業界独り言 VOL245 自分のペースを作ろう

展示会の季節が終わったのだが、例年よりも長い梅雨となっているようだ。七夕から始まった新居での生活に合わせて、温めてきたハム再開活動も少しづつ進展を見せてきた。3Gのバンドとは異なる短波帯でのアマチュア無線で目指すは雑音にかき消される中の不安定な通信である。セルラーの電話でのレーキ受信による通信の安定化など及ぶべくも無いのがナローバンドでのアマチュア無線である。むしろ不安定な通信のなかで耳を澄ます自分自身の感性や聴力を試されるというのも楽しみなのである。少年の頃とは打って変わり、世のなかからはキングオブホビーなどと呼ばれていたゆとりの時代は、どこかに置き忘れてしまったようである。かつては原田知世に恋焦がれたピークのアマチュア無線の時代を過ごした若者たちも中年予備軍にシフトしかかっているのが現在である。ゲーム世代の子供たちが育ってきた時代には、すでにPHSや携帯が普通となっていて、科学するような子供たちの刺激をするのはパソコンになってしまった。

読み書きの英語には、インターネットが効果を発揮するようになっているのかも知れない。インターネットで飛び込んでくる情報の洪水の中にコミュニケーションツールとしての英語は必要不可欠となっている。藤村有広さんが見せてくれたような、時間を越えた無線での無線通信会話などの時代に届かないのは、却って時代に逆行しているような気もしている。懸命に会話をしようとしていた時代から、書面や資料を読み漁り疑心暗鬼になる時代になっているような気がするのは気のせいだろうか。アマチュア無線と聞いて、スキー場での出逢いを思い浮かべる世代ではなくて、バーニアダイヤルを回しながら竹ざおアンテナでモールスを聞くというイメージの小学校時代やSSB短波の時代で迎えた中学を振り返るのが私のハム観なのである。最初に手に入れたAMのトランシーバーは夏に楽しい50MHzだった。ハイキングに持ち出して山頂での爽快感を更に増すのが遠くの知らぬ人たちとの会話だった。

高専に進み、無線に昂じるようになったのは悪い先輩の影響だけとはいえないだろう。実家の書店前に置いたガシャポンの利益を、小遣いとしてもらっていたのでアルバイトをするでもなく傾倒できたのも背景にあるだろう。丘の上に立つ絶好のロケーションに恵まれた学校生活で無線をするのは心地よいことでもある。オタクな趣味と分類されてしまうのは、致し方ない。しかし山歩きと合わせての無線という趣味は健全に趣味といえたと思うのだが。今でこそ話をしながら歩いているのは普通になったのだが、当時を考えると精神的に可笑しくなった人が独り言をのべつ話しているか、無線機を抱えておしゃべりをしている無線屋だったろう。といっても肩に食い込むベルトに耐えて話に夢中になっているのだからそうとう変だ。長時間の通話というものを実施するとなくなってしまう山ほどのアルカリ乾電池の費用も頭の痛いことだった。

ニッカド電池が登場するまでに数十回充電可能なアルカリ電池が登場して使ったこともあったのだが、そんな時代から短波にシフトにして机の前で雑音の世界に没頭するようになっていった。ロケーションを活かしての50MHzでの通信もモールスで楽しんだりしながら夏の天候にマッチする電離層伝播を心待ちにしていた。バンドを変えて遷り行く通信状況を通して物理現象を確認したりしつつの楽しみは科学的にも高尚なものだったのではないか。アマチュア無線は通信することが目的ではないので、不安定さの中で出会う事象を楽しむことが普通なのである。趣味としていえば、相対的な考え方にたった楽しみ方もあり、如何に少ない電力で遠くと通信するかといった人も居れば、力任せに大きなアンテナと電力を投入してパッシブな月面に向けて送り込み反射してくる弱い電波を利用して非効率な通信を楽しんだりもしている人がいる。多様性を受け入れつつ互いにそうしたことを認めつつ楽しんでいくというのがアマチュア無線なのである。

アマチュア無線を楽しみつつ、描いた社会人生活のイメージには、身近にいたアマチュア無線の先輩たちのゆとりのある暮らしを望んでいたように思い返す。不況のさなかで就職もままならない状況に瀕してはいたものの、会社案内から、山奥のダムでの仕事を志向して仕事の合間には釣り糸をダムに垂れているようなイメージのある先輩の書き込みなどに興味を持ったりしていた。実際に仕事につくとゆとりなのか忙しさなのかが曖昧なまま研修としての出向を命じられたのである。出向というと最近ではリストラの分類なのかもしれないが、当時はそんな意味も無かったと信じている。忙しさに明け暮れるコンピュータ業界は、いつの時代もゆとりは無かったのかもしれないが思い返す昔は少しづつゆとりを感じるくらい年々忙しさが技術の進歩と共に深化していくのである。

会社が社会から要求されるペースに応えようとするのだから競争原理の中で同様な会社との間で厳しい戦いとなるのは致し方ないことである。半年サイクルで成果を生み出さねばならないという事実が変わらずに続く限り、機能が複雑化していく流れにあって組み込み製品開発の大変さは増大していくのだろう。アセンブラや機械語で開発していた時代の開発で仕様の変わり行くような製品を開発してしまったことなどは将来を見極められなかった取り組みだったかも知れない。逆に変わりゆく仕様を自身としての開発で対応するのではなくユーザー自身に作ってもらおうという取り組みも、簡易言語の提供やコンパイラ提供などで実現を果たしてきたりもした。経営トップが「弊社はTRONで作っているのだから家電技術者全員が携帯電話にシフト出来るのではないか」と考えていたりするとは思いたくは無いのだが・・・。

システムエンジニアとして携帯電話やビデオデッキを捉えている技術者であれば、潰しが利くだろうと思うのだが中々最近はそうした感性の技術者が少なくなってきたらしい。仕様書しか見ない書かないといった仕事の仕方を否定する訳ではないが、追及していくベースの仕事との連携が果たされるべきであると思うのである。ゆとりという視点で競争原理での世界を捉えていくには、なにか進んだものが必要となりそれを生み出していくためには他社と異なるという認識での取り組みや頑張りが望まれる。その上に立ち、ようやく開発にゆとりが生まれてロードマップを自身で書き起こしていけるようになっていくのだろう。まあベンチャー魂というところが近い表現なのかも知れない。過去の会社としての経験ノウハウを集約したものとして製品が出来上がり、開発者の誰もがそうした集積技術を参照して学びつつ広げて、更に深耕していくという姿こそが求められているのだろう。

何か半年毎の成果追求のみをしていくことで、企業として社会から期待されていることへの貢献という尺度に照らすことを忘れてしまい結果として自身としての技術の方向性などを見失ってしまっているのではないかという危惧を感じたりもしている。メカ精度とマイコン制御といった点で構築してきたVTRなどに代表される日本の電化工業製品から、エンジンがDVDやHDDといった形で差異がなくなってしまう時代のなかで差別化できる要素が使いやすさといったソフトウェア的な要素にのみなってきた現在、ソフトウェアとしての製品化技術を更に追求していくという技術投資を特定の商品分野に限らない形で追求していく姿がこれからの企業にはあるべきだと思うのだがいかがなものか。会社から要請される目標に対して、どのような形で応えて結果を出していくのかということについての自身としての追求があまりないままに会社に振り回されているという技術者であってはならないと思うのである。

他人との協調性という点でマイナスに評価されてしまうのかも知れないが、協調性という言葉と流されていくという意味は異なると思うのである。ありたい自分の姿を念頭に置いた上で、そのリファレンスとの差異を日々修正していくために学んでいく日々であるはずだ。ソフトウェアエンジニアとして活躍できる時代の中で、ソフトウェア開発の中にというよりは間違った開発プロセスの中に埋没しているのであれば、是正しつつ暮らしていくべきなのだろう。問題は、まず自身で考える時間を作るということなのではないか。そして仲間と語り合う時間を作るべきであり、会社の仕事を早くに切り上げた上で、残りの時間で会社トップと向き合うべきだろう。会社の組織は変わろうとしている中で若い人たちが萎縮することなく次代を見据えてほしいものである。

小さなキットに秘められた、多くの技術の端々を見つけることが出来る。ゆとりが無いままに目的を組み立てることだけに絞ってしまった場合には、見過ごしてしまうようなことかも知れない。通信機器の組み立てを通じて、アナログ通信機器の最新事情に触れつつ納得しながら、ゆとりの時間を感じて勉強につなげたいと思っている。私以上に受信機器の追求に傾倒されているN8さんという先輩が居られるが、思い描く理想をいつも座右にしつつ仕事の合間をみてはゆとりの時間を作られて追求されているようである。自らの仕事の経験を後身である若いエンジニアの卵たちの質問に答えつつ、会話を通じてキャッチアップを更に重ねられているのである。学ぶことは限りなくあり、上下の分け隔ては無い。問題はチャンスを遮ってしまう自分自身の心の問題なのだろう。言葉の壁などにこだわっている時代ではないはずだ。限られた時間を有効に活用していく上でパフォーマンス評価としてのTOEICテストなどを受けることも必要なことである。

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