業界独り言 VOL341 組み込み最前線を訪ねて

過日、組み込みの戦友がやっている、北千住のシステムハウスを訪れた。初めて降りる北千住の駅は、さまざまな電車が乗り入れる都心へのハブとなっているようで、下町の雰囲気と都心へのゲートウェイとがミスマッチしている印象が、また素敵だった。ここでは、マイコン創成期からの付き合いの方たちが、今では会社を興されて若い組み込み技術者を迎えながらも現役で働いていらっしゃる。社長のUさん、取締役のIさんは時間を越えて現役でソフト開発をされているのである。

組み込みのソフトウェア開発での仕事というのは、最近の状況では単発短期の小さなものばかりになってきているそうで大変な様子である。クライアントであるさまざまな会社での技術実体が空洞化が進み、単に管理のみになって理解なき状況下での管理先行という、悲しい状況がさらに悲哀を生み出しているようである。システムものという分野があり、コンシューマー用途とは異なり長らくサポートを必要とするものである。こうした分野にこそ組み込みの意義があるのだが、自前で起こしたと勘違いしたようなコンシューマーからの流用ケースを保守する状況を押し付けられるらしい。

具体的な話で言えば、最近は携帯でも話題のWindowsMobileの前身であるところのCEを用いた端末装置の増設といった流れで過去の設計を流用して適用開発したいというのである。Versionはというと、2.11とかでリモートデバッグすらも出来ずにいまさらながらにiCEでSH1のチップセットと対峙することになるようだ。当時を思い返してみれば、MSが組み込み業界に殴りこみをかけたかの印象があったのも事実だがMSという風呂敷の中ではPDAクラスの開発規模と寿命を想定してのビジネスモデルであって、長年つかえるソリューションではなかったのである。

実際のメンテナンスというか新規開発の厳しい条件として課せられた、その開発には開発に必要な技術資料すらも手に入らない状況で、ようやく学校の図書館の書庫から当時の雑誌やらを探し出しての対応で実務に漕ぎ着けたようである。そんな状況が、クライアントの会社の実情を物語っていて、その会社での技術力というものが存在しない、仕事単位での村社会を構成しているというのも寂しい話である。隣が何をしているのかも知れない、開発した実績や共通化の話などいくらでも活用できるチャンスがあるのが、そうした大メーカーでの差別化要素なのに、実際のところ各自の仕事の範囲で責任を殻に閉じこもってしまうという体質らしいのだ。草葉の陰で悲しむ大先輩の人たちが多いのだろうと思う。

与えられた仕事をチャンスとして自己の挑戦をしていくというのが、本来のエンジニアとしての取り組みだと思うのだが、それがなければ単なる役所仕事である。何が楽しくてそんな役所仕事のようなスタイルに閉じこもってしまうのだろうか。楽しそうにやっている先輩をみつけて、その背中を仰ぎ自らも挑戦しつつ教えを請うといった絵などは、とうてい現実から乖離しているということらしい。本当にこんな会社ばかりになっているとは考えたくもないのだが・・・。エンジニアとして暮らしてきた時代がマイコン創生からバブル越しまでの中で現場にいたということ自体も異常なのかも知れない。
どこかでソフトウェア技術者の30才定年説を説かれていたが、そんなことは世界中で日本でしか言われていない話であり、ガリガリとコードを開発されている方々に定年はないのである。 世の中のシュリンクしてしまった印象のある組み込みソフト開発の実情については、結局のところ仕事をインプットする側の問題としてさまざまないじけた状況が誘因となっているようでもある。会社の横串を通したいといってネット活動ならぬ、情報誌活動などをしていた時代から考えても後戻りして腐ってしまっているようにみえる。インフラはいくらでもあるのに何故なのだろうか。

作り上げたい製品がバベルの塔の先に行ってしまい、完成するまでにリソースが尽きてしまい泣く泣く出荷を余儀なくされるといった図式がそこかしこで起こっているように見える。先のシステム商品を開発しているという野武士のようなDNAを失ってしまった会社と、携帯開発の最先端にいる人たちの意識も似通っている部分がありそうだ。もっと強い牽引力を果たすための仕事の仕方なり刺激の与え方というものについては考えて対応していくことが必要なのだと思う。意識ある経営者の下で働く組み込み開発の担い手たる若手技術者との数時間の語らいの中で彼らがスポンジのように吸収してくるコミュニケーションを通じて飢餓状態となっているこうした若手をもっと導く仕事を引き出す政治などがあるべきと感じるのである。

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