心配していた、早咲きの桜も今年は卒業式から入学式までの間、咲き続けるという状況となった。桜が咲き始めから満開まで11日も続いたというこの記録は、バブル期以降久々の景気の良い兆候だという。こうした状況の年は必ず景気が良いのだという、それはそれでよいことなのだろうが・・・。不況続きの中でのよい兆候というのはちょっと疑って掛かる人もいるだろう。実際問題、Quad社の株価なども転職当時の価格以上に戻してきているのも一つの表れでもあるのだろうか。こんな状況とは裏腹に、中東情勢の緊迫さなどは考え始めたらきりがないというのも事実である。イスラムの神様の前に照らしてみた場合に正義は神様の数だけあることにもなり一面的な見方のみになりやすいわが国の能天気な思考の中では混乱を引き起こしているのも事実であろう。中東情勢と株価高騰への先行きのみに意識が回りがちな状況の中で悩ましい日々でもある。
端末メーカーの人たちにとっては憂鬱な横須賀詣でも、ハイキング日和ともなれば壮年リタイヤ族あるいは元気な老人会の皆様などが元気溌剌とハイキングコースともなっている武山を目指す姿と疲れたエンジニア達の姿がダブって見える時期でもある。ビックな通信キャリアでは、社内研修よろしく各地の所属となったピカピカの一年生を何台ものバスを仕立てて見学ツアーとして社内施設を案内もしているようだ。なにせここは天上界とも三途の川の向こう岸ともいえるようなところでもあり神様ならぬ閻魔様の手の内で開発しようとしている製品のマスタープランから完成した端末にいたるまでありとあらゆる情報や現物を持って横須賀詣でをする景勝地でもあるのだ。私はといえば、四半世紀前にこそ試作品の納入やら打ち合わせやらにのんびりとハイキング気分で来ていた記憶があるくらいだ。転身を決めた直後に訪問した最後の訪問時の記憶は自身の中に結界を張っていたためにあまり覚えていないのだが、それとて、もう五年も前の話である。
路線バスが整備され、必要不可欠と見られていた宿泊施設なども建設されたのはつい最近のことでもあるのだが天上界の人々は、この地を3Gバレーとでも位置づけているようである。確かに野比からバスで入ってくる丘陵地帯の雰囲気は、どこかワイヤレスバレーの風景とも被って見えるようだ。昼過ぎからの打ち合わせという予定だったので、京浜急行沿線に住む自分としては自宅で午前中の作業を進めておきブランチを食べてから自宅を出て、京浜急行を南下するルートに乗った。潔く散り行く満開の桜が葉桜に移り行く沿線の風景は春から新緑の季節への移ろいを映しだしていた。妙に浮かれている自分に気づいたのはそうした風景を見つつ知己たちにSMS短歌を認め始めていたときだった。最近の国内ユーザーに共通して置き始めている産業革命の萌芽のような感触は、一昨日の田町でも感じていたし、その前の溜池でも同様だった。
飯田橋の景気が良いのだという話自体は、確かに今までの集大成としての蓄積が開花してきたからのことでもあろう。自由な雰囲気が結実したりする余裕が生まれてキャリアの押し付けでないユーザー好みの商品作りなどにまい進したりした成果が高評価を得てきたからでもある。良いループが構成されているのかどうかは次の課題ともいえる。五年前にやろうとした成果がようやく結実したとはいえ時間という対価の中で費やされてきたリソースが漸く最適化の流れに乗ってきた姿を羨む声は溜池などからも窺える。産業革命を確信しつつも時代の流れの中で自身のビジネスモデルとのマッピングに思いを馳せる人も居れば、変容しつつある自身のビジネスモデルからの脱皮を考えている個人や会社などもあるようだ。残念ながら、会社の場合には新たな方向性に切り替えていくということを許容できかどうかには大きな壁があるようにみえる。
窮鼠猫を噛むではないのだが、パケット料金の固定性や端末魅力など通信キャリア指導で進めてきた方針が市場と乖離してきたように見えるのは数字にも表れてきたようでもある。二兎を追いかける状況からの脱却にようやく漕ぎつけようというのがトップキャリアの状況なのだが、IPベースの世界としての運用を図っていけるにはまだ一年以上を要するのは想像に難くないのであり、このま逆転するのかという意見もあるのだが、果たしていかなものだろうか。興味深いことは、ユーザーの視点から見た上でのソフトウェア開発の方向性において何か大きな舵取りのミスをしてきたツケがこれから、一位を争っている二つのキャリアともに見受けられることでもある。技術的に自信をもって取り組んできたアプリケーションプロセッサを成功させた端末メーカーはどこにも見られないようである。端末を買い換えた人をがっかりさせた点には、ユーザーインタフェースを軽視したツケがあるようだ。
無論デザインのみで買い換える人も居るのは事実なのであるし、高機能を頼りに買い替えをして人もいるのだが、その高機能が既存端末とのギャップを強調してしまいキャリアとしての自己矛盾を通して評判を落としてしまっている場合も多いようだ。端末メーカーが積み上げてきたソフトウェアの蓄積を破壊してしまいかねないのがプラットホーム戦略の難しいところでもある。かくいう私もシーズン毎の端末切替により最小サイズの端末を選択したのだが、シンプルな機能に満足している。スクリーンサイズのQVGAはオジサン状況の私の視力を支援してくれる特大フォントをサポートして綺麗なメール表示をしてくれるし、VGAサイズのカメラ機能は無理の無いバランスでメモとしての写真撮影などを軽快に支援してくれる。機能競争の渦中としてのメガピクセル携帯という状況ではあるものの、華美な競争に走らない端末を作り出してくれる端末メーカーを許容するキャリアには余裕も感じる。
WCDMAにシフトしようとするキャリアにとって、安価な端末を生み出すソリューションが無いというのが大きな足枷であり、こうしたことが華美な端末を加速しているのも理由の一つなのだろう。まあ端末開発費用としてのソフトウェアコストが共通プラットホームによりコストダウンが達成できるはずというのが期待値でもあるのだろうが、ベースとなるBOMが高すぎるのも問題を複雑にしている。また新しい端末プラットホームで共有化できたのはカタログ性能としての待ち受け時間という従来からのキャリアが重要視してきたポイントであり、これは大きな成果でもあっただろう。しかしもとよりモデム開発費用がプラットホームで達成できたからといって端末ソフトウェアの積み上げの匠の技が生かせなくなってしまったのも事実であるようだ。
必要とするハードウェアリソースの最適化といった視点などから、ワンチップで仕上げることの重要性を追求していくべきは、本来は国内メーカーであるべきなのだが、今まで言い訳として使ってきたことの裏返しとして通信キャリアが端末の作りやすさといった視点に端末仕様をすり替えてしまったのだろう。BOMや開発費用を通してユーザー貢献が出来るのかどうかを問い続けてきたのはソリューションカンパニーとしてのQuad社としては素直な成果なのだが、端末メーカーは素直な感性を亡くしてしまったように見える。トップを虎視眈々と狙うメーカーやキャリアには、ベンチャー的な要素が見受けられるのだが、なぜかトップになってしまうとそうした部分が失われてしまうのは不思議と共通しているように見える。国内においても1Xのトップメーカーを追い抜いたメーカーも今ではいつか来た道を繰り返しているようだ。通信キャリアにおいても必ずしも、トップランナーとしての走り方を認識しているとは思えないのであり、同じような道を繰り返してしまうのではないかと考えている。
端末メーカーの隆盛衰亡を見てくる中で、これから伸びるのは衰亡の底を味わいつくしたメーカーではないかと思っている。事実、そうした端末メーカーが現在のビジネスの中からの不死鳥のような再生を期して革新的な取り組みを果たそうとしているケースがある。スパイラルな開発形態をとるのはそうしたプロジェクトならではのことでもあろう。彼らが、その開発の中で大事にしようとしているのは、新しい端末プラットホームの上で彼らが蓄積してきたユーザーインタフェースとしてのノウハウを実現しようということである。プラットホームを選択した段階で無線機としての性能追求などの話についてのエンジニアリソースなどはバッサリと斬って捨ててしまったのである。外注に丸投げするでもなく、自分達でコアの部分を押さえた上での実装作業などの受託依頼などを効率的に進めようというのは今までの国内メーカーのやり方とも異なる新しい姿である。
シンプルな実装で懐の深い端末作りの支援が出来るというのが、現在Quad社が推進しようとしていることである。しかしこうしたことが必ずしも1X陣営としての姿にマッチしているとはいえないかも知れない。前述のような姿を推進実現しようとしているのは、なぜか国内のUMTSキャリアだったりするのである。アプリケーション開発を端末メーカーと協力会社の関係をすっきりとした形にするためにもQuad社の考えるプラットホームは大きなステップとなるはずであるのだが、トップに立とうとしている通信キャリアや端末メーカーたちの現在の姿が必ずしもそれを表しているとはいえない。確かにUMTSもQuad社のビジネスでいえば重要なポイントであるのだが、転職するころに考えていた姿では、1Xベースの端末メーカーやキャリアのアプリケーション開発が花開くという予測からいえば、この予測は外れてしまうのかも知れない。皮肉なものであるが奇しくも私が予言したことと現在サポートしている担当としてのUMTSから言えば当りともいえるのだ。田町も溜池も新プラットホームベース端末にご執心なのであるが、開発をリードしているのは何故か六本木を目指す端末メーカーなのである。全く期待されていない端末メーカーに私達が期待を寄せているのは不思議なものである。