花よりもなほ・・など

日曜には、この映画を楽しむことが出来ました。天下泰平のお江戸での仇討ちエンターテイメント、岡田准一さんの初主演作となり楽しむことが出来ました。脇を固める人たちも素晴らしくすっかり江戸時代の中を生き抜く中での刃傷いや人情を味わうことが出来ました。キムニイの味わい深い演技?も素晴らしく、最近は欠かせない寺島進さんや宮沢りえさんの演技も楽しませてもらいました。こうして邦画を楽しむのは、また格別です。先週楽しんだ間宮兄弟では一人で楽しんだのですが、今回は夫婦割引で楽しんだので2000円で二人というわけで、とっても気軽にリーズナブルに楽しむことが出来ました。

カーテンコール

横浜シネマ倶楽部の主催の映写会で「カーテンコール」を見た、昭和の映画館の栄枯盛衰の流れの渦中を生きた幕間芸人の人の取材を通じて、在日の人の人生や親子の絆が取材する自分とも重なりつつ人生の妙味を教えてくれる。映画自体は、リアルタイムに見ていたのですが、二度目でも緩んだ涙腺はとめどなく流れて仕方がなかった。おりしも横浜の映画街は衰亡の時期を過ぎて、こうしたボランティアの倶楽部となって映画好きの方たちが理想の映画を志向する流れが出来ていたりする。シネマコンプレックスで限られた受け狙いの志向の映画のみがもてはやされやすい時代になりつつも、運営の母体の方針次第ですばらしい映画は廃れることなく続いていくと信じている。DVDで最近購入しなおした、「Allways三丁目の夕日」でも泣きはらしてしまった。 良い映画をリーズナブルかつタイムリーに見ていくためのよいシステムには期待しています。

夏休みの展開か

急な展開で、IEEEの会員になることにした。入会手続きはきわめて容易なのはインターネットの時代ゆえなのかもしれない。なぜ今更に入会する気になったのかというとあるカンファレンスに参加しませんかという問いかけがお客さまとの間であったからなのだが、よくよくスケジュールを確認すると暑い夏のさなかに南半球で開催されるということで細君にも問いかけをしたりする展開となったからでもある。まあ仕事でいくのか夏休みで行くのかは別にして予定としてブロックするようにした。今までに学会らしいものに入ったことがない私だったが、ひとつには電気通信学会への加入処理を郵便局で行った際に振込み手続きが正しく行われなくて郵便局の担当者の対応にいやな思いをもった事件があったからでもある。上司からの推薦で加入する手続きをしていたのだが、実際には払い込み手続きの郵便局側が過ちを認めないということがあり、私としては参加すべき時期ではないと判断したからでもある。今回はクレジットカードであっというまに手続きが完了して、その場で会員番号が付与されるという手続きの展開となった。

梅雨のさなかに

じめっとした梅雨にあっては、はっきりとカラッとした回答が欲しくなるような事態に遭遇すると、両面からやりきれない気持ちになったりもする。まあ四季のある国で過ごしていることが原因かどうかは不明なものの、もって回ったような説明をしたがるのは日本人の特性かもしれない。忙しいさなかの将来ある顧客との重要な打ち合わせを放り出して、一日かけて二時間弱の打ち合わせのために飛行機で西を旅してきた。新しいお客様を迎えての仕事にあたってはメンタリティや感性の違いからなかなかコミュニケーションがうまくいかないのは仕方がないことでもある。言葉が同じであっても難しいのである。メールや電話だけでは解決しない問題があり、結局のところANAやJALのお世話になって時間をつぶすことが必要不可欠になったりもするのである。インターネットで解決しない問題なのである。

思い出したように古いICEコントローラのことを思い出して当時のミニコンの写真を検索して見つけ出した。4KWのワイヤメモリーを搭載したミニコンでターゲットマシンにはこのミニコンからDMAで転送を行うといった仕掛けだったので、ソフトウェアのパッチ自体は、このミニコンのメモリを書き換えることで行い、ダウンロードをしなおすという時代でした。ちなみにまだFlashはおろかEPROMも登場する前の話です。マイコンというよりはマイクロコントローラーという時代でしたし、実際問題ソフトウェアは機械語と中間コードで書かれていましたので新人エンジニアとしてのスタートでショックを食らった印象があります。マイクロコントローラーに搭載されていた機能を使って簡単なデバッガ機能を実現していたのが当時のICE?でしたが、レジスタ読み出し機能がなくて閉口した思い出があります。で・・・当時のグル達がどんなデバッグをしていたのかというと、レジスタをメモリに格納する命令をで次の番地を書き換えて、ステップ実行させて当該のメモリを読み出すというものでした・・・。

よくよく調べてみるとチップにはレジスタを読み出すいわゆるコンソール機能が搭載されていたので、この機能を使って外部LEDに表示するような回路を設計して実装してデバッグに利用して便利に思っていました。私は、コンピュータメーカーでの研修時代に使ったパネルと同様なレジスタ選択のスイッチをつけて16ビットのLEDを並べて内容を表示することで、グル達とは一歩距離を置いた形でのデバッグを始めました。このミニコンのパネルをみるとそんな時代を思い出します。

 懐かしい私のICEコントローラです

時の狭間に

外資に転職して7年が経過しようとしている。99年の七の月を目前として自暴自棄になっていた訳ではないものの多年の経験で現場から離れることを要求されるような事態を迎えていたのは日本企業では普通のことでもあった。奉職して23年が経過して一つの会社でソフトウェアに関する経験を積ませていただいたのも何かの縁だったし、そうした縁を通じて外資ベンチャーに転職したのも、また一つの流れだったかも知れない。当時の思いをつづった転職顛末記のダウンロードはどれほどのものだったかは不明なのだが・・・。開発最前線の支援という職業に転じてからは余計に時間が短く早く過ぎるようになっている気がする。多くのタイムゾーンの狭間に暮らしているせいかも知れない。 通算して30年という長きに亘り仕事が出来ているというのも幸せな限りでもある。

残念な初戦となってしまいました

四年前の時には何をしていたのかというと、携帯ワールドカップに出場して名古屋地区をはじめとするテスト風景の中にまぎれていました。気がつけば、泊まっていたホテルのレートが日曜のみ大阪での試合があったことが災いして一泊四万円に跳ね上がっていたのは、そうした状況を反映してのものだったようです。今回はドイツまではいけないのですが、ドイツで走行試験をしている仲間もいるようです。オーストラリアに語学研修に一年余り向かう知人がいるという話を細君から聞きました。なんだか今日は我が家でも世界に話題が向いています。

迷走状態の中での覇気のある動き

日本国内の携帯端末開発事情は、迷走の感がぬぐえないのはいたし方ないことだろうか、前向きに生きようという技術志向のエンジニアがいないわけではない。端末開発のお手伝いをする仕事をしながらいろいろな出会いに遭遇する、前向きに生きたいと考えている人は何人もいるのだが、実際に自らのアクションを興す人は少ないようだ。周囲の状況の枠組みに組み入れられてしまっていることに疑問を感じないあるいは恩義を感じているというのが実情だからだろう。つらい状況の中で少しでも改善したいという青い鳥症候群のように冷やかし半分ではないにしても仮面接をしたりする人はいる。その先に進もうという話になると、腰が引けてしまう感があるのは自分自身に「英語での枷が出来ないので・・・」と言い訳をしてるのに過ぎないと思う。日々のコミュニケーションとして日常化していけば会話なんて習熟するものである。その世界に進みたいのかどうかという覇気があるのかないのかということが一番私たちが気にしている点なのである。

レトロな世界に浸るには

昔は無線機の箱は修理に送付したりするのには捨てられないものだった。最近では、高機能フィルムの登場でパソコン送付と同様な形で梱包が容易に実現できるようになっている。20年あまり貸し出しぱなしになっていた(正確には未返却のまま督促タイムアウトを繰り返してきた)二台の無線機が帰ってきたのもつかのまに、ケースも再塗装のお願いをしたりしつつそこそこの修理をお願いして北陸の富山に依頼したのは一ヶ月ほどまえのことだった。そんな無線機が帰ってきて最終段の真空管はそのままにまだ出力が出来るようだった。修理に必要な部品の多くは半固定の抵抗器だったようだ。

 暖かい雰囲気のパネルです

最近流行のブログも導入するかと・・・

情報発信をセミブログのような形でMLと会員制公開の道で進めてきましたが、いっそのことブログの範囲で語らう場も必要かと準備してみました。独り言のような運用だけでは、ちょっと不十分のように感じもします。 まだ運用が慣れないので何が出来るのかどうかも含めてトライアンドエラーの流れです。過去のバックナンバーもすべてBlog形式に変換しようかとも思っているのは検索したいといった要望があったりするからでもあります。

組み込み業界独り言とは

ここでは、携帯業界などを中心とする組込業界の渦中で働く技術者の方を対象にした勝手な思い込みによるモノローグを綴っているものです。ヨタ話などもあるかと思いますが、火の無いところに噂はということで携帯業界の関係者の方々の日ごろの思いの吐露も含めて流しています。くれぐれもヨタ話あるいは噂の域を出ないものとして読み流していただければ幸いです。 このページのむトップの写真はK2というアマチュア無線機のキットの基板写真です。組み込みという定義からは少し外れるかと思いますが、無線業界で生きているものとしての嗜みということでご容赦を・・・・

小窓次郎