ワイヤレスな世界に身を投じる羽目になった契機が何だったのかと思い起こすと、10年あまり昔を思い起こす。当時何をしていたかというと組み込みCコンパイラを10年あまり楽しんだ挙句に先の世界に向けてスクリプトやらシミュレータやらの仮想的な世界に足を踏み入れ始めていた。携帯電話というよりは、トランクドという最近ではかえって最新アプリケーションとなってきたPTTサービスの端末作りをしながらPTTからの革新を目指していた。PHSの手伝いを終えて、元の職制でのPTT無線機のデジタル化の流れを率いていた。ソフトウェアのベースとなっているチップセットは市販の慣れ親しんだ他社製マイコンであり、何故か他社にもない高性能なシミュレータを開発して開発に勤しんでいた。シミュレータの機能は自分たちが必要としているものを盛り込んでいたし、16ビットマイコンの性能は当時の処理要件を十分に満たしていた。
アナログなシステムの開発の時代は自身の若き時代にアセンブラで対応してきたことを思い出させもするし、4ビットマイコンで高級言語で挑戦して失敗もして、それを契機に他社製8ビットマイコン用の高性能Cコンパイラを開発して応用商品などを手がけてきたりした。そういった意味で自分自身の技術者人生の中での大きな位置づけであったと思い返しもしている。アナログからデジタルに移行する流れで、自動車電話から業務用電話と移って来た自身としては、デジタル化の奔流に入ったのはNTTのデジタルムーバに向けた基地局システム提案やらパーソナルハンディホンでの提案開発活動が実務としての接点となった。無線機ソフトウェアの開発というには、OSや開発環境などに重きを置いてきたこともあり、プロトコルの開発に関しては若手にすっかり任せて、PHSの実務開発の流れにおいてはすっかり開発環境に嵌っていた。
実機以上に精密な測定が出来るというコンセプトを正面切って対応して実装開発してくれた仲間の成果を活かしてトータルの開発効率を向上させるという観点に推移した。コマンドを自動化したり、結果を判断するスクリプト機能を動かすことを始めていた。いわゆるUNIXの世界でのツールチェーンであり、またツール連携でもあった。シミュレータが動作する中での外界とのインタフェースを持たせるための機能としてプロセス間通信を行いつつPerlなどとの連携にも走っていた。気がつけば、開発成果を日経の雑誌に掲載したりすることも行い、外部や内部セミナーとしての紹介なども実践した。開発で実用化した技術自体は実践現場で活用してなんぼの話であり、PCUNIXの到来を探りながら開発環境自身をPCUnixとHP/SUNなどのEWSとの連携で高効率に動作させようといった実用化もしていた。スクリプトだけで幾らでも応用が出来たのである。