業界独り言 VOL296 組込み大国の岐路

桜が満開となり、また新たな年度が明けたのだが、果たして組み込み大国日本にとってこの新年度は、いかがなものであろうか。携帯電話という切り口での偏光グラスで見ているからなのかも知れないのだが、携帯業界には、まるで山火事とも映るような猛烈な花粉を噴出しているような状況もあるようだ。そんな製造業としては景気回復という尺度になったというのだが、その理由が団塊世代の人たちの退職などにあるのだとしても、現在の財務内容とこれからの期待されるビジネスプランの実像の健全さに問題がなければよいのであるが・・・。端末開発に必要な開発費用というもの内訳を合算した上で、端末事業としてのボリュームを考慮に入れた上で採算が取れるのかという観点でみると甚だ怪しいという会社が多いのではと感じている。無論開発投資として、有形無形の資産価値が生まれるという費用の処理方法もあるのだろうしそれぞれの会社経営の考え方に口を挟む積りは無い。ただ開発に従事されているエンジニアの方達が活気に溢れ目が輝きという姿になるというのが開発投資という姿だと思うのが正直な個人としての感想である。

新年度にあたり、体制刷新や再生を期しての合理化に賭けるという会社もあるようだ、後進に道を譲り外郭からサポートをすることにしたのだという先輩もいる。長きに亘る海外での開発リーダーの経験を持つ先輩であり、人望も厚く後輩の指導にも長けたこうした人材を流出してしまうということについては些か残念に思うと共にデジャブのように思い返すところもある。外郭からサポートするという心意気を持つのは旧きよき時代を過ごした仲間ゆえなのか互いに精神を共有するところなのであるが、果たしてそうした偏執的な会社への愛情が傍から見て理解されるのかは別問題である。ましてや10年経てば会社の気風も文化もすっかり変わってしまったのではという危惧もあるのだ。ここ数年で大会社病と呼ばれるようになってきた顧客先などを見るにつけ、現在でも頑張っている闊達な雰囲気を持つお客様には強く応援をしていきたい衝動に駆られる。そうした部隊が一部にでも熾き火を持っていればと思うのである。

元気のない国内の多くのメーカーとは状況が異なるのが、同じアジア東地区の隣国である。文化的な背景や現在の伸び行くそうした国家のとりうる姿が、おしゃれに映る日本の現状などとかぶり国内の格差が広がる中で国策として反日に動くという状況でもある。実態として先進の部分でこそ日本の今までの成果に憧れを持ちつつ嫉妬も深いということでもある。ともあれ伸び行くそうした国家との物価格差を契機にしたにしても、今ではすっかり元気になりパチモンメーカーとは言わせない欧州の血統を組むデザインと熱き血潮の流れによる開発の勢いで国際化をすっかり果たして普通に英語を駆使して国際感覚で開発を進めている。彼らの中では社内がライバルであると共に共有した情報をベースに効率よく開発を進めていくスタイルはアメーバー経営とも異なるようだ。日本が組み込み大国となりえた時代に始まった崩壊の序曲は、やはりゆとり教育などと称して国際化を目指すでもなく自律する推進力を忘れて道を誤ってしまったように思い返される。

トップであることの責任を忘れてしまうことが往々にしてあるのは、別に国のみに限ったことではないのだが、こうした時期にトップメーカーになったメーカーや組込み大国となった日本の双方が同様な経過を辿った様に見えるのは私だけだろうか。組込み大国として一気呵成に積み上げた世界はTRONと共に消えてしまったのだろうか。追走してくるアジアの国々が日本語しかない組込み大国の文化の中で開発に取り組んでいこうとした流れを支えることには注力されずに組込み鎖国となってしまったようだ。台頭してきた周囲の国々からも生み出されていく数々の技術や流れに追従出来ずにいつのまにか取り残されてしまったように思える。いつの間にか組込みからEmbeddedに移行した資料から日本の若者は学びなおす必要が生じてしまっている。マイスター制度が無いとはいえ、組込み大国のトップランナー達の懊悩を組み込み大国をまとめる出版物として出しなおすアクティビティを総務省主催で行っているように見えるのはちょっと残念だ。

組込み大国の流れからの失墜していく状況を少しでも打開したいと思うものの、マイスター不在の最近の国内メーカーが仕上げようとする製品を企画から離陸しない理由に高コストな組み込み開発バベルの塔がある。プラットホームを各メーカーが作り出してきたパソコン草創期からIBMPCの時代への移り変わりと同様な流れの中に入りきれないでいる姿がそこにはあるようだ。従来と同様な開発スタイルで対峙していく為には開発現場をコスト見合いのアジアに展開していくという姿を実践し積み上げてきた事例も増えている。開発コストの差は必ずしもエンジニアの単価以上の差が見えるのが気に掛かっている点でもある。まあ国内メーカーでも同様な経過を経て効率が悪化していった流れなどを思い返すと、同様な問題になっていくのではないかという危惧もある。90年代によく見られた闊達な技術者の雰囲気というものが、今はアジアの国々を訪ねてみると見かけるのだ懐かしいと感じると共になぜ無くなったのかを自問自答してしまう。

新たな開発スタイルを目指して提示する新しい技術をマーケティングとして紹介するのもサポートの仕事であり、コストバランスを失った国内の組込み業界に対して提示をしているのも最近の流れだ。しかし国内の多くのメーカーが疲弊して懐疑的になり、中々良い反応が得られない風景からも「自由闊達」という文字が見失われているように思われる。まあ、社内企業家よろしく勝手気ままに生きてきたやんちゃなエンジニアの感性が通用しないのも仕方が無いのかも知れないのだが、自分としては国際感覚として最前線にいるという認識でいるのだ。人間が生活が出来なくなるという状況に出くわすと変わっていくものなので、これから変革が始まるのだろうという気もしている。実際問題として、組込み大国の一翼を担ってきたソフトハウスというビジネスが衰退しようという流れが見え隠れしはじめており独立してパッケージ技術として下請けからの転進を模索する動きがようやく国内でも立ち上がろうとしている。

第三世代あるいは3.5世代といった端末が立ち上がるといわれて久しいものの全体として3GPPがまともにサービスされている実情は日本にしかない。GSMで培った王国を崩す理由にいたるものが狭くない国土や人口密度を持たないアジア以外の地区では見当たらないからだろう。そんな状況で日本に向けてアジアから3G端末が攻めてくるのは、形だけ対応した欧州端末とは事情が異なってきているのだ。端末開発効率も端末のデザインや機能なども急速に日本以上のものを持ち込み始めたアジアが攻め込んでこようというのである。ソフトウェアの完成度が違うと人はいうものの完成度を追求するあまりにバベルの塔となってきた歴史も含めて完成度やコストを下げる為の仕組みや取り組みが要請されるようになるのは間違いがないのである。何を差別化するのかという点は900から700に移りつつ次のステップに何社が残っていけるのかが試されているのである。端末カバーの着せ替えが買い替えの理由になる時代の中で、無為な機能競争ではない真の差別化についてこの国のエンジニアはエンドユーザーの気持ちを開発の苦しみの中で忘れてしまったのかも知れない。

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