業界独り言 VOL280 最新流行の開発スタイルとは

携帯電話の開発スタイルが大きく揺れている。開発プロセスがどうしたというレベルではなくて、ビジネスモデル自身が揺れ動いているようだ。唯我独尊というスタイルが日本の組み込みのお家芸とでもいうのがTRONをはじめとする、20世紀に到達した一つのビジネスモデルであった。各社が個々にオリジナルアーキテクチャで似て非なる端末を、通信事業者の仕様というスタンダードに合わせて物づくりを進めてきた。通信端末メーカー同士の競争というよりも、通信キャリア間の競争によるサービスやフィーチャーの競争といったものが実体だったので国内の端末事情だけで見たシェアと国外への輸出までを見たシェアでは異なった姿が透けて見えてくる。国際的に見ても唯我独尊を地で行く北欧メーカーによる覇権も陰りを見せてきた。飽和してきたニーズの先に広がって見えるのは人口としてのニーズが予測しやすい中国なのだろう。

北京の地で見た、高度な都市を目指している街づくりとは裏腹なスモッグや整備不良の自動車の氾濫には、危うい中国の薄さが見えているようだ。海外メーカーとの提携による現地生産された自動車群が、国としての環境などに気を配らないままに成長のみを目指してきた流れの果てがこうした現状なのだろう。どこかで見た風景ではある。21世紀を迎えて、夢の鉄腕アトムは登場せずにペットの犬が登場したのが現実でもある。悪夢のようなテロを始めたのは日本だったりもするのは、流行の最先端をリードしているので日本をウォッチしようというのが会社としての方針に掲げられるのも無理からぬ事でもある。ただし、理解不能な文化ギャップの点などからも、その隙間を埋めていくための仕事には大変な努力が必要とされるのだろう。チームとしての仕事の推進、事業部としての中期戦略、会社としての長期戦略といったレベルでの判断が求められる中でチームとしての仕事や事業部としてのビジネスが達せられていくのである。

携帯電話の開発スタイルを具現化あるいは選択していく上での課題は、通信事業者が抱えているビジネスとしてのスケジュールを達成していくことと端末納入を果たすメーカーでの開発リソースや選択したプラットホームでのアプリケーション開発や流通性の容易さ、モデム機能としての完成度などなど多岐に亘っている。中々、全てを満たす回答を用意できるところは少ない。色々な誤解の上に立脚して始まった製品開発が途上で暗礁に乗り上げることもままありトップ判断のみで始まった結果といった場合には、まあ良いのであるがそうした状況を経験したうえで現場での判断を仰ぐようになってきた会社などでは現場のマネージャーレベルにも重圧がかかってきているようである。ビジネスの戦場が国内の飽和した状況から海外戦略に移っている今となっては、どこかのトレンドを作り追いかけていくという能天気な図式に追従していても致し方ないということでもある。

国内通信キャリアや端末機器メーカーといった携帯ビジネス業界をターゲットにした展示会が今年もやってきた。経営トップが交代したり大規模なリストラを敢行して再生を掛けようというようなキャリアや端末メーカーなどがあることもあるのかバブリーな雰囲気は無くなり堅実な路線になりつつあるという見方もあるという。そんな話と会期前半の人出などから首肯していたのだが、最終日の金曜日は給料日ということもあり賑やかな人出となったのは、忙しさなどの反映と給与日などの反動などが出た結果からなのかも知れない。開発スタイルの狭間で忙殺されている中で最終日の展示会要員として駆り出されてみた印象は聞いていた話とは違っているように映った。もともとQuad社が展示会に出ている意義そのものが何なのかという聞いてはいけない不文律があるようにも思えるのだが、展示会で展示したからといって売り上げや商談がまとまるような性質の会社ではないのである。

まあ一説によれば、日本法人の社長が業界時事放談のように切り込む業界への提言をイベントとして受け取ってもらえる場所であり、その見返りとしてブースの場所を借り受けているというのが一つの解釈としてまことしやかに流布されていたりもする。多くの訪問者の方々は、Quad社の取り組んでいる技術の概観をそこで知り、次のステップに行くという本当の私達にとってのターゲットではなくて通信キャリア自身の会社の方達にご自身の会社で扱われている技術を正しく理解していただくといった流れだったりもする。コンテンツプロバイダーの方達にまでなるともっといい加減となり、30fpsのQVGAの画像技術というハードソリューションと15fpsのQCIFでのQXVといった自社のソフトウェアソリューションの画面サイズと名前とを混同して同様なものとして理解されていたりと、まぁ千差万別である。三日間の会期中にコンテンツプロバイダーに向けたバイナリ環境の技術メッセージなども活況を呈していた。

知己や先輩の方々なども多く来場いただきご挨拶を差し上げることも出来なかった大先輩もいらっしゃった。バイナリー環境についてのメッセージに強く賛同された大先輩からは同様なプロセスをPHSの上で実現しようとしているんだという積極的な支援の言葉も頂いたりして大変恐縮もしている。金曜日一日の出席ではあったものの良い機会を頂いたと感謝もしている。いつもメールで独り言を差し上げている昔の仲間も製品出荷が出来たので一段落しましたのでといって挨拶に寄ってくれた。この会社側に加わってから五度目の展示会となり、当時から考えると会期中アテンドしなければならなかった時代からみると大きな発展を遂げてきているなと改めて感じもするのである。自分の仕事を次の段階に進めていくといったことを考えて行こうということなどが最近の開発支援というサポートの仕事の変質あるいは変容といったものから感じてきているのも事実でもある。

ちょっと変わったお客さんも来ていた。携帯電話で行う放送システムについての特許を取得したという御仁である。デジタルTVのモバイル放送などの向こうを張って効率の良いデータ放送の仕組みを実現するのだというのが主張らしくいわゆるコンサルタントとしての事業と特許取得とを進めている御仁であった。ままそうした御仁にとっては業界の仕組みがとうなっているのかという理解が欠如したりしているし、彼が主張するところの技術の骨子については業界側の理解が欠如していることもあって中々思うような展開にならないということらしい。彼が取得したという特許番号はP3504584なるものであり興味のある方は取り寄せられて参照されるとよいだろう。少なくとも第三位の通信キャリアが運用しているデータプッシュのサービスの仕方は抵触しそうな内容である。彼としてはシェア18%の相手をする気はさらさら無くてCDMA2000/WCDMAの上でデジタル放送よりも効率的に無料コンテンツを放送したいという要望のようだ。

ビジネスを開発したいという目的からすれば、通信事業者が享受する利益についての説得などの説明があるべきであるが、学者さんゆえの彼の認識では皆が同様のコンテンツ取得を行っていることの非効率さを是正したいというのが理論的な話であり、これでは通信事業者が考えるコンテンツを沢山アクセスしてほしいという意図や売り上げが減るといった少し前の時代の話からしても取り合えないという話となるようだ。最近ではパケット専用のシステムを構築する中で放送機能までもも視野にいれたデータ通信規格を論じているCDMA2000などやWCDMAからのHSDPAなどでも、従来から国営放送株式会社などジョイントしてきたシステムまでも蔑ろにして反旗を翻すこともなども出来ないという事情などもある。すでにいくつもの通信キャリアなどとの話し合いをしてきた結果らしく彼としては、どうも国策として推進している事業に反旗を翻すことは現状の通信キャリアは出来ないらしいということまでは認識をされてはいるようだった。

もっと前向きに国際特許を取得して海外にまで打って出るということなどをすれば、国策などとのコンフリクトもなく逆に通信規格に盛り込んで逆上陸とった手もあるのだろうが、そこまでの戦略はないようである。まあ彼が記述した学者から見たcdmaとTDMAの双方に適用可能と書かれている特許内容の文章を読むと、CDMA本陣の会社としては彼が言及しようとしていることの本質が理解されないだろうなということと、そうした非効率さを逆手にとって改善した1Xevdoのシステムなどや非同期でシステムを構築しているWCDMAといった世界からみると彼の特許自身が伝えている周波数という概念が論点となり、おそらく特許としてはWCDMAには不適合ということになるだろうし、EVDOでは採用しない技術となるだろう。まあ孫さんたちのビジネス抗争の中でもまれていくことが唯一の生きる道が、ほそぼそとTDMAシステムで構築運用されている通信キャリアからパテント費用を期間限定で得ることしか出来ないのだろうと思いもする。

特許で生き抜こうという彼の思いを遂げるには、ちょっと現在の流れを読み違えているによもみえるものの、彼の考える学問解釈としての戦いがまだ続くのだろう。バイナリ開発環境としてのスタンスが確立しようとしている流れから、時代からの要請として全てのアプリケーションをバイナリメソッドで開発できるようにという動きが活発化してきた。ゲームやアクセサリをベースに進化してきたメソッドの更なる深化が求められている。ツール提供を無償で行いAPI開示のみでやってきたビジネスにも転機が訪れようとしているのは、周囲からの要請としてのオープンソースの技術やら、有償でサポート要員までも提供するといったビジネスなどを提供している技術達との対抗策を求められるからでもある。「幾ら払えば公開してくれるんですか」と札びらを切るようなことを申し出られると「一つの契約の範囲で出来ることを出来るだけやります。お客様の端末開発を最後までサポートします。」といったことを社是として取り組んでいる会社にとっては不協和音となる。

全てお客様の要請に応えられる状況にしておくという目標に到達させようという努力をしてはいるものの、欧州社会から嫌われてきたCDMAの覇者という烙印を消し去るまでには、まだまだ多くの努力が必要となっている。幾つかのモデム開発での努力については実りを迎えてきており、最近では新規参入の実績のないチップセットメーカーの技術採用については通信キャリア自身から端末機メーカーに開発期間からみての指導などが入るような時代に突入してるのはそうした積み重ねの結果でもあるだろう。モデム技術を追求して端末構成技術としての低価格マルチメディア対応端末が構成できるソリューションとしての技術提示をしてみてもアプリケーションプロセッサに慣れてしまったお客様にしてみれば当たり前のことを凄いことと捉えるには至らないしワンチップで行うことの凄さを価格面の次に、開発スタイルとしてもasisで使える凄い技術を普通に提供していくことに向けた努力をしていくことが今の課題である。

ともあれ一式ソフトも開発環境も揃えてPC上で開発可能な環境を提示してあげなければ、開発費用の観点からインドや中国で行おうとしているソフトウェア開発の効率化という観点が活かされないということにもなる。まずはハード的にも安くて、ソフトウェア開発の費用としても超安価に仕上がるというとてつもないビジネスモデルを要求されているのが、お客様からの求められている開発プロセスというのか端末ビジネスの実情ともいえるのである。「一式揃えて持ってきてね」という台詞がまかり通る時代になりつつあるようで、仕上げの作業は中国インドで実施するとなると果たして日本では企画のみに終始するというユニクロのような時代になってしまっているのかも知れない。幸いにして北京の午後の会議などには関西空港から行けば一泊二日で参加が可能となっているのも事実である。月曜にお客様Aをたずねて大阪入りして、火曜の朝には関西空港から北京入りしてお客様Bとのデザインレビューを実施して水曜の朝には中国事務所から社内電話会議に参加して午後の飛行機で成田に帰ってくるというような時代なのである。

業界独り言 VOL279 大阪、北京、サンディエゴ

ピンポンのようにめまぐるしく活動している会社の中で限られたリソースで行う仕事の今年の実情については、ちょっとイメージはしていたものの実際の現場ではなかなか大変である。解決するには、リソースの追加と開発アイテムの無駄の削除ということにもなり、解決するために更に忙しさを助長するというのも仕方が無いといえる。魔法使いを探しているわけではないのだが、ごく普通の感性の組み込みソフトウェアエンジニアとしてサンディエゴとお客様の間に立ち明るく解決にまい進してくれる前向きな人物を探しているだけなのだ。当然多岐にわたる携帯電話のソフトウェアの全てに対応可能なスーパーマンなどを求むるべくもないし、バリバリと開発管理を推進しているような現在の携帯端末メーカーのキーマンを引き抜くつもりもない。以前までは重要視されてきた3G開発でのプロトコル開発の経験や知識は最近ではあまり重要とはいえなくなってきた。多年の会社としての蓄積がブラックボックスとしての完成度を高めてきたこともあり、携帯電話開発の上での重要な事は、端末としての魅力となるソフトウエア開発全体になってきた。

端末のレファレンスデザインとして提供する内容自体が、プロトコルソフトウェア屋あるいはベースバンドチップセット屋といった集大成でかつ世界各地での相互接続性試験などをクリアしてきたというのも当たり前となっている。いまではその提供されるチップセットやソフトウェアを使って、そのまま作れるソリューション提供が求められているというようだ。端末メーカーが何をするのかといえば、端末の企画を策定してコストの合うデザインハウスを選択して、最終価格がクリアできるチップセットを選択する。無論チップセットの選択の条件には、それを使って作りうるアプリケーションの全貌が見えていて対応するベンダーでの開発が容易なことも視野に入っているだろう。昨今の中国市場に向けた開発においては、機能も価格も厳しい条件が課せられて開発主体となるデザインハウスやソフトウェアベンダーも勢い中国やインドといった地域のリソースを使わざるを得ないというのも実情といえるようだ。

国内向けの端末開発でさえ、そうした傾向は色濃くなってきておりお客様のオフィスを訪ねるとアジアの仲間達が一緒に働いている姿を目にするし、またそうした仲間が窓口となって実際の開発の多くが彼らの自国で行われているようでもあるらしい。国内のサポートとはいえ、関西地区のオフィスに詰めながら、コンタクトしているお客様とは彼らの日本語や私の英語やらを通しての相互理解を高めていくことになっている。大阪事務所の近くには、割とお奨めのインド料理店があり、ここのカレーは日本向けにカスタマイズされているとはいえ、サンディエゴの仲間のインド人達にも評判の良いお奨めの店である。高くもないしやはり大阪は食い倒れの町ということの表れでもあるようだ。今年になってから、ソフトウェアハウスとの直接的なサポートを要求されるような事態が増えてきたのもチップセットビジネスのサポート形態の変容が理由に挙げられるのだろう。とはいえ、ライセンスビジネスの観点からデザインハウスやソフトウェアハウスを対象にサポートをしていくということにはQuad社自身のビジネスモデルの変革が求められてもいる。

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業界独り言 VOL278 ビール工房の杜氏探し

ビール工房で杜氏探しとは、季節外れというか的外れというかおかしなものである。まあ、米国でのプロジェクトの名前がビールに因んでいるのだが、これから国産メーカーの端末としての仕込み醸造を始めるに当たり杜氏に相当する人が必要だというのが、国内キャリアの意向ということで既にミスマッチしているという状況にあるのかも知れない。ビールをおいしく仕上げるには材料だというのが米国の仲間の意見でありおいしい麦芽を準備しているのだという。日本では、きめ細かな泡立ちやのど越しの切れなどが望まれるというしビールのラベルにも留意が必要だというので、話があらぬ方向に向かっているという危惧もある。まあ最近では、ノンアルコールビールをコカコーラが出すような時代でもあるので、ビールとしての素性などにまで言及する人がいないのも事実からも知れない。出来上がってしまったものをASISで使うということが求められてしまうのかも知れない。

杜氏といえば、灘の生一本なども含めて関西地区にこそ居るような気がしているのだがいかがなものだろうか。幸い、酒都と呼ばれる地区にもお客様がいるし、関西にはユーザーが多いのも事実である。衣替えの季節を迎えて、夏の日差しの中で人の動きが始まっている。サンディエゴの青い空が好きですという人も居れば、メーカーの開発受託支援の中での経験を前向きに生かして源流での仕事がしたいからという人もいる。長年送り続けてきたラブコールが届いた人などには、サンディエゴからは以前の面接の際のコメントなどが再度メールで送られてきたり二も無くOKという連絡が入った。いろいろな背景があって面接OKにも関わらず周囲の状況の中で押し潰されてしまったというのが、もう四年も前の話でもあった。そんな状況も彼が続けてきた仕事を通じて後輩を育成して彼自身が巣立てる状況に変わったようである。

モデム開発という仕事がメインだった五年前とは、様相が異なってきた現在ではアプリケーション支援が主要なテーマになってきた。モデムは動いて当たり前という段階に入ってしまったチップベンダーが注力するのはそうした部分になってきている。といってもLinuxでbootを早くしようといったことでもないのだが、基本は安い端末を実現するためのソリューション追及という観点がチップベンダーとしての付加価値であると考えているのである。ビール醸造キットをリリースしてみたところで、そうした趣味の領域を楽しみつつメーカーとしての味付けにこだわろうということが少なくなってきたのは時代なのだろうか。自前で育成してきたUIをあっさりと切り捨てて、レディメードのものに切り替えてしまった会社もあるようだ。自前のUIの考え方をそうした醸造キットをベースに追求しようとしている真摯なメーカーなどのサポートをしていると気持ちが良いものである。

増え続けるカスタマーに対する答えや、仕事の方向性としては雛型となるソフトウェアキットの提供などもあるだろうし、着せ替えとなるような洋服となるアプリケーションなどを開発するベンダーも登場してくるようだ。アプリケーション間の管理的な動作などを規定するキャリア毎の詳細な仕様などに対応するフレームワークなどもパッケージとして開発提供あるいは流通する時代になりそうだ。通信キャリアによっては適用するアプリケーションを直接コンタクトして開発を進めるといった動きなども想定しているようだ。携帯バブルで溢れていた仕事の内容や質が問われる時代を迎えようとしている。端末メーカー以上に自身のビジネスモデルを模索しているのがいわゆるソフトウェアハウスのようだ。通信キャリア毎のノウハウや端末メーカーの違いなどを吸収する仕事を続けていくことで積み上げてきた蓄積をある意味で工数販売してきた流れからの脱却が求められている。

しかしソフトウェアのプロではあるものの端末ビジネスの表舞台に立ってこなかった歴史から、あくまでも下支えという仕事から自立するビジネスモデルは描きにくいのも事実だろう。開発してきたノウハウを表立ってIPとして出せないのは、過去のお客様との契約であり、仕様書などから得てきた仕事の流れからきたものだからだ。組込みという世界で共通フレームワークとしてソフトウェアが流通する段階にまで至るのだとすれば、一大革命ともいえるだろう。端末メーカーとしては特色あるデバイスなどに注力して差別化を果たしていくだろうし、アプリケーションベンダーが登場してFilemakerのような会社として独立していく時代になるのかも知れない。ソフトウェア技術者としての仕事という定義が最近では、ハイレベルの仕様書のみを書き起こす仕事となっているようだ。こうした仕事が消滅して、もしかすると企画会社により物づくりが達成するPC事業のようになってしまうのだろうか。

杜氏としての技術追求を指向しているような人たちにとっては、メーカーとしての物づくりの仕方の変革はあるいみで産業革命のような位置づけの中で付加価値を求められる流れから追い風になるのかもしれない。IT時代の杜氏としては、同時にいくつものアプリケーションベンダーや端末ベンダーとの調整に臨みつつ、国内を渡り歩きメールを交換を重ねて最終端末の確認をしにまた現場や西海岸での検証作業などを繰り返している。ハードウェアの設計作業自体も最近のお客様の状況では、リファレンスデザインの提供でお客様が完成度を高めていくという仕事のサイクルがビジネススタイルに合わないという状況になっている、いまではそのまま使える部品であり設計そのものを期待されているという風潮となっている。台湾や中国メーカーがODMとしてハードを開発して、日本メーカーでは特色あるキーパーツの開発に注力して、日本の企画会社が端末としてのアプリケーションセットを決めて纏め上げるというのが2006年危機という時代なのだろうか。

まずはやってみようという気風に満ちている関西の杜氏たちを探して、私達自身の仕事容量を増やしていこうというのが作戦なのである。物怖じしない気質の関西出身のエンジニアを収容できるようなインフラとして設けた大阪の事務所なのであるが、まだ一人しか見つかっていないのである。行き来しつつサポートするという仕事のスタイルを続けざるを得ないのだが、のぞみの移動時間も勿体無いというのも事実であり気概ある人材を発掘したいと思うこのごろでもある。口数の少ない人ではサポートは務まらないのでコミュニケーションをお客様との間と達成しつつ、端末作りの理解を果たした上で技術開発メンバーとのコミュニケーションで問題解決を果たしていくというビジネスには、実はもう日本人では当てはまらないということなのだろうか・・・。

業界独り言 VOL277 夢か誤解か

先日、山登りクラブの先輩と大阪地区で食事をしたのだが、初めての単身赴任生活に面食らっている様子でもあった。今では、立場は違うものの無線仲間であったり山歩きの仲間であった当時の話でひと時を過ごすことが出来た。米国製のキット作りの話なども持ち出してみたところ驚嘆もされた。確かにHFのフルセット機能搭載のトランシーバーをキットとして提供するメーカーのベンチャースピリットと共に設計完成度や製作の容易さなどは、かつて彼が自らの手で作った製作記事などを雑誌「ラジオの製作」に投稿していたころを思い出させたのかも知れない。かつてのキングオブホビーと称せられていたアマチュア無線が単なるQSLカードなどのメンコ交換やラグチューに興じさせて買えば済むといった状況にしたのにはメーカーにも責任があるのかも知れない。また、携帯電話やPHSを開発投入していくなかで不安定さの通信を楽しむといった気風は消し飛んでしまったらしい。

そんな先輩も端末機器メーカーの技術トップとしての一面もあり、いまでは端末開発でのソフトウェア開発の苦労とがっぷり四つに組んできたということもある。このメーカーが要求することは、少しいつも時代の先端の先を行き過ぎてしまう嫌いがあるのだが、一年ほど前に言われてきたのは「すべて一式ソフトウェアを納めて欲しい」というものだった。要素技術を提供していくのがQuad社のビジネスモデルではあるものの商用端末のソフトウェア一式を開発提供して欲しいというメッセージは異質なものであった。当時の回答は、そうしたビジネスモデルは無いのですが・・・というものであった。それから一年余りが経ち、同様な要求が他のメーカーからも出るようになってきた。これは夢か誤解か・・・。背景には、乗り遅れてはいけないという緊迫した事情が3G携帯開発業界に走っているようだ。トップランナーの通信キャリアが繰り出した先行商品の後続端末を適正なカテゴリーに納めた形でものづくりをする必要に駆られているからだ。

2006年問題の提起などや、最近の定額通信事情などが通信キャリアの再編劇などへのストーリー展開などがあるようだ。確かにメモリーが潤沢にあることを要求されるような、UNIXベースいやLinuxベースの端末が全てのプラットホームに共通するわけでもないらしい。要求されるカテゴリーに対応する技術や商品の売り込みがチップセットベンダーから一斉に行われているのもそうした背景に呼応するものなのだろう。既定路線としてのモデムチップとアプリケーションチップではカバーできない内容なのかも含めて開発費用がBOMに占める割合なども含めての精査が日々行われているのだろう。海外のチップベンダーがセットメーカー参りを続けているのが最近の特徴であり、以前であれば逆にセットメーカーが海外まで詣でていたのとは何か事情が異なるようである。どうも要因にあるのは、Quad社の活動でもあるようだ。Quad社の中のソフトウェア事業部門の最近の動きが理由らしい。

Quad社が提唱するバイナリー実行環境が、正面斬って表舞台に活動を現してきた。ソフトウェア事業部門とチップ事業部門とのコラボレーションが一つの特色ともいえ2Gから3Gへのスムーズな移行を目的として儲けなしで他社にも塩を送るようなスタイルに面食らっているのも事実だろう。取り巻く他の国内の通信キャリア達も当惑気味でありながらも、開発環境あるいはプラットホームとしての可能性に着目しているようだ。移植キットを提供しているスタイルの上で自由に移植してよい開発環境というものは、稀代の施策であると思うのだが、これを応用してビジネス向け無線端末機器の開発に適用したらなどと夢見てしまうのは門外漢ゆえだろうか。携帯電話のような専用チップの支配がないからなのか、なかなか腕まくりをしてみても始まらないということなのだろう。数が出ない製品にこそ標準プラットホームの利用が求められている事実と、そうした手当てもままならずに採算割れとして撤退していくような状況もあるようだ。

適当なARMコア内蔵の集積度のマイコンが利用可能であれば良いのだが、業務用などの無線機器のデジタル化の流れの中でせめてマイコンコアだけでもARMを載せたチップ開発などをしてもらえればと思うのだがいかがなものであろうか。ダウンロードモデルでの課金システムでなくとも最近ではこうした実行環境をプロトコルを越えて利用しようという気運がお客様からも出てきているようである。自社マイコン搭載のチップセットを利用してきた過去の流れからの決別などを考えているのは、ソフトウェア開発費用の最適化共有化といった目的に照らして共通アプリケーションが流通可能になりはじめたからてもあるようだ。無論、携帯電話開発の事業としてみれば、開発環境としてWindowsベースでの開発キットの上で複数のアプリケーションのインタラクションなどの検証が可能になる状況は、出荷母数の少ない無線システムにおいても携帯電話などに向けて開発整備されたミドルウェアを共有したりするといったことを支える大きな力になる。

開発効率の改善という目的であれば、毎回スクラッチ&ビルドを行うような仕事の仕方がもとより問題なのだが、プラットホームに振り回されていて効率が低下しているというケースもあるのかもしれない。とはいえ色々な背景のなかで仕事をしているビジネスの世界では傍から見るほど話は単純ではないのも事実なのだろう。落ち着いて端末開発の地力を蓄積しつつの仕事をしている会社もあれば、件名消化にのみ終われていて放出消耗しているという感じに映る会社もあるようだ。同じように技術パッケージを示してみても関心を示さないか、反応が全くことなるのもそうした状況の裏返しということでもあるだろう。モデム屋として通信プロトコルの試験をいくら重ねてみても、そうしたことへの関心は薄れるばかりである。第三世代バブルが弾けた理由には、いつまでも火付きの悪い、頑固な欧州などに見るような明確な第三世代への移行理由が見当たらないケースが支配的だという説もある。余りにも期待しすぎで投資しすぎた移行を急ぎすぎた日本などが自家中毒を起こしているのではと私は思っている。

いまの仕事に照らしてみると期待するビジネスを進めていく上で最も好ましい人材とは、端末開発メーカーの中で開発プラットホームの検討に傾注しつつ、実際の開発部隊から浮いてしまったような人たちなのかも知れない。本来、端末開発メーカーの中での重要な仕事として位置づけられているべき仕事が、スケジュール優先のままにリーダーシップを発揮できずにいるのだとすれば、逆にそうしたワークを評価される立場に回ったほうが互いの利害一致も図れてよいはずなのだが。クラブの先輩から頂いた期待値から言えば、来年には、そうした端末ソフトウェアの一式提供が図られるような時代に突入しそうだというのだ。そうしたソリューションを出せるチップベンダーが伸びていくのかどうかはまだ不明だが、開発ビジネスが変わりつつあるように見えるのは昔の電訳機開発を受諾するデザインハウスのようなビジネスに近づいているのかも知れない。

業界独り言 VOL276 爽やかな一陣の風の如く

爽やかな薫風のみどりの新人の季節である。電機業界もここ数年続いてきた景気低迷の中からの回復基調であるらしく、存在意義も虚ろなままにすっかり空洞化してしまった組合の形骸化したみどりの日のメーデーなどとは無関係に、景気の成果として給与や賞与などにも良い結果が伝えられているようだ。景気の明るい兆しが技術者にとっても良いことなのだろうと思う。電機業界という中で長年勤め上げるというスタイルが当然のように思っていたりするのは確かに傾向としてあるようだ。つい最近、先輩の方々が会社を勤め上げられて第二の人生をスタートするというのを見ていると若手技術者とは異なった潔さやエンジニアとしてのプライドや若々しさを改めて教えてくれた。無論世の中の変遷の中で担当する業界の縮小でサバイバルをして転職をして自分の考えるスタイルの仕事を目指して頑張っているエンジニアなども最近の候補者のレジメなどからも窺いしれるようだ。

技術者という枠にとらわれないで知人を見てみると、一昨年来、お付き合いしてきた不動産の担当営業のIさんの事例なとも興味深い。みどりの日にIさんが、転職されるということで拙宅まで挨拶に見えられたのである。こうした業界の中では人の異動は普通に起こることらしいのだが、彼女の転出については現在の不動産会社の社長からもエールを貰っての転出らしいのである。我が家とIさんの出会い自体はかなりの偶然でもあり、彼女がこの不動産会社に入社した最初の食いつきの顧客でもあったようである。我が家が一戸建ての注文住宅を建築した顛末についてはお伝えしたとおりなのであるが、当初は、彼女の所属する不動産業者にとっては建売物件などの延長上としての特殊例としての扱いだったらしい。そんな会社に良い影響を与えて注文住宅に没頭する一つの契機になったのが我が家の一件であり、彼女のパーソナリティが為せる技でもあったようだ。建築士を別途契約して真剣に応ずる中で、彼らの会社としての取り組みにも戸惑いと共に変化の意識が芽生えたようであった。

横浜地区で最大規模の不動産業者といえば、悪名高い業者があり、以前住んでいた我が家も実はその不動産業者を通じて購入していたのだった。如何にその業者の仕事がいい加減だったのかは、実際に自宅を売却処分する段になって思い知らされたりもしたのであるが、そうした話も含めて知ることになったのはIさんから教えてもらった普通の業者としての仕事の仕方を通じての結果でもあった。最近その悪徳業者の広告が入らなくなったなぁと思っていたら実質倒産したというのが実情らしく、ローンを組めないような顧客に売りつけるなどの売り上げ至上主義の結果として銀行からも融資の査定からは業者として認めないといった流れになり淘汰されたというのが、その結果であるらしい。そんな我が家も彼女の仕事によりクリーンな物件として転売も叶い、ダークな購入経過で余分に支払わせられたらしい費用なども含めて昨年度の資産売却での赤字計上で払拭されたので一段落ともいえる。

悪徳業者としてその不動産会社の業容が成り立たなくなった上で、まともな会社方針である彼女の現在の会社で受け入れた人材もいるようで会社の方針次第で活躍の場は如何様にでもなるものである知らされたりもするのである。Iさん自体は、不動産会社に移籍して来るまえは建築会社の中で営業担当として活躍していたこともあり自己の研鑽計画に則って不動産物件を取り扱いつつ自分の夢を描こうとしていたのである。彼女のそうした経歴がミニデベロッパーとしてのオペレーションを果たしていた小さな不動産業者にとってもラバースタンプな建売物件だけに終始しないことの取り組みを拙宅の一件を契機に切り開くことになったようだ。彼女の信頼する建築技術者などを会社に紹介したところ二も無く信頼されているからゆえに入社も決まりバリバリと仕事をして工務部門は三倍の規模にまでなったということである。仕事を如何に人の輪で前向きに仕事をしていくかで会社そのものが変容していくということを改めて知ることにもなった。

Iさんの希望は、元気な高齢者を対象にしたコロニーを作りたいということだった。彼女の母は、田舎暮らし体験をさせることを長野県で運営していて、その筋の人にはとても著名な人であるらしい。そんな影響もあってのことか、彼女は元気な老人が共同生活を助けていけるような事業を将来したいという夢を描き、建築業界で培った経験に基づきコロニー構築のための会社設立や適当な不動産物件を探し出したりすることも含めて念頭におき自分の働く場所を変えて経験を積み自分自身の考えるあるべき自身の姿に向けて生活をしていたのである。そんな彼女にとっては不動産物件の販売に伴う周辺住民との調整活動なども含めて自身への研鑽活動と捉えて前向きに全て取り組んできたのである。結果として売ってしまえば終わりといったこともなく、彼女自身の評価も会社の評価も高まることでうまく活動を続けてきたのである。

そんなIさんが転職の挨拶に来られたのは我が家との付き合いが彼女のこの横浜の地での不動産営業担当としての仕事の区切りにおいて象徴的な仕事であったからだとも思う。急に彼女が次のステップに進むことになったのは実家の母親のダウンが契機らしく、まずは体験民宿の運営を引き継ぐことを決めたようだ。彼女の母親も前向きな積極的な人生を推進している達人らしく体験民宿のホームページなどからもそうした実情を垣間見ることができた。彼女が考えている夢実現のステップとして、一時的にせよ体験民宿を運営することはきっと良い経験となるはずだし、元気な老人に向けたコロニーを作るということが都会で行なうことかあるいは田舎でも共通なのかといった問いかけに答えを探す意味でも良い試練の期間でもあるだろう。夢はすぐに叶うわけではない、ただし意識を持ちつつ生きていくことでステップを踏んでいくことは出来るのだろう。

ゴールデンウィークの爽やかな気候のなかで彼女の巻き起こした旋風を思い返しつつ、彼女を交えて三人の成果でもある我が家のリビングでゆったりとランチタイムを過ごし、「妙に心が落ち着くんですよねぇ、この高い天井が・・・」とリビングの上の高い吹き抜けを見ながら、皆で彼女の次のステップについて話し込んだ。実家にある蔵を改造して自分のスペースを作るらしいとのことなので「気」が満ちるということで著名な彼女の実家にも一度お邪魔させていただき、こんどは彼女の蔵の屋根に取り付けられるだろう明かり取りなどを見せてもらうことにした。こうした良い「気」を放つ人と一緒の仕事をしていくことで周囲の人に与える良い影響があるのではないかと思っている。同様なオーラの強い先輩が36年の勤続を終えて大企業の勤めを終えられた、なお次の段階として業界に向けて仕事を始めようとしている姿を見ているとまた良いサイクルが始まるのではないかと期待もしている。

会社の中での仕事に埋没してしまい自らの疑問に答えられなくなった後輩であるT君がいる。久しぶりに着たメールには「私も退職してしまいました」と書かれていて経緯も含めて心配でもあったので早速逢う事にした。大学を米国で終えた彼などは語学に苦も無くうらやましいと思っていたのだが、システムエンジニアとして実践してきた仕事の流れが会社のビジネスモデルの変遷と共に自分自身の中の気持ちとのマッピングが出来なくなってしまったらしい。携帯電話とは異なる業務用無線機の応用商品システムを構築してきた彼にとっては、端末アプリケーション開発のコストや汎用化といった流れに取り組みつつも変革しきれないでいたらしい。システムエンジニアとして多様なシステム構築を果たして問題解決をしてきた彼がエンジニアとしての精神を蝕むような状況になったのだとすれば相談する相手もいないのかということを景気回復しつつあるという端末メーカーのなかに残っている問題だと再認識する次第でもあった。

まずは彼自身が何をしていきたいのかを自分で納得するまで考えることが必要だろうし、生活をしていくことも必要である。精神に変調を来たして退職したのであるとするのならば、納得をした自分の生き方を考えた上でステップを踏みつつ生きていくことをまずは勧めた。語学堪能でシステムエンジニアとしての経験を持つ彼にとっては、次の仕事は見つけられるのだろうが、会社というシステムが変容する中で変遷した価値観との協調が出来ずに退職してしまったことから再出発に際しては会社に頼ることのない強い自己を確立することが必要だと思う。彼が顧客と考える人たちにソリューションを提供できなくなってしまった現在の会社のシステムに見切りをつけたという見方も出来る。前向きに進みたい彼にとっては会社に居続けることに違和感を覚えて納得できないからなのだとすればどこか共感するものもあり、気になってしまうのは同類だと感じているからかも知れない。彼の事例も爽やかな退職の一例なのかも知れない。彼には、是非「気」が満ちるという長野の田舎を体験してもらいたいものでもある。

単に端末メーカーが、採算の取れない事業を消去法で対応していくことで回復しているのだとすれば、社会の公器としての責任はどこに行ってしまったのだろうか。公器の責任を果たす意味で取り組んできたやり方に問題があったのではないか。利益の旗頭でもあった携帯電話の開発ですらも開発費用の問題が提起されている現在の流れであり、多品種少量生産ということがマッチングしなくなってきたシステム商品という分野のサバイバルについては議論する余地もないということだろうか。タクシーが無線機を使わずに個人運営的にご贔屓探しとして携帯電話の番号入りのカードを配る時代では、彼らがタクシー無線機を使った応用商品をいくら提案しても解決が出来ないのは無理からぬことでもある。タクシーを呼ぶ顧客にしてみれば、タクシー会社に対して贔屓の客として酔っ払った状態で任せて自宅まで連れて行ってもらいたいはずなのである。

こうした目的に対しての答えからいえば、携帯電話をセンサー端末として捉えたりすることでいかようなシステムでも開発が可能な時代になったともいえる。タクシー無線機自身にもバイナリーな実行環境を導入することが開発効率の改善に寄与するかも知れないし、携帯電話の業務用アプリケーションを開発することでもダウンロード運用が出来るともいえるだろう。何せ最近の携帯電話のGPS機能や地図機能などを使ってシステムを組めば、業務用システムを開発しシステム運用コストも含めて良好なものにすることが出来るだろう。無論そうした要求仕様を書き起こした上で開発してもらうのは中国やインドの会社なのかも知れない。今までの会社の仕組みで出来なくなったというのであれば、今の要求条件に見合った身の丈に自分自身を合わせていくことが求められてもいるはずである。無償で提供している同様な開発環境やアプリケーション開発ベンダーなども含めて利用していくことも出来るかもしれない。真剣に前向きに夢を語るリーダーとして活動していけば、T君もIさんのようにドリームカムズトゥルーを実現できるのではないだろうか。

業界独り言 VOL275 全部作ってくれませんか

最近では富山の薬売りではないのだが、あたかも千葉の行商のおばさんの如きプレゼンテーション興行の機会が増えきている。無論丁度お客様の開発が順調に行っていることの証でもあり、新たなお客様の広がりを期待しての活動なので、こうした動きはよいことでもある。最近の売り物は、ワンチップ戦略の成果として開花しつつあるプラットホームが小気味よく動作する試験端末やら、ARM7ベースで培ってきた世界中での実際の3G/2.5Gネットワークとの相互接続性試験をクリアしてきた成果でもあったりする。なにせ3G端末であるチップセットには不可欠と言われる2.5Gの機能実現についてはお客様からも懐疑的に見られるほど奥の深い陰湿な欧州規格でもあったりするからだ。確かにCDMAのお旗本であったとしても2.5Gの世界では新参者であり経験不足という色眼鏡で見られてしまうのは致し方ないところでもある。2Gの立ち上げで欧州に先制パンチを繰り出した日本メーカーも一時期ほどの元気はなくなっている。開発拠点として作り出した欧州の組織などの解体なども多く見られているのが実情でもある。

そうした背景を考えれば、開発リソースとしての人材などが実際にはダブついている図式が見えてもくる。実際問題、3G開発成果のパテント収入をベースとしてじっくりと2.5Gの開発を後ろ向きと捉えずに強力な3Gソリューションの一環として開発展開するというビジネスモデルを描いているQuad社にとっては願ってもない追い風でもある。世界各地での開発拠点が目的別に呼応しつつ一つのプラットホームの構成要素を仕上げていくという構図は成功を収めつつある。無論モデムチップセットとしての性能以外に最近では3Gハンドセットとしてのアプリケーション機能までも求められるご時世となり、ともすればマイクロソフトの如きバッシングを受けそうな状況にもあり留意が必要となってきている。国内メーカーの方達の取り組みとしては、モデム制御とアプリケーションの分離独立を旗印にしてモデムチップセットとアプリケーションチップを明確にハードウェアで分離し、RTOSとマルチタスクアプリケーションOSとをそれぞれ実装したデラックスなハイエンド仕様である。

そんな華やかな状況が誌面を賑わしたりしているのが、世論誘導あるいは広告成果としての実情なのだ。しかし陰りを見せてきた端末ユーザー数の微分値ならびに部分積分の結果で世の中としても変容を許容できなくなってきたらしい。とはいえ瞬時値で抜いたという通信キャリアが、このまま驀進するのがどうかは別のストーリーだろう。確かに開発に莫大な費用投入をした成果として素晴らしい性能の端末が提供されるようになったのは事実だろう、トップキャリアが2.5Gからの移行をお願いする形で世間を賑わしているパケ死なるものを駆逐できるようなサービスも含めて誘導策を打ち出すようになってきた。パケホーダイといったネーミングにしてはミニマムコストが高すぎるような気がするのだが、それでもパケット代で親子関係が破綻したりするよりは良いレベルになるのかも知れない。電力系キャリアのPHSサービスの撤退の背景には、コストだけでは語れない部分も多分に含まれているのだろう。PHSから3G端末への切り替えで良くなる点とは新幹線で使えるようになる事だけではないようだ。

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業界独り言 VOL274 プラットホーム戦略の難しさ

心配していた、早咲きの桜も今年は卒業式から入学式までの間、咲き続けるという状況となった。桜が咲き始めから満開まで11日も続いたというこの記録は、バブル期以降久々の景気の良い兆候だという。こうした状況の年は必ず景気が良いのだという、それはそれでよいことなのだろうが・・・。不況続きの中でのよい兆候というのはちょっと疑って掛かる人もいるだろう。実際問題、Quad社の株価なども転職当時の価格以上に戻してきているのも一つの表れでもあるのだろうか。こんな状況とは裏腹に、中東情勢の緊迫さなどは考え始めたらきりがないというのも事実である。イスラムの神様の前に照らしてみた場合に正義は神様の数だけあることにもなり一面的な見方のみになりやすいわが国の能天気な思考の中では混乱を引き起こしているのも事実であろう。中東情勢と株価高騰への先行きのみに意識が回りがちな状況の中で悩ましい日々でもある。

端末メーカーの人たちにとっては憂鬱な横須賀詣でも、ハイキング日和ともなれば壮年リタイヤ族あるいは元気な老人会の皆様などが元気溌剌とハイキングコースともなっている武山を目指す姿と疲れたエンジニア達の姿がダブって見える時期でもある。ビックな通信キャリアでは、社内研修よろしく各地の所属となったピカピカの一年生を何台ものバスを仕立てて見学ツアーとして社内施設を案内もしているようだ。なにせここは天上界とも三途の川の向こう岸ともいえるようなところでもあり神様ならぬ閻魔様の手の内で開発しようとしている製品のマスタープランから完成した端末にいたるまでありとあらゆる情報や現物を持って横須賀詣でをする景勝地でもあるのだ。私はといえば、四半世紀前にこそ試作品の納入やら打ち合わせやらにのんびりとハイキング気分で来ていた記憶があるくらいだ。転身を決めた直後に訪問した最後の訪問時の記憶は自身の中に結界を張っていたためにあまり覚えていないのだが、それとて、もう五年も前の話である。

路線バスが整備され、必要不可欠と見られていた宿泊施設なども建設されたのはつい最近のことでもあるのだが天上界の人々は、この地を3Gバレーとでも位置づけているようである。確かに野比からバスで入ってくる丘陵地帯の雰囲気は、どこかワイヤレスバレーの風景とも被って見えるようだ。昼過ぎからの打ち合わせという予定だったので、京浜急行沿線に住む自分としては自宅で午前中の作業を進めておきブランチを食べてから自宅を出て、京浜急行を南下するルートに乗った。潔く散り行く満開の桜が葉桜に移り行く沿線の風景は春から新緑の季節への移ろいを映しだしていた。妙に浮かれている自分に気づいたのはそうした風景を見つつ知己たちにSMS短歌を認め始めていたときだった。最近の国内ユーザーに共通して置き始めている産業革命の萌芽のような感触は、一昨日の田町でも感じていたし、その前の溜池でも同様だった。

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業界独り言 VOL273 若手組み込みソフトエンジニアの育成には

現役エンジニアも、ままならないのに若手なんて・・・という声も聞こえてきそうな昨今である。オジサンたちの世代として期待したい若手からのリアクションなどどこ吹く風だとでもいうのだろうか。どこかでリングが途絶えてしまったようにも思えるし、リングが互いにつながる事を期待しているフシもある。新入社員全員にマイコンキットを配ったという時代もあった。といっても四半世紀以上も前の話である。かの日本電気が作り出した8ビットマイコンのトレーニングキットTK80というのがその内容だ。遅れて富士通もグループで開発した16ビットマイコンのトレーニングキットLKIT-16を安価に社員に配布したといわれている。EEPROMのメモリにモニタープログラムが書き込まれていて、若干のSRAMにソフトウェアを打ち込むことが出来る16進の入力キーが付いていた。表示できるのは7セグメントのLEDのみである。手足など何も無い・・・。出来るのは、機械語の書き込みと実行あるいは停止である。

そんな時代から四半世紀以上が流れて、千円たらずの雑誌の付録にボード搭載済みの16ビットシングルチップマイコンと開発支援用のソフトウェアCDROMが添付される時代となった。なにせ昨今の技術革新からシリアル接続さえすれば、内蔵のFlashメモリに書き込んだりデバッグするためのモニタープログラムが用意されている時代なのである。外付けするものといえば応用基板との接続のための連結コネクタや、そこに載せるシリアルレベル変換ユニットだろうか。TK80やらLKIT16を見てきた世代のおじさん達にしてみると、なんともうらやましい限りの環境といえるのだが、流行のRJ45コネクタサイズのEthernetユニットとシリアル接続させてみようとか、色々思索をするのである。一枚の基板とその雑誌に特集された記事などから期待されるのは日本のエンジニアの発奮なのだと思い至るのであるが、出版社が企画をしてチップベンダーや部品メーカーなどと協賛を募って起こそうとしていることに政府の援助の欠片すらないようだ。

こんな環境を提示してみても、最近の若者では何も興味も示さないというのだろうか。手足がない達磨のようなものを示してみても、自ら手足を拡張した姿を夢見るなんてことはないのだろうか。マイコンの本質であるところのプログラミングや機械語の動作原理などどこ吹く風で最近ではC言語あたりが機械語に相当するらしいのだ。ともすればスタックもFIFOもプログラミングテクニックの範疇としての理解でしかないのかも知れない。まあアーキテクチャとして機械語やアセンブラを習得する必要は無いのだとすれば、RTOSなどもC言語で書くという時代らしいので、教育不要ということなのかも知れない。そんな時代を反映してのことなのか、ソフトウェアの効率などドコカに消えてしまい高速マイコンのお世話になりマイコンとメモリーメーカーのWinWin路線によって成り立つような鈍重な時代となってしまったらしい。わざわざ、もっさりとしたJavaなどでソフトウェアを書かせるのもそうした時代背景なのかも知れない。

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業界独り言 VOL272 こんなはずではなかったのでは

デラックスでマルチタスクな世界が携帯電話の組み込みソフトの状況を席巻しようとしている。何処かが震源地らしいのだが、1GBitのメモリが必要な状況というと、なんだかマイクロソフトの世界と何が違うのかと思いたくもなってしまう。まあ詰まるところLinuxであれWindowsであれ最近のPC向け環境としてみればカーネルの振る舞いに大きな差は無くライセンスであるとか、ソースコードがどうしたという話でLinuxになったり携帯の為に開発したOSなどが取りざたされているのである。世の中から消えようとしているPDAなるもののベースとなっていたOSが携帯電話に合うのかどうかは別にして携帯文化自身の発信源は日本のはずなのであるがそうした責任感あるいは主体性というものはなんだか感じられないのはどうしてなのだろうか。今まで限りある資源の範囲を活用しようとやっきになってきた携帯端末の世界が、Linuxのような形で複数のマルチタスクを並行動作させるようなことを必要としているのかどうか誰が考えているというのだろう。

「皆さんにお願いをしています。ですから、数が出るから、きっとコストも下がるでしょう、今までの歴史もそうなのですから・・・」と仰る神様からのお告げを語るようなキャリアもいるようである。本当だろうか、そうしたフレーズに踊らされて泣きを見てきたのはデバイスメーカーなのか、あるいは端末メーカーなのか。自社の半導体生産ラインを埋め合わせるためだけにまとまった注文が欲しいと言うのも事実だろうが、果たして携帯電話というビジネスがどれほど美味しいものとしてデバイスメーカーに映っているのかどうかは疑問が残るところである。ともかく対抗上必要なモデムでの頑張りは果たしてきたそうした成果として最新機種のラインアップが出来上がっている。端末自体の魅力もIモ−ド最新機種としての位置付けを果しうる最高のものになるのが、最近の成果のはずだった。携帯型のゲーム機並みのグラフィック性能やゲームコンテンツが動作することが携帯電話に必要なことだったのだろうか。「凄いですね・・・では次の話題に」とアナウンサーのみが呆れ気味に紹介しているのはせめてもの救いだが経済を回すことに腐心しているテレビ局としてスポンサーのご意向は大切なものであろう。

開発方法論としてTRONだからいけなかったということではないのは判りきっていることなのに、主体性の無い通信機メーカーの所産なのかあるいは携帯電話という端末自体が通信キャリアの企画製品になりきってしまったからなのだろうか。商品として台数が確保されて、コストも通信キャリアの予測のように低下していくことが決まっているのなら良いのだが果たして本当にそうなのだろうか。開発プラットホームがようやく共通化されてモデムチップセットは一社からの提供になったようでありソフトウェア開発の容易なLinuxや携帯端末専用OSなどの搭載をしているのだから開発コストの主因となるコスト高要因は無くなったはずである。半導体メーカーはコスト力を発揮するためにご要望価格であるところのレンジにPDAよりも多くのRAMを必要とするようなソリューションが携帯電話で要求されていることを首肯出来るものなのだろうか。どこかの企画担当の方が「ケータイはPDAとは共存するものであり、駆逐するものではない」というメッセージをされている。

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業界独り言 VOL271 おぶじぇくと志向でないと?

春の陽気が不安定な時期でもある、予報では桜の開花予定日でもあった水曜に知己たちと独り言のオフ会を囲んだ。昨年も同様の時期にソフトウェア開発の中核を成している知己たちとオフ会を囲んでいたので今回は二回目ということになる。定期的にやりたいという想いとは裏腹に中々核になってやろうという意識が集まらないと続けるのは並大抵のことではない。言い訳になるが、日常のプロセス改善活動のように仙人いや専任となる方がいてこそ、積み重なっていくということになるのだろう。家電メーカーとして推進しているプロセス改善活動などは、最近のデジタル家電の勢いの中でプロセス改善活動も常態化してきているようだ。肥大化するソフトウェア開発の急先鋒であったケータイ端末関連のそうした活動については、脚光を浴びる機会も減ってきているように見えていて心配でもある。

そんな中でケータイ端末開発に絡むソフトウェアエンジニアが中心となったオフ会になったのは、まだ意識高いエンジニアがいると言うことだと思う。独り言に呼応する人たちに出来る手伝いがあれば、元気のある仲間達を紹介して発奮してもらうのも一つの方策でもあると思うのだが、忙殺されている感の続く職場では定時退社日という設定でも午後七時の集合は難しいようだった。今回のオフ会にはスペシャルゲストとしてケータイならぬ携端開発を多年に亘って続けてこられているベンチャーの社長のT氏を招いていた。オフ会の前の週に米国からのチャットをしたりしていた折に今回のオフ会を紹介したところ興味を示されたので、悩めるケータイ開発にも携帯端末開発の話が被るのではないかとも思ったのである。現在のように携帯電話が一般化するまでに携帯端末といえば、バーコードリーダーを搭載したPOS端末だったり、保険業務を実行する端末だったりしていたのである。

最近では携帯電話自体は、ケータイと略すらしいので間違えることはないのかもしれない。ソフトウェア石器時代に、私がCコンパイラ開発をしていたりしたころにも専用簡易言語を既に搭載されて端末における業務アプリケーションの表現やカスタマイズといった作業をしているのが当時の携帯端末の開発でもあった。T社長の力添えなどを頂いて開発したペン型バーコードリーダといった端末開発をしていたときには、8ビットでの組み込み開発と件名対応に用いるMSDOSパソコンといった時代でもあった。組込み開発がC言語により飛躍的に楽になるということの実感は、こうした端末開発を行いプロトタイピングでそのまま製品評価したりというターンアラウンドタイムなども含めての革新の渦中でもあった。T社長は、いたく開発したコンパイラにも評価をいただき以降の製品開発のマイコンを全て切り替えたりといったことも行われ開発専用マシンとしてTandyやNEWSといった個人用ワークステーションを開発現場に導入されたりといった先進の意識をお持ちの方でもあった。

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