Quad社の日本オフィスに中国人のL君が加わった。上海出身の彼は復旦大学から日本のメーカーでWCDMAの開発に三年間携わってきたDSPの技術屋である。弱冠27歳という彼は、YRPで の技術者生活を通じてW-CDMAのLayer1の知識やDSPによるシステム開発力を身につけてハードとソフトと開発ツールの板挟みを経験したうえで日本語の会話と読み書きを身につけてしまったという。欲しいと思える人材である彼がQuad社を選んだ背景はといえば、YRPでの日本メーカーでの開発で、これ以上のスキルアップを望めないと感じ日本オフィスのホームページで打っていた求人フォームを見つけての事だった。求人活動として、ヘッドハンターからのレジメ応酬などをさんざんやってきた挙げ句に、なんとほしい人材が自分から入ってくるというのは人生の妙だろうか。ヘッドハンターから紹介されて職に就いた優秀といわれる方の事例などと対比すると意識も含めて中国人の彼にはすごみを感じる。やる気が違うのだ。最近、日本事務所で募集してきた採用活動の成果でみるとお金の掛からない形で入ってきた人たちの優秀さが目立つのである。自立した技術者という姿が日本人技術者には見当たらないようにさえ見える。そんなL君が研修で米国に渡米してきた。この瞬間日本事務所のソフト技術者全員がサンディエゴに集結してしまったのである。中国人の彼が米国の会社に勤めるためには、米中の間にある課題も含めて手続きが難航し時間が必要となる。四ヶ月から半年かかるといわれている。また中国籍の彼は米国への研修渡米であってもビザの発行が必要となり、つくづく日本との立場の違いを感じるのである。彼は、弊社へのジョイントが決まってからまる三ヶ月という驚異的な短さで米中間の手続きを終えることができたのは類まれな幸運の持ち主ともいえる。しかし半年以上収入がないという状況を待ち続ける気概は彼の物である。
Quad社日本オフィスにとっての彼の登場は、昨今の中国市場を見据えた上で北京オフィスとも合わせた形で日本メーカーの支援という意味においても大きなアドバンテージとなる。又、トリリンガルである語学の堪能ぶりやW-CDMAでの組み込み経験なども即戦力として評価されているのである。そんな彼が加わり、文化の違いなども含めて考えさせられることが出てきた。初渡米の感想はと聴くと「ロサンゼルス空港が汚くてがっかりした」「ホテルの食事は食べられたものじゃい」と歯に衣をきせない切り口である。
彼が、到着したその日の夕食は日本のお客様とたまたまサンディエゴであったので会食をし、純アメリカ調のボリューム満点という料理であった。ボリューム満点で残すのを普通としている米国の姿は、そのまま結果として日本にも導入されてしまっている。ただし米国ではドギーバックに詰めてもらうのも文化であり、逆に日本ではそれははしたないというような印象がある。中華料理でもアメリカンな料理でも詰めてもらう風習は、見習いたいと思うしそうした際に「だってもったいないじゃない」という言葉を米国在住の姉からもらったりすると、そうした文化を受け入れてきた集大成もアメリカなのかも知れないと感じた。
日本で、残した物をそのまま捨てるというだけのスタイルとして取り入れてしまっているように見えるのは嘆かわしいことだ。L君は、日本食は、まだ食べられる対象のようで、こちらで寿司屋にいくと「納豆巻が食べたい」というくらいだ。彼は運転免許がないので、こちらのでの研修期間の最後に独りで残る時には食生活が不安であった。日本食やアジアンフードを食べられる町は車で高速を走らなければまともな店に到達しないからだ。ホテルに隣接している中華レストランは米国人には人気なのだが彼にとっては「あれは中華料理じゃない」と食べられない様子だった。そんな彼に通用する中華レストランを見つけたのだが、「ここのは美味しい」と絶賛であった。しかし問題は町から離れていることだった。
組み込みという世界とPCのようなアプリケーション世界の狭間にいるのが現在の携帯業界なのだが、具体的な市場はどこだろうかというと今一ハッキリとしないのが実情だ。携帯バブルという言葉が横行しているようだが、はっきりとしているのはこれから売れていこうという地域が本来の主戦場であって、それ以外の場所はビジネスが成立するのかどうかというベースで見ていかないと始められないというのが実情のようだ。通信キャリアの指導の元に繰り広げられてきた携帯未来は、今、色あせて見える。開発費用を湯水のように掛けられた時代の付けは明らかだ。主戦場を担う開発技術者もどうやら日本では無くなっているようだ。第三世代携帯で先陣を切っていたはずの姿と符号しないのは何故なのだろうか。
物を着実に仕上げていくという流れのなかで、仕様自体に目的と照らした際に矛盾が見いだされるシステム仕様の枝葉末節にこだわり柔軟性を欠いたシステムを作り上げてきた通信キャリアへの審判が下るのは遠くない未来だろうか。何処でも使えるシステムを目指してきた第三世代通信システムは互いの開発成果をごり押しする仕様変更の戦争の渦中にあるようだ。「弊社のシステムは安定に稼働しているのを見て戴ければ判りましょう」と拡張性のないシステムを正当化している処もあるし、懸命に先端の仕様を追求している実際の技術者が L君のような中国人技術者だったりする。遅まきながら登場した北欧の巨人軍達の重たい腰を見ていると日本だけが性急なバブルに躍らされてきたというのも頷けるような実情がある。
政治的な背景で、チップ戦争を仕掛けるものもいるのだが実際のプロトコルやアプリケーションをまとめているはずの先進メーカー達からの成果が何も出てこないのは何を意味しているのだろうか。デュアルチップでもOOPなOSでも構わないのだが、仕上がってこないという実情が一切公表もされずに提灯記事のみが横行しているのがメーカー技術者の眼を曇らせているのだろうし、また日本企業の技術者と開発プロセスあるいは人事評価などの仕組みとの軋みが余計に悪い方向に向けているとしか思えない。それでも湯水のようなリソースを掛けて開発完了という妥協点に向けて突き進む姿が見られていたのも今年が最後になるのだろうか。
第三世代が離陸する以前に、自ら第三世代システムのシステム設計に欠陥があったと反省する方向を見せて土壇場で独りだけいい子ぶりっこをして責任回避に走ろうとしているような 姿もある。間違っていたのを認めるのは良いけれども、バブルの責任者という認識はないようだ。次々と新たな技術開発や発表があるものの、どうも次世代の商品開発を手がけていくという姿は日本メーカーでは無くなっているように見える。最先端のはずの相互接続性試験の現場で起こっている姿を公表出来ないのは、煽ってきたマスコミ自身の反省あるいは責任の一端を感じているからなのだろうか。
世の中には嫌われているメーカーが幾つもあるだろうが、Quad社もその筆頭にあるだろうと意識している。しかし、その一方でQuad社の技術者達が実に素直に次々と着実に開発しているという姿も事実として認識している。先年、ほぼライバルとしての使命を終えさせてしまった会社は、やはりマイコンチップメーカーのガリバーに買収されてしまったのだが実際の仕事という点では未来が書けないでいる。サボテンの会社も一緒だ。よいといわれるアーキテクチャーでの商品開発が終わらないのは携帯バブルではなくて、携帯バベルの塔となっているからだろう。そんな実態を認識せずに、広告に躍らされて一喜一憂する救いようのない経営者もいるのだから仕方がない。
携帯バブルの渦中で技術を蓄積したアジアの技術者達が自国の市場に向けて、携帯バベルからの脱出を限られた言語で着実に仕上げていくのは、予定される未来である。期待する未来とは、明らかに異なっているのだが現状から見える姿を正しく認識するしかない。今、韓国や中国の技術者達と伍して対抗していける気概が日本の疲弊した技術者に残っているのを期待したいのだが、無理なのだろうか。やりがいのある仕事を探していたらユニクロの縫製工場でミシンの音を聞き分けて縫製工場の品質管理をしているという年配の日本人技術者をテレビで放映していたがソフトもハードもそうなのだと思う。実際Quad社で開発に当たっている技術者たちはそういう環境の技術者も多いのだ。
スタンフォードを出たばりばりの日系人としての技術者もいる。彼は高校から米国にいる事もあり感性も含めて日本人とはいえずねっからの米国人になってしまっている。とすると、日本人を駄目にしてる教育制度の根幹は高校大学ということになってしまうかも知れない。今は、若き技術者達であるL君らを指導していくことは私にとって気概のある後輩に教えていくということが望まれている天職のようにも思えてきた。家族を大切にするという、生活基盤の上で仕事を進めていくというスタンスは米国人も中国人も一緒なのだが、何故か日本人は違うようだ。滅私奉公という姿を良しとしてきた世代は、そうした会社の精神洗脳により会社にとっても有り難くないずるずるとした盲従の輩となっているようだ。
L君との仕事などを通じて中国語も学び、家族を守っていくための仕事を続けていけるよう努力を更に重ねていかなければならないと感じている。そのためには、まず家族との生活を第一にするということを実践していくことだろう。先週の水曜日には米国でのトレーニング出張から帰国して成田から大阪のお客様に直行して翌朝から一日特別トレーニングを実施支援した。合流した米国の仲間たちと大阪のインド料理屋でトレーニング達成の労をねぎらい、翌朝には早いのぞみで東京を目指しトランクをオフィスに預けてから嫁さんとそのまま二泊の旅行に東北へいった。
二人の目指す先は互いの気に入っているフォークデュオのコンサートだ。生憎と横浜のチケットが取れずに盛岡のチケットが取れたのだった。今どきの若者にも通じるフォークソング調の彼らの歌は、夫婦と聴衆達の一時の意識を共有できて毎回楽しみとなっている。一足早いゴールデンウィークばりの好天の中、春爛漫の山田線を宮古まで往復して海猫と戯れたり海の幸に舌鼓をうち楽しんだ。月曜日にはようやく自宅に帰り着がえのみを用意して翌火曜日には会社でチケットを受け取り成田へ直行した。そして、いま二日目のお客様の支援作業を終えてサンディエゴでメールを書いている。支援作業でサンディエゴまで来ていただいたお客様は、週末からは欧州で相互接続性のテストの旅に出かけられる。
PDCとUMTSの双方および更にGSMやHDRをカバーするチップセットとソフトウェアという環境が提供できる段階に入りそうな予感もあるのだが、考えれば考えるほど日本のPDCが足枷になっていると感じるし、日本が破綻せずに続いていくと考えていく上ではPDCが必定という妄想にも捕らわれてしまう。生憎とQuad社には無いPDCというソリューションではあるが、同様に嫌われる半導体メーカーと組んだり出来れば解決してしまうような画期的なソリューションの可能性もある。そんな妄想に捕らわれてはいけないと自分自身の妄想をかき消そうとしている。だんだん日本人では無くなっていくような気もするのだが、やはり日本人だからこそという思いが強くなってくるこの頃である。