忙しさに感けているうちに、バレンタインからホワイトデーに届こうとしている。ねばならない会社仕事を片付けているうちに個人として行わなければならないと感じているワークに戻れなくなっていた。ああ、こんな事ではいけない・・・。最近では、「そうした個人ワーク自体も仕事の中に取り込んでいったらいいんじゃないの」というようなノリの良いトップに変わった状況にもなってきているのだが、果たして溜め込んでいる件名消化を果たすことが出来るのだろうか。ミクロな視点で仕事に取り組んでいるとマクロな視点での今後の方向性を見失い焦り落ち着かなくなったりすることに嵌ってしまう。このままで良いのだろうかと悩みつつも、まずは今日の仕事を終わらせることのみに費やしてしまうことは多いのだろう。仕事に取り組んでいく上で一番大事なことは、身体の健康であり、それを支えてくれる家族の健康である。身体のみならず精神の健康も大切であり、家族とのコミュニケーションなどが大切なことは言うまでも無い。そうした状況でようやっと自分としての仕事に没頭出来るのであり、家族との精神生活を重要視せずに身体生活のみの達成に腐心してしまっているようではいけないのである。
まずは個人生活の達成があり、それを実現していくための共生条件として会社で仕事をしているのでありそうした事を忘れているような仕事環境や会社の体制では明日はあっても、先はおぼつかないのだろう。とはいえ現実の多くのエンジニアの方達の暮らしを見ていると明日の先が見えているような状況ではないようだし、日々の家族とのコミュニケーションも取れているとはいえないようだ。退職などを契機に初めて家族と真剣な話をしているケースもあるらしく、「黙ってついてこい」といった雰囲気の先輩達の人生航法を見せてもらったり、家族との会話で転職に躓いてしまった後輩なども見たりしている。まあ長い人生の中で肩肘はって暮らす必要もないので、家族との生活を大事にして暮らしているのであれば良しである。実は転職などで躓く理由として家族の理解が得られないという説明が多くあるのも事実なのだ。家族の理解が得られないというケースには、家族で共有している価値観が転職により維持できないといった場合もある。家族を捨ててまで転職する人などは居るはずも無い。
インターネットを通じて、会社のプロセスの問題提起をしている掲示板があったりする。本来であれば、その会社内で閉じているべき問題が外部の環境を使っているのは機密扱いの上で大きな問題でもあるだろう。しかし、そうした環境が社内で取れない状況などがあり、ある意味でガス抜きのような形で使われていたりもするようだ。裏世界とのインタフェースのように使われている掲示板では、開発途上の端末の写真が公開されてしまったりとモチベーションの無い組込み開発の状況のインジケータのようになっている。夢のある開発をしていきたいというのが技術者の本来の希望だと思うのだが、最近はそうした指導をしているつもりが、無理な十字架を背負わされたという形に捉える感性の若者が多いように見える。無理なスケジュールを打破することで日本発のWCDMAをローンチさせるということで始まった国策のようなFOMAでの開発がそもそもの発端だったともいえるだろう。
コードの最適化という言葉をコンパイラの責任に押し付けてしまったのは、ソフトウェア教育の歪なのだろうか。アセンブリソースを見ることなどなくなってしまった現在となっては見やすいコードが良いコードといって憚らない風潮となっている。急いで物づくりをしているのが定常化している現在では、振り返る時間などないというのだろう。振り返り反省することもなく開発のみが進められていくというプロセスでは、良くなっていくはずもないのである。コードサイズが溢れてしまうような状況でも、多数の3rdパーティやら協力会社が分担しての開発風景の中では、似たようなライブラリが組み込まれて堆積されている事実も、開発期間には変えられないという理論が互いを納得させてしまうようだ。結局開発元であるところのOEMが主体となってリードしていくことをうまくリソースを投入して必要な開発投資として積み重ねていくということが必要なのである。荒っぽい積み上げのままのようなコードから不要と思われるコードを精査することを追及することでフロッピー一枚程度の余裕が出来たもの基本ソフトの改版でそうした余裕の二倍以上がソフトフィックスとしてコード追加に消えていった。
開発効率の追求ということに焦点をおいた開発技術の追求といったファクターが薄まって来たのは、そのようなキーワードで始まった様々なプラットホーム提供に対して対応していくことに疲弊してしまい昇華することなく消化も出来ずに消耗することのみに費やされてしまうといったサイクルになっているのが現在の携帯開発という事態をあらわしているようだ。採算性を取りつつ開発に取り組んでいくということが大なり小なりの差異があるものの閉塞感にさいなまれている状況がWCDMA陣営にはあるようだ。無論、1X陣営が好調ということではなく単に相互の開発に至るビジネスモデルの相違や規模の差異が、そこにはあるのだと思う。端末の機能競争が無為な状況を越しているのは事実なのだろうけれど、エンドユーザーに対しての差異の見せ方について開発している技術者が正しく認識しているかどうかには問題があるようだ。最近、知り合いで48ヶ月もの契約期間を過ごしてようやく機種変更をした人がいるのだが、機種変更の理由は気に入った色の端末が、ようやく出たからだった。
プラットホームを変えたところで基本コンセプトが変わらない限り似たようなコードサイズのオーダーとなり、開発効率が良くなるとも思えないのは言いすぎだろうか。まあ慣れてくれば良くなるといういいながら慣れるまでに時間と費用が掛かりすぎ、目的とする開発費用の生産性ラインを認識することも無いままに慣行となった開発のみが続いているような会社もあるようだ。達観した経営トップが一式完成品のソフトウェアを納入して欲しいということを言われるのも無理は無いような気もしてくる。しかし、完成品のソフトウェア一式を与えたとしていじり倒して壊してしまうような事例も見てきた過去がある。達観してそのまま使い切るというような成果を出すためには、エンジニアリング部門と企画部門とのあいだでの結束やトップ方針の徹底が鍵だといえる。トップ方針に耳を傾けるでもなく、ビジネスとして取り組んでいくプロジェクトをチャンスとして活用していくでもなく無為に過ごしているようなことでは将来がないだろう。
世の中は、ナンバーポータビリティがスタートすることを受けて、通信キャリアのバトルが予定されているという、三つの現キャリア、あるいはそれ以外の新興キャリアも含めて、みな技術的なトライアルや新技術の吟味などを進めている。技術を提供する立場の者として、どのキャリアが使ってくれても有難いのではあるが、同一技術の提示をしてみても日本という地域の人たちの反応がいまいちだと感じるのはなぜだろうか。生産性向上という観点でソフトウェアの自動生成などの技術追求をしている人もいるだろう、組込みソフトのCAEという枠組みでドキュメントとコードの両立を果たそうとしている人もいれば、試作で用いたUI記述サンプルのHTMLをそのまま使えないかと考える人もいる。端末機種開発に必要な費用を売上高の10%とおいてみた場合に出来る姿を思い描くことが必要なのだと思うのだが、現状を肯定することで月産100万台でなければならないといった思考サイクルに落ちてしまうのはいかがなものだろうか。
OEMからの要望を受けて、端末ソフトウェア一式を商用レベルで揃えてみるというプロジェクトなどに取り組んでいる会社もあるようだが、果たして開発した成果や適用した方法論が、次の年度のお客様にとって意義あるものになるのかどうかは不明である。みな一社で全ての物づくりが果たされるわけではないのはOEM先と同様であり、デファクトのソフトウェアを組み込みインテグレーションするということになる。世の中が残された市場として中国を認識するようになったことで、どのメーカーも漢字フォントの実装やFEPの搭載などが一般化してきた、最近ではマルチメディア機能までも含めて国内メーカー以上の成果が見られるようになっている。中国の3G遅れが表面化した今日としては、当面のはけ口としてFOMA互換を果たす端末として国内上陸することが明らかになってきている。韓国の端末機器が登場してくる状況はVodafon仕様の欧州端末が登場する事以上の意味があると思われる。
端末価格に占めるソフトウェア開発費用・ハードウェア費用合わせて下げていくことが必要であるのだが、国際的な競争の下でのレベルにあわせての戦いが始まっている。出来上がった端末が売れないと嘆くのではなくて、なぜ売れないのか機能も価格もひっくるめて開発競争力が問われている現在となっている。チップメーカーあるいはソフトウェアベンダーとしてコンサルティングをしている立場でいえば、お客様ごとの対応力や得意なドメインに合わせて技術とチップのパッケージとして紹介して実用化していくというサイクルをいかに早くにまわしていくのかということが求められているのだ。そうした海外の実情やデザインハウスの実力を知りながらも社風を変えることが出来ずにチャンスを物にすることが出来ない人も出てくるだろう。やはり、組込みソフトで培った経験を結局のところ物に出来ずに自分達を変えていくことをしないままにおぼれていってしまうような印象を持つのである。
コンサルティングをしていく中で、スポンジのように知識を吸収して次々と製品開発に繰り出していくというサイクルを回している風景は日本以外のように思う。そんな状況のせいか、年が明けてから毎月中国にコンサルティングに赴いているのが実情だ。彼らと取り組んでいる日本メーカーのエンジニアのやる気もすごいのだが・・・。新たな枠組みでの製品開発を柔軟に進められるのかどうかは、かならずしも成功体験を持つ人たちではないようだ。現在までの仕組みに引っ張られてしまうのは、再利用という魔物に魅入られてしまうからなのだろうか。理想の開発を実践していくことを国内ですることなどは開発費用の観点からは諦めたほうがよいのではないかと思うようになってきた。日本の物価を1/4程度にして暮らせるようにしないと中国のエンジニアの飽くなき取り組みには負けてしまうのだろう。日本で採算があうのはSEやコンサルティングといった職域だけになってしまうのかも知れない。