業界独り言 VOL343 サンダル原人、再び現る

久しく聞かなかったいや見かけなかったサンダル原人が、あろうことかサンディエゴで発見された。早速インタビューすると、長年個性と信じてきた高尿酸値の結晶がついに完成してすごい痛みを伴い、靴が履けなくなったそうなのである。現地で、知り合いを篭絡して、昼飯を馳走するとして呼び出しサンダルをショッピングモールで買い求めるという大胆不敵なスタイルは、かつて港北地区で見かけたサンダル原人と同種のDNAを共有するものらしい。

かつての種は、毎日何度も、私財を投じて社内の喫茶室を使い、自己投資として、出入り納入業者に対して、前向きな形での今後の志向する技術動向についての指針を示すことで、納入業者が自ら色々なサポートを講じたくなるという高度な技能に長けた原人であった。貨幣価値の異なる用語を用いて業界実体と会社実体をFX取引のごとく幻惑させてきたスタイルは、実際に誰も損をすることなくうまく情報や技術が共有されるメソッドだったのだが、そうした技法は会社運営から評価されることは無く、早期退職を課せられた上で現業職を嘱託として実施するという状況になったという。卓越した人徳の持ち主でもあるサンダル原人は、そうした状況でも仙人の如き達観した落ち着きを持ち日々心を落ち着かせながらもくもくと業務を進めているという。

そんなサンダル原人のうわさも、風の便りになってしまった昨今、西海岸のサンディエゴに登場した新種のサンダル原人も同様なDNAを共有する趣がある。経済技術開発活動の潤滑油としてのスタイルを良しとして、進んで難しいテーマに進んでいくさまは、どこかの中世の寓話を思い起こさせるものでもある。かつて、仲良し開発共同グループを通信業界に生み出したサンダル原人をはじめとする先達の動きを再実践させ、その実現に身を投じているさまは、滑稽と映るかも知れないが、サンダル原人のDNAにとっては狂信するいや共感する活動なのである。資本主義の下での自由競争についての疑問が起こりつつある昨今、こうした共同組合のような活動で実際の製品開発や技術共有がなされるのは、オープンソースでの開発とは一線を画するものだといえよう。

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業界独り言 VOL342 組み込みからプラットホームに至る道

携帯電話業界は、縮み上がりつつも採算確保と業容拡大の背反する要求をうけての状況が続いている、オープンプラットホームを受け入れる人もいるだろうし、専用プラットホームを開発追及している人もいる。共通する点は、小規模なOEMが独自プラットホームを開発する時代ではなくなっているということである。通信キャリア=特定OEMといった図式のケースもあるだろうし、共通のプラットホームをメーカー間でシェアしつつも採算の観点から見直して勇退をされたメーカーもある。プラットホームとしてアプリケーションベンダーに対してリーダーシップの労をとりつつ、新基軸を追及していくということの道は険しい。

プラットホームとしての基本設計に取組見直しが出来るチャンスは、もうほとんどありそうもない状況に陥っている。 とはいえ色々な工夫の余地は残っているはずで、技術者としての好奇心が疼くテーマはあるはずなのだが、なかなか好奇心とビジネスが一致するということは難しく経営陣の戦略を巻き込んでの展開が求められている。Quad社のようなチップセットあるいはプラットホーム・ベースソフトなどを提供する立場にいるとそうしたお客様経営陣の思惑や葛藤を見ることができるしそうした中での次善策の提案なりコンサルティングといったことも仕事の一環となっている。

提供するチップセットの性能・プラットホームの柔軟さなど、いずれをとっても結局お客様が商品としてサービス提供に至るまでのオーバーヘッドをとらえた上での競争力を改善することに繋がることで採用の判断をしてもらうことになる。ゼロからのスタートをするお客様は、逆にプラットホームなどは既存の範囲でリスク追及をしたくはないのでASISでOEMに依頼することになるし、過去がある人は、しがらみに縛られた上で世の中の流れであるオープンな雰囲気と自己追及したい改善の狭間に立たされている。ユーザーから見た目のサービスにどれほどの差異があるのかということや、携帯電話がこれからどうあるべきなのかといった事への拘りなどがキャリアあるいは巨大メーカーの目指している差分になっているようだ。

その開発方向の行く先に見える想定される問題や実現時期に思いを馳せた上での技術的な企画創案をするCTOもいるだろうし、現在までの開発投資の集約から拡大していく開発投資に大きな判断を求めているキャリアもいるようだ。国内でのシェアのどんぐり競争も退場者の登場やブランド貸しなどの流行で報道からは、大きく見えてくるのは強い意志をもつメーカーの取り組みぐらいになっているようだ。通信キャリア毎に取り組んできたベースリファレンスデザインの上に構築してきた自社プラットホームアーキテクチャをリセットする気概というかリスクを負ってまで踏み込めるメーカーは少ない。過去にもなかった訳ではないが、そのギャップとビジネスとしての短期的な成果で埋没してしまったケースもあるようだ。

技術競争の質は変化してきているのは、iPhoneなどの登場でも明らかなのだが、ハードウェアでの性能差別化に終始することしか考えられないことについての不安感はないのだろうか。最終目的と現状互換性の狭間でますます混迷の度を深めていくケースも多いのだが、仮想化をさらに推し進めて過去との互換性についての基軸を変えるべきだと感じるのだが、仮想化のオーバーヘッドにのみ注視していて、その矛先を押し曲げていることについては悲しいものがある。気がつけば32ビットマシンとしてのアドレス限界も見えてくる状況なのだが、携帯電話あるいは端末で64ビットの世界にまで整理もつかないままに移行することは出来ない。

端末ソフトウェアのアーキテクチャを新構築していく流れを提案しているのだが、現状設計での性能や問題点の整理が、まだユーザーレベルではこなれていないのも仕方がない状況である。組み込み環境という特殊性の中で、オープンソースな開発スタイルが導出しうるゴールが時期を全うするものになれば、良いのだが自社追及していく一つの方向性の中で、乗ってくれるパートナーとなるお客様を教育説得して利益を享受していただくための下支えをしていくというのは、なかなか難しいコンサルティング技術が必要であり、素人を説得して、実務としての利益成果をあげていただき、かつそれを無手勝流で仕上げていくという、途方もない仕事かも知れない。