携帯電話業界が、不振に陥っている。売れない理由を求めて高機能化に拍車がかかる。高機能化を達成していくと指数関数的に開発費用が増大していく。端末コストが高いと通信キャリアからセットメーカーにクレームがいく。チップメーカーにはライセンス費用やチップコストが高いと追及がくる。端末価格のコストダウンは標準化した部品の使用により大量発注して購買努力で下げるのが通例であるという。しかし、これは数量が捌ける時代での方法論であって現在の携帯電話の開発の実状を現しているとは言えない。
すっきりとした2番手キャリアを目指しているグループでは、なぜかすっきりとしない八方美人的な展開を進めている。端末企画を決めていくというスタンスにおいてメリハリの効かない戦略だと感じる。業界標準を指向しては失敗してきた歴史から反省し自己学習していくというスキームが会社としての無いのだろうか。個性ある端末開発には、各端末メーカーの自主性に併せていくということが望ましいと思うのだが・・・。メーカーにとっては、現在の通信キャリアはお客様なのである。買ってくれる物とは、通信キャリアが売れると思った物だけになる。いきおい、面白い端末で挑戦してくるメーカーは少ない。
ポケベル戦争からPHSに移り、エリア競争の果てに携帯に戦場は移った。ショートメッセージで幕開けた戦いは、古いプロトコルであるDTMFの鳴動時間を気にするような通信手順でデジタルなメッセージを飛ばして旧来のサーバーを制御してショートメッセージを捌いているのであった。アナログ時代に確立したPagerへの入力手段であるDTMFの信頼性は高く評価されてか、あるいは改版のコスト高を嫌ってか従来通りの利用を未だに続けているのである。昔の女子高生が覚えていた漢字入力のダイヤリングは現在では携帯のソフトが取って代わっている。
着メロが出来る様になり、同時発音数や音色の競争が起きた。電子楽器メーカーからスピンアウトした技術者と大御所のヤマハが戦争したりしている。ステレオ対応やらカラオケへのフル対応やらといっている間にアニメーションまでも取り込んでしまった。いまや、FMかPCMかといった技術論議よりも普及しているコンテンツのカバー率などで評価されるようになってきた。果てしない戦いは、音源戦争からコンテンツ戦争に変わってきた様だ。メディアプレイヤーのような位置づけのツールとしてゲームと同じように楽しめるのだ。
楽器としてゲームやJavaから叩けるような機能も音源には求められている。人間の聴覚はこんなものかと思わされるほど、単純な波形の流用などでコンパクトな音源テーブルを作る技術はたいしたものである。技術やチップの進化に応じてよりデラックスな音源になっていくのは電子楽器と同じ縮図なのだろうか。派手な音のFM音源が、このまれつつも徐々にPCMに移行していくのはPCや楽器と同じらしい。若者はFMを好み、アダルトなジャズなどのコンテンツにはPCMが向いている。しかし、年配をターゲットに置いていないキャリアは自分のドメインを正しく認識していないように映る。少子化の流れを知らぬわけでもあるまいに。
50文字のポケベルメールから250文字の電子メールに移り、更にはインターネットと同様なIMAP4のメーラにまで至っている。出会い系などの怪しげな仕組みや電話番号などの簡易なメールアドレス体系が狙われて新ビジネスやら電話代請求などの仕組みなどに影響を与えてきた。Javaの機能拡張機能などで自動ダイアルできることが、いたずらメールなどに繋がったりしてきた。メーラーを提供する会社もあれば、自社で開発しているメーカーもある。組み上げていく上では全体としての制御手順や画面や操作の優先度を事細かく指定している。
Javaのゲームやバイナリのゲームやアプリケーションと広がっていく中で、いままでの取り組みで構築されてきた集大成である仕様書のマトリックスが破綻しかけている。決まっていない機能を盛り込むことによる弊害を嫌って決めようとしていること自体が矛盾を生んでしまうのだ。広がりすぎた機能の組み合わせを追求してきた先端メーカーは、この矛盾の中に開発費用の中のソフトウェア費用と時間を費やしてきた。こうした問題を拭い去るのが目的で開発したプラットホームをゲーム用の環境として受け入れることでは本質的な解決にはならない。
開発しようとする仕様を全て通信キャリアで押さえようという、その事自体が一番の実端末価格の高騰や開発不況を生み出している真因ではないだろうか。外国メーカーが国内の通信キャリアに端末供給を提案しても、これらの不可解な難しい仕様書自体が非関税障壁となって国内メーカーを守っているようすだ。オープンなグローバルスタンダードの世界で自分たちだけで自由な端末開発をしている諸外国のメーカーと立ち向かっていくためにも金太郎アメのような面白みのない端末を生み出してしまい、かつ価格が高くついてしまう現実は通信キャリア自身が気が付かなければ打破できないのかもしれない。
テレビやメディアでの競争に明け暮れている通信キャリアは、自分たちが支払っている端末価格と端末台数と開発期間のバランスシートを理解していないように見えるのだ。国際化が急な他の通信キャリアから、こうしたお手本も学ばなければならないのだろうか。誰もが、お客様である通信キャリアに鈴を付けたがらないのであるが、自分たちの生死が掛かっているという認識に変わりつつあるようだ。この箍が外れるときに、ようやくさまざまな電話機が手に入るようになるのかも知れない。素うどんのような携帯もPDAのような携帯もあるべきだと思うのだ。
端末を安くしたいという思いは開発を容易くしたいというテーマとして考え直すことで自己矛盾を解くべきなのだろうか。もっとオブジェクト指向な開発への移行で解決するというテーマもあるのかも知れないが、シンプルなアプリの集大成という答えの方がグローバルな答えかもしれない。箱庭や幕の内弁当のような仕上げからは、踏み出していくことがシンプルでかつ重厚な安い端末を創りだせるのかもしれない。ゴーンさんの取り組みで生まれ変わったマーチのような電話機が生まれて欲しいと願いつつ、こちらはトヨタだったと思い直している。さてさて・・・・。