プラットホームと言語が取りざたされていた過去の歪んだ経緯などを正しく把握しないままに、キャリア同士の戦いや規格の相違などのいろいろな局面が突出していた時代があった。Javaと携帯バイナリー実行環境との比較論などが、行われてきた流れに意外に映るかも知れないのは携帯バイナリー実行環境でのJavaプレイヤーの再登場である。ドコモとAU、PDCとCDMA、Javaと携帯実行環境という異なった条件での互いの将来のビジネスの浮沈を賭けての戦いでもあった。もともとの想定外の戦いはPDCとCDMAとのCM展開に見られた、いわゆる子飼いのタレントがブランドを駆逐するようなコマーシャルを打ちに競争相手に出るというものだったりもした。
緻密に積み上げてきたことを瓦解していくような予兆を感じ取る敵対する技術の登場に伴う、展開での先制攻撃を食らったという印象があったのだろう。良いものは売れるということを推し進めようとしていると、戦場の場を時間稼ぎにアプリケーションでの競争に鞍替えしようというのも戦略だろう。Javaの投入やら、カメラの投入などと電話機の通話品質という基本的な部分から離れた部分での競争に身を投じるようになったのは競争という形に持ち込むことが必要だからでもある。また、想定外の技術の登場で自らの技術ロードマップをリセットされてしまったことへの嫉妬の裏返しでもあっただろう。技術の進展という流れの中でベースとなる半導体性能などの土壌が同じである限りには古い技術を使っていくことが有利なこともある。
CDMAという技術が要求する処理能力は、同じ半導体条件であればアプリケーション能力を逼迫するのはいたし方ないのである。戦略的な宣伝で説明するCDMAのコンセプトがまさに働こうとするときに処理能力がより必要になるのである。マルチパスを解決してより良い音質を実現しつつさらにソフトハンドオフを実現しようという状況と多年に亘って培ってきたTDMA技術の集大成としてチップセットが処理してくれるそれとではアプリケーション能力に差が出ることが起こるのはいたし方ないのである。まあ携帯戦争のCDMA商用化時点でいえばARM7の処理能力をどのように端末の魅力として表現が出来たのかということにもなる。
こうした背景の上で基本性能の戦況芳しくない中でアプリケーション主体の戦いに戻されてきたのは後塵にあえぐキャリアの戦略でもあった。そして、この流れの中でJavaのみならず電子メール機能で抜きん出た通信キャリアが出てきたりもした。基本性能で抜きん出たとしても端末競争という観点でねじり伏せたりすることが出来るのは結局相互の端末同士での通話という機能になってしまうと見えなくなってきてしまうということでもあるだろう。固定電話と携帯電話という間での通話品質の競争という見方であれば、明瞭にわかるものも端末端末という切り口になってしまうと見えなくなってしまうからでもある。まあ不安定な通信環境の改善という目的や、あふれ返ったユーザー収納という面においてもメールやWebに視点を移した競争にさせようというのは本来の状況からも正しかったろう。
そういった時代背景を受けてのチップ性能を出来る限り搾り出して機能実現しようという目的において、バイナリ実行環境はひとつのコンセプトとしてあるいはプラットホームの有り様としても正しかった。かたや型落ちになってしまったといえる通信方式はすでにIC化が進み、CPU性能でより楽しい機能を実現していくという視点で仮想化に話を移動させていったことが携帯Javaになっていったともいえる。こんな中で配布コンテンツを実現するという意味で、Javaとバイナリ実行環境とが競争するというおかしな状況になった。そんな中でバイナリ実行環境ならではのコンテンツを作ってもらうことで跳躍しようという跳んだOEMも現れたりはしたのだが、端末が出来てもそんなベンチャー気質は馴染まないようで長続きはしなかった。
バイナリ実行環境が認められ、コンテンツダウンロードとして金の卵として育ててきた経緯は、正しくもありバイナリなアプリケーション認定作業も含めてJAVAと同様に考えていくという段階で、フリーな環境という意味においては失ってきたものもあった。プラットホームとしてのバイナリ実行環境としてさまざまなアプリケーションを受け入れていくということにおいては評価費用もリソースもかかるという事実がある。日曜プログラマーが簡易に組み込んで楽しむということを実現できるのはやはりjAVAなどの言語において他ならないし。そうしたプレイヤーをプラットホームとして動作させることには問題がない。当然の帰結にたどり着くまでにはいろいろ紆余曲折が必要なのは致し方ないだろう。jAVAを否定してコンテンツダウンロードビジネスで課金のビジネスモデルも構築してきた金の卵なのである。
プラットホームとして想定してきた流れと端末の進化や世の中の動向には必ずしもすべてのケースが含まれていないということも事実なのである。想定しているような想定外の意外な事実に直面することになるのには、想定していない状況が始まるということによる。コンテンツ配信の仕組みをネットワークベースで進めてきた大前提で、描いてきたビジネスモデルには、pc連携での昨今のコンテンツ配信との相互運用といったものが含まれてはいなかったのである。検証なしのソフトウェア配信を認められないということもあり、検証済みであってもダウンロード以外の方法では実装できないというおかしな状況も考えうるものである。世の中はiPodでの配布やCDコンテンツなどとの同期といった流れもこれから携帯電話のコンテンツの有り様に影響を与えていくのかもしれない。 柔軟な仕組みや、技術に対応していけるような柔軟な会社あるいは組織が求められているのだが、この解決が一番に大切で、そうした状況であれば、そこに技術もモチベーションも高いメンバーが育っていくようになるのだろう。