組み込みソフトウェアエンジニアというカテゴリーが最近はあるのだといい、国を挙げて育成支援しようという動きもあるらしい。体系だった形で産官学の一体化したフォーメーションで育てていくというのだが落としこむ先のメーカーには、そうした意図を受けるだけの器量があるのだろうか。組み込み技術者育成のテーマとしてロボコンなども最近ではETロボコンというらしい。どうも高専というカテゴリーがあいまいな実務向きの学校が手がけるテーマがそうした方向に展開されやすいのは致し方ないことだろうか。四半世紀の世の中の流れからみれば、マイコンが登場する以前にあったコンピュータ技術としての体系に向けて国産コンピュータの育成はIBMに追いつけ追い越せというものであった。奇しくもマイコンを開発したエンジニアが日本人だというのは誇るべきことだと思うし、そうしたDNAがもっと出てくるべきだと信じている。野望もつエンジニアというのは血液B型の典型なのかも知れないが、世界征服を可能だと信じて疑わないくらいの気持ちは何処かでもってほしいものでもある。
エンジニアとして取り組んでいる仕事の中で、なんらかの挑戦があって問題を解決していくためにアイデアを絞り出していくというサイクルを重ねて成長していくものだと思う。さまざまな困難な状況に陥るのは仕事としてごく自然なことだと思うし困難な状況が人間を育てるものだと思う。最近のOEMメーカーの苦境というもので、エンジニアが育っているのかというとどうも違うような気がしている。難しいテーマで苦労をしているのではなくて、手抜きをしてコストダウンをしろといわんばかりの要求が提示される恰も木村建設のようなクライアントからの要求で、経済設計をしろといわれて対応していくかのような仕事に手をつけたくはなし・・・。今までの仕事の流れにダウトを宣言して離職する人などは、自分の誇りをもって辞することを堂々と示したほうがよいだろう。とはいえ、日本的なメンタリティの中での仲間を裏切るような気持ちに苛まれたりもするのは良く分かる気がする。陰口を叩かれたくないという気持ちもあるのだろうげれど、そんなことよりも大切にしたいのは自分自身を裏切らないことではないだろうか。
私自身の経験からいえば、転職当時にかなりの陰口を叩かれたり、メールの受信拒否など色々なことがあった。ビジネスが始まれば毎年流入してくる人材や離れていく人材など六年も経過した今ではすっかりはるか昔の話に思えるくらいだ。そんなことに気を使うよりも、何がその仲間たちに貢献できるのかを考えたほうが良いということである。現在のQuad社の実情で言えば、実はすっかり日本法人を乗っ取ってしまうのではないかというほどある会社の卒業生の比率が高まっている。その会社から来た仲間が集まると、叶えられなかったテーマについての思いを共有しつつ視点を変えてどのように対応していけるのかという議論が始まってしまう。私自身の転機となった社内情報誌の発刊に繋がる事件のきっかけが今の社長であったりするし、その事件の当日の記念写真に納まっているメンバーがいつしか集まってきているのは不思議な偶然というか必然なのかも知れない。人と人の連鎖のような共有が新たな仕事に向けた情熱を生み出す源なのかもしれない。
古巣のメーカーとの仕事が無かったかといえば嘘になるし、その結果も封印したくなるような思いもいくつかはある。それは自分自身の原罪かも知れないし、そのような結果に至っているメーカーに対して技術提供をしていくということが贖罪に繋がるのかもしれない。中からは知りえなかった現場で見つけた様々な問題を会社を離れて、はじめてよく認識するということは不思議なものであり残念な気もするのである。子供の頃にみたアニメの出て来いシャザーンでもパパラパと合いの手を入れながら登場する指輪の精がご主人さま・・・とサポートしてくれるようなものである。ちなみに、シャザーンのようになりたいという願いを要求すると、それは必ず主人に仕えるというミッションが与えられるのである。何でも出来るというスタンスで一人勝ちをしていくのではなく、ご主人さまに仕えてそのコンサルティングに身を費やすのである。今、そんな思いで振り返る仕事も、将来を見据えた重要な位置づけのテーマを取り上げてもらった成果をQuad社自身は得たものの、古巣の会社のためになったのかどうか別問題である。
次々と登場していく技術をビジネスサイクルに取り込んでいくというのがQuad社の使命であり、それが原罪であるといえるのかも知れない。見方を変えれば、ライセンス収入で得られた原資に基づいて技術投資を続けていく最前線の環境を提供する場所でもある。一つの会社では成し得ない無線技術の開発を続けてチップ化してレファレンス提供を行い端末技術として商用化提供していくという流れは評価よりも批判が多いかも知れない。冒険を続けるご主人さまになりたいのか、シャザーンにあこがれてコンサルタントになりたいのかという選択でもある。組み込みエンジニアとしてのDNAを刺激するこうした環境を、さらに拡大していこうというのが古巣の卒業生のみならずQuad社のメンバーの総意でもある。そうして多くのお客様の開発効率を改善していこうということが古巣の会社への貢献にもなると信じている。しかし、そうした効率化により是正される部分からみれば仲間の仕事を奪うことになるのではないかという矛盾もある。悪魔に心を売ったのはどちらの立場かは互いに意見が異にするだろうが、自分自身には素直でいたいと思う。
最近、履歴書で結構みかける会ってみたいと思わせる候補者には、何故か高専卒業生が多いのである。これは、私自身が高専卒業であるから贔屓目が入っているわけではなく、熱い人材を探している仲間も同様な意見のようだ。高専卒のメンバーが良いと思う点は若いという点であり、またそうした点からくる思い切りが良いという点にも繋がっている。挑戦しようという意識が強いのは、もとよりカテゴリーがあいまいな教育の成果なのかもしれない。広く教育した成果が、やっていけばきっと出来るというような楽天的な印象すらある挑戦的なエンジニアを生み出すのかもしれない。無論、最近の高専卒の方には、技術科学大に進学する人も多いものの大学入試を経験せずに幅広い専門分野についての基礎からの一貫した教育の成果がユニークな人材を育成しているように思われる。こうした点を高専の教育担当の方々が認識しているのかどうかは別問題であり、先生方の興味は大学への編入率だったりする傾向があるのは残念な点でもある。
お客様とサポートエンジニアの立場で出会った、N君の場合には実は最近彼から履歴書をもらうまでは高専卒だということは知らなかった。無論、熱意よく頑張っている姿は印象的であり、そのお客様の仕事を離れる結果になった後に思い出すような印象深さでもあった。この夏に、実は彼にシャザーンへの道についてのラブレターのメールを送ったのだがハートに響くものがあったらしい。当日には、もう一人の候補者の方を連れて出て来たのは彼の人としての懐の深さを知ることにも繋がった。仕事の一区切りまでを遂げた上での次のステップということで実際の面接をしたのはつい最近のことでもあった。私自身が経験してきたQuad社のビジネスの上でのエンジニア生活を綴った、この独り言などをよく読んでくれたらしい。彼がプロジェクトの切りをつけてすがすがしく面接に東京の事務所まで足を運んでくれたのは、タイミングよくサンディエゴのメンバーが来ている折でもあり面接を普通なら二度行うのを続けて技術適性面接とサンディエゴの仲間との熱情を測る面接とを一日でこなすことが出来た。
彼が紹介してくれたもう一人のエンジニアも、やはり数度は米国までもお客様として足を運んでいただきQuad社の技術サポートの流れの中で会社の雰囲気を感じ取ってもらったひとでもある。この二人のエンジニアに対して面接を通してQuad社での新たなサポート体制作りの重要なメンバーとして迎えるべくオファレターをお送りして、いま彼らの新たな育成プログラムをサンディエゴの仲間たちと共に新年と共に開始するように準備を始めている。既に、新人教育用のビデオなどもDVD化して準備が出来た。昔のビデオテープでの自習トレーニングを思い出して「転職した会社で眠ったのは、こうしたビデオテープだったよな・・・」と最近のメンバーたちと苦笑した。インド人の話す英語のピッチが眠気を誘うのかもしれないが、そうした睡眠学習が功を奏したのか、昔は聞き取れなかったインド英語が聞き取れるようになったのは当時の成果もあるのかもしれない。間口の広がった今となってはDVDが山のようになっているのは英語のトレーニングでもあるかもしれない。
組み込みエンジニアとして頑張ってきた、新人メンバーを待ち受けるのは彼らの意識を目覚めさせるQuad社でのトレーニングでもある。より良いサポートに向けてプロフェッショナルなスキルセットを身につけてもらいつつ実務を通じて深めていっていただくためのトレーニングには二ヶ月を予定している。昔、新人配属先から、さらに出向させられたコンピュータメーカーでの新人教育は二ヶ月だった。30年も昔のことは参考にもならないのだが、こうした教育期間を通じて自立していけるように意識を覚醒させつつ現場の仲間との人間関係を作ってもらうことが期待値でもある。効率を考えれば、複数の新人を同時に教育するのが良いのだが、そこまで目覚めて転職にまで踏み込むところまでに至る前に、話が繋がらないのは往々にして家族とのコミュニケーションだったりする。熱い気持ちを持つ技術者の場合には、その家庭生活がスムーズに行っている傾向があるようだ。熱い気持ちを家族に語れなかったりへたったりするようでは、その後の仕事にも差支えがあるので、話が萎えてしまった場合には他をあたるしかない。チャンスは限られている。