三月末で、ニフティサーブが終了となった。かつては日経MIXや電機メーカー中心のネットも存在していたが、いまとなっては最後の牙城として残っていたのはFUJITSUと日商岩井で始められたNIFTYのみとなっていた。パソコン通信の時代から始まった電子メールは、センター集中型のシステムとして大小の規模の差はあれ、電子フォーラムなども運用されたりしてきた。 パソコン通信の始まりは、当時の端末事情も反映してかワープロ通信なる言葉も生まれたり、端末としての通信ワープロなる通信モデム搭載の機種も時代を反映して登場したりもしていた。事務処理のアウトソーシングなども兼ねた電子データの交換手段としての通信方法論であったりもしていた。DOSマシン上で動作する同時に複数の通信回線をサポートするためのソフトウェアや複数のモデムを収容するためのシリアルカードなども登場していたのを思い返す。
ソフトウェア開発環境に登場した、UNIXマシンなどの登場や普及が始まった時代背景などとのマッチングもあったからだといえるだろう。もともと自社サポートネットワークとしての位置づけなどもNECや富士通といったコンピュータメーカーの背景にはあったのだろう。パソコン通信をベースとしてドキュメントの配信やらソフトウェアコンポーネントの配信なども可能になったのは1980年代の半ばからだっただろうか。モデム搭載の富士通の 通信ワープロOASYSなどが登場したり、通信機能が使いこなせそうな持ち歩ける98LTなどが登場したりして機動力が増したと感じた。当時は、開発環境としてのDOSではなくて、TERM環境を通して会社のUNIXマシンが呼び出せるようになったと感じたりしたことでもあったからでもある。当時のパソコン通信を使ったのは電子会議などの仕組みを利用して同志を探したりすることが目的であったかも知れない。
そんな時代から20年あまりが経過して最古参のNIFTYサーブもベースとなったCompuServe自体が既に終焉している中で 、孤軍奮闘してインターネットの時代としてのWebベースのシステム運用と共に旧来のモデムで接続するパソコン通信システムとを一体化して運用してきた。通信ワープロなる言葉が生まれたり、携帯型PDAのようなものもそうしたインフラをベースにして新規事業を模索したり需要を喚起したりしてきた。ADSLが普及してインターネットが過去の負債のようなISDNインフラを否定して単なる電線レンタル事業に貶めたりしたような印象もある。最近ではISDNのTAなどを買い求めようとしても黄ばんだ箱の商品しかないような印象がある。ISDNの開発に敬意を払い、2B機能をフルに活用してアナログFAXとアナログ電話を相変わらず利用しているのは何か間違っているかも知れない。