業界独り言 VOL359 肩に力で、空回り

米国で、いつもの一週間コースの出張があった。日曜フライト・土曜帰国で、日曜帰着のパターンである。時差と食事のギャップでバランスを崩しがちで、体調維持に関しては、気を配ることがとりわけ必要だ。アメリカンな連中と同様の食事をしてしまったら、過剰な果物採取となり、この点についてはとりわけ注意されたので、今回の出張では朝食のフルーツは一切摂らなかった。とはいえ、ヨーグルトに入っている果物くらいが辛うじて取り込まれたものとなる。

空転している感のある、日本国内向け端末開発の実情の中で、なんとか元気を出して頑張ってほしいという期待もあり、トラの子ともいえるキャリア・メーカーとの米国での会議なのだ。とりわけ開発ボリュームとの予算調整が念頭にあるのが最近の日本の開発事情で、ソリューションプロバイダーとしての Quad社として単純に改善解決策を提示しても取りつく島もないということになる。徐々に改善していくことしか出来ない状況では、衰退していく流れを止めることは出来ないのではないかという漠然とした不安がある。

世の中は、オープン化の声が強くなり、すでにロボット化計画の中での商品も登場してきたし、林檎農家からは、通信販売のキャンペーンが強く打ち出されていて電話に限らずPDAの範疇でもゲーム端末としての位置づけを強くして暇つぶしマシンとしての地位向上を宣伝している。クールなゲームが簡単に購入できるという仕組みは、ある意味でニンテンドーも達成していないモデルであり、危険な香りすらある。あくまでもCPRMやカートリッジでの仕組みに拘っている日本では相容れないということなのだろうか。

Quad社内でもロボット開発の匠たちが、多くの開発メーカーのサポート支援に乗り出している。いままでの携帯電話の開発メーカー支援とは大分趣を異にしているようだ。ARM7で始めた携帯電話の先進ソリューション提供・サポートビジネスも、ARM9でバイナリーの花が満開となり、ARM11との協調でオープン化に漕ぎつけた。いま、まさに鉄腕アトムがサソリと戦おうとしている状況になり違うフィールドが見えてきている。最前線でサポートをしているメンバーにとっては、新たな顧客の期待値や広がりを感じ取り始めている。

気軽に、Have a KitKatと言いながら、あらかじめ頂いていた課題を、それぞれの担当エンジニアチームに振り分けつつ確認準備するというのが最近のスタイルだ。私をキットカット小父さんとして認識しているのかも知れないが。とりわけ日本のオリジナルフレーバーの威力はすごいものである。ただ甘いだけのアメリカンなスイーツとは一線をひくのである。ときおり持ち込まれるひと箱のキットカットは、私と彼らの間の会話のきっかけであり接点でもある。今回の出張では、お汁粉キットカットと、ホワイトチョコキットカットでトランクがあふれかえっていた。

肩に力を入れずに進めようというコンセプトは重要で良いアイデアが出るのも事実であり、顧客を交えた濃いミーティングとフォローアップの中で再認識した課題は、Xmas休暇のあとに繋がるテーマとなり、年越しでの再開ということになった。年越しの間に進めなければならないテーマは別に片付けるものが山積している。クロックアップして対応できないお客様が悲鳴を上げつつも開発に邁進していただかなければならないのは、いたしかたなく。せめても時差のブロード対応でケアを抜けなく進めていく必要がある。

国内の携帯開発の仕組みに軋みが生じて、少しずつ変革しようとしているのが最近の動向であり、プラットホームとして選定してきた流れの見直しや、あるいはキャリア自身が課してきた仕様の見直しという流れになったのは必然ともいえる。面白いのは、キャリア内部での端末施策自身が衝突したり矛盾を生じてきていて、変革への呼び水にもなりかかっていることだろう。携帯の売り上げ自体は、良く分からない国策という名のもとに再構築を余儀なくされたのもよい契機だったといえるだろう。各メーカーが勝手に自前主義で構築するような時代は終焉を迎えた。

こうした仕組みにどっぷりと漬かってきたソフトウェア開発業界自体は、ある意味で将来認識が不足していたということも言えるだろうし、自らが主体となった開発というスタイルでなかったことが、自立を求められる時代には重い足かせとなってしまったようだ。メーカーが自らの自前主義の御旗のもとに作り上げてきた自社開発リソースとしての専業ソフトハウスの行方は、暗礁に乗り上げてしまっている。足切りとして取り扱われる限りには、実力が試される状況の中で本当の意味で良いサイクルが回り始めればよいのだと思う。

日本という国が世界中に売り込める付加価値について、日本のメーカーや技術者が再認識することが大切だと思う。どの国内メーカーも生き残りに必死な状況なのだが、国中の携帯の総生産を積み上げても世界の一翼に連ねる状況ではなく極端に高級化してしまった端末機能が世界の趨勢からは外れてしまってきている。むしろ尖がった機能の一つ一つをより楽しく見せるという意味においては、アプリケーション主体のプラットホームが成功を収めつつある。複数の機能を同時に動かしたいといったことに指向した流れで向かったものと相反する動きがそこにはありそうだ。

日本という国が持つ、インフラや文化でこそ、こうした新しいクールな環境やサービスを謳歌する一大テーマパークのように、することで観光立国も、サービス立国もオタク文化立国も含めて輸出すべきさまざまなコンテンツを抱えているのだが、楽しさを最大限に活用するという流れにならずに、無理をしてコテコテに合わせようという流れでは、かつての猿真似と呼ばれるような印象のものしか出来ないということに陥ってしまうだけだ。割り切りとバランスで尖がったクールな端末やサービスを提供していく、今までのサービスとの互換性などに縛られてしまう限りは世界遺産に登録することしか出来ないといえる。

日本の組み込み産業が空転することなく、新しい方向性に基づいた事業の流れに乗り、いろいろな取り組みが相互作用を果たして、結果として富国論につながるようなストーリーを政治が誘導していく必要があるのだと思う。日本がCDMAで敗れたのは、それ以前の国策の差なのだと思う。クラウドの流れを組み込みのサイドとしてどのように活用していくのか、光ファイバーで国中を結んでいる国情を活用したサービスと4Gへのつながりが考えられなければ、このまま日本の立ち位置は無くなってしまうだけなのだと思う。

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