の当たりにしても冷静に分析をしているようだ。自らの経験に基づいてきたメーカーの設計にとっては、チップセットベンダーの提供するプラットホームの特性などの仔細な部分で想定外となる部分もあるだろうし、互いの常識が通用しない部分などが起こることも致し方ない。そうした衝突を経て妥協と回避策を処理した上で想定外となるような仕上がりの端末として登場してきているのでもある。問題は、企画した端末が企画した価格で企画した時期に出来上がるのかどうかということが一番重要であり、そうした流れの中で成果を出しうるチップセットソリューションであれば素直に受け入れて評価することでもあろう。

最良のソリューションは自らが作り出すプラットホームであるのかも知れない。といって各端末メーカーが自由に開発するほどの余裕もリソースもテクノロジーも無いということもあるだろう。高邁な思想に基づいて、何かの傘の下でプラットホーム開発を進めているメーカーもあるかも知れない。長い未来を見据えた上での戦略でもあるのかも知れない。シリコンの上に画を描いて仕上げて試験をして性能を出せる状況にまで仕上げていくというサイクルを真剣に取り組んでいけるのであればいつかは成果も出るだろう。昨今のコミックと一緒でいくら良い作品を仕上げても印刷所の能力をどのようにして押さえるのかどうかで冊数が決まってしまうという状況などにも似ているのかも知れない。半導体業界の中で試作をしたりする余裕などはさらさらないのだろうし、一枚のシリコンの中にすら分譲地を用意して異なったマスクを引き受けるという状況なども現実となっている。

続きを読む