業界独り言 VOL248 日本発、UMTSの世界初

最近視力の低下・・・いや老化が著しい、また老眼の度が進んだようである。忙しい合間に見つけた日曜の半日を費やして購入してあったアマチュア無線機のキット製作に取り組んだ。最新部品で構築された無線機に搭載される部品の品名を読み取るのは最早ルーペなしでは仕事にならない。パソコンでのソフト開発であれば、おじさんフォントにしたり、大型ディスプレーにするというオプションがあるのだが、組み立て現場ではそうもいかない。アナログ屋さんや無線屋さんといった方たちとの接点を意識する意味でもこうしたキットを通じて感性を近づけておくことは必要なことと認識している。私小説を書き起こすことになった、99年七の月から四年が経過して世の中も変わり、予期したこと予期しなかったことなどの経緯を確認したりするこのごろでもある。

中年となった私自身が相応な年齢になっていることから、いわゆる同期や知己たちが会社での職制から見ると要職についている。そうしたことから、お客様として付き合う責任ある方々との真摯なバトルには、ある意味で仲間あるいは後輩とのやり取りと感じることも少なくない。また現場の方々として付き合う若い技術者との接点が私の感性を維持させてくれているのかもしれない。まあ精神の若さと肉体の若さは別物ではあるが、髪の毛や髭の色はすっかりグレーゾーンに突入している。ロマンスの香りはないにしても、ビジネスの領域では、溌剌としたテーマにしうる部材を預かり多くのお客様の開発を通じて異なったインプリメンテーションという楽しみを同時期に平行して評価できるという、言い表しようのない楽しみに浸かっている時間に続く次のストーリーを用意する必要もありそうだ。

出張によるホテル生活が多い最近ではマッサージ師の方と世間話をすることも多い、また深夜にホテルまで戻る際のタクシーの運転手の方と世間話をすることも私にとっては新鮮なことである。仕事柄付き合う人々の範囲が狭くなっているので範囲を超えた人たちとのチャットなどは楽しいのである。身の丈にあわせた暮らしで気持ちよく暮らしている人もいれば、過去の遺産に引きずられているひともいるようである。先の読めない世の中で先が見えていると感じている人ならば邁進して問題解決を図っているだろうし、悠悠自適な人たちが後身育成に努めているのもよいことだろう。先が見えているのに行動を取らずに青い鳥の到来を待ち望んでいても仕方のないことである。突然訪れるだろう破綻に遭遇して自身の生活を守ることも出来なくなってしまっても責任を他に転ずることなど出来ない。

まともな経理の仕組みが足かせになり、先に邁進できないということが欧州の会社にはあるのかも知れない。毎年の利益を如何に株主に見せるのかということを考えたりしていく成果を出しつづけるということが求められるのだろう。世の中には見えない部分で、大きなノウハウを持ち合わせているメーカーも多い、そうしたノウハウの価値をどれだけ周りの仲間に知らしめていることだろうか。技術主導で食べてきたQuad社などは、創業当時のそうした思いをどれだけ高めて仕事に取り組めているのかどうかなどという尺度で考えた場合には、どんな会社とて破綻に瀕している部分もあるに違いない。将来が永続するなどと考えている仲間はいないし、危機意識をもちつつ日常に取り組んでいるのは、どこの会社とも同じ筈である。ただ技術投資に応えてくれるということを糧に皆新しいアイデアを持ち寄り取り組んでいるのが実情である。

半導体ビジネスとしてお客様にソリューションを提供してきたQuad社をはじめとするこうした事業が、このまま続くのかどうかという点については組み込み業界全体としての動きも含めてあいまいだと感じている。ライセンス費用とお客様の開発費用の総計が自社開発よりコストが安くすむということが売り物であり、それを維持し、さらに高めていくことが会社の目標としているのである。お客様にとって開発費用に占めるソフトウェアの割合は圧倒的であり、かつ最近の携帯電話などではさまざまなライセンス費用を追加しなければ出来ないということも事情にあり強い特許をもちそうした費用をバーター出来る会社のコストは安くなる。そういう面もあるものの最近ではさらに複雑化するソフトウェア全体を仕上げられないといった性格の事例が出てきている様子もある。

期間内に開発が完了しえない中で、プロジェクトを中断してしまったり。あるいは、社名を賭しての製品としてがむしゃらに突き進み遅れつつも製品化をしていくといった事例もある。ベンチャー気質の会社として、ベンチャーのインキュベーションもかねてなのか新技術の採用という形での技術投資と見ての取り組みなどが強い会社がある。しかし、ベンチャーが開発する技術を昇華できるのかどうかが課題であり、自身としてのスキルアップが必要なことなどが課題となるのかも知れない。技術導入という投資に見合った人材が必要なのはいうまでもないことなのだが、最近では、そうした会社に向けて優秀な経験豊富な人材を派遣する会社も多いようだ。3Gバブルが弾けてしまった今となっては、優秀な人材を集めやすいのだという話らしい。技術ベースの派遣会社自体が、特定の会社に属せずに次々と自社の人材活用を図るべく技術営業活動をしているようだ。

今、日本という特殊な携帯電話市場で開発された雛型技術が孵化して世の中に出て行こうとする段階に入りつつある。サッカー選手を使い、カラー液晶や動画メールを駆使した端末作りを一気に展開していこうとする中では、まともなOSが必要になるといわれつつも、従来の方法論で物つくりをしている。現実に物作りをしていくというメーカーの実態に照らしていくとプラットホーム切り替えには外圧しかないのかも知れない。キャリアからの仕様としてRTOSが定義されてLinuxになるというケースもあるようだが、開発主体として使っている環境をWindowsのままで開発を続けている姿とのミスマッチは何だろうか。Quad社にジョイントした頃に感じた違和感は、開発にUnixを使ってきたことのない人たちがWindowsベースで開発仕事をしていることであった。豚に真珠ではないがPerlを知らないような世代で既製品のソフトだけで仕事をしている姿であった。

とりあえずアプリケーション仕様のみがキャリアから提示される形で開発が進められた日本発のUMTS対応機が登場するようだ。アプリケーション仕様として考えられることが実現できる方法論まで言及しないのはメーカーの技術力を活用することなのか、通信キャリアとしての指導力なのかという点については触れないでおこう。アプリケーションとしてどのような使い方が出来るようにと提示されることでRTOSなどを限定せずに実装方法はメーカーの自主性に任せるというスタイルは以前と同じだという意見もあれば、特定したところで選択肢が沢山ある状況のなかで差異が見せられないということもあるだろう。RTOSを特定した形を取られた場合に、チップメーカーが提供できる環境とのミスマッチが起こることもあるたろう、複合チップとして3000円あまりもするアプリケーションチップを搭載したとすれば見返りとして何が期待できるのだろうか。

携帯電話がPDA業界やカメラ業界を圧迫する事態に陥ってしまいそうな勢いのなかで、通信キャリアが負担する補助金をユーザーが安いカメラやPDAとしてだけ利用するような事態が始まりつつある。以前のMP3対応プレーヤー機能を搭載した携帯電話などではユーザーからのクレームは、楽曲再生中に電話着信で中断されるのが嫌だというような本末転倒な事態たった。通信料金の回収が出来ないような端末利用形態が増えていくと、通信キャリアのビジネスモデルが破綻するのは近いといえる。無論、ある意味でUSIMの登場がそうした日本の特殊事情を解決するのかもしれない。USIM搭載端末であれば差し替えれば、端末着せ替えということになるので通信キャリアか売るものはUSIMであり通信サービスとなるのである。今の姿からのスムーズな移行になるのかどうかは、不明である。

通信費用を安価にする技術として期待のかかる3Gであり、準定額の通信料金への移行などが想定される中でも、まだ高速データ通信の要求する通信コストを推してまで利用するアプリケーションは不在といえる。ツーカーの松本さんではないが、そこそこの速度で通信としてSMSやメールが出来るだけでいいやんということになるのかも知れない。少子化の進む中で、若い世代の姪たちなどが使いこなす姿を見ていると11万画素の写真添付メールは確かに日常化しているし、インスタントカメラなどの利用はなくなっているようでもある。メールの交換などは複数の捨てアドレスを駆使してどこからてもコンタクトを出来るように知恵を働かせているようである。少子化の進む日本に迫られる次の選択はとうぜん合衆国的な開放政策しか考えられない。そんな事態を考えていくと、国内の携帯端末ソフトの国際化が要望されてくるのは必定である。そんなことが実現できているのはBTRONしかないのである。

日本という国が沈み行くのは、少子化などが遺伝子としての限界を示しているのではないだろうか。遺伝子としての限界を示しているのは、教育や目指す先の倫理観など浅薄ななかで進めてきた身勝手な国としてのビジネスモデルが破綻してきているからに相違ない。老人大国となっていく日本を支えていくのは、新しいビジネスモデルや価値観で日本で働く多くの世界からの人たちに真の日本人の遺伝子を取り込みつつ進んでいくことだろう。日本という国を支えている人たちは、この小さな島国に流れてきたいろいろな民族が交じり合って出来ているという歴史からの事実を誰が否定できようか。働く機会を正当に与えて、勤勉に働いていた日本人という名前の合衆国の姿に戻していくことが歪みきった現状からの解決策になると思うのだが・・・。

原理から理解した上で、シフトJISの呪縛から、早く抜け出して自立したソフトウェア開発の国際化を果たしていくことや、あわせて時差や世界を越えてのワークシェアをしていくことで働きすぎの事態からの脱却もすべきだと思う。アジアの仲間たち、あるいは欧州の仲間たちとの共同作業をしていくことが出来た会社あるいはグループが良い結果をもたらすことになるのかもしれない。どこかの政治家が国内のRTOSを持たなければならないという意見を述べていたが、国際ワークシェアの時代のなかで一国にとどまることなく国内発で世界規模のRTOSメーカーを構築するというようなテーマならば納得できるのだが、いかがなものたろうか。

沈み行く空港と評せられる関西空港から急な出張で米国に短期間飛んでいった。仲間のもとには、アジアのメーカーたちがやってきていて高いと評せられるQuad社の開発ライセンスをしたたかに逆手にとって使い、若手エンジニアの教育依頼までもかねているような状況を見ていると果たして日本の今の状況とのギャップにいまさらながらに驚くのである。このままでは日本は抜かれる、こんな意識が日本のメーカーには感じられない。国際化の遅れた日本メーカーが、国の移民受け入れを拒んでいる状況のなかで老化していくなかで早晩破綻してしまい、本当に沈没してしまうのだろうか。平和の大合唱を続ける中で、自由の意味も履き違えた何も出来なくなっている若者たちあるいは中年たちにしてしまった国の実情とマッピングされてしまうような気がしてぞっとするのである。

日本発、世界初のUMTS端末の開発をしている通信メーカーなどは国情に踊らされることなく、着々と開発をすすめている。こうした姿はすがすがしいと感じてしまうのは、私だけなのだろうか。納得のいかない仕事に反発するでもなく、仕事に盲信し埋没し家庭を蔑ろにしてしまうというサイクルは、ますます日本を悪くする循環を生み出している。ノーといえる自分を持つべきだ、開発プロセスのレベル5を目指せるような会社風土になろうと思うのならば、そうした人たちであるはずなのだ。まずは、このことを原点に自己認識することが必要なのではないだろうか、すがすがしい開発を続けている会社の違いは、やはりベンチャー的な精神要素を会社としてもっているようである。こうした遺伝子を絶やすことなく仕事を進めていくことが経営トップのみならず中間管理職にまで求められることなのだと思う。頑張れニッポンのメーカーのひとたち。

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