業界独り言 VOL344 携帯電話開発共済という考え方

携帯電話というビジネスを回していく上では、必要な技術として3GPPあるいは3GPP2にまつわるプロトコルセットとしてのソフトウェア技術・サービスとして各キャリアが行っていることに呼応できるローカライゼーション・携帯端末としての消費電力を見つめた上でのプラットホームアーキテクチャーの構築・開発環境としてのプラットホームのデベロッパーへの寄与公開などが必要となる。いま私が身を置いているQuadという会社では、携帯電話に関する所要技術に関しての開発共済とでもいうようなビジネスモデルを実践している。Quad社のビジネスモデルは、現在の国内での厳しい携帯電話開発という市場に照らしてみてもリーズナブルな内容と映るのだがパテントベースでの横暴とでも映るのか実際の恩恵の享受という評価などは抜きに固辞するという流れが多くみられる。

日本という鎖国市場において歴史上のバンドリバートという政策決断からハードウェア的にも独自の道を選択してしまうことからガラパゴス島と同様に扱われてきた経緯がある。無論日本が世界に展開していきたいという目論見から所謂IMT-2000に向けて取り組んできた流れを断ち切ってしまうことになる契機を与えたのもQuad社かも知れないし、IMT2000への道を示したのもQuad社かも知れない。日本という狭い国土の上で異様に膨れ上がったニーズをすべてセルラーに押し込めることになったのはある意味でDoCoMoの奢りといえるだろうし、せっかくの国策で開発してきた新しいインフラであるマイクロセルのPHSを駆逐する必要もなかったはずである。技術展開して国策として加速していく上には目の上のたんこぶとなっていたのかもしれない。

まあ世界的な流れでいえば1999年3月の集約の手打ちということになり3GPP/3GPP2が共存するという形になり、欧州では必要のない3GPPへの移行などがなおざりになったのは現行システムが容量破たんという事態ということになっているわけではなかったからでもある。DoCoMoが一生懸命に標準化活動をしてきても国際的な温度差も含めて実用的な状況にいたる過程での時期という観点でいえば尚早だったのだろう。容量解決策としてのPHSはお取りつぶしというような意識で考えていただろうし、相互補完するはずのものがコンペティターとして消去せざるを得ない状況になったのも悲しい話である。日本中の電信柱やアパートの壁にISDNのネットワークを張り巡らした様は陳腐な文化の隘路だったのか・・・。

開発を共同で出資して、行い完成物を無償ではなく有償公開することで保守運営をしていけないのかというような実験的なアプローチについて考えてみる。個々の会社が開発投資することに対して不採算とみられる昨今の携帯電話の開発が集約されて日本としての組み込み開発のペースとして共有されるのならば如何だろうかというものである。こうした開発成果物が有償公開することで還流運営が叶うのならば、意義深いものかも知れないが、現実には、そんな結果にはならないのだろうか。開発成果を理解しうるだけの人材を保有するだけでも実際には大きな問題であって現状の日本のメーカーではそうした体力知力が伴わないらしく、新興の団体でそうしたことを実現するのもより難しいということで結ばれてしまいそうだ。

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