組み込み業界以外にも匠の技が多くあるのは日本の特質だったかもしれない。以前、欧州で列車の正面衝突が起こった際の事故原因を確認したところ、時刻表どおりに走ったら必然の衝突だったというオチだった。日本の列車ダイヤの正確性は、世界に誇るものであったらしい。最近の列車ダイヤ改正で、定期券でグリーン車に乗れるようになった。この一環でSUICA内部にグリーン券情報が書き込まれるサービスが始まったりとデジタルデバイトを進めているのが見て取れる。便利とは裏腹に、合理化でのコストアップを棚に上げて車内改札の料金アップをそれとなく始めてみたりといった状況である。確かに車内改札で1000円で駅で購入すれば750円なのだからお得だといえるだろうし、以前の方法論でいえば定期券の場合には切符も買いなおす必要があったのだから安くなったという意見もあるのだろう。
他方混乱している実状もあり、SUICAを個人用のIDとは考えずに財布だと思っている人たちにとってはSUICA専用のグリーン券購入機という端末がホームにあるのだが、これでは二人分のグリーン券を購入することは出来ない。便利そうで不便な機械を設置しておいて、デジタルデバイドされた人たちには、高い車内改札を選らばせるか、いったん改札を出てもらい切符を買いなおさせるのである。便利な仕組みであるのだが、融通の利かないシステムを構築してしまっているのが現実である。もっともスマートなシステムのユースケースに合う人であれば、SUICA定期で通勤していて疲れた帰宅ではゆっくりとグリーン車で座って帰るという選択をホームで行い、余分なチケットも発行されずに降車駅までの区間情報つきのグリーンデータが書き込まれたSUICA定期を見つけたグリーンの座席の上部のマークにかざすと降車駅までの間は改札無用のランプが点灯するのである。
こんな便利なシステムを導入しているのがJR東日本の最新車両なのだが、匠の技を駆使した最新車両とそのサービスを堪能できるのは、やはり匠の技で組み込まれたダイヤの間隙と貨物線の活用という大技で実現した湘南新宿ラインという形態になるのだ。幾つかの沿線を束ねて接続しているのが湘南新宿ラインの実体なので、昨今の不透明な世情や不順な天候などとが相俟って中々安定な運営が適わないという事実もある。二つの異なる系統のラインを結ぶのは所謂埼京線と東京メトロライナーが走る旧貨物線であり、宇都宮線と高崎線、そして東海道線と横須賀線という多様なラインを結んで実現しているのである。これだけ異なったラインが重畳して運営しているさまは緻密に組まれたダイヤの魔術師の成果といえるだろうし、人身事故や天候の影響を受けやすいのも事実である。現在の日本の不安定な世情で毎日のように人身事故が続いているような状況ではまともな運転は望めそうも無いのである。
ぎりぎりのスケジュールで組まれたダイヤで運転している状況で必要なことの一つには、突発事故などへの対応能力も求められている筈なのだが・・・。実態としては、平身低頭謝るホームでの顧客渉外担当と、謝る理由を新たに生み出す混乱した情報を撒き散らす運営だったりもする。なにかの事故で始まったダイヤの乱れに対して、どうも線路を借用して運用していると映るのは湘南新宿ラインになるようだ。「次の大船行きは、新宿を出ました」「いや、次に到着するのは新木場行きです。」「大船行きは池袋に到着しました」「大崎行きが池袋を出ました」・・・「大船行きは、池袋で止まっております」「湘南新宿ラインの運行は本日は見込めません」などといったい何が起きているのか判らないという状況で30分以上ホームに待たされているのである。事の起こりは、何だったのかは別にして何故このように運行できなくなるのかはシステムが出来ていないということなのだろう。折角買ったグリーン券情報が無駄になりはするものの走りそうも無いのであきらめた。
湘南新宿ラインに限らずギリギリで運営しているのは、端末メーカーやソフトハウスでもそうなのだろうと思う。何かの打ち合わせばかりが続いていると開発がストップしていたりするのはそうした事の裏返しだったりもする。まあQuad社にしても、そうした傾向が出てしまうケースがあるだろう。お客様のサポートとして米国にお連れして特急処置をしたりすることもあるのだけれども、その裏返しとして開発運行計画に支障が出たりしてしまうことになる。余裕が持たれて吸収できる場合もあるだろうし、個人毎の休暇スケジュールなどから折り合いが付かない場合も出てくる。無論休暇をとり家族との暮らしのために会社で仕事をしているというスタンスのメンタリティがメジャーなので、休暇をとるために自分の責任を果たそうと追い込み仕事を完成させていくという風潮もある。こうした感覚は日本の長屋的な雰囲気のメーカーには見られないと私は感じる。そうした感覚の技術者がいると浮いてしまいがちになるのだと思う。サービス残業でずるずると出来る人ばかりが仕事が集中してしまうというのはおかしいし、出来ない人が帰っていくのもおかしなものだし、中々日本の就業環境はぬるまったい感じがする。
突発事故が続き、まともな運行がままならないように見える湘南新宿ラインにも拘らず東急東横線の特急と勝負するかの如き広告を打っているのは可笑しなものである。まあ、お客様からそうした声がQuad社にも投げかけられているかも知れないので、地道に処理対応力を増やそうと画策しているのではあるが、なかなか必要なまともな即戦力の人材に遭遇しないのは何故なのだろうか。我々の要求が高いというのだと人事担当は言うのだが、果たして、ごく真っ当なエンジニアであれば採用出来るのにギャップがそこにはあるようで、このギャップを通り越すトンネル効果を期待するのにはエネルギーが必要だということになる。匠の技を伝承構築していく上に必要なのは匠の技を理解する素養のある人が一つの条件でもあるし、そのために必要なコミュニケーション能力である。最近の主体性のない若者のような感性では、いくら英会話能力に長けていたり、技術素養を示す一級無線技術士の資格などを保有していても仕事にならないという事態も目にしている。同様な世代の若者が、戦場に旅行してしまう時代なので致し方ないことなのかも知れない。今までの感性で人を判断してはいけないようだ。
開発メーカーの現場に居る方だとしても、開発から遠ざかり現場仕事としてのソースやビルドあるいはデバッグといった類から、システム仕様としての理解に必要な各種通信技術の規格の理解を時系列として理解できるような人ということを要求すると中々両立するような人に出会うことは殆どない。そうした方を擁しているのは、規模の小さな会社で取り組んでいた場合には見受けることがあり、発展を遂げていくと、そうした感性は失われて管理主体になってしまうのは、日本のソフト開発の実状なのだろうか。不幸にして、開発が取りやめられたりした会社で、閉塞感にさいなまれた人たちにめぐり合うと弊社としては有用な人材として活躍する場所が与えられるのだが・・・。お客様の会社の規模や会社のカラーなどにより中々、Quad社のようなベンチャー気質の会社との付き合い方に嵌らずに成果が出せないケースもあるのだが、そうした中でこちらから見て活躍しているように映る人材が必ずしも、その会社からの評価が高いとは言えないのも不思議なものである。会社の人事評価制度などについては、暴露本が出て叩かれている電機メーカーもあるようなのでうまく機能しているとはいえないのだろうか。
会社成績も好調な中で、まともな社員であれば皆昇給するのが当たり前というのは日本のメーカーの事例なのだろうけれども、そんな中でも成果を生み出さない社員に対しては、評価に応じて減俸にそうとうする昇給・ボーナスのゼロ査定という現実が外資としての姿としては見えてくる。まともな仕事をするという経験を持たずに、会社経験が過ごせてきた人にとってはQuad社は合わない環境なのだといえる。ゼロ査定が出た場合の意味には、次の半年で評価改善が見込めないときには好調な状況であったとしてもファイヤーということになる。退職金もないのが会社の仕組みでもあり、そうした自身の現実を対象となる人物が技術者としての期待値として何をするべきかが判らないのだとすれば、そもそもボタンの掛け違いの根は深いということになる。会社としては、求人も大変な中で優秀な人材として雇用した人物が機能しない場合には、なんとか使えるように努力するということも続けてはいるのだが、戦場に旅行してしまいかねない感性の世代には通用しないのだろうか。
人間的な素養という点の目安として、以前に既婚歴があるかどうかという点を考慮に入れようと考えていたのだが、そうした問題のある人物には共通してその点は合致しているようだ。とはいえ、まだサンプル数も少ないので基準化するのには早いものの、最近のレジメでは気になって見る点となっている。結婚などは、ある意味で勝負を打つという感性が必要な一大事業の一つだと思えるからだ。前向きに仕事をしていけるという点には、どこが前なのかは理解しているということが一つにはある。若すぎた人材の場合には彼が仕事をしているということが前向きと誤解している節がある。お客様にとっての成果を、会社としてのビジネスモデルの中で出していくように進めることが、前向きなのであって、進めた成果がなくては進んだということにはならないのである。年俸制の会社の中で残業時間あるいは規定時間分席にいたからという感性の人では困るのである。有用な人材であっても、採用条件としての適正に合わない人物の場合には悩ましい、まだ陣容が少ないなかでは中々研修時間もとれずに自立してキャッチアップしていける人を探しているのが実状でもある。
システムエンジニアという呼称がよいのか、コンサルタントという呼称が良いのか中々説明が付かない現在の仕事において、昔の職場の知り合いであっても中々伝えきれないものである。やはり、要望するスキルセットを持つ人物がいるのはベンチャー的な気風を持ちプレイングマネージャー的な仕事をこなされている方でないと難しいようだ。伝家の宝刀を何時でも抜けるように鍛錬を怠らないという気風の人などとの採用を今では次のステージに進めようとしているのだが、UMTSのリーダーとなりうる人材については溌剌とした感性でやっていきたいという強い希望を持たれる人を探している。日本の多くの端末機開発メーカーは匠の技を忘れて管理のみに走り、いつしか匠の技を理解できない状況にまで陥っているというのが現状であるように見える。端末開発に夢を語るでもなく、仕事として行なっているという姿が多いようだ。マルチメディア機能の実現などを果たしていく上でリアルタイムシステムのシステムエンジニアとしての感性や、プロトコルの理解などを合わせて活用できる仕事場と思うのだが、そうした仕事を封印してきた付けで人材の育成志向がそこから外れてしまっているようだ。
無体な要求をしてくる、お客様の姿をみていると匠の技の理解が不十分ゆえに出てくるのが背景だと思われる。どのようにチューニングしていくと達成出来そうなのかどうかということが理解できないのではないかと思うような実情に出くわし、東奔西走しつつ教育をしているような気にさえなってくる。これもお客様のサポートの範疇なのだが、そうして教育する対象の方々は何故か正社員ではない方々ばかりの様な気がする。20年近く、そうした仕事を前の会社で出来てきたこと自体が異様なことらしく、組み込みソフトという仕事をメーカーという立場で出来たのは幸せなことだったと思い返すべきなのだろうか。管理のみで実務をしないという選択に何故なってしまったのかという点については元々匠の技を理解できない人たちが決めてきたことゆえの必然の結末だったのかも知れない。今からでも遅くはないので、是非若い方達が管理に手を染めるにしても実務を離れることはないようにしていただきたいというのが経験値からの提言なのだが、匠の技にも限度があるということ位を理解できる程度には、感性を維持していただきたいものである。そんな感性をもつ私の敬愛する女性エンジニアが体制に反攻してベンチャー的な職場に転出していったのだが、彼女にはエールを送りたいのである。