業界独り言 VOL338 携帯電話プラットホームとは何か

プラットホームを提供する立場で、複数のお客様が必要とする個別環境に向けて個別の形で技術提供をしていくということでは技が足らないのである。マイクロカーネル型のオープンOS、シアトルのベンダーが推進するOS、GPLを標ぼうする草の根OSの三つの異なったプラットホームに応えていくことがテーマとなっているのが携帯業界でのある半導体メーカーでの取り組みである。アプリケーションを搭載するという概念において必要なAPIをアブストラクション定義して構築したバイナリ実行環境も、またプラットホームである。

半導体メーカーとしてDSPなどの個別技術の上に、製品としてのプラットホームを構築していくという考え方に立つと共通化という目的でAPIセットを定義してRTOS機能すらもアブストラクションをかけるという技術によりテクニカルコンポーネントとして異なったプラットホームの上に共通のものとして提供していくことを考えていくというのは自然な仕事の仕方ともいえる。仮想化ではなく、実装としての抽象化が果たされていくということになる。アプリケーション実行環境として提供してきたバイナリ環境も、この考え方にそえばシアトルや草の根OSの上でも動作することになる。

世の中のキャリアには、プラットホームに依存しない抽象化したAPIセットでアプリケーションやサービスを共通化するという考え方を提示する動きもある。キャリア間の駆け引きや歴史もあり、理想とする姿として定義したそうした流れが実現されるのかどうかは、まだわからない。ユーザーにしてみれば、使い勝手の良い夢のある端末が開発提供されるなら、なんでも良いわけで現実的だけれど、つまらないソフトしかないのではプラットホームとしては落第だし、夢のある端末やソフトだけれども開発環境が閉鎖的ではこまるのだということも言われる。

最近では、あるキャリアに奉職されているテクノロジーの閻魔大王さまがいらっしゃって、彼の記載した閻魔帳には、こうした携帯電話プラットホームを明快にえぐり取って簡潔に説明しきっているようだった。私も冥界をさまよう流浪の身ゆえに、閻魔帳を覘く機会もあり、またそこに書き込むことで実現化しそうな印象のあるライブノートともいうべき状況になればとも思うのだった。しかし、閻魔大王様もアプリケーション開発に関しては開発方法論やツールについては細かく記載するもAPIを定義して放置するといった考え方にも通じそうな一面がうかがえた。

先日のEUCを完全達成したオブジェクト指向の神様の世界に見られる、完全無欠の部品開発をベースにしようとするアプローチからみると、そこには乖離があるようだ。本当に使いやすい携帯電話端末を構築していこうという流れにAPIセットを定義するだけでは不十分なのだと思う。ある意味で、健康食品あるいはサプリメントとしてホウレンソウの缶詰を売るだけではいけないのだろう。UI開発の言語セットから開発を見直すといったアプローチも含めてオブジェクト指向の使いやすさと開発環境の不便さを強要したMacOSの世界にまでは戻ることなく実現したいのである。

携帯電話プラットホームを生業にしていくということは、ある意味で林檎やシアトルコーヒーなどと競合していく戦いを続けていくことに他ならないのである。世の中に伍して戦いを仕掛ける、あるいは自らのアイデアを問いかけるそうした前向きな人材でなければ、続けていくことは難しいだろうし、そうしたことさえ厭わないのであればいつまでも心の青春を続けていけるエンジニアとしての職場としては魅力的なものなのだと思う。そんな人材がいれば、日本一のメーカーをユーザーとして提供出来て、最先端技術の仲間とともに、このプラットホーム戦争の中で戦っていくエンジニアとしての大きな遣り甲斐を提供出来るのだ。

実は、どのプラットホームでも共通に使える夢のソフトウェア構造を提供していけることが出来るのは、この会社を置いてはほかには無いのだろうとも思うのである。そんな事に共感してもらえる心の青春を維持しているエンジニアを探しだし仲間に迎えたいと思うのである。

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