VOL23 梅雨空からエスケープ 2000/06/30

ヘッドハント騒動以来続いてきたワールドワイドな生活も一年を経過して、次の段階に突入しようとしている。すなわち次世代の育成も含めた展開である。梅雨明けを思わせるあるいは梅雨の中の特異日なのかと思う初夏の陽射しの中で次世代の候補者とのインタビューを行なった。現在の仕事の枠組みから一歩踏み出せそうな勢いが彼にはあった。きっと秋からの新オフィスでの仕事に参画してもらえそうな感触があった。日本の技術者のメンタリティとして工学部卒業の人たちには商学部での人のそれとは違い会社とは心中してしまったような気持ちがあるのではないかと、常々感じてきた。実際昨年の東川という事例を見てもそれは明らかだった。こうした気持ちは実は一皮向けてしまう事態に遭遇すると転位してしまうDRAMのソフトエラーのようなものではないかと考えている。宇宙線の照射で誤動作するあるいはかつての紫外線で消去されてしまうEPROMのようなものかもしれなかった。
 
彼の獲得には、既にサンディエゴからの責任委譲もあって日本サイドの我々の裁量で選択の判断をしてよいことになっていた。今日彼には最後に次のステップに踏み出してもらうために英語でのレジメを書いてもらうようにお願いをしたが、実はこれが彼への最後の試験問題であった。この言葉に躊躇しなければ合格なのである。彼と渋谷の駅でコーヒーを飲みながらこうした最終試験を実施し彼は合格したのである。彼は,現在の自分自身との対峙という彼自身の最終課題への取り組みを持ち帰った。日本のお客様が立ち上がりつつある次の製品開発の始まりの時期でもあり次週からの米国出張を前に彼と面談が出来てよかったと感じている。次週からの二週間の滞在期間中に彼とサンディエゴとのテレビミーティングを実施して彼の次なる目標への意欲を固めてもらおうと考えている。見知った東川が、テレビの向こうにいればきっと彼もリラックスして話してもらえると思っている。

彼は、東川を良く知った人間であったが、本来東川を良く知る初芝からのメンバーからの申し入れを東川は待っていたのだが、なかなかそうした動きはない。東川のような感覚が異常なのかと悩んでいる。東川としては、IMT2000のストーリーも出来て今こそHDRを始めとする世界を目前に意識ある若手メンバーの賛同を求めたいのだが中々得られないのである。東川自身は、秋からの業容拡大を含めて来春からの編入も含めてより緊密な意見交換をしたいと考えている。米国の転職のそれでは一週間と経たずにオフィスをたたんで次の会社に移るのが普通と考えている事と今やっている仕事のキリをつけてから移籍したいという日本人技術者のメンタリティとには、開きがあるのは仕方がないことであった。幸い、一年間の東川らの努力から全権を委譲してもらい日本での採用についての権限をもらった今、彼らの技術者としてのメンタリティを確保しつつの移籍ということが可能になっていた。2002にはHDRのサービスインを踏まえて移動体通信を標榜する会社の人たちの中から意識ある人の思いを汲み上げたいと考えている。
 
初芝から移籍した仲間たちからの賛同を色々もらいつつ、そうした気持ちへの転位をしてしまう人の出現を待ち望んでいる自分に気がついた。来週からはサンディエゴでの時差からの独り言になり一年経過した東川のTechPaperの発行も出来そうな状況である。不思議な話だが、忙しいので時差のある国で仕事をするのである。これから技術者が増加していく中で常時一人はサンディエゴにいるような体制にしていきたいと考えるのである。梅雨空からエスケープして、またWORDな日々をしようというのである。

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