サンディエゴ通信 VOL2 サルサとマルガリータ

何度目かのサンディエゴなので暮らし振りはなれているつもりだ。一番のネックは英語なのかも知れない。毎朝、よっていくベーグル屋にいつものように自転車を駐輪していると、腕を昔でいう三角巾で支えた(実際は青いものでなんと言うのかは知らない)お爺さんに声を掛けられて「ラホーヤ病院はどこかしらないかい?」と聞かれたのだが、僕は知らないとしか答えられないのが悲しいのだ。とっさに自分の弁明をするというよりも、「僕は知らないけれどそこのお店で聞いてみたら」とぐらいに答えたいものだ。少なくとも現地に溶け込んでいるからこそ、尋ねられるのだろうから,その点は合格かも知れない。こぎれいな格好でつけねらわれる心配はないようだ。実際,ラフなスタイルで日常から日本でも生活しているので先日面接をした知己の女性にも驚かれたようだが、実際問題ここQUADに入ってからネクタイを締めたのは先日の葬儀参列ぐらいなものである。 生の英語になれる意味で、字幕のない映画は格好のヒアリング教材だ。リアルタイム版は日常だからその時までに少しでも慣れを進めたいものだ。やはり上司と面と向かって話をするときには語彙不足とテンプレート不足を感じる。今月から、上司が替わり何度か一緒に仕事をしていた南アフリカ出身のVPが上司になった。元の上司Susieはソフトウェア事業部全体のSrVPに昇格したためでもある。南アフリカ出身の彼は、Technicalな分野でのVPでもあり、幅広いジャンルのスキルを併せ持つ頼もしい先輩でもある。フラットな会社の組織であり頂点までのレポーティングチェインの深さに変動はない。髭を蓄えていた、SrVPが去り上司が昇格しただけなのだ。やりたいことを発案して、体制を整えたりすることについては流石にベンチャーであり即断即決である。きっと初芝ならば稟議に三ヶ月かかるようなことが三日で終わってしまう。メールで相談して次々とFWDされていくだけだ。 休みを取っているときの代行も皆しっかりとやっている。仕事に欠かせないリモートアクセスもCompuServeベースのものから、VPNに移行しようとしている。これによりWINDOWS2000でもアクセスが出来るようになるようだ。VPNクライアントには、セキュアIDカードが必要な為もあり上司のサインが必要な書式を書いて申請する必要があるのだが、南アフリカの彼は休暇をとっている。ギターを抱えて旅行でもしているのだろう。代行をソフトウェアチームのマネージャをやっているスーディプトがやってくれてサインをしてくれた。既にセキュアIDを持っていたこともあったので欄外に説明を書いてくれた。これをFAXでITカスタマーサービスに夕刻送付した。翌日には、メールが届きクライアントソフトウェアのURLが書いてあった。早速アクセスしたが、WINDOWS2000対応のものは近日リリース予定とだけ書いてあった。在米中に確認したいものだ。 朝から予定していた元の上司とのミーティングは、都合で昼前に延びていた。忙しさが伺える。今年に入ってから多忙を極めたK社支援の中で一番心配してくれたのは、やはりこの上司に相違なかった。彼女、QUAD社の仕事の観点からかけ離れた仕事ではあったが私をアサインしたことについて出来る限りの支援をサンディエゴからしてくれていた。それでも物理的な量や内容についてたった一人で携帯開発の基本部分を全て行なってきたことには無理があり、後から同じく参画したメンバーも合わせてようやく収拾にいたった。QUAD社では知りえない泥臭い日本のキャリア対応などの仕様などは見えていなかったからに相違なかった。土曜日をほぼ返上した事態に対して一番心配してくれたのは、家族のことである。彼女は昇格以前に、私の家族を米国に招待してしばらく休養を取らせることについての許可をSrVPから採ってくれていた。女性ならではの細やかさなのかも知れない。あいにくと今回の出張で同行するのは時期的な無理もあって実現しなかったが次回には果たせるだろう。折角ビジネスクラスの旅行を会社が出してくれるのだから使わないことはない。 ついた早々に同僚の女性メンバーからチーム全体に週末の夕食の招待が来ていた。日光に連れて行った彼女であった。OKの返事を出していたのだったが、皆休み明けだったこともあり予定が詰まっていたようだった。翌週延期になったので参加は出来なくなった。金曜日になり、土曜日の夕食を一緒にたべないかと個別に誘われて彼女らにホテルでピックアップしてもらった。真っ赤なコンパーチブルはトヨタだというが、日本ではないタイプなのだろう。3000CCのそれは日本では合わないと思うが、サンディエゴの風土にはマッチしていた。まだ、サマータイムのせいもあって日没は8:00くらいだから6:30という時間は十分にまだ青空が突き抜けている。流石にハンサムな旦那もやはりインド人でありお土産に持ってきたワインを渡そうとしたが、今日は外で食事をしようということだった。何が食べたいと聞かれて、何でもOKと答えた所港までいってシーフードにしようということになった。ハイウェイを颯爽と飛ばしていくのは快感である。日本で東名でEunosに同乗したのとは全くことなる。なんだかセセコマシイ感じが当時はしたのだが、ここサンディエゴでは逆にのびのびと映る。 Route5を南下してサンディエゴ空港を見ながら、飛ばしていた。軍港であるサンディエゴの港には空母が何隻か停泊していた。最初に初芝時代に来たときに、ケイ佐藤ときたのを思いだしていた。港のそばのマートを予定していたようだったがあいにくと駐車場が満車であり、メキシコ料理に切り替えてOldTownを目指して今度は少し北上した。メキシコとの国境が近いこともありここサンディエゴにはメキシカンの人たちが多く住んでいる。LaJollaという地名もメキシコ読みなのだと思う。椰子の木が根付く町の風景に古い教会などが青空を背景にすると確かにメキシコとよんでも差し支えないと感じた。OldTownのメキシカンレストランに予約を入れて近くのステージでやっている民族音楽に耳を傾けた。少しのフレーズだがスチルカメラには録音もできた。雰囲気が伝わるとよいのだが。 土産屋なども冷やかしで散策し、幾つかのメキシカンなテーブルクロスや陶器に目をやりつつ帰りの荷物の量を心配していた。回りを花で囲まれた建物はいかにも南欧スペイン・メキシコといった感じのレストランは、中でも弾き語りがそこここで演奏をしていた。中庭の食事のコーナーと階上のベランダ周りの軽食のコーナーに分かれていて時間待ちを簡易ページャを渡されて軽食コーナーですることになった。マルガリータを薦められてカキ氷のようなそれと、続いてはメキシカンなコロナビールにレモンを入れて楽しんだ。夕陽は太平洋に向かって沈んでいった。タコスをサルサに漬けつまみにして、談義に花をさかせた。旦那はT2テクノロジーでアプリケーションエンジニアをしているようで東芝アメリカと今は仕事をしているらしかった。双方の実家は10分ほどの距離しか離れていないそうで、大学時代からの付き合いだそうだ。お似合いのカップルである。互いに良いが回ったらしく実家はインドのどのへんなんだと聞くと旦那はボンベイの南だと行って奥さんは東だという。互いに10分の距離ならばボンベイからは10分の距離なのかと聞き返すと南東だということで合意をみた。飛行機をもっているわけではなさそうだった。奥さんのほうがソフトの細かい点については詳しいようで旦那はSCMなどの大枠のソフトウェアのエンジニアのようだった。専攻は機械系らしい。製造業が相手の商売らしかった。 ページャが鳴って階下のテーブルに移動して食事になった。FAJITAという料理を頼んだところ肉の野菜炒めで大きなトルティアに包んで食べるものだった。一緒にきたサラダと一緒に残ったコロナビールで堪能した。一人には多くシェアして食べるものだろう。近くでは誕生日を祝う歌が流れてケーキを吹き消している光景もあった。テーブルを渡り歩く芸人さんたちも忙しそうだった。最後はオアツイiceコーヒーとホットコーヒーとを頼んだ。なぜかは写真をみれば判るだろう。私にはアルコールが残って寒くは無かったがちょうちん袖のドレスの奥さんには寒くなったようで旦那の熱いエスコートで車に向かった。既に車のカバーはかかっていて夜半の涼しさを想定した準備がしてあった。ホテルまで送ってもらい座席においてあるワインをお礼に渡した。次回は嫁さんを連れてくるようにと念を押され分かれた。まだマルガリータが残っていたようで、そのままベッドに倒れこんで寝てしまった。翌朝おきて電話をしたら日本は夜中の2時だった。

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