業界独り言 VOL300 次代の人たちへ

組み込み技術者にとっては、最近の携帯電話の機種開発という事は、全貌を捉えることは難しく、担当機能ブロックに閉じた形での接点しかなくなっているという状況でありシステムエンジニアとしての感性などを持つことはキャッチアップする術すらないということなのだろうか。即戦力という謳い文句で活動している教育現場や再教育を指向している会社での最前線などにおいて基本を抑えるという枠組みに、あまり時間が割けないということにもなるようだ。現在、ベンチャーのCEOなどの職にある知人達の世代が経験してきたリソース不足の時代で学んできたパフォーマンス追及などの工夫といったことを現代の状況で経験し教えていくことが難しいということのようだ。外部の環境として、マイコン草創期から長らく開発に携わってきたという得がたい実践を結果として体系的に経験していくということが出来たというのは、一握りの世代に限られてもいるようだ。

教育現場に立ち返り、教職の道をとるという選択をしている知己もいる。あるいは悠々自適の段階に入る中で、専門学校でクラスを持ち自身で経験してきた内容をベースにしてシステムを理解させる目的でリアルタイムシステムOSの開発を課題としてコースを起案実践されている人もいる。歴史の中を生きてきた人の経験と、教育で得る経験は違うのかも知れないけれど少なくとも経験して理解したことを教育を通して理解してもらいたいという思いは強いのである。先日、ベンチャー社長のYさんとお会いして食事をした際にも、苦労して性能を出すことに邁進したZ80の経験が大きなベースとなっていますというのである。実際の社会に出てから取り組む「お化け」のように肥大化した携帯電話のシステムに遭遇する前に、全貌が把握できる範囲のマイコンシステムを一人で全て構築してみるという事は有益なのだと思う。

世の中は技術進展により素晴らしいツールが揃い原理原則を理解せずとも、仕事が出来るようになっている。上述のZ80などのマイコン開発経験もシミュレータなどを用いて行なうことが出来るのだろう。だけれどもマイコンは是非自身で半田ごてやオシロスコープあるいはロジアナでも良いが裸一貫でデバッグする経験を是非積んでもらいたいものである。そうした環境までもシミュレーションできるようにすべきだという声もあるのかも知れないが・・・。マイコンのデバッグにポートに接続した一個のLEDでデバッグするようなことから初めて貰いたいものである。基本を理解した上で、効率改善の目的で開発されたツールを使うのは良いことなのだと思う。かつて他社マイコンのシミュレータをチームとして開発したことがあったのだが、目的は、時間を止められるチップと同じ動作をするマイコン環境の構築だった。そんなことが他社マイコンの公開されている資料だけで出来るものかという意見もあるだろうが・・・。

そこまで原理を理解しないままにツールを使い問題解決をしていく人たちが、ツール原理とシステム動作の狭間で稚拙な理解のままに問題解決が進まない状況に遭遇しているケースが多くあったからでもある。実際に動作しているシステムを止めることなど出来ないながらもマイコンデバッガーで恰もブレークを張っておき止めた所から再開していくといったことを実践しているシーンなどがそうした背景でもあった。高精度なシミュレータを開発する為に一年半近くもリソース投下して実践して一連の成果を生み出したのだが、果たしてそうしたツールが自社チップでもない物が対象だったことも含めて、プロジェクトへの思いや、その成果活用が図れているのかどうかは今となっては不明である。ある会社という枠組みの中で、そうした事への挑戦が必要と認められて何かしらのプロジェクトに貢献することが出来たのは確かだし、会社としての新規事業を起こすという事にまで繋げる必要も無かったのはチップセットを事業とするものではなかったことにも起因している。

アプリケーションとしてシステム設計開発を進めている流れが巨大化したバベルの塔の如き状況に直面する中で、自身でフレームワークを新規に構成することにまでリソースを割けるかどうかの判断は現在では皆無に近いようだ。プロジェクトを推進していく上で自前のプラットホーム開発をしている別チームの動きなども知りつつも現実的なスケジュールでの実現をするために使えそうな外部プラットホームを利用していることもままあることである。一度決めたプラットホーム戦略の変更は大きなイナーシャで動いている会社全体のプロジェクトに対して少なからずインパクトを与える。ある意味で切り替えて微細な改善を図ったりすることよりも変えずに失敗したとしても、それなりの経験を積めればよいと考えているのではないかと思っているのでは伺えるほどである。プラットホーム整備に各社が傾注しているように見受けられる昨今とは別に、溢れる開発要件を消化する目的で社外のプラットホームに長けているODMベンダーを活用するというのも一つの傾向にある。

次代を担う若い技術者たちには、是非組み込み業界の実情を捉えていただいた上でブリッジエンジニアに終わることなく原理原則を押えた上で深い専門を持つ志向を持っていただきたいものである。とかく昨今のエンジニアをとりまく環境は消耗品としてエンジニアを捉えているのではと思えるほど余裕がなく、今や人材育成の旗頭を掲げているメーカーなどはことのほかないものである。国策として掲げているエンジニア拡充という施策の中に、国外のリソース活用などを主眼としている現状の仕事としての枠組みとなってきたブリッジエンジニアという事の起草自体が国策と矛盾しているように私自身は感じるのである。現場から乖離したままに、実際の開発を知らぬブリッジエンジニアが跋扈している状況で製造力設計力を向上していくという仕事になるとは思えないのである。状況の矛盾に気づきつつも製品開発を余儀なくされるメーカーにとっては弥勒信仰に陥ってしまったり、効率改善の流れで追求すると自社リソースの削減という矛盾に落ち込み悩んでいるのも国内メーカーの実情である。

コアな技術に注力しているという自負を自身を世の中に問うて考えられる技術者やベンチャーならば、その人あるいはその会社の価値を会社や業界が認めている故に仕事の心配などどこ吹く風だろう。そこに疑問が生じた時にとるアクションは自己開発であり、新機軸の事業創造となるのだろう。外資の会社ではドライに切り捨ててコスト効果最大の答えを選択するというのが世の常であり、国内メーカーでは、いまだ達し得ない部分がそこには厳然として存在する。それゆえに自己矛盾が解消できないというものでもある。革新的な技術提供により、ビジネススタイルを刷新できればリージョナルに解決すべき課題や強みが見えてもくるものでもあると信じている。そうした事に気が付くのかどうか常に自分自身あるいは自社ビジネスの弱みを認識していることが最大のポイントになる。エンジニアという自分自身を活躍させるかどうか、ベンチャーとしての自社を躍進させるかどうかは常に主体としての自分やCEOなどの意識にかかっている。

残念ながら、日本という市場で仕事をしているエンジニアにとっての足枷は常に付いて回る状況である。世界的に見ても突出した最先端の機能を要求されるのはキャリア相互の競争が熾烈になっているからだろう。一極集中したキャリアの状況がある意味で革新を生み出すことになったのは、運命だったのだろうし、各メーカーが試行錯誤を繰り返しつつデータ主体の通信へと拡大してきた経緯でありアプリケーションが整備されてきた。これも交通インフラが整備されている状況が有効となり、ちょっとした暇つぶしや電車などの通勤通学などの時間までも開拓することに成功したわけである。他方残念ながら日本という国情から物価が高い中で暮らさざるを得ない状況で、生産性の低い取り組みをする限りにおいてはソフトウェアビジネスという事業がコストダウンの観点からも将来が危ぶまれているわけである。そうした事を是として将来はブリッジエンジニアしか存しないと規定したわけでもないのだろうと理解したい。

いま、世界が漸く日本と同じような土壌に立ちプラットホームの整備がかない始める状況になると、公正な競争に勝ち抜いていくための独創的な技術が求められるのは日本のコスト高の国情ならではとなる。組み込みの仕事をしたいのでインドや中国に行かざるを得ないと結ぶのは余りにも悲しいのである。日本で同じ仕事をする限り魅力的な仕事に映るはずも無いのである。ドカタ商売で物づくりが出来なくなって久しいとはいえ、インテグレーションのノウハウを各メーカーが負担することすら覚束なくなっているのも事実である。中継ぎの技術としてレディメードのプラットホームを利用してある程度仕上げた後は、自前のプラットホームに移行するという美しいプランを掲げるメーカーもあるだろう。各メーカーの戦略がミートするかしないは数年立たないとわからないものの、投資がなされてモチベーション高い仕事に取り組むことが出来ている人たちは幸せな状況といえる。世の中の動きを理解しつつ、状況が暗転した場合においても自力を蓄積することには活用できるように努力していく意識は大切である。

野望を持てとまでは言わないものの、自分の夢を描けることが必要なのだと思う。人により人生観も異なるだろうから、単なる職業としてのみ技術屋をしているというのであれば、モチベーションを高く持つこともなく失敗しても後腐れなく次のテーマに入っていけるのだという人の生き方も一つの道かもしれない。ただ日本に求められる技術者の仕事がより創造的な仕事を求められるようになってきていることを理解すべきだと思うのである。今までの延長線で済むというようなドカタ仕事などは無いのである。自分の夢の過程として現在の仕事をマッピング出来る様に考えられるかどうかで、仕事へのモチベーションは大きく変わり成果も変わってくるはずだ。自立したエンジニアに向けて、成長していけるエンジニアとは好奇心旺盛な若い状況で、恵まれた上司のもとで仕事の指針を正しく与えられて進めることが出来るかどうかにかかっていると感じている。成果としての成功失敗に関わらず、そうした中から何を学び次に対しての戦略を考えていけるのかどうかそんなまとめ方をしてくれる上司であるべきだ。

 

業界独り言 VOL299 想定の範囲?

携帯電話業界では、最近、端末におけるプラットホームの開発が流行している。いままで通信キャリアが提示してきた端末動作仕様なるものを実現するために必要な機能を網羅設計することの難しさを共通化して肩代わりしたいということが底流にはあるようだ。とはいえ、今まで端末メーカーが自社のノウハウとして蓄積してきた部分も含めて未経験の通信キャリアが仕様を書き起こしてきた側から、実装を検討する側に回って開発するということには大きなギャップがある。昨年から起こってきた流れには端末開発のベースとなるOSプラットホームの選定といった段階では解決できない部分にミドルウェアとして通信キャリアの仕様を網羅する部分を作りこむというのが業界全体としての動きであった。プラットホームの部分をOEMメーカー自身が開発していくという昔ながらのスタイルもあれば、通信キャリアが開発費用負担をして自ら取り組もうという大英断をしたスタイルもあるし、通信キャリアが基本設計のガイドライン提示を行い各OEMが実際の実装を行い結果としての成果物を流用展開できるようなインフラまでも用意するといったスタイルまでもある。

OEMの実装状況や開発のボトルネックを考慮しないままで通信キャリアが、他の通信キャリアとの競争からスペック競争のみに走っていくことでは追従できずに疲弊して破綻してしまうのも実情である。通信メーカーが新たなプラットホームを選択して実際に通信キャリア向けのプラットホームとして仕上るまでには一年以上を要するということなのだろうか。無論、そうした難しい端末仕様となっているのは国内通信キャリアに多く見られるようでAsIsで使えるようにしてくれればという欧州のキャリアも多いようだ。まあUI仕様程度の話から、プロトコルやUIMサービスといった部分で選択する多くのオプションなどの差異吸収といったことまでも様々ある。標準といわれるブラウザ技術などをバイナリー提供しているベンダーなどではさまざまなOEMやキャリアの要望に応えるべくソースがFEATURE定義だらけになってしまったという話もある。一つのソースであるかも知れないのだがカスタマイズするための技術として適切なものといえるのかどうかは不明である。通信キャリアのスペックとOEMメーカーの独自性の狭間に晒されるベンダーとしては苦渋の選択といえるのだろう。

そんな端末開発に100億円以上が必要となるといわれる所以は、のりしろを繋ぎこむインテグレーション技術に投下するために必要な費用を各OEMメーカー自身が負担しているからに他ならないからだろう。とうぜんそうした費用を負担しきれないメーカーは、開発レースから落ちこぼれていくしそれにより、今まで開発に投下されてきた外部リソースという意味でのソフトハウスが仕事を切られてしまうという事態は想定の範囲でもある。アプリケーションエンジンを開発しているメーカーも端末が出来ないのであれば、売上が成立しないので困ってしまう事態となってしまうのである。自らの手で端末開発を手がけているわけではないので、こうした転機にあってはビジネスモデルの改革を考えていかざるを得ないのだろう。積極的に自らの製品範囲を広げて通信キャリアサービスに対してコンプライアンスな環境を提供できますというコンサルティング的なビジネスも視野に入れ始めているようだ。多くのチップベンダーが提供するプラットホームにあわせた形での提案が広告やイベントを通じて発表されているのが最近の事例でもある。

Quad社で始めてきたバイナリー環境も、ある意味でそうしたOEMメーカーとしての取り組みを昇華させてプラットホーム技術として展開してきた技術を、端末事業撤退後ソリューションビジネスの一環として展開拡張しているのだ。国内の元気ある通信キャリアが、CDMA2000で展開している流れにおいて、この技術をJava対抗といった切り口で利用してきたのは一概に誤りとはいえないまでも本来の意味においてJavaとは異なる意味でのプラットホーム技術の一つであることに違いない。各OEMメーカーがRTOSの上に工夫を凝らされてアプリケーション環境を構築してきた流れを統合されて通信キャリア指導でプラットホーム一本化という動きの中で最近発売開始されたモデルが注目もされている。とはいえ今までの各OEMが蓄積してきたノウハウと核となるアプリケーションを通信キャリアがどこまで取りまとめられるかという事は一つの挑戦だったといえるのだろう。

どの通信キャリアも悩みながらプラットホーム整備を行っているので、互いにやっていることについての興味と自社で進めている現場チームへの猜疑心などがあいまって時折トップからのお達しからおかしなシチュエーションを想定してしまうことがないともいえない。プラットホームの整備は互いに利用してもいない環境の中で、人伝に聞く内容に右往左往されたりしているのは仕方が無いだろう。プラットホーム整備の最大の目的は端末開発コストの削減に他ならない。端末開発にあたり通信キャリアの仕様を満たすための工夫が、ミドルウェアとして達成できるのであればアプリケーションの流通が可能となるというのが狙いであり、期待されるのは試験コストの削減などとなる。無論、ベンダーとしては各OEMにカスタマイズ対応する図式からの開放が期待できることから賛同が得やすいとも思われる。

しかし、プラットホーム構築において通信キャリア指導で進めていくには、各OEMのノウハウが必須でありIPRとして通信キャリアが提示してしまう中には、その費用分担についての調整が想定されもする。仕様自身がIPRであると言われないのであれば、自力で構築する芽もあるのだろうが、誰かが資本投下してくれるのであればプロジェクトとして推進したいというスタンスが見え隠れするソフトハウスでは、なかなか踏ん切りがつかないのも事実である。鶏と卵の議論になってしまい、プラットホーム構築が出来ればコストダウンとなり、そのプラットホームを前提としたビジネスで自立も可能になるというすごろくのストーリーは中々スタートしない。競争を最大に感じている、通信キャリア自身が資本投下して行った事例が続く中で、想定の範囲を越えるリアクションも出てきたようで興味深い。

端末が売れれば桶屋が儲かるといった図式の仕組みが携帯電話端末には、いくつかのIPRがある。そうしたIPRを握っているベンダーがサイクルを回すことに注力するというのは考えるべきストーリーの一つだったのだろう。実際問題、Quad社自身も自社が保有しているIPRにより端末が展開されることによる見返りを十二分に考えるケースでもある。スムーズに端末を生み出していくということをビジネスに積極的に捉えようという動きは、そうしたIPRを保有するアプリベンダーが主導して発動されている。しかし、不思議に思えるのは本来OEMが蓄積してきたプラットホーム化に向けた端末構成技術のノウハウを利用するには、従来のような下請けとしてではなく自社ビジネスとしてアプリベンダーが発案行動していく流れには、何か大きな先行投資としての動きが感じられる。PDCで構築してきたサイクルからの大きな転進に向けて色々な形で動きが発生しているのは戦国時代の様相がますます深まった最近の状況でもある。

プラットホームが整備されることにより、次に起こるのはPC化の流れであり、果たして国内メーカーが最先端技術を積み上げてきたビジネスモデルの大転換期が近づいていることは皆認識しているはずである。開発コスト削減が果たされる中で次に各メーカーが考えるのは自社が保有しているIPRによる端末コストのBOM算定における相殺優位性となる。GSMのライセンス費用やマルチメディアのライセンス費用など自社が保有する強い技術が無ければそうした部分についてのコスト差は厳然としてメーカー毎に存在する。無論機敏な経営手法などを旗頭として取り組むというオプションもあり、新たな技術に積極果敢に取り組んでいくというメーカーなどは早くに消化することでビジネス商機を広げようということでもあるらしい。商才に長けた東アジアの仲間達も利用可能なプラットホーム戦略の中で、結局国内OEMが保有する何らかのアドバンテージが必要なのだが、それはブランドイメージなのだろうか。

XML化技術が世界を救うとは言わないまでも最近の日経エレクトロニクスでも注目しているのはXML技術の組込み世界への応用であるらしい。Quad社が最近手がけているのも、XML化技術の応用としてUI表記言語としてのXMLでありこれに基づく物づくりの方法論を一つのパッケージとして開発プラットホームの味付けに一役買わせようという魂胆でもある。携帯電話の物づくりの難しさが、開発プラットホームの整備で解決されてタイムリーに端末を供給していく中で、端末をキャンバスと見立ててXMLでアプリケーションとしてのuiを書き起こせるというストーリーを提案している。これは端末をメディアとして提供するといった時代の到来といえるのかも知れない。端末技術の進展の中で良い時代になろうとしているともいえる。端末開発現場の方々の理解が追いついているのがどうかは別問題かも知れない。気がつけば自分達の仕事の価値が薄まったり存在理由について問われたりする時代になるのかも知れない。

業界独り言 VOL298 技術屋冥利

「目指すは世界一のメーカーですから・・・」と、きっぱりと言い放つのは知己の関西の某組み込みベンチャーのCEOのYさんである。社歴として二十年を越しつつも大メーカーというよりもベンチャーで尖がった製品を出し続けるのは社風ゆえだろうか。最近の携帯電話開発などをしているメーカーのエンジニアからは聞かれないようなフレーズだったので妙に耳に残っている。私は国内のテクニカルベンチャーの中でも群を抜いている社風と実績だと思っている。ベンチャーの証左としては人数の少なさでも証明できるかも知れないが、それ以上に営業陣営を拡大しない志向を持つ経営にも現れているだろう。堅実経営の実績として国内組み込み業界の隙間をいつも埋めてくれてきた成果からは、銀行融資を必要としない姿などに映し出されている。出来ないことはきっぱりと断り、無理に拡大はしていかないという姿にはCEOの考える会社としてのバランスを維持したいという思いがあるようだ。

尖がった社風の理由は、ある意味で生意気な文化が残っているのだろうし、生意気を支え続けるのは突出した技術志向を本当の意味で掘り下げてきたからでもあろう。この会社の社歴を見ていると、どんな技術を指向して開発し蓄積しつつ、現場開発技術者に必要な次の技術に耳を傾けて開発を進めてきたのかが判るような気がするのだ。しばらく面と向かってあったこともないYさんであるが、三年ほど前に京都のオフィスを訪ねたことがある。その前にあったのは某メーカーの開発現場で十年ほど前に、また最初に逢ったのは彼らの創業まもない頃の二十年も前になる。頻繁にあう訳でもないのだが彼から、いや彼の会社から発せられる新たな技術には、いつも今までの経過や深化発展してきた風土が浮き上がってくるように感じて嬉しいのである。日本人の技術屋としての彼らのスタンスの颯爽としたところには啓蒙される次第である。

そんな彼の社風には、ある意味で拡大に対しての懸念があってのことがあり、手付かずの業界もあったようだ。蟻地獄のようになっている組み込み業界の一部などに対応しようものならば、技術指向の真摯な彼らの取り組みであったとしても受け入れられない現実の壁があると感じていたのだろうか。現実の蟻地獄を見てきた気鋭の技術者を迎えて、Yさんたちの技術指向や深化したテクノロジーを伝導するエバンジェリストとして位置づけるという斬新な取り組みが行なわれたのは二年ほど前である。気鋭の技術者として私も知りえていたTさんがYさんの会社に転職すると聞いて、Tさんの前職で取り組まれてきたこと自体がTさんの中で一巡してしまったのだろうなという思いと、Tさんが組み込み業界に不足している部分をYさんの会社の技術にどこかで触れる出会いがあってのことなのだろうなと勝手に思いを巡らして納得してしまったのである。実際にTさんの転職祝いでお会いすることでそうした思いを更に強くしたのである。

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業界独り言 VOL297 組込み下克上

組み込み業界の中でも、生き残りをかけた状況になってきた観のある携帯電話業界では、生存をかけた戦いが繰り広げられている。既に多くのメーカー自身が自覚しつつも、現在の殻や今までの流れを、破ること・変えることを何らかの形で試行しているのが実情なのだが、結果として見えてくる実績としての現実には中々繋がらないままでいるようだ。流血騒動となっている開発スタイルの変革の中では止められないメインストリームにすら鉄槌を下す時期に来ているのではという知己もいるのだが、そういう状況を認識している経営陣と現場の間に見える乖離した状況は救世主を待ち望んでいる弥勒信仰に似ているのかも知れない。変えられない意識となっているのは今までの会社教育の成果でもあろう、優秀な学生を投入してみても会社の教育指針が無いままに、また経営指針が振れている状況のなかで暮らしてきた彼らにとっては変わり行く流れの中で盲従することを生存の術と認識しているようだ。

盲従すれば生活していけるという、羨ましい状況が存するということは信じられないのだがバブル期に展開した世代と去り行く団塊の世代のギャップが、よりその問題を誇張したようにみせているのかも知れない。このエネルギーレベルを突破するにはエサキダイオードでも展開してトンネルを開けなければならないということなのかも知れない。残念ながらバブル期で進めてきた経営の蓄積は、本来ならば併せて蓄積できたはずの匠技術の集大成などに結晶させていくべきだったのだろう。しかし、筋肉質を構成する部分に対しての運動不足や適切な栄養指導がたたったお陰で成人病となり、団塊世代のリタイアの中で栄養士・運動指導員という状況にも遭遇しているようだ。東洋医学的にいえば人間が本来保有している自己治癒力をフルに活性化する鍼灸術で回復するツボがあるはずなのだが、ゆったりとハリ治療をする余裕もないのが現実の風景らしい。

挑戦する気概を持つ若者が育たなくなったのは、国の指導のなせる業でゆとり教育という方針無きお仕着せの生活を過ごしてきた不幸な歴史の結果だろうか。果たして、そんな生活意識で暮らせるほどに資源がない日本という国家にあって、また勤労意識も無為なままに会社で過ごす時間をカウントするモデルで給与を得ていけるという大きな誤解をうみ出しているようだ。ユーザーニーズと最近までの歴史に基づいて偶々先進の文化を過ごしてきた事実は確かに日本にはあるのだろうけれど、きわめて不確かな国としての拠り所を忘れているのであれば未来は覚束ないのである。2Gで栄華を極めてきた携帯電話メーカーは、機能拡大の流れの中で辛酸もなめてきた経緯もあるもののそうじて次々と新たな技術に対しての意識に集中してきたようだ。着実の自社技術を固めていくという動きよりも繰り出されてくる通信キャリアからの新たな仕様に対応していくことに翻弄されてきたという言い方が正しいかも知れない。

不幸にも状況を悪化させたものは、2Gから3Gへの切替でありアプリケーションプラットホームとプロトコルの分離もままならないうちに3G開発の試行が始まりお召し列車が走るプロセスを時限立法するという展開となった。そこまでに至る状況は通信キャリア自身が持つ栄華の結果でもあり伸びすぎた一強の顛末として有限なる世界としての自然な成り行きだったのかもしれない。パテント戦争までも巻き起こして始まった3Gの開発競争は、結果として国策プロジェクトの如き様相の中で、必ずしも目指す戦勝国とはなりえなかった。またどこに戦勝国がいるのかも不明なほどに実態としての3GPPの離陸には時間が掛かり、大規模なレベルで実働しているネットワーク事例といえば日本にしかなかったりするのも事実である。キラーアプリを持たない中で繰り広げられる3GPP陣営の無為な戦いに参加しているメーカーや傘下のソフトハウスなどは戦いのみで利益を挙げようとする、ドコカの国の傭兵ビジネスのようなものにも映る。

第三世代に向けて新たな通信キャリアが登場したり、パケット定額の実現に向けた競争や、シンプルな使い勝手での共存やら各通信キャリアごとの状況が色分けされてきているのが見えてきた。明確なメッセージとして音楽配信をキラーアプリとして訴えるキャリアと、ユーザー数に影響を与えない形でのテレビ電話をキラーアプリだとしてユーザーを模索しているキャリアなどがある。コマーシャルで大衆に訴え続ければ、やがて芽吹くニーズに繋がるいうのだろうか。ISDNでさえも芽吹くことの無かったアプリケーションを携帯することで解決するとは思いにくいのである。現在明確なニーズがあるとすれば、英会話教材システムとしてのその位置づけになるのだろう。相手とめんと向かって話すことが簡単に出来るのであれば、きっとこの国のエンジニアなども英会話で苦労することも無いのだが、それくらい大きな壁があるのだ。テレビ電話のアプリケーションを支える技術としてアバターが必須だというのもおかしな話であり、顔をみせるのも嫌なので人形を出すというのであるから・・・。

第三世代のシステムに移行するという明確な目標や利便性についてエンドユーザーと共有しないままに移行してきたことが3GPPが、うまく行かない理由だともいえるのだろう。現行のシステムで不満の無い人たちを巻き込んで議論のみをし尽くしてきたという歴史があまり地に足の着いた形にならずにいたのである。第三世代により世界中どこでも繋がる携帯電話を目指している現実のなかで使っているユーザーのプロフィールがアジア地区のみが突出しているということでもあるのだろう。もう一つ歴史認識を正しく持つ必要があるのは実はバンド構成であり、世界の趨勢と日本の構成の上下のバンド構成が異なっていることが挙げられる。これゆえに、第二世代までに使ってきた800MHzでは日本のみが孤立してきたのである。そんな孤立した状況のなかで第三世代に繋がるまでに普及したアプリケーション開発を支えてきたのは周波数に縛られないPHSシステムだったというのも興味深い。TDDによりピンポンすることにより国際的に通用する規格として受け入れられてきたのでもある。

新興国の通信事情改善につなげる世界貢献という意味では、PHSが果たしてきた意義は大きいものだと思うのだが、そうした自負心を持つ人は何故か日本人には少ないようだ。PHS自身を過去のものとしてしまう状況には、国内での第三世代競争の犠牲者として生贄にされてしまったからなのだろう。PHSこそ本来ならばプロジェクトXにでも登場させるテーマだと思うのだが、どこでも使えるという利便性や高速通信という特性をうまくコストバランスよく達成した素晴らしい技術だと思うのである。PHSと携帯の二つの機能をもつ端末の登場などはある意味で画期的なものではあったにもかかわらずユースケースとしてアプリケーション設計から呼処理を設計しなおすこともなくドッチーカと悪口を叩かれるような実装になってしまったのは、端末開発に従事してきた人たちの意識不足からなのだろう。同様な状況がWLANとCDMAの共用機種などの登場で再登場してくるのは世の常なのである。適当に済ましておいてはならない重要な点として認識していたのかどうかがエンジニアに問われている。

懸命に実装検討などを深く先行開発してきたメーカーではアプリケーションの進展を見越して携帯のためのWindow機能やアプリケーション管理機構などを構築してきた。落ち着いて基礎技術を開発していくというのはメーカーとして必須な項目であると私は信じているのだが、実際には最近ではソフトウェア開発に費やした費用を研究開発費用としては認定されないというような状況であるらしいし、またそうした評価になっても致し方の無い実態なのかもしれない。通信プロトコル開発に押されてしまい自社開発から、他社協業を模索したり、チップセットとしてライセンス導入したりという流れの中で本当の意味で携帯電話開発の要になる部分についての基礎技術については殆ど手付かずになってしまっているのもメーカーでは事実のようである。徒にRTOSをITRONからLinuxあるいはSymbianに変えてみたところで、携帯電話というアプリケーションを構築してきた自分達の蓄積されているはずの経験知識を毎回マッピングすることに苦労を費やしている姿が見え隠れしている。

携帯電話のためのプラットホームとして技術追求をしているという会社がどれほどあるのかは判らないのだが、まあ端末開発という大命題を背負ったユーザーを味方に引き入れて、その開発を通じて一年以上も費やしていくことが出来れば一つの方向性を会社として持つことが出来るはずだろう。そうした開発プロセスの見直しなどどこ吹く風で急激なコスト圧縮を要請されているのも事実であり、それが故に協業やら短期的なプラットホーム選択だったりもするようだ。しかし短期的な選択が正しいことなのかどうかも含めてエンジニアリングとしての眼が曇ってしまっているように映るのは私だけだろうか。知己たちの会社に基本的な技術解説や新技術の解説などを通じて、今後の展開についてのプレゼンテーションをすることが続いているのだが多くの知己たちからは「本来そうあるべきなんですが・・・」と肯定とも否定とも判然としない現状としての反応が返ってくる。六年前に捉えていたQuad社としてのビジネス範囲からは大きく異なり拡がってきているというのが、最近の動向でもあり私自身の経歴も含めて歴史認識も含めて将来動向に柔軟に対応していく社風の現われでもあるようだ。

来年は一つの大きなステップであり、二強一弱と言われている状況の弱のキャリアにとっての転機ともなるチャンスになるかも知れない。二強と呼ばれるまでに成長したキャリアへのサポートもそれぞれ展開しているものの歴史を大きく塗り替えるような史実を残しそうなほど厳しい現実と将来展開への大きな転機というのが今年からのアクションに委ねられている。しかしそうした危機認識をしているキャリアの要請に応えられる危機意識を持ったOEMがあるのかというと課題でもある。そんなOEMの多くは、現状疲弊の中で懐疑的な一弱のキャリアに向けて舵取りをする経営判断など出来ないということもありうるだろう。OEMのこうした疲弊生活の中でシュリンクしてしまったビジネスに気概をもって挑戦しようという志の会社はOEMではなくて傘下のシステムハウスなのかもしれない。長年のビジネススタイルの枠からの脱却が出来るのかどうかという踏み絵などがあるわけではないものの現実の選択としてリスクを持った新たな挑戦までに辿りつくのかどうかは不明である。下克上というキーワードを世の中に繰り出してくるかどうか、二強一弱からの脱却がいかになるのか、つまらない現実から脱却して挑戦するエンジニアの登場なども期待するところである。

業界独り言 VOL296 組込み大国の岐路

桜が満開となり、また新たな年度が明けたのだが、果たして組み込み大国日本にとってこの新年度は、いかがなものであろうか。携帯電話という切り口での偏光グラスで見ているからなのかも知れないのだが、携帯業界には、まるで山火事とも映るような猛烈な花粉を噴出しているような状況もあるようだ。そんな製造業としては景気回復という尺度になったというのだが、その理由が団塊世代の人たちの退職などにあるのだとしても、現在の財務内容とこれからの期待されるビジネスプランの実像の健全さに問題がなければよいのであるが・・・。端末開発に必要な開発費用というもの内訳を合算した上で、端末事業としてのボリュームを考慮に入れた上で採算が取れるのかという観点でみると甚だ怪しいという会社が多いのではと感じている。無論開発投資として、有形無形の資産価値が生まれるという費用の処理方法もあるのだろうしそれぞれの会社経営の考え方に口を挟む積りは無い。ただ開発に従事されているエンジニアの方達が活気に溢れ目が輝きという姿になるというのが開発投資という姿だと思うのが正直な個人としての感想である。

新年度にあたり、体制刷新や再生を期しての合理化に賭けるという会社もあるようだ、後進に道を譲り外郭からサポートをすることにしたのだという先輩もいる。長きに亘る海外での開発リーダーの経験を持つ先輩であり、人望も厚く後輩の指導にも長けたこうした人材を流出してしまうということについては些か残念に思うと共にデジャブのように思い返すところもある。外郭からサポートするという心意気を持つのは旧きよき時代を過ごした仲間ゆえなのか互いに精神を共有するところなのであるが、果たしてそうした偏執的な会社への愛情が傍から見て理解されるのかは別問題である。ましてや10年経てば会社の気風も文化もすっかり変わってしまったのではという危惧もあるのだ。ここ数年で大会社病と呼ばれるようになってきた顧客先などを見るにつけ、現在でも頑張っている闊達な雰囲気を持つお客様には強く応援をしていきたい衝動に駆られる。そうした部隊が一部にでも熾き火を持っていればと思うのである。

元気のない国内の多くのメーカーとは状況が異なるのが、同じアジア東地区の隣国である。文化的な背景や現在の伸び行くそうした国家のとりうる姿が、おしゃれに映る日本の現状などとかぶり国内の格差が広がる中で国策として反日に動くという状況でもある。実態として先進の部分でこそ日本の今までの成果に憧れを持ちつつ嫉妬も深いということでもある。ともあれ伸び行くそうした国家との物価格差を契機にしたにしても、今ではすっかり元気になりパチモンメーカーとは言わせない欧州の血統を組むデザインと熱き血潮の流れによる開発の勢いで国際化をすっかり果たして普通に英語を駆使して国際感覚で開発を進めている。彼らの中では社内がライバルであると共に共有した情報をベースに効率よく開発を進めていくスタイルはアメーバー経営とも異なるようだ。日本が組み込み大国となりえた時代に始まった崩壊の序曲は、やはりゆとり教育などと称して国際化を目指すでもなく自律する推進力を忘れて道を誤ってしまったように思い返される。

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業界独り言 VOL295 忘れ去られた風景

忙しさに感けているうちに、バレンタインからホワイトデーに届こうとしている。ねばならない会社仕事を片付けているうちに個人として行わなければならないと感じているワークに戻れなくなっていた。ああ、こんな事ではいけない・・・。最近では、「そうした個人ワーク自体も仕事の中に取り込んでいったらいいんじゃないの」というようなノリの良いトップに変わった状況にもなってきているのだが、果たして溜め込んでいる件名消化を果たすことが出来るのだろうか。ミクロな視点で仕事に取り組んでいるとマクロな視点での今後の方向性を見失い焦り落ち着かなくなったりすることに嵌ってしまう。このままで良いのだろうかと悩みつつも、まずは今日の仕事を終わらせることのみに費やしてしまうことは多いのだろう。仕事に取り組んでいく上で一番大事なことは、身体の健康であり、それを支えてくれる家族の健康である。身体のみならず精神の健康も大切であり、家族とのコミュニケーションなどが大切なことは言うまでも無い。そうした状況でようやっと自分としての仕事に没頭出来るのであり、家族との精神生活を重要視せずに身体生活のみの達成に腐心してしまっているようではいけないのである。

まずは個人生活の達成があり、それを実現していくための共生条件として会社で仕事をしているのでありそうした事を忘れているような仕事環境や会社の体制では明日はあっても、先はおぼつかないのだろう。とはいえ現実の多くのエンジニアの方達の暮らしを見ていると明日の先が見えているような状況ではないようだし、日々の家族とのコミュニケーションも取れているとはいえないようだ。退職などを契機に初めて家族と真剣な話をしているケースもあるらしく、「黙ってついてこい」といった雰囲気の先輩達の人生航法を見せてもらったり、家族との会話で転職に躓いてしまった後輩なども見たりしている。まあ長い人生の中で肩肘はって暮らす必要もないので、家族との生活を大事にして暮らしているのであれば良しである。実は転職などで躓く理由として家族の理解が得られないという説明が多くあるのも事実なのだ。家族の理解が得られないというケースには、家族で共有している価値観が転職により維持できないといった場合もある。家族を捨ててまで転職する人などは居るはずも無い。

インターネットを通じて、会社のプロセスの問題提起をしている掲示板があったりする。本来であれば、その会社内で閉じているべき問題が外部の環境を使っているのは機密扱いの上で大きな問題でもあるだろう。しかし、そうした環境が社内で取れない状況などがあり、ある意味でガス抜きのような形で使われていたりもするようだ。裏世界とのインタフェースのように使われている掲示板では、開発途上の端末の写真が公開されてしまったりとモチベーションの無い組込み開発の状況のインジケータのようになっている。夢のある開発をしていきたいというのが技術者の本来の希望だと思うのだが、最近はそうした指導をしているつもりが、無理な十字架を背負わされたという形に捉える感性の若者が多いように見える。無理なスケジュールを打破することで日本発のWCDMAをローンチさせるということで始まった国策のようなFOMAでの開発がそもそもの発端だったともいえるだろう。

コードの最適化という言葉をコンパイラの責任に押し付けてしまったのは、ソフトウェア教育の歪なのだろうか。アセンブリソースを見ることなどなくなってしまった現在となっては見やすいコードが良いコードといって憚らない風潮となっている。急いで物づくりをしているのが定常化している現在では、振り返る時間などないというのだろう。振り返り反省することもなく開発のみが進められていくというプロセスでは、良くなっていくはずもないのである。コードサイズが溢れてしまうような状況でも、多数の3rdパーティやら協力会社が分担しての開発風景の中では、似たようなライブラリが組み込まれて堆積されている事実も、開発期間には変えられないという理論が互いを納得させてしまうようだ。結局開発元であるところのOEMが主体となってリードしていくことをうまくリソースを投入して必要な開発投資として積み重ねていくということが必要なのである。荒っぽい積み上げのままのようなコードから不要と思われるコードを精査することを追及することでフロッピー一枚程度の余裕が出来たもの基本ソフトの改版でそうした余裕の二倍以上がソフトフィックスとしてコード追加に消えていった。

開発効率の追求ということに焦点をおいた開発技術の追求といったファクターが薄まって来たのは、そのようなキーワードで始まった様々なプラットホーム提供に対して対応していくことに疲弊してしまい昇華することなく消化も出来ずに消耗することのみに費やされてしまうといったサイクルになっているのが現在の携帯開発という事態をあらわしているようだ。採算性を取りつつ開発に取り組んでいくということが大なり小なりの差異があるものの閉塞感にさいなまれている状況がWCDMA陣営にはあるようだ。無論、1X陣営が好調ということではなく単に相互の開発に至るビジネスモデルの相違や規模の差異が、そこにはあるのだと思う。端末の機能競争が無為な状況を越しているのは事実なのだろうけれど、エンドユーザーに対しての差異の見せ方について開発している技術者が正しく認識しているかどうかには問題があるようだ。最近、知り合いで48ヶ月もの契約期間を過ごしてようやく機種変更をした人がいるのだが、機種変更の理由は気に入った色の端末が、ようやく出たからだった。

プラットホームを変えたところで基本コンセプトが変わらない限り似たようなコードサイズのオーダーとなり、開発効率が良くなるとも思えないのは言いすぎだろうか。まあ慣れてくれば良くなるといういいながら慣れるまでに時間と費用が掛かりすぎ、目的とする開発費用の生産性ラインを認識することも無いままに慣行となった開発のみが続いているような会社もあるようだ。達観した経営トップが一式完成品のソフトウェアを納入して欲しいということを言われるのも無理は無いような気もしてくる。しかし、完成品のソフトウェア一式を与えたとしていじり倒して壊してしまうような事例も見てきた過去がある。達観してそのまま使い切るというような成果を出すためには、エンジニアリング部門と企画部門とのあいだでの結束やトップ方針の徹底が鍵だといえる。トップ方針に耳を傾けるでもなく、ビジネスとして取り組んでいくプロジェクトをチャンスとして活用していくでもなく無為に過ごしているようなことでは将来がないだろう。

世の中は、ナンバーポータビリティがスタートすることを受けて、通信キャリアのバトルが予定されているという、三つの現キャリア、あるいはそれ以外の新興キャリアも含めて、みな技術的なトライアルや新技術の吟味などを進めている。技術を提供する立場の者として、どのキャリアが使ってくれても有難いのではあるが、同一技術の提示をしてみても日本という地域の人たちの反応がいまいちだと感じるのはなぜだろうか。生産性向上という観点でソフトウェアの自動生成などの技術追求をしている人もいるだろう、組込みソフトのCAEという枠組みでドキュメントとコードの両立を果たそうとしている人もいれば、試作で用いたUI記述サンプルのHTMLをそのまま使えないかと考える人もいる。端末機種開発に必要な費用を売上高の10%とおいてみた場合に出来る姿を思い描くことが必要なのだと思うのだが、現状を肯定することで月産100万台でなければならないといった思考サイクルに落ちてしまうのはいかがなものだろうか。

OEMからの要望を受けて、端末ソフトウェア一式を商用レベルで揃えてみるというプロジェクトなどに取り組んでいる会社もあるようだが、果たして開発した成果や適用した方法論が、次の年度のお客様にとって意義あるものになるのかどうかは不明である。みな一社で全ての物づくりが果たされるわけではないのはOEM先と同様であり、デファクトのソフトウェアを組み込みインテグレーションするということになる。世の中が残された市場として中国を認識するようになったことで、どのメーカーも漢字フォントの実装やFEPの搭載などが一般化してきた、最近ではマルチメディア機能までも含めて国内メーカー以上の成果が見られるようになっている。中国の3G遅れが表面化した今日としては、当面のはけ口としてFOMA互換を果たす端末として国内上陸することが明らかになってきている。韓国の端末機器が登場してくる状況はVodafon仕様の欧州端末が登場する事以上の意味があると思われる。

端末価格に占めるソフトウェア開発費用・ハードウェア費用合わせて下げていくことが必要であるのだが、国際的な競争の下でのレベルにあわせての戦いが始まっている。出来上がった端末が売れないと嘆くのではなくて、なぜ売れないのか機能も価格もひっくるめて開発競争力が問われている現在となっている。チップメーカーあるいはソフトウェアベンダーとしてコンサルティングをしている立場でいえば、お客様ごとの対応力や得意なドメインに合わせて技術とチップのパッケージとして紹介して実用化していくというサイクルをいかに早くにまわしていくのかということが求められているのだ。そうした海外の実情やデザインハウスの実力を知りながらも社風を変えることが出来ずにチャンスを物にすることが出来ない人も出てくるだろう。やはり、組込みソフトで培った経験を結局のところ物に出来ずに自分達を変えていくことをしないままにおぼれていってしまうような印象を持つのである。

コンサルティングをしていく中で、スポンジのように知識を吸収して次々と製品開発に繰り出していくというサイクルを回している風景は日本以外のように思う。そんな状況のせいか、年が明けてから毎月中国にコンサルティングに赴いているのが実情だ。彼らと取り組んでいる日本メーカーのエンジニアのやる気もすごいのだが・・・。新たな枠組みでの製品開発を柔軟に進められるのかどうかは、かならずしも成功体験を持つ人たちではないようだ。現在までの仕組みに引っ張られてしまうのは、再利用という魔物に魅入られてしまうからなのだろうか。理想の開発を実践していくことを国内ですることなどは開発費用の観点からは諦めたほうがよいのではないかと思うようになってきた。日本の物価を1/4程度にして暮らせるようにしないと中国のエンジニアの飽くなき取り組みには負けてしまうのだろう。日本で採算があうのはSEやコンサルティングといった職域だけになってしまうのかも知れない。

業界独り言 VOL294 次世代開発への合同コンパ・・・

如月・・・春節、バレンタインと寒さの最終コーナーを過ごしつつも、春を感じるキーワードが続いているこのごろでもある。重苦しい携帯電話開発の話が聞こえてくる中で、前向きな春めいた兆しも聞こえてきている。業界再編というには、程遠いかと思っていた状況も色々なオプションについてケーススタディを模索する動きが始まり本格化することが始まりそうでもある。知己たちから遭遇するような、リストラ再編劇もあれば、新興メーカーによる新たな形での開発ストーリーの勃発なども起こっている。ともあれ、PDCを失くす流れの中でグローバルな視点からも日本の3G本格化に衆目が集まっているのも事実だ。芸術品開発に基金まで募るような開発スタイルが続くと信じている能天気な人がいるとは思わないのだが・・・。実際問題、現場の方々からは主客転倒したような驕った話が聞こえてきているのも事実なのだが。是正するための技術開発や開発プロセスの変化などが起きていることまでは認知されていないようである。

一チーム数百名のエンジニアを自前あるいは応援で擁してキャリア対応の開発に対応している姿で疲弊している歴史あるOEMメーカーもあるし、そうした姿を標榜して追いつき追い越そうと同じスタイルをとるメーカーもある。新しい通信キャリアに向けて製品展開していくという動きの勃発などもあり、製品開発というテーマに対してのコスト算定をしつつ対応の可否を探る動きが出てきている。やはり注目すべきはODM的な動きを期待するOEMメーカーの流れと、ソフトウェアハウスが自身の派遣請負的な仕事の流れの終焉を感じ取り始めての模索ということになる。端末開発・製造を行うという仕組みにメスが入ることになったのは、プラットホーム化進展の結果としての健全な姿ともいえるのだが、実際問題としてLinuxやSymbianでの結果とはいえないようだ。GSMの端末開発では当たり前となったODMを行う会社が3G端末開発においても実績を挙げ始めているということが事の状況でもある。

誰が実際に開発しているのかという問題でいえば、ODMメーカーがリファレンスデザインとしてチップセットベンダーのモデム基本ソフトなどと自社開発した待ち受けアプリや、3rdパーティアプリとのインテグレーションまでを行い、OEMメーカーからのカスタマイズを請け負うというスタイルとなっている。こうした形態に突入する状況で、基本的な分業としてチップセットベンダーが世界中で行っているIOT結果を直ちに反映したりといった仕事も含めて、複数のメーカーが分担協業して並行開発していくという姿が実現され、ODMメーカーがチップセットベンダーのリファレンスハードなどを使って、通信キャリアの仕様に準じたアプリケーションスイートを自前でインテグレーションし複数のOEMメーカーに卸していくというスタイルとなるようだ。こうしたスタイルでは生産技術用のソフトウェア開発までもODMでは行うらしいし、ましてや生産そのものはEMSに委託するということも起きているのが実情である。そうしたスタイルがGSM/GPRSを契機としてUMTS開発にも適用されつつある。

こんなスタイルに飛び込んでいくには「無茶な」という声もあるだろう、実際問題として日本の通信キャリアの細かな芸術品開発を目指してきた開発スタイルとは相容れない部分も多くあり、コスト有利と言われている中国台湾のODMベンダーがこれらを紐解いて作り上げる時代にまでは至っていない。今迄で言えばメーカーが主体的にそうしたワークを行い、自社あるいはサブコントラクターを使って仕様書を咀嚼して自社製品開発のための仕様書を書き起こして進めるという開発スタイルだった。このスタイルを実践していくことに必要な多大なリソースを許容できないというところにまで到達してしまった現在、開発コストの根幹となっている部分を効率よく共用していくというモデルが必要になったのである。かかった費用を計上して請求していくといった工数精算といった形でのソフトウェアハウスの仕事が自社製品としての通信キャリアとプラットホームに適用可能なソフトウェアプロダクトの自社開発、そのカスタマイズといった形になってきたのは大型ソフトと同様なことともいえる。

ソフトハウスが実際に端末のソフトウェアSuiteを仕上げることに要する投資費用とライセンスを受けるための費用などの精査検討を始めている。今まで多数のOEMメーカーのサブコントラクターとして積んできた経験値という貴重な生鮮知的資源を活用していくには鮮度の高い内に行動を興す必要があり、今までのように発注元に対して配慮してきた情報隔離政策から自社主導の社内共有展開型の開発に移る事が達成できる機会でもある。OEMメーカーからの仕様待ちやらハード不具合対応といった無為なサイクルを過ごすことなく自前環境としてソフトウェアとしての開発仕上げを進めることが可能になる。中小のソフトハウスでは出来ない投資ともなるこうした展開は、携帯電話業界のバブル破綻で、正しい付加価値ある開発生産をしていくというサイクルが要求しているものとなっている。雇いすぎたエンジニアの精査は始まり、バランスが取れていくことになる。これを破綻というのか再生というのかは意見が分かれよう。

実際にこうした動きをとり始める契機となったのは、この独り言だとは思わないのだが皆さんの思いや機が熟したということなのだろう。国内の大規模ソフトハウスを自立に駆り立てるのは、従来型の派遣要請という形で対応してきたエンジニアリングビジネスの変容であり、彼らのユーザーからの受注減を通じて、より付加価値の高いビジネスの可能性を求めているということでもあろう。おかしな話であるが、以前に私自身が遭遇したケースでいえば高機能ツール開発による開発の効率化を図ろうとしていた矢先に、一緒に開発していた傍系ソフトハウスの仲間から聞いた話として「効率アップで夜間自動テストなどが出来ると他のチームに説明しても、工数売り上げが下がるから使えないと言われました」というオチがあった。そういう事が感性として開発側が考えているような会社に将来があるとは思えないので、そうした技術開発をしていることを”受注件名”としての理解でしか見ていなかったというソフトハウスを去った仲間も居るし、見限った私もいる。

そんな笑い話を吹き飛ばすような状況として、自分達が開発した効率化達成ツールを製品化して、付加価値ビジネスとして取り組むソフトハウスが出てきた。なんと健全な姿だろうか、掛かった費用を親方会社から搾取するような時代を経てきたものとしてさわやかな気分にさせてくれる。とはいえ、まだまだ工数売り上げで生活しているソフトハウスから見れば、そうしたツールで社内効率を上げた上で親会社からのコスト削減要請に呼応していくという形でしかないのだろうか。国内キャリアに対応していくという要請を複数の会社から受注しているソフトハウスがエンジニアリングとして蓄積してきた経験値を自身の付加価値技術として製品化するということで、効率よく開発していくという当たり前の姿に漸く到達するということなのかも知れない。守秘契約というもので守られてきたOEMのノウハウ自身をOEMがもてあましているということに他ならないのだが・・・。OEMからの期待値は、チップセットベンダーのリファレンスデザインの上に、通信キャリアの仕様に呼応した端末ソフトSuiteが動作させるまでに至っているということである。

通信キャリアからの芸術品開発に支払われる費用が永劫続くとOEMメーカーが思い違いしているとは思わないのだが、開発プラットホーム整備が落ち着いたところで魅力的な製品を開発コスト力良く出せるメーカーあるいはビジネススタイルが残っていく時代に変容してしまうようだ。これを達成出来なければ、携帯バブル崩壊というだろうし、達成出来た場合には再生の胎動といったフレーズだろう。OEMメーカーからの打診、ソフトハウスからの打診双方が始まり、模索の中のお見合いあるいは合コンといった様相である。また、通信キャリアからも同様であり、魅力的な端末開発をしているOEMメーカーを名指しして自分のキャリアの端末開発を達成させるために必要なことは何かといった、禅問答を繰り返したりもしている。開発効率改善のための技術検討に最も前向きなのは通信キャリア自身であるのは、OEMメーカーにはそうした検討する余力もないということでもある。紺屋の白袴状態が続いたままに、UI開発の改革技術などに踏み出せないのは誰もリスクを背負うとは考えていないことなのかもしれない。

3G端末の開発スタイルとして次の三つのオプションが業界では言われている。第一のオプションは、500人以上のエンジニアを擁した上で、実績あるチップセットソフトをライセンス受けて物づくりする。開発には最低でも数十億円以上が必要となるらしい。第二のオプションは、実績のあるチップセットソフトをライセンス受けた上で、そのまま実績あるGSM経験のある海外ODMメーカーに依頼して物づくりする。国外のキャリアに向けた端末作りまではこれで実現が可能となる。ただし、ODMメーカーと同じ母国語を話す自社エンジニアを一人は貼り付けておくことが必要らしい。ODM側では数十名のエンジニア規模で半年もあればキャリア持込サンプルまで構築することが出来るようだ。そして第三のオプションとして話が出ているのは、国内ソフトハウスが乗り出してくるといわれる新ODM事業であり、必要なアプリケーションと国内キャリア仕様のインテグレーションまでを今年中に実績あるチップセットベンダーのリファレンスで動作させるというものだ。この第三のオプションの話で最近は通信キャリア・OEMメーカー・ソフトハウスの間を往復して縁談の取りまとめあるいは合コンの予約をしているのだが、結婚式に漕ぎ着けてベビー誕生となるのは今年なのだろうか・・・。

業界独り言 VOL293 ライフプランを描きながら

今週は知己たちとの予定で一杯だった。水曜日に年初の独り言のオフ会を行なったのだが、電機業界でお決まりのノー残業デーも携帯分野の知己達にとっては中々適合しないような状況にあるらしい。都合が付かない方も多かったものの、予定通り開催することにして二時間という居酒屋の制限枠を二倍にもなる中で、楽しくこれからの仕事や業界の流れなどを肴にして過ごすことが出来た。オフ会を通じて知己たちの元気な顔や声を聞くと安心もするのであり、また次なる技術展開に向けた仕事に張りが出てくるというものでもある。携帯電話業界がプラットホーム移行という大きな流れの中で、産みの苦しみを経験しつつも、開発プロセス自体の改革に向けた通信キャリアとの期待値とのギャップなどには、まだ思いが至っていないような様子だった。核となるエンジニアは、気が付いているもののビジネスをドライブする経営陣や、開発に従事する仲間達にそうした今後のプロセスの変革について意識を共有することが出来ないことが、変調を来たしていることを加速しているように映る。

金曜日には、前の号で紹介したサーバーベンチャーのCEOとの昼食会もあり転職経緯の発端ともなった六年前の事件などを思い起こしつつも、また同じ有楽町の海外特派員クラブでランチを取りながら、ケイ佐藤らと一緒に楽しく仕事や業界とのマッピングなどを思い描きつつ過ごした。4Gサーバーを開発するバラード氏の成果を評価する横須賀のキャリアでの導入成果は大きな以前からの進展であった。悪魔のサーバーと評した当時の私の転職顛末小説は、出資者をエンジェルと称する流れの中で、なかなか成果の出ない状況などと合わせてあえてデビルサーバーという名前で呼んでいたのも事実であった。現在も、実際にビジネス展開として、今回の成果を参照してきた日本の多くのユーザーからみれば理解不能な技術として敬遠されているような状況には変わりが無いらしく、まだまだ必要とするアプリケーションに出会わないという状況のようだ。バラード氏が、天啓を受けて始めたこのベンチャー技術のインキュベーションを、ようやく三つ目の会社として達成しようとしているのは、真のインキュベーターとしての山羽氏の心意気以外の何者でもないだろう。

まだまだ実用化に向けての障壁は、あるもののとにもかくにも商用マシンを出荷納入するというテーマを七年目にしてようやく達成したのである。栄えある最初の発注ということを実施した初芝通信時代のあの頃に達成していたならば、また別の展開があったのかも知れない。超大規模化を予感したI-mode時代の到来に備えるべきという警鐘を感じ取っての技術として評価してきたものの、それまでの技術から踏み出すには実績という理由が無きままに世の中は動いていかないものである。初芝をリタイアしてインキュベータの道を歩んでいる山羽氏が、こうした弁護士から技術屋に転じたバラード氏を本当に添い遂げていこうという心意気は、最初の投資家の人たちから発せられた詐欺師呼ばわりされつつも成果が出せずに破綻した二つの会社での歴史を拭い去りたいというものから来ているようだ。自らの活動に必要な資金を捻出しつつ、残っている時間を駆使してインキュベーションにまい進している山羽氏の生き様には、敬意を表したい。インキュベーションを重んじるという理念の会社方針を形式的に打ち出されている会社などもあるようだが、真のインキュベーターの精神までは社員に教え込んではいないようだ。

金曜日の夕刻には、20年振りの山の同好会の同想会が企画されていた。前の会社のハイキング同好会といった分類の仲間であるのだが、発起人である先輩からのメールでの連絡などがあり当日には15名ほどの方が集まった。もともとのメンバー構成でいうと、当時の初芝通信の無線事業部・周辺機器事業部・オートモビル事業部などを跨って組織されていたのだが、最近では事業部制からカンパニー制に移り変わったり事業分野の再編成などが行なわれている。そんな中で部外者となった私などにも声をかけていただいたのは有り難い事でもある。もともと発起人たちの同期メンバーとしての人の繋がりがあり、事業部を越えたグループ活動というものが実現出来ていたようだし、既存の活動として存在していたグループへの疑問などに対しての行動として新たなハイキング活動のグループとして出来たのが当時の背景だったようだ。そういった意味ではベンチャー的な要素を持ち合わせていた活気のある組織だったのだろう。私が新入部員として参加したのも25年以上も昔であり、同様な意識の世代で構成されてきたことが当時の活発な理由だったろう。

そんな活発な活動をしてきたハイキング同好会も、少しずつ仲間同士で結婚したり、転勤などが起こり世代が固まっているがゆえの若返りといったことに繋がらないままに活動を閉じることになった。気が付けば、最後の山行はなんだったか誰も漠として覚えていないという印象だった。組織として最後にリーダーを命ぜられていた時期があったことから当時のハイキング計画やら資料などをファイルした原本を預かったままに転職してしまったこともあり、後ろめたさも手伝い引っ越す度に思い返してはいたので、今回の同想会の参集要請は渡りに船というものであった。当時のクラブにいた中でカップルはいくつも生まれて我が家もそうした中の最後のカップルなのだが、今では事業経営のリーダーたる方もそうしたクラブのカップルである。今回は、ご夫婦で参加されて雰囲気を盛り上げていた。関東という土地柄なのかどうかは判らないのだが、会社の通勤範囲として90分程度はあるという中で実は通勤距離の広さを感じたのは当時のクラブの集まりを湘南地区で週末に行なうことになったのだが、当時は千葉県から通勤していた自分は切符購入すると窓口でしか買えないような距離だった。

週末にそうした距離を越えて会社の仲間が集い、コミュニケーションをとるような活動をしていた時代だった。そうした時代を過去に追いやったのはコアタイムをベースとするフレックス勤務だったろうし、開発プロセスがハードからソフトに変遷する流れがそれを押し流してしまったようだ。先輩達との付き合いを時間外にするなどということは「ありえない」ことに分類される時代になり、意識を共有したりする流れを事業部を超えて社風として堅持するようなことすら出来なくなってしまったようだ。冬のシーズンには、週末に各事業部の誰かが発起人となってスキーバスを仕立てたりする風景も最近では、グループ活動から個人同士の活動に変遷してしまっているようだ。昭和の時代から平成に移ったのだといえば、簡単だが同一世代だけでの付き合いしかないことが組織としての厚みをなくしてしまっているような気がするのは私だけだろうか。そんな山のクラブの中にご夫婦で山に来られる先輩のOさんが居る。

Oさんは、事業部は異なるものの、当時から開発を先導していく立場としてCADなどの技術に傾注されていた。私は、といえばソフトウェア開発という括りでコンピュータを日常的に利用するということから、インフラとしてのネットワーク整備などの社内委員会などでお会いしたりすることなどがクラブ以外の接点であり、転職前に技術管理に転籍したころは、より身近な分野としてお話しする機会も増えていた。技術管理という仕事を拡大解釈する中で当時の私が描いていた、エンジニアのコミュニティ創設という考えをミニコミ誌という実証実践をしている中でも、配布していたように覚えている。あいにくと全社活動というところでの文化醸成に至る前に、休刊のやむなきに至った中でネットワークなどを利用したいと思っていた矢先に転職を契機にメールと会員制掲示板というこのOneWayBlogのような仕組みの中でようやく有る意味でやりたいことに到達したのは皮肉な物でもある。Oさんは、私から送付する独り言メーリングリストをよくアクセスしてくれていて、こちらでもOさんにアクセスいただいたことをログから確認できると嬉しいものであった。

Oさんは、今回会社から示されたライフプランに応募されることになったと話してくれた。プリント板CADという分野で最先端の仕事を追及されてきたOさんにとっては、取り組んできた技術を集大成として技術書を発行したいという思いがあるそうだ。これについては強く共感するもので、Oさんの行なわれてきた組織での雰囲気をそうしたOさんの発言から羨ましく感じることが出来ました。Oさん自身も意識共有するための仕組みについていろいろな取り組みもされてきたようですが、会社のリストラクチャリングの中で会社としての強みをなくすようなコミュニケーション活動についての会社側の無理解があるのは、今でも変わらないようです。社外の2チャンネルに内情告発もどきで懊悩を書き込んでいる方もいらっしゃるのですが、社内でそうした活動をするインフラすら持つことが出来ないのは、プロバイダをしている会社とも思えない紺屋の白袴といった感じです。Oさんが寧ろ技術書を書き起こすことで、より広く貢献することになるだろうということは素晴らしいことと思う反面、社内で横展開出来ることが出来ないことに対する悩みを感じ取ったりもします。

ライフプラン活動という形で会社が資金を用意してくれるという姿を提示されるなかで、積極的に活用することでOさんのような形で、会社も含めて貢献していきたいという動きが出てくるのは良いことでもあるでしょう。会社を自己都合で退職してしまうことでは、退職金の額までも半額になったりする取り決めだったりするのが現実でする。そんな中で会社から提示された満額回答あるいは+アルファという内容に応えていく活動を自らにしていくということもコミュニケーションを重んじる意気を感じます。後進に道を譲りつつ、さらに外部から支援を差し伸べていくという考え方は、より前向きな技術者人生として、尊敬していく人物の一人でもあります。自分自身のライフプランを先ず自分として納得のいく形で考えて、家族を説得していくということを進めていくことからより良い結果が、自身の納得のいく生活に根ざして家族の協力があり幸せに繋がっていくものだと思います。私自身がOさんと同様な活動を取った結果は、必ずしも元の会社に対してよい薬になったとも思われないのですが、まだまだインキュベータの心をもって技術提供と共に良い成果が得られるまで対峙していきたいと考えています。

業界独り言 VOL292 世代交代の始まり

私の後任としてプロセス改善の仕事を担当されてきた後輩Aさんが、更に後任に引き継ぎ卒業されることになったとメールが届いた。OBとして余り表からは評価されない地道なプロセス改善をしているグループに対しては、転職以来地道な支援活動を続けてきたのであった。支援活動といっても独り言としての声援だったり、プロセス改善活動の過程のきっかけとなる憩いの場を提供するための素材の送付だったりしたのだが・・・。素材は、コーヒーなどと相俟って効果を見せてきたということが後輩Aさんからは報告されてきた。ある意味でエンジニアグループとしてのモチベーションの維持改善をしていく上でも、そういった部分が必要なことなのだろうということは、私自身が担当してきた17ヶ月足らずの間にも感じてきたことでもあった。だからこそOBとなった段階で支援活動に駆り立てられてしまうのだった。後輩Aさんから時々呉れる素材送付に対しての到着確認のメールなどで見聞きする中でも悩み深い様子が見て取れたのであり、支援活動を続けてきたことに繋がっている。優秀なエンジニアが居場所がなくなってしまうような状況なのかと思う反面、個人個人の家庭生活も含めて人生設計の中での展開なのだとも思う。後輩Aさんの新しい人生展開に向けての声援をさらに贈ろうと思っている。

後輩Aさんの学校の後輩にあたる、やはり優秀な組み込みソフトウェアエンジニアだった後輩Bさんがいる。実際の開発現場の中で先端製品の開発を具現化する中で壁に当たり学究生活とは異なる中での組み込みソフトウェアの開発エンジニアを生活に早くに見切りをつけて、中学校の教師生活に転進している。優秀なエンジニアであり残念ではあったものの華麗なるフィニッシュを決めての転職顛末は誰の眼にも鮮烈だった。世の中には優秀な人間は居るもので、プログラム開発などをしてもたいした問題も出さずに難しい課題を解決してしまう人がいるようなのだが、そんな人材だった。そうした優秀な人材を手放してしまうことになる会社の仕組みはいったいどんなものなのだろうか。人事的な考課からいえば、上司である私の指導能力に課題があると片付けてしまうだけなのだろうか。教師生活に移った後輩Bさんも既に十年の教師生活となったそうで、エンジニア生活などは遠い過去のことらしい。既に後輩Bさんが教えた中学生がエンジニアとして就職したりする時代になっているということも考えると味わい深いのである。素敵な先生にきっと優秀な教育を受けた子供らが素直に育って輝く世代のエンジニアになって欲しいと思う。

世代交代は、なにも個人の動きに限ったことではないOEMメーカーとしての開発チームの動きなども世代交代が起こっている。メーカーとしての開発に対する進め方、考え方といった文化までも変容していくには五年もあれば充分なようだ。文化継承がスムーズに行なわれているケースもあれば、衰退といった形になっているケースも眼にする。フィードバックが良いサイクルとして経験していった場合や、経験に縛られて新しいものについていけないといった違いが段々組織を変容させていくようだ。アウトソーシングを徹底しているということは最近の流行なのかも知れないが、アウトソースしたリソースに対しての文化継承という点については難しいのではないかと感じている。多くの機種開発を異なった開発リソース投入という形で成し遂げてきた場合に世代交代がスムーズに行かないというように見受けられる。アウトソースした人材達を社員のように手厚く管理指導したりしても、アウトソースした人材同士のコミュニケーションを支えるに必要なプロパーなリソースが無ければ正しい技術蓄積や文化形成に繋がらないようだ。

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業界独り言 VOL291 技術革新は、何を目指すのか

五年勤続の記念ギフトの案内がメールで届き、記載されていたイントラネットのリンクを通じて記念品を選択するようにというメールが届いていたのは昨年の11月頃だった。実際に勤続年数が達したのは九月のことだったのだが、外資の会社での中途入社のメンバーばかりで構成されていると日本の会社のような創業記念日に祝いを受けたりするという構図にはならないのである。年末には選択した立派な木製ダーツボードがアメリカから届いていた。中国製とかかれていた立派な品物だったが、貿易は米国に輸入されてから、日本に発送されてきたようだ経済を回しているということには繋がり活性化の一助にはなっているのだろう。年が明けて、米国本社から五年勤続の表彰状が贈られてきた。日本ではたかが五年でと思うような期間であると思うのだが、転職などのオファー条件で提示されるストックオプションが全額処分出来る時期とも重なりある意味で大きなターニングポイントであるわしい。今までの数限りなく届いてきたメールの中には、五年の年季があけて次のステップに踏み出していった仲間もいたし、そうした話を寂しそうにしていた仲間もいた。

Quad社のような技術追求型の会社の中で仕事を続けていると、どんどん新しい技術が入ってくるし、またそれに呼応して組織も変遷していく。大切なことはビジネスを続けていくためにどのようにしていくことが必要なのかどうかということを徹底していると思う。1Xで立ち上がった会社ではあるものの、主要なリソースを3Gに向けて大きく広げていく舵取りをしている。アプリ拡大という要請の中でアプリプロセッサとしてのアーキテクチャ開発研究も実際のビジネスの渦中に実践して提言をしてはみたもののOEMの触れてはいけない領域に立ち入ったと映ったらしく、立ち上がらない技術となった。ビジネス範疇の中で在るべき姿を追究していくことから出てきた路はワンチップとしての追究ということでもあった。ワンチップとして出来上がるのがベストであり、その延長上に別の意味でのアプリプロセッサなどが必要になっていくという図式を描きなおして基礎追究成果をワンチップ環境の上に書き直していった。

異能の技術の系譜としてアプリケーションオリエンテッドの事業部で進めてきたアプリケーション構築の為の協調型バイナリー実行環境の技術と第三世代としての無線システム構築技術追求の姿が融合しあう時代がやってきたようだ。通信キャリアの違いなどを抜きにして共通の技術と思えるUI開発というジャンルの技術追求というワークは、仕様書の書き方から含めてのUML記述で機能モデルを書き表したいという要望などが一つの方向なのかもしれない。そうして生成された仕様からコードを生成すればツールチェーンは完成だといったのりが聞こえてきそうです。10年前に取り組んでいた当時の先進通信端末開発というキーワードでも、今考えると稚拙ながら挑戦はしていたように思い返す。機能仕様を実際に動作させようとMacintoshのHypercardで書き起こしてリアクションなどがビジュアルに見えるようにというようなことをしてみた。当時開発していたスクリプト言語は、エージェントとして動作するように設計されていて常駐型アプリと飛来型アプリというような構想の下にしていたことを思い起こさせた。

残念ながら神戸の震災やらと遭遇したりしつつ、この開発自体はフリーズドライ状態になってしまったものの携わってきたエンジニアの間では、期待値がそのままに記憶の片隅に残っているようだ。最新の携帯端末開発最新事情という見方をすると、当時はスクリプトを開発しつつもソフトウェア開発環境としての仕上げのワークや、実装の観点からのウィジェット部品などの追及やらと最近の仕事と符号する部分も多いように思い返す。当時の皆さんのご賢察を有りがたく思い返しています。私の中に残ったイナーシャでプロジェクト凍結後に出来たことは組み込みJavaでの機能仕様から実装までのツール連携ということでしたが、それも志なかばで止まってしまったように思えます。中々時間も掛かりつつ、実際の開発に展開できない場合にはこうした技術が表に出にくいというメーカーとしての事情が出てしまうからでしょう。それ以上にリーダーとしての私の資質が不足して周囲の説得などに当たることが出来なかったからということが、大きな理由だったのでしょう。

周囲の状況と乖離してしまうような中に現場を置いてしまい、周りとの理解がずれてしまうことでは決して仕事はうまく行かないものなのでしょう。最新技術の追求と共に伝道者のような語り部をおき、啓蒙活動を続けていく大きな意味でのチーム活動が必要なのだとも思います。大きな懐のリーダーの配下で蓄積されてきた開発資産という見方をすると、確かに開発者の意識や資質も充分に育っていったのではないかという確信がもてるチームも居ました。そうしたチームを目指してはいたものの、自身がリーダーたる資質に欠けていたのだなあと思わざるを得ません。技術革新の追求の目的を明確に訴えてロードマップと共に追求してきた成果は、最近のビジネスではベンチャーの自立から売却までという流れが一つのアクティビティともいえます。ベンチャーとして独り立ちを目指すような尖がったテーマを追求して、会社の売却に繋がったという流れは、まさにそうした切磋琢磨の結果だといえるのでしょう。こうしたリスクを日本の社内開発で中々取れないのは会社としての開発投資というものの考え方が変わってきたからでしょうか。

ベンチャー的な仕事、いわゆる楽しくなるような、熱くなるような気持ちが持てる仕事というのは、リーダー次第で進められるものだと思うのですが会社の屋台骨を支える端末開発事業の中での責任範囲をこなすので一杯になってしまうということも多いのでしょうか。開発環境などの追求をある意味で長年手がけてきた結果として、今ではQuad社としてのパッケージあるいはソリューション展開のお手伝いをしている訳ですが、内容としてはまだまだユーザーニーズに応えられていないかなという思いもあります。また最近では開発の効率向上という目的で新たな開発環境あるいはプラットホームへの移行が叫ばれて知己の多くがそうしたプロジェクトで忙殺されているようです。効率向上という目的と以前と同様な事までを達成するのが大変という事情は何かおかしな気がするのですが、誰かに聞いてみたい気がします。携帯電話を開発するために作られたOSの筈なのに、「今までの機能実現をするために必要な部品が不足して100億円以上の開発費を投入して整備が出来ました」という会社もあったようですし、ではそれ以降は順調に開発が拡張していけるということなのでしょうか。

CPUの処理性能が向上してきたのは事実で低消費電力と高速化の達成とが出来るように半導体の製法が進化しています。しかし、そうした性能向上をどのように生かすのかという視点での技術追求が果たして為されているのでしょうか。開発効率あるいは端末付加価値といった視点で、実際のプロジェクトが推進されたり中止されたりします。そうした中で何が鍵かと言えば、皆さんはソフトウェアの開発が鍵だと仰っています。確かに3Gプロトコルの開発は大変だったのでしょう、でも実際にQuad社も含めてそうしたワークは完成度があがり次のステージに移ろうしています。3GPPでスタンダードの改版があり将来を見据えてまだまだ仕事がありますという人もいるのでしょうが、果たしてモデムプロトコルが開発の難しさの中心にはいないはずです。懸命にそうしたワークを追求してきたQuad社のチップセットを利用した中国メーカーが半年ほどでニートな端末を作りえる時代になってしまうのですか。アプリケーションとしてのテレビ電話や国内キャリアの非標準的な仕様のネットワークでの接続性までも達成できた今、メーカーとしてやるべきテーマは違うはずだと思うのですが・・・。

かつて携帯端末で何をしたいのかという理由で、スクリプティングやエージェントで熱く楽しんでいる研究者達が居ました、そうした開発成果を生かしてビジネスとして活用できるような端末やインフラを構成したいという思いを持ちました。未だに、まだそうしたところまでは達成出来てるとはいえないようですが、勝手アプリの世界で少し似たようなことは出来るようになってきたかも知れません。今、端末開発の現場で起きていることを考えると1000台程度の企画台数の専用の携帯電話を起こすことなどはQuad社のバイナリー環境やキャリアの標準化構想の中でもミート出来る技術とはいえないようです。今年、各通信キャリアが目指しているのはそうした端末競争の次の段階としてもっとカスタマイズが可能なUIを実現するための技術だといいます。フラッシュのUIなどがフォーカスされてはいるようですが、果たしてメールやブラウザの開発などにもミートするのでしょうか。きめ細かなUI開発をサポートするWYSIWIGでDrag and DropなVisualStudioのような道具も登場してきましたが、果たして開発効率の向上という観点でそうした技術で達成できるのでしょうか。

面白い事例となるような事件がありました、国内の通信キャリアに新しいUI技術の説明にいったのですが、ある意味でCPUの高速化という流れも含めてその技術の目指していることが今までのUIソフトウェアの開発スタイルからいうと革新的であるという評価が為されたようです。残念ながらそうした技術が動作する環境がQuad社固有のバイナリー実行環境であるということから、彼らの顔色が無くなりました。今まで共通化として進めてきたプラットホーム路線とミートしないと考えたのでしょう。彼らから出てきた質問は、ライバルの技術を教えてくださいという内容でした。私たちは彼らが想定していたであろうものと同様なものを説明して、リアクションとしてはある意味でしょげてしまったようでした。大きな誤解があるようなので、Quad社のバイナリー環境自体がチップセット依存あるいはプラットホーム依存をしていないことをロードマップも含めて少し話をすると嬉々として顔色満面になられてミーティングの後は、エレベータホールまで挨拶に来られてしまう状況となりました。まだまだ技術としての展開にはビジネスモデルも含めて課題はあるものの、現在の携帯電話の開発での課題を解決することについて大きな手ごたえを感じることが出来ました。

技術革新が目指す過程で最後に、その技術の結果が実はUIの仕様追及などをしている国内トップの通信キャリアの方達の仕事も失いかねないようなことに繋がってしまう可能性もあります。この技術追求の結果は、人柱となっているような開発の蟻地獄に朗報をもたらすものかもしれませんし、意義の無い仕事を失ってしまうことにも繋がるでしょう。実際には今まで対応が出来ていないような端末開発にも対応が出来るようになり開発効率も上がり八方まるく収まるかもしれません。しかし、技術革新の歴史を紐解いていくと必ず技術革新による結果として度々繰り返されてきたシーンがあります。こうした動きのなかで、自分達の進めている内容がより高次な形で活躍できるのは確かなので、また新たな再生が始まるのだろうと思っています。こうした新しい技術革新はUIのみならずに今年色々な部分で出てくるものだと思いますし、Quad社自身そうした流れの変化を嗅ぎ取りシフトして対応して、また脱皮変容していこうとしています。楽しみな一年になりそうです。