日本国内の携帯端末開発事情は、迷走の感がぬぐえないのはいたし方ないことだろうか、前向きに生きようという技術志向のエンジニアがいないわけではない。端末開発のお手伝いをする仕事をしながらいろいろな出会いに遭遇する、前向きに生きたいと考えている人は何人もいるのだが、実際に自らのアクションを興す人は少ないようだ。周囲の状況の枠組みに組み入れられてしまっていることに疑問を感じないあるいは恩義を感じているというのが実情だからだろう。つらい状況の中で少しでも改善したいという青い鳥症候群のように冷やかし半分ではないにしても仮面接をしたりする人はいる。その先に進もうという話になると、腰が引けてしまう感があるのは自分自身に「英語での枷が出来ないので・・・」と言い訳をしてるのに過ぎないと思う。日々のコミュニケーションとして日常化していけば会話なんて習熟するものである。その世界に進みたいのかどうかという覇気があるのかないのかということが一番私たちが気にしている点なのである。
月別アーカイブ: 2006年6月
レトロな世界に浸るには
昔は無線機の箱は修理に送付したりするのには捨てられないものだった。最近では、高機能フィルムの登場でパソコン送付と同様な形で梱包が容易に実現できるようになっている。20年あまり貸し出しぱなしになっていた(正確には未返却のまま督促タイムアウトを繰り返してきた)二台の無線機が帰ってきたのもつかのまに、ケースも再塗装のお願いをしたりしつつそこそこの修理をお願いして北陸の富山に依頼したのは一ヶ月ほどまえのことだった。そんな無線機が帰ってきて最終段の真空管はそのままにまだ出力が出来るようだった。修理に必要な部品の多くは半固定の抵抗器だったようだ。
最近流行のブログも導入するかと・・・
情報発信をセミブログのような形でMLと会員制公開の道で進めてきましたが、いっそのことブログの範囲で語らう場も必要かと準備してみました。独り言のような運用だけでは、ちょっと不十分のように感じもします。 まだ運用が慣れないので何が出来るのかどうかも含めてトライアンドエラーの流れです。過去のバックナンバーもすべてBlog形式に変換しようかとも思っているのは検索したいといった要望があったりするからでもあります。
組み込み業界独り言とは
ここでは、携帯業界などを中心とする組込業界の渦中で働く技術者の方を対象にした勝手な思い込みによるモノローグを綴っているものです。ヨタ話などもあるかと思いますが、火の無いところに噂はということで携帯業界の関係者の方々の日ごろの思いの吐露も含めて流しています。くれぐれもヨタ話あるいは噂の域を出ないものとして読み流していただければ幸いです。 このページのむトップの写真はK2というアマチュア無線機のキットの基板写真です。組み込みという定義からは少し外れるかと思いますが、無線業界で生きているものとしての嗜みということでご容赦を・・・・
小窓次郎
業界独り言 VOL320 パソコン通信の終焉から
三月末で、ニフティサーブが終了となった。かつては日経MIXや電機メーカー中心のネットも存在していたが、いまとなっては最後の牙城として残っていたのはFUJITSUと日商岩井で始められたNIFTYのみとなっていた。パソコン通信の時代から始まった電子メールは、センター集中型のシステムとして大小の規模の差はあれ、電子フォーラムなども運用されたりしてきた。 パソコン通信の始まりは、当時の端末事情も反映してかワープロ通信なる言葉も生まれたり、端末としての通信ワープロなる通信モデム搭載の機種も時代を反映して登場したりもしていた。事務処理のアウトソーシングなども兼ねた電子データの交換手段としての通信方法論であったりもしていた。DOSマシン上で動作する同時に複数の通信回線をサポートするためのソフトウェアや複数のモデムを収容するためのシリアルカードなども登場していたのを思い返す。
ソフトウェア開発環境に登場した、UNIXマシンなどの登場や普及が始まった時代背景などとのマッチングもあったからだといえるだろう。もともと自社サポートネットワークとしての位置づけなどもNECや富士通といったコンピュータメーカーの背景にはあったのだろう。パソコン通信をベースとしてドキュメントの配信やらソフトウェアコンポーネントの配信なども可能になったのは1980年代の半ばからだっただろうか。モデム搭載の富士通の 通信ワープロOASYSなどが登場したり、通信機能が使いこなせそうな持ち歩ける98LTなどが登場したりして機動力が増したと感じた。当時は、開発環境としてのDOSではなくて、TERM環境を通して会社のUNIXマシンが呼び出せるようになったと感じたりしたことでもあったからでもある。当時のパソコン通信を使ったのは電子会議などの仕組みを利用して同志を探したりすることが目的であったかも知れない。
そんな時代から20年あまりが経過して最古参のNIFTYサーブもベースとなったCompuServe自体が既に終焉している中で 、孤軍奮闘してインターネットの時代としてのWebベースのシステム運用と共に旧来のモデムで接続するパソコン通信システムとを一体化して運用してきた。通信ワープロなる言葉が生まれたり、携帯型PDAのようなものもそうしたインフラをベースにして新規事業を模索したり需要を喚起したりしてきた。ADSLが普及してインターネットが過去の負債のようなISDNインフラを否定して単なる電線レンタル事業に貶めたりしたような印象もある。最近ではISDNのTAなどを買い求めようとしても黄ばんだ箱の商品しかないような印象がある。ISDNの開発に敬意を払い、2B機能をフルに活用してアナログFAXとアナログ電話を相変わらず利用しているのは何か間違っているかも知れない。