VOL36 中核技術者であるために 発行2000/08/29

旧知の共栄会社の方とお話をする機会があった。この方からは、「以前の会社の方々とお付き合いできるなんて、すばらしいですね。私もそのようにありたいと思います。」と過分な言葉を頂いたが、私自身、人生の妙の中で初芝を辞めて敵に回ったつもりも無いし自分自身の方針を変えたつもりも無い。ただ、私自身がソフトウェア技術者であるという存在理由に自分自身で問い直してみて疑問が残る状況であったために立場を変えたにすぎない。ありたい自分の姿がここには、あったからだった。
 
この方と話をした理由は、某メーカーでの開発でのご協力が得られないかという問いかけだった。転職以来、多くのメーカーを見てきた中で互いの情報共有がうまく機能しないために巡り合わない仕事も数多く存在していることはわかった。開発のための匠の技術についてなかなか横展開していくことは至難の業である。伝えようという思いが強いほど、その反動が大きいものである。ぐれてしまう訳ではないのだが、いわゆる疲れてしまうといった状況になる。こうしたことが続くことに対してがんばりを維持することは大変なことである。
 
こうした仕事の話をもちかけていくと互いの仕事のレベルの探りあいをいつのまにかしている自分に気がつく。相手も同様である。相手との接点を探しつつ実は相手の実力を推し量っている。技術者の採用と一緒である。今回は、たまたま自分たちのための採用ではなくてお客様のための紹介である。紹介するがわとしての実力を試されてもいるわけで、こうした打ち合わせは実は真剣勝負でもある。馴れ合いでの試験や情実での引き合いなどは決してない。
 
自分の眼が試されるわけであり次は、いかにそうした眼の付け所をアピールするかという点が次の取り組みになる。そうしたことが出来ないような採用はありえない。足手まといになるようなことは勿論、今後の成長までを見極める眼力が望まれるのである。電子メールだけではこうした内容は伝えられないし伝わってもこない。やはりあってみなければならない。中核技術者を求めていく自分がかって中核技術者だった時の話をあいてに伝えられれば求めていることが少しずつ相互の理解を深めていくような気がしている。
 
少し長い観点で、じっくりと裾野を広げていくために納得のいくつながりや協力の依頼や、採用などの取り組みをしていきたいと思うのである。そうしたベースには自分自身が納得のいく仕事をしていることが必要であることは否めないのである。自分自身が、いやなことを頼めはしないし、出来ていないことも頼めないものである。しかし相手には自分の困っている内容を説明し理解してもらいつつ取り組んでもらい結果として相手にも成長してもらうという自分の余裕が必要なのだと思う。日々精進、勉強である。

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