前回の学籍番号合致タイトルに続く、今回のタイトル通番は能天気に再発行申請中のアマチュア無線従事者免許証の番号に合致している。現在でもアマチュア無線を楽しまれているN8さんや、流通端末開発のTさんらは、ちゃんとコールサインの維持を果たされて税金としての電波使用料までも支払われ続けていらっしゃるそうだ。銀行が破綻するようなご時世の中ではあるが、自宅の売却に関しての売買契約を結ぶことが出来たので自宅移転計画についての将来の資金繰りについては一段落しそうな感じとなった。この状況で進めば夏には、無線が新宅で再開できそうな見通しとなってきた。アマチュア無線の短波帯については、最近のデジタル設計された無線機キットの組み立てが暫しのチャレンジテーマになりそうだ。仮設のアンテナでとりあえずの再開をしていく上では、旧無線機の火入れ確認が必要のようすだ。初代のトランジスター設計の無線機も四半世紀昔のモデルとなっていそうだ。動くかどうかは保証の限りではない。
はるか昔の記事を思い返してみると、竹ざおで逆Lのアンテナを立ててマッチングしたりしていた事例だったのだが、その後のダイポールにバラン接続で同軸給電あるいは、屋根馬立ててトラップバーチカルを設置してカウンターポイズを張るといった形式からマンションなどのアパマンハムが隆盛を極める中で、最近では自動アンテナチューナーが当たり前となっているようだ。この辺りはよくよく考えてみるとかなり昔に逆行しているようにも思えるのだ。ようは基本は何時でも同じで実現するあるいは、実装するための技術が進歩してきたというべきだろう。掲示板にN8さんが書かれていたようなアナログ無線機にハイブリッド構成で制御の活を入れるといったチャレンジなども実にアマチュアらしくてよいと感じる。技術者の中には、納期を満たすための開発方法論に終始しがちな見識で仕事をする方もいるだろうけれども、なにかアマチュアほどでは無いにしてもチャレンジする意識はもっていて欲しいものだ。
世の中の報道に見えてくる携帯電話業界の動きは、会社や通信キャリアとしての計画や実績などに裏打ちされたものであり、前世紀の最後に計画されていた期待値に比べると大きくトーンダウンしているようにも映る。確かに99年にジョイントした頃にはCDMAの期待値が最大化していて、それをしめすQ社の株価などは四分割するほどの勢いとなっていた。第三世代のバブルとともに時代は、99年にバックトゥザフューチャーしているようで、入社当時に頂いたストックオプションの価格より割り込んでしまっている。そんな中に状況とは決別して自分の思いに走り、自己革新を目指して勝負に出ているエンジニア達がいる。ハードウェア技術屋としての仕事の流れがチップ化していく中で将来性としてソフトウェアに移りつつることを認識して社内でのポジションチェンジを目指そうしていたM君などもそうした取り組みをしていた。残念ながら、会社の人事育成方針と擦り合わなかったようで転職して実現を果たそうとしてきたようだ。確かに一つの方法論である、転職を華々しくコマーシャルしている会社の募集ポストとマッチすれば良いのだがミスマッチしている事例なども聞き及ぶのが実情だ。
ハードウェア屋から、一気にソフトウェア屋に転進していくという姿は、かなりギャップがあるのではという意見もあるだろうし、今の時代はインターネットでlinuxの最新カーネルを追及するメーリングリストやツールが無料同然に手に入る状況の中で意識を持てば自力でありたい自分に向けてキャッチアップすることも難しくは無いだろう。とはいえ五時に帰れるでもない日本のメーカーの実情の中では一度入り込んでしまった蟻地獄から抜け出るのは努力が必至となる。急拡大した通信機メーカーの中での風土は意識をもって異動した技術者達で何とか、維持することが出来ているようにみえる。元々いた人たちは、急拡大するなかで自分達の風土育成といった側面に気が回せないほどの繁忙の中で自身で考えることすらままならないということに陥っているらしい。自分の持っているスキルマップとありたい自分の将来像を考えて、大きな会社であれば他の部署でのポストを見出して直接交渉して転身していくといったオプションも最近ではあるようなので、変わらない意識の人たちと変わりたい意識の人たちとが共存しつつ仕事が進められているというのが実情なのだろう。
最近ではJavaの話も出てこなくなったように見える、「結局なにが出来るの・・・」といったことが基点なのかもしれない。限られたリソースの中で、Javaを追求せざるを得ないという姿の理由を考えていくとメーカーを超えた互換性を実現するために必要だというのが実情に見えてくる。止められない2Gの仕事を別にすれば、技術者としてJavaの追及を携帯電話の上で追い求めてみても好奇心の維持には難しいテーマなのかもしれない。Javaを開発環境だと捉えて、組込みJavaに夢をかけてベンチャーに飛び込んでいった技術者のT君などもリアルタイムの世界からJava屋の技術者となりお客様と実装や性能達成のために奔走してきたようだ。キーパーソンともいえるT君が、組込み開発環境屋として私が尊敬する関西のベンチャーに転職したという案内が届いた。聞けば、その会社が東京にオフィスを作りそうした動きに至るほどの人材なのでもある。Java屋としてみてきた彼の業界の姿からみて、次に取り組むべき課題が外にあると感じてきたのだろう。
次代の若い技術者達の育成方向を最初から、あるべき姿に向けていかなければ変わらないと考えるベンチャーの旗手ともいえるK氏もいる。革新的な技術を提案してみても日本の組込みの実情とくに、その開発ペースから業界を振り回してしまっている携帯業界の実情では変われるはずは無いというのが最近の彼の意見である。「今、携帯業界を救えるのは斬新な発想でソフトウェアを創り直せるのは次代の君達しかいない」と熱くソフトウェアクリエーター達のスクールで熱弁を奮っているのだ。K氏は、当初この技術展開の中で、もっと日本の通信業界自身が熱く乗ってくれるものだと考えていたのだ。残念ながら、熱く乗ってくれたのはやはりベンチャーであるテクノロジー追求を進めているソフトハウスが自分達の技術をタイムリーに提供していくためにベストだと感じてマッチした商品展開に向けて両輪を回して進めてきていたというのが実情である。革新的な機能を持った携帯電話の商品企画は、ベンチャースピリットを持ったメーカーとの協力が得られて試作品のような形として世に問われることが出来た。
どんな技術にも最初から取り組んでいくと言う風土を持つ通信機メーカーが、これを達成したのだが肥大化した携帯ソフト全体を新たな環境にシフトすることに多くのリソースを投入する形になってしまったのは過去の成功体験が足を引っ張ってしまったのかもしれない。この旅館で最新の設備を置いても支えきれなかったということなのだろうか。無論最終的には完成した商品として、次のステップに向けて野心的に挑戦を続けていくという気概がこの開発チームの技術者にはあると思うのだが、2Gに追われる会社のなかでの彼らへの評価は怪我をしたチキンを仲間がついばんでしまうような状況であったかもしれない。評価されそうな時代が追いついてきたと思う時期には撤退しているというようなサイクルとなっていては何のための先行投資だったのかわからないのである。伝送速度と機能のバランスといった目的でスクリプティングするという運用では最適と思うような技術開発をしていながら、後塵を拝したりする姿を見ていると、技術屋こそが独立した商品企画会社を興すべきなのではないかとさえ考えるのだが。
今の会社にじぶんの求める仕事がないのでと前置きをして、求人広告の有無も確かめずに人づてに自分の売り込みをしていくような技術者も出てきたようだ。華々しくみえる就職情報誌の虚実を経験したうえでの、次のステップの踏み方だというのならば、慎重な人生の取り組みといえる。会社の仕組みを自らが変えられるというところまで自由な組織構造の会社であれば、こうした技術者が外部に出てくること無くうまく活かして仕事を改善して会社としての栄華を更に極めていくというサイクルを回していくことが出来ようというものだが。銀行が破綻をしはじめた、昨今自分自身の生活の保護に走ってしまうという技術屋の意識の上で、守勢に回りたいという気持ちも判るのだが、積極的に勝負に出るくらいの技術屋や意識を持ちつつ前向きな仕事をしてもらいたいものである。きっかけが欲しいのならば、来週に発売が始まるマッスルミュージカルのチケットを是非購入してもらうと勝負したいという気持ちがアドレナリンとして沸いてくるのではないかと思うのだ。これは私のお薦めである。
九月から新しい学年が始まるという米国のスタイルは、長い何も出来ない夏休みを学年の狭間に置くという意味においてリーズナブルな仕組みだと考えている。それゆえ、この期間を家族が子供達のために別のサマースクールやキャンプといった活動に送り出していくのである。最も過ごしにくいと思われるの高湿度の日本の夏が学生の教育を蝕んでしまっているのではないか。団塊世代の人たちを支えてきたのは暑い夏の日に向かえた敗戦からの復興という風景を目指しての意識だったのだろうけれども、二代も後の世代に暑い夏の日の邂逅を共有することなど意味の無いことである。日本社会の仕組みとしてマクロに捉えて夏の暑い日に仕事をしないでも済むような周期に変えるようにすれば、狭い国土の中で更に密集して暑い暑いを連呼してエアコンを回して電力浪費を続けるようなナンセンスなことを進めなくてもくなるのではないかと考えるのだがいかがなものか。また蒸し上げる梅雨に入ろうとしている。西海岸に避難いや避暑して仕事をしたいものだ。