イタリアに行っている中村選手は、中々チーム采配と折り合わないのか活躍の場を絞られているようだ。これ以上点を取られては困るといった事態に10番を下げるような采配のチームでは、この先覚束ないだろう。中村君ではないが、N君というひとからメーリングリスト加入申し込みのメールが届いたのだ。メールアドレスは当然のごとく個人アドレスを標榜する転送サービスのアドレスである。まあ個人で運用しているメーリングリストなので、あまり拒む理由も無いのだが、何故申し込み来たのかという点については大きな関心がある。申し込んでくるような元気のある技術者が居るということは業界にとってプラスになるはずだからだ。
さて、N君という方のメールアドレスに振られていた名前をGoogleで検索すると、なんとなく素性がわかってきた。また、彼が使っていた個人用としているドメインアドレスの由来も見えてきたような気がした。まあ勘違いということもあるので、申し込みの理由について教えてくださいというメールと共に想定した会社の方なのでしょうかという問い合わせも付け加えた。想定は正しかったらしい、私自身が過去に行ったセミナーに参加されたこともある方だったようで、私自身N君の名前を見たときにどこかで見覚えのある名前だなと感じた次第でもあった。メールによれば、社内で各種の技術紹介などの草の根情報誌を読んでいてくれたようだった。
自身で社内で四年間ほど続けてきた、草の根情報誌の事実を知っている人はもう居ないのかと思っていたこともあり意外な接点で届いたN君からのメールには驚かされた。聞けば、彼は社内での異動を希望して今では組み込みの渦中の開発技術者として横浜地区に来ているようだった。申し込みの理由は、草の根情報誌の動向を調べていたところ、独り言のURLを教えてくれた人がいるらしかった。彼が、待望していた活動の主体が社外に移っていたという事実は残念だったのかも知れない。期待していた組み込み開発をしながらも前向きな技術追求や共有などを目指していた情報誌の世界と現在の携帯開発などの現場のギャップは衝撃的だったらしい。
何通かメールのやり取りをしているうちに、気さくな彼の印象が文面から伝わってきたり、聞き及んだ彼の経歴などを知るなかで納得できるものを感じたりしていた。同じような経験をしてきたらしいことなどから、彼の行動的な印象などがより強く感じられて、彼の会社の将来についても少し安心したりもするのである。実は、彼も私も同じ二つの会社で働いていた経緯があるのだが、彼の場合には転職を経て今の会社にデューダしてきた攻めの人生を歩んでいる。私の場合には敷かれたレールの出向という経緯で計画通りに働き、出向元に復帰してきた後は、限られた範囲を越えて積極的な技術者生活を歩んできたように思い返したりもする。こうしたメンタリティはもしかするとバンカラな学校生活に由来しているものかも知れない。
彼のメールから、実は京都マイコンのYさんも同様なバンカラな学校生活を送られてきたということを知りえたりして人生とは面白いものだ。学校の将来を心配したりする反面、積極的な人生を暮らしている仲間達を見つけと、先生が仰っていた「雑草のような強さが高専生にはあるのさ」という言葉を思い返し納得している。VAXシミュレータを開発してもらった山野さんにも同様な印象がある。こうした共通点を見出せたときには技術者同士の相互理解を深めていくことが出来てきたようにも思い返す。攻めの技術者同士の感性が互いに出会うことは、中々難しいことなのかも知れず、機会に恵まれた自分自身の幸運に感謝したりもするのだが・・・。
前向きな暮らし方というものが会社に合っていたのかどうかという点については、異論があるかも知れない。会社の仕事を通じて、前向きなテーマとしてこなしていこうということはいつもあったように思い返していた。しかし、そうした事は実は当たり前のことだ自分自身では思っている。会社という枠組みで仕事を仲間としているという状況をどのように捉えるのかということなのだと思う。同じ仕事をしても、各自の持つ意識の違いで結果として得られる成果は大きく異なってしまうのである。こうしたことは人材育成というテーマで何度も繰り返して言われてきたように思うのだが実際の仕事の場において実践することの難しさということなのだろう。
大変な忙しさあるいは、難しさ色々なテーマが会社を通じての仕事にはあるだろう。そうしたテーマをこなしつつテンポよくメリハリをつけて仕事をしていくということは最近では失われてしまったのだろうか。ずーっといつも遅くまで仕事をしているという形態が続いているような会社では新たな仕事に対して意欲が沸くとは思えないのである。メリハリをつけて仕事をするという意識は、基本的に自分を大切にするという意識に返るということなのだと思う。洗脳して滅私奉公を強要するような仕事形態で得られる成果は、拉致されてしまうようなどこかの国の政治方策に似ているのではないだろうか。皆でやっていれば怖くないという論理に基づいているのだろうか。
携帯電話を必要とするアジアの国々の方達に対して、日本が進んできた携帯文化などがハーリー族や警告する韓国のような文化影響力をもっている事実がある。しかし、現実の携帯開発の変調が引き起こしている業界の暗さの真因は、技術者が自身で経営力のセンスや国際的センスを失ってしまった結果に基づくものではないのだろうか。限られたパイの中で身勝手な方法論で物作りをしてきたツケは、いまこうした業界変調という実情を引き起こしている。ニューメディアの先鋒ISDNはADSLで駆逐されてしまったし、これらの離陸を阻止するような負の動きを顕在化させた。同様なIMT2000とはいったい何処に進もうとしているのか、3GPPと3GPP2の動きなどでは参加回数の絞込みを起こす会社までが出てきているのは3GPPの側である。
中国市場に積極的な新しい形での商品で挑戦する会社と、おなじような物を持ち込もうとしている会社の差には、拡大のチャンスをどのようにとらまえているのかという会社の若さの差なのかもしれない。もし、常に色々な意識を持つということが若さに起因しているのであれば、会社はそうした気持ちの若さの芽を摘むような育成策を取っているというように見られるのだがいかがなものだろうか。青臭い奴と言われるのかも知れないが、プレイングマネージャーとして現場を飛び回りたい衝動を抑える日本の多くの会社組織の志向する方向性そのものが間違っているのだと思う。挑戦する意識を植え付けて自分が引退するというのならば、まだしもそうした段階に至る前に年よりくさい感覚に陥ってしまっているのではないだろうか。
商売柄、転職者の方のレジメを見ることが多い、若い技術者はよりチャレンジを求めて会社を移り、また移った先で幻滅して次の会社に移ろうとしているようだ。無論すべてではない、レジメにはプラス志向のものとマイナス志向のものとがある。自分の殻を決めてしまっていて、会社に扱われなくなってしまった結果、転職しようととする人の物はレジメをみても溌剌さが感じられない。周囲からみた会社の印象を、その会社から転職しようとしている若者のレジメを見て納得したりもするし、そうした会社に今なお多くの技術者が集って適切なテーマや方向性を示されずに懊悩を繰り返している様に出くわしたりすると何か解決策があるようにも思うのだが、そうした内なるコミュニケーションの問題を解決しない限りはその会社は変われないのだと思う。
ゴールをしたい、勝ちたいという思いがリーダーたちから感じられなくなってしまった会社がある。今、私達が出来ることは他の溌剌としたこれからの時代を生きようとしている会社あるいは仲間達を支えていくようにしか仕事が出来ないのは致し方ないことである。こうした状況をその会社で打開するのもその人の考え方だし、合致する会社に転籍するのもよし、伝道者として教えを説きつつ罵声を浴びるのも一つの人生である。もったいないと思うことが、かつてはあったのだが最近では、そうした歯車のかみ合わなくなった進まない会社に残りたがるあるいは事実を見つめようとしないあるいは自分で行動をしようとしない人たちは救えないのだと思うようにしている。他の人を救うほうが限られた時間では有用だからに他ならない。